« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »

非常勤保育士雇止め事件判決摘要

昨日紹介した中野区の非常勤保育士雇止め事件判決ですが、JILPTのメールマガジンのお陰で、東京公務公共一般労組のHPに判決要旨が載っていることが判りました。これです。

http://www.yo.rim.or.jp/~kk-ippan/nakano/high%20court/decision_point.html

問題のところの記述は次の通りです。

>(1)私法上の雇用契約においては,期間の定めのある雇用契約が多数回にわたって反復更新された場合,あるいは,期間の定めのない契約と実質的に異ならない状態となった場合,雇用の継続が期待されかつその期待が合理的であると認められるときには,解雇権濫用の法理が類推適用される余地があると解されている(最高裁の東芝柳町工場事件判決及び日立メディコ事件判決)。

  確かに,本件においても,認定した事情を総合すると,一審原告らと一審被告との問の勤務関係においては,上記解雇権濫用法理を類推適用される実態と同様の状態が生じていたと認められ,一審原告らの職務の継続確保が考慮されてしかるべき事態であったとはいえる。

(2)私法上の期間雇用の場合に,期間終了とともに雇用契約が終了しているはずであるのに,判例が雇用の継続があったものと認めている根拠を検討する。最高裁判所は,上記東芝柳町工場事件判決においては,期間の定めの条項の存在にかかわらず,当事者の合理的な意思解釈としては実質的に期間の定めのない契約を締結していたと原審が認定したことを是認した上で,雇止めの意思表示は実質的に解雇の意思表示に当たるから解雇権濫用の法理の類推適用が可能であるとしており,雇用の継続の根拠を当事者双方の意思に求め,他方,日立メディコ事件判決では,従前の労働契約の更新に根拠を求めているものの,契約更新の理由について説明をしているわけではないが,この点は,雇用の更新推定に関する民法629条1項を根拠とするものと解されよう。

  そこで,地方公共団体における非常勤職員について見ると,まず,反復継続して任命されてきた非常勤職員の側では,期間の定めのない就労の意思があったとしても,任命する地方公共団体の側では,非常勤職員については条例による定数化がされないため(地方自治法172条3項),報酬等に関する予算措置もあって任期を1年と限っているのであるから,期間の定めのない任命の意思を考えることができない。また,任命行為は行政行為であって,当事者問の諾成契約のように契約当事者の明示又は黙示の意思表示の合致のみによっては任命の効力は生ぜず,任命権者による告知によって効力を生ずるものであるから,期間の定めのない任命行為を認定することも,当事者双方の意思を推定する規定である民法629条1項を類推適用することも困難であり,任期を1年として任命された地方公共団体における非常勤職員については,上記各判例の法理を適用することができないものといわざるを得ない。

(3)本件においては,一審原告らの主張するように私法上の雇用契約の場合と,公法上の任用関係である場合とで,その実質面で差異がないにもかかわらず,労働者の側にとってその法的な扱いについて差が生じ,公法上の任用関係である場合の労働者が私法上の雇用契約に比して不利となることは確かに不合理であるといえる。しかし,行政処分の画一性・形式性を定めた現在の関係法令を適用する限りは,当事者双方の合理的意思解釈によってその内容を定めることが許されない行政処分にこの考え方を当てはめるのは無理があると考えられ,現行法上は,解雇権濫用法理を類推して,再任用を擬制する余地はないというほかはない。また,一審原告ら非常勤保育土は当然に再任用されるとの結論が採られるとすると,任命権者の任用行為が存在しないにもかかわらず,実質的に任期の定めのない非常勤職員を生み出したり,従前と同一条件による任命がされたのと同様の法律関係を創り出す結果をもたらすこととなる。しかしながら,三権分立の建前から,裁判所は,行政庁に代わって行政行為をすることができず,義務付けの訴えにおいて,行政庁に対して,ある行政行為をなすべきことを命ずることができるにとどまる(行政事件訴訟法3条6項等)のであり,任命権者の任命行為がないにもかかわらず,裁判所の判決により実質的に任命がされたのと同様の法律関係を創り出すことは,法解釈の限界を超えるものというほかない。反復継続して任命されてきた非常勤職員に関する公法上の任用関係においても,実質面に即応した法の整備が必要とされるところである。

「実質面に即応した方の整備が必要とされるところ」と、三権分立のぎりぎりのメッセージと云うところでしょうか。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

人工授精中の女性は妊婦か?

欧州司法裁判所から面白いテーマで法務官意見が出ています。

http://curia.europa.eu/jurisp/cgi-bin/form.pl?lang=en&newform=newform&Submit=Submit&alljur=alljur&jurcdj=jurcdj&jurtpi=jurtpi&jurtfp=jurtfp&alldocrec=alldocrec&docj=docj&docor=docor&docop=docop&docav=docav&docsom=docsom&docinf=docinf&alldocnorec=alldocnorec&docnoj=docnoj&docnoor=docnoor&typeord=ALLTYP&allcommjo=allcommjo&affint=affint&affclose=affclose&numaff=&ddatefs=&mdatefs=&ydatefs=&ddatefe=&mdatefe=&ydatefe=&nomusuel=&domaine=PSOC&mots=&resmax=100

これは、人工授精中の女性を解雇したことが男女均等指令における妊婦に対する差別になるかという問題です。

本件では、解雇通告をした段階では、マイールさんの卵細胞は試験管の中にあって、ただいま人工授精中という状態であったようです。まだ受精卵が体内に戻されていない段階では、彼女は妊婦とは言えませんねという結論なんですが、ただこれが将来の妊娠状態を動機とするものであれば、差別になるとしています。

何にせよ、こういう事案も出てくるんですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

生活保護水準引き下げ

まだ厚労省のHPにはアップされていませんが、生活扶助基準に関する検討会が本日、生活保護の水準の見直しを求める最終報告書をまとめたそうです。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20071130i207.htm?from=main2

>報告書は、生活保護のうち生活費にあたる「生活扶助」の水準が、低所得世帯の一般的な生活費よりも「高め」だと指摘しており、同省は報告書を受け、水準の引き下げ幅などについて検討を開始する。

 報告書では、生活扶助の水準を5年に1度の全国消費実態調査と比較した。その結果、「60歳以上の単身世帯」の場合は生活扶助世帯が月7万1209円であるのに対し、低所得世帯が6万2831円と8000円を超える差があった。また、「夫婦・子一人世帯」でも、生活扶助が月15万408円、低所得世帯が14万8781円と約2000円高かった。

 報告書に関連して、舛添厚生労働相は30日午前の閣議後の記者会見で、「(生活扶助の水準は)若干、引き下げる方向の数字が出ると思う」と述べ、来年度からの引き下げを明言した。

 ただ、具体的な引き下げ幅などは「国民的議論が必要だ。首相も含めて政府と与党などで幅広く議論し、来年度予算編成過程の中で決める」と述べるにとどめた。

 厚労省は今年度予算から、生活保護の一つで、15歳以下の子どもを育てる一人親世帯への「母子加算」の段階的な廃止に着手している。生活扶助基準の見直しが実現すれば、2年連続の制度の見直しとなる。

こういうニュースに対してはすぐに、可哀想な生活保護受給者から給付を削り取るとはなんて無慈悲なんだ、というような脊髄反射的な反応が出てくるわけですが、日本の生活保護の二番目の特色が、その給付水準が相対的に高いことにあることは、社会保障に通じている人々にとっては常識なんですけどね。

