権丈先生ドンピシャ!
例によって社会保障についてはこの人しか居ない!(とまで云ったら言い過ぎですね、ごめんなさい駒村センセ。)権丈先生の勿凝学問シリーズですが、
http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/korunakare107.pdf
シンポジウムで権丈先生が「この国の政府は小さすぎる。社会保障を充実したいのならば負担増しか途はないということ」を話したら、まさにその小さな政府のお陰でひどい目に遭っているはずのご老人から、
>「消費税が10%になったら年金生活者はどうなるのですか?」というフロアーからの質問に、「たとえ消費税が10%にまであがったとしても、それが社会保障目的ならば、ネットの負担がマイナスとなる低所得者にとっては望ましいこと・・・」
>ブ――――ッ・・・
>このあたりで、「お前の話はききたくない。だれがこんなのを呼んだんだ」というフロアーからのお年寄りからの声。
>そのご老人が大きな声で「消費税は逆進的だ」で結ばれたので、僕は、その方のことを慮ってその後一切話すのをやめたわけだ。。。
権丈先生の大変お疲れになった姿が目に浮かびます。
低所得者ほど、自分を虐めることになる政策制度を褒め称え、自分を救うことになる政策制度を目の仇にするという被虐的というかなんというかこういう倒錯現象は、労働問題、社会保障問題を問わず広がっているのですね。小泉支持B級層は健在なりというところです。
ちなみに、左のトラバに「福祉国家の最大の受益者は中産階級」というのがあります。この点について、権丈先生のクリアな説明を。私のような低学歴者にはなかなかここまでクリアには説明できませんので。
>今日のシンポジウムでは、この国ではいま低所得者が悲惨なめにあっているという話がなされている。そのことにはわたくしも大いに同意する。しかしながら、福祉国家における再分配所得は、まずミドル・クラスに流れ、ミドルの生活がある程度満たされないと、ボトムには流れにくいものなのである。
>社会保険はたしかにミドルを優遇する。しかし、租税を用いて日本よりもはるかにボトムに寛大な給付を行っている福祉国家では、ミドルを優遇する社会保険の役割そのものも大きいのである。
>一次分配におけるトリクルダウン理論――所得のトップ層を優遇しておけば彼らの豊かさがボトムにも滴り落ちるという考え方――は、わたくしは、経験的に観察することのできない嘘の理論だと思っている。しかし、再分配の世界においては、主な費用負担者となるミドルの要求が満たされないとボトムに再分配所得が流れないということは、社会保障の国際比較などを行ってみればすぐに実感できる事実である
>みんなで、政府の規模が大きい世界、政府の利用料をしっかりと支払う社会を選択しましょう。社会保障のためならば負担増を受け入れましょう。
で、上に続きます。
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たとえご自分に向けられた者であっても、「低学歴」などどという言葉をお使いになるのは、良識を持った読者を説得する上で決してプラスにはならないように思います。
投稿: 僭越ですが | 2007年10月 1日 (月) 16時59分
>池田信夫氏は、博士号もってますよ。修士号ではありません。修士号じゃ追い付けませんW。そもそも教授職って学位が肝心ですよね?学士じゃお話にならないし、信用が得られないのではないでしょうか?
官僚時代の実務経験を武器に言論活動なさるのは勝手ですが、理論を知らない発言は有害です。
投稿 manami | 2007年9月28日 (金) 13時50分
とまで罵られたものですから、まあ辞を低くして、謙譲の美徳を発揮した方がいいのかな、と思ったのですが、良識を持った読者の方々には却って失礼だったようです。
なかなか難しいものですね。
投稿: hamachan | 2007年10月 1日 (月) 23時58分
消費税って、負担の中心はミドルだと思うのですよ。
ミドルから取って、ミドルに分配するのが、良くも
悪くも社会保障の中心なんでしょう…
消費税って、収入があっても使わなければいい訳で、
あくまで個人的にはありがたいのですが、その辺り、
どう判断するのか…
投稿: というか | 2007年10月 2日 (火) 12時10分
このエントリとご自身のコメントを読むだけで、その筆者が社会的に生き延びることができていることを疑わせます。よくボコボコにされずにここまで来ましたね。民間だったらまず無理だと思いますよ。
この記事にしても、人に見せるのだったら、あなた以外にとっては全然クリアじゃない権丈先生の長々とした引用を、嫌味を言うために使うのでなく、自分の言葉でまとめ直すのが、あなたの立場に照らした、読者への最低限の義務だろうと思いますがね。
仕事を続ける一方でEU労働法について詳しく勉強されたことは尊敬しようと思いましたが、何のことはない、税金から給料もらってEUに派遣されて毎日勉強して、レポート書いて、それを自分の業績にしてるんじゃないですか。馬鹿馬鹿しい。自分の業績にしなさんなよ。するんだったら国民に金返せよ、と言いたくなりますね。
『労働法政策』(ミネルヴァ書房)を注文しましたが、目次を見て、そして、「日本の労務管理」講義案(http://homepage3.nifty.com/hamachan/hrm.html)をかいつまんで読んでそのばかばかしさに、本の注文もキャンセルしました。次など、学生にボコボコに叩かれるんじゃないですか?
