村上正邦氏の社稷の哲学
ちょっと前に出た本ですが、魚住昭さんが聞き書きでまとめた「証言村上正邦 我、国に裏切られようとも」(講談社)は、ウヨクとサヨク、ソーシャルとリベラルのこんがらがった関係を考える上でとてもいい本です。
昨年から今年にかけて『世界』に連載されたものですが、はじめにのところで、魚住さんが村上氏のインタビューをしようと考えたきっかけがこう述べられています。
>日本会議って何だろう。日本の右派勢力とは何だろう。そんな疑問に突き当たっていたとき、私は外務省の元主任分析官である佐藤優さんから興味深い話を聞いた。
佐藤さんの話によると、村上正邦さんは九州の筑豊炭田で貧しい鉱夫の子として生まれ、青年時代には炭鉱で労働運動のリーダーをしていた。幼い頃は朝鮮半島から強制連行され、虐待されている人たちの姿も目撃し、心を痛めたことがあるという。
私はこの話を聞いて、村上さんのインタビューを思い立った。左翼になってもおかしくない経歴を持つ村上さんが、なぜ右派の代表的政治家になったのか、その経緯をじっくり聞いてみたいと思ったのである。
村上氏は宮沢内閣で労働大臣を務めますが、その時、連合の山岸会長は、「こういう右翼的な大臣を任命する内閣とは話をしない」と云って懇談会を拒否したそうです。そこで、村上大臣は、
>お茶の水の連合本部へ乗り込んだんですよ。アポなしで。
「連合会長はいるか」
って言うと、連合の職員たちは慌てていたけど、結局「どうぞ、どうぞ」と会長室へ通された。山岸さんは私の顔を見るなり、
「いや、大臣。あなたから出向いてこられるとは思いもよりませんでした。大体、あなたは右翼だから」
って(笑い)。私はこう言ったんです。
「今の自民党の中で働く人の気持ちは私が一番知っている。あなたたちの話をよく聞きながら労働行政を進めていくから」
すると山岸さんは、
「俺が過去に気の合った労働大臣は藤尾正行だったけど、あれも右翼だった。俺は、先生とは気が合いそうだ」
この気の合いようの裏側にあるのは、
>でもね、今の自公連立政権、今の二世三世の議員たちのやることを見ていると、彼らの手で憲法改正なんかやって欲しくないですね。彼らは自民党の世襲制度の中から出てきた議員たちですから、一般庶民の生活も知らなければ苦労も判らない。彼らは親の財産をそのまま受け継いで努力も何もしない。彼らは政治を支配している限り、日本の国は堕落してしまう。
>政治家としての私自身の責任も感じながら言うのですが、今こそ庶民が立ち上がらなければならない。声を上げなければならない。
という認識でしょう。そして、その根底にある哲学は、
>私が求めてやまぬ真実の日本国とは、万邦無比の邦、これを社稷と言ってもいい。つまり日本古来の共同体なんです。
>相食むものなく、病むものなく、苦しむものなく、乏しきもののない、そのような邦を、この日本に実現するために、私は政治に命を懸けてきたんです。
というものであるわけです。
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