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2007年10月

2007年10月31日 (水)

モリタク先生 JILPTを援護射撃

年収300万民衆の味方モリタク先生が、JILPTを潰そうとする悪だくみに対し敢然と立ち上がりました。

http://www.jil.go.jp/seisaku/column/morinaga01.htm

前にこのブログで紹介した雇用政策研究会で語った言葉をさらにパラフレーズしています。

>政府部内で独立行政法人の整理合理化が検討されている。労働政策研究・研修機構(以下JILPT)についても、整理合理化の対象として審査が行われていると聞く。しかし、JILPTの機能縮小は、財政の無駄遣いをむしろ拡大すると私は考えている。以下にその理由を記す。

まず銘記しておかなければならないことは、完全雇用の達成は、政府の果たすべき最大の責務であるということだ。失業者の存在は、資源の無駄遣いであるだけでなく、失業者の生活は雇用保険制度を通じて、他の国民が費用を負担しなければならないからだ。しかも、就業形態は多様化してきており、単に就業状態にあるからと言ってそれでよいということにはならず、不完全な就業者についても政策的対応が必要になっている。

そのなかで、いたずらに雇用対策を行うことは、財政の不効率な支出に直結する。例えば、フリーターやニートといった新しい階層が社会問題化したときに、彼らがどのような属性や意識を持っており、どのような対策を講じれば就業できるのかを知らずに、雇用対策予算を編成しても、ほとんど意味はない。しかし、有効な雇用対策を検討するためには、フリーターやニートの実態にとどまらず、これまで行われてきた類似の雇用対策の費用と効果、海外での雇用対策の状況など、労働政策全般にわたる高度な知見が必要なのだ。

そうしたなかで、残念ながら日本には、そうした政策研究を行いうる労使から中立の民間研究機関は存在しない。民間シンクタンクのなかに、主として労働問題を扱っている研究員も、その人数は一桁にとどまる。

私自身も民間シンクタンクで労働経済を専門に20年近く仕事をしてきたが、労働問題の研究員が民間シンクタンクで育たない理由は、シンクタンクの経営構造にある。大手の民間シンクタンクは、主として銀行、生保、証券、商社などによって設立されている。その多くは、親会社の創立記念事業の一環として設立されている。しかし、長引く不況で親会社の経営環境が厳しくなり、子会社のシンクタンクに与える補助金はほとんどなくなっている。加えて近年の国や地方自治体による緊縮予算の定着や調査研究業務に対する競争入札の導入強化で、シンクタンクの経営は急速に厳しくなってきている。

その結果、総合研究開発機構によると、民間シンクタンクの数は2001年の337から2006年には271に減り、研究者数は同じ期間に7359人から5840人に減少している。

そのなかで、労働関係の調査研究は、元々発注主が労働省と関連団体に限られ、ODAや地域開発といったテーマに比べると市場規模が極端に小さく、しかも発注が安定しないため、シンクタンクの研究員が継続的に労働関係の調査に携われる可能性は小さい。民間シンクタンクは存続のために収益を獲得する必要があるため、最近では労働問題を扱おうとする研究員も調査研究活動の主体を労働以外の分野に求めざるを得なくなっている。継続的に労働問題に携わることができるJILPTの研究員と民間の研究員の間に大きな研究能力の格差が生じるのは当然の帰結なのだ。

民間のシンクタンクに継続的に労働問題の発注をすればよいという考え方もあるが、調査研究全体を設計管理できる研究員を育てるには最低10年かかるし、同じ研究機関に随意契約で長期間契約を継続できるかどうかについても大きな疑問がある。

結局、効率的な労働政策を支える調査研究活動を確保するには、現在のJILPTの機能を活かし、JILPT自体の効率的運営を図ることが、唯一の方法なのだ。

労働問題の研究は、労働という現象に対する的確なセンスを必要とします。それが欠如した人間が、判ったつもりで自分のパラダイムをそのまま労働に当てはめて適当に論ずると、労働を知らない人間には一見まともな議論に見えるけれども、労働を知っている人間にはとても話にならないトンデモ議論になってしまうのです。

その実例はこのブログ上でもいやと言うぐらい上演されてきていることは、このブログを長く読んでいただいている方々には言わずもがなのことではありますが。

ただ、全面的にそうだそうだとばかり言っていても仲間内のフラッタリみたいに思われるので、一言だけ辛口のコメントも。

JILPTの研究員がみんな小杉礼子さんみたいに活躍していればいいんですけれどもね。

いや、成果を上げている人はいっぱい居ることは居るんですけど、目立っちゃうと本田由紀先生のように大学に吸い上げられてしまうのが辛いところ。

労働法案の修正協議

世間は福田・小沢会談に関心が集中しているようですが、当ブログはそれよりなにより労働法案の行方です。

今朝の朝日ですが、

http://www.asahi.com/politics/update/1030/TKY200710300353.html

>衆院厚生労働委員会で継続審議中の最低賃金法改正案について、民主党と与党が修正協議に入っていることが30日、わかった。民主党が対案で打ち出していた「全国一律の最低賃金の創設」を断念。政府案の修正案を示したことで、与党側も協議に応じた。与野党とも今国会での成立を目指し、調整している。

 民主党は、支持団体の連合が最賃法の早期改正を強く求めていることもあり、与党との歩み寄りを優先。かわりに、最低賃金の決め方について「労働者が人たるに値する生活を営むための必要を十分に充(み)たすこと」との文言を政府案に加えるよう求めている。最低賃金の大幅引き上げを図る根拠を明確に打ち出す狙いだ。

 また、同様に対案を出していた労働契約法案の修正案も示し、派遣やパートといった就業形態にかかわらず「均等な待遇の確保が図られるべきだ」との原則を明記。有期契約労働者についても賃金などで正社員との差別禁止を盛り込んだ。

 一方、労働基準法改正案は、何時間の残業から賃金の割増率を引き上げるかをめぐって両者の隔たりが大きく、成立は困難な見通しだ。

大体、想定していたようなところに落ち着きつつあるようですね。

現に生活費に大きな地域差があり、生活保護額にも大きな地域差がある以上、全国一律最低賃金などというのは筋が悪いことは判っていたわけです。一方で、「労働者が人たるに値する生活を営むための必要を十分に充たす」ってのは、リビング・ウェイジの思想を法律上に明記しようということで、興味深いところですね。

この問題を本格的に追求していくと、生活を維持するための賃金リビング・ウェイジとそうでない家計補助的労働の賃金を同じ最低賃金という枠組みで論じていていいのかという、大変本質的な論点にぶち当たるのですが、まあそこまで論じるつもりはなさそうですが。(下の赤木さんの本に関わる論点ともつながってくるのです。これは)

労働契約法案の方も、審議会で最後の最後まで入れるか入れないかで揉めに揉めて、最終的に答申の直前に落ちた均等待遇原則を復活させるというのは、妥協として一番筋がいいことは間違いありません。

労働時間については、私は個人的に今回は潰すのが一番いいと思っています。割増率などというおまけみたいな話ばかりにかかずりあうのではなく、労働時間法制はそもそもいかにあるべきかという本質論を正面から議論し直して貰いたいと思っています。

赤木智弘氏の新著その2~リベサヨからソーシャルへ

昨日の続きです。

赤木さんは第3章「丸山真男をひっぱたきたいができるまで」で、ご自分の思想遍歴を語っているのですが、これがまさに昨日の話とつながります。

彼は、自分が「いわゆる左派」だったというのですが、その「左派」ってのは何かって言うと、最初に出てくるのが、オウム真理教バッシングに対する批判なんですね。

それが左派かよ!そういうのはプチブル急進主義って言うんだぜ!

と、昔風の左翼オヤジはいうでしょう。

オウムだの幸福の科学だの、そういう大衆をだまくらかすアヘン売人どもに同情している暇があったら、その被害者のことを考えろ!

と、ゴリゴリ左翼はいうでしょう。

でも赤木さんにとっては、そういうリベリベな思想こそが「左派」だったんですね。このボタンの掛け違いが、この本の最後までずっと尾を引いていきます。

彼が、「このような左派的なものに自分の主張をすりあわせてきました」という、その「左派的なもの」というリストがp131にあります。曰く、

>平和を尊び、憲法9条を大切にする。

>人権を守る大使から、イラクの拉致被害者に対する自己責任論を徹底的に否定する。

>政府の有り様を批判し、労働者の立場を尊重する。

>男女はもちろん平等であり、世代や収入差によって差別されてはならない。

ここにはいかにもリベサヨ的なものから、一見ソーシャルなものまで並んでいますが、実は、その一見ソーシャルなものは赤木さんにとって切実なものではなかったことがそのすぐあとのところで暴露されています。

>男性と女性が平等になり、海外での活動を自己責任と揶揄されることもなくなり、世界も平和で、戦争の心配が全くなくなる。

>で、その時に、自分はどうなるのか?

>これまで通りに何も変わらぬ儘、フリーターとして親元で暮らしながら、惨めに死ぬしかないのか?

をいをい、「労働者の立場を尊重する」ってのは、どこか遠くの「労働者」さんという人のことで、自分のことじゃなかったのかよ、低賃金で過酷な労働条件の中で不安定な雇傭を強いられている自分のことじゃなかったのかよ、とんでもないリベサヨの坊ちゃんだね、と、ゴリゴリ左翼の人は言うでしょう。

>ニュースなどから「他人」を記述した記事ばかりを読みあさり、そこに左派的な言論をくっつけて満足する。生活に余裕のある人なら、これでもいいでしょう。しかし、私自身が「お金」の必要を身に沁みて判っていながら、自分自身にお金を回すような言論になっていない。自分の言論によって自分が幸せにならない。このことは、私が私自身の抱える問題から、ずーっと目を逸らしてきたことに等しい。

よくぞ気がついたな、若いの。生粋のプロレタリアがプチブルの真似事をしたってしょうがねえんだよ、俺たち貧乏人にカネをよこせ、まともな仕事をよこせ、と、あんたは言うべきだったんだ、と、オールド左翼オヤジは言うでしょう。

もちろん、半世紀前の左翼オヤジの論理がそのまま現代に通用するわけではありませんが、リベサヨに目眩ましされていた赤木さんにとっては、これは「ソーシャルへの回心」とでも言うべき出来事であったと言えます。

問題は、赤木さんの辞書に「ザ・ソーシャル」という言葉がないこと。そのため、「左派」という概念がずるずると彼の思考の足を引っ張り続けるのです。

彼の主張は、思われている以上にまっとうです。「俺たち貧乏人にカネをよこせ、まともな仕事をよこせ」と言ってるわけですから。そして、戦争になればその可能性が高まるというのも、日中戦争期の日本の労働者たちの経験からしてまさに正しい。それこそ正しい意味での「ソーシャリズム」でしょう。

ところが、「左派」という歪んだ認識枠組みが、自分のまっとうな主張をまっとうな主張であると認識することを妨げてしまっているようで、わざとねじけた主張であるかのような偽悪的な演技をする方向に突き進んでしまいます。

自分が捨てたリベサヨ的なものと自分を救うはずのソーシャルなものをごっちゃにして、富裕層がどんな儲けても構わないから、安定労働者層を引きずり下ろしたいと口走るわけです。安定労働者層を地獄に引きずり下ろしたからといって、ネオリベ博士が赤木君を引き上げてくれるわけではないのですがね。

赤木さんはあとがきで、こう言います。

>ええ、わかっていますよ。自分が無茶なことを言っているのは。

>「カネくれ!」「仕事くれ!」ばっかりでいったい何なのかと。

それは全然無茶ではないのです。

そこがプチブル的リベサヨ「左派」のなごりなんでしょうね。「他人」のことを論じるのは無茶じゃないけど、自分の窮状を語るのは無茶だと無意識のうちに思っている。

逆なのです。

「カネくれ!」「仕事くれ!」こそが、もっともまっとうなソーシャルの原点なのです。

それをもっと正々堂々と主張すべきなのですよ。

無茶なのは、いやもっとはっきり言えば、卑しいのは、自分がもっといい目を見たいというなんら恥じることのない欲望を妙に恥じて、その埋め合わせに、安定労働者層を引きずりおろして自分と同じ様な不幸を味わわせたいなどと口走るところなのです。そういうことを言えば言うほど、「カネくれ!」「仕事くれ!」という正しい主張が伝わらなくなるのです。

2007年10月30日 (火)

赤木智弘氏の新著

41ad8n5htal_ss500_ 双風舎の谷川茂さんから赤木智弘氏の新著『若者を見殺しにする国』をお送りいただきました。有り難うございます。

前にこのブログで、目次だけでコメントした部分について、もう少し詳しく見てみましょう。「第2章 私は主夫になりたい」です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_89ec.html

>格差社会の一つの要因は、強者同士の結婚です。年収500万の男性と年収300万の女性が結婚すれば、年収800万の世帯が生まれます。その一方で、強者男性女性と結婚できない弱者男性は、年収130万程度の世帯を維持するほかありません。これでは、平等を達成することはできません。(p108)

>私は、こうした経済格差のありように対抗するため、男女という性差に社会責任(男は仕事、女は家事)を付与するのではなく、経済の強弱に於いて社会責任を付与(強者は仕事、弱者は家事)することを考えます。(p113)

>この構図を税金でたとえれば、「累進課税の強化」となります。直間比率の是正などと言う論理によって、裕福な人間の税金ばかりが安くなり、経済弱者に重い税負担がのしかかっている。こうしたネオリベラリズムな経済体制を批判する左派ならば、強者に対する思い社会責任の付与については、きっと賛成して貰えるはずです。

>とはいえ、「女性」というフィルターがかかると、なぜか「男性に対する負担増ならまだしも、女性に対する負担増はおかしい」などと、平等の軸がぶれてしまう。

なぜか、

>これまでの「弱者」概念というものが、「女性」「肌の色」「人種」「生まれた場所」などという、人間が自身の力であとから変えようのない「固有性に対する差別」による弱者を示しました。すなわち「平等を求める行為」というのは、そうした固有性によって人を差別しない社会を目指すと言うことです。

>一方で、右肩上がり経済社会における「経済弱者」というのは、あくまでも一時的な格差で発生した弱者だと考えられます。つまり、「努力すればやがて報われるような一時的な弱者」と言うことです。そうした状況は、バブル崩壊後の低い経済成長の社会になってからは変化し、「努力をしても報われない弱者」、すなわちワーキングプアを生み出しました。

>にもかかわらず、「固有性に対する差別」にこだわる左派の多くが、こうした状況をちゃんと把握しておらず、いまだに「努力すれば何とかなる」とか「一緒に労働運動をすれば何とかなる」などと主張しているのを知るにつけ、開いた口がふさがらなくなります。

>つまり、左派の人たちは。「固有性に対する差別」とたたかうことを強調するあまりに、「固有性でない差別」に対する理解が浅くなっています。それと同時に、彼らの主張は「自己責任論に対する親和性」が高いのです。(以上p114~115)

私はこの部分を読んで、赤木さんの社会に対する認識能力の高さを改めて確認しました。現在の様々なアクターに対する理解はかなり的確です。この文章で文句をつけるべきところは、「左派」という概念に対する通り一遍さくらいです。それは、やや耳にいたいかも知れませんが、歴史的知識の乏しさゆえではないかと思われます。

赤木さんにとっては、左派というのはいまの社民党みたいなものなのでしょうね。福島瑞穂さんみたいなのが「左派」の典型なのでしょうね。それは、年齢から考えれば、生きてきた時代状況の中ではまさにそうだったのですから、やむを得ないところがあります。

しかし、それは高度成長期以後のここ30年くらいのことに過ぎません。

それまでの「左派」というのは、「固有性に対する差別」を問題にするのはブルジョア的であり、まさに「努力しても報われない弱者」働いても働いても貧しさから逃れられない労働者たちの権利を強化することこそが重要だと考えるような人々であったのです。リベラルじゃないオールド左翼ってのはそういうものだったのです。赤木さんとおそらくもっとも波長があったであろうその人々は、かつては社会党のメイン勢力でもあったはずなのですが、気がつくと土井チルドレンたちが、赤木さんの言う「「固有性に対する差別」とたたかうことを強調するあまりに、「固有性でない差別」に対する理解が浅くなってい」る人々、私のいうリベサヨさんたちが左派の代表みたいな顔をするようになっていたわけです。この歴史認識がまず重要。

リベじゃないオールド左翼にとっては、「経済の強弱に於いて社会責任を付与」することは当然でした。当時の状況下では、これは、「女房子供の生活費まで含めて会社に賃金を要求する」こととニアリー・イコールでした。終戦直後に作られた電産型賃金体系が一気に日本中に広まったのは、そのためです。

しかし、やがてそういうオールド左翼のおっさんたちが、保守オヤジとして指弾されるようになっていきます。彼らに「固有性に対する差別」に対する感性が乏しく、「左翼は女性差別的」と思われるようになったからです。

ここまでの歴史が、おそらく赤木さんの認識の中には入っていません。その後の、オールド左翼が消えていき、社民党とはリベリベなフェミニズム政党であるとみんなが思うようになるのは、せいぜい80年代末以降です。そして、その後の彼らに対する認識は、赤木さんの言うとおりです。

リベサヨとネオリベが紙一重であるということは、実はこのブログでも何回も繰り返して述べてきたことです。そこを「左派」という言葉で括ってしまうと、せっかくの赤木さんの的確な認識が全然生きなくなります。むしろトンデモな言葉に聞こえてしまうのです。

この部分以外にもコメントすべきところは多いのですが、とりあえず今日のところはこの程度にしておきましょう。

なお、いくつか参考となるかも知れない文章をリンクしてきます。まず、「時の法令」という雑誌に載せた「差別と格差の大きな差

http://homepage3.nifty.com/hamachan/sabetutokakusa.html

あと、お時間があれば、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_a90b.html(リベじゃないサヨクの戦後思想観)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_5af3.html(リベラルサヨクは福祉国家がお嫌い)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_a88b.html(超リベサヨなブッシュ大統領)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_0a5d.html(雇用平等はソーシャルか?)

最後に、このブログで赤木さんを最初に評論したエントリーです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_3f06.html(フリーターが丸山真男をひっぱたきたいのは合理的である)

(追記)

私の単純な書き写しミスで、男と男が結婚するかしないかというわけわかめな話になってしまいまして申し訳ありません。「強者女性と結婚できない弱者男性」です、もちろん。

2007年10月29日 (月)

最低賃金引き上げは悪くない

松尾匡さんが「最低賃金引き上げは悪くない 」と論じています。

http://www.std.mii.kurume-u.ac.jp/~tadasu/essay_71029.html

第一の論点は「正社員の雇用が増える」ということですが、松尾さんにとってはこちらは大したことのない論点のようです。

第二の、おそらく松尾さんにとって重要なポイントは、

>でも、正社員の雇用が増えて人手が不足してきたら、正社員の賃金も上がり、結局賃金格差は復活するだろうという反論があるかもしれない。
 この効果はあるだろう。すなわち、貨幣賃金率が全般的に上昇するのである。実は、今日本当に論じたいのは、このことのマクロ経済学的な効果である。

>貨幣賃金率を引き上げることができたならば、物価も上昇するのである。

最賃を上げてリフレしようという主張のようです。

これは、以前ロナルド・ドーア先生が主張していた議論とよく似ていますね。

2001年12月号の『中央公論』に、ドーア先生は「私の「所得政策復活論」―デフレ・スパイラル脱出の処方箋」という論文を寄せ、「財界が音頭をとって賃金“引き上げ”を断行せよ」と主張したことがあります。

正直言って、『近代の復権』のあの教条的市場原理主義的マルクス主義者の松尾さんと労働組合シンパで日本型システムに好意的な資本主義の多様性論者のドーア先生とが頭の中でぴたりと嵌らないのですが、結果的に同じことを主張されていることには違いないのですよね。

(『近代の復権』からすれば、正社員などというのは複雑労働力商品生産の疎外の産物に過ぎないわけでしょうから、それが増えるのがいいという評価にはならないような気がします。)

人権擁護法案再提出?

産経が、「人権擁護法案提出の動き再燃 法相が強い意欲」という記事で、大変批判的な観点から同法案再提出の動きを報じています。

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/071028/stt0710281848003-n1.htm

>過去に自民党内の反対を受けて頓挫した人権擁護法案を、来年の通常国会に提出しようとする動きが政府・与党内で再燃している。鳩山邦夫法相が国会答弁で再提出への強い意欲を表明したためだ。しかし、2年前には人権侵害の定義があいまいなどの理由で自民党内の保守勢力が反発し、党を二分する騒動に発展した経緯があるだけに、すんなりと再提出できるかどうかは微妙だ。

 鳩山法相は24日の衆院法務委員会で「さまざまな問題点をクリアできる方法を考え、人権擁護法案は国会に再提出したいと考えている。日本に人権擁護法案がないというのは実に情けないことではないか」と答弁した。

 鳩山氏は19日の同委員会では「国会への再提出を目指すべきだが、与党内にもさまざまな議論があることから、真摯(しんし)に検討を進める」と述べるにとどまっていただけに、一歩踏み込んだ格好だ。

 鳩山氏は周辺に「自民党が人権擁護法案を通せば、選挙にも有利だ」と漏らしているという。これに連動するかのように「自民党内の人権擁護法推進派が水面下で再提出へと動き出している」と同党関係者は指摘する。

 鳩山氏が描く具体的な議論再開の時期や法案の修正内容は不透明だが、鳩山氏の「意欲」に対し自民党内では「新たな人権侵害を生む可能性をはらんだ法案には賛成できない」(中堅)と早くも警戒感が広がっている。

政府は平成14年3月、出生や国籍などを理由にした差別や人権侵害の防止と救済を目的に人権擁護法案を国会に提出した。だが、メディア規制も対象にしていることから自民党の保守派勢力などから反発が沸騰したため、15年10月の衆院解散に伴って廃案となった。

 17年には、自民党の現選挙対策委員長を座長とする与党の「人権問題等に関する懇話会」が中心となって修正案を提示したが、法務省の外局に新設する人権擁護委員会に令状なしの強大な調査権を与えることへの批判は収まらず、提出を断念している。

 与党懇は昨年8月にも、あいまいとなってい人権侵害の定義に「違法性」を加える修正を検討した。しかし、9月に法案反対派の安倍晋三前首相が政権トップの座に就くと、党内には前首相の思いを忖度(そんたく)する空気が強まり、法案を議論する党人権問題等調査会の会長ポスト自体が空席となった。調査会は現在も活動を停止している。

 ところが、福田政権が発足してから事態は急展開。党役員には推進派の古賀氏と二階俊博総務会長が名を連ね、逆に反対派の中川昭一氏が政調会長を退任した。反対派の議員連盟「真の人権擁護を考える会」を結成した平沼赳夫元経済産業相は郵政民営化反対で党を離れたままとなっている。

 もっとも、自民党内には、「法案再提出の動きが、退潮著しい保守勢力の結集のきっかけになりうる」(若手)との見方もあるだけに、展開次第では再び自民党内が混乱に陥る可能性もある。

混乱に陥って欲しいという産経新聞の願望が窺えますが、それはともかく、拙著『労働法政策』でも述べたように、私はこの法案は「これまでほとんど性別に基づく差別や嫌がらせに限られていた労働分野の人権法政策が、一気に人種、民族、信条、性別、社会的身分、門地、傷害、疾病または性的志向といった領域にまで拡大することとなり、労働人権法制と称すべき広範な分野が姿を現すことになるという点」で、是非とも実現に漕ぎ着けて貰いたいと思います。

その点で、産経の記事も意識的にか無意識的にかは判りませんが、この法案の適用対象を歪曲しているところがあるのが気になります。

この法案は、

http://www.moj.go.jp/HOUAN/JINKENYOUGO/refer02.html

を見れば判るように、「人種、民族、信条、性別、社会的身分、門地、障害、疾病又は性的指向」が対象で、どこを見ても「国籍」などという文字は出てこないのですが、なぜか「出生や国籍などを理由にした差別や人権侵害」などと言われて、排外主義的感情のおもちゃにされてしまっているのですね。

いうまでもなく、国籍に基づく異なる取扱いはどの先進国であっても行われていることですし、EUでもEU域内国民は差別してはいけませんが、EU域外の第三国民は原則として差別してもいいのです。主権国家体制である以上、それは当然というか、やるなら相互主義でやるしかない領域ですね。

問題は日本国民の間に、上記のような理由による差別をいつまでも残していっていいのかという問題のはずなのですが、この辺がいわゆるネットウヨ諸氏のよく判らないところです。

私は『季刊労働法』218号で「外国人労働者の法政策」について論じた際に、日弁連が先の雇用対策法改正で導入された外国人雇用状況報告制度を人種差別だ民族差別だと言って批判していることについて

>国籍と人種・民族をごっちゃにするなど論理的に齟齬があるのは言うまでもありませんが、それだけでなく現行日本法制が人種・民族差別を包括的に禁止する規定を有していないことがその原因となっているように思われます。

と述べました。外国人政策を適切に議論するためにも、それを人種・民族差別とは切り離して議論できるようにしておく必要があると思います。

君たちに明日はない

51eljayqhl_ss500_ 軽い小説ですが、ちょいと塩味が聞いていてなかなか。

まあ、まったく労働法に関係がないわけではないので、雑件扱いですがご紹介しておきます。

垣根涼介

君たちに明日はない

新潮文庫

http://www.shinchosha.co.jp/book/132971/

>リストラ請負人、村上真介は今日も行く。彼を待ち受けるのは、部下に手をつけるセクハラ上司、管理能力ゼロのオタク主任、お上に楯突くキマジメ社員……。山本周五郎賞受賞作。

>「私はもう用済みってことですか!?」リストラ請負会社に勤める村上真介の仕事はクビ切り面接官。どんなに恨まれ、なじられ、泣かれても、なぜかこの仕事にはやりがいを感じている。建材メーカーの課長代理、陽子の面接を担当した真介は、気の強い八つ年上の彼女に好意をおぼえるのだが……。恋に仕事に奮闘するすべての社会人に捧げる、勇気沸きたつ人間ドラマ。山本周五郎賞受賞作。

「労働基準法により解雇が禁じられている」とかのいささかな記述もあって、をいをいですが、まあ読んで面白い小説であることは間違いありません。筑波大卒という真介の設定は著者の自画像?