> 急進的な見解としては、そもそもメンバーシップ型の正社員向け内部労働市場とジョブ型のパート・フリーター向け外部労働市場を分断するような在り方を考え直し、両者共通のジョブ型労働市場を構築すべきだというものもありますが、1世紀以上にわたって組み上げられてきた労務管理システムを根底から再構築することは極めて困難なことであり、微調整によって弊害の解消を図っていくのが現実的な対応でしょう。
国家公務員及び教員としてのあなたのあり方に猛省を望みます。もう読みに来ることはないので、返事は要りません。
投稿: はじめてコメント | 2007年10月 2日 (火) 20時43分
私の人生についてのご意見は一つのご意見として承りましょう。ただ、個人的には、大学院に行く経済的余裕があって修士号や博士号をとれた方や、会社や役所の金で修士号や博士号をとれた方にくらべて、在外公館勤務の合間を利用して勉強したことを「猛省」させられる謂われはなかろうと思いますがね。
私の著書や論文についてのご批判は、残念ながら気にくわないという以上の趣旨は読み取れません。当然、一定の主張や方向性をもった文章ですから、それに反対の立場の方から見ればけしからんと思われるのは不思議ではありません。
ただ、一言だけ申し上げれば、上記ご引用の私の文章を「学生にぼこぼこに叩かれる」などという低次元の批判で批判したつもりにならないでいただきたい。そんな学生には「世間に出て、労働者として何年か働いてから言って見ろ」というだけです。
労働に関する学問は、ピンの先で天使が踊る数を数えるような学問ではありません。人間の集団が働く現場から出発するんです。労働者の多くが「何を馬鹿なことをいってるんだ」と思うようなものであってはならないのですよ。
まあ、「もう読みに来ることはない」ようですから、何を申し上げても無駄でしょうけど。
投稿: hamachan | 2007年10月 2日 (火) 22時40分
また見に来ました。あなたは自己認識を完璧に誤っているように見えるので、つけ加えます。
私がなぜ怒ってわざわざコメントしているかわかりますか?あなたは、このエントリ及びご自身のコメントで、読者に向かって唾を吐いているからです。私はあなたに唾を吐かれたのですよ。その証拠はこのエントリ及びあなたのコメント(私がコメントを加える前のもの)で十分です。このような嫌味に満ちた文章を書くことで、あなたは厚生労働省という組織や官僚集団の顔に、そして間接的に国民の顔に、泥を塗っていることがわからないのですか?
あなたは、社会人としてのあり方が、普通の民間人とは根本的に違うのでよ。そして、そのことがあなたの論説の全てに現れていると感じるために、私はあなたの論説を馬鹿馬鹿しいと判断したのです。あなたはきっと法学部出身で、そのまま公務員試験を受けて、そのまま入省して、法律に関わる仕事だけをしてきたのでしょう。法律概念を通すことによってしか世の中を見ることができないのでしょう。既存の法律の体系によってしか労働の問題を体系だてることができないのでしょう。問題を解決するとは法律を調整することであるとしか考えつかないのでしょう。良く言って職人。あなたの書いたものを読んでそのことがわかったから、企業の現場の問題解決には一切役立たない、馬鹿馬鹿しいと判断し、読む必要がないと考えたのです。
あなたに必要なのは、あなたが自分でおっしゃる通り、労働の現場に根ざすことだと思います。あなたは一度でも仕事をしたことがあるのですか?世の中は常に変化しており、世界と競争しているのであり、仕事の現場では経営者も労働者も共に戦っているのだということを知っているのですか?日本に雇用を残すも残さないも企業の勝手でありそれは止めようがないということを意識しているのですか?雇用に関わる制度も、世界の制度が制度間競争していることを意識しているのですか?