問題はそれよりも日本の生活保護の一番目の特色である、受けられるはずの人々の大部分が受けられていないという点にこそあるわけで、法律上の根拠は何もないのに、就労可能年齢層の男性が福祉事務所に行っても、あんた働けるでしょう、で追い返されてしまうことがままあるわけです。その挙げ句飢え死にしたりする人まで出ていたのでは、何のための生活保護制度かということになるわけで、可哀想なのはこっちの方であるわけです。

よほどのことがないと制度が受けられないようにしておいて、一旦受給し始めると未来永劫なまじ働くよりもはるかに高い給付が得られるという事態こそが、ある意味で究極のモラルハザードを作っているわけですから、「入りやすくする」、「出やすくする」といった改革と並んで、過度に高い給付を適正化することもやはり重要な改革であることは間違いありません。

問題は、「入りやすく」「出やすく」の改革の方がどの程度進んでいっているのかなんですけれどもね。このあたりが、先日の連合総研シンポジウムでちょいと喋ったテーマにつながってきます。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

派遣料金公開案の源泉

このブログに対するはてぶは、大変参考になるコメントが多く、いつも感服しておりますが、昨日の朝日記事に関するエントリーに対するはてぶコメントで、sarutoruさんが、

>自分の知る限り山崎元氏のJMMへの寄稿が発端ではないか、http://d.hatena.ne.jp/sarutoru/20070906#p1 で書いた「賃金周りに関する情報公開の促進」が実現される方向

と書かれています。

リンク先を見ると、

>山崎氏は、賃金情報公開の一例として、派遣労働者の場合、最終的な雇い主(派遣先)の企業が払う時給と、派遣元の企業が払う時給の公開を義務づけ、派遣労働の当事者が自己の労働の価値を判断できるようにすることを提唱している。これが実現すれば当事者は、派遣先・派遣元のピンハネ度を比較できるし、職務給的な発想で自分の仕事の価値を見つめなおすこともできる。派遣労働者は、格差社会論ではしばしば話題になるものの、非正規雇用者総数からすれば実際は数も少なく、処遇においても相対的に恵まれた層のはずだが、ここを突破口にして賃金の情報公開を進めることができればとても面白い。職務給的発想が広がり、労働移動可能な労働市場が醸成されるきっかけになる。

賃金情報はできるだけ広範囲に公開されるのが望ましいと思うが、かけ声だけではなにも進まないので、派遣業種から手をつけていくのに賛成だ。日本では派遣社員は法定年度での雇い止めを繰り返され、その身分に固定化される傾向があって、世間的には虐げられらた業種の典型のように思われている。最近GIGAZINEが派遣会社叩きのエントリーをアップしていて、まるでお門違いな認識を示していたが、言うまでもなく派遣会社を使う元請け会社こそが処遇格差を伝播させている元凶だ。派遣という雇用形態は、他の諸国では、正規雇用への転換を控えた一時的な雇用形態だとみなされている。正規・非正規間の障壁が低い労働市場では、派遣社員が日本のようにその形態に滞留し、不況期を超えても一方的に増加することはない。山崎氏の提案、「派遣労働者に対して、受入元から幾らの賃金が払われているのかに関しては、直ぐにでも情報公開を義務付けるべきではないでしょうか。」が、労組関係者らも含めて広く知られることを望みたい。

と、いう記述があり、その山崎さんの文章も引用されています。

>もう一つの方法は、間接的に、労働者の賃金に好影響を与えようとする方法です。それは、賃金周りに関する情報公開の促進です。たとえば、業者に派遣される労働者の場合、最終的な雇い主が払う時給と、派遣元の会社が支払う時給との間に、大きな乖離が存在する場合が多く、この情報を全ての当事者に判断材料として公開するように義務付けると、労働者は自分の労働の真の価値に近い数字を知ることが出来、条件の改善要求に対して自信を持つことが出来ますし、雇い主側も労働の真の価格に近い価格を知るので、現在大きく乖離している価格が上下から差を縮める効果が期待できます。

 労働者を集めて派遣するビジネスの主な付加価値は、主として最初の紹介の場面にあるでしょう。派遣会社が、それを果たした後も、「中抜き」による大きな利潤を得続けることが出来ることの理由の一部は、労働需給の当事者同士の情報不足にあるでしょう。情報を公開した上で、それでも当事者達にとって正当だと認識された上で、堂々と「中抜き」を続けるなら、何も問題はありません。公的な介入によって自由な取引を直接制限するのではなく、ただ、判断のための情報を増やすだけです。

 また、正社員の待遇と、非正規雇用の待遇についても、情報公開が進むことが望ましいでしょう。ある意味では、正社員がこれまでの好待遇を既得権的に確保し続けていることが、非正規雇用者の条件の悪化、ひいては正社員への転換を阻害してきました。同じ職場で働く両者が、正しい情報をお互いに知った上で、適正と思う賃金を交渉するようになれば、時間は掛かるかも知れませんが、両者の条件差は縮小に向かうのではないでしょうか。

 賃金情報の公開をどの程度まで行うのが現実的かは判断の難しいところではありますが(会社によっては、直ぐにでもやればいい)、派遣労働者に対して、受入元から幾らの賃金が払われているのかに関しては、直ぐにでも情報公開を義務付けるべきではないでしょうか。

なるほど、確かにここからインスピレーションを得た可能性はありますね。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

派遣法改正見送りへ 

昨日に引き続き、朝日が派遣労働で記事を書いています。

http://www.asahi.com/politics/update/1129/TKY200711290365.html

>労働者保護のあり方などをめぐり検討されていた労働者派遣法の改正案について、厚生労働省は29日、来年の通常国会への提出を見送る方向で調整に入った。改正内容を巡って労使の対立が激しいうえ、参院で野党が優位を占める「ねじれ国会」では、与野党対立が必至の改正案を通すのは難しいと判断した。ただ、違法な賃金の天引きなどが横行している日雇い派遣については、指針の改正などで規制を強化する方針だ。

 厚労省は今年9月、労使代表らでつくる労働政策審議会の部会で改正論議を本格化。日雇い派遣を巡っては国会でも規制強化を求める意見が相次ぎ、厚労省は年内に改正案の概要を固め、来年の通常国会への提出を目指していた。

 だが労政審では、「登録型派遣」について労働側が原則禁止を求め、経営側は現状維持を主張。最長3年の派遣期間制限についても、経営側は撤廃や延長を求めるが労働側は反対で、歩み寄りがみられない。

 一方、民主党は大幅な規制強化を盛り込んだ独自の改正案の作成作業を開始。労使の主張を折衷した政府の改正案が野党の厳しい追及にあうのは確実で、「野党と折り合う見込みがない法案は出しにくい」(厚労省幹部)と判断した。

 ただ、日雇い派遣は極端に不安定な働き方で、賃金の違法な天引きや二重派遣など不法行為が相次ぐことから、労使とも規制強化が必要との認識で一致。行政指導の対象となる行為を指針で明文化することなどで、実質的に規制を強化したい考えだ。

 また、派遣会社が派遣先から受け取る派遣料金の情報公開を求める規定も、法改正ではなく指針に盛り込むことを検討。派遣料金を公開して労働者に派遣手数料(マージン)がわかれば、マージンを高くとる会社が選別され、賃金向上につながる効果が期待できる。

