平家さんの疑問に答えて
私の『世界』論文に、平家さんから疑問が呈されました。
http://takamasa.at.webry.info/200711/article_5.html
この論点は、実は労働者派遣という形態を事実叙述的に考えるのか、規範的に考えるのかという、ザインとゾレンの二つの議論が絡まり合う部分でして、私の文章がいささか言葉足らずというところもあるのですが、平家さんの疑問はその二つの次元の違いを無視するところから発しているという面があります。
>また、派遣労働者の事前面接の解禁を巡って、次のような推測を述べられている。
紹介予定派遣でなくとも事前面接をするのは、その時点で紹介を具体的に予定していなくても、将来的に円滑な直接雇用を図るつもりがあるからであろう。
これはどうだろうか?このような例もあるとは思う。しかし、単に職場に変な人、こちらの希望するような人が来て、「ミスマッチやトラブル」が起こると困るからというケースも多いのではないか。
要するに納品された商品が注文したとおりのものかを確認する(検品)を行おうとしているに過ぎないケースも多いのではないだろうか?検品は短期しか使わない商品に対しても行われている。
直接雇用の意図が全くなくても事前面接は行われうるし、打ち合わせなどと称して事実上行われているのではないか。
もしそうであれば、事前面接の解禁という改正が、「派遣労働者全体に対して直接雇用への前段階的性格を付与することになる。」という濱口先生の主張は成立しない。
何を言いたいかおわかりですね。
私は、事実認識として上でいう「次のような推測」を述べているわけではありません。事実認識として、私が本気でそういう「推測」を述べているのだとしたら、事実認識の次元で、そうじゃないでしょうという反論は意味をなします。
しかしながら、これは「法的な規範としての労働者派遣法の世界においては、そういうことでなければならないはずだけれども、そういうことなんだよねえええ・・・」と、嫌がらせ的に言ってるのです。
なぜか。
これは、平家さんであればおそらくご理解されているはずだと思うのですが、労働者派遣というシステムの根本の考え方の整理から発します。
現在の日本の法制の上では、労働者派遣というのは、山田花子という固有名詞を持った労働者を固有名詞を持った労働者として、派遣先で就労させることではありません。いやもちろん、どんな労働者も固有名詞を持っています。このことの意味は、一人一人異なる労働サービスのうちの特定の一人の労働サービスを提供することは労働者派遣ではないという意味です。特定物債権ではないのです。
労働者派遣の目的物は、固有名詞の入らない抽象的な職種別の労働サービスです。種類債権なのです。
ファイリングという職種に属する労働サービスを一人分提供してくれという注文に対し、まさにそういうサービスそれ自体を提供するのが派遣会社です。
それが山田花子であるか、奥谷禮子であるかは、労働者派遣法上は、区別してはならないのです。
奥谷禮子はいやだから山田花子にしてくれ、といってはいけないのです。
もしそんなことをいったらどうなるか。
労働者派遣ではなくなるのです。
職業紹介になってしまいます。
ということは、派遣先は使用者になってしまいます。
派遣先は、特定の固有名詞を持った労働者とはなんらつながりを持たず、抽象的な職種労働力の提供を受けるだけであるから、使用者ではないということになっているのです。
これが派遣法の建前です。
もちろん、これは法的フィクションです。
実体論的にいえば、派遣先はまがうことなき使用者です。そして、使用者でありながら使用者責任を押しつける相手として派遣元を利用しているわけです。法的観点抜きに実態分析をすれば、おそらくそういうことになるのでしょう。
実体としては事前面接は日常茶飯事になっています。
だれもが、派遣先が本当の使用者であり、しかしながら使用者責任を負わないんだと思って行動しています。
しかし、ここでは徹頭徹尾、法的規範論の水準で議論しています。
実体がこうだからといって、だから事前面接を解禁しませうという議論は、このような法的規範構造の中におくと、どうなるかという話をしているのです。
現行法上、派遣でありながら事前面接が許されているのは紹介予定派遣だけです。
なぜか。
派遣先が紹介先であり、使用者として使用者責任を負うことが予定されているからです。だから、単なる種類債権ではなく、特定物債権として、特定の労働者の提供を受けることが可能なのです。
事前面接解禁論というのは、全ての労働者派遣を種類債権ではなく、特定物債権にしてもいいではないかという議論ですね。
だとすると、それは使用者責任を負いますよという話でなければ、少なくとも現行派遣法上は、矛盾を生じるでしょうといっているわけです。
これは法的規範論のレベルでの、(ブルセラさん風にいえば)if-then文であるわけですが、さてそれを実態論のレベルに引き写すとどうなるか。
現実の労働者派遣は、法的フィクションとは違って、派遣先が使用者であり、派遣元はその使用者責任を引き受けるだけの存在に過ぎないのだから、その実態に合わせた形で法構造を組み直すべきではないか、という議論になります。
戦前の労務供給システムの法的規範は、供給先が使用者であるという形で形成されていたという歴史的事実の提示は、それを補強するためのものです。
実は、私の議論は、この二つの水準の議論を二重に提示する形になっています。紙数が足らなかったため、いささか意を尽くせていないところがありますが、そういう趣旨でご理解いただきたいと思います。
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