貧困をイデオロギー問題として捉えた日本の不幸
ダイヤモンド誌のコラムですが、実にいいことを云っているので、紹介します。筆者は辻広雅文氏。
http://diamond.jp/series/tsujihiro/10004/
>人には、見たくないものは見えない。見ようと努力しなければ、見えてこない。
政府、というより私たち日本人全員が、戦後の困窮期を抜け、高度経済成長を経て、豊かな社会実現した自負からか、もはや貧困はないものとしたのである。
もはや遠い日本の昔か、アジア、アフリカなどの遠い地域にしか存在しないのだと思い込んだのである。
だが、それは見たくないものを見ないようにしただけのことだった。
>何より、共和党のブッシュ大統領であれ、労働党のブレア前首相であれ、先進諸国の指導者たちは、貧困は撲滅すべき対象だと明言する。
貧困は右も左もイデオロギーを超えて解決すべき問題だという認識が、国際常識なのである。
それが、日本にはない。近年の歴代首相が貧困撲滅を公式非公式の場で発言したなど、聞いたことがない。
なぜだろう。おそらくは、日本において貧困問題が、イデオロギー問題として捉えられてきたからだ。共産党だけが指摘、救済を叫んできたために、左翼的言説を嫌う右派、中道派が避けてしまったのである。
これはある意味で正鵠を射ていると思われます。ただ、それでは左翼側はほかの何よりもまして貧困問題に熱心に取り組んできたのかというとそういうわけでもなかったようにも思われます。それよりも反戦平和とか人権侵害とかの方に熱中してきたのではないでしょうか。
一方で、左翼は嫌だなという側は、貧困問題なんか取り上げたら左翼と間違われるから、下手にそんなものには触りたくないと敬遠してきた。その結果、誰も彼らのことを真剣に考えなくなってしまった。そして、
>今年1月、「論座」(朝日新聞社)に「丸山真男をひっぱたきたい~希望は、戦争~」という31歳フリーターの投稿論文が載った。
自分たちフリーターには守るべきものなどないもない。それなら、戦争を起こして守るべきものを持つ人々がそれらを失うことで平等になりたい、溜飲を下げたい、という内容だった。
彼らをあってはならない状態に放置すれば、社会はいずれ分裂、不安定化する。多大な社会コストになって跳ね返ってくる。
最後の台詞がなかなかいいです。
>貧困層の再発見は、貧困層のためだけではない。
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「うゎ~、その通りだぁ~」というところですね。
とはいうものの、ベタな現場からすると・・・。
わが社も中途採用をしていますが、いわゆる「キャリア」のない方をお迎えすることはありません。フリーターといったレベルはいうに及ばず、学卒後に「派遣」の就業経験しかない方もお話しする機会はつくりません(「派遣」の職歴は「キャリア」として評価しないということ)。
ただ、これは個別の会社だけではなく、人材紹介会社での取り扱いも同じではないかと思っています。
長くわが社で派遣スタッフとして就業している方を採用(といっても契約社員)することも、躊躇しているのが実態です。
貧困が解決されるべき問題だとしても、一私企業あるいは一人の企業人としては、なんら具体的な行動は見出せません。
こういうのを忸怩たる思いというのでしょうか。
投稿: 仁平 | 2007年11月28日 (水) 12時17分
>なぜだろう。おそらくは、日本において貧困問題が、イデオロギー問題とし
>て捉えられてきたからだ。共産党だけが指摘、救済を叫んできたために、左
>翼的言説を嫌う右派、中道派が避けてしまったのである。
左翼的言説を嫌うがために避けたのだとしたら,なんという見識の低さと言うべきでしょうか・・・・
投稿: みのりん | 2007年11月28日 (水) 22時27分
ええとですね、「左翼と間違われる」のがいやというのは、私のような平凡な常識人からするとわりと自然な感覚なのではないかと思うのですよ。
私がちょうど大学に入った頃は、学生運動の盛りは疾うに過ぎてはいましたが、いまだに過激派の残党が結構盛んに活動していまして、かの池田信夫大先生が部長を務めておられたという革マル派のフロント組織の社会科学研究会とか、中核派のフロント組織の部落問題研究会とか、いろいろと客引きをしていまして、うかうかとそういうのについていった同学年の新入生が、革マル派の集会に殴り込んできた連中に頭をかち割られて1ヶ月の学生生活で死んじゃった、なんてことがあった時期ですから、下手に「左翼」に関わらない方がいい、というのがひよこの刷り込みよろしく、私らの世代の共通感覚になって居るんじゃないかと思うのです。
まあ、そういう特殊な「左翼」運動を避けるのと、いろいろな社会問題に関心を持って関わっていくことは、一応別次元のはずではあるんですが、なかなかそうはいかなかったと云うことではないかと。
いささか語弊がありますが、そういう新左翼の連中がみんな高齢化して、ほとんど社会的存在感がなくなってくれたお陰で、「左翼と間違われる」のを恐がらずに、正面から社会問題を摘示するような議論ができるようになったという面があるのではないかな、と感じています。
投稿: hamachan | 2007年11月29日 (木) 10時24分
hamachan先生,ありがとうございます。
僕のような30代前半からすると,知識として知っていても,実感が全く伴わないので,釈然としません。
赤木さんや雨宮さんの活躍で普遍的な社会問題として認識されることを祈っていますが・・・
投稿: みのりん | 2007年11月29日 (木) 12時47分
このような議論が主流になるには、赤木氏の放った核弾頭だけではまだ不足なのでしょうか。いまだ日本社会でキャリアアウトした人に対する安全網への議論がなされない現状で、いささか暖簾に腕押しの感もあります。
仁平氏は随分いろいろなところで偉そうなことを書いているのを拝見しておりますが、私は問題があるのはわかっていても傍観しますと明言したわけで、人身売買会社の社員らしいさすがの見識ですね。団塊の世代とどこが違うのか。
投稿: Lenazo | 2007年11月30日 (金) 23時46分
Lenazoさん
>問題があるのはわかっていても傍観しますと明言したわけで
ご指摘の通りですね。問題を認識するものの、解決に向けて一歩踏み出すわけではありませんから。
ところで、コメント中にある「人身売買の会社」というのが、紹介・派遣といった人材会社を指すならば、私の所属する業種(商社)とは異なります。もし頂戴したご意見が「人材会社の一社員」という理解が前提ならば、その点は訂正いただければと思います。
それとも、どんな業種であれ、いわゆる日本企業の人事部は「人身売買の組織」というご意見なのでしょうか?
投稿: 仁平 | 2007年12月 3日 (月) 14時53分