 厚労省の調査(05年度)では、派遣料金は労働者1人につき1日(8時間)平均1万5257円。これに対し、派遣労働者の賃金は平均1万518円で、マージン率は31%。

 法改正については、より抜本的な規制強化を実現したい労働側から、強く求める声が高まるのは確実。与党内にも法改正が必要との意見もあり、曲折も予想される。

おやおや、法改正しないようですね。

まあ、規制改革会議が要求しているような規制緩和を主とする改正案であれば、参議院を通る見込みがないのは確かでしょう。

とはいえ、登録型派遣を「禁止」するなんてことが今さらできようはずもないわけで。

そうであれば、派遣法の基本構造自体を、22年前に遡って抜本的に見直すという作業がどうしても必要になるはずですが、これから時期通常国会に提出するという時間的枠組みの中ではとてもそんなことをやっているいとまはないですからね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

派遣料金の公開を要請へ マージン明らかに

朝日の記事です。

http://www.asahi.com/life/update/1129/TKY200711290236.html

>労働者派遣法の見直しを検討している厚生労働省の労働政策審議会(厚労相の諮問機関)の部会は29日、労働者を派遣した際に派遣元が派遣先から受け取っている派遣料金の情報公開を進めることで一致した。厚労省は今後、派遣法に基づく指針を改正し、派遣会社に対して公開を要請する規定を盛り込む方向で検討する。労働者側にとってマージン(派遣手数料)がわかる意義がある。

 労働者派遣をめぐっては、派遣会社が受け取る派遣料金に比べ、労働者の賃金が低すぎるとの批判があり、労働者側はマージン率に上限を設けるなどの規制強化を求めていた。

 審議会は、経営側の抵抗が強いため上限を定めて規制するのは難しいと判断。ただ、派遣料金の公開で労働者側にマージンが分かるようにすることは必要、とする見解で一致した。

 また、この日の審議会では、違法行為が横行している日雇い派遣については、何らかの規制強化が必要との意見でも一致し、厚労省は今後、具体的な規制内容を検討していく方針。

これは面白い方法です。以前から、派遣業者の中間搾取を明らかにしろという声はあって、いや派遣業者は自分で雇っているんだから「中間搾取」というのは概念的にあり得ない、あるのは「中間」じゃない「搾取」だけだ、それは派遣じゃないほかの会社と同じなんだから、それだけ目の仇にするのはいかがなものか、なんて議論はあったわけですが、まあ、そうは言っても、労務の提供を受けているのは派遣先であって、派遣元は送り出しているだけなんですから、社会的実態は限りなく「搾取」ではなくって「中間搾取」に近かったわけで、一体俺一人送り込んで一ヶ月当たりどれだけ儲けているのかを判るようにするというのは、実質的合理性のあることには違いありません。

日雇い派遣については、何らかの規制強化が必要と云うことで一致しても、さてじゃあ何をするのかが難しいところです。私も難しいなあ、といってるだけで役に立たないんですけどね。

こういうのって、ヨーロッパではオンコール・ワークって云われているのに似ているので、そういう枠組みに載せられないかという気もするんですが、なかなか難しいところです。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年のEU労働政策

欧州委員会のサイトに、来年2008年の作業計画がアップされています。

http://ec.europa.eu/atwork/programmes/index_en.htm#forward

来年予定されている主な労働社会関係の政策を時期順に並べてみます。

2月 労働時間指令施行状況報告

2月 企業譲渡指令改正に関する労使への第2次協議

3月 テレワーク協約実施状況報告

3月 老人介護と老人虐待に関するCOM

第1四半期 建設現場安全衛生指令実施状況報告

6月 自営業男女均等指令の改正案提案

6月 2007年欧州平等年フォローアップ

第2四半期 海上労働に関する措置の提案

第2四半期 社会アジェンダの中期見直しCOM

第2四半期 海員を労働指令の対象に含める労使への第2次協議

7月 変化の予測と管理に関する労使への第2次協議

7月 労働市場の縁辺にいる人々の雇用に関するCOM

9月 注射針事故による感染に関して指令の改正案提案

9月 欧州における社会正義への新たなコミットメント(社会保護・社会統合OMC深化)COM

9月 労働法現代化グリーンペーパーフォローアップ

9月 父親出産休暇等の提案

第3四半期 ディーセントワークに関するフォローアップ

第3四半期 ILO条約の批准勧告

10月 アクティブ・インクルージョンに関する欧州委勧告

10月 人口高齢化のニーズに対応するCOM

11月 海員を労働指令の対象に含める指令改正

第4四半期 企業譲渡指令の改正案提案

第4四半期 労働関連筋骨格異常に関する労使協議のフォローアップ(既存指令の統合)

第4四半期 労働者への情報提供と協議を統合する立法案

| | コメント (0) | トラックバック (0)

非常勤保育士の雇止め事件

昨日、中野区の保育士の雇止め事件の高裁判決が出ました。

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20071129k0000m040084000c.html

>東京都中野区が区立保育園の非常勤保育士28人全員を一方的に解雇したのは違法として、元非常勤保育士の女性4人が区に計1100万円の賠償などを求めた訴訟で、東京高裁は28日、1審・東京地裁判決(06年6月)を変更、賠償額を160万円から750万円に増額した。南敏文裁判長は判決で「区の対応は解雇権の乱用と言えるほど違法性が強く、勤務継続への期待権を侵害した」と述べた。

 同区は非常勤保育士について1年ごとに任命していたが、任期切れを理由に解雇した。これは地方自治法などに根拠があるため、高裁も1審に続き解雇は容認した。一方で南裁判長は「実質は変わらないのに(安易な解雇はできない)民間の雇用契約より非常勤公務員が不利になるのは不合理。実情に即した法整備が必要」と見直しを迫った。

 4人は1年ごとに更新を重ね12~9年間勤務。しかし区が03年度末で、財政危機などを理由に非常勤保育士を廃止したため全員解雇された。

 判決は▽解雇後に慢性的な人手不足となりパートを多数募集した▽財政危機の根拠は乏しく廃止の必要はなかった--と指摘。「当初は長期勤務を求めながら、解雇回避の努力を怠り『任期切れで縁が切れるから放置すればよい』との認識だったとさえ言える」と区の対応を厳しく批判、1年分の報酬に相当する賠償を命じた。【北村和巳】

 ▽田中大輔・中野区長の話 判決内容を十分検討し、対応を決めたい。

つうか、「解雇」じゃないんですけどね。いや、公務員だから「免職」じゃないっていうか。「免職」じゃないから、何にもしなくても(何にもしないから)自動的に切れちゃったから、こういう処理にならざるを得ないのであって。

民間の有期契約だったら、「解雇」じゃなくても、解雇権濫用法理の類推適用とかいうワザがあって、自動的に切れちゃったと云いながらいや切れてないという裏技があり得るんですが、なまじ公務員だからそうならないというところが制度の狭間というわけです。

現時点ではまだ高裁の判決文はアップされていませんが、もとの地裁判決はこれです。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070518155039.pdf

この手の奴は、大体期待権の侵害による損害賠償と云うことで方向が出てきているように思われますが、やっぱり、高裁判決が云うように、正規職員だったら民間よりも公務員の方が安定しているのに、非正規になったら民間よりも公務員の方が不安定というのは、いかにも不合理ではあります。

ここをどう考えるかなんですが、私はやっぱり、公務員は一番上から一番下まで、みーーんなおんなじ公務員で変わりなし、という戦後アメリカから導入された仕組みを見直すしかないのではないかと考えています。

