ハケンの来歴 by 大月隆寛
産経新聞のコラム「断」が止まりません。今度は大月隆寛氏。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/071206/acd0712060237001-n1.htm
>「ハケン」と呼ばれてテレビドラマの題材にまでなっている派遣社員。でも、それを束ねる人材派遣業者、って昔からあるんですよね。口入れ屋とか桂庵(けいあん)とか言ってましたが。女中…あ、いや、今は家政婦さんって言わなきゃならないんでしょうが、要するにお屋敷や商家に奉公(これもすでに死語かも)するために、田舎から出てきた人がここに登録しておくと、希望する条件にかなった口があれば教えてくれる、と。紹介料をとっての商売なわけで、何のことない、江戸時代からあるものです。
明治以降だって、人手がたくさんいるようになった仕事の現場じゃ、必ずこういう商売は介在した。港湾労働に炭鉱、鉄道建設…などなど、そういう「口きき」がいないと人手が集まらないのは「近代」という時代の必然なわけで。それが今や事務職系、いわゆる勤め人の類にまで波及してきた、と。
一時、M&Aで買収仕掛けてもうけるライブドアが博徒系で、ネットの出店でもうける楽天はテキヤ系、って、あたしゃよく言ってました。いまどきの人材派遣業者ってのも由緒正しいその筋がらみの商売。ただし、そういう商売の者が、政府の委員会や財界の会合に出て大所高所からもの申す、なんてことは昔は絶対になかったし、またそれを真に受けて天下国家の政策が左右されるなんてことも、まずあり得なかった。ならば、何がどう違ってこういうことになってきたのか、それこそが本当に考えられるべき問い、でしょう。
お役所的に云うと、労働力需給調整システムの歴史と云うことになるわけですが。拙著『労働法政策』の「第4章 労働力需給調整システム」の最初の節の書き出しでも、
>日本で職業紹介が事業として始められたのは江戸時代に入ってからであり、その始祖は大和慶安だと伝えられている。4代将軍家綱の頃、江戸の木挽町で医師をしていた慶安は、医業をやめ、二人の浪人を使って職業紹介事業を始めたといわれる。大都会になった江戸には、武家屋敷や町方などで労働力需要が生まれる一方、農村で食えない次男三男や娘たち、主家がつぶれて失業した浪人など求職者が集まり、職業紹介事業は時流に乗ってヒットし、これを真似る業者が続出した。これら職業紹介事業は肝煎、口入屋、桂庵等と呼ばれたが、公的には人宿又は請宿と称した。人宿の主な収入は、口入料、口銭、世話料といった紹介手数料(賃金の10~15%)と、奉公人の父兄が雇主に提出する奉公人請状に連帯保証人として印判を押す判賃(通常1分(1両の4分の1))である。
というところから説き起こしております。
それはともかく、今の大学のある六本木界隈というのは博徒とテキ屋の縄張りなんですね。
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