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2007年11月22日 (木)

地方分権を疑え

地方分権改革推進委員会が、11月1日に中間的とりまとめを発表しています。

http://www.cao.go.jp/bunken-kaikaku/iinkai/torimatome/071116torimatome1.pdf

その中で、無料職業紹介について、

>無料職業紹介事業については、ILO第88 号条約の当該条項を「職業安定組織は、国の機関の指揮監督の下にある職業安定機関の全国的体系で構成される」と訳していることを根拠に、同事業は国が行うべきものとの説明がなされている。しかしながら同条項の訳は、昭和23 年の同条約の採択時のものであり、こうした半世紀以上前の訳に依拠すべきではない。また、ハローワークについて市場化テストの実施が予定されているが、無料職業紹介事業を都道府県に移譲することについて、所管省は、国の機関の全国ネットワークにより全国斉一的に実施することが最も効率的としている。しかし、既に同事業を実施している都道府県は多いこともあり、ハローワークを移譲して国の一定の関与のもとに整備したネットワークにより、地方の雇用・労働情勢を熟知した都道府県が効率的に実施すべきである。

と述べています。

ある意味でもっともなところもあるのです。ここには書かれていませんが、雇用政策は地域の産業政策、福祉政策、教育政策と密接な関連があるものですから、それらを所管する地方自治体内部で取り扱った方が効率的な面があるのです。

一方で、雇用政策は全国的な広がりがありますし、なにより職業紹介は雇用保険の失業給付と裏腹の関係にあり、この両者を切り離すことはできません。雇用保険はナショナルレベルで運営すべきものですから、職業紹介を国から切り離すこともできません。

そういう条件の下で、国と地方自治体をそれなりにうまく組み合わせた仕組みが地方事務官制度であったと、私は思っているのですが、まさに地方分権の趣旨に反するということで廃止され、国と地方のどっちに行くべきかで議論した挙げ句、国に一元化されてしまったわけです。

それが最も適切な解決法であったとは私には思えません。地方事務官制度がいい仕組みであったかどうかは議論があるでしょう。もっと別の、国の費用負担と枠組み設定と、地方自治体の具体的な業務運営を組み合わせる仕組みがあれば、そうする道もあり得るでしょう。問題は、国と地方を切り離してしまうことが地方分権の趣旨であるという発想なのではないかと思うのです。

興味深いことに、同じ中間的とりまとめの生活保護のところでは、

>地域における保護の実情を踏まえ、被保護者のために何がよいのかという観点に立って、現行の給付内容を国が責任を持つべき部分と地方が責任を持つべき部分とに分けて考えるべきではないか。その際、例えば就労可能な者については、有期保護設定の考え方も取り入れるなど、自立・就労に向けて地方自治体が主体となった自立支援の取組みを推進すべきではないか。

と述べています。実は、私はこの考え方におおむね賛成なのですが、しかし、まさか、「国が責任を持つべき部分」と「地方が責任を持つべき部分」をきれいに分断して、組織から何からまったく没交渉にして、てんでんばらばらにやれなんてことを考えているのではないと思います。そうでしょ。

国が全国斉一的に基準を設定し、財政的に責任を持たなければならないところと、地方がそれぞれに取り組んでいくべきところが、有機的に結合するような仕組みが必要なはずです。

そういうのが地方分権の趣旨に反するというような固定的な発想ではなく、むしろ新たな地方分権の形だという方向に、頭の向きを変えていく必要があるのではないかと、私は感じています。

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