戦前の公務法制が、官吏の下の雇員、傭人は私法上の雇傭契約だったということは、このブログでも何回かお話ししてきましたが、それは逆に行きすぎた身分差別だと思いますが、末端のところまで一般職の公務員でござい、というのはいかにも現実と乖離していると思われます。

実は、かつて1955年に公務員制度調査会が提出した答申では、単純労務職員及び臨時職員は私法上の雇傭契約とし、公務員法を適用しないという考え方を示していました。これは田中二郎氏が中心になってまとめたものです。

この時の問題意識はもっぱら集団的労使関係の在り方だったのですが、現在の非常勤公務員の問題を解決するには、彼らを公務員法から外して、私法上の有期雇用契約にして、一般労働法制で対応するのが一番いいのではないかというのが、私の考えです。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

労働契約法、改正最賃法成立

というわけで、守屋夫妻が逮捕された日に、ようやく標記法案が成立の運びになりました。

http://www.asahi.com/politics/update/1128/TKY200711280184.html

なったんですが、「改正最低賃金法が成立 ワーキングプア解消狙う」という見出しはいささか言い過ぎ。「労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう、生活保護に係る施策との整合性に配慮する」といっても、生活保護の方は家族がたくさんいれば増えていくし、いろいろと付加的な扶助も付くわけで、そこは交換の正義と配分の正義という「二つの正義」のぶつかるところなわけで。

この点について、昨日の連合総研20周年記念シンポジウムでは、2ラウンド目の発言のところで喋りました。雇用保険制度と最低賃金制度から生活保護制度の在り方について見直し論を提起するとともに、日本の社会保障システムにおいて今まで欠落していた領域である社会政策としての教育政策や住宅政策に触れてみたのです。パネリストに主に生活保障について論じる人がいなくなってしまったこともあって、私が労働方面から越境攻撃して論じてみたのですが、さていかがなものだったのでしょうか。

労働契約法については、「会社やりたい放題法案」などといういささかデマゴギー的な風説を流布する向きもあったようですが、まあ、確かに、現在の判例法理がどうなっているかということを抜きにして、言葉の表面だけ捉えたような議論を展開するとそういう風になってしまうわけですが、逆に、まさに現行判例法理の枠内から一歩も出ないものになってしまったところに問題点があるわけであって、この就業規則法制を集団的労使関係法の考え方の上に再構築していく作業こそがこれから求められているわけなんですけれどもね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

村上正邦氏の社稷の哲学

41zjxmevkwl_ss400_ ちょっと前に出た本ですが、魚住昭さんが聞き書きでまとめた「証言村上正邦 我、国に裏切られようとも」(講談社)は、ウヨクとサヨク、ソーシャルとリベラルのこんがらがった関係を考える上でとてもいい本です。

昨年から今年にかけて『世界』に連載されたものですが、はじめにのところで、魚住さんが村上氏のインタビューをしようと考えたきっかけがこう述べられています。

>日本会議って何だろう。日本の右派勢力とは何だろう。そんな疑問に突き当たっていたとき、私は外務省の元主任分析官である佐藤優さんから興味深い話を聞いた。

 佐藤さんの話によると、村上正邦さんは九州の筑豊炭田で貧しい鉱夫の子として生まれ、青年時代には炭鉱で労働運動のリーダーをしていた。幼い頃は朝鮮半島から強制連行され、虐待されている人たちの姿も目撃し、心を痛めたことがあるという。

 私はこの話を聞いて、村上さんのインタビューを思い立った。左翼になってもおかしくない経歴を持つ村上さんが、なぜ右派の代表的政治家になったのか、その経緯をじっくり聞いてみたいと思ったのである。

村上氏は宮沢内閣で労働大臣を務めますが、その時、連合の山岸会長は、「こういう右翼的な大臣を任命する内閣とは話をしない」と云って懇談会を拒否したそうです。そこで、村上大臣は、

>お茶の水の連合本部へ乗り込んだんですよ。アポなしで。

「連合会長はいるか」

って言うと、連合の職員たちは慌てていたけど、結局「どうぞ、どうぞ」と会長室へ通された。山岸さんは私の顔を見るなり、

「いや、大臣。あなたから出向いてこられるとは思いもよりませんでした。大体、あなたは右翼だから」

って(笑い)。私はこう言ったんです。

「今の自民党の中で働く人の気持ちは私が一番知っている。あなたたちの話をよく聞きながら労働行政を進めていくから」

すると山岸さんは、

「俺が過去に気の合った労働大臣は藤尾正行だったけど、あれも右翼だった。俺は、先生とは気が合いそうだ」

この気の合いようの裏側にあるのは、

>でもね、今の自公連立政権、今の二世三世の議員たちのやることを見ていると、彼らの手で憲法改正なんかやって欲しくないですね。彼らは自民党の世襲制度の中から出てきた議員たちですから、一般庶民の生活も知らなければ苦労も判らない。彼らは親の財産をそのまま受け継いで努力も何もしない。彼らは政治を支配している限り、日本の国は堕落してしまう。

>政治家としての私自身の責任も感じながら言うのですが、今こそ庶民が立ち上がらなければならない。声を上げなければならない。

という認識でしょう。そして、その根底にある哲学は、

>私が求めてやまぬ真実の日本国とは、万邦無比の邦、これを社稷と言ってもいい。つまり日本古来の共同体なんです。

>相食むものなく、病むものなく、苦しむものなく、乏しきもののない、そのような邦を、この日本に実現するために、私は政治に命を懸けてきたんです。

というものであるわけです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

貧困をイデオロギー問題として捉えた日本の不幸

ダイヤモンド誌のコラムですが、実にいいことを云っているので、紹介します。筆者は辻広雅文氏。

http://diamond.jp/series/tsujihiro/10004/

>人には、見たくないものは見えない。見ようと努力しなければ、見えてこない。

 政府、というより私たち日本人全員が、戦後の困窮期を抜け、高度経済成長を経て、豊かな社会実現した自負からか、もはや貧困はないものとしたのである。

 もはや遠い日本の昔か、アジア、アフリカなどの遠い地域にしか存在しないのだと思い込んだのである。

 だが、それは見たくないものを見ないようにしただけのことだった。

>何より、共和党のブッシュ大統領であれ、労働党のブレア前首相であれ、先進諸国の指導者たちは、貧困は撲滅すべき対象だと明言する。

 貧困は右も左もイデオロギーを超えて解決すべき問題だという認識が、国際常識なのである。

 それが、日本にはない。近年の歴代首相が貧困撲滅を公式非公式の場で発言したなど、聞いたことがない。

 なぜだろう。おそらくは、日本において貧困問題が、イデオロギー問題として捉えられてきたからだ。共産党だけが指摘、救済を叫んできたために、左翼的言説を嫌う右派、中道派が避けてしまったのである。

これはある意味で正鵠を射ていると思われます。ただ、それでは左翼側はほかの何よりもまして貧困問題に熱心に取り組んできたのかというとそういうわけでもなかったようにも思われます。それよりも反戦平和とか人権侵害とかの方に熱中してきたのではないでしょうか。

一方で、左翼は嫌だなという側は、貧困問題なんか取り上げたら左翼と間違われるから、下手にそんなものには触りたくないと敬遠してきた。その結果、誰も彼らのことを真剣に考えなくなってしまった。そして、

>今年1月、「論座」(朝日新聞社)に「丸山真男をひっぱたきたい~希望は、戦争~」という31歳フリーターの投稿論文が載った。

 自分たちフリーターには守るべきものなどないもない。それなら、戦争を起こして守るべきものを持つ人々がそれらを失うことで平等になりたい、溜飲を下げたい、という内容だった。