権丈先生 年金租税論を轟沈

勿凝学問シリーズ、111巻と112巻が一気に配達されました。

http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/korunakare111.pdf

http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/korunakare112.pdf

まず前者は「もはやコミカルな年金租税方式論者たち」と題して、先日(10月25日)の経済財政諮問会議でのやりとりを取り上げています。

>基礎年金を消費税で賄うべしという論を、再分配政策の政治経済学からみると、(良かれ悪しかれ)その本質は、企業による社会保険料負担を消費者による消費税に移転する政策ということになってしまう。この点、10月25日の経済財政諮問会議の中でおもしろいやりとり・・・否、コミカルなやりとりがあったようなので、今日は、それを紹介。

意気込み勇んで、有識者(?)議員とかいう人たちが「持続可能な基礎年金制度の構築に向けて」なる報告で、基礎年金財源を100%租税にする案を提出したらしい。

彼らの報告の中の「企業が負担してきた分(約3.7兆円(平成19年度内閣府試算値))」が目に留まった閣僚からは、「企業負担がなくなって、国民の負担というのは、議論は、耐えられないのではないか」とのなかなか本質を突いた発言があったとのこと。当たり前のことで、今のご時世、企業負担を減らして(巷間言われる)庶民増税で賄おうという魂胆丸見えの政策を掲げたら、票をいくら失うか分かったものじゃない。

ここで、有識者であるらしい財界側の諮問会議議員の答弁が、笑える(記者会見発言要旨より)。

税方式というのは安心できる年金への一つの選択肢であって、企業の負担の軽減ということは、全く思いもしていないと。これが目的ではないと。具体的な制度の議論がないまま、企業負担がなくなるから、軽減されるから、企業が税方式を主張するという議論が多くて戸惑っていると。

あっ、そう。「企業の負担の軽減ということは、全く思いもしていない」わけか。お志ご立派なことです(笑)。さらにはこの前まで「税方式でやった方がいい」とおっしゃっていた財界代表たちは「わたしたちは、租税方式を支持しているわけではない」とかのたまわられたらしく、租税方式論者たる経済学者の有識者議員の梯子はいずこ?――いやはや、もはやコミカル。

最初から権丈節が炸裂していますな。

これに続いて、「租税を基礎年金の財源にすれば未納未加入問題が解決するという彼らの錦の御旗も危ない」という話ですが、これが展開されているのが112巻「年金財政シミュレーションという研究について 朱に交わっても赤くなるなよ」の方です。

>世にはかわいそうなことがしばしば起こるようで、数年前に、当方の大学院講義に出席していた、今や立派な社会人となった昔の学生が、ある学会に報告希望を出す際に、まぁ、取りあえずと、第2志望のコメンテイターにわたくしの名前を書いていたらしい。そうすると、あろうことか第1志望の先生が他の人のコメントをすることになったらしく、彼のコメンテイターには第2志望の人物が決まってしまった。彼の報告テーマは「年金財政シミュレーション・・・」。彼はひょっとすると厄年かもしれない――。

学会報告でのそのセッションでは、第1報告も、第2報告も・・・公的年金を民営化したり保険方式から租税方式に変更したりする年金財政シミュレーションの研究であり、コメンテイターやフロアーからの質問者も、シミュレーションの技術的な話で盛り上がっていた。そんな中、わたくしの出番となり、かつての当方の講義の学生に次の質問をした。

質問

•制度移行問題について、同じような研究をしている人たちの間でどのような議論をしているのか?

•他の制度、たとえば、年金受給年齢以前の生活保護制度との整合性について、同じような研究をしている人たちの間でどのような議論をしているのか?

•制度移行後の年金受給要件について、同じような研究をしている人たちの間でどのような議論をしているのか?

会場は、シーンとする。最後に、司会者が「なにか質問、ご意見はありませんか」と問うても、水を打ったような静けさ――そして終了。

これまでこの国でなされた年金財政シミュレーションでは、たとえば、現行制度から財源を消費税にするばあいには、いますぐ全員に基礎年金の満額が給付されることが仮定されてきた。そのとき彼らは、「租税方式の下では、未納未加入問題が解消され、結果、無年金低年金問題も解消されるメリットがある」と言いつづけてきた。不思議なことに、未納未加入問題があり、ゆえに無年金低年金問題があるために、租税方式に切り替えることが難しくなるという側面を、彼らは考えたことがないようなのである

この「シーン」「水を打ったような静けさ」が、この世のどこにもない空理空論を操ることばかりにかまけ、時間と空間の中に実在する現実社会の制度をまともに考えることを怠ってきたスコラ的お学者センセどもの姿を見事に晒していますね。

社会保障について真実であることは労働についても真実なのが悲しいところです。

>学会終了後、報告者と、あとひとりの若い研究者とともに喫茶店に行く。 「生きていくのにいろいろと大変だろうけど、朱に交わっても赤くなるなよ」――と、本当のコメントをして、本日の仕事を終了。

でも、権丈先生の弟子としてこういうコメントをして貰えるだけ、この方は幸せだと思いますよ。

2007年10月28日 (日)

僕も非正規社員スタート

読売の記事ですが、

http://job.yomiuri.co.jp/interview/jo_in_07101901.cfm

Jo_in_07101901 >龍井 葉二(たつい・ようじ)さん

連合の非正規労働センター総合局長に就任
>「非正規社員というだけで低い労働条件に置かれる労働者がいるのに、黙って見ていていいのか。とりあえず一緒に声をあげていこう。それがセンターの役目です」

 連合は先ごろ開いた大会で、非正規社員の労働条件向上を第一に取り組むことを決めた。結成20年目を前にした大転換で、その象徴と目される部署の初代責任者に座った。

 企業の業績こそ好転したものの、年収200万円以下の人が増え続けている。国税庁の調査では昨年、とうとう1000万人を超えた。パート、派遣労働者が急増したためとみられる。今や3人に1人が非正規社員の時代になった。

 ところが、連合傘下の労働組合はこれまで、同じ職場に非正規社員がいても「知らん顔」だった。正社員の権利確保を優先してきたからだ。

 そんな連合が、どこまで本気で突き進めるのか。

 「大言壮語はせず、身近の非正規社員と手をつなぐことから始めたい。そこで足元を固めたら、パソコンや携帯のネットを活用して連帯の輪を広げていきたいですね」

 団塊最後の世代で、学生運動が過ぎて最初に入った大学は中退。別の大学へ入り直し、大学院に進む予定が単位不足で留年した。組合ニュースを各加盟労組に配信する旧総評の“子会社”に職を得たのは30歳手前になってから。

 「僕も非正規社員から社会人をスタートさせた。奇縁でしょ」。ふっと笑った。

私より年長の組合の人って、わりと人生いろいろという感じの人が多い気がします。いい意味で人間の幅があるって言うか。時代の激動の中を生きてきましたという感じで。

正社員と非正社員の関係性をめぐり、重要なターニングポイント

このブログでも何回か紹介してきているJILPTのコラム、ときどきいいエッセイが載ります。今回は渡辺木綿子さんの「最近のヒアリングで感じること」という小文ですが、

http://www.jil.go.jp/column/bn/colum087.htm

>この間、パート労働者をはじめとする非正社員の、待遇改善に係る企業・労組ヒアリングを多数手がけたが(注2)、調査当初は、企業側のアレルギー反応だけでなく、正社員vs非正社員の利害対立もあり、協力を請うのも一苦労であったことを思い出す。

しかし最近になって、正社員と非正社員の均衡待遇や、非正社員から正社員への登用・転換に、自主的に取り組む動きが急速に拡がってきた(注3)。改正論議が始まった頃を思い起こせば、隔世の感がある。

と感慨深げに語っています。

彼女が挙げるのは、例えばある企業の人事担当執行役員

>「率直に言って、正社員を減らしすぎたという反省がある」――。その弁は、ここ数年進めてきた効率化に、行き過ぎがあったのではないかという思いをストレートに表現したものだった。

また、フリーターを活用したローコスト経営で有名な、あるメーカー

>「フリーターのままでは結婚すらできないという、悩みを聞き続けてきた。弊社の急成長を支えてくれたそんなフリーターに、いま報いたいという思いだ」――。

さらに、

>一方、労組の側の意識にも、この数年で着実に変化の兆しがみえる。職場の8割を占める非正社員を徐々に組織化し、正社員と合わせ7万人を超える大所帯に成長した、ある労組にインタビューした時のことだ。

>「利益成長を求めつつも、ある程度は一定の原資の中で、それぞれ(正社員、非正社員)がいかに仕事や働き方に比べ、納得して共生できるかを考える必要がある」――。

彼女の云うように、「いま、正社員と非正社員の関係性をめぐり、重要なターニングポイントに差し掛かっている」のは確かでしょう。

ただ、それが「改正パートタイム労働法を追い風にして」なのかについては、わたしはいささか懐疑的です。パートという言葉で非正規労働者がくくられている間は見えてこなかったものが、見えるようになってきたということが重要だったように思われます。

職工事情の紹介

私は労働法政策の授業では最初に『職工事情』全3冊を持って行って、こういう状況の中から労働政策というのは生み出されてきたのだよ、と説明するんですが、まあ、じゃあ全部読んでみようかという人はそういません。ていうか、そんな悠長なことしてる暇ありませんよね。

たまたま、うえしんさんの「考えるための書評集」というブログで、最近この本が取り上げられていたので、ちょうど手頃な長さの解説でもあり、リンクを張っておきます。

http://ueshin.blog60.fc2.com/blog-entry-866.html

http://ueshin.blog60.fc2.com/blog-entry-868.html

http://ueshin.blog60.fc2.com/blog-entry-873.html

2007年10月26日 (金)

御手洗会長の講演

日本経団連HPに、10月23日に行われた御手洗会長の講演が載っています。

http://www.keidanren.or.jp/japanese/speech/20071023.html

「「希望の国、日本」の実現に向けて」というタイトルですが、はじめに「成長力の強化」、「地域経済の活力向上」について語ったあとは、もっぱら労働・社会問題が中心です。

3つめの「働き方の改革」では、ワーク・ライフ・バランスと就職氷河期の若者を取り上げています。

まずワ・ラ・バラですが、

>ワーク・ライフ・バランスの実現のためには、労働時間規制の強化などによって進めるべきとの声もありますが、あくまで労使の自主的な取り組みを基本として、政府がそうした取り組みを支援するという形を作ることが必要であると考えております。ワーク・ライフ・バランスが広く実践されるためには、国民の働き方に対する意識改革が必要になります。

>こうした点などを踏まえますと、やはり鍵となるのは経営トップの役割ではないかと思います。経営者が強い変革意欲を持ちながら、企業文化の改革に努めていく必要があります。経営トップがメリハリのある働き方の実現を目指し、長時間会社にいたかどうかなどの「仕事の過程」を評価するのでなく、「仕事の成果」に対する評価を徹底していくことにより、無駄な残業を減らし、上司や同僚が職場に残っていると帰りにくいといった企業風土の払拭につなげていく必要があると思います。

この点は、私はその通りだろうと思っています。正確に言えば、健康に関わるような長時間労働は労働時間規制の強化で対応すべきですが、ワ・ラ・バラはある意味で個人の選択の問題であり、しかしマクロ社会的に一定の方向に誘導すべき問題でもあるわけですから、まさに経営トップの責任が重大になるわけです。

次に就職氷河期の若者ですが、まず

>二つ目のポイントは就職氷河期の若年者の雇用問題、とりわけ職業能力の向上をいかに図っていくかということであります。

という問題認識が適切です。

>90年代後半からはじまった、いわゆる就職氷河期において、思うように就職ができなかった若年者は、年長フリーターなどといわれておりますが、そういった層が約90万人おります。この人たちが固定化することはわが国の経済成長にとって阻害要因となると危惧しております。

「俺たちは経済成長の阻害要因かよなどとふてくされるのではなく、だからこそ経済界が積極的に取り組む必要があるのだという意思表示ととるべきでしょう。

では具体的には何をしろというのかというと、

>具体的には、政府は成長力底上げ戦略の一環として、「ジョブカード構想」を提唱し、職業能力の開発の機会に恵まれなかった層を対象に、「座学と企業でのOJTを組み合わせた実践的な職業訓練」を2008年度からスタートさせるべく、現在、詳細な制度設計に着手しております。
しかしながら、こうした取り組みも、企業がOJTの機会を提供していかなければ、実現することはできません。もちろん、企業の置かれた状況はさまざまでありまして、一律に割り当てというわけにはまいりませんが、ジョブカード構想を、東北地方を含めて全国的に普及させていくためにも、今日お集まりの企業におかれましては、ぜひ積極的なOJT機会の提供をお願い申し上げたいと思っております。

と、ジョブカード構想への協力が最初に来るわけですが、労務屋さんみたいに

>具体論が「ジョブ・カード」だけというのはいささかみすぼらしい(失礼)感じはありますが…。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20071023

とまで言う気はありませんが、ちょっとそれだけではね・・・。

いやもちろんそれだけではありません。

>また、雇用の多様化が進み、皆様の会社では、長期雇用の社員だけでなく、さまざまな従業員を雇用していることと思います。意欲と能力がありながらも、不本意な形でパートやアルバイトといった働き方をしている若年者がいるのであれば、そうした人材を長期雇用へ転換していく仕組みを整備していくことも、選択肢の一つとして検討していただきたいと考えております。

ともちゃんと語っています。下にも書いたように、ここは一種のポジティブアクションが必要なところだろうと私は思っています。

次の社会保障制度のところもいろいろ語っていますが、例の基礎年金全額税方式についてはいささか引いた姿勢になっています。

>また、基礎年金が本当の基礎としてセーフティネットをなすものであるならば、全額を税でまかなうということも考えられるわけです。こうした観点から9月に「税方式も含めて選択肢を広く議論すべきである」という問題提起をさせていただき、新聞等に大きく報道されることになりました。しかし、税方式への移行には企業負担のあり方をどうするか、既に支払った保険料をどうするのか、生活保護との関係をどう理解するのか、といったさまざまな問題がありますので、日本経団連の社会保障委員会で専門的に研究しているところであります。

研究中ということです。

最後の少子化のところでも、経営トップの責任を強調しています。

>しかしながら、職場の雰囲気などに気兼ねするなど、制度を利用しづらいという従業員の声はまだまだ多いのが現状です。こうした状況を改めていくには、各企業において、男性を含めて働き方を根本的に見直し、効率的に仕事を進めていくことが必要となります。
そのためには、経営トップがリーダーシップを発揮して、職場の雰囲気を変える旗振り役となるとともに、各職場において、管理職と従業員が日頃からコミュニケーションを積み重ねることが重要であります。働き方の見直しが進めば、30代・40代の子育て世代の男性従業員に多い長時間労働が是正され、夫婦で無理なく家事や育児を分担できるようになり、女性が社会参画しやすくなるものと期待されます。

本気で「経営トップがリーダーシップを発揮」するかどうか、御手洗会長の手腕が問われるところです。

藤川恵子氏の年齢差別論

リクルートワークス研究所の藤川恵子さんが、同研究所のHPに「募集・採用における年齢制限禁止についての一考察―改正雇用対策法施行を目前に控えて 」という文章を書いています。

http://www.works-i.com/special/employment_laws/report_1.html

今回の雇用対策法改正による年齢制限の禁止について、まずこういう懸念を呈します。

>1つは、例外事由において若年者に限った募集・採用が比較的容易に認められる点だ。中高年の再就職を促進することが、募集・採用における年齢制限禁止の目的である。例外事由が拡大解釈されて運用されると、中高年が再就職の際にぶつかる年齢制限という障壁は低くならないのではないか。

>若年者の失業やニート・フリーター化が社会問題化している現状を考えると、職務経験のない若年層の雇用促進が重要な政策課題である点ではコンセンサスがとれている。しかし、雇用対策法における年齢制限禁止の目的が中高年の再就職促進である以上、目的に矛盾するような例外事由は最小限に留めるべきではないか。若年者の雇用促進は別の施策として行う方が、整合性を保つ上でも、本来の目的を完遂するという点でも、望ましいと思われる。

ここは藤川さんの年齢差別論が主として中高年を焦点に当てて考えていることが、昨年から今年にかけての年長フリーター問題を中心とする議論の展開との間でずれを生じているように見えます。

「雇用対策法における年齢制限禁止の目的が中高年の再就職促進である以上」というのは、2001年の雇用対策法改正時の問題意識であったのは確かですが、今回の改正はかならずしもそうではなかったのですね。その辺、立法経過をもう少しきちんとフォローされた方がいいように思われます。

藤川さんは最後のところで、

>今回の改正の目的は中高年の雇用促進であり、募集・採用における年齢制限禁止は、これまで「35歳位まで」といった求人票や求人広告により再就職活動を妨げられてきたミドルエイジ層を支援すべきである。本来の目的に即して、ミドルエイジを優遇する募集や採用については、認める方向で議論してもよいのではないか。でなければ、今回の改正がもたらす利益が限定的なものになってしまうと危惧せざるをえない。

とも言っているんですが、それこそ赤木君たちからすれば、若者対策は別にしろとか、ミドルエイジを優遇しろとかいうのは、「ひっぱたきたい」議論になってしまうのではないかと・・・。

私はむしろ逆で、たまたま就職の時期に氷河期にぶち当たってしまった年長フリーター層に対してはポジティブ・アクションが大いに認められて良いのではないかと考えています。

それに対してミドルエイジの問題は、単なる入口の年齢差別の問題ではなく、年功的処遇システムをどう考えるのかという問題です。若者から見れば、自分たちより3倍も4倍も価値の高い労働をしているとは思いがたい中高年者がなんで3倍も4倍も高い給料を貰って居るんだというのも「年齢差別」の一環であるわけで、入口だけではなくシステムとして議論する必要があるでしょう。

(ホワイトカラーエグゼンプションにも実は同様の問題が伏在しています。年功制で上がっていって時給4000円になった奴が時間外したから5000円払えっていうかよ、俺は時給1000円だぜ、ってのはしかし出ませんでしたがね)

入口の年齢差別ばっかりに気をとられると、

>アメリカの制度を真似せよとはいわないが、10月1日の改正法施行以降も、企業が履歴書や応募書類上に年齢や生年月日の記載を求めるなら、年齢制限を禁止する実際的な意義は小さくなる。募集において年齢制限をしなくても、提出された応募書類上の年齢をもとに、求人側があらかじめ設定した「(未公表の)望ましい年齢層」に該当する応募者だけを抽出することは可能だからだ。

>求人側による黙示的な年齢制限が可能となれば、年齢制限禁止の義務化は求職者にとってマイナスとなりかねない。この点について政府は、改正法が施行される前に、明確なガイドラインを示すべきである。

「真似せよ」といってるような・・・。

いや、もちろん、「年齢差別禁止の立法化は世界的トレンド」です。私も繰り返しあちこちで紹介してきているように、

>1960年代に年齢差別禁止法を制定したアメリカは先駆者といえるが、少子高齢化を背景に募集・採用段階を含む雇用における年齢差別禁止を立法化する動きが世界的に広がっている。EUは2000年に雇用平等に関する指令(2000/78/EG)を採択し、同指令のなかで年齢を理由とする雇用差別を禁止する。同指令をうけて、これまでにフランス、ドイツ、イギリスを含む加盟国が雇用における年齢差別禁止法を制定している2
日本における今回の年齢制限禁止の義務化も、少なからず世界的な流れを受けたものだと考えられる。もっとも、日本と欧米では、雇用慣行、労働市場の需給構造、労働者の意識などが異なるので、年齢差別禁止政策を導入するうえで、相違点を考慮する必要がある。

どの「相違点」に着目して、そういう政策をとるべきかという判断のところなのですね。

実は、来月某日、某所でこの問題について報告を致します。内容はその後ここにアップします。

2007年10月25日 (木)

EUブルーカード指令案

一昨日の10月23日、欧州委員会は移民に関する二つの指令案を提案しました。その一つが高資格移民の受入れに関する指令案、通称ブルーカード指令案です。

http://europa.eu/rapid/pressReleasesAction.do?reference=MEMO/07/423&format=HTML&aged=0&language=EN&guiLanguage=en

EUの移民政策というと、周辺国からの低技能者の流入をいかに阻止するかというのが中心的な課題であったわけですが、一方で高い技能を有する移民をいかに惹き付けるかという課題も重要なものになってきました。

対象となるのは最低賃金の3倍の報酬を雇用契約で明記した第三国民です。彼らについてはファストトラックの手続がとられ、特別の居住・労働許可が出されるということです。当初は2年間1カ国における許可ですが、その後同等以上の賃金の就労先を見つけたらそっちに移って良いとされています。

保守系も社会民主系も概ねこの提案を歓迎しているようです。低技能はいらんけど高技能は欲しいというのは、まあ究極の先進国エゴとも言えますがね。

http://www.euractiv.com/en/migration+mobility/blue-card-proposal-unanimously-welcomed/article-167869

こちらは欧州労連の反応ですが、

http://www.etuc.org/a/4157

>the ETUC has doubts about splitting off ‘those we want’ and ‘those we do not want’, which can in practice be difficult to define.

「あの子が欲しい」「あの子じゃ判らん」「この子が欲しい」「この子じゃ判らん」

まあ、だから最低賃金の3倍というところで線を引こうというわけなんでしょう。

EU労働法グリーンペーパー協議結果

24日、欧州委員会は昨年行われた労働法の現代化グリーンペーパーによる一般協議結果をまとめたコミュニケーションを発表しました。

http://ec.europa.eu/employment_social/news/2007/oct/labour_law_en.pdf

つい先日の北の大地の講演会でも労使立法システムの変容にかかる最近の動きとしてご紹介した労働法グリーンペーパーですが、本文書の4頁でもこういう記述があります。

>労使団体、とりわけ労働組合にとっては、協議は条約138条に基づくEU労使団体への公式協議の形式をとるべきであった。彼らはグリーンペーパーという手段による労働法に関する公開協議の行為を、労使対話及び彼らの使用者と労働者を代表する枢軸的役割を引きずり下ろすものだと受け取った。欧州議会及び欧州経済社会評議会も欧州委員会の一般協議というやり方に留保を表明した。しかしながら、加盟国及び社会的NGOの大多数は協議過程の公開性を積極的に歓迎した。

これは、労使立法システムが加盟国から立法権限を奪うとともに、労使団体以外の市民社会団体を依然として無力な存在に置くものであることからすれば当然の反応とも言えますが、しかし、労働法がいかにあるべきかという議論において、最大のステークホルダーであるべき労使団体がその他大勢と同じ扱いでいいのかというのは大変疑問のあるところでしょう。

中味にはいると、労働組合と社会的NGOとは似たような反応を示しています。ただ、社会的NGOの主たる関心は、公正で十分な所得を保証するための労働法制、とりわけ最低賃金ということになります。貧困対策としての社会保護と並ぶ最低賃金という問題関心ですね。

労働組合や労働法学者は、個別雇用関係のみに着目して集団的側面がおろそかにされていると批判しています。これは、まさに最近の日本における議論の風潮とも共通するもので、水町勇一郎先生ではないですが『集団の再生』が必要なところですね。この辺は、日本のコンテクストでも重要なところです。

雇用労働と自営業の間をめぐる問題については、EUレベルで「労働者」の定義を設けることには賛否両論のようです。ただ、ILO198号勧告(雇用関係)をベースにすることは賛成が多いようです。両者の中間に「経済的従属労働者」という第3のカテゴリーを設けるという方向は、多くの加盟国や労使団体が反対しています。この道は難しそうですね。

派遣・請負などの三者間雇用関係については、派遣指令案を早く採択しろという意見が多いのは当然として、請負については意見は分かれているようですね。欧州議会といくつかの加盟国は、下請やアウトソーシングにおける悪用を防ぐために注文企業の共同責任を規制すべきだと主張するのに対し、他の加盟国は反対のようです。欧州労連はユーザー企業の「連鎖責任」を主張するのに対し、使用者側は反対です。ここも、日本におけるコンテクストとも絡んでたいへん興味深いところです。

今後の日程ですが、今年末の欧州理事会でフレクシキュリティの共通原則が採択され、来年さらに議論を進めるといっています。最後に5つの分野が挙げられていますが、ヤミ就労、生涯訓練、労働法と社会保護、雇用関係の性質、そして下請連鎖に関わる当事者の権利と義務の明確化というのが今後の課題だということのようです。

集団カルト経済学

はてぶでこのブログの評判を見ていたら、右欄にAdd by google。 そこに「格差社会で日本は勝つ」とかいう本が出てくるのでクリックしてみたら、こんなサイトに飛ばされました。

http://www.irhpress.co.jp/detail/html/P0165.html

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P0165 格差社会で日本は勝つ
「社会主義の呪縛」を解く 

  鈴木真実哉
2007-03-30発行
ISBN9784-87688-571-8
定価 1,575円(税込)

「格差社会」は悪ではない。むしろ、今後、日本が繁栄していくためには「努力が報われる社会」としての格差社会を肯定すべきだ―。
「金持ち=ズル」「大企業=悪」「地価上昇=バブル」という社会主義の呪縛から、日本人を解き放ち、真の経済大国へと導く注目の書。

まえがき 1

第一章 格差社会は本当に悪なのか 13
 ───今こそ「社会主義の呪縛」を解け!

