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2007年10月 1日 (月)

昭和12年の愛知時計電機争議

1ヶ月ほど前に昭和8年の三菱航空機名古屋製作所争議事件の紹介をしましたが、そのときにそれから4年後の昭和12年に発生した愛知時計電機争議も紹介しますと予告しておりました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_642c.html

この愛知時計電機の争議は、昭和12年4月23日、日中戦争の勃発する前夜に発生しています。

この会社は、当時、前に争議を紹介した三菱航空機と並んで、名古屋財界を代表する大企業で、社長の青木鎌太郎は名古屋商工会議所の会頭、かつ全産連の地方組織である中部産連の代表でもありました。要は、全国企業の三菱と並ぶ名古屋ローカル企業の雄であったわけです。

さて、この会社で争議の原因となったのは、能率給とか出来高給と云われる賃金制度の運用でした。労働事情調査所の『労働週報』にはこういう興味深い記事が載っています。

>愛知時計には既に久しい以前から今日の事態を惹起すべき条件が備わっていた。と言うのは、愛知時計だけでなく三菱航空機でも日本車輌でも大隈鉄工でも、名古屋の重工業会社には従来からほとんど例外なく賄賂制度が横行していた。これは上は工場長、技師長から下は職長、伍長に至るまで、実に驚くべき賄賂の跳梁だ。愛知時計や三菱航空機へ入社するには少なくとも五十円や百円の袖の下を職長又は伍長へ贈らねばならぬ。入社してからも請負作業の職場では賄賂の如何がまず単価の高低を決定するという有様だ。そこである職工はついに自分の娘を某技師長へ生け贄として提供したものさえあると云われている。悪質の職工長や伍長になると、職場で無尽講を募って自分が最初の講金を落札したまま、最後まで一文も掛け金をしない。それでも彼らは請負単価の決定に絶大な権力を持っているので、部下の職工は泣き寝入るよりほかに道がない。まだそれだけなら辛抱できようが、愛知時計や三菱航空機ではいったん請け負った単価が勘定日になると何パーセント、時には五十パーセント近くまで引き下げられることがある。そしてこの請負単価無断切り下げのもっとも甚だしかったのが、愛知時計では例の鋳物部であった。

こうして、鋳物職場の労働者が給料支払日の4月23日に勘定書を受け取ったところ、大幅な請負単価無断切り下げがされていたことを知り、憤懣が爆発してサボタージュに突入します。ここで、争議団は中部労働連盟の指導のもとに、職場代表を選出し、会社側にこういう嘆願書を出し交渉に入ろうとしました。

1.愛知時計愛国従業員組合を確認されたし。
2.物価騰貴の現情勢に善処すべく賃金2割即値上げされたし。
3.各工場の最低パーセントを8割以上とされたし。
4.年2回の賞与制度を確立されたし。
5.単価切り下げによる労働強化を防止されたし。
6.残業時間に対し歩増を支給されたし。
7.四大節を公休とし日給全額を支給されたし。
8.整理工、雑工、検査工の待遇を改善されたし。
9.本問題に関して絶対に犠牲者を出さざる事。

ところが会社側は、組合と交渉するつもりなどなく、工場で集会を開いている争議団を官憲の力で弾圧して貰おうと、

>清沢労務課長は自動車で県特高課と憲兵隊へ取り締まり方を懇請に馳せ回った

のですが、何だか様子がおかしい。

特高警察も憲兵隊も、争議団を弾圧してくれないのです。

争議を傍観しているのです。

それどころか、どうも中部労働連盟と警察は気脈を通じているらしい。中部労働連盟の組合承認争議を愛知県警察部は陰から支援しているようなのです。

結局、会社が当てにしていた官憲の介入もなく、翌4月24日には、争議団の集会に社長が引っ張り出されて「挨拶」をさせられ、そのままシットダウンストライキが貫徹され、翌25日終日交渉が行われ、争議団の要求を呑む形で決着しました。

だいたい、官憲は資本家の味方をして労働組合や争議団を弾圧するものと相場が決まっていたのですが、日中戦争前夜のこの時期には、「愛国」的な労働組合と官憲が結託し、争議に勝ってしまうという事態が起こるようになっていたのですね。

まさに、「戦争に労働者の地位向上を賭けた」わけで、しかもそれが成功したのですね。「愛国」の旗を振ることで、それまで踏みにじられていた労働者たちは、会社に勝てるようになったのです。それをファッショだと批判したところで、歴史の意味が理解できるものではありません。

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