 彼らをあってはならない状態に放置すれば、社会はいずれ分裂、不安定化する。多大な社会コストになって跳ね返ってくる。

最後の台詞がなかなかいいです。

>貧困層の再発見は、貧困層のためだけではない。

| | コメント (6) | トラックバック (1)

与野党「協調」法案、今週は成立ラッシュ

与野党「協調」法案・・・とまで云われると、野党としては忸怩たるものがあるかもしれませんが・・・

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20071126ia24.htm

>与野党の足並みがそろった法案は多くが週内に成立し、ねじれ国会初の「法案成立ラッシュ」となる見通しだ。

>特に弱者救済に重点を置く法案が多い厚生労働関係ではその傾向が強い。27日の参院厚生労働委員会では、衆院から送られた最低賃金法改正案など5法案が一挙に可決され、28日の参院本会議で成立する公算が大きい。

最賃法も契約法も、ようやく成立に漕ぎ着けて、まずは担当の皆様ご苦労様でした(おっと、まだ過去形で喋ってはいけませんでしたか)、というところですか。

今後は、衆議院で修正された「就業の実態に応じて、均衡を考慮しつつ」というのと、「仕事と生活の調和にも配慮しつつ」というのの中味をどう具体化していくかが、審議会における労使の焦点になっていくことになります。

話がねじれにねじれた労働時間法制の話は、選挙が済んで落ち着いてから、みんなの頭を切り換えて再出発でしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

裸の女王様

って、変な想像してはいけませんよ。

産経新聞のコラムです。

【断 潮匡人】裸の女王様

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/071125/acd0711250255001-n1.htm

>11月12日放送の「1000人に聞く ハケンの本音」は異色出色の「NHKスペシャル」だった。ただひとりの出演者を除いて…。

 そのひとりとは奥谷禮子社長。「労働者派遣法の緩和が格差を」生んだと主張する加藤紘一著『強いリベラル』が糾弾した派遣会社代表にして「2回結婚していますが、子供は好きじゃないから作らなかった」と放言する経済同友会幹事である(『正論』9月号拙稿)。

 結婚出産同様、職業でも「選択の自由」を追求する彼女は当夜も「自由にできる時間を作れるんですよ」等々、派遣の長所を強弁。ドラマ「ハケンの品格」の脚本家・中園ミホさんが「いま私、ここの間に深くて大きい川が流れているような気がしたんですけど」と異を唱え、司会の桂文珍師匠が苦笑する一幕も。

 だが、意に介さぬ奥谷社長は「サラリーマンになって、どっかの企業に入るというよりも、むしろこれから職人になっていくみたいな時代に入っていく」と持論を展開。再び中園さんが「みんな奥谷さんみたいにタフでパワフルだったらいいんですけどね、私もシナリオライターって派遣みたいなもんですけど」と。社会学者の橋爪大三郎教授も「派遣の人から見ると正社員があまりに恵まれている。これは不公平じゃないか」と「ハケンの本音」を代弁。

 脚本家同様、派遣社員同然の稼業の私も、強い違和感を覚えた。派遣する側と、される側の溝は深くて大きい。「ハケンの本音」も彼岸の財界人には届かないと見える。

 終始タフでパワフルな派遣の女王様を拝見し、アンデルセン童話「裸の王様」を思いだした。

いやあ、この番組は私も何か参考になるかと思ってみましたけれど・・・。コメントする気が起きなくて・・・。

実は最近、だいぶ前の「奥谷禮子氏の愉快な発言実録版」のアクセスがやたらに増えているんですね。

「裸の女王様」ってはやりそう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

マッチポンプ

お前が言うか、お前が・・・。

>取引先や社員重視……経産省が日本的経営を再評価へ

http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_07112207.cfm

>経済産業省は22日、日本経団連などと連携し、「日本的経営」の良さを見直すための研究を始めることを明らかにした。日本的経営は、長期的な視点に立ち、取引先や従業員などを株主以上に大切にすることなどが特徴とされる。

 省内に研究会を設けて来夏までに報告書をまとめ、M&A(企業の合併・買収)の増加や終身雇用の崩壊などで揺らいでいる日本企業の自信回復につなげる狙いだ。

 研究会は、国内外の著名企業に聞き取り調査を行う。手始めに今月末、トヨタ自動車、キヤノン、武田薬品工業などの経営幹部と一緒に訪米し、化学大手のデュポン、医薬・日用品大手のジョンソン・エンド・ジョンソンなど長い歴史を持つ米国企業の経営層と意見交換する。

 米国企業は、株主の利益を重視して短期的な利益を追求しているとみられている。研究会は、長い歴史を持つ企業は米国でも長期的な視点で経営していることを確認したい意向だ。

 日本的経営は経済成長の原動力になったとして、1980年代に国際的に高く評価された。しかし、90年代の不況でリストラを行う企業が増え、終身雇用などの日本的な雇用慣行が重視されなくなった。

「されなくなった」って、他人事みたいにいうなよな、って。

逆に、80年代みたいに、なんでもかんでも日本的経営が良かったなんて莫迦なことを言い出すんじゃないよ、って。

はっきり言って、経済産業省は自分らのよく判っていない分野に一知半解で首を突っ込みすぎるから、こういうその時の「空気」に流されただけの薄っぺらな議論をやらかす傾向がある。やってもいいけど、1年くらい徹底的に歴史的かつ国際的によおく勉強した上でやってもらいたい。ちょい秀才が一夜漬けででっちあげていいものではない。

まあ、ちょい凡才は、怖くて人様の土俵にうかつに手を出さないけれども。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

平家さんとの派遣問答

休みの間に平家さんのエントリーがたくさん立てられました。

http://takamasa.at.webry.info/200711/article_13.html「派遣労働者、請負労働者の使用者」について

http://takamasa.at.webry.info/200711/article_14.html派遣労働者の職種

http://takamasa.at.webry.info/200711/article_15.html派遣労働者 男と女

ただ、後ろの方になると、ちょっと私の申し上げていた趣旨とずれてきているような。

私はあくまでも、常用型派遣と登録型派遣の違いという点に問題意識をおいて、それらの具体的なイメージとして「技術系に多い」とか「事務系に多い」と述べただけであって、別段、技術系だからどうこう、事務系だからどうこうと述べたわけではありません。

事務系でも、「その派遣会社の正社員であるわけですから、その会社の技術水準を信頼して派遣を受け入れているものと考えて、事前面接なしで」ということは十分あり得るわけです。それは、まさに常用型派遣なのです。

ましてや、男と女がどうこうというようなことはなんら考えていません。ですから、

>大きく分類すれば、技術系、生産、労務に多い男性の場合には、派遣先は個人にこだわらず、その派遣会社の選択眼、調達能力を信頼して派遣を受け入れているものと考て、事前面接なしで派遣先に使用者責任なしとし、事務系の多い女性の場合は、派遣の依頼をする際に、人柄とか(気配りのできる人がいい、明るい人がいい)、容姿(容姿ランクは、Aとか、スリーサイズとか)、独身かそうでないかとかの希望をそれとなく伝えて、それに合わせて派遣元が雇い入れるわけですから、その人に着目しているものと考えて、事前面接ありで派遣先にも使用者責任ありとするのが、すっきりする。