・ 戦後、日本は社会主義だった
・ マルクスの思想は経済学じゃなかった!?
・ 「不労所得は悪」という人は「分け前を俺にもよこせ」と言っているだけ
・ 「大企業は悪」と言ってもあなたの会社は大きくならない
・ ビル・ゲイツを否定する者はビル・ゲイツになれない
・ 今こそ学ぶべき精神1~本多静六
・ 今こそ学ぶべき精神2~二宮尊徳
・ 今こそ学ぶべき精神3~上杉鷹山
・ 「勝ち組」が自分の成功を堂々と語れない理由
・ 働かざる者の富が文化を創る
・ 社会主義は「俺の買えないものをおまえが買うのは許さん」という思想
・ 「他人のせい」にする考え方にイノベーションを

第二章 貧困の克服は国家の役割なのか 53
 ───企業家こそが世界を救う

・ 元々哲学の一部だった経済学
・ 「利益を求める」のではなく「幸福を求める」のが経済学の前提
・ 「労働価値説」は、本来「金銀価値説」への打ち返しとして生まれた
・ 「結果主義の経済学」から「動機とプロセスの経済学」へ
・ マルクス最大のミスは企業者能力を見落としたこと
・ 欲求は無限なのに資源は有限。だから経済学は生まれた
・ 世の中に正義を実現することも経済学の目的
・ 貧困の克服は国家でなくてもできる
・ お金持ちの騎士道精神が弱者を救う
・ 騎士道精神は格差社会から生まれる
・ 格差社会を乗り切るための「少欲知足」と「自助努力の精神」

第三章 いつまでデフレ問題で騒ぐのか 93
 ───間違いだらけの経済学
・ 「預金量日本一」を誇った銀行は「借金日本一」と言っていただけ
・ 日本の銀行の資金運用能力は江戸時代レベルだった?
・ 銀行の担保主義は江戸時代の高利貸しもビックリの裏技
・ 冷戦終結で人類史上初めて地球は一つの市場になった
・ デフレは津波。高台に登るしかない
・ 日本の金利は低すぎて、もはやナノテクノロジー
・ 黒船襲来で日本の銀行は甦る
・ デフレではヒット商品の賞味期限が短くなる
・ プリウスは発売の三〇年前から開発に着手していた
・ デフレは不況どころか、むしろ経済の大発展をもたらす
・ グレート・デプレッションがもたらした今日の「組織社会」
・ 今起きている変化が次の一〇〇年の人類の生活様式となる

第四章 経済学は本当に役に立っているのか 135
 ───教科書では教えない経済史

・ 人類はどうやって世界を知ったのか
・ 経済発展をもたらした世界三大事件
・ 産業革命の真の意義は「技術革新」ではなく「知識革命」だった
・ 教育の差が格差を生んでいる原因
・ 五〇年間先進国のメンバーは不変。一度ついた教育の差は取り戻せない
・ 経済学は人々を豊かにしてきたか
・ アダム・スミス~自由と分業の理論は神の御心にかなっていた
・ リカード~保護貿易では豊かになれないことを証明した
・ 限界革命~「価値は日々変化する」と言って経済学に革命を起こした
・ マーシャル理論~今や空気のように当たり前になった
・ ケインズ~深刻な失業問題を解決して二〇世紀経済学の主流となった
・ ハイエク~自由と自助努力の精神こそ不況克服のカギ
・ シュンペーター~企業家の輩出こそ豊かさをもたらす
・ 貧乏人の考えた経済学は使えないが、金持ちの考えた経済学はやっぱり効く?

第五章 日本は世界一の経済大国になれるのか 187
 ───すべては「教育」から始まる

・ 企業家を生み出すことこそ教育の目的
・ 自由放任でも教育がしっかりしていれば秩序と発展がもたらされる
・ 保護は自由の敵~檻の中で餌をもらう猿は幸福か
・ 政府の規制は官僚の自己満足以外の何ものでもない
・ リスクがあるからこそ人生は幸福になる
・ 「世間の常識」という見えない束縛からも自由になる
・ 社会主義は「プールで浮き輪」の楽しさ、自由主義は「自力で力強く泳ぐ」喜び
・ 自助努力の精神と騎士道精神で貧困は克服できる
・ 「捨てる」「残す」「創る」~未来志向で現状打破するための三つの方法
・ 日本が世界一の経済大国になる三つの条件~使命感と責任感と愛国心

あとがき

イナゴさんが涙を流して喜びそうなこの本、出版元は、

Rogo

だそうです。

(追記)

この鈴木真実哉さんという経済学者は、この宗教団体と大変お付き合いが深いようですね。

http://www.irhpress.co.jp/article/cgi-bin/list.cgi

まあ、経済学者にも思想信条の自由はありますから、それ自体がどうこうということはありませんが、この団体とネオリベさんとは肌合いが合うという面はあるのでしょうね。なにしろ、福井秀夫先生も登場しています。

http://www.irhpress.co.jp/detail/html/N0143.html

本の中味を説明している鈴木さんのインタビューがここにあります。なかなか飛ばしていて凄いです。

http://www.irhpress.co.jp/interview/index.shtml

(再追記)

はてブで、kechackさんが、

>カルトとネオリベの近似性。そういえばオウムが作った真理党の政策もバリバリのネオリベラリズムだったことを覚えている人はいるか?

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_8643.html

というコメントをつけています。

いや、実は私も覚えていませんでした。

ガネーシャでしたっけ、ぞうさんのぬいぐるみをきて踊っている姿とか、麻原尊師のむくつけき顔写真のお面をつけて踊っている姿とか、ショコ、ショコ、ショコショコショコというあの歌声の印象が強すぎて、残念ながら真理党の政策は全然記憶に残っていません。

2007年10月24日 (水)

労災保険審査会もいじめ自殺を労災認定

16日のエントリーで、東京地裁がいじめ自殺の事案を労災認定したことを取り上げましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_212e.html

その後すぐに、労災保険審査会も同様の事案について労災認定したようです。

http://www.jil.go.jp/kokunai/mm/gyousei/20071019.htm

>盛岡市の自動車部品販売会社「日産部品岩手販売」に勤務していた男性=当時(31)=が自殺したのは、過重なノルマや上司の強い叱責などが原因として、労働保険審査会は 18日までに、盛岡労働基準監督署長などが出した遺族補償給付の不支給処分を取り消した。審査会は「売り上げ目標も高く、叱責による心理的負担はパワーハラスメント(職権を背景とした嫌がらせ)を受けているような状況」と認定した。

>記者会見で男性の父親(69)は「半分以上あきらめていたが、認められうれしい」と語った。

>裁決書などによると、男性は 1996年に入社。 99年 8月に盛岡営業所に配属されたが、営業経験がないにもかかわらず厳しいノルマが課され、休日出勤も強いられた。さらに上司の営業部長から、ノルマ不達成などを理由に、毎日のように「辞表を書け」「やる気があるのか」などと叱責され、重度のストレスが原因で、同年 12月に自殺した。

>家族は 2001年に労基署に労災申請したが認められず、03年3月に審査会に再審査を申し立てていた。

行政・司法とも、いじめは労災になりうると明確になったことになりますね。ただ、もちろんのことながら、

>日産部品岩手販売の話  詳細を把握していないのでコメントできないが、こうしたことが起こらないよう社内管理に努めている。

「こうしたことが起こらないよう」にするのが一番なわけです。

よみうり入試必勝講座

>問題 次の文章を読み、「ワーク・ライフ・バランス」という考え方にはどのような意義があるか、またその実現にあたっては誰のどのような取り組みが重要かについて、あなたの考えを800字以内で述べなさい。

http://www.yomiuri.co.jp/education/kouza/syoron071001.htm

という問題に対する解説です。

http://www.yomiuri.co.jp/education/kouza/syoron071002.htm

受験生向けですが、なかなか高度なことをいってます。

これが解答例ですが、

http://www.yomiuri.co.jp/education/kouza/syoron071003.htm

>「格差」が大きな問題になっているが、労働の面では雇用形態における正規・非正規の二極化が進んでいる。いまではパートや派遣などの非正規雇用が全労働者の3分の1を占めている。とくに女性や若年層の場合、不安定雇用・低賃金によって、一生懸命働いても生活が十分に成り立たないという人が多く、「ワーキングプア」が話題になっている。それでは正規雇用なら問題がないかというと、必ずしもそうではなく、高い売り上げ目標が設定され、挙げた成果に応じて賃金が決定されるために、長時間労働が常態化しており、中には売り上げ目標を達成したかのように装うために、自腹を切って自社製品を買う(これを「自爆」という人もいる)場合さえあるという。雇用の二極化とは、一方の極だけでなく、両方の極ともに深刻な問題を生んでいるのである。
 こうした状況を「ワーク・ライフ・バランス」という観点からとらえるならば、不安定雇用・低賃金層の極には、ワークによってライフの基礎を支えられるように現状を改善することが求められている。非正規雇用は企業の都合によって短期・細切れの契約が多いが、一定の期間は安心して働けるように法によって保護すべきだし、社員と同じ程度の仕事をしているならば、それなりの賃金を企業は保証すべきだろう。社会保険の適用も課題である。 
 他方、正規雇用の極では、ワークの長さによってライフの実質が成り立っていないという状況を改善する必要がある。時間外労働の賃金割増率を上げて規制するとか、1週間の労働時間の上限を守らせるとか、行政の方でも検討しているらしい。しかしもう1つ重要なことは、EUが「1日のうち少なくとも11時間の休息時間をとる」と定めているように、「長時間」だけでなく、「連続」という点を規制することではないか。それによってワークの規制だけでなく、ライフを回復するための最低ラインが保たれるのではないかと思う。

大学生でもこれだけ書けたら立派なものです。

第1回雇用政策研究会議事録

8月24日から始まった新しい雇用政策研究会の第1回目の議事録がアップされています。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/08/txt/s0824-3.txt

いままで労働問題にはあまり関わりを持っていなかったように見える経済産業研究所の鶴光太郎氏がなかなか面白い提起をしています。

>○鶴委員 ・・・その中で私のような素人が見ると、一つひとつのいろいろな問題がどう連関して、もっと根源的なところに潜んでいる労働問題というものはないのか、上滑りな議論になっているのではないかという個人的な印象を持っています。
 1つ私が思うのは、佐藤委員の議論にもありましたけれども、正社員化ということではないのかもしれないということです。私もそういう部分があって、1つは長期的なコミットメントというところが今は非常に薄くて、よく金融の世界ではショートターミズムという経営者の短視眼的思考と言われるのですけれども、労使ともに非常にコミットメントが弱くなるとか、非常に短期的な見方になっていて、そこにいろいろな問題が出てきている印象を受けています。それをどうロングタームなコミットメントに持っていくのか。
 これは昔の終身雇用とか年功賃金ということではないのだと思うのです。新たな形でそういうことをやるということで、職業能力の向上とか意欲や能力、それからワーク・ライフ・バランスが、全部つながっていると思うのです。将来予測可能性みたいなところがあってこそ、全部の問題が解決していく。だからそういう本源的なことが、一体何なのかということも、これだけ議論が相当いろいろ出てきているので、もう一度考え直してもいいのではないかと思っています。

これに対して厚労省は、

>○小川雇用政策課長 ・・・まさに根源的な問題というか、そういうことは何かということですが、さらに長期的なコミットメントが薄れている。要するに、やや短期的になっているのではないかというご指摘があるわけで、ある意味では1990年代前半ぐらいだったら日本の経済システムは長期勤続を前提として企業内労働者を中心として、またその資本市場においても間接金融優位で、特にクォータリーレポートを気にしない。要するに、アメリカとの対比において日本の経営というのは長期的視野に立った経営ができたということを言われてきたわけですが、それが最近は若干変わってきていて、むしろ当時ある意味で批判的に見られていたアメリカ型に近くなってきて、まさにクォータリーレポートに気を遣いながら短期の利益極大化に走りすぎているのではないかという批判もあるわけです。そういったものは、どう考えていくか。元に戻して間接金融に融資しても、それはそれでまた難しいわけです。あとは我々としては、おおもととしては労働省の話ですから、長期的なコミットメントを考え、自分が会社に10年いると思えば、若しくは従業員が10年いると思えば一生懸命企業内でも能力開発投資をするとか、自分もそのために頑張るということもあるかもしれませんが、それがわからなければ、明日辞めるかもしれない社員に対して能力開発投資をする義務はないということもありますから、どうやって長期的雇用というか、どの範囲で長期的雇用を考えていくかでかなり根源的な問題かもしれませんので、それはまさにご議論をいただければと考えています。

と応じています。旧来の終身雇用や年功賃金とは違う形でのロングターム・コミットメントをどう作っていくのかというまさに根源的なテーマですね。

若者の関係では、JILPTの小杉さんがこう語っています。

>○小杉委員 ・・・若い時期のワーク・ライフ・バランスは何かというと、学ぶことと、新しい生活を始めることと、働くことのバランスで、この中の学ぶことの中には就業してからの企業内での訓練という話だけではなくて、学校教育段階からが入る。既に高校によっては、高校に入るとすぐにアルバイトを始める子が圧倒的多数だという学校がいくつもあって、これは教育社会学で最近時々言われていることの1つですが、実はパートタイム生徒という実態がある。フルタイムの学生のように言われていますが、現実には週20時間ぐらい労働している高校生がたくさんいるわけです。その辺から、学校教育の段階での就労と能力形成をきちんと議論していくべきではないかと思います。
 さらに、ある程度の年齢が経った段階での生涯職業能力開発、文科省の言葉では生涯学習ですが、文科省の生涯学習審議会の中でも、いま職業能力形成というのは生涯学習の中では重要だということを改めて言われている段階になっています。そこで、能力形成をする機会をどう設計していくかというときに、いま視野に入っている部分の、公共や企業内だけではなくて、学校教育をそこで、能力開発の機会としてどう重視させていくか。特に、日本の高等教育の、非常に偏った若者しか相手にしない高等教育ではない高等教育のあり方というのも視野に入れなければならないのではないか。その辺は少し文科省のほうに動きがありますので、そこまで視野に入れて高等教育がどうあるべきかということ。それがいま再チャレンジ政策でいろいろ動きがありますが、その辺まで視野に入れた議論が必要ではないかと思います。以上です。

昨年ここでもホットに論じられた学校教育、なかんずく高等教育の職業レリバンスの問題とつながってくるテーマですね。

委員の中で異色なのはやはりこの人、モリタク先生でしょう。

>○森永委員 皆さんと違った視点のお話をします。私は経済企画庁にいた時代から、完全雇用の達成というのが政府の最大の責務だとずっと教わってきたのですが、どうも完全失業率が下がるとか、有効求人倍率が上がるということでは捉えきれなくなってきているのだと思います。例えば、政府は2002年1月が景気の底だと言って、それ以来景気が拡大してきたと。完全失業率は5.5%から4%を切るところまでになったし、有効求人倍率は0.5から1倍を大きく超えるところまで来た。
 ところが、ここの5年間の景気拡大の中で雇用情勢が良くなったかというと、全く良くなっていない。むしろ悪化しているのだと思います。それは何かというと、例えば名目GDPで捉えると2002年1~3月期、底だった時期から今年の1~3月期までの丸5年間を取ると、名目GDPは22兆円増えているのです。だから我々は、成長の成果を22兆円も手にしたのです。ところが、普通だったら労働分配率を7割として15兆円ぐらいは労働者のところに行かないといけないのに、この5年間で雇用者報酬がどう動いたかというと5兆円も減っているのです。景気が拡大しているのに労働者の生活がどんどん悪くなってきている。しかも、5兆円が減った中で5兆円家計が増税されていて、社会保険料で4兆円弱増えている。14兆円も手取りが減っているのです。だから、所得が減っているわけですから内需関連が増えるはずがないのです。
 なぜこんなことが起こってしまったかというと、雇用者報酬が減った最大の要因は非正社員化がどんどん進んだからだと思います。特に20代前半に集中的に現れていますが、非正社員が3倍に増えています。この人たちの年収がどのぐらいあるかというと、本当に100万円代前半です。こういう人たちが劇的に増えている中、これを放っておくと何が起こるかというと、例えば日本経団連のアンケートで、非正社員でずっとやってきた人を正社員で採りますかと聞くと、98%の企業が採らないと言っています。実は雇用もないし、小杉委員がやった調査の中で、就業構造基本調査の2002年のを再集計して20代後半男性の年収別結婚率を出すと、年収1,000万円ある人は72%が結婚しています。ところが、フリーター層の100万円代前半の年収の人は15.3%で、6人に1人も結婚していないのです。
 私は、少子化対策のための仕事と子育ての両立支援というのは、はっきり言うと意味がないと思っています。なぜかというと、原因は生涯完結出生率が2.0で落ちていないわけです。落ちているのは結婚率です。今回蒔苗さんが用意してくれた未婚率は正確ではなくて、未婚の人と離死別と国勢調査では、答えたくないという人が大量にいます。
これを合わせると30代前半で49.4%、要するにほぼ半数の人が非婚なのです。これは1年に1%ずつ上がっていますから、いまは日本の30代前半の52%ぐらいが非婚なのです。要するに、結婚できなかったら日本は子供を生まないわけですから、どうしたら結婚できるようになるのかというのを本当に考えないと、社会が壊れてしまうのです。
恐ろしいことが起きていて、私は個人的な趣味でアキバ系のシングルの人たちとたくさん付き合っていますが、完全に絶望なのです。本当にひどいことが起こっていて、人間の女性と付き合うことに対して諦めてしまっているのです。その先に進むと、人間の女性に対して全然脳波が反応しなくなるのです。この状態を放置したら、私は日本は確実につぶれると思います。どうしたらいいかというと、この10年間のアメリカ型金融資本主義の追求というのが大きく間違えていたのだと思います。ずっと安定して生活できる。将来に、安心して小さな幸せが欲しいというぐらいしかみんな思っていないのです。
その中でA社が何をやったかというと、コスト削減のためにどんどん非正社員に低賃金で働かせて、人件費単価を下げて利益を増やしてきた。だから、この5年間で企業のほうは所得を劇的に増やしたのです。その結果何が起こったかというと、景気拡大のこの5年間で企業が払った配当金の額が3倍になっています。法人企業統計で見ると、大企業の役員の報酬は倍になっているわけです。要するに、自分たち勝ち組だけ大儲けをして大金持ちになって、その皺寄せを全部働く人に持っていった。これは賃金を低下させただけではなくて、もう1つは労働者から生き甲斐を奪ったという大きな犯罪をしたのだと思います。
 議事録が公開されるので名前だけ伏せておきますが、ある新興IT企業のいま裁判になっている人ですが、その人と話をしたのです。私は、彼にこう言ったのです。「いきなり採った人間を3カ月後に査定入りして給料を下げたり、パソコンから事務用品まで全部労働者の自腹にしたり、夜中までコキ使ったり、そんなひどい労働条件を放置していたら、あなたの会社は労働者がやめて将来駄目になっちゃいますよ」と言ったら、彼は「いいんだよ、やめたきゃやめれば。やめたら、またマーケットから採ってくればいいんだから」。これが、いまの企業家の悪い思想なのです。要するに、労働者をパーツだと思っているのです。そのパーツ、道具だと思っているというのは、いままで人間だったのです。Aさん、Bさんだったのを単なる道具だと思って、その思想背景には新古典派の経済学の生産関数があって、彼らは労働力と資本があって、それを組み合わせれば付加価値が生まれると思い込んでいるとんでもない間違いをしているのです。そんなことはないのです。付加価値は、現場が毎日毎日一生懸命に努力して、日々の改善をして付加価値を作り上げるわけです。どうもいままで日本の雇用政策の中で、それを支援するようなことをこの10年間はやってきてしまったのではないかなと。厚生労働省に反旗を翻すと何されるかよくわかりませんが、私は製造業の派遣労働を解禁したのは間違いだったと思う。今回のパート労働法も例えば同一の仕事に同一賃金は当たり前の話なのにどういう人を対象にしますかというとパートタイマーなのに雇用の期限の定めがなくて転勤にも応じて、普通の労働者と全く同じような昇進も全部受け入れる。そんなパートがいるわけはないのです。だから普通に書けばいい。同じ仕事だったら同じ賃金。長時間労働が問題だというのだったら、監督署に言って経営者なり人事部長をバンバン逮捕すればいいわけです。そういうことをきちんとやれば、私はまともな国というかまともな労働市場になっていくと思います。とにかく真面目に一生懸命に働いた人が飯が食えないし結婚もできないという労働市場を作ってしまったというのは大きな問題で、これをいますぐ改めないと日本は壊れてしまうと思います。

これにたいして、樋口座長が「事務局としては答えにくいことだろうと思います。何かあれば」と水を向けたのを受けて、事務局側が、

>○小川雇用政策課長 まさに答えにくいです。森永委員がおっしゃったような変化というのはここ10年間ぐらいで起こってきたわけですが、一方で結局のところバブル崩壊後の不景気の中で同時に国際競争が高まる中、強まっていく中で、まさに日本の国際競争を維持していくためにある程度コストカットをしてきたという企業側の論理もある。また一方でそれがなければ日本で製造できないから海外へ行くしかないよねということを言いつつ、そういったことを進めていったというまさに経営判断の問題だとは思います。
それをけしからんとか、けしからないというのは価値判断になってしまうので、それは置いておきますが、それが続いたときに森永委員がおっしゃったように日本国全体がおかしくなってしまっては一方で困るわけでしょうけれども、そこら辺はどうやって折り合いをつけていくのかということではないかと。若干私見も入ってきますが、そこをどう考えていくのかなということで、おっしゃるようにスパッと言えれば気持がいいのでしょうけれども、そうもいかない。経営側との折合いをつけつつ、企業側の軸と全体の整合性を考えながら最適な方法を模索していくのかなと考えていますし、こういったことも研究会でご議論いただければと考えています。

>○蒔苗雇用対策課長補佐 その辺は事務局としても同じ思いで、今日の論点ペーパーの1の「日本経済が持続可能な成長を続けていくための目指すべき雇用労働社会」はまさにそういう意味で、先ほどお話に出ましたように、やめたら採ってくればいいというのですが、全体で見ると採る人がいなくなるわけです。そこは短期的に良いことであっても、長期的に見ると持続可能かどうかは大事なことですので、そういったことを踏まえてやりたいということで、今回二極化という資料を出したのはそういう趣旨です。まさに、そういう点について2にありますように、「当面4~5年程度」何をやるべきかというのは中期ビジョンですので、必要な対応についていろいろご意見をいただければと思います。

とコメントしています。

ちなみに、モリタク先生がJILPTの援護射撃をしてくれています。

>○森永委員 ついでなので本筋ではないのですが、そのときに若年の雇用が危いというのをJILPTが最初に警告を発したのです。政府は全然わからなかった状況で。いまの日本のいちばんおかしいところは、そういうまともな研究機関の予算をどんどんカットしたり、こんなのは要らないとか、そういうことを言うところがおかしなところだと思います。そうですよね。

>○小杉委員 ありがとうございます。

行政改革推進本部専門調査会報告

公務労協のHPに標記報告がアップされているので、そちらを見ながらいくつかコメントしておきましょう。

http://www.komu-rokyo.jp/info/rokyo/2008/2008rokyo_infoNo2.html

>責任ある労使関係を構築するためには、透明性の高い労使間の交渉に基づき、労使が自律的に勤務条件を決定するシステムへの変革を行わなければならない。しかし、現行のシステムは、非現業職員について、その協約締結権を制約し、一方で使用者を、基本権制約の代償措置である第三者機関の勧告により拘束する。このように労使双方の権限を制約するシステムでは、労使による自律的な決定は望めない。
 よって、一定の非現業職員(三2(1)参照)について、協約締結権を新たに付与するとともに第三者機関の勧告制度を廃止して、労使双方の権限の制約を取り払い、使用者が主体的に組織パフォーマンス向上の観点から勤務条件を考え、職員の意見を聴いて決定できる機動的かつ柔軟なシステムを確立すべきである。
 このシステムの転換を契機として、労使双方が責任感を持ってそれぞれの役割を果たし、職員の能力を最大限に活かす勤務条件が決定・運用されることを通じて、公務の能率の向上、コスト意識の徹底、行政の諸課題に対する対応能力の向上といった効果が期待できる。
 一方で、基本権の付与拡大に伴い、交渉不調の場合の調整も含めた労使交渉に伴う費用の増大や、争議権まで付与する場合(二2(4)イ参照)には、争議行為の発生に伴う国民生活等への影響が予想される。こうしたコストの発生が、付与に伴うメリットに比して過大なものとなれば、改革に対する国民・住民の理解は得られない。また、安易な交渉が行われれば、パフォーマンス向上に対応しない人件費の増加を招くのではないかという指摘もある。そして何よりも、長期にわたる準備が必要である(四参照)。こうした改革に伴うコスト等に十分留意しつつ、慎重に決断する必要がある。

この「一定の非現業職員」が誰なのかが、実はこの報告では明確になっていません。

>「団体交渉権を有する非現業職員のうち、管理職員等以外の職員に付与すべき」との考えがある

>「団体交渉権を有する非現業職員のうち、権利義務設定・企画立案など、行政に固有の業務に従事する職員以外の職員に付与すべき」との考えがある。

>「権利義務設定・企画立案など、行政に固有の業務に従事する職員か否かという区分けにより、付与の可否を決めるべきではない」との考えがある。

と、幾つも意見を併記しているだけです。

また、交渉事項・協約事項の範囲についても、

>「任用・分限・懲戒に関する事項については、これらが成績主義(メリットシステム)、人事管理の公正性の確保という面を強く有することから、協約締結事項から除外すべき」との考えがある。

>一方で、「職員の関与により成績主義や人事管理の公正性が損なわれるという理由は成り立ちえず、民間と同様に、交渉事項の全部を協約事項とすべき」との考えがある。

と、両論併記。

また、難しい問題として、少数組合等の協約締結権の制限がありますが、これについても、

>「民間と同様に、少数組合・職員団体にも付与すべきである」との考えがある。

>「民間と異なり、少数組合・職員団体には付与しないこととすべきである」との考えがある。

と併記されています。

さらに、なお協約締結権を付与されない職員について、給与等の勤務条件決定の仕組みをいかにすべきかについても、

>「現行どおり人事院勧告等により定めるべき」という考えがある。

>「協約締結権を付与された職員の協約を踏まえ、当局が定めることとすべき」との考えがある

というわけで、ちょっと細部にはいると何も決まっていないに等しい報告ではあります。

前者だと、協約締結権のない公務員のために人事院を細々と残すということになるわけでしょうか。

少なくとも、

>責任ある労使関係の構築のためには、使用者が確立されなければならない。しかし、使用者としての立場に立たない第三者機関が、人事行政に関する事務を広範に担う現状では、使用者の確立は難しい。
 このため、使用者として人事行政における十分な権限と責任を持つ機関を確立するとともに、国民に対してその責任者を明確にすべきである。

と言っている以上、現行の人事院は原則的には廃止され、現在の総務省人事恩給局あたりをコアにしてまさに「日本国政府の人事部」を設置するというビジョンだと思われるのですが。