平気でこのような、衆人の中で唾を吐くようなエントリを書くことを見るに、あなたに仕事の経験があるとは思えません。顧客のことも赤字のことも考えないでもすむ役所の仕事は別ですよ。
あなたは、あなたに法律を調整すれば社会の問題解決ができると思っているかのような思考を身につけさせてしまった今の仕事を辞めて、労働者としてお金と顧客を相手にする労働の現場に出るべきだと思いますが、そこまで踏み込むことは難しいのでしょう。せめて、企業の現場を足で歩いて歩いて、そして企業の現場に信頼されるようになることが必要だと思います。例えば、偽装請負をまずは合法的な派遣の形に持っていくために何がネックになっているのか、実情を押さえていますか?
私はもともと政策形成プロセスや官僚機構の問題にはそれほど関心は持っていませんでしたが、あなたの存在を知って、問題意識を持つようになりました。この国を本当に作り変えていかなければなりませんね。
以上、文章が錯綜していますが失礼。
投稿: 再度コメント | 2007年10月 4日 (木) 00時10分
再度コメントさんへ
池田氏の言うように解雇を自由にしたらどうなるんでしょうか?
企業がどんどん解雇するようになれば、戦後の一時期のように労働運動が急進化し、混乱してしまうだけなのでは。
あるいは、それを嫌って企業が解雇をしないのなら、今と実質的に変わらないと思います。
いや、企業の意思を貫くために、政府が争議を弾圧するんだということなら、池田氏が批判する“設計主義”そのもののように思うんですが。
投稿: kazu | 2007年10月 4日 (木) 02時17分
再度コメントさん、社会人としてのありかたを説教してる人がコメント欄にこの支離滅裂な長文・・。ていうかやっぱりまた見にきたんだ(笑)。もうたぶんないと思うけどhamachanがなにか回答くれたら感謝しなさいよ(大笑)。
投稿: 支離滅裂 | 2007年10月 4日 (木) 08時59分
一人一人の人生がかかっている労働者のクビを平然と切ることができなければ企業が潰れるのだと、労働者を脅しつけることが「労働の現場に根ざすこと」であり、それに疑問を呈することが「読者に向かって唾を吐いている」であり、「国民の顔に、泥を塗っていること」であるというあなたの信念はよく分かります。
私はあなたのその信念を共有していないと云うことを申し上げているだけなのですがね。そして圧倒的に多くの日本の労働者や経営者の大部分も、そのような信念を共有してはいないと思いますよ。
私のブログにおけるものの言い方が、いささか「嫌味に満ちた文章」であることは否定しません。真っ正面から直球勝負をしてもいいのですが、それだと賛成だ、反対だで終わってしまって、深みが出ませんのでね。権丈先生には及びもつきませんが、皮肉を効かした文章をものする練習をしております。その皮肉の水準が低いというご批判は甘んじて受けましょう。
しかし変化球が決まらないのであれば、真っ正面から申し上げましょう。あなたのようなものの考え方こそが「衆人の中で唾を吐くような」発言です。法律を調整すればすべてが解決するわけではありません。しかし、しかし、現実に社会に矛盾が存在するときにそれを正すのは国民の共同意思としての立法以外にはありません。
そもそも、市場原理に委ねるという議論自体、それを成り立たせる所有権や契約法制とそれらを強制する法的メカニズムを前提にしています。近代市民社会が、立法によって中世の集団原理を弾圧する中から生み出されてきたことは周知の事実ですし、それを修正して集団原理を導入してきたのも立法によるものです。
社会の在り方を、社会構成員相互間のルールをどのように設定するかという共同行為に上に社会というものは成り立っているのであって、見えざる手の神様が天下り的に下したもうたものを有り難く押し戴いていると思いこむのは、それ自体未開人的迷妄と云うべきでしょう。問題はその立法が目的に照らして適切かどうかであって、私の議論はそこに焦点を当てています。
立法を論ずるとはそういうことです。もちろん、それはあなたのような奇矯の発想からすれば存在すること自体が許されないものなのでしょうね。そういう発想をあなたがされること自体は、もはや論評の外というほかはありませんが。
いずれにしても、あなたがどのような労働現場でどのような労働に従事しておられるかはよく分かりませんが、「日本に雇用を残すも残さないも企業の勝手でありそれは止めようがない」という率直な文章にあなたの立ち位置はよく現れていると思います。それが「企業の現場に信頼されるよう」なものであるかどうかは、現場の方が判断されることです。私は繰り返しそう申し上げています。
