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2007年11月20日 (火)

労働中心ではない連帯?

『生活経済政策』の11月号が、「今『連帯』とは」という小特集をやっていて、田村哲樹さんの「溶解する社会に、いかなる連帯か」と、田中拓道さんの「現代フランスにおける連帯の再生論」が載っています。

http://www.seikatsuken.or.jp/

そのうち、田村哲樹さんの論文の中に「労働中心でない連帯へ」という一節があって、労働中心の福祉社会とかいってる私としては気になります。

>今日の労働市場に見られるのは、一部の正規雇用と多数の非正規雇用とを組み合わせる雇用戦略、経済成長が)正規)雇用拡大をもたらすとは限らない状況、「ワーキングプア」層の出現、女性や外国人労働者の増加などである。

>このような状況で問われているのは、労働を中心とした連帯の可能性そのものである。果たして、今もなお労働が広範な人々の共通性の核心を構成すると言えるのだろうか。

>「労働」を連帯の旗印に掲げるのことは、むしろ、分断と排除をもたらしかねないのである。

私はここは断固として否定したい。フルタイム男性労働者をモデルとした連帯がもはや通用しがたいというのはその通りでしょう。しかし、様々な働き方の中に、働いて社会に参加しているという共通性を連帯の中核として確立することが不可能とは思えない。というか、それを捨ててはほかに連帯の核となるものはないと思います。田村さんはこういう。

>人々の共通性を、「(フルタイムで)労働すること」ではなく「市民であること」に求めることで、連帯の非人称の度合いは高まるであろう。

>但し、余暇を持つ市民であるためには、一定の生活保障も必要である。ここで、ベーシック・インカムを「市民としての連帯形成」のための制度として位置づけることが可能である。

「共に働いて社会に参加している(いた)(いくであろう)」という契機を失った「市民性」っていったい何なの?働いている側が、それを対等な市民として認める保証はどこにあるの?「俺たちに寄食するどうしようもない連中」との間に、どういう連帯感情があり得るのか。ハーバーマスの本の上ではなく、現実の社会の中で示して貰わなければ。

ネオリベ系のベーシック・インカム論はこの問題ははなから存在しません。どうせ働いて貰ったって生産性が低くて足手まといになるような連中は、何もわざわざ無理して働いて貰わなくたっていいんですよ。居たって邪魔なんだからさあ。捨て扶持やるからここにいないでくれるかな。あんたが飢え死にしないで居られるくらいのカネは(仕方がないから)やるからさあ。という、大変心のこもった暖かいセーフティネット論であるわけで。

だけど、田村さんのイメージの中にあるのは、そういう冷酷無情なミニマム連帯ではなく、労働を中心とするよりももっとつながりの深い連帯感覚のはずなんですね。

それが、労働ではなく余暇を中心とする形で可能であると、本当に言えるのでしょうか、というところが問題なわけです。

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コメント

こんにちは。先日相撲に関して書かせていただいたものです。
質問があります。
身体障害者や、精神障害者だけが働いている「職場」などでは、1週間の拘束時間が30時間以上で、月収2000円以下とか、そういう人が珍しくない、いや、それがむしろ普通なのですが、このような件についてどのように思われますか?
そういう所で管理職をやっている健常者の方のお話によると、完全歩合制の場合は、最低賃金の法規制が適用されないから、極端な場合100万時間で1円とかもあり得るとの事ですが。

あと、実際はほとんど同じ事をやっていても、そこがリハビリセンターとか、作業療法の場所だったりすると、1円ももらえないのは当然で、逆に参加費を毎月10万円以上払うのが普通との事です。

最低賃金法第8条には、「精神または身体の障害により著しく労働能力の低い者」については、「使用者が都道府県労働局長の許可を受けたときは、第5条の規定は適用しない」と、適用除外が定められています。

許可制なのです。

そしてその運用については、通達で、

>精神または身体の障害がある労働者であっても、その障害が当該労働者に従事させようとする業務の遂行に直接支障を与えることが明白である場合の外は許可しない。

>当該業務の遂行に直接支障を与える障害がある場合にも、その支障の程度が著しい場合にのみ許可する。この場合に、支障の程度が著しいとは、当該労働者の労働能率が当該最低賃金の適用を受ける他の労働者のうちの最下層の能力者の労働能率にも達しない者をいう。

>当該労働者に支払おうとする賃金額は、最低賃金額から当該最低賃金の適用を受ける他の労働者のうちの最下層の能力者より労働能力が低い割合に対応する金額を減じた額を下回ってはならない。

と指示しております。

当該障害者が労働法の適用を受ける「労働者」である限りにおいて、コメントで指摘されたような事態はありえないのです。

いや、だけど、そういう実態はあるんだぞ、といわれるでしょう。おそらくそうだと思います。

それは、その障害者が「労働者」ではなく、その「職場」が労働法の適用される「事業場」ではないという事であろうと思われます。

小規模作業所といったところでは、障害者の親や地域の人々の手によって障害者が「労働」ではない「作業」を行っていますが、そこでは、そもそも全ての労働法が適用されないのであって、最低賃金法が適用除外の許可を受けているということではありません。
100万時間で1円というのが現実の話なのかどうかは判りませんが、仮に事実だとしても、その100万時間というのは労働時間ではないし、その1円というのは賃金ではないということになります。

もっとも、相撲ファンさんの問題意識は、そんなことは判っている、それでいいのか?ということなんだ、と仰るかも知れません。

これは、いわゆる請負や委託という形をとった就労者の「労働者性」の問題とはまた次元の異なる「労働者性」の問題です。
なかなか難しい問題なのですが、障害者対策という枠組みの中で、労働法制と福祉施策をどう折り合わせていくかという問題意識が必要であることは、私も痛感しています。

連帯ということならば、シャドウワーク、アンペイドワークを除外する必要は全くないわけで。そうすると余暇とあまり区別がつかないのではない。

詳しいお返事ありがとうございます。勉強になります。
そういう世界ではよく聞く言葉である「完全歩合制の場合は関係ない」と言うのとは、違う理由のようですね。
実際、精神障害の作業員さんが、危険な行為をしないかどうかなどについて、常に管理していなければならない作業所もあるようですし、そういう人員も必要です。
例えば、二階の窓から外に飛び降りたり、他の精神障害の方を殴ったり、そういう事態になりそうな場面が頻繁のようで、それを防ぐためにかなり大変のようです。

そういう所では、ゼロ円(給料もゼロ円で、参加費もゼロ円)でも、優遇しすぎのようにも思います。

いや、社会連帯の根拠たる労働としては、そういう障害者の授産施設や作業所における労働も含めたものとして考えないと、それ自体が分断の根拠になるわけで、ここは実際つっこんでいくととてもむづかしい話になるのは分かっています。
このあたり、ベーシックインカム論に対して、参加所得というような発想を提示する人たちも共通する問題意識なんだろうと思っているのですが。

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