> 使用者として人事行政における十分な権限と責任を持つ機関を確立することが必要である。このため、具体的にいかなる機関のいかなる権限が、責任ある使用者機関が担うべき権限として移管されるべきか、早急な検討が必要である。

「早急な検討」というレベルのようです。まあ、しょせん人事恩給局は中味はカラッポですから、実体は今の人事院になるんでしょうけど。

また、

>一定の非現業職員に協約締結権を付与する際には、国の中央レベル、各府省レベル及び地方支分部局レベル並びに地方公共団体それぞれにおいて、労使交渉に必要な体制を整備し、十分な準備期間を設けて、試行等により習熟していくことについて、検討が必要である。

というのももちろんですが、習熟しきれずに労働協約の締結に至りきれないという事態は十分に想定できるわけでして、その場合、どのレベルのどの機関が斡旋、調停、仲裁といった調整機能を担うのかというのも重要な論点です。この点については、

>争議権を付与する場合には、民間と同様に、第三者機関(民間の場合、労働委員会)によるあっせん、調停、仲裁(双方の同意が必要)の手続を設けるべきである。
 また、争議権を付与しない場合には、民間と同様の手続に加えて、
・ 「現在の現業等と同様に、代償措置として、労使一方の申請等による仲裁を認める仕組みとすべき」との考えと、
・ 「現在の現業等の仕組みを基本としつつも、法律・条例事項について交渉不調の場合には、当局が組合・職員団体の意見を添えて法案等を提出し、国会・地方議会の判断に委ねることとすべき」との考えがある。
 なお、交渉不調等の処理を担当する機関については、
・ 「民間と同様に既存の労働委員会が担当すべき」との考えと、
・ 「公務員関係の問題を特別に処理する機関を設けて担当させるべき」との考えがある。

と、二点にわたって両論併記となっています。

「法律・条例事項について交渉不調の場合には、当局が組合・職員団体の意見を添えて法案等を提出し、国会・地方議会の判断に委ねることとすべき」というのは、法律・条例事項は本来議会が決定すべき事項という考え方に基づくものなのでしょうが、それならそもそもなぜ労使が(議会の意向にかかわらず)勝手に合意した場合に、そちらが優先するのかというそもそも論に戻ってしまうような。

紛争処理機関については、これは人事院としては公務労働委員会事務局として形を変えて生き残るれか否かの瀬戸際ですから、そう簡単に「既存の労働委員会が担当すべき」とは言いたくないでしょうね。

また、目立たない点ですがけっこう重要なのが、

>交渉や仲裁の基準として、客観的なデータを第三者機関が調査収集する仕組みが必要か、検討が必要である。

という点で、この点についても、

>「詳細な独自調査が、なお第三者機関(人事院等又は交渉不調等の処理を担当する機関(三4(2)参照))により行われるべき」との考えがある。

>第三者機関による調査を必要としつつも、「毎年行う必要はない」、「詳細に行う必要はない」とする考えや、「第三者機関の調査は不要であり、交渉当事者が適宜、既存の調査の活用や独自調査を行うことで足りる」との考えがある。

と両論併記になっています。つまり、民間準拠という時の「民間はいくら貰っているのか」を誰がどういう形で示すのかという問題ですね。それこそ厚労省の統計でいいじゃないかという考え方もあり得ましょう。

マンション管理人の労働時間

さて、先週金曜日に、最高裁がマンション管理人の労働時間についての初めての判決を下していました。これはオークビルサービス大林ファシリティーズ事件(注)ですね。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20071019154143.pdf

>マンションの住み込み管理員が所定労働時間外に従事していた断続的な業務の開始時刻から終了時刻までの時間が,管理員室の隣の居室における不活動時間を含め,すべて労働基準法上の労働時間に当たるとされた事例

なんですが、具体的な判示は次のようになっています。

>前記事実関係等によれば,本件会社は,被上告人らに対し,所定労働時間外においても,管理員室の照明の点消灯,ごみ置場の扉の開閉,テナント部分の冷暖房装置の運転の開始及び停止等の断続的な業務に従事すべき旨を指示し,被上告人らは,上記指示に従い,各指示業務に従事していたというのである。また,本件会社は,被上告人らに対し,午前7時から午後10時まで管理員室の照明を点灯しておくよう指示していたところ,本件マニュアルには,被上告人らは,所定労働時間外においても,住民や外来者から宅配物の受渡し等の要望が出される都度,これに随時対応すべき旨が記載されていたというのであるから,午前7時から午後10時までの時間は,住民等が管理員による対応を期待し,被上告人らとしても,住民等からの要望に随時対応できるようにするため,事実上待機せざるを得ない状態に置かれていたものというべきである。さらに,本件会社は,被上告人らから管理日報等の提出を受けるなどして定期的に業務の報告を受け,適宜業務についての指示をしていたというのであるから,被上告人らが所定労働時間外においても住民等からの要望に対応していた事実を認識していたものといわざるを得ず,このことをも併せ考慮すると,住民等からの要望への対応について本件会社による黙示の指示があったものというべきである。
そうすると,平日の午前7時から午後10時までの時間(正午から午後1時までの休憩時間を除く。)については,被上告人らは,管理員室の隣の居室における不活動時間も含めて,本件会社の指揮命令下に置かれていたものであり,上記時間は,労基法上の労働時間に当たるというべきである。したがって,被上告人らが平日は午前7時から午前9時まで及び午後6時から午後10時まで時間外労働に従事した旨の原審の判断は,正当として是認することができる。

>また,前記事実関係等によれば,平日においては,後述する土曜日の場合とは異なり,1人体制で執務するようにとの本件会社からの指示はなく,実際にも,被上告人らは,所定労働時間外も含め,2人で指示業務に従事したというのである。そうすると,被上告人らが2人で時間外労働に従事した旨の原審の判断についても是認することができる。

夫婦住み込みのマンション管理人というビジネスモデルにかなりの影響を与える判決ではありましょう。

(注)原審のときの会社名で書いてしまいましたが、同社は2005年5月に東洋ビルサービスと合併して大林ファシリティーズに改名しておりました。

http://www.obayashi.co.jp/news/newsrelease/news200505/news20050512.html

北の大地の講演会

一昨日の22日、北海道に渡って、EU労働法について講演してきました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/hokkaigakuen.html

北海学園大学法学会のお招きで、EUにおける労使立法システムの展開と今後の展望というテーマでお話ししたのですが、学生の皆さんだけでなく多くの方々に聴講に来ていただき感謝申し上げます。

ちなみに同大学の経済学部におられる水野谷武志先生は、一昨年5月の社会政策学会の共通論題(労働・生活時間の構造変化から見る社会政策:仕事と生活のバランスをめぐって )でご一緒に報告した方でもあります。

http://wwwsoc.nii.ac.jp/sssp/110program.pdf

http://wwwsoc.nii.ac.jp/sssp/110taikai/110taikaifullpapers.html

http://wwwsoc.nii.ac.jp/sssp/on110conf.html

久しぶりにお会いできて嬉しかったです。

また、講演のあと、喫茶店に場所を移して、北海道大学法学研究科の院生の皆さんとお話しできたのも嬉しい機会でした。左のリンク先の博物士さんもその一人です。

皆さんいずれも道幸哲也先生の門下生の方々ですが、道幸先生が体の調子を悪くされておられるようで、先生自身が代表を務められるNPO法人「職場の権利教育ネットワーク」の設立記念講演会にも出席されなかったようです。

http://www.kenrik.jp/katsudo.html#h191019koenkai

先生の一日も早いご回復を心よりお祈り申し上げます。

2007年10月20日 (土)

公務員に「労働協約権」付与

とりあえず読売の記事ですが、

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20071019i106.htm

>政府の行政改革推進本部専門調査会(座長・佐々木毅学習院大教授)は19日午前の会合で、公務員の労働基本権の在り方に関する報告書を正式に決定し、渡辺行政改革相に提出した。

>一定範囲の非現業の公務員に対し、給与水準などの労働条件を労使で決められる「団体協約締結権」を付与した上で、人事院による勧告制度(人勧制度)を廃止することが柱だ。争議権の付与については委員の間で意見が割れたため賛否両論を併記し、結論を見送った。

>佐々木座長は会合後に記者会見し「基本権の付与拡大による国民生活への影響について、国民の理解を得ることが改革の条件だ」と述べた。一方、行革相は会合で、2008年の通常国会に提出する予定の「国家公務員制度改革基本法案」に労働基本権の拡大を盛り込む方針を示した。

ということです。

報告書がアップされた段階でまた改めて詳しく分析したいと思います。

とりあえず、人事院を廃止するのか否か、その場合調停仲裁機能をどういう機関が担うのかが、興味のあるところです。

2007年10月19日 (金)

EU条約改正に合意

とりあえず新聞報道ですが、欧州理事会(EUサミット)がようやく条約改正に合意したようです。

http://www.ft.com/cms/s/0/c290a232-7dd1-11dc-9f47-0000779fd2ac.html?nclick_check=1

フランスとオランダの国民投票で憲法条約が死んじゃって、なんとか蘇らせようと手を尽くしてここまで来たわけですが、さてこれからが難題。

まだEUのHP等には出ていませんので、条文とかが出たらまた。

ちなみに、現EU議長国ポルトガルの首相は、ホセ・ソクラテスさんなんですね。昔ギリシャの海運王にアリストテレス・ソクラテス・オナシスという人がいましたな。

公務員制度はどこへ行く?

10月5日の行政改革推進専門調査会の資料と議事概要がアップされましたが、

http://www.gyoukaku.go.jp/senmon/dai14/gijigaiyou.pdf

議事概要は、

>○ 座長が座長代理の協力を得ながら作成したとりまとめ案について事務局よ
り説明があった後、意見交換が行われた。
○ 本日出された各委員からの意見を踏まえ、とりまとめ案を修正し、次回会
議で改めて提出することとされた。
○ 次回は、10月19日(金)午前9時より開催することとされた。

というだけで、新聞報道

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2cdb.html

>「非現業」の公務員のうち、一般職員に現在は認められていない団体協約締結権を与える方向で一致した。一方、労働基本権のうち他の団結権、スト権を認めることには異論が多く、とりまとめは見送られた。

という情報もまったくありません。

まあ、本日既に開催されているはずですから、なにがしかの報道がされるでしょう。

首相の交代で公務員制度改革の行方も先が見えない感じになってきているようですが、まあどうなるか、生ぬるく見守っていくというところでしょうか。

個人的には、それなりに理屈のつく労働組合法の適用除外などよりも、理屈のつかない労働基準法の適用除外(注)とかを再検討してみたらどうかと思いますけど。

(注)国家公務員は労働基準法を全面的に適用除外。地方公務員は原則適用、ただし監督は地方自治体自らが行う。

2007年10月18日 (木)

連合総研設立20周年記念シンポジウムのご案内

連合総研設立20周年記念シンポジウムのご案内

“市場万能社会を超えて―福祉ガバナンスの宣言”
  
 連合のシンクタンクとして設立された財団法人・連合総合生活開発研究所は、この12月1日に20周年を迎えます。これを記念して、“市場万能社会を超えて-福祉ガバナンスの宣言”をテーマにシンポジウムを開催いたします。

 連合総研は、2006年1月に「現代福祉国家への新しい道」研究委員会を立ち上げ、現代福祉国家再構築の視点から、市場万能社会を超える新しい理念・デザインについての研究を行い、このほど『福祉ガバナンス宣言~市場と国家を超えて~』(日本経済評論社・11月上旬発刊予定)をまとめました。このシンポジウムでは、パネルディスカッションや特別講演を通じて、市場主義や20世紀型福祉国家とも異なる新しい福祉ガバナンスのあり方について広く議論を深めていきたいと思います。ふるってご参加いただきますようお願い申し上げます。


  と き    2007年11月27日(火) 13:00~17:30
  
  ところ   東京・九段「ホテルグランドパレス」 2階・ダイアモンドルーム
          ※ 地下鉄『九段下駅』東西線 7番口 (富士見口) より徒歩1分、
            地下鉄『九段下駅』半蔵門線・都営新宿線 3a番口 より徒歩3分、
            JR・地下鉄『飯田橋駅』 より徒歩7分

  参加対象 連合・労働組合関係者、研究者・研究機関、政党・議会・マスコミ関係者、市民など

  参加費   無料
          ※ お申し込みは、「参加者登録用紙」(ここをクリック)
            11月9日(金)までにFAXしてください。
  
   ・担当:連合総研 佐川、会田(TEL:03-5210-0851、FAX:03-5210-0852)
プログラム
  12:00~      受付

  13:00~13:05  主催者代表挨拶

  13:10~16:25  パネルディスカッション「福祉ガバナンスの宣言」
             コーディネーター/パネリスト
                  宮本太郎 北海道大学大学院教授

             パネリスト
                  高橋伸彰 立命館大学教授
                  濱口桂一郎 政策研究大学院大学教授
                  広井良典 千葉大学教授
                  マルガリータ・エステベス・アベ ハーバード大学准教授

            (16:25~16:40 休憩)
  16:40~17:30  特別講演 「市場万能社会を超えて」
                  神野 直彦 東京大学大学院教授


  

65歳定年は合法!

ということで、EU高齢者雇用政策の行方を占う重要な判決が10月16日に出されました。

判決文の前に、タイムズ紙の報道をどうぞ。

http://www.timesonline.co.uk/tol/news/uk/article2673802.ece

>EU ruling a blow to workers over 65

>British workers hoping to keep their jobs beyond the age of 65 suffered a blow yesterday when Europe’s highest court approved controversial laws that effectively allow employers to force out staff once they reach their country’s mandatory retirement age.

ご承知のようにEUは2000年に一般均等指令を制定し、年齢差別も含めて原則禁止されているわけですが、年齢については雇用政策上の問題もあり、欧州司法裁判所でいくつか争われてきました。本判決は、スペインの事案ですが、正面から65歳定年制の可否を争った事案であり、明確に65歳定年は許されると判示した点で極めて重要なものです。

判決文はこちら。

http://curia.europa.eu/jurisp/cgi-bin/form.pl?lang=en&newform=newform&Submit=Submit&alljur=alljur&jurcdj=jurcdj&jurtpi=jurtpi&jurtfp=jurtfp&alldocrec=alldocrec&docj=docj&docor=docor&docop=docop&docav=docav&docsom=docsom&docinf=docinf&alldocnorec=alldocnorec&docnoj=docnoj&docnoor=docnoor&typeord=ALLTYP&allcommjo=allcommjo&affint=affint&affclose=affclose&numaff=&ddatefs=&mdatefs=&ydatefs=&ddatefe=&mdatefe=&ydatefe=&nomusuel=&domaine=PSOC&mots=&resmax=100

曰く、労働協約に定める強制退職年齢は、それが労働者が国法で定める65歳という年齢に到達し、社会保障制度において拠出制退職年金の受給資格を充たすという要件に基づき、当該年齢に基づく措置が雇用政策及び労働市場にかかる合法的な目的による国内法によって客観的かつ合理的に正当化され、公益目的を達成するための手段が目的に照らして不適当かつ不必要でないならば、合法的である。

これで、EU諸国の政労使は一斉にほっと胸をなで下ろしたのではないでしょうか。

本ブログでこのテーマについて取り上げた過去のエントリーは以下の通りです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2005/11/post_e391.html(ドイツのハルツ法は年齢差別!?)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2005/12/post_bbf7.html(かわいそうなヨブ)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/01/post_0e1e.html(欧州司法裁判所への付託2件)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/ecj_afe6.html(年齢差別事件またECJに付託)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_7079.html(年功賃金は間接差別!)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_58ae.html(年齢差別に関する論文)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_b9cb.html(年功賃金は差別とはいえない)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_d407.html(キャドマン判決をめぐるお粗末な記事)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/65_acc0.html(65歳定年は年齢差別ではない)

年齢の壁

去る12日に経済財政諮問会議労働市場改革専門調査会が開かれ、その資料がアップされています。

http://www.keizai-shimon.go.jp/special/work/14/item1.pdf

第3次報告のテーマは「年齢の壁」だそうです。

サブテーマの例としてあげられているのが、

>① 企業が「定年制」を廃止するためにはどのような条件整備が必要か。・労使合意で年功賃金を廃止した場合には「不利益変更禁止法理」の適用除外化。

>② 高齢者の雇用・就業促進策の在り方(技能評価制度や規制改革含む)・意欲ある人材の中途採用の促進のために必要な法制度のあり方。

>③ 働き続けることが損にならない雇用と社会保障の整合性の確保策 ・ 在職老齢年金、第三号被保険者等の見直し。

また、以下のテーマについて、委員間の共通認識を醸成した上で、年末の取りまとめに向けて集中的な議論をするとしています。

>・先の通常国会での雇用対策法改正により、募集・採用における年齢差別の原則禁止が図られた。また、米国に続いて英国でも年齢差別禁止法が施行された。こうした年齢差別禁止政策についてさらに強化すべきか。

>・現在、一義的には雇用対策の対象とされていない65 歳以上についても60-64 歳と同様な雇用促進策の対象とすべきではないか。

>・成果主義志向の強まりなど近年の企業における雇用管理の見直しを、意欲ある多様な人材の雇用促進につなげる上でどのような取組が必要か。

>・職業生活が長期化する一方、技術革新等のスピードが増す中で、我が国の教育訓練の在り方を抜本的に見直し、労働市場の重要なインフラストラクチャーとしての教育訓練システムの整備のあり方についても検討。

この問題は、私にとって役人時代に2回法改正に関わり、その後もEUの動向などずっとフォローし続けてきているテーマであるだけに、個人的にも関心の強いテーマではあるんですが、それだけに問題を単純に「年齢の壁の克服」ということにまとめ込んでしまわない方がいいのではないかという危惧感もあるわけです。

最近、このテーマについては書いたり喋ったりしてきているので、リンクを張っておきます。まず、昨年12月に東大法学部の連続講演会で喋った時のメモですが、

東京大学法学部連続講演会「高齢化社会と法」第7回「高齢化社会と労働法政策」(2006年12月16日)

これは加筆して、来年3月末に有斐閣から出される『高齢化社会と法』に収録される予定です。

雑誌論文としては、

高齢者雇用政策における内部労働市場と外部労働市場(『季刊労働法』204号)

超高齢社会の高齢者雇用政策(『LRL』第9号)

定年・退職・年金の法政策(『季刊労働法』215号)

年齢差別(『法律時報』2007年3月号)

をご参照ください。

また、『時の法令』11月15日号でも「年齢差別のパラドックス」という軽いエッセイを書いています。同号は、たまたま法令解説でも雇用対策法改正が取り上げられていて、いいタイミングではあります。

2007年10月17日 (水)

オランダ労組は自営業者を組織に

ということで、連合が非正規労働者の組織化に乗り出したわけですが、オランダでは労働組合が自営業者の組織化に乗り出したようです。

http://www.eurofound.europa.eu/eiro/2007/07/articles/nl0707059i.htm

これを見ると、建設、運輸、通信などの分野で自営業者が増えているけれども、これは企業リストラやアウトソーシングの結果で自発的なものではなく、このために労災保険が受けられず、また年金も不十分になるという現象があるわけですが、自営業者になると労働者でなくなるわけですから労働組合員でもなくなっちゃうわけですね。そのため組合員が減ってきた。なんとかしなくちゃ、ということで、自営業者も労働組合に入れようという話になったようです。これによって、組合に加入した自営業者も健康保険や労災保険を受けられることになるようです。また自営業者用の年金制度の創設も考えているようです。

オランダは典型的なコーポラティズムの国ですから、まさに組合所属がこういう社会保障制度の適用を左右するわけですね。

高学歴ワーキングプア

313jw6uh8l_ss500_ 最近のいろいろな現象を読み解く上で大変参考になる本です。

高学歴ワーキングプア  「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)

著者は水月昭道さんという方で、

>1967年福岡県生まれ。龍谷大学中退後、バイク便ライダーとなる。仕事で各地を転々とするなか、建築に興味がわく。97年、長崎総合科学大学工学部建築学科卒業。2004年、九州大学大学院博士課程修了。人間環境学博士。専門は、環境心理学・環境行動論。子どもの発達を支える地域・社会環境のデザインが中心テーマ。2006年、得度(浄土真宗本願寺派)。著書に『子どもの道くさ』(東道堂)、『子どもたちの「居場所」と対人的世界の現在』(共著、九州大学出版会)など。現在、立命館大学衣笠総合研究機構研究員および、同志社大学非常勤講師。任期が切れる2008年春以降の身分は未定。

という方です。

カバー見返しの案内文に曰く、

>大学院重点化というのは、文科省と東大法学部が知恵を出し合って練りに練った、成長後退期においてなおパイを失わんと執念を燃やす"既得権維持"のための秘策だったのである。
折しも、九〇年代半ばからの若年労働市場の縮小と重なるという運もあった。就職難で行き場を失った若者を、大学院につりあげることなどたやすいことであった。若者への逆風も、ここでは追い風として吹くこととなった。
成長後退期に入った社会が、我が身を守るために斬り捨てた若者たちを、これ幸いとすくい上げ、今度はその背中に「よっこらしょ」とおぶさったのが、大学市場を支配する者たちだった。

目次は次の通り。

>第1章 高学歴ワーキングプアの生産工程
>第2章 なぜか帳尻が合った学生数
>第3章 なぜ博士はコンビニ店員になったのか
>第4章 大学とそこで働くセンセの実態
>第5章 どうする?ノラ博士
>第6章 行くべきか、行かざるべきか、大学院
>第7章 学校法人に期待すること

これも、文部省の教育政策の問題という文脈になるわけですが、そもそもいかなる職業であれ、その需要と供給をどう操作するかという政策はすぐれて労働政策である訳なんですが、もちろん低学歴の下等技能者のみを所管する労働省に修士や博士の労働力供給政策に口を挟む余地などないわけで、大学院重点化の結果として大量のワーキングプアが出てきて初めて労働問題となるわけですね。

(追記)

労働・社会問題の平家さんが、ちょうどこの話題にぴったりのデータを紹介してくれています。

http://takamasa.at.webry.info/200710/article_5.html

厚生労働省の平成14年21世紀成年者縦断調査から、30から34歳の大学院卒(修士を含みます。)の就業状況です。

>そろそろ安定したいと考えている時期

のはずですが、実態は、

>正規の職員・従業員が、85人(70%)、会社などの役員・自営業主 5人(4%)。
>ここまでは良いでしょう。

>仕事のある人でも、こんな状況の人もいます。

>内職が1人(翻訳でしょうか?)、
>アルバイトが6人(塾の先生、コンビニ店員などでしょうか。)、
>パートが1人(非常勤講師もパートといえばパートです。)、
>派遣社員が1人、
>契約社員・嘱託が、3人(非常勤講師はここに入るかもしれません)、
>その他の仕事についている人が、5人、
>仕事はあるがどんな仕事か不詳の人が6人。

>ここまでが仕事のある人です。次は仕事のないひと。

>家事に従事している人が、4人(主婦でしょうか?)
>仕事なしでその他が2人(よく分かりません)
>仕事の有無不詳が3人。

>ちなみに、独身者が64人、結婚している人が58人でした。

ご承知のように、職業安定法上は、行政がパターナリスティックに新規採用労働市場に介入するのは中卒と高卒市場だけで、大卒ですら高学歴ということで基本的には自己責任に委ねられているわけですね。未成年者を市場の神の慈悲深い手にそのまま委ねるわけにはいかないというまことにパターナルな発想ですが。とは言い丈、実体的には既に同年代者の半数近くに及ぶ大卒をほったらかすわけにも行かないので、学生職業センター等を設けて一定のサービスを行っているわけですが、法律上の大原則は大卒者の就職は自己責任です。

大卒ですら原則は自己責任なのですから、大学院に進学するような高学歴者は当然自己責任と見なされるわけですね。労働市場的観点からすれば。

まさか、大学院卒業者のそれも含めて、労働市場が需要と供給のバランスで成り立っているということを認識もしないで進学しているはずがないではないか、というある意味で当然の前提で労働政策は成り立っているわけですが、教育行政は必ずしもそれと同じ認識に立って政策を遂行してきたとは限らないようです。

このあたり、例えば欧州の教育行政が職業という観点からの訓練政策と自らを位置づけることが多いのに比べ、日本の教育行政が職業的観点を欠落させ、ふわふわしたものであったことの一つのツケかも知れません。

41nzzdf0m0l_ss500_ この点で日本の教育論の在り方を痛烈に批判している興味深い本に、文部官僚でいま政策研究大学院大学に来ている岡本薫氏の『日本を滅ぼす教育論議』(講談社現代新書)です。

岡本さんとは、今の大学に来る前から、両省の若手で寺脇研さんを中心にやってた研究会で知り合っていて、文部省には珍しいタイプだなあと思っていたのですが、この本は岡本節炸裂です。

権丈先生 in 社会政策学会

去る日曜に、社会政策学会において、権丈先生が民主党批判を炸裂させていたようです。

http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/sssp2007.pdf

学会のHPに載っている報告要旨が既に相当程度炸裂していましたが、

http://wwwsoc.nii.ac.jp/sssp/115taikai_program.pdf

>2004年の参院選来、年金が政争の具となって3年がすぎた。その間、年金不信は国民にしっかりと浸透したようである。その一方で、年金を政争の具として政府に揺さぶりをかけてくる民主党は年金改革の具体像を示そうとせず、逃げに逃げを打って自らの年金案が国民の批判に晒されることを避け続けてきた。2004年「年金選挙」での勝利以降、2005年の郵政民営化選挙時は民主党の「年金選挙」は大敗したが、今日、一応の成功を見せている。
報告では、先ず、民主党がここ3年ほど、年金を政争の具としていかに卑怯で姑息な政治戦略をとってきたか、その結果、年金内外の重要な政治案件をいかに締め出し、そのことがこの国の行く末にいかなる影響を与えつつあるかという、この国の野党としての彼らの罪について論じる。のみならず、健全な政治を育むべき、かつ育むことのできる位置にあるメディアが、この国で果たしてきた役割についても触れたい。

