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2007年11月13日 (火)

権丈先生の価値判断

毎度おなじみの権丈先生の勿凝学問シリーズ116です。今回のお題は、

「事実は価値判断とは独立に存在し得ない- 「人間は自分がみたいという現実しかみない」というカエサルの言葉の科学方法論的意味合い」

http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/korunakare116.pdf

この中で大変面白いのが、このグラフを見ての反応の違い。

Kenjoh01_3

>八代先生が編集した本『新市場創造への総合戦略(規制改革で経済活性化を)』の中にある、「所得と医療サービス支出の日米比較」をみせる。医療費を私的に負担するのと公的(租税社会保険料)に負担するのでは、いったい何が違うのか?

問題は、この図から、いかなる事実を読み取るかである。 まずは、この図を作成した鈴木氏が読み取った事実を紹介する。

•「家計と所得の医療サービス支出の関係をみると、わが国では所得と支出額はほぼ無相関であり、低所得者世帯も高所得者世帯も医療サービス支出額はほぼ同じである。このことから、高所得者の医療ニーズが満たされていない可能性が大きい。一方、アメリカでは所得と医療サービスの相関は高い。所得に応じて国民は多様な医療サービスを購入していることを示唆する」

>しかし、わたくしがこの図をみると、次のような事実が読み取られることになる。

•「このことから、皆保険下の日本では医療の平等消費が実現されているのに、国民全般を対象とした医療保障制度をもたないアメリカでは、医療が階層消費化している

つまり、

>事実とは、ニュースとは、事件とは・・・これらは、どうしても論者の価値判断とは独立に存在し得ないのである。Do you understand?

ということですね。

最後のところの台詞が本質を鋭く剔っています。

>講義では、いつも4月のはじめに、事実と価値判断を峻別せよ、事実関係を問う実証分析(positive analysis)と価値判断を内在する規範分析(normative analysis)は別次元の思考が司る別世界のものであり3、決して混在してはいけないと教える。そしてその後いつも付け加えることは、次の言葉である。 「でもまぁ、今言ったことは初級の科学方法論であってね、実は、中級、上級の世界になると事実と価値判断は独立に存在し得ないし、実証分析を行う際の問は、その人が持つ価値観に強く依存することになるんだよね。でも、それはあくまでも中級、上級の世界の話だから、まず君たちは、事実と価値判断を峻別し、実証分析と規範分析の違いを教科書レベルの知識としてしっかりと理解しておいてくれ。30過ぎても“経済学は価値独立な実証科学で云々”と言っているひとは、まぁ、社会科学にはあんまりむかないだろうな・・・」。

権丈先生の判断基準からすると、到底社会科学にむいているとは言い難いような初等ケーザイ学教科書嫁の手合いが、我こそは社会科学の先兵なりみたいな思いこみで知らない分野に猪突猛進してくるという事態が、一番悲劇的且つ喜劇的であるわけなんですが・・・。

で、じつは、この権丈先生の最後のところの台詞が、痴呆でいいもんの大坂先生のわたくしへのカメレスに対する超カメ再レスになるわけです。

http://d.hatena.ne.jp/osakaeco/20071011/p1

>「てめーら、経済学嫁とかいってるけど、おめーらの規範どうりには、おめーら自身の論争自体すすんどらんじゃねーか。ばか」

と、単純に言っていいわけではないわけで、それこそ初等段階の人には、「事実と価値判断を峻別せよ」ということをきちんと教えなければならないし、世間の圧倒的大部分のそのことがわかっとらんで両者を何の反省意識もなくごちゃごちゃにして議論しているようなのに対しては、まずは「事実と価値判断を峻別せよ」と言わなくちゃいけないのですけれどもね。

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コメント

>所得に応じて国民は多様な医療サービスを購入している
>医療が階層消費化している

ほとんど同じことを言っているようにしか…
それは、ともかく。
> 犯罪捜査の例――これを著者たちは本書で多用している――でいうと、そこでの課題が明白であるようにみえるのは、何をもって犯罪とみなすのかとか、犯罪捜査や司法制度についての共通了解が確固としているという前提を暗黙におくからである。これに対し、犯罪概念や法的カテゴリー自体が争点になっているような場合には、著者たちが考えるような常識論ではとても片づかない
http://www.j.u-tokyo.ac.jp/~shiokawa/ongoing/books/sokal.htm

塩川伸明:「読書ノート」
> ある人の腕が上がり、それが下がって、他の人の身体に当たったというようなことを問題にするのは、いわば動物行動学の見地であって、社会科学の見地ではない。社会科学においては、最初から解釈を含んだ概念が問題となるのである。それに、ある行為を犯罪とみなすという合意が成立していない場合、そのような行為があったという証拠を保存するとか「犯人」についての捜査をするという試み自体がなされないから、仮にそれが抽象的には「客観的真実」たりうるとしても、それが実際問題として実証されることはあり得ず、「なかったこと」とみなされるほかなくなる。
http://www.j.u-tokyo.ac.jp/~shiokawa/ongoing/books/sokal.htm

前半はともかく、後半は社会科学に限定される訳でもないはずでして。

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