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2007年9月 4日 (火)

知の欺瞞は健在

こういうのを「こんな素朴マルクス主義説教」というようでは、その方がよっぽど・・・。

http://www.diplo.jp/articles07/0708-2.html

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20070903/p1経由)

部分的に、いささかこれは?とか、おっとっと、というところもなきにしもあらずですが、このルーヴァン大学の物理学の先生、概ね正しい。とりわけ、

>ここで述べている意味での社会主義は、資本主義の発展に結びついた諸問題に対するきわめて自然な応答である。つまり、現在もはや社会主義が堂々と議論されることはほとんどないという事実は、現代社会で「教育」や「報道」と呼ばれる独特の教化洗脳システムの効果のほどを物語っている。

>社会主義の問題は、資本主義の危機や、自然の破壊(現実上か想定上かは問わない)、労働者階級の小市民化(現実上か想定上かは問わない)といった問題とは無関係である。自己の生を管理することが人間の基本的な願いである以上、社会主義の問題は生活水準が向上しても消滅することはない。社会主義の問題が提起されるために、(2度の世界大戦のような)破滅的な出来事が起こる必要もない。生物学的な欲求、すなわち生命を存続させるという欲求が充足されればされるほど、自律や自由という人間に固有の欲求の充足が、いっそう強く求められるようになるのである。

>社会主義がもはや、だれの興味も引かないと考えるのは間違いである。今なお左派が支持される分野があるとすれば、公共サービスの擁護や労働者の権利の擁護にほかならない。それこそが、資本所有者の権力に対する今日最大の闘争手段であるからだ。ヨーロッパ建設に暗黙のうちに含まれている政策プログラムは、民主主義的な見かけだけは残しながら、社会保障や普通教育、公的医療からなる「社会民主主義の楽園」の破壊をもたらすに至ったが、これらの制度は社会主義の萌芽的形態であり、現在も人々に大きく支持されているものだ。

といったあたりは、軽々しく読み飛ばす人間の知性の程度を明らかにするものでもあります。

また、左派が

>道徳を訴えることに専念して、反人種差別やフェミニズム、反ファシズムなどの「価値観」を振りかざした。これらの価値観をうたうことで、右派との違いを打ち出せると考えたからだ。

しかし、

>対立の根本は「価値観」の問題、とりわけフェミニズムや反人種差別のように、現代の右派が完全に受け入れる準備ができている問題にはない。

というのも、真剣に、骨の髄から考える必要のある話なんですね。ここでの言い方を使えば「リベサヨ」さんでは道は開けなかったということにつながるわけで。

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コメント

>ゼロサム収奪的資本主義観
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20070903/p1

現実の資本主義にはそういう面は当然、ある訳で。一方で、資本主義の良い面を伸ばそうという考えも当然、ある訳で。

ポモの方は、科学用語が標準的な意味で適切に使用されているはずもない訳で。そういう勘違いがそんなにあったのかということ自体がピンと来ないんですけど。

現実の資本主義はゼロサムゲームとウィンウィンゲームの組み合わさったものですから、それをどちらから見るかでイデオロギーの対立となり、またどちらを使うかで政治的手腕にもなるわけです。
労使関係論から資本主義を眺めることの一つのメリットは、そういうことをミクロなエンピリカルなレベルから考えられることだと、私は我田引水的ですが考えています。

ポモの話は、私はよく分かりませんのでパス。お水もパス。

ただ、いささか意地悪気味に云うと、ブリクモン先生あたりが、ブンカ系ケーザイ学者には到底理解できない超高等数学を駆使した経済学的論文を専門誌に寄稿して・・・ちうようなことがあったら面白いなとは思いますけど。

ブンカ系ケーザイ学とは別に良くも悪く【アカデミックなレベルでは】数理系経済学というものがあって、そういう話はそっちへ持っていけということになるでしょう。哲学は全体性を扱うことから、そういう棲み分けがあんまりないということかと…。

いやいや、ブリクモン先生がやったのは、ブンカ系テツガク者には到底理解できない超高等数学を駆使したテツガク的論文を専門誌に寄稿して・・・ちうことでしょ、って云ってるだけ。

ソーカルの方だと思う

細かいことだけど、「数学を駆使したかに見えるテツガク論文風創作ポエム」を「専門誌風の中間雑誌」にと言うことかと

どっちでも似たようなものだと思いますけど。

ソーカルの「ソーカル事件」とソーカル・ブリクモンの「知の欺瞞」は、関係は密接ですが、別のものとして考えております。また、余談ですが、

>「専門誌風の中間雑誌」

極端なことを言うと、同じ数学者が中心に執筆している数学誌と言っても、「数学セミナー」「(岩波の)数学」「ジャーナル・オブ・日本数学会」は、かなり別種のものですから。
「数学セミナー」は対象読者が違うので誤解はあまりないと思いますが、後2者の違いは一般の人には分かりにくいだろうけど、全く違う訳でして。

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