こちらの詳細版ではさらに批判の矢が鋭くなっています。内容的には、権丈先生が今まで勿凝学問シリーズで書かれてきたことの総まとめみたいな感じです。

社会保障財源を租税で租税でという議論の落とし穴をユーモラスに風刺した次の文章などは、是非「普通の経済学者」の方々に熟読玩味していただきたいところです。

>社会保障制度の財源として租税に頼るということは、長期的にみれば(動態的にみれば)、財源調達力が弱い財源に頼ることになり、結果、制度の安定性が落ちることを意味する。
われわれが社会保障制度によって生活の基礎的部分に必要となる資源を、社会から優先的に確保したいと考えたとする。この時、その制度を構築し、守っていくために、厚生労働省に頼るのがよいか、それとも財務省に頼るのが安心できるのか、いずれに頼るのがましなのか――社会保障制度設計における社会保険と租税の選択というのは、そういう側面をもつ問題なのである。厚労省も財務省も、ともに自省の省益を守るのに必死で、国民の生活など考えていないのかもしれない。しかしながら、かりにそうであっても、安心した生活ができるために社会保障の安定した給付を実現したいと望む人たちが制度設計の際に重視すべき視点は、彼らのエゴにもとづく彼らのビヘイビアーが、いかにわれわれ国民、生活者の希望に調和するビヘイビアーなのかを見極めようとする視点である(こうした視点は、動機が利己的であっても結果が予定調和になる可能性を説いた経済学の祖、アダム・スミスの視点を真似ているだけであり、決して、厚労省や財務省が省益を守るのに必死であると言っているわけではないことに注意されたい・・・)。ところがほとんどの人には、図8における第Ⅳ象限が念頭になく、結果、制度の普遍性と財源調達力(制度の安定性)がトレードオフになっているという、制度選択の制約条件がみえていない。よって、租税に頼ればなんとかなる、憲法25 条があるのだから社会保障財源は租税たるべしという論がいたずらに導かれているように見受けられる。
この意味でわたくしは、租税に頼る、つまり財務省が制度の有り様に口出しできるスキを大きくすればするほど、その社会保障制度は、強い給付抑制圧力のもとに置かれることになり、制度が不安定になるとみている。もっとも、こうした読みは、社会保障制度に関する歴史的な知識、および国際的な知識に基づいて形成されるものであり、そうした知識の濃淡によって、読みそのものが異なってくる。わたくしの経験では、社会保障に関する歴史的国際的な知識が薄い人ほど、社会保険と租税が同じものにみえる傾向があるようにうかがえ、それは普通の経済学者に特に顕著にみられる傾向である。

ちなみに、最後のところにシンポジウムの最後の発言が出ていますが、これはどう解釈すべきなのでしょうか。

>朝9 時半から夕方4 時半までという信じられないほどに長いシンポジウム。
最後に、シンポジウムで司会の労をとって下さった玉井先生が、わたくしの「次の選挙も、その次の選挙も、民主党が政権をとって彼らのいい加減さが暴露されるまで、年金選挙がつづきます。そうすると、他の重要な、医療とか介護の問題は、永遠に争点になることはできません」の言葉について、出席者にこのことをよくご理解下さいと念を押して下さいました。わたくしも、「みなさまに、この点をご理解いただけるだけで、東京から来たかいがあります」と結び、終了。

2007年10月16日 (火)

個人の平等から、世帯の平等へ

丸山真男をひっぱたきたい赤木智弘さんがもうすぐ本を出されるそうで、その目次がここに載っているのですが、

http://d.hatena.ne.jp/t-akagi/20070924

「第2章 私は主夫になりたい」の中の「個人の平等から、世帯の平等へ」という節題に、おやと思いました。もちろん(まだ出ていないので)中味は読んでいませんので、どういうことを書いているかは判りませんが、私が理解するかぎり、この「世帯の平等」こそが、1930年代からの「社会主義の時代」に確立し、1990年代に「企業主義の時代」が終わるまでの60年近くの間の日本社会の正義であったものなのです。

世帯の平等が最も崇高なものとして追求される社会においては、個人の平等は二次的な重要性しか持ち得ません。亭主が正社員としてそれなりの給料を貰っているのに、その女房に高い給料を払ってやる必要なんてないだろうという守旧派的オヤジ思想は、まさに赤木さんのような存在を出すべきではないという社会的正義観念に立脚していたわけです。

逆に言うと、個人の平等を何よりも崇高な理想として追求するということは、亭主も女房もその子供たちも高学歴で高収入で世帯全体の所得はやたらに高いセレブ一家がある一方、亭主も女房もその子供たちも非正規労働で低収入で貧困家庭となる・・・ということを正義として称揚するということになるわけです。

先日の労働法学会で議論になった最低賃金やら雇用保険やらの問題も、実はここに通底しています。社会全体として「世帯の平等」が優先されている中においては、家計補助的労働への報酬は高くない方が望ましかったわけです。そういう主婦パートや学生アルバイトを前提とした最低賃金額が、その賃金で生活を成り立たせるのには到底及ばないのはある意味で当然であるわけですが、そしてそれが今まさに個人の平等という形で適用されてきてしまっているところに問題の根源があるわけですが、ではどうしますか、個人の平等を貫いて格差社会で行きますか、というスフィンクスの問いが待っているわけです。

赤木さんは(目次上)主夫になりたいと仰っているわけですが、それはまさに「個人の平等」の社会の生きにくさを物語っているのでしょうね。

職場のいじめ自殺と労災

毎日新聞の記事ですが、

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20071016k0000m040070000c.html

>製薬会社「日研化学」(現興和創薬、本社・東京)の男性社員(当時35歳)が自殺したのは上司の暴言が原因だとして、妻が国に労災認定を求めた訴訟で、東京地裁は15日、請求を認め、静岡労働基準監督署の労災不認定処分を取り消した。渡辺弘裁判長は「上司の言葉が過重なストレスとなってうつ病になり、自殺した」と判断した。原告代理人によると、パワーハラスメント(地位を利用した嫌がらせ)を原因とした自殺を労災と認めた司法判断は初めて。

>判決によると、男性は当時、名古屋支店静岡営業所(静岡市)でMR(医薬情報担当者)として勤務。02年秋以降、上司の男性係長から「存在が目障りだ。居るだけでみんなが迷惑している。お願いだから消えてくれ」「仕事しないやつだと言い触らしたる」「給料泥棒」などと厳しい言葉をたびたび浴びせられた。男性は同年末から心身に変調を来し、03年3月に首つり自殺した。労基署は「発言は指導、助言」と判断し、労災と認めなかった。

>係長の発言について、判決は「キャリアばかりか人格や存在を否定するもので、嫌悪の感情も認められる。男性のストレスは通常の上司とのトラブルより非常に強かった」と指摘。遺書に記されていたことも踏まえ、係長の発言で男性がうつ病を発症したと認定した。

>妻は日研化学にも賠償を求め提訴したが、昨年和解が成立している。

>判決後、男性の妻は「勝訴にほっとしている。裁判をやったかいがあった」とコメント。原告代理人の川人博弁護士は「画期的な意義がある。国内では上司の嫌がらせの規制が立ち遅れており、改善を求める」と話した。

民事損害賠償事案では既にいくつか職場いじめ自殺について損害賠償を認めた判決が出ていますが、労災認定をめぐる事案としては川人さんの言うようにこれが初めてでしょう。

この記事には、自殺した男性の遺書が載っています。

>悩みましたが、自殺という結果を選びました。仕事の上で悩んでいました。入社して13年程になりましたが、係長に教えてもらうには手遅れで、雑談すら無くなりもうどうにもならなくなっていました。恥ずかしながら最後には「存在が目障りだ、居るだけでみんなが迷惑している、御願いだから消えてくれ!」とか「車のガソリン代ももったいない」「何処へ飛ばされようと俺が仕事しない奴だと言いふらしたる!」等、言われてしまいました。情けなくてどうしていいものかわからなくなり、元気もなくなり自分の欠点ばかり考えてしまい、そんな自分が大嫌いになってしまいました。先月からふと「死にたい」と感じ、家族の事や「このまま終わるか!」と考えると「見返してやる」思っていたのですが、突破口も無く係長とはどんどん話が出来る環境になりませんでした。しかし、自分の努力とやる気が足りないのだと、痛切に感じました。係長には「お前は会社をクイモノにしている、給料泥棒!」と言われました。このままだと本当にみんなに迷惑かけっぱなしになってしまいます。

>転職等、選択肢もあるし家族の事を考えると大馬鹿者ですが、もう自分自身気力がなくなりどうにもなりませんでした。

この問題は、私も数年前から関心を持っていろいろと調べたりしていますが、結局精神的に健全な職場環境を作ることが使用者の責務なのだというところに帰着するように思います。社員がお互いに健全な競争意識を持って頑張るようにすることと、精神的に追い込んでにっちもさっちもいかないようにしてしまうこととは全然別の話のはずなのですから。

ヨーロッパ諸国における職場のいじめ対策に関しては、あるところでこういうことを喋ったことがあります。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/jisatsuken.html

また、いじめ自殺事案に関する判例評釈ですが、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/kitamoto.html

教師の時間外手当に関する判決

先週末に書いた教員エグゼンプションのエントリーのいい参考資料が出ました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_8d42.html

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20071016111341.pdf

これは、公立学校の教育職員であった控訴人らが,時間外勤務及び休日勤務を行ったとして,時間外勤務等手当及び休日勤務手当の支払いを求めたが,公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置条例3条3項の規定が適用されることを理由にその請求が棄却された事例ですが、理屈はもうその通りで何も言うことはないのですが、最後のところで裁判官がまさに傍論として付言している一節が実に心に沁みます。いや、文部科学省の皆さんにこそ心に沁みて貰いたい一節でありますよ。

>なお,事案にかんがみ付言するに,前記認定の時間外勤務等の調査結果や,当審で行った本人尋問の結果から明らかなように,我が国の小学校,中学校,高等学校,養護学校における教育は,控訴人ら教育職員の長時間にわたる時間外勤務等に負うところが相当に大きいというべきである。我が国の未来を担うべき児童生徒に対する教育の充実が重要であることはいうまでもなく,そのために教育職員が授業の準備を十分にしたり,ゆとりを持って児童生徒に接することができるよう,財政事情,給源等が許す限り教育職員の定数を増やす努力を引き続き行う必要がある。現場の教育を担当する教育職員の意見を十分に汲み取るなどして,我が国の未来のために実り多い教育改革がなされることを切望する。

問題は時間外手当というカネの問題ではないのです。

宮城県警 フルキャストを書類送検

ある意味でやや似た話がこれです。同じ朝日の記事ですが、

http://www.asahi.com/national/update/1015/TKY200710150289.html

>人材派遣大手のフルキャスト(東京都渋谷区)が労働者派遣法で禁じられた警備業務にスタッフを派遣していたとして、宮城県警は15日、同社と仙台支店の営業担当だった男性社員(27)を同法違反の疑いで書類送検した。県警によると、警備業務への違法派遣容疑で派遣会社を立件したのは全国で初めて。

>調べでは、社員は06年7月下旬から10月初旬ごろの間、フルキャストの男性スタッフ6人を警備会社タカハシ・プランニング(埼玉県所沢市)の東北支社(仙台市)に派遣。同社が警備を請け負っていた仙台市内のスーパー駐車場など3カ所で交通誘導などの警備業務をさせた疑い。

ふうーん、警察庁所管業界に手を出した派遣業者は見せしめとして立件するわけですね。

もちろん、フルキャストはさんざん悪行を積み重ねてきている訳なので、立件されたからといって同情するわけではありませんが、それにしても警備業務に派遣したというのがその理由だというのがいかにもではありますな。

警備業務は、実は労働者派遣法が制定される際には、その対象業務として想定されていたものです。ところが、法制定後、政令で対象業務を定める際に、なぜか派遣してはいけない業務に入ってしまい、それ以来ずっと禁止業務という扱いになっています。

この辺の経緯については、拙著『労働法政策』70頁にちょいと書いてありますが、要は、警備業に関することはことごとく警察庁の権限だ、警備労働に関することも警察庁の権限だ、労働省なんかには渡さないぞ、という強い信念と実行力の前にあえなく腰砕けになったという歴史的事実があるわけで、まあ今さら何を言うてもというところはあるのですが、それにしてもいささか露骨ではないかいというところではあります。

医師の派遣緩和へ ときた

先月、このブログで

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_d627.html

>この通達の発出に合わせて労働者派遣法施行令を改正したという事実はないようです。

>この通達は労働者派遣法違反の行為をそそのかしていると理解するしかないのですが、そういうことなのでしょうか。

と疑問を呈しておいたのですが、今頃になって労働政策審議会の了解を得て改正するようです。朝日新聞によると、

http://www.asahi.com/life/update/1016/TKY200710160003.html

>厚生労働省は15日、医師の派遣規制を大幅に緩和し、都道府県が医師不足対策に必要と認めた病院への派遣を解禁する方針を決めた。医療関連の労働者派遣は原則禁止で、現在は他の病院に一時的に赴任する場合でも一度退職してから再就職する必要がある。規制緩和後は、公的な仲介があれば派遣を認め、医師不足の病院に赴任しやすい環境をつくる。同日の労働政策審議会の部会で了承された。年内にも実施する。

>労働者派遣制度は、建設、警備、港湾運送、医療関連の4業務で派遣を禁じている。医療関連は「派遣労働者を受けるとチーム医療に支障をきたす」との理由だ。

>しかし、医師不足が深刻なため、昨年4月、へき地の医療機関への派遣や、医師の産休や育休を埋める派遣を解禁した。だが、地方都市の拠点病院などでも医師不足に悩んでおり、さらに規制を緩和することにした。

んだそうですが、まさに、医師の労働は労働問題ではなくって医療問題だという医政局の発想にこそ諸悪の根源があり、それゆえ他の業務がドンドン規制緩和されていた中で敢えて医療関係だけ(それまで認められていたものも含めて)禁止しようとし、逆に他の業務で派遣の弊害がドンドン出てきて規制を強化しなくちゃいけないなという話になりつつある中で規制を緩和するというトンチンカンな動きを生み出してくるわけです。

まあ、職業安定局は医政局に振り回されるだけで何の主体性も発揮できていないようですし、おかしな制度設計を一度してしまうとなかなかその罠から抜け出しにくくなるということでしょうか。

記事によると、

>規制緩和後は、医師派遣の可否は、医療関係者や自治体首長らでつくる各都道府県の医療対策協議会が判断する。厚労省が6月に始めた緊急医師派遣システムにより、国の仲介で医師が赴任する場合も、都道府県の承認を得て派遣の形で赴任することが可能になる。ただし派遣元は医療機関に限定し、人材派遣会社の参入は認めない方針だ。

そうですが、その理由はどう説明するのでしょうか。港湾運送は派遣事業が一般的に禁止され、港湾運送事業者のみが常用労働者を派遣し合うことを認めていて、今回の制度と一見似ていますが、そうなるに至った理由は以前にこのブログでも書いたようなこの業界をめぐるいささか特別な経緯があるわけで、まさかお医者さんの世界も同じだなんて訳じゃないですよね。

実をいうと、この記事の最後にも書いてあるように、

>これまでは大学医学部が医師派遣機能を担ってきたが、大学病院が医師不足になり、地域の病院から医師を引き揚げる動きが相次いでいる。厚労省は来年度から、国や都道府県の仲介で派遣に応じた病院に補助金も出す方針で、医師派遣の仲介機能を都道府県が担えるよう、制度と補助金の両面で誘導していく。

という事情があるわけです。この大学医局のやっていた事実上の派遣行為は、厳格に解釈すると限りなく労働者供給事業に近い実態であったわけですが(だって、医局のボス教授は、若い医師たちに対してまさに「実力的な支配関係」を振るっていたんでしょうから)、そこは無料の職業紹介であるという理解のもとでやってきたわけですが、まあ一部に弊害もあったようですが概ね医師の適正配置に貢献してきていたと言えるのでしょう。

それがうまくいかなくなってきて、それに代わるべき労働力再配分システムが必要になってきたというのが大きな状況なのだとすれば、やはり抜本的に制度の在り方を考え直すべき時期ではないかと思われます。

2007年10月15日 (月)

アニメ:制作現場から悲鳴 労働環境改善求め協会設立へ

毎日の記事ですが、

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20071013k0000m040154000c.html

>休みなしで原画を200枚描いても月数万円、社会保障や退職金もない--。アニメ大国と言われながら、長時間労働と低賃金で人材離れが進むアニメ制作現場の労働環境を改善しようと、アニメーターや演出家が13日、「日本アニメーター・演出協会(JAniCA)」を設立する。アニメ業界でこうした団体ができるのは初めてで、賃金アップや残業代の支給を業界に訴えていく。

これもまさしく労働問題なのですね。

麻生太郎氏には、日本アニメについて選挙演説される際には、需要側消費者側の観点だけでなく、供給側生産者側の観点も踏まえて論じていただきたいと思います。

興味深いのは、言い出しっぺは社長さんであること、

>人気アニメ「北斗の拳」の監督としても知られる制作会社「スタジオライブ」(東京都板橋区)の芦田豊雄社長の呼びかけで実現した。JAniCAには約500人が参加。代表の芦田社長は「劣悪な労働環境を背景に国内では人材不足が慢性化している。このままでは、日本の制作現場は崩壊する」と語る。JAniCAは今後、国や地方自治体にも人材育成支援への協力を働きかけていくことにしている。

賃金アップや残業代の支給は、まずは社長さんの責務であるわけですが。

なかなか悲惨な証言:

>「小さいころから夢だった仕事に会社員から転職したが、1日12時間働いて月収は以前の半分。徹夜が続いても残業代はないし、医療保険さえない」。都内のアニメ制作会社で働いて2年目の女性(32)は労働条件の厳しさを訴える。

>会社員時代はマンションで1人暮らしをしていたが、転職後は家賃が払えなくなり、実家へ帰った。生活費を切りつめるため化粧もやめた。医療費がかかるからと、病気が悪化するまで病院に行かなかった同僚もいる。「海外旅行なんてできなくてもいい。せめて普通に暮らしたい」と言う。

>ベテランのアニメーターも老後の不安を抱える。人気アニメ「あしたのジョー」の作画監督として有名な金山明博さん(68)は「40年近くアニメの世界にいたが、契約社員として働くことが多く、退職金ももらえなかった」と振り返る。

>体調を崩して59歳で一線を退いた。今は月12万円の年金が頼りだ。「同年代の業界仲間には生活保護を受けたり、ホームレスになった人もいる。こんな環境で日本のアニメはいつまで持つのか」と心配する。

>業界では近年、深夜テレビやインターネット配信向けにアニメの需要が増加。テレビ向けに限っても新作は20年前の約3倍の年間100本も生まれる。

>しかし、制作現場では人件費の安い韓国や中国の下請け会社との競争で賃金が下がっている。そのうえ、アニメーターは1作品ごとに契約したり、フリーの立場で働くケースが多く、身分は不安定だ。「親のスネをかじらないと仕事が続けられない」(都内の23歳男性)状況が広がる。

幕下以下は労働者か?

労働法学会のあとの懇親会で力士の労働者性についてくっちゃべっているうちに気になったのが幕下以下の力士って法的に何なんだろうってこと。十両以上にならないと給料が出ないというのはよく知られていますが、そうすると幕下以下は労働者じゃないってことか。いわば研修生という扱い?

そこで、財団法人日本相撲協会寄付行為をひもといてみますと、

http://www.geocities.jp/mmts_sumo/kihu.htm

>第三十五条

>この法人には、力士をおく。 ・・・・・・力士は、有給とする。

おや、力士はみんな有給なんですか。

そこで、財団法人日本相撲協会寄付行為施行細則を見てみましょう。

http://www.geocities.jp/mmts_sumo/saisoku.htm

>第五十六条

>幕下以下の力士は、力士養成員とし、師匠である年寄が養成にあたるものとする。

>養成費は、当分次の通り支出する。(平成六年一月一日改正)

>力士養成員一人につき 一ヶ月  六五、〇〇〇円

「力士養成員」というのですから研修生というような位置づけなんでしょうね。給与については、

>第七十七条

>カ士の給与は、月給制とし、当分次の通り定める。(平成一一年度)

>区分   基 本 給      手当         計

>横綱  一、六二〇、〇〇〇  九八六、〇〇〇  二、七三七、〇〇〇

>大関  一、三五〇、〇〇〇  八一九、〇〇〇  二、二七八、〇〇〇

>三役  一、〇一〇、〇〇〇  五五四、〇〇〇  一、六四三、〇〇〇

>幕内    八二〇、〇〇〇  三八九、〇〇〇  一、二七〇、〇〇〇

>十枚目   六八〇、〇〇〇  二七七、〇〇〇    九五七、〇〇〇

>但し、各本場所の開催月より、各本場所の番附の階級により支給する。

と規定されていますので、幕下以下は有給ではないですね。十両までが労働者だということになりそうです。

ただし、

>第九十三条

>力士養成員には、本場所相撲の成績により、幕下以下奨励金を支給することができる。幕下以下奨励金の金額は、当分次表による。(昭和六十一年一月場所改正)

>区 分  幕  下    三 段 目    序二段以下

> 勝 星  二、五〇〇円  二、〇〇〇円  一、五〇〇円

> 勝越星  六、〇〇〇円  四、五〇〇円  三、五〇〇円

という規定があり、勝てば少額のお金は貰えるようですが、とても給与とは言えないでしょう。

雨宮処凜「プレカリアート」

41jlpd8ufel_ss500_ その労働法学会への電車の中で読んでいたのが、いまやこの業界で売れっ子の元ミニスカ右翼、今ゴスロリ左翼の雨宮処凜さんの『プレカリアート』というそのものズバリの題名の本ですが、

第5章の「超世代座談会」というのが実に面白くて、これだけでも買う値打ちはあります。

著者の処凜さんに、丸山真男をひっぱたく赤木智弘さんがプレカリアート側だとすると、フリーターの息子を正社員として就職させた61歳の母親大田さんと、大企業勤務の勝ち組27歳女性の坂上さんはサラリアート側、それに自ら望んでフリーターになった舞踏家志望の定岡さん25歳男性が加わって、たいへん興味深いバトルになっています。

もっとも、その後の石原慎太郎都知事との対話はいささか期待はずれっぽいですが。

日本労働法学会

昨日、立命館大学で開催された第114回日本労働法学会に参加して参りました。

http://wwwsoc.nii.ac.jp/jlla/taikai/114taikai.html

シンポジウムの統一テーマは「労働法におけるセーフティネットの再構築―最低賃金と雇用保険を中心として―」で、

「シンポジウムの趣旨と構成」(9:30~9:40)
報告者:中窪 裕也(一橋大学)

(1)「最低賃金法の再検討―安全網としての機能」(9:40~10:20)
報告者:柳澤 武(名城大学)

(2)「失業時の生活保障としての雇用保険」(10:20~11:00)
報告者:丸谷 浩介(佐賀大学)

(3)「雇用保険給付の政策目的とその役割」(11:00~11:40)
報告者:山下 昇(九州大学)

(4) 「再就職支援に果たすハローワークの役割-失業認定・職業紹介の現状と課
題-」(11:40~12:20)
報告者:中内 哲(熊本大学)

(5) 「雇用社会のリスク社会化とセーフティネット」(14:00~14:40)
報告者:矢野 昌浩(琉球大学)

という報告でした。

本当を言うと、社会保障の研究者も入れて、生活保護もテーマに取り上げないと、三題噺は完結しないんですけどね。まあ、ここは労働法学会だから仕方がないとも言えますが。

2007年10月13日 (土)

連合定期大会における高木会長挨拶

ということで、昨日と今日の連合定期大会の速報が連合のHPに載っています。

http://www.jtuc-rengo.or.jp/news/rengonews/2007/20071013_1192202462.html

高木会長の挨拶から、非正規雇用の所を引用しておきましょう。

>第2点目は、非正規雇用労働者の問題についてです。
非正規雇用労働者の正規雇用化や働き方のルールの適正化、非組合員とりわけ非正規雇用労働者の利益も踏まえて公正に交渉するという公正代表義務に配意した処遇改善にも力を尽くさなければなりません。非正規雇用労働者の現状の改善に対する感度が鈍いと批判されている連合運動のかなえの軽重が問われていると思います。
 連合は、第10期の運動方針を策定するにあたり、真正面から非正規雇用労働者の問題に取り組むため、非正規雇用問題を一元的に取り扱う「非正規労働センター」を設置するとの方針を提案させて頂くことになりました。ここでは、「非正規労働センター」の設立の考え方と、非正規雇用労働者の問題に取り組む基本的なスタンスについて訴えたいと思います。
  1,700万人を超える人達が、パートタイマーや派遣、請負等の雇用形態で働き、その多くが総じて低所得という状況は、格差社会への懸念を強める最大の要因であり、安全、安心、信頼の日本へ回帰させていくという点でも放置できないレベルに達しています。
 この非正規雇用労働者の問題を、これからの連合運動の柱の一つにすえ、状況の改善のため国民的な視野の拡がりを求めながら全力を尽くしたいと考えています。具体的に取り組まなければならないテーマは、まさに多様多岐にわたると思いますが、構成組織、地方連合会、地協の皆さんのタテ・ヨコの連携を強化し、組織外のNPO等の皆さんとも連帯のネットワークを形成していけば、相応の成果あげていけると思います。試行錯誤もあると思いますが、強い意思があれば道は必ず開けるという気概のもと本大会後に本部に「非正規労働センター」を設け、その活動の第一歩を踏み出していきたいと思います。構成組織、地方連合会、地協の皆さん、どうぞご理解、ご協力の程よろしくお願い申し上げます。

例の規制改革会議の福井先生の作文に対する批判はなかなか激越です。

>「労働ビッグバン」と称して働き方のルール等について一層の規制緩和を求める動きがあります。本年3月、規制改革会議の再チャレンジワーキンググループ労働タスクフォースが中間報告で、解雇に関する判例を否定したり、非正規雇用に関するルールの一層の緩和を求めたりしています。
 この中間報告の内容は、私たちの感覚からすれば、とても容認できるのもではなく、ひどいの一言に尽きると思います。労働は生身の人間の営みであり、人間としての尊厳、労働の尊厳を求めて先人が積み重ねてきた労働ルール形成の歴史、そして現在グローバル化が進展する中で、世界中で働き方が劣化し、ディーセントワークが求められている状況などを想起し、この市場原理主義的な「労働ビッグバン」の流れを粉砕しなければなりません。

