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必ずしも「冷戦的」というわけではなく

痴呆(地方)でいいもんこと大坂先生、

http://d.hatena.ne.jp/osakaeco/20070908/p1

>。「科学で政策のありかたをめぐった主張の対立」を解決できないときもある。それは理論と実証の両面から、対立する主張の双方のいずれにも決着をつけられない場合だ。決着がつけられないのは、可能な説明が複数ありうるからであって、イデオロギーとか政治的信条の相違にあるのではない。

ちょっとちがうような。

いや、そういう場合(認識論的に決着がつけられない)ゆえということもあるでしょうが、こうすればこうなるという点では認識が一致していても、その価値判断において一致しないということが大きいと思うのですが。

それは、必ずしも「冷戦的科学」というような硬直的イデオロギー性ののではなくても、やはり現に存在しており、かつ現実に極めて重要なものであると思うのですが。

むしろ「科学的真実よりも社会主義陣営と資本主義陣営のどちらが勝つかとういうことが優先されていた」ことの問題は、それが今ここでどの経済社会政策を採るべきか、それが誰にどういう影響を与えるのかという問題から切り離された抽象的な空中戦的議論であったことにあるのではないでしょうか。

社会主義陣営の側に立つと称する人々が、往々にして福祉国家に対して極めてペジョラティブであったことはそのことをよく示していると思われます。

云うまでもなく、福祉国家の是非は何らかの価値判断基準が不可欠です。

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コメント

>こうすればこうなるという点では認識が一致していても、その価値判断において一致しないということが大きい

アカデミックな方って、そこら辺のところに、割と無頓着な傾向があるような気がする…

投稿: リベサヨ | 2007年9月10日 (月) 04時31分

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濱口さん。ごぶさたしております。 いや、そういう場合(認識論的に決着がつけられない)ゆえということもあるでしょうが、こうすればこうなるという点では認識が一致していても、その価値判断において一致しないということが大きいと思うのですが。 (中略) 云うまでもなく... [続きを読む]

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