池田氏についても申し上げましたが、市場原理主義の方々は言論のマーケットを全然信頼されないようですね。私の云ってることが労働現場の人々から見てとんでもないものであるのでれば、おのずから淘汰されるはずでしょう。私は、私の議論は、企業の現場の労使双方が最もよく納得できるものであると信じていますが、そう人に押しつけるつもりはありません。それは言論のマーケットが決めることです。
池田ブログのコメント欄の中だけで盛り上がっていてもダメなのですよ。
投稿: hamachan | 2007年10月 4日 (木) 09時21分
>現実に社会に矛盾が存在するときにそれを正すのは国民の共同意思としての立法以外にはありません。
「社会」と言っても、いろんなレベルがあると思うのだけれど…
投稿: リベリベ | 2007年10月 4日 (木) 11時36分
>企業の現場の労使双方が最もよく納得できるものであると信じていますが、そう人に押しつけるつもりはありません。
というのと、立法というのが微妙かと
立法により何事かを個々の(労働)現場に押し付ける主体は国民であると言われれば、それまでなのですが
投稿: リベリベ | 2007年10月 4日 (木) 11時43分
>私はあなたのその信念を共有していないと云うことを申し上げているだけなのですがね。
ここは大変すっきりした物言いと思いました。
>そして圧倒的に多くの日本の労働者や経営者の大部分も、そのような信念を共有してはいないと思いますよ。
hamachanさんの言うようなコモンセンスが流通し
ている場所もあればそうでない場所もあり、その全
体像は誰にも見渡せていないというのが現状ではな
いでしょうか?
少なくても、『そのような信念』を共有している層
は無視できない程度のパーセンテージでいると思う
のですが。
その意味で、この物言いは、xxxコメント氏
が自分の属する層を『読者』として一般化している
のと同程度に不快です。
では。
投稿: shousiminjp | 2007年10月 4日 (木) 12時43分
ですから「思いますよ」と云っているわけです。どなたかのように断定しているわけではありません。
それを決めるのは言論のマーケットであろうと申し上げているわけで、それが不快と云われるとどうしようもありませんね。
投稿: hamachan | 2007年10月 4日 (木) 12時57分
ブログでのコメントも言論のマーケットからのレスポンスだとは考えられませんか?あるいは労働政策の専門雑誌だとか「労使関係者」といった閉じた言論空間からのしかカウントしないということでしょうか。それも肝心要の研究に支障を来たさないというためならありだとは思いますが、それならば無闇に煽られないほうがよろしいかと差し出がましくも思います。
池田氏との論争以前にも何度か先生の記事を読んでいたのですが、この論争の中でいささか(曝すだとかネット界隈のスラングを中途半端に使われたり)研究者としてというより大人としてはいかがなものかと思われる書き方をなされているのは、それこそ言論のマーケットでのう振舞い方としては稚拙に映ります。
「入院/低学歴」といった言葉の使い方は先生に博士号コンプレックスがあるのではないかと思われますし、ご自身の学界での同僚に不快な思いをさせるのではないかと思います。「法と経済学が出てくるんですが、大学院で学生さんに法と経済学を教えている人よりもものごとを的確に説明しています。」というのも、ご自身の大学で該当している方からすると不快なものでしょう。(もしも経済系ということでH田グループに括られてるのだとすれば、あまりに大雑把ではないでしょうか。学問を離れてどういう人事関係があるのかはわかりませんが。)
ちなみにそこで書かれてる山口氏の文章ですが、内容としては法と経済学、あるいは契約理論の教科書なら序章でラフに書かれているようなことを法律家のために翻訳したということで、わざわざ経済学者サイドを貶めて持ち上げるものではありません。
投稿: 余計なお世話ですが | 2007年10月 4日 (木) 15時30分
いちおう言っておくと、上のコメントは、「だから山口氏の解説は大したことない」とか、「経済学者の解説で容易に感じないのは馬鹿だ」とか言いたいわけではなくて、それぞれ売る対象に合わせて適確に喋ってるのだということです。