「労働ビッグバン」は八代尚宏先生の登録商標で、福井秀夫先生は「脱格差と活力」(二つ合わせて「脱力」ですが)が看板ですので、お買い求めの際お間違えの無いようお願い申し上げます。

国会に係っている労働3法案については、

>第5点目として、労働三法案への対応について触れておきたいと思います。
 最低賃金法改正法案、労働契約法案、労働基準法改正法案、いわゆる労働三法案は、先の通常国会に提案されましたが、いずれも衆議院における継続審議の状態にあり、今臨時国会における審議を待っています。
 私共連合としては、この三法案に関する今国会における論議について、次のように考えています。最賃法改正案については、政府案と民主党案の調整のうえ一部修正して早期に成立を期す、労働契約法案についても民主党案と政府案の調整協議を経て、政府案に加筆・修正を加え、出来れば成立をはかる、時間外・休日割増率に関する労働基準法改正案は、その内容に時間外労働が月間80時間以上に達したらそれから上の割増率は50%以上とするなどグロテスクな面もありますが、最賃法等の修正の動向も見守りながら対処していきたいと思っています。この様な考え方を民主党にも伝え、政府・与党との協議を行ってもらうようお願いしているところです。

ふむふむ、労働契約法は「民主党案と政府案の調整協議を経て、政府案に加筆・修正を加え、出来れば成立をはかる」ですか。結構いいところにボールを投げていますね。

社会保障のところで、

>年金制度についても、年金記録の問題の着実かつ的確な処理が求められていますし、基礎年金の全額税方式への移行による国民年金制度の立て直しやパート労働者など非正規雇用労働者への厚生年金の完全適用なども早期に実現していく必要があります。

おっと、連合はいつから基礎年金部分に使用者負担はいらないという立場になったんでしたっけ。

最後のところで末法思想が飛び出してきています。

>結びとして、抽象論になりますが、日本の社会の在り方に関する私の危機感とその打開のための方向性といった趣についてお話しさせて頂き、第10回定期大会の冒頭の挨拶を終わらせて頂きたいと思います。
 仏教には末法思想があり、今私たちは末法の時代に生きていると言われています。特に昨今の日本は、想像を絶する凶悪犯罪や自殺件数の高止まり、家族やコミュニティーの崩壊、学級崩壊、企業の不祥事、政治家や公務員の関与する談合など劣化する日本社会という危機的な状況が蔓延し、公正、公平、社会正義、連帯、絆、友愛といった良き社会倫理を形成してきた価値観の後退を嘆く声が日本中に満ち満ちている、といっても過言ではない末法期的な状況にあると思います。
 「性善説」の後退と「性悪説」的ビヘイビアーの増加、市場原理主義、利益至上主義、過度な規制緩和と事前規制から事後チェック社会への転換、非正規雇用の急増とワーキングプアの輩出、儲かる企業と残業でヘトヘトの労働者、等々こんな状況や風潮がこれ以上拡がって良いのかという思いが募ってなりません。
 徒らに悲観的な心情に陥って良いとは思っていませんが、性善なる人間同志が、社会的な絆に思いを致し、公正、公平、社会正義の貫徹を求め合う、そんな日本を作るため、私たち労働組合が何か出来ないか、皆さんと共に考えていきたいと思います。
 私たちは企業や組織のステークホルダーの立場にあります。企業の社会性が問われている今日、企業のガバナンスにも影響力を行使し、国民から批判の目で見られている企業や組織の社会的存在としての責任や道義の高揚を通じて、劣化する日本への流れをくい止めるために何かできないか、こんな事を考えることの多い昨今です。

ちょっと、梅原猛してませんか、という感じですが、気持ちは良く伝わってきます。

連合、軸足を非正社員に

こちらは読売の記事ですが、

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20071012ia27.htm

>2期目の高木・古賀体制は、パートや派遣など非正規社員の支援に優先的に取り組むことを運動方針の中核に掲げ、大企業の正社員組合を中心とした従来の活動から大きく方針転換した。

>高木会長は12日、再選後の記者会見で、今後の課題として「非正規雇用は問題が多過ぎる。ひどい部分を放っておいてはいけない。(問題解決に向け)牽引(けんいん)車の役割を果たさないといけない」と強調した。

>連合本部に「非正規労働センター」を設立し、パートや契約、派遣社員らを対象に、労働相談や交渉支援などに取り組んでいく方針だ。活動の力点を「非正規労働者や中小企業で働く労働者への支援・連携の強化、組織化に最優先で取り組み、労働者全体の権利の確保と労働条件の底上げを図る」とした今後2年間の運動方針をさっそく具体化するものだ。

>連合が、運動の軸足を非正社員へと移したのは、18・2%(2006年)まで低下した労組の組織率を引き上げるため、労働者全体の3分の1を占める非正規社員を取り込む必要があるという差し迫った事情があるからだ。

日本の企業別組合は、企業外部で労働者が信念に基づいて作った自発的結社とか誓約集団ではなく、たまたま同じ職場で働くものがその共通の利益に基づいて作ったいわば職場従業員代表機関ですから、非正規労働者が一部の特別な人々である間は知らんぷりしていられても、これだけ非正規が拡大してくると組織基盤そのものが揺らいでくるわけで、まさにこういう方向に進むのは当然の成り行きと言えます。

非正規化が先行して進んでいたサービス流通部門をばりばり組織化して拡大してきたのが高木会長のUIゼンセン同盟ですから、まさにこれは「連合全体がゼンセンを見習って進め!」という大号令と言うことですね。

実際、ここ数年人員が拡大してきたのはゼンセンくらいで、あとは正社員が減るのに応じて縮小の一途を辿ってきているわけですから、背に腹は替えられないわけです。

記事の後ろは政治関係の話で、

>一方、政治路線については民主党への傾斜を鮮明にした。

>高木会長は記者会見で、政府に対する姿勢について、「是は是、非は非と仕分けをする。首相や厚生労働相と会っても、スタンスはきちんとしてお付き合いする」と述べた。さらに、「ねじれ国会の中で、政府・与党からの依頼を野党に取り次ぐメッセンジャーのようなことは、簡単ではない」と強調した。

>さらに、次期衆院選について、「野党の議席が与党を上回るように選挙に臨むのが当然だ。準備活動を一生懸命やる」と述べた。

この辺何か言うと皮肉になるのであんまり云いませんが、労働者の利益になるように政治家を使うのがそもそもの任務ではないかと・・・。

2007年10月12日 (金)

それは始めから労働問題なんですよ

>教師・医師・介護福祉士の問題を、「労働問題」として一度整理する必要があるのではないか。

http://d.hatena.ne.jp/inumash/20071010/p1

我が国の現行法制を前提とするかぎり、それらは始めかられっきとしたまぎれもない労働問題なんですけど。

自分で私塾を開いている先生とか個人医院を経営しているお医者さんでないかぎりはね。

実際、労働判例雑誌には、教師や医師に関わる労働事件の判決も時々載ってるわけです。労働法研究者にとって彼らが労働者以外の何者でもないのは太陽が東から昇る以上に当たり前なことなんですが。

いや、しかし、ここで言っているのはそんなことではない!というのはよく分かります。

世間一般の眼差しというか、マスコミの報道姿勢というか、社会的な認識評価枠組みがそれらを労働問題として素直に見ることを妨害しているわけで、そこに問題があることもその通りです。

この下の教員エグゼンプションの経緯を見ても判るように、当該業務のみに権限を有する監督官庁が、当該業務を行う労働者の労働の側面についてまで権限を有しているかの如く思いこみ、勝手に労基法違反の通達を出してしまうなんてこともその一例であるわけです。前にここに書いた、医政局が医療関係の労働者派遣に関する権限を有しているかの如く勝手に法令をいじくるなんてのもその一例。

そういう空気の瀰漫した社会の中では、

>これらの問題を、「教育」「医療」「介護」といったそれぞれの領域だけで解決しようと思っても難しいだろう。そこには「聖職」あるいは「公サービス」といったものに対する受け手の安直なイメージが必ず付いて回るからだ。

>だから、それぞれの領域を超えて、教師・医師・介護福祉士が抱える問題を「労働問題」という大枠で捉え直し、「公サービス」に関して、「提供される側」ではなく「提供する側」の環境をどう整えるのか、ということをもう一度原点から考える必要があるのだと思う。

という発言には大変意味があると思います。

教員エグゼンプションの経緯

昨年6月に、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_fe11.html

教員に時間外手当を導入するとかいう記事をネタにしたことがありましたが、そもそも、それではなんで教員には時間外手当がないのか、言葉の正しい意味におけるエグゼンプションになっている理由は何か?というのを少し調べてみました。

これは、法律的には

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S46/S46HO077.html

「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」の第3条第2項で規定されています。

>第三条  教育職員(校長及び教頭を除く。以下この条において同じ。)には、その者の給料月額の百分の四に相当する額を基準として、条例で定めるところにより、教職調整額を支給しなければならない。

 教育職員については、時間外勤務手当及び休日勤務手当は、支給しない。
つまり、4%の調整額を支給するから時間外手当は払わないということですね。

この法律は1971年に制定されたものですが、その時の解説書(宮地茂監修『教育職員の給与特別措置法解説』第一法規)を読むとなかなか根深い問題があったようです。

そもそも1948年の給与切り替え措置の際、文部省は超過勤務手当は教員には支給しないとかしたらしいのですが、いうまでもなく地方公務員には労働基準法は原則的に適用されますから、そんなの違法になります。

で、1949年に文部次官通達で「原則として超過勤務は命じないこと」としたのですが、そんなこと言ったって現実の学校で教師が「家族団らんだからサッサと帰る」なんてわけにいくはずがないわけで、翌1950年から全国各地で教員の時間外勤務手当をめぐる訴訟が頻発します。で、大部分は時間外手当を支払え、と。

そこで、これは立法で解決するしかないということになって、まず1967年に教育公務員特例法の一部改正法案を国会に提出したのですが野党が反対して廃案。

その後、誰の知恵か人事院を巻き込みまして、まずは1971年に人事院が「意見の申し出」というのを出しました。その中味がそのまま法律になったわけですが、要は「義務教育諸学校等の教諭等について、その職務と勤務の態様の特殊性に基づき、新たに教職調整額を支給する制度を設け、超過勤務手当制度は適用しないこととする」ということです。

その趣旨については、当時の佐藤人事院総裁が国会でこういう答弁をしています。

>普通の行政職員のような時間計測になじまない点があるということは事実でございます。したがって、時間計測に基づく何時間超過勤務をしたから幾らというような超過勤務手当の制度もこれまたなじまない。そこで先ほど申し上げましたような先生方の勤務の特殊性というものを根本的にこれをとらまえて、いわゆる勤務時間というものの内と外というような区別なしに、勤務時間の内外の超越した一つの再評価というものをしようじゃないか、そこでその再評価の結果として、これはたとえば時間の密度からいえば授業時間のあとは普通の行政職の場合に比べると密度が薄い、しかし授業時間内は非常に密度が濃い、あるいは夏休みの場合においてもこれは行政職の場合とは違った一つの時間の管理のもとに立っていらっしゃるというようなことにからめて、先生方の本来の職務のあるべき基本点は創意と自発性というものにあるものではないか、教育というものは教員方の創意と自発性というものにまつところが多いのじゃないかというようなその実質をも、それらも申しました点とからみ合わせて考えて、勤務時間の内外を問わず再評価いたしました結果・・・

http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=17899&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=4&DOC_ID=12001&DPAGE=1&DTOTAL=22&DPOS=1&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=18276

この人事院の意見に基づいて法案を出したわけですが、そうはいっても労働基準法で明記されている時間外手当の権利を奪うわけですから、いちおう中央労働基準審議会で議論をしています。もっとも、労基法をいじるんじゃないからという理由で諮問はしていないんですね。それもなんだか変な気がしますが。

同審議会は「労働基準法が他の法律によって安易にその適用が除外されるようなことは適当でないので、そのような場合においては、労働大臣は、本審議会の意向を聞くよう努められたい」と不快感を示しています。

労働省も文部省との間にこういう覚書を交わしています。

>1.文部省は、教育職員の勤務ができるだけ、正規の勤務時間内に行われるよう配慮すること。

>2.文部大臣が人事院と協議して時間外勤務を命じうる場合を定めるときは、命じうる職務については、やむを得ないものに限ること。

>なお、この場合において関係教育職員の意向を反映すること等により勤務の実情について十分配慮すること。

どうもあんまり配慮されてはいないようです。

ちなみに言うまでもなくこれは公立学校の話で、私立学校は100%労基法が適用されます。

労働法グリーンペーパーのフォローアップ

昨年欧州委員会が労働法グリーンペーパーを出した件については、このブログでも何回か取り上げましたし、『労働法律旬報』でもちょっとした紹介文を書いていますが、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roujunwhitepaper.html

そのフォローアップのコミュニケーションが10月23日に発出されるようです。

http://ec.europa.eu/atwork/programmes/docs/forward_programming.pdf

既に、各国政府や労使団体、その他の団体、個人、学者などからの膨大な量の反応が欧州委員会HPにアップされていますが、玉石混淆だしとても読める量ではないし、私も主要労使団体の意見をざっと見ただけですが、まとめてくれると有り難いですね。

http://ec.europa.eu/employment_social/labour_law/green_paper_responses_en.htm

2007年10月11日 (木)

日本労働弁護団の50年

日本労働弁護団といえば、経営側の経営法曹会議と並ぶ労働関係法曹の団体ですが、そこから全4冊の大著が送られてきました。わざわざ私のようなもののところにお送りいただき有り難うございます。

さて、第1巻は第1部語り継がれる歴史、第2部権利闘争小史からなり、いろいろと勉強になりました。第2巻と第3巻は雇用と労働条件・人権の確立を目指してと題して、最近10年間の権利闘争を実際の裁判を取り扱った各弁護士が書いており、判決文だけでは判らない生々しい状況が浮かび上がってきてたいへん興味深い読み物になっています。4つめの別巻は資料集ですね。

歴史編を読んでいくと、労働弁護団ははじめは総評弁護団といい、総評の裁判闘争のために結成されたんですね。ところがそれがだんだん先細りになってきて、80年代には労働争議はほとんど激減して国鉄の分割民営化に対する国労の闘争くらいになっていたようです。そういう中で、新機軸を切り開く形でホットライン活動を始めたら、朝から晩まで電話が鳴りっぱなしの状態になり、そこからいわゆる市民的労働事件を中心に扱うようになっていったということです。

ある意味ではそこから労働契約法だの労働審判制だのといった個別労使関係への注目が進んでいくわけで、90年代初め頃が一つの歴史的転換点であったということが改めて理解されます。

同弁護団のHPはこちらです。最近の提言のたぐいもここに載っています。

http://homepage1.nifty.com/rouben/

非正規労働に関する組合の動向

ということで、今日から連合の定期大会が始まり、

http://www.asahi.com/life/update/1011/TKY200710110173.html

>連合の第10回定期大会が11日、東京都内で始まり、高木剛会長は「非正規雇用労働者の現状の改善に対する感度が鈍いと批判されている。これからは運動の柱に据えて、全力を尽くしたい」と非正社員の待遇改善を重視していく方針を示した。日雇い派遣の禁止といった労働者派遣法の規制強化も求めた。

ということです。具体的には、

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071011i303.htm

>連合の高木剛会長は11日、東京都内で始まった定期大会で、パートや派遣など非正規労働者が増えていることを受け、連合本部や地域組織に「非正規労働センター」を設立し、労働条件改善や組織化に最優先で取り組むことを明らかにした。

>同センターは、雇用や労働条件の相談、インターネットなどを活用した非正規労働者のネットワーク化を図るのが目的。労働組合加入を促進することで、昨年6月末現在で18・2%まで低下した労組の組織率向上も狙いの一つだ。

ちなみに、連合大会に民主党の小沢党首がやってきて、

http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20071011AT3S1100M11102007.html

>民主党の小沢一郎代表は11日、都内で開かれた連合大会のあいさつで「来るべき衆院選は最終の決戦の場。さらなる支援をお願いします」と述べ、与野党逆転に向けた協力を要請した。

んだそうですが、それは労働関係法案をどう扱うか次第じゃないですかね。インド洋の給油だとか年金保険料は保険の事務費にもびた一文使わせないだとかいうことに血道を上げて、まさか労働法案を潰すとかいうことはないですよね。・・・って、連合会長でもない私が言う話でもありませんが。

ちなみに、昨日都内某所で某某某・・・(謎)によると、民主党労働契約法案丸呑み説という噂もあるらしいですね。分量的にはあれくらいあるといいですが、中味がいささか一方に傾いていて使用者側はとても呑めないでしょう。

一方、これは単産レベルの話ですが、

http://www.asahi.com/life/update/1010/TKY200710100264.html

>私鉄やバスなどの労働組合でつくる私鉄総連(230組合、12万人)は10日、都内で中央委員会を開き、統一要求に掲げた非正社員の正社員化を実現するため、ストライキを設定することを決めた。正社員化要求のためのスト設定は異例で、ほかの労組にも影響を与えそうだ。

>私鉄総連は、3年以上継続して働く契約社員やパートの正社員採用を求める。対象者は非組合員も含め2万人程度。有給休暇の増加などほかの要求とあわせ、大手は11月27日までに経営側に回答を求める。話し合い解決を優先するが、12月9日に始発から正午までの半日ストを構える予定。

という記事もありました。

『現代の理論』2007秋号

あんまりメジャーな雑誌ではありませんが、いちおう市販されている論壇誌の『現代の理論』の最新号(2007年秋号)が、「雇用・労働破壊とたたかう」という特集を組んでいまして、その中に私の「非正規雇用のもう一つ別の救い方」という文章が掲載されております。

現代の理論編集委員会のHPはまだ更新されていないようなのですが、既に発行されています。

http://www.gendainoriron.com/

全体としては『世界』の3月号の特集に似た感じですね。最初の座談会が熊沢誠、櫻井純理、中村研の3氏だし、本田由紀さんがその熊沢氏の『格差社会ニッポンで働くということ』を書評していたり。

その中でいささか異色なのが多分私の文章とそのすぐあとの小林良暢氏の「職種最賃設定が雇用格差解消の突破口」という文章でしょう。

私のは、下で紹介している『世界』11月号の文章のうち非正規のところを膨らましたようなものですが、小林さんのは私とはまた違う視角からですが、政策の方向を提示しています。小林さんはもともと電機労連の方ですが、今は労働市場改革専門調査会、通称八代研のメンバーの一人でもあります。労働界代表という意味もあるのでしょうが、八代さんや樋口さんと共通する職種別賃金制への志向があるというのも選ばれた理由ではないかと思います。

>格差社会といわれて、国民は何をもって「格差」を実感したのだろうか。それは「中流層」の「中の下」の層の年収が、雇用の「非正規化」によって100万円ずつダウンしているのを目にしたからである。格差社会の突破口は、「下流層」の年収を100万円ずつ殖やせばいい。それには職種別最低賃金という新戦略を、政府も経済界も労働組合も真剣に検討するときが来ている。

という御主張で、多分八代さんとは共通するところが大きいのではないかと思われます。『世界』11月号の私の最後のところをお読みになった方はおわかりのように、実はこの点で私は大変懐疑的です。ジョブのない日本の雇用社会で職種別賃金が可能かどうか。

ただ、いずれにしても、政府ケシカラン、財界ケシカラン、労組もケシカランと喚くだけのよくある文章とは一線を画し、雇用格差問題に一定の視点からの明確な処方箋を打ち出しているという意味で、読む値打ちは大いにあります。

あと、読んで面白かったのは徳永祐介さんの「働く若者のいま」というルポで、日雇い派遣で働く若者や工場で働く派遣労働者が出てきますが、最後のところでこういう台詞が出てきたのには胸を突かれました。

>取材では「なぜ学校では労働法をきちんと教えてくれないのか」という声をよく聞いた。彼らは法律を知らないために働く者の権利に気付かず、不満を感じても「努力してこなかったのだから」「自分が悪いのだから」と己を責めてしまいがちだ。それが結果として企業の違法・脱法行為を許している。・・・

中学校、高校の正規科目に労働法を入れるとともに、大学の卒業認定に労働法の単位取得を義務づけるべきですね。

まあ、そこまではいきなり行きませんが、いちおう厚生労働省の来年度予算要求の中に、

http://www.mhlw.go.jp/wp/yosan/yosan/08gaisan/syuyou2.html#02

>○ 学校段階におけるキャリア教育の取組支援

>職業への理解促進、就職活動の仕方などに関する講習を行う高校生向け就職ガイダンスについて、就職希望者が多い学校を対象に引き続き実施するとともに、労働関係法制に関する知識を付与する教育や情報提供のあり方について検討する

というのが入ってはいます。

キャリア教育はおおはやりですが、職業意識の啓発だとか何とか上から偉そうに訓示を垂れるようなものじゃなくて、労働法の知識のような実用性の高いものをやって欲しいですね。

2007年10月 9日 (火)

障害児の親に対する差別

ガーディアン紙の記事ですが、

http://www.guardian.co.uk/law/story/0,,2185966,00.html

法律事務所に勤めていたシャロン・コールマンさん、41歳は、先天性呼吸障害のオリバー君、5歳の介護をしていますが、そのために差別的扱いを受け、退職を余儀なくされました。彼女は、これは見なし解雇だと訴え、これが雇用審判所から欧州司法裁判所に付託されたというニュースです。

ご承知のように、現在イギリスも含め全EU諸国では障害者差別は禁止されていますが、障害者の家族を介護していることを理由とする差別というのは初めてのケースでしょう。

欧州裁の判断が注目されます。

生産性新聞への寄稿

社会経済生産性本部が発行している週刊紙『生産性新聞』の最新号(2007年10月5日号)に短文を寄稿しました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/workeye.html

「ワークライフバランスと労働組合」という題を貰ったので、そういう中味を書いたのですが、紙面上では「ライフを守る粘り強い活動を 労働組合にこそできること」というかっこいい題名になっていました。

なお、これに関係する文章等はこちらから読めます。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/jjouken.html

協約締結権「公務員にも付与」 行革本部

さて、先週金曜日は私は午前中は労働判例研究会で詰まらない判決を一件評釈し、午後は連合総研のワークショップで水町先生にケチを付けていたのですが、その間に行政改革推進本部専門調査会では標記のような方向で一致をしていたようです。

http://www.asahi.com/politics/update/1005/TKY200710050391.html

現時点ではまだ行革本部のHPに関係資料も出ていませんので、この記事だけですが、要は、

>「非現業」の公務員のうち、一般職員に現在は認められていない団体協約締結権を与える方向で一致した。一方、労働基本権のうち他の団結権、スト権を認めることには異論が多く、とりまとめは見送られた。

ということですね。公務であって民間で代替できないという前提に立つ以上、スト権を与えないというのは適切な判断でしょう。一方、消防や刑務所の職員に団結権も与えないというのは、どこまできちんと考えた上での結論なのかはいささか疑問ですが。これは永遠にILOで言われ続ける問題ですから。

結局、非現業公務員も団体交渉で労働協約を締結するというのが建前の制度となり、現実には妥結なんかしないので労働委員会の仲裁裁定で決着するというのが現実の運用になるというオチでしょうか。

いささか霞ヶ関的モードになりますが、これが現在の労働委員会に来るとはどこにも書いてないんですね。人事院に代えて、内閣直属の公務労働委員会を設置するという話もあり得るかも知れません。ただいずれにせよ、問題の焦点は地方公務員の調停仲裁をどこでやるかという点にありそうです。

福井先生の対談録その5-荒木尚志先生

続く第7回は労働弁護団との丁々発止のはずですが、なぜかいまだに議事録が準備中ということで、一つ跳ばして6月12日の荒木尚志先生のラウンドです。

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/minutes/wg/2007/0612/summary0612.pdf

荒木先生は実にバランスのとれた方ですので、そのご説明のところを読むだけで現代労働法の的確な要約になっているのですが、対話のところから面白いやり取りを引用しますと、

>○ 福井主査 ありがとうございました。大変詳細に御説明いただき、勉強になりました。
それでは、あとは御質疑ということでよろしくお願いします。
特に解雇のところでお示しになられたアメリカ、ドイツモデルと比べた日本モデルの特徴ですけれども、先生のお考えは、どちらかというと、雇用量についてある程度雇用保障を踏まえた上で、労働条件の柔軟性というそこを生かしていくべきだということてすね。
○ 荒木教授 雇用システムの中核としては、それが私は適切だろうと考えております。
○ 福井主査 その場合の、アメリカモデル、ドイツモデルと比べた日本モデルの特質、更にもうちょっと細かくアメリカと比べた利益・不利益、ないしドイツと比べた利益・不利益などについて、更に御知見がいただけるようでしたら教えていただけますでしょうか。例えばアメリカよりは、この点ではうまくいっているけれども、この点ではうまくいっていない。あるいはドイツよりはこの点ではうまくいっているとか、もしそういったことがございましたら。
○ 荒木教授 アメリカモデルとの違いは、1 つは、外部労働市場が整備していない結果、用保障が、交渉力の非対象性を補完する機能を営んでいるわけです。いやだったら首だぞと言われますと、どんどん労働条件の低下をのまざるを得ないという状況で、交渉力を下支えしているという機能ですが、労働者によっては、それだったら転職するぞと言えた方が交渉力を強くする労働者もいる可能性があります。そういう人にとっては、むしろ自分は転職する。アメリカの大学教授などは典型ですけれども、給料上げなかった別の大学に行くぞといえる。そういう転職ができることが自分の労働条件を引き上げにつながるような労働者にとっては、より外部市場が整備された転職しやすい市場があった方が、自分にとっては有利だということになるでしょう。
しかし、問題はそういう人はどの程度いて、大多数の労働者はどういう状況があるかという点で、このことを踏まえた議論をするのが大事だという点です。
それから、ドイツモデルとの比較で言いますと、日本モデルは労働者本人がイエスと言っていないのに、使用者が変えた就業規則で労働条件が変えられる。これはおかしいではないかという議論があります。
実はそれが雇用保障を支えてきた裏面になりますので、そこをよく考えないと、労働条件を変更してはいけないということであれば、雇用面での保障も一定程度下げざるを得ないということになろうかと思います。
ただし、これからは自分で自分の労働条件を決めたい、自分はこの地域でずっと住んでいきたいから、転勤は困りますという勤務地限定社員のように、労働条件を個別契約で特定する労働者が増えてきます。その場合に、就業規則で自由に変えられるかというと、実はこれまでは余りはっきりしていなかったんです。この点、今回の労働契約法の就業規則法制は、自分で、契約で決めた労働条件については就業規則では変えられませんよということを明らかにしております。
つまり、自分で自分の労働条件を決められるという点では、ドイツモデルと比べてデメリットと見られていた点について、今、あたらしい対応がなされようとしているということだろうと思います。
そういう自分で労働条件を決められる、逆に言うと内的な柔軟性が少なくなった方については、それに応じてある程度、雇用保障の程度は下がるということも必然的に生じるということだろうと思います。
言うなれば、労働者自身がセキュリティーとフレキシビリティーの多様なバランスからなる雇用モデルを選べるというようにしていくことが大事だと思います。