というふうに「デフォルメ」されると困ります。

問題は、登録型というのは注文を受けてからそれに応じて労働者を雇い入れるものであり、法的構成を抜きにして社会的実態をいえば職業紹介事業にほかならないという点にあるのです。

これに対して、常用型というのは、社会的実態をいえば、いってみれば営利出向事業とでもいうべきものでしょう。

そういう社会的実態の違いが、労働者派遣法という法的システムにおいてはきちんと反映されておらず、どちらかというと常用型であることを前提として作り上げられた様々な法的構成が、登録型にそのまま適用されてしまっているところに問題の根源があるのではないかと思っているわけです。

経緯的に言いますと、労働者派遣を認めるときの政策決定過程では、最初は常用型だけを認めて登録型は認めないという制度設計が打ち出されていたのですが、それでは現実の派遣事業が対象にならないじゃないかということで、やっぱり登録型も認めるという風に変わっていったという経緯があります。

現実に営業している登録型を禁止するなんてことができない以上、政治的にはやむを得ない経緯だったと思いますが、そのために、常用型とは異なる登録型固有の問題点があまりきちんと議論されることがなく、常用型を前提にした制度設計があまり修正されないまま、派遣元責任に偏った形で労働者派遣法が立法されてしまったという点に、この問題のボタンの掛け違いがあるという風に、現段階で私は考えています。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

日雇い派遣の政治経済学

今月号の『電機連合NAVI』に、小林良暢さんが標記のような小論を寄せていて、なかなかぴりりと効いています。

>「日雇い派遣」について「罪悪論」が多く、「ワーキング・プアの元凶」の如くいわれているが、10万人から20万人といわれる「日雇い派遣」のすべてが社会的に問題視されている状況にあるわけではなかろう。

>日雇い派遣の仕事は、引っ越しと倉庫内での商品の仕分け・袋詰め・ラベル付けなどの軽作業がメインで、もともとは学生アルバイト、今はフリーターである。

>日雇い派遣大手のフルキャストが業務停止命令を受けたが、春の引っ越しシーズンでなかったからいいようなもので、日雇い派遣がなくなったら、日通や0123アート引越センターは引っ越し作業ができなくなる。

こういう視点も、もちろん必要なのです。

そこで、小林さんが主張するのは、何でも禁止せよというようなやり方ではなく、

>日雇い派遣で働く人にとって必要なことは、日雇いをなくすことではなくて、一に交通費支給、二に待機手当の支払い、そして時給アップ、雇用保険支給と健康保険の加入で、国会ではこれらをいかに拡充するかといった日雇い派遣のためになる論議をしてもらいたい。

雇用保険加入については、このブログでも何回か取り上げましたが、制度設計をきちんと考え直す必要があるのでしょうね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

市場万能社会を超えて―福祉ガバナンスの宣言

再度告知いたします。

来週火曜日、連合総研設立20周年記念シンポジウムのご案内です。

連合のシンクタンクとして設立された財団法人・連合総合生活開発研究所は、この12月1日に20周年を迎えます。これを記念して、“市場万能社会を超えて-福祉ガバナンスの宣言”をテーマにシンポジウムを開催いたします。

 連合総研は、2006年1月に「現代福祉国家への新しい道」研究委員会を立ち上げ、現代福祉国家再構築の視点から、市場万能社会を超える新しい理念・デザインについての研究を行い、このほど『福祉ガバナンス宣言~市場と国家を超えて~』(日本経済評論社・11月上旬発刊予定)をまとめました。このシンポジウムでは、パネルディスカッションや特別講演を通じて、市場主義や20世紀型福祉国家とも異なる新しい福祉ガバナンスのあり方について広く議論を深めていきたいと思います。ふるってご参加いただきますようお願い申し上げます。

  と き    2007年11月27日(火) 13:00~17:30
  
  ところ   東京・九段「ホテルグランドパレス」 2階・ダイアモンドルーム
          ※ 地下鉄『九段下駅』東西線 7番口 (富士見口) より徒歩1分、
            地下鉄『九段下駅』半蔵門線・都営新宿線 3a番口 より徒歩3分、
            JR・地下鉄『飯田橋駅』 より徒歩7分

  参加対象 連合・労働組合関係者、研究者・研究機関、政党・議会・マスコミ関係者、市民など

  参加費   無料
          ※ お申し込みは、「参加者登録用紙」(ここをクリック)を
            11月9日(金)までにFAXしてください。
  
   ・担当:連合総研 佐川、会田(TEL:03-5210-0851、FAX:03-5210-0852)


プログラム

  12:00~      受付

  13:00~13:05  主催者代表挨拶

  13:10~16:25  パネルディスカッション「福祉ガバナンスの宣言」
             コーディネーター/パネリスト
                  宮本太郎 北海道大学大学院教授
             パネリスト
                  高橋伸彰 立命館大学教授
                  濱口桂一郎 政策研究大学院大学教授
                  広井良典 千葉大学教授
                  マルガリータ・エステベス・アベ ハーバード大学准教授

            (16:25~16:40 休憩)
  16:40~17:30  特別講演 「市場万能社会を超えて」
                  神野 直彦 東京大学大学院教授

  
パネリストのプロフィール

宮本 太郎(みやもと・たろう)
北海道大学大学院法学研究科教授
連合総研「現代福祉国家への新しい道-日本における総合戦略」研究委員会委員
1988年中央大学大学院法学研究科博士課程修了後、立命館大学教授を経て2002年より現職。
[専門]比較政治、福祉政策論
[主な著書]『比較福祉政治』(編著、早稲田大学出版部、2006年)、『福祉国家という戦略』(法律文化社、1999年)など

高橋 伸彰(たかはし・のぶあき)
立命館大学国際関係学部長・国際関係研究科長
1976年早稲田大学政治経済学部卒業後、日本経済研究センター、通産省、米国ブルッキングス研究所等の研究員を経て、1999年より立命館大学国際関係学部教授、2007年より現職。
[専門]日本経済論、経済政策
[主な著書]『優しい経済学-ゼロ成長を豊かに生きる』(ちくま新書、2003年)、『グローバル化と日本の課題』(岩波書店、2005年)など

濱口 桂一郎(はまぐち・けいいちろう)
政策研究大学院大学教授
連合総研「現代福祉国家への新しい道-日本における総合戦略」研究委員会委員
1983年東京大学法学部卒業後、労働省勤務を経て、2005年より現職。
[専門]労働法政策
[主な著書]『労働法政策』(ミネルヴァ書房、2004年)、『EU労働法政策形成過程の分析』(1)・(2)(東京大学比較法政国際センター、2005年)など

広井 良典(ひろい・よしのり)
千葉大学法経学部教授
連合総研「現代福祉国家への新しい道-日本における総合戦略」研究委員会委員
1986年東京大学大学院修士課程修了後、厚生省勤務を経て、1996年より千葉大学助教授、2003年より現職。
[専門]社会保障、公共政策
[主な著書]『生命の政治学』(岩波書店、2003年)、『持続可能な福祉社会』(ちくま新書、2006年)など

Margarita Estevez-Abe マルガリータ・エステベス・アベ
ハーバード大学政治学部准教授
1999年ハーバード大学博士号取得、ミネソタ大学助教授を経て、2001年より現職。
[専門]日本の政治経済、比較政治経済。
[主な著書]『Negotiating Welfare Reforms:Actors and Institutions in Japan(福祉改革の政治過程)』in Steinmo and Rothstein編、Institutionalism and Welfare Reforms(Palgrave,2002)、『Welfare and Capitalism in Postwar Japan (戦後日本の福祉と資本主義)』 (Cambridge University Press, 近刊) など