投稿: 補足 | 2007年10月 4日 (木) 15時57分
こうすればこうなるという点では認識が一致していても、その価値判断において一致しないということが大きいと思うのですが
投稿: 必ずしも「冷戦的」というわけではなく | 2007年10月 4日 (木) 16時03分
言論のマーケットというのは、もちろん社会全体のことですよ。それが判りませんか? 特定の学問をやっている人々だけの世界ではないし、いわんや検閲済みの特定のコメント欄でもない。
私の議論がある種の人々にとって極めて不愉快であることはよく分かりますが、それが全体社会の中でどれくらいのものかということです。多くの勤労国民にとってどうであるかということです。
学位云々についても、変化球では判らない鈍感なお方のようですから、真っ正面から申し上げますよ。議論の価値は中味で決まるのであって、学位で決まるのではありません。それだけのことです。それが学位で決まると思っている人がいることをからかっていただけです。
投稿: hamachan | 2007年10月 4日 (木) 17時34分
「入院/低学歴」だとかの言葉の使い方ですが、ただ単に先生がGRIPSに所属され、また学位はともかくとして、おそらくは労働政策関連の学界で活動する中で、それこそ先生のおっしゃるネットイナゴの雑音に惑わされて、必要以上に挑発的な言葉遣いをなされるのはいかがなものかと、おせっかいながら危惧したまです。それこそ先生のおっしゃる議論の中身と関係なく、言葉遣いで不愉快にさせて特になることはないと思います。それこそマーケットの中での立ち振る舞い方を学ばれるべきではないでしょうか。
あと、学位というのはその人がアカデミックのマーケットに参入するための許可証みたいなものでしょう。有象無象の中から選別するためには(日本での中堅大学のひとつの講師ポストにわらわら応募が来るわけですよね)第一段階として必要でしょうが、実務的な分野では先生のように実務経験がある方であれば、博士号を取ってなくても教授職に迎え入れるというのは欧米のある程度の大学でも十分あります。なので(まあ議論の価値は中身で決まるわけですが)GRIPSというまともな研究大学でポジションを取られ、その後も学術的な論文を書き続けているということで、先生の学術的なeligibilityは十分示されているのではないでしょうか。それなのに煽りに載ってしまって、むしろ学位に無闇に敵対的になったり、ご自身を卑下されるのは、議論が非生産的になっていく土壷にはまっているのではないでしょうか。
そもそもネットは誰でも見られるわけです。ということはそこらへんのイナゴだけでなくて、GRIPSの同僚の方(敵対する人かもしれませんが)や関係学界の知り合いが見ることも十分あるわけです。当然GRIPSにも博士を取得した教授がたくさんいるわけですが、その前で「入院」などと言えるのでしょうか。もちろん気分を害する程度のことでしょうが、それは避けられることですよね。ただ単に「博士号は持っていないが、研究はきちんとした雑誌で認められている」とおっしゃれば十分でないでしょうか。社会全体で言論の価値が決まるというのは当然でしょうが、先生自身の「職場」周辺に気を使われたほうがよいのではないでしょうか。
おそらくはこうした実務方面の学界というのは、たとえ著者名を隠して雑誌の査読要求がきても、ある程度察しがつくような狭い学界でしょうし。
以上の点でおせっかいながら心配してご注進申し上げたまでです。コメントに書きましたように、前にも先生の記事は読んでいたので、このような煽りで議論の中身と関係なく冷静さを失われていることに残念に思います。
投稿: 本当に余計なお世話ですが | 2007年10月 6日 (土) 16時08分
楽しませていただいています。論文がCD化された演奏なら、ブログはライブのようなものでしょうかね。会場からの野次に反応、とか、ライブならではの気ままなMC的な書きぶり、答えたり無視したりも芸のうちかと。また、ブログ主の興味の赴くままに、内外に、ここと思えばまたあちら、の各種情報のご紹介、面白く拝読、ときどき、使わせてもらっています(よそに受け売り)。で、日本でまともな労働のマーケットだけでなく、自由で平等な「言論のマーケット」が成立・発展することを望みたいものです。
投稿: 通りすがり | 2007年10月 8日 (月) 20時23分