アメリカの解雇自由についても、

○ 荒木教授 モンタナ州だけが解雇は自由にできない、解雇に正当事由が必要だという州法を持っております。
アメリカで労働法学者か中心に、モンタナ州のように、ほかの州でもそういう雇用保障を立法化すべきだという運動を盛んにいたしましたが、ほかの州には広がりませんで、現在ではやはり解雇は自由という底流は変わっておりません。
しかしながら古典的な解雇自由は本当にひどい自由でありまして、使用者のために裁判で偽証しろと言ったのに、偽証しなかったので解雇した、これもよろしいというふうな極端な解雇の自由でした。そういうのはさすがにおかしいということで、公序良俗に反するものとか、信義に反するものについては、少し解雇の自由を修正するという状況にあります。それだけでもアメリカでは大騒ぎでしたが、日本やヨーロッパに比べると、依然としてかなり自由だというのはそうです。

と親切な説明をしています。

アメリカ型だとどういうことになるかというと、

○ 荒木教授 それはそうですね。しかし、国の政策として考える場合に、大事だと思うのは、教育訓練インセンティブを使用者に与えるような政策かどうかということです。アメリカの制度では要するに労働者は短期にどんどん流動化していきますから、使用者が教育費用を投資して育てようというインセンティブを持ちません。そうすると、志のある上層の人たちは自分でM B A とか取って、出世していきます。しかし、大多数の労働者は必ずしもそういう努力はしない。不況が来るたびにまず解雇されるといったことが格差の拡大につながっていく可能性はあると思います。

解雇を自由にするのが「脱格差」というわけにはいかないのですよ、みんなが修士号や博士号目指して自力で勉強するわけではないということですね。普通の労働者の姿が目に入っているかどうかと言うことでしょう。

ちなみに、規制改革会議の側からも、

○ 有富委員 そこですけれど、私は雇用法制については、かなり制限をしているヨーロッパ型の方が少しいいのではないかという感じがします。ただし、条件設定が悪平等だと問題だと思います。例えば、わかりやすく言うと、仕事の遅い人が夜遅くまで残業すると、深夜残業手当が出て給料が多くなるわけです。一方で、生産性の高い人は、早く仕上げて帰ってしまうと、残業代が付かないですね。これは何かどこかで悪平等な感じがします。
こういった点を直す仕掛けは、だからと言って性急に基準の基になるところまで変えようというのではなくても、プラス・アルファの部分ぐらいはもう少し柔軟にするという制度を取り入れて工夫すると、日本の労働法制はもっと労使双方にとってお互いに使い勝手がよくなるような気がします。
○ 福井主査 いかがですか。
○ 荒木教授 まさにそういう能率の悪い人の方が残業して給料が高くなるという矛盾に対して対応しようというのが裁量労働制だったのです。ですから、これをどういう場面にどれだけ適用するのかという、そこの場面。
○ 有富委員 さっきの話しのように、対象業務のポジティブ・リストみたいな形で、なんでもかんでもお役人がO K する制度ばかりではなくて、日本では労働組合というのもわりとしっかりしていますから、やはり実態がわかっている労働組合等とよく話して、そういう制度を取り入れるべきだという気がします。
○ 荒木教授 そのために、手続がちゃんとしているからいいというためにこそ、その手続の担い手というのをきちんとしたものとして、設計することが大事ですね。
○ 有富委員 非常に大事だと思います。企業側の恣意的な形が出てくると、それもよくないと思います。いろいろ教えていただきまして、ありがとうございました。

まさにそういう話だったのですよ、ホワイトカラーエグゼンプションもね。今さら『世界』の3月号を読んでくれとは言わないですが。

福井先生の対談録その3-連合

続く5月18日はいよいよ連合です。古賀事務局長に、長谷川裕子、龍井葉二という最強(?)の組み合わせ。

ホワエグをめぐるやり取りも面白いですが、フォーカスはやはり龍井さんのこれでしょう。派遣の見直しの話から展開してきて、

○ 龍井総合局長 1 点だけ申し上げたいのは、結局日本は初任給から始めるわけです。半人前から始まって、一人前になる。スキルも生計費も。今言われたのは、ジョブ型になっていって、資格を取ろうが、大学を出ようが何でもいいですけれども、皆さんがそうおっしゃるイメージのときに、勤続ゼロ年であるところに行く人というのはイメージが湧きますか。問題はそこです。それがあるシステムが、それはスウェーデン型のように国でやってもいいし、ドイツ型のマイスターでもいいし、アメリカみたいに資格でやってもいいし、いずれにしろ勤続ゼロ年で、ここからスタートしますという人が、今はS E などでも若干いるけれども、途中で終わってしまうじゃないですか。
そういう人たちが出てくる、企業の在り方ではなくて、社会の在り方としてのイメージができるのであればお互いに議論できると思います。今は正社員とおっしゃるのだって、20 万からスタートするわけじゃないですか。中で、O J T でスキルアップしてやっと一人前になっていって、一人前になった人は次に派遣に行けます。今は一人前に行けないわけです。そのスキームを、今までは終身かどうかは別にして、企業内のO J T でやってきました。それを組み替えるのであれば、どういう仕組みで半人前を一人前に、だれの責任とだれのコストでやるんですかという対案がないと、一企業の中の正社員とバッファというのでは、人材は絶対育っていかないです。

○ 福井主査 対極的なところにアメリカや最近のイギリスのような解雇なり雇用なりについてかなりフリーな国があるわけです。ああいった国のモデルというのは、仮に日本に応用できるのかどうか。何か当てはめる余地があるのかどうかという点はどういうふうにお考えになりますか。
○ 龍井総合局長 ちょっと誤解があると思っていますのは、もともと長期雇用というのは法律ではなくて、組合の要求ではなくて、移動していたのが当たり前だった時代に、御承知のように企業がインセンティブで引きとめにかかったわけです。引きとめにかかって、我が社スキルを要請したわけです。そのときに勿論、さっき長谷川さんが言った積み上げの中でルールというのはできてきますけれども、もともとの企業経営でやったのは、自分がやりたいからつくったわけです。その在り方、雇用システムでベースにしないと、法律の在り方でA パターン、B パターンというのはちょっと間違えるのではないかなという危惧があります。

○ 福井主査 おそらく日本の企業でも勿論、最初は安く抑えて、だんだん年功序列で高くなって、収支は生涯で取るというシステムが1 つの典型で、今も根強いと思いますが、最近やや変わってきているという経済社会情勢の変化がございますね。
変わったのに応じて、熟練をどこでするかという論点もあり、それはアメリカなどでも同じ問題があるのですが、聞いているところでは、比較的製造業のブルーカラーなどは終身雇用・年功序列に近い形態が事実は普及している。そうでないホワイトカラー、企画的業務では、かなりすぐ首を切られるけれども、すぐ転職ができるという状況です。
そういうモデルの導入余地についてはいかがですか。
○ 龍井総合局長 最後は企業を超えて、厳密にディスクリプションまでいかなくても、電機のこういう業界だったら、こういうスキルだったら移動してもこんなものかと。さっきバッファとおっしゃったのは関係があって、同じバッファであっても、在勤で移動する場合と、あるスキルで移動できると両方あるわけです。ここのルールが残念ながらはっきり言ってありません。中小の製造業では下町を移動する場合には親方の目利きで大体こんなものだなと下がることはない。それが今おっしゃったホワイトカラーというときに、そのスキルが、そういう汎用性が、厚生労働省もいろいろ実験はしてきたけれども、やはりできていないわけです。
2 つ考え方があって、欧米的なジョブを何としても目指すと考えるのか。もうちょっとファジーな大括りなジョブみたいなところで、それこそ業界か何かで考えていくようにさせるのか。おっしゃったようにそのインフラがないと、そのシステムだけでは難しいです。

○ 福井主査 多分大勢はそんなに変わらないと思います。ただ、そのルールの問題としては、これまでの伝統的、支配的だった雇用秩序なり雇用慣行を特に推奨するというより、
その例外に位置づけられても構わないという業種、業態や企業規模、あるいは労働者について、別の選択をしたときに法律なり判例なりもそれを応援し得るような多様性を仕組みの中にインプットする余地はあるのではないかとも思います。
○ 龍井総合局長 やはりセット販売です。これはよくてこっちだけやるというのはできないです。

ここで長谷川さんがさりげなく皮肉を。

○ 長谷川総合局長 この間、各企業の企業の3 0 代後半くらいの若手の人たちとの勉強会があったのですが、やはり先生みたいにおっしゃるのです。もっと労働市場を流動化させて、移動できないかと言うので、私は「あなた、会社を辞めてみたらどうですか」と言いました。まず会社を辞めて、自分でどこか仕事を探して、やはり私は幸せだったわと思えるかどうか。それぞれの会社でものすごく期待されているあなたたちだから、まず自分で辞めてみて、今よりもっと条件のいいところに行って、自分は幸せだったというのだったら、是非教えてほしい。そうすればみんなもっと移動しますよと言ったら、みんな黙ってしまった。
○ 福井主査 転職市場が小さいですからね。実際上は移動の自由はなかなかないですね。
○ 長谷川総合局長 そういうのは自分でやってみてから言ってくださいよと言いました。
例えば研究者は移動しますね。西の方にいて東京の方に来たり、と。あと弁護士の方もする。看護師は1 つの病院に3 年くらいいると、いやになって別な病院に移動する方が多いようです。
○ 福井主査 何でいやになるのですか。
○ 長谷川総合局長 よくわからないです。看護師はとにかく定着しない。その病院で婦長さんだけは唯一2 0 年選手で、あとはもう3 年くらいでどんどん移動すると言われています。
あとの職種では余り移動するというのは聞いたことはない。
だから、大手の企業で優秀なところの中堅社員が移動するかどうかですね。

まさにこのような、自分のことは棚に上げて長谷川さんに労働移動自由化論をぶつ中堅社員の皆さんが、ブロゴスフィアでも気勢を上げているのではないか、と。これも余計なことですが。

福井先生対談録その2-菅野和夫先生

続いて5月17日付の第6回は、「労働法の権威でいらっしゃる菅野先生にお見えいただきまして」労働契約法やホワエグをめぐって議論がされています。

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/minutes/wg/2007/0517_03/summary051703.pdf

ここでも、やはり中心の議論は、

○ 福井主査 さっき特に解雇について、アメリカのように非常に簡単な解雇ができるのが一種の国民のチョイスであるというお話がございましたが、アメリカとか、比較的解雇が簡単だと言われているイギリスのような社会に対して、恐らく日本国民が現在、法律で選択しているのは一種の解雇権制約的なものだと思うのですが、アメリカ、イギリスのような姿と日本のような姿と対比してのメリット・デメリットというようなことについては、先生はどういうふうに見らおれますでしょうか。
○ 菅野教授 結局、アメリカの法制というのは外部労働市場型の雇用の仕組みを想定していると思います。これに対し、我が国は、圧倒的に内部労働市場型の雇用の仕組みです。
そして、雇用の仕組みとして見たら、どちらも長短あるのであり、いずれにするかは経営者のチョイスだと思います。日本企業が人材を外部労働市場に全く依存するようなリスクを取るかということであって、やはり製造業は取らないと思います。サービス産業では双方あり得るでしょうが、基本的にはチョイスに委ねることだと思います。サービス業でも、やはり中核の人材はなるべく行く末の信頼できる社員に委ねたいという願望はまだまだ強いと思います。それを前提にして、解雇をアメリカのように自由にするという政策はまず通る見込みはないと思います。雇用の安定というのも社会の安定の基盤だと私は思っています。
一番いいのは、 内部労働市場と外部労働市場がうまく接合されている状態だと思います。
移りたければ移れる、採りたければ採れる。なかなかそのような労働市場の国はないのですが、理想はそうだと思います。

まさに市場における経営者の選択の問題なのですね。ただ、制度的補完性というのがありますから、いりまじりというのはなかなか難しいわけです。

とはいえ、それを労働法上区別することは不可能ではないし、現にありうるということは、

○ 福井主査 だからこそ、非常に影響力をお持ちになられているのだと思うのですけれども、特に個人としての労働者ということを考えたときに、先生方の問題意識を発展させると、例えばある個人で、終身雇用でめったなことでは解雇されないことを望む人と、そうでない人と、多分、両方あり得る。ないし間に濃淡もあり得ると思います。自分はある程度、キャリアアップするので、生涯、解雇されないというような保護は要らないから、その代わり年俸制でもうちょっとちゃんとした処遇が欲しいとか、あるいはスキルアップのための何らかの特別な研修が欲しいとか、解雇権制限以外のメリットと引換えに雇用されたいというような方がいるかもしれないという気がします。そういう方も、今は一律に、一種の情報の非対称があって、雇う前に使用者は採用志願者の主張が本当にそうかどうかということを見分けるのはなかなか難しいですから、基本的には後で解雇権濫用法理を援用するかもしれない人だという、一種のリスクの期待値を見込んで採用せざるを得ない。
そこに一種のシュリンクがあるような気がします。
それをもし峻別できれば、自ら望んで、不安定だけれども、別途、高給や高処遇を要求するというような労働契約のバリエーションが許される余地があるのではないでしょうか。
○ 菅野教授 ハイリスク・ハイリターンですね。
○ 福井主査 そこが、今、どうも一律になっているような気がします。
○ 菅野教授 しかし、裁判所は、やはり即戦力で、高い能力を期待された人は、それが裏切られたら解雇はしようがないと、はっきりしています。だから、そこは契約上、そういうもとして雇うということをはっきりさせる。そして、解雇のときには、勤続も短いですから退職金などは、少ないので、転職のサービスを利用させるなど転職支援があれば、期待された即戦力が全くない労働者について、客観的に合理的な理由を認めるという判断が十分あり得るわけです。

と解説しています。

また、労働条件変更に対しても厳しいではないかという和田さんに対し、

○ 和田専門委員 さっきの、解雇が厳しくて、その他の面で緩やかだというお話の関係のところで、少なくとも就業規則の点では、そんなに緩くないのではないかと私には思えます。なぜかというと、会社の調子の悪いようなとき、判例などを見ていると、整理解雇できるぐらい会社が傾いていないと、就業規則による不利益変更、特に賃金とかの不利益変更は認めてくれないような、バランスになっているように思われるからです。
○ 菅野教授 賃金の3 割よりも、今の私の一般的なイメージだと判例が許容するのは2 割くらいですか。
○ 和田専門委員 この間、やっと、よくて3 割でしょう。
○ 菅野教授 それは、相当に経営危機でないと、それ以下はだめだと。企業としては、雇用を守りながらそういうチョイスをしたのに、それが否定されたという感じですか。
○ 和田専門委員 そうです。
○ 菅野教授 法律家の頭だと、やはり基本的な労働条件とか賃金というのは、合意がないと変更できないはずだというところから出発すると思います。ただ、必要性があって、経営上やむを得なければ合理的変更ができる。それを判断するというのだから、あるところでチェックはすると。それのさじかげんになるわけですけれども、経営側の弁護士さんから見ると、そういう感じかなと思いますけれども、ヨーロッパ的な感覚から言うと、すごい柔軟性ですね。日本の就業規則の合理的変更法理は相当の柔軟性です。
○ 和田専門委員 済みません、その辺は勉強不足でした。

と、さりげなくたしなめています。

福井先生対談録その1-学歴採用論

規制改革会議のHPに労働タスクフォースの議事録が一挙に掲載されています。

いずれも大変面白いので少しずつ読んでいきましょう。

まず、5月15日付の第5回、経済同友会の小島専務理事との対談ですが、労働規制緩和についてはまあそんなところかという風に進んでいきますが、俄然面白くなるのが福井先生お得意の「解雇規制なんかがあるから企業が学歴だけで採用したがる」論について、

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/minutes/wg/2007/0515/summary0515.pdf

○ 福井主査 会員企業の新卒、中途採用市場での採用戦略として、我々が1 つ念頭に置いている仮説は、解雇がしにくいと勿論、正規雇用よりも非正規雇用を増やすというのは当然あり得ることですし、非正規雇用の中でも、比較的有期雇用なり派遣なり、権利保護の強い類型を選ぶときには、できるだけ後でトラブルが少ないような人を選ぶ傾向がどうしてもあるのではないかということを考えているわけです。
具体的には、給与に見合う労働生産性を発揮してもらう確率が高そうな人。言い換えれば、ある程度のブランド学歴を持っている人をどうしても中心に集めたがる。それが合理的な経営採用戦略になっているという傾向がありはしまいかという仮説も持っているのですが、そういう傾向は会員企業の間にはありそうですか。
○ 小島専務理事 非正規雇用の採用についてそういう傾向があるかどうかはちょっとわかりませんけれども、むしろ普通の新卒の採用に関して言うと、我々のところでアンケートをとった結果は、少なくともどこの大学を出たかということに関しては、全く重点を置いていないというのが会員企業の答えです。
やはり、人柄なり、能力がどこまで見られるかはともかくとしてね。
○ 福井主査 本当ですか。建前上公表されることが前提になっていると余り露骨なことが言えないということはないですか。
○ 小島専務理事 個別企業について公表しているわけではなくて、会員全体に対してとったアンケートの答えですから、決して建前ではないと思います。
現実問題として、私も1 つの会社におりましたけれども、そこでも別に大学のレッテルというよりはやはり本人次第なので、それこそ私どもの会社などは、なかなか東大の人などは受けに来ないですけれども、ある年東大が4 人来たけれども全部落としましたなどという話もあるぐらいで、それは全く大学のレッテルではない採用の仕方です。
○ 福井主査 就職面接のプロセスを通じて、ある程度能力を見極められると自信を持っておられる企業が多いのですか。
○ 小島専務理事 それは程度問題ではないですかね。
私どものところなどは、せいぜい採っても5 人とか6 人しか採りませんから、それに例えば1 0 0 人ぐらいの人が来たときに、やはりずっと見ていきますと、それはある程度の能力なり性格もありますね。共同に仕事をしていくときに、暗くて何も言わないような人は、幾ら能力があるからといっても採れませんね。
そういういろんなことはあると思います。ですけれども、それはどこの大学だという話ではなくて見ているようです。私自信が直接やっているわけではないからあれですがね。
○ 福井主査 それが本当なら、そんなに問題ではないのかもしれません。
一方では、表では言わないけれども、それは当然、学歴差別をしますよという企業も、よく聞こえてくるものですから。
○ 小島専務理事 ですけれども、率直に言うと、私はそんなことをしていたら適当な人が採れなくなるのではないかという気がします。
○ 福井主査 多分、面接のときにも人柄とか能力がある程度わかるような業種とか職種ですと、ある程度相関はあると思います。例えば営業とかであれば、ある程度人当たりを見ればわかるとか、経理の仕事だったら数的処理能力とかパソコン能力を見ればわかるとうのはあるかもしれないけれども、企画やアイディアなどの込み入ったことが必要になる、度の専門的知識が必要になるという辺りになってくると、総合力などはなかなか面接で見抜けないかもしれない。
そうすると、後で意外に外れたということになる。
○ 小島専務理事 それは幾らでもありますよ。
○ 福井主査 そのときに、要するに同じわからないのだったら、無難な者を採っておくという企業もあるかもしれない、という傾向がありはしまいかということをお伺いします。
○ 小島専務理事 これは、アンケートからだけでは何とも言えませんけれども、恐らくそれで過去、みんな失敗しているのですよ。

これはすべてのことについて言えますが、学者が頭の中であれこれ考えることを、企業の実務家は現実の日々の作業の中で実験検証しているのです。「恐らくそれで過去、みんな失敗しているのですよ」という経営者の言葉の重みをもう少し考えるべきではないでしょうか。

(また余計なことをといわれるかも知れませんが、最近の本ブログをめぐる騒動を見ても、どういうタイプの人間が学歴にこだわるかはよく理解できるところですし)

解雇規制については、大変本質的な議論をしています。

○ 安念委員 専務の個人としてのお考えでも結構ですけれども、日本の経営者さんは恐らく無限に自由な解雇法制というのを支持される方は意外に少ないと思います。先ほど専務もおっしゃったように、アメリカの場合ですと、景気がいいときでも結構解雇しますよ。
要するに、ある部門の仕事がなくなったらもうそれで解雇だというやり方をしますね。それは非常にわかりやすいと言ったらわかりやすいので、まさにエンプロイメント・アット・ウィルです。
これはやはり、少なくとも日本の経営者の感覚にはなじまぬものですか。
○ 小島専務理事 要するに、私は、将来はわからないですね。つまり、雇用自身が日本の場合は、いまだに、言ってみれば総合職と一般職とかいろいろあるけれども、いずれにしても、あなたにどういう仕事をさせますかという採用の仕方をしていないのです。
そうだとすると、この仕事がなくなったからあなた首ですとは言えないわけです。ですから、そういう採用の仕方を、あなたはこういう仕事をするために採用しますという仕方をきちんと導入できれば、それはそういう解雇の仕方があっていいのではないかと思います。現に、例えば日本の外資系などではそれをやっています。
○ 安念委員 私の女房もそうですので、よくわかっています。
○ 小島専務理事 ですから、そういう採用、雇用の仕方を日本の企業が導入できるかどう
かですね。ですから、これはそこ次第なのではないでしょうか。
○ 安念委員 そういう方向性のようなものはあるのですか。それとも、やはり総合職なら総合職。つまりいろんなところを、事前の予告と関係なしにルーチンでぐるぐると回していくというのが、ここしばらく、例えば1 0 年とか2 0 年ぐらいのスパンで見るとそんなには変わらぬものだとお考えになりますか。職種採用というのはどうですかね。
○ 小島専務理事 1 0 年、2 0 年が一般と考えればわかりませんね。そういうことが導入される職種というのも出てくるだろうし。
○ 福井主査 製造業の一部は、実質的には職種採用に近いのではないですか。工場のラインのようなところですと、旋盤の専門家とか製造の専門家とか。
○ 小島専務理事 それはあるかもしれませんけれども、逆に言うと、ブルーカラーの方がある意味では終身雇用にならざるを得ないと思いますね。
○ 安念委員 経験によって生産性が高まってきますからね。
○ 小島専務理事 やはり、ずっと経験によってあれをしていくから。
○ 福井主査 確実にスキルが上がりますね。
○ 小島専務理事 ですから、ブルーカラーの方についは、むしろ終身雇用、年功序列というのは、あるいはかなり遅くまで残るのではないかという気がします。
ホワイトカラーの方は、先ほどおっしゃるような、この仕事で採用ということは次第に入ってくる可能性はあると思いますけれども、それは逆に言うと、企業の採用担当というか、逆に言うと、人事部を辞めて、企業がそれぞれの部署で人を採るというような仕組みができてくれば、それはあり得るかもしれないですね。
○ 福井主査 社内異動でも、実質的には転職と同じように、先方が望んで、本人が望み、先方が望まない限りは移れないというものはあり得ますね。
○ 小島専務理事 そういう仕組みが入ればね。ただ、日本の場合は、本当に社内異動は全部辞令一本でという話ですからね。

○ 福井主査 きちんとした業績評定ができていなかったら、自信を持ってあなたは残ってもらう、あなたは辞めてもらうとは言えませんね。そこの評価基準が若干はっきりしないんでしょうね。
○ 小島専務理事 それが評価基準がはっきりするということです。
もっと言えば、例えば日本の成果主義がなかなかうまくいっていない1 つの理由は、まさにそこになんです。ですから、勿論、日本の今の、例えばホワイトカラーの働き方にしても、先ほど申し上げたチームで働いているような意識はすごく強いです。しかも、そのチームが融通無碍に変わっていくわけですね。そうすると、一体たまたま上司にだれかいたかということによって、処遇にすごい差を付けざるを得なくなってしまうという問題があるので、それはなかなか難しい部分はあるんではないでしょうかね。

まさにジョブ型とメンバーシップ型の議論です。経団連に比べていささか地に足のつかない議論もできる同友会といえども、一般論としては福井氏や安念氏の議論におつきあいはしても、やはり自分の会社でどうするかという話になれば、そう簡単にジョブ型でいきましょうというわけにはいかないという経営者ならではの姿勢がよく示されています。

2007年10月 8日 (月)

人事コンサルタントの発想

あるブログからたくさん来客があるようなので覗いてみると、私の論説について「後味の悪さは何なのだろうかと思う」とか「ロジックに大きな違和感を感じるのである」とか「これが官僚の発想というものだろうか」と評されてるようです。

http://blog.goo.ne.jp/nag0001/e/ef5d4fb4d559685c95e0690d30f0f14e

「官僚の発想」であることは出自からして云うまでもありませんが、問題はそれを否定して他のエントリー等で提示されているものの考え方が、労働の現場から見てどうなんだろうかということなんですね。

まさにこの十年あまり、企業の労働現場は人事コンサルタントの皆様方のありとあらゆる素晴らしき人事新制度を導入しては、現場に混乱をもたらすと云うことを繰り返してきたのではないのでしょうか。