神野 直彦(じんの・なおひこ)
東京大学大学院経済学研究科教授
連合総研「現代福祉国家への新しい道-日本における総合戦略」研究委員会委員
1981年東京大学大学院経済学研究科博士課程修了後、日産自動車(株)勤務を経て、1996年より現職。
[専門]財政学・地方財政
[主な著書]『システム改革の政治経済学』(岩波書店、1998年)、『地域再生の経済学』(中央公論社、2002年)など

| | コメント (0) | トラックバック (0)

地方分権を疑え

地方分権改革推進委員会が、11月1日に中間的とりまとめを発表しています。

http://www.cao.go.jp/bunken-kaikaku/iinkai/torimatome/071116torimatome1.pdf

その中で、無料職業紹介について、

>無料職業紹介事業については、ILO第88 号条約の当該条項を「職業安定組織は、国の機関の指揮監督の下にある職業安定機関の全国的体系で構成される」と訳していることを根拠に、同事業は国が行うべきものとの説明がなされている。しかしながら同条項の訳は、昭和23 年の同条約の採択時のものであり、こうした半世紀以上前の訳に依拠すべきではない。また、ハローワークについて市場化テストの実施が予定されているが、無料職業紹介事業を都道府県に移譲することについて、所管省は、国の機関の全国ネットワークにより全国斉一的に実施することが最も効率的としている。しかし、既に同事業を実施している都道府県は多いこともあり、ハローワークを移譲して国の一定の関与のもとに整備したネットワークにより、地方の雇用・労働情勢を熟知した都道府県が効率的に実施すべきである。

と述べています。

ある意味でもっともなところもあるのです。ここには書かれていませんが、雇用政策は地域の産業政策、福祉政策、教育政策と密接な関連があるものですから、それらを所管する地方自治体内部で取り扱った方が効率的な面があるのです。

一方で、雇用政策は全国的な広がりがありますし、なにより職業紹介は雇用保険の失業給付と裏腹の関係にあり、この両者を切り離すことはできません。雇用保険はナショナルレベルで運営すべきものですから、職業紹介を国から切り離すこともできません。

そういう条件の下で、国と地方自治体をそれなりにうまく組み合わせた仕組みが地方事務官制度であったと、私は思っているのですが、まさに地方分権の趣旨に反するということで廃止され、国と地方のどっちに行くべきかで議論した挙げ句、国に一元化されてしまったわけです。

それが最も適切な解決法であったとは私には思えません。地方事務官制度がいい仕組みであったかどうかは議論があるでしょう。もっと別の、国の費用負担と枠組み設定と、地方自治体の具体的な業務運営を組み合わせる仕組みがあれば、そうする道もあり得るでしょう。問題は、国と地方を切り離してしまうことが地方分権の趣旨であるという発想なのではないかと思うのです。

興味深いことに、同じ中間的とりまとめの生活保護のところでは、

>地域における保護の実情を踏まえ、被保護者のために何がよいのかという観点に立って、現行の給付内容を国が責任を持つべき部分と地方が責任を持つべき部分とに分けて考えるべきではないか。その際、例えば就労可能な者については、有期保護設定の考え方も取り入れるなど、自立・就労に向けて地方自治体が主体となった自立支援の取組みを推進すべきではないか。

と述べています。実は、私はこの考え方におおむね賛成なのですが、しかし、まさか、「国が責任を持つべき部分」と「地方が責任を持つべき部分」をきれいに分断して、組織から何からまったく没交渉にして、てんでんばらばらにやれなんてことを考えているのではないと思います。そうでしょ。

国が全国斉一的に基準を設定し、財政的に責任を持たなければならないところと、地方がそれぞれに取り組んでいくべきところが、有機的に結合するような仕組みが必要なはずです。

そういうのが地方分権の趣旨に反するというような固定的な発想ではなく、むしろ新たな地方分権の形だという方向に、頭の向きを変えていく必要があるのではないかと、私は感じています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

労働の擁護

一昨日のテーマに関連して、小泉義之さんが、「Critical Life (期限付き)」というブログで、「労働の擁護」というエントリーを書かれていることに気がつきました。

http://d.hatena.ne.jp/desdel/20071105

>いま労働を擁護することは難しい。立場を異にする人でさえ、労働をネガティヴに捉える労働観を共有しているからである。共に“労働は義務である、労働は退屈である、労働は疲労の源である、労働は不自由である”と考えた上で、一方は“にもかかわらず、為さねばならぬ”と語り、他方は“だからこそ、別の道を歩まねばならぬ”と語っている。共に、労働は生きる上での宿命的な労苦であるとするキリスト教的原罪観の一種を受け継いでいるのである。となると、取りうる道は二つしかない。労働に外在的な目的を設定して労働を手段として受け入れる道(国富のため、企業のため、効率的生産のため、家族のため、老後の備えのため、大人になるため、社会化するため、自立するため、等々)と、労働に代えて別のコンセプトを持ち出してそれが労働を呑み込んで僅少化すればいいだろうなと願望する道(自由時間、余暇、怠惰、プラクシス、活動、欲望、贈与、コミュニケーション、パフォーマンス、ギョーカイ、知識・文化・情報、精神労働、非物質的労働、等々)である。

 しかし、この構図はよくない。一つには、労働そのものと労働編成そのものを変えていく展望を直接的に切り開かないからである。特に後者の道は一見よさそうに見えるものの、現在の労苦に満ちた労働(編成)の只中に別のコンセプトを実現する潜在性を見出そうとしない点で、強く言えば、プチ特権階級的で反労働者的だからである。例えば、嫌がられる労働そのものに喜びが内在していることを見ずして、また、不公正な労働編成の只中に新編成の萌芽を見ずして、どうして展望が開かれるだろうか。後者の道は、労働概念を蒸発させようと目論んでいるのかもしれないが、それだけでは労働の現実を蒸発させることはできないのだから、詰まるところ、労働を労働そのものとして考えることを回避していることになる。それは、強く言えば、新知識階級・新プチブルのイデオロギーである。

私はそこまでは言いませんが、まあでもそういうことなんですよ。

>労働(者)の擁護が難しいのは承知している。誰だって旧来の労働観を信ずる気にはなれない(二回半捻った上で些かの苦渋をもって指摘せざるをえないが、『工場日記』はやはり戦時体制下での(悪しき意味での)奴隷道徳である)。世の中には、経済・経営・社会政策・社会福祉の辛気臭い論議だけが蔓延している。しかも、私の感触では、労働(運動)を考えるに際して、実践的障害だけでなく、実に多くの認識論的障害が存在している。思想的には、それらを一つ一つ解きほぐして乗り越えていく必要がある。迂遠な作業だ。だからこそ、労働(経済)問題を専門とする多くの方々に願いたい。各種の「原因」で倒産したり傾いたりする企業にしても、労働者の立場に立った別の再建計画を捻り出せるし捻り出すべきではないのか。マックの時給を数百円でも上げる方策を捻り出すべきではないのか。過労死の労災認定も結構だが、それ以前に企業の生産性向上と労働者の自由・余暇を両立させる新制度を命がけで考え出すべきではないのか。憂き世離れしたスコラ談義は得意なようだが、どうして(お望みなら、経営者側も政府も呑めるような)具体的な処方箋を一つも書けないのか。高々一つの企業について(お望みなら)経営者と労働者が一緒になって立て直すプランすらどうして書けないのか。他方、オルタの掛け声は聞き飽きた。セーフティネット概念をめぐる訓詁などどうでもよい。現状の労働政策(社会的包摂スローガンを含め)が19世紀のそれと大して変わりないことなど自明であって、そんなことを詮議してどうなるのか。あえて、こう言っておく。専門家は、周縁労働者や産業〈予備軍〉に同情を寄せて良心を示す暇があるなら、企業〈本丸〉と労働者〈本隊〉のためにこそ闘うべきである。諸君が赴くべきは、場末やストリートや第三世界ではなく、丸の内ビル街であり、郊外の運輸・流通・情報の拠点であり、海岸沿いの工場群であり、ゼネコンであり、官公庁である。

