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2007年9月27日 (木)

雇用平等はソーシャルか?

JILPTの日本労働研究雑誌10月号

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2007/10/index.htm

特集は「採用の変化」。

なかなか面白かったのが玄田有史先生の「若年無業の経済学的再検討」という論文ですが、

わたくし的に我が意を得たりと思ったのは、浜田富士郎先生による藤本茂著『米国雇用平等法の理念と法理』の書評です。とりわけその最後のところ、

>そしてさらに根本的なことをいうと、評者は、アメリカの平等法を支える理念として著者が理解しようとする「社会的公正」について、大きな疑問を持っている。著者はこの言葉を、「社会政策的、社会後見的、社会主義的」といった意味合いで、ないしはこれに近いものとして用いているようであるが、アメリカの平等法理会の基本的視点として、それは正しいか。評者の考えるところ、アメリカにおける平等は今も昔も、基本的には自由に従属する概念であり、事由の付属物ないし自由との対概念である。つまり、自由の発露としての競争はもとよりフェアでなければならないところ、フェアな競争を阻害する条件の排除、フェアな競争を保証するための条件確保・整備のためにあるのが平等の要請である。・・・・・・今日のアメリカの平等確保法はなお著者の理解しようとするような強い社会的視点は含んでいないように思われる。

>・・・ということは、「格差社会の克服を平等法に期待する」という著者の立場には基本的に無理があるのである。格差には差別がもたらしたものと差別によらないで生じたものがあり、差別によらない格差にも社会的に好ましくないものがあり、そうした格差の払拭、解消のために社会政策的考慮に基づく立法が用いられることがあるのは当然ではあるが、それを平等法として位置づけるのはおそらく適当でない。・・・・・・

そう、まさに格差と差別とは違うのですよ。差別を禁止すれば格差がなくなるなどと云うものではないのです。

この辺をいささか軽めに書いたのが『時の法令』の「差別と格差の大きな差」です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/sabetutokakusa.html

これは実はこのブログで昨年10月に書いたエントリーを、若干縮めて流用したものです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_cefc.html

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コメント

それぞれを天秤にかけたりするようにで、義理は規範・社会ルール(法律)カテゴリに、人情は情状・同情と同じカテゴリに入る対概念のはずなのに、現代日本において「義理人情」と一くくりにされているのに似ていますね。>自由&平等

あと
>概念であり、事由の付属物ないし
は「自由の付属物」
のtypoでしょうか

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