高学歴ワーキングプア
高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)
著者は水月昭道さんという方で、
>1967年福岡県生まれ。龍谷大学中退後、バイク便ライダーとなる。仕事で各地を転々とするなか、建築に興味がわく。97年、長崎総合科学大学工学部建築学科卒業。2004年、九州大学大学院博士課程修了。人間環境学博士。専門は、環境心理学・環境行動論。子どもの発達を支える地域・社会環境のデザインが中心テーマ。2006年、得度(浄土真宗本願寺派)。著書に『子どもの道くさ』(東道堂)、『子どもたちの「居場所」と対人的世界の現在』(共著、九州大学出版会)など。現在、立命館大学衣笠総合研究機構研究員および、同志社大学非常勤講師。任期が切れる2008年春以降の身分は未定。
という方です。
カバー見返しの案内文に曰く、
>大学院重点化というのは、文科省と東大法学部が知恵を出し合って練りに練った、成長後退期においてなおパイを失わんと執念を燃やす"既得権維持"のための秘策だったのである。
折しも、九〇年代半ばからの若年労働市場の縮小と重なるという運もあった。就職難で行き場を失った若者を、大学院につりあげることなどたやすいことであった。若者への逆風も、ここでは追い風として吹くこととなった。
成長後退期に入った社会が、我が身を守るために斬り捨てた若者たちを、これ幸いとすくい上げ、今度はその背中に「よっこらしょ」とおぶさったのが、大学市場を支配する者たちだった。
目次は次の通り。
>第1章 高学歴ワーキングプアの生産工程
>第2章 なぜか帳尻が合った学生数
>第3章 なぜ博士はコンビニ店員になったのか
>第4章 大学とそこで働くセンセの実態
>第5章 どうする?ノラ博士
>第6章 行くべきか、行かざるべきか、大学院
>第7章 学校法人に期待すること
これも、文部省の教育政策の問題という文脈になるわけですが、そもそもいかなる職業であれ、その需要と供給をどう操作するかという政策はすぐれて労働政策である訳なんですが、もちろん低学歴の下等技能者のみを所管する労働省に修士や博士の労働力供給政策に口を挟む余地などないわけで、大学院重点化の結果として大量のワーキングプアが出てきて初めて労働問題となるわけですね。
(追記)
労働・社会問題の平家さんが、ちょうどこの話題にぴったりのデータを紹介してくれています。
http://takamasa.at.webry.info/200710/article_5.html
厚生労働省の平成14年21世紀成年者縦断調査から、30から34歳の大学院卒(修士を含みます。)の就業状況です。
>そろそろ安定したいと考えている時期
のはずですが、実態は、
>正規の職員・従業員が、85人(70%)、会社などの役員・自営業主 5人(4%)。
>ここまでは良いでしょう。
>仕事のある人でも、こんな状況の人もいます。
>内職が1人(翻訳でしょうか?)、
>アルバイトが6人(塾の先生、コンビニ店員などでしょうか。)、
>パートが1人(非常勤講師もパートといえばパートです。)、
>派遣社員が1人、
>契約社員・嘱託が、3人(非常勤講師はここに入るかもしれません)、
>その他の仕事についている人が、5人、
>仕事はあるがどんな仕事か不詳の人が6人。
>ここまでが仕事のある人です。次は仕事のないひと。
>家事に従事している人が、4人(主婦でしょうか?)
>仕事なしでその他が2人(よく分かりません)
>仕事の有無不詳が3人。
>ちなみに、独身者が64人、結婚している人が58人でした。
ご承知のように、職業安定法上は、行政がパターナリスティックに新規採用労働市場に介入するのは中卒と高卒市場だけで、大卒ですら高学歴ということで基本的には自己責任に委ねられているわけですね。未成年者を市場の神の慈悲深い手にそのまま委ねるわけにはいかないというまことにパターナルな発想ですが。とは言い丈、実体的には既に同年代者の半数近くに及ぶ大卒をほったらかすわけにも行かないので、学生職業センター等を設けて一定のサービスを行っているわけですが、法律上の大原則は大卒者の就職は自己責任です。
大卒ですら原則は自己責任なのですから、大学院に進学するような高学歴者は当然自己責任と見なされるわけですね。労働市場的観点からすれば。
まさか、大学院卒業者のそれも含めて、労働市場が需要と供給のバランスで成り立っているということを認識もしないで進学しているはずがないではないか、というある意味で当然の前提で労働政策は成り立っているわけですが、教育行政は必ずしもそれと同じ認識に立って政策を遂行してきたとは限らないようです。
このあたり、例えば欧州の教育行政が職業という観点からの訓練政策と自らを位置づけることが多いのに比べ、日本の教育行政が職業的観点を欠落させ、ふわふわしたものであったことの一つのツケかも知れません。
この点で日本の教育論の在り方を痛烈に批判している興味深い本に、文部官僚でいま政策研究大学院大学に来ている岡本薫氏の『日本を滅ぼす教育論議』(講談社現代新書)です。
岡本さんとは、今の大学に来る前から、両省の若手で寺脇研さんを中心にやってた研究会で知り合っていて、文部省には珍しいタイプだなあと思っていたのですが、この本は岡本節炸裂です。
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『低学歴の下等技能者』とは、具体的にどんな職業のどんな人を指すのか教えてください。問題にしたいので。
投稿: manami | 2007年10月17日 (水) 16時41分
具体的な職業を指すものではなく、福祉国家での保護を必要とする人たち程度の意味ではないかと思います。
低学歴に関しては、最近の発言では本人自ら低学歴であると連呼していて、深い考えで使っている言葉ではないような。
投稿: 通りすがり | 2007年10月19日 (金) 23時47分
「真っ当な常識人」を言い表す密やか(?)な皮肉
>本人自ら低学歴であると連呼
投稿: 要するに | 2007年10月20日 (土) 00時14分
>日本の教育行政が職業的観点を欠落させ、ふわふわしたものであったことの一つのツケ
学士様までは企業様がその「ふわふわ」に当然の如く付き合ってきたわけだけど、企業様にあられましては「修士のふわふわさんはともかく、博士様に付き合う必要性はほとんどない」とのご判断のようです。
投稿: まあね。 | 2007年10月20日 (土) 00時30分
高学歴ワーキングプアや博士号取得者いわゆるポスドクが就職できないことが問題とされることが多いが、私自身は自業自得、自己責任だと思う。
そもそも、若いうちに就職せずに進学して博士号を取ることは自分で決めたことであろう。強制されたのであれば問題だが。博士であろうが博士でなかろうが、自分の決断は自分で責任を取る、大人として当然のこと。
投稿: 森田博士 | 2017年9月23日 (土) 10時14分