これを偽悪的発言と捉えてはならない。むしろまっとうすぎるくらいまっとうな考え方ではないか。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

野村正實大著増刷

このブログで何回か取り上げた野村正實先生の大著『日本的雇用慣行』が、売れ行き好調で増刷されるそうです

http://www.econ.tohoku.ac.jp/~nomura/impression.htm#071120

>なお、雑文のついでに記しておくと、今年8月に刊行した『日本的雇用--全体像構築の試み--』(ミネルヴァ書房)は、売れ行きが好調なようで、2刷を印刷する準備に入った、との連絡を担当編集者から受けた。『週刊東洋経済』2007年9月29日号の「注目の1冊」コーナーで奥村宏氏が私の本を取り上げて下さったことが1つの理由であることは間違いない。しかし『週刊東洋経済』の主たる読者はサラリーマンであり、5,000円の専門書はサラリーマンが気楽に買って購読するようなものではないであろう。どのような人達が購入してくださっているのであろうか。
 本の「あとがき」に書いたように、草稿段階で兵藤さんからコメントをいただいた。私は、「いったい、この本はどのような読者層を念頭に置いて書かれているのか」と質問された。本は、一般読者にとっても(多分)面白いであろうような記述もあれば、狭い専門家のみの関心を引きそうな部分もある。それを気にかけての質問であった。私は正直に、特定の読者層を想定してはいません、と答えた。読者層を想定することなく、今の段階で私の言いたいことを書いておこう、というのが私の執筆姿勢であった。独り善がりな姿勢と批判されても、甘受しようと思っていた。それにもかかわらず、とりあえずは売れ行きが好調であるとのことなので、どのような読者層にアピールしたのか、私は知りたいと思っている。

「本ブログを読みに来られるような、問題意識のある方々ですよ!!(イナゴさんを除く)」

と言えたらいいな、と・・・。

まあ、それはともかく、これだけ雇用をめぐる状況が大きく動いていると、あれだけ分厚くても、ちゃんと読む人は読むんですね。とりあえず、増刷おめでとうございます。

ちなみに、本ブログでの記事は、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_54ee.html

なお、次回の更新時には、天野郁夫氏の『学歴主義の社会史』の書評が載るそうなので、期待して待っていましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

労働中心ではない連帯?

『生活経済政策』の11月号が、「今『連帯』とは」という小特集をやっていて、田村哲樹さんの「溶解する社会に、いかなる連帯か」と、田中拓道さんの「現代フランスにおける連帯の再生論」が載っています。

http://www.seikatsuken.or.jp/

そのうち、田村哲樹さんの論文の中に「労働中心でない連帯へ」という一節があって、労働中心の福祉社会とかいってる私としては気になります。

>今日の労働市場に見られるのは、一部の正規雇用と多数の非正規雇用とを組み合わせる雇用戦略、経済成長が)正規)雇用拡大をもたらすとは限らない状況、「ワーキングプア」層の出現、女性や外国人労働者の増加などである。

>このような状況で問われているのは、労働を中心とした連帯の可能性そのものである。果たして、今もなお労働が広範な人々の共通性の核心を構成すると言えるのだろうか。

>「労働」を連帯の旗印に掲げるのことは、むしろ、分断と排除をもたらしかねないのである。

私はここは断固として否定したい。フルタイム男性労働者をモデルとした連帯がもはや通用しがたいというのはその通りでしょう。しかし、様々な働き方の中に、働いて社会に参加しているという共通性を連帯の中核として確立することが不可能とは思えない。というか、それを捨ててはほかに連帯の核となるものはないと思います。田村さんはこういう。

>人々の共通性を、「(フルタイムで)労働すること」ではなく「市民であること」に求めることで、連帯の非人称の度合いは高まるであろう。

>但し、余暇を持つ市民であるためには、一定の生活保障も必要である。ここで、ベーシック・インカムを「市民としての連帯形成」のための制度として位置づけることが可能である。

「共に働いて社会に参加している(いた)(いくであろう)」という契機を失った「市民性」っていったい何なの?働いている側が、それを対等な市民として認める保証はどこにあるの?「俺たちに寄食するどうしようもない連中」との間に、どういう連帯感情があり得るのか。ハーバーマスの本の上ではなく、現実の社会の中で示して貰わなければ。

ネオリベ系のベーシック・インカム論はこの問題ははなから存在しません。どうせ働いて貰ったって生産性が低くて足手まといになるような連中は、何もわざわざ無理して働いて貰わなくたっていいんですよ。居たって邪魔なんだからさあ。捨て扶持やるからここにいないでくれるかな。あんたが飢え死にしないで居られるくらいのカネは(仕方がないから)やるからさあ。という、大変心のこもった暖かいセーフティネット論であるわけで。

だけど、田村さんのイメージの中にあるのは、そういう冷酷無情なミニマム連帯ではなく、労働を中心とするよりももっとつながりの深い連帯感覚のはずなんですね。

それが、労働ではなく余暇を中心とする形で可能であると、本当に言えるのでしょうか、というところが問題なわけです。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

キャリアコンサルタントの技能検定

16日、「キャリア・コンサルタント制度のあり方に関する検討会」の報告書が発表されました。

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/11/dl/h1116-2a.pdf

キャリアコンサルタントは、「平成14年から5年間で5万人を目標として各養成機関等で養成が進められ、平成18年度末の養成数は約4万3000人となり、数量的には所期の目標を概ね達成したところ」ですが、その実態は、

>① キャリア・コンサルタントの能力水準にバラツキが大きく、養成機関による養成を修了した者であっても、自ら「力量不足」を感じていたり、指導者やクライアントから、「説教調で意見を押しつけられる」、「クライアントやキャリア・コンサルティングに偏った固定観念を持っている」、「話を聞くだけに終始する」等の指摘がなされることも少なくない。

② 専門職としての使命感や倫理性を十分備えるに至っておらず、制度的にも、これを担保する仕組みが十分には整備されていない。

③ 専門性についてこれを自覚し、自ら研鑽し高めようとする意識が希薄な者も多く、また、これを高めるための指導を受ける機会や環境が十分には整えられていない。

と、「キャリア・コンサルタントの現状と専門職としてのあり方との間に、未だ大きな乖離がある」のが実情のようです。

そこで、

>キャリア・コンサルティングを社会的に機能させる方策として、一人前のキャリア・コンサルタントとしての能力要件と評価の仕組みを明確化し、水準の向上を図るとともに、試験の統一化によって、キャリア・コンサルタント制度を分かりやすいものとし、認知度の向上を図っていく必要がある。

という観点から、技能検定方式を提唱しています。

あとはキャリアコンサルタントに求められる基本的能力、分野別に求められる能力などが列記されていますが、更なる課題と