現場で苦悩する労務屋の皆さん方からすると、官僚の押しつけも困ったものであったかも知れませんが、最大の被害は、もっともらしいカタカナ用語で武装した空っぽな制度をトップの命令で押しつけられ、現場との調整にへとへとになるという事態であったのではないかと思われるのですが。成果主義も、トヨタのような所は見事に換骨奪胎してうまくやっているようですが、人事コンサルタントの云うがままに導入したところは死屍累々と云うのが多いのではないでしょうか。その辺、官僚の反省も必要ですが、コンサル業界の反省がされたとか云う話は聞いたことがありません。

官僚の発想もアロガントになりがちですが(とくに経済官庁系に顕著。自分が一番賢いと思いこむ輩が霞ヶ関には多い)、そこは労働官僚は労使第一ですから、労使が反対するのに無理に押しつけるなどと云う馬鹿げたことはありません。まずは労使のご意見をどうぞというのが習い性になっていますのでね。

とにかく、「後味の悪さは何なのだろうかと思う」とか「ロジックに大きな違和感を感じるのである」とか「これが人事コンサルの発想というものだろうか」という印象を持ちました。

2007年10月 7日 (日)

“市場万能社会を超えて-福祉ガバナンスの宣言”

前にちらとご紹介しましたが、11月27日の午後に、連合総研の設立20周年記念シンポジウムが開催されます。

http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no220/annai_symposium.pdf

連合総研設立20 周年記念シンポジウムのご案内
“市場万能社会を超えて-福祉ガバナンスの宣言”

連合のシンクタンクとして設立された財団法人・連合総合生活開発研究所は、この12 月1 日に設立20 周年を迎えます。これを記念して、“市場万能社会を超えて-福祉ガバナンスの宣言”をテ-マにシンポジウムを開催いたします。
グロ-バル化が強まるなかで、これからも市場原理に「身」を委ねていくのか、それとも人々の福祉の発展を重視し、市場と社会の新しい関係を築いていくのか、また、ケインズ的総需要拡大政策とも新古典派的財政収支均衡政策とも異なる政策路線を展開していくのか否か。私たちは今、これからの社会のあり方について大事な選択を求められています。
こうしたなか連合総研は、「現代福祉国家への新しい道」研究委員会を2006 年1 月に立ち上げ、現代福祉国家再構築の視点から市場万能社会や日本型福祉社会を超える新しい理念・デザインとこれを実現する主要課題のあり方等についての研究を行い、このほど『福祉ガバナンス宣言』と題する報告・提言をまとめました。
今回のシンポジウムでは、市場主義とも、かつての利益誘導型「土建国家」とも、さらには20世紀型福祉国家とも異なる、いわば「第4 の道」ともいえる新しい福祉ガバナンスについて、パネルディスカッションと講演を通じて深めていきます。

●日 時 2007 年11 月27 日(火) 13:00 ~ 17:30
●会 場 東京「ホテルグランドパレス」 2 階・ダイヤモンドル-ム
〒102 - 0072 東京都千代田区飯田橋1 - 1 - 1 TEL. 03 - 3264 - 1111
●参加費 無料
●参加者 連合・労働組合関係者、学者・研究者、政党・議会関係者、マスコミ関係者、
市民等、約300 名を予定。
●プログラム
  12:00 ~ 受付開始
  13:00 ~ 開会
主催者代表挨拶( 連合総研理事長 草野忠義)  
  13:10 ~ パネルディスカッション 「市場万能社会を超えて-福祉ガバナンスの宣言」
コ-ディネ-タ-兼パネリスト
      宮本太郎  北海道大学大学院教授
パネリスト 広井良典  千葉大学教授
      濱口桂一郎 政策研究大学院大学教授
      マルガリ-タ・エステベ・アベ 米国ハ-バ-ド大学准教授 
  16:40 ~ 特別講演  神野直彦 東京大学大学院教授
  17:30 閉会
 ※ 18:00 ~ 20 周年記念レセプション( 同ホテル内)
      以 上

ということですので、こういうテーマにご関心のある方にとっては大変面白いシンポジウムになるのではないかと思います。

2007年10月 5日 (金)

『世界』11月号

ということで、本日のワークショップでも申し上げましたが、岩波書店の『世界』11月号に」、私の「労働ビッグバンを解読する」が掲載されております。

http://www.iwanami.co.jp/sekai/index.html

結構面白いと思いますので、お買い求め頂ければ幸いです。

本日のワークショップ

ということで、本日下記ワークショップでいくつか発言して参りました。

来るだろうなと思っていてやっぱりきたのが複数組合平等主義の話。まあこれは議論を呼ぼうと思って言った話ですから当然ですが、残念なことは請負と派遣の関係について議論が出なかったことです。まあ、5時ジャストにいきなりどやどやとやってきてというのもありますが、やっぱりもう少し討議の時間が欲しかった感じですし、これは内々の話ですが、もっと若い世代の声を出して欲しかった感はありますね。

それと、せっかくマスコミの方が来られていたのだから、是非その声を聞きたかったというのが率直なところです。

新しい労働ルールのグランドデザイン策定に向けて

既にここでも告知しておりましたが、本日午後2時より下記のようなパネルディスカッションに出席いたします。

http://www.rengo-soken.or.jp/houkoku/simpo/20071005initiative2008/1005workshop.html

連合総研ワークショップのご案内

「新しい労働ルールのグランドデザイン策定に向けて」

-イニシアチヴ2008研究委員会・中間報告会-
  
 労働を取り巻く状況が大きく変化している今こそ、労働に係るルールについての新たなグランドデザイン(全体構想)が求められているのではないでしょうか。
 連合総研は、本年4月に「イニシアチヴ2008―新しい労働ルールの策定に向けて」研究委員会(主査:水町勇一郎・東京大学社会科学研究所准教授)を発足させました。そして、労働法制についての歴史研究や最先端の理論研究を踏まえながら、「労使関係法制」「労働契約法制」「労働時間法制」「雇用差別禁止法制」「労働市場法制」を柱とする新しい労働ルールのグランドデザインの提起に向けて検討を重ねています。
 このワークショップでは、研究委員会におけるこれまでの検討結果を中間報告するとともに、実務家・研究者の皆様との意見交換を通じて、新しい労働ルールのあり方について一緒に考えたいと思います。ふるってご参加いただきますようお願い申し上げます。

  と き    2007年10月5日(金) 14:00~17:10

  
  ところ   東京・御茶ノ水「中央大学駿河台記念館」2階・280号室
       ※ JR「御茶ノ水駅」から徒歩3分、丸ノ内線「御茶ノ水駅」から徒歩6分
         千代田線「新御茶ノ水駅」から徒歩3分、都営線「小川町駅」から徒歩5分       

  参加対象 労働組合の政策担当者、企業の人事・労政担当者、研究者・研究機関、
          記者クラブ・労働ペンクラブならびに労働法制に興味をお持ちの方
  
  参加費   無料

       ※ お申し込みは、「参加者登録用紙」(ここをクリック)を9月21日(金)までに
         FAXしてください。(定員に達し次第、締め切らせていただきます)

  担 当    連合総研 川島・山脇(TEL:03-5210-0851、FAX:03-5210-0852)
プログラム
  14:00~14:05  主催者代表挨拶
  14:05~14:55  基調報告
              水町勇一郎・東京大学社会科学研究所准教授
  14:55~15:20  コメント1 [経済学の視点から]
              神林龍・一橋大学経済研究所准教授
  15:20~15:45  コメント2 [政策的な観点から]
              濱口桂一郎・政策研究大学院大学教授
             (休憩)
  15:55~17:10  フロアーとの意見交換・質疑応答 

私は水町先生にケチを付ける役回りなので、できるだけ真っ正面からやるようにしますね。

労使団体の方々に加えて、研究者やマスコミの方々も数多く参加されるようで、大変楽しみです。

2007年10月 4日 (木)

Watashi wa kila dess

ブリュッセルの公園で屍体が発見され、その傍に「Watashi wa kila dess」という紙が落ちていたという事件。調べてみると、ブリュッセル南郊のドゥーデン公園、私が10年ほど前に住んでいたところから歩いて1キロちょっとのところではありませんか。ブルブル。

まあ、私がいた頃から日本マンガは流行っていましたが、ますます盛んなようで、この点については麻生前幹事長と同意見ですが、しかしブリュッセルに「キラ」が出現するとはね。

トヨタ、期間従業員を組合員に

日経の記事ですが、

http://www.nikkei.co.jp/news/sangyo/20071004AT1D030A303102007.html

>トヨタ自動車労働組合(鶴岡光行執行委員長)はトヨタ自動車の国内12工場で働く約9000人の期間従業員を順次、組合員として受け入れる方針を固めた。来年夏までにまず2000―3000人を迎える。賃金や待遇の改善を進める狙いで、トヨタも人材の定着や正社員化につながるとみて前向きに応じる姿勢だ。流通業で始まった「非正社員」の待遇改善や正社員化の動きが製造業でも一気に加速しそうだ。

>すでに国内流通業界では大手スーパーなどが大量のパートを組合員として受け入れ、賃金や待遇改善を労使で交渉する流れが定着してきた。自動車業界でも部品メーカーなどを含めると期間従業員や派遣・請負などの非正社員の規模が20万人以上に膨らんだもよう。人手不足が深刻になるなか、自動車業界を中心にした製造業でトヨタに追随する動きが広がるのは確実とみられる。

流通業では既に相当程度進みつつある非正規労働者の組合員化ですが、天下のトヨタが手をつけたとなると、他企業への波及効果も大きいでしょう。

つまり、ギルドと違って職場に根ざした組合というのはこういうことが可能であるということを云ってただけなのだが、歴史に無知であることを誇る方々には通用しなかったと云うことですな。

まあ、歴史を作るのはブログ上で無知を曝して喚いているエセ学者やその周りを飛び回るイナゴたちではなく、こうした地道な努力を辛抱強く一つ一つ積み上げていく労働現場の名もなき人々なのです。

2007年10月 3日 (水)

御手洗会長は国会で堂々と論じて欲しい

野党は日本経団連会長の御手洗冨士夫氏を国会に参考人招致せよと云っているようです。

http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20071003AT3S0202002102007.html

>民主、共産、社民、国民新の野党4党は2日、衆参両院の国会対策委員長会談を開き、日本経団連会長を務める御手洗冨士夫キヤノン会長を衆参両院予算委員会に参考人招致するよう求めることで一致した。実態は派遣労働なのに業務請負を装う「偽装請負」問題などを国政の場で追及する必要があるとの判断だ。

私は行けばいいと思います。行って、「請負法制に無理がある」ということを堂々と論じていただきたいと思います。なぜなら、まさに「請負法制に無理がある」のは明らかだからです。いや、この言い方には若干問題がありますね。正確に言えば、「請負法制がないことに無理がある」というべきでしょう。労働者派遣ならば派遣先に「も」使用者責任があるが、請負であればまったく使用者責任がないことになっていること自体の矛盾を摘出することなくして、この問題に真正面から向かい合うことはできないと思います。

この問題については、既にいくつかの文章で論じてきていますので、最近のものをリンクしておきますが、

http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no218/houkoku_2.pdf

(請負労働の本当の問題点は何か(連合総研『DIO』218号(2007年7月刊)所収)

先日、労調協でも同じお話をしましたが。

まあ、経団連会長がこういう理屈を述べるのはなかなか難しいとは思いますが、現場の感覚はむしろこう云うところに近いのです。

2007年10月 2日 (火)

外国人材受入れ問題に対する自民党の姿勢

日本経団連タイムズの最新号に、自由民主党外国人労働者等特別委員会の木村義雄委員長からの意見聴取の概要が載っています。

http://www.keidanren.or.jp/japanese/journal/times/2007/0927/04.html

>私は1986年の衆議院選初当選以来、社会保障問題にかかわってきたが、これからの高齢者介護の最大の問題は担い手の確保である。2年前、自民党の外国人労働者等特別委員会の委員長に就任する前後に、フランスとイギリスの介護現場でアフリカ等の外国人労働者なくしてはやっていけない現実を見て、雷に打たれたような思いがした。国内の介護現場でも若い職員が集まらないという実態を目の当たりにし、外国人受入れ促進の方向に舵を切る必要性を痛感した。自民党で外国人労働者の問題を取り上げると、なぜ外国人を受入れるのか、なぜ高齢者や女性、フリーターやニートの雇用を優先しないのかという議論が必ず出てくるが、そういう問題ではない。このような観点から、外国人労働者等特別委員会で会合を10回ほど開催して、ようやく「外国人労働者に関する方針」を取りまとめ、これまでの流れとは違った方向性を打ち出した。

>しかし、先般の参議院選で自民党が過半数を割ってしまったことで、新たな問題が惹起した。外国人問題を議論するときに、法改正が必要となると、審議に時間を要したり、廃案になったりすることにもなりかねない。従って、何でも法改正という発想を転換し、いかに法改正をせずとも関係者の要望に応えられるかということに知恵を絞っていくことが、次の衆議院選までの間、いかに迅速に外国人問題への対応を進めていくかのカギになる。

>産業界からは、求人募集をしても応募のない分野、企業の人材確保という点での研修・技能実習制度の役割が指摘されているが、現実にこうした現場は数多く存在しており、外国人によって賄われている。この現実を無視してきれい事で進めようとすれば、結果的に大きな経済的損失をもたらす。受入れ機関の適正化に関して、新規参入を妨げぬよう事前規制から事後チェックへの流れを進めてほしいという指摘ももっともである。ただし団体監理型の受入れ機関の中でも特に多業種が集まる協同組合には悪質なものもあるように聞いており、そういうものについては今後、厳しく規制せざるを得ないであろう。

>研修生のうち早く技能レベルが上がった者については技能実習に移行させるべきという指摘はそのとおりであると思う。再技能実習の制度化は、法改正ではなく運用でできると厚生労働省も認めているので、早期に進めていきたい。産業界の希望は企業単独型、団体監理型を問わず優良認定を受けたところに認めてほしいということだが、先に企業単独型や団体監理型でも多業種ではなく優秀なところなどから進めるのが得策ではないかと思う。技能実習修了後、再技能実習までの期間は、せっかく磨き上げた腕前が落ちぬよう、できるだけ短くしていきたい。再技能実習修了後の就労も重要な問題であるが、この点は役所の抵抗が大きく、難しいところである。ある程度のリスクはつきものであり、どこまでリスクを許容し、それをヘッジするようなシステムをつくるかということに尽きる。

>今回の参議院選で地方の格差が言われた。最大の問題点は企業などの大都市集中だが、企業が地方に立地しようにも、労働力がないと立地できない。地方が再生するためにも、外国人労働者を積極的に地方に取り込んでいくことが、ひとつの大きな切り口になると思う。これからの地方の再生、高齢化社会への対応を考えるとき、外国人労働者が貴重な役割を果たす。参議院選の結果によってその活用にブレーキがかからぬよう、知恵と工夫をもって未来を切り開いていきたい。

.

「なぜ外国人を受入れるのか、なぜ高齢者や女性、フリーターやニートの雇用を優先しないのかという議論が必ず出てくるが、そういう問題ではない」と仰いますが、「そういう問題だ」と思われますが。

地元にまともな職場がなくて若者が請負や派遣で関東や東海に出てくるしかない地方に、「企業が地方に立地しようにも、労働力がないと立地できない」というのもないのではないか、と。

まあ、これはあくまでも自由民主党の一つの委員会の見解であって、自由民主党がそういう意見でまとまっているなどと云うことでは全くないと解するべきでしょう。

アナルコ・キャピタリズムの諸相

蔵研也さんのところからリンクが張られているアナキャピ派のサイトをいろいろと読んでいくと、なんちうか、大変面白くて、もちろん本人は「トンデモ」などとは考えていなくて大まじめなんですね。純粋なだけに、物事の本質が非常にくっきりと出ています。変にごまかしていないところがすがすがしい。ハーメルンの笛吹男よろしくフリーターの味方です、さあ私についてきなさいなんて嘘っぱちを云わない真っ向勝負には感動です。

たとえば、「アナルコ・キャピタリズム研究(仮)」

http://anacap.fc2web.com/

>06/04/16 最近マスコミの先導によって煽動されているものの一つに「格差社会」がある。だが、

1. 政府が原因でない格差は望ましい。

多くを与える人は多くを得るべきである。能力の高い人はそれに見合ったものを得る。安く売る人・高く買う人が競争に勝つ。結果は効率的である。

>06/02/27 生活保護を受ける世帯数が100万を超えたという。単純計算で人口300万人以上だ。

いろいろ書いたが最初の生活保護の問題に対するリバタリアンの答えは決まっている。すべての税金は悪である。何かを得ようとするときは自発的な交換によるものでなければならない。再分配政策はすべて否定される。福祉はすべて自発的な寄付行為によるものでなければならない。

>06/02/01 差別は悪いからなくそう、などと言う人は絶対リバタリアンではない。リバタリアンはあらゆる差別を容認する。

リバタリアンの考える人権というのはただ財産権であり、主張するのはいつでもその保護だけである。 Non-Aggression Principleだけが重要であり、けっしてサヨクによく見られるような主張はしない。黒人の入店を拒否するメガネ屋があってもいい。人間の多様な好みを擁護するのが真のリバタリアンである。

>06/01/16 六本木ヒルズにはホリエモンの会社とともにその住まいも入っているという。施設にはその他何でも揃っている。警備も相当なものだろう。これをさらに武装化すると無政府国家が誕生するはずである。武装化した六本木ヒルズのようなものが東京じゅう、日本じゅうを割拠する。(中では適当にルールが定められて裁判所も置かれる。) ―――無政府資本主義社会の一つのイメージである。

なるほど、こういうことか、いやあよく分かります。

時津風親方の労働者性

まあ、私が無知なだけだったと云えばそうなのでしょうが、

>時津風親方解雇へ、相撲協会が力士急死で厳罰

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071002i401.htm?from=main4

という記事の見出しは新鮮でした。いや、もちろん、ビール瓶で頭をかち割り、兄弟子たちにお前らもやれといって金属バットでぼこぼこにぶん殴らせたというのですから、まあそれは当然なのでしょうが、「解雇」という文字が新鮮でした。時津風親方って労働者だったんですね。

云うまでもなく、解雇というのは雇用関係を解くことであって、解雇されるのは労働者に限られます。会社の取締役や財団法人の理事とかは委任関係ですから、クビは解雇じゃなくて解任というわけです。

もと朝潮の高砂親方やもと藤の川の伊勢の海親方は理事ですから労働者ではないのですが、その下の「委員」は労働者に該当すると云うことなのですね。

http://www.sumo.or.jp/kyokai/goannai/0012/index.html

もちろん、労働者といっても管理監督者に該当するわけですが、だとしてもあくまでも一部局を統括する労働者に過ぎないわけですから、

>「私は師匠が一番責任を取るべきだと思う」

http://www.asahi.com/sports/update/1002/TKY200710020003.html

使用者責任はやっぱり日本相撲協会理事長様にあるのではないかと。

「部屋」って、法制上はあくまでも財団法人の一内部部局に過ぎないわけでしょ。

(追記)

労働問題とはまったく関係ないけど、渡海文部科学相の余りの腰の低さが波紋を呼んでいるようですね。一般的に政治家は腰が低い方がいいのでしょうけど、監督官庁の長として厳しく指導するときに腰を60度も曲げちゃいけません。

2007年10月 1日 (月)

権丈先生ドンピシャ!

例によって社会保障についてはこの人しか居ない!(とまで云ったら言い過ぎですね、ごめんなさい駒村センセ。)権丈先生の勿凝学問シリーズですが、

http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/korunakare107.pdf

シンポジウムで権丈先生が「この国の政府は小さすぎる。社会保障を充実したいのならば負担増しか途はないということ」を話したら、まさにその小さな政府のお陰でひどい目に遭っているはずのご老人から、

>「消費税が10%になったら年金生活者はどうなるのですか?」というフロアーからの質問に、「たとえ消費税が10%にまであがったとしても、それが社会保障目的ならば、ネットの負担がマイナスとなる低所得者にとっては望ましいこと・・・」

>ブ――――ッ・・・

>このあたりで、「お前の話はききたくない。だれがこんなのを呼んだんだ」というフロアーからのお年寄りからの声。

>そのご老人が大きな声で「消費税は逆進的だ」で結ばれたので、僕は、その方のことを慮ってその後一切話すのをやめたわけだ。。。

権丈先生の大変お疲れになった姿が目に浮かびます。

低所得者ほど、自分を虐めることになる政策制度を褒め称え、自分を救うことになる政策制度を目の仇にするという被虐的というかなんというかこういう倒錯現象は、労働問題、社会保障問題を問わず広がっているのですね。小泉支持B級層は健在なりというところです。

ちなみに、左のトラバに「福祉国家の最大の受益者は中産階級」というのがあります。この点について、権丈先生のクリアな説明を。私のような低学歴者にはなかなかここまでクリアには説明できませんので。

>今日のシンポジウムでは、この国ではいま低所得者が悲惨なめにあっているという話がなされている。そのことにはわたくしも大いに同意する。しかしながら、福祉国家における再分配所得は、まずミドル・クラスに流れ、ミドルの生活がある程度満たされないと、ボトムには流れにくいものなのである。

>社会保険はたしかにミドルを優遇する。しかし、租税を用いて日本よりもはるかにボトムに寛大な給付を行っている福祉国家では、ミドルを優遇する社会保険の役割そのものも大きいのである。

>一次分配におけるトリクルダウン理論――所得のトップ層を優遇しておけば彼らの豊かさがボトムにも滴り落ちるという考え方――は、わたくしは、経験的に観察することのできない嘘の理論だと思っている。しかし、再分配の世界においては、主な費用負担者となるミドルの要求が満たされないとボトムに再分配所得が流れないということは、社会保障の国際比較などを行ってみればすぐに実感できる事実である

>みんなで、政府の規模が大きい世界、政府の利用料をしっかりと支払う社会を選択しましょう。社会保障のためならば負担増を受け入れましょう。

で、上に続きます。

昭和12年の愛知時計電機争議

1ヶ月ほど前に昭和8年の三菱航空機名古屋製作所争議事件の紹介をしましたが、そのときにそれから4年後の昭和12年に発生した愛知時計電機争議も紹介しますと予告しておりました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_642c.html

この愛知時計電機の争議は、昭和12年4月23日、日中戦争の勃発する前夜に発生しています。

この会社は、当時、前に争議を紹介した三菱航空機と並んで、名古屋財界を代表する大企業で、社長の青木鎌太郎は名古屋商工会議所の会頭、かつ全産連の地方組織である中部産連の代表でもありました。要は、全国企業の三菱と並ぶ名古屋ローカル企業の雄であったわけです。

さて、この会社で争議の原因となったのは、能率給とか出来高給と云われる賃金制度の運用でした。労働事情調査所の『労働週報』にはこういう興味深い記事が載っています。

>愛知時計には既に久しい以前から今日の事態を惹起すべき条件が備わっていた。と言うのは、愛知時計だけでなく三菱航空機でも日本車輌でも大隈鉄工でも、名古屋の重工業会社には従来からほとんど例外なく賄賂制度が横行していた。これは上は工場長、技師長から下は職長、伍長に至るまで、実に驚くべき賄賂の跳梁だ。愛知時計や三菱航空機へ入社するには少なくとも五十円や百円の袖の下を職長又は伍長へ贈らねばならぬ。入社してからも請負作業の職場では賄賂の如何がまず単価の高低を決定するという有様だ。そこである職工はついに自分の娘を某技師長へ生け贄として提供したものさえあると云われている。悪質の職工長や伍長になると、職場で無尽講を募って自分が最初の講金を落札したまま、最後まで一文も掛け金をしない。それでも彼らは請負単価の決定に絶大な権力を持っているので、部下の職工は泣き寝入るよりほかに道がない。まだそれだけなら辛抱できようが、愛知時計や三菱航空機ではいったん請け負った単価が勘定日になると何パーセント、時には五十パーセント近くまで引き下げられることがある。そしてこの請負単価無断切り下げのもっとも甚だしかったのが、愛知時計では例の鋳物部であった。

こうして、鋳物職場の労働者が給料支払日の4月23日に勘定書を受け取ったところ、大幅な請負単価無断切り下げがされていたことを知り、憤懣が爆発してサボタージュに突入します。ここで、争議団は中部労働連盟の指導のもとに、職場代表を選出し、会社側にこういう嘆願書を出し交渉に入ろうとしました。

1.愛知時計愛国従業員組合を確認されたし。
2.物価騰貴の現情勢に善処すべく賃金2割即値上げされたし。
3.各工場の最低パーセントを8割以上とされたし。
4.年2回の賞与制度を確立されたし。
5.単価切り下げによる労働強化を防止されたし。
6.残業時間に対し歩増を支給されたし。
7.四大節を公休とし日給全額を支給されたし。
8.整理工、雑工、検査工の待遇を改善されたし。
9.本問題に関して絶対に犠牲者を出さざる事。

ところが会社側は、組合と交渉するつもりなどなく、工場で集会を開いている争議団を官憲の力で弾圧して貰おうと、

>清沢労務課長は自動車で県特高課と憲兵隊へ取り締まり方を懇請に馳せ回った

のですが、何だか様子がおかしい。

特高警察も憲兵隊も、争議団を弾圧してくれないのです。

争議を傍観しているのです。

それどころか、どうも中部労働連盟と警察は気脈を通じているらしい。中部労働連盟の組合承認争議を愛知県警察部は陰から支援しているようなのです。

結局、会社が当てにしていた官憲の介入もなく、翌4月24日には、争議団の集会に社長が引っ張り出されて「挨拶」をさせられ、そのままシットダウンストライキが貫徹され、翌25日終日交渉が行われ、争議団の要求を呑む形で決着しました。

だいたい、官憲は資本家の味方をして労働組合や争議団を弾圧するものと相場が決まっていたのですが、日中戦争前夜のこの時期には、「愛国」的な労働組合と官憲が結託し、争議に勝ってしまうという事態が起こるようになっていたのですね。

まさに、「戦争に労働者の地位向上を賭けた」わけで、しかもそれが成功したのですね。「愛国」の旗を振ることで、それまで踏みにじられていた労働者たちは、会社に勝てるようになったのです。それをファッショだと批判したところで、歴史の意味が理解できるものではありません。

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