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2007年9月

2007年9月30日 (日)

山口浩一郎先生 on 法と経済学 and ホワエグ

経営法曹会議が出している『経営法曹』の154号は、第100回記念日本経団連労働法フォーラムの記録を載せていまして、冒頭の記念講演が山口浩一郎先生、そのあとの「労働国会その後の展望」というパネルディスカッションには、諏訪康雄、佐藤博樹、小嶌典明の各先生に、経団連の秋田進氏、経営法曹の和田一郎氏(毛塚先生に福井秀夫氏と間違えられて冤罪をかけられた方です)、司会が中山慈夫氏と、そうそうたる顔ぶれです。

冒頭の山口先生の講演がなかなかイケてます。

法と経済学が出てくるんですが、大学院で学生さんに法と経済学を教えている人よりもものごとを的確に説明しています。

>経済学はもともと価格理論から発達してきたと云うことですから、マーケット、市場の問題は解けるわけですが、組織の問題は解けないわけです。ところが、組織の問題をだんだん解くようになりまして、労働契約というのは、契約ではなくて、むしろ組織である。だから、労働契約の理論はワンスポットごとの取引の契約理論よりも、組織の中に入って、指揮命令を受けて仕事をしていくという権威的関係とイメージした方が分かりやすい。

>そうなってくると、実は基本的な権利関係もはっきりしてくるわけで、使用者がまず持っている基本的権利は指揮命令権です。これに似たような言葉は雇用の所にも書いてありますが、これは権利(請求権)だと考えているわけです。ですが、新しいlaw and economicsによる契約理論では-これは不完備契約の理論といいますが-継続的な契約関係だから、新しい事態が幾らでも起こってきますから、権利義務関係を事前に合意で全部決めておくことはできない。

>・・・そうしますと、労働契約というのは不完備契約の典型で、この不完備契約の理論が明らかにしているものを基本にすべきものだと私は思いますが、それが全く採用されていないどころか、意識もされていないのであります。

いやあ、「労働契約に将来起こりうることを全部書き込めばいいじゃないか」などとほざくお方が、規制改革会議労働タスクフォース主査として日本国の労働法をいじくろうという時代に、さすが大御所、いいことを云ってくれます。

ま、ここまでは一般的に誰が聞いても当然という話ですが、その次に労働時間法制について語っていまして、ちょっと私が引用すると「我田引水!」と叱られそうですが、ホワエグについてこう説明して居るんです。

>このホワイトカラーエグゼンプションが成り立っている前提というのは何かといいますと、実はアメリカの労働時間制度はもともとのイギリスの労働時間制度と同じ考え方で、軟性労働時間制度といわれております。ヨーロッパや我が国が取っているのは硬性労働時間制度です。

>軟性というのはどういう事かというと、労働時間といいますか、働く長さそのものを規制するのではなくて、基準を措いて、それを超えて働かせたら報酬を高く支払わせるという制度です。だから、アメリカで仮に1日8時間、1週40時間という制限がありましても、これを超えて働かせてはいけないと云うことでは全くなくて、それを超えたら割増賃金を払いなさいと云うことで、この割増率が高くなっているわけです。

>そうすると、当然、もともと収入の高い層は、何も労働時間についてうるさく言う必要はないという話になってきて、ホワイトカラーも収入さえ保証されていれば、労働時間の規制はそんなにうるさく云う必要はないという考え方が出てきます。ここが時間規制の基本的な政策が二つに分かれている考え方でありまして、日本の方は伝統的にヨーロッパ型で、法定労働時間を超えて働かせてはいけないという直接の規制に対して、罰則の適用もある。

>日本のように職務ではなくて地位で仕事をしていると云うところは、管理監督者エグゼンプション以外のものを導入するのは、ものすごく難しい。

>これで範囲が狭すぎるというのであれば、・・・それならば管理監督者の範囲を少し見直せばいいわけであります。

>弾力化の制度の具体化は労使協定、つまり労使自治に委ねる。・・・弾力化による労働と生活の調和は、EU指令のように休息時間(11時間)を法律で義務づける、とすべきであります。

ええ、なんというか99%私と同じ事を云っていただいていて(1%は「管理監督者」の問題。私は管理も監督もしていない人間を管理監督者と「みなす」よりも、管理監督者じゃないけど残業代なんか無くてもいい人という概念を作るべきだと思っています)、経団連のみなさまよくわかりましたか、というところです。

そのあと、立法過程の話についても、山口先生一流の皮肉の効いた言葉が続いていて大変面白いのですが、今日はここまで。

2007年9月29日 (土)

バイク便ライダーは労働者!

阿部真大さんの本で有名になったバイク便ライダーですが、厚生労働省が原則として労働者に該当するという通達を出したそうです。

http://www.asahi.com/life/update/0928/TKY200709280320.html

>バイク便会社と個人で請負契約を結んで働くバイク便ドライバーについて、厚生労働省は28日、一定の条件のもとに労働者と認める通達を全国の労働局に出した。バイク便ドライバーは労働者ではないとして労災保険が適用されない事例が相次いでいたが、労働者なら労働法令が適用され、労災保険や雇用保険の対象にもなる。厚労省はバイク便会社にも、条件を満たすドライバーに労災保険などを適用するよう指導していく。

>常に交通事故の危険にさらされるバイク便ドライバーが、仕事でけがをしても労災が出ないのは問題だとして、連合東京が厚労省に労働者かどうかの判断を求めていた。

>厚労省は、バイク便ドライバーの実態を調査。(1)時間・場所を拘束され、仕事の依頼を拒否できない(2)仕事のやり方の指揮命令を受ける(3)勤務場所や時間を出勤簿で管理されている(4)仕事を他の人に委託できない――などの条件に当てはまれば労働者とみなすべきだと判断した。

>個人請負の問題に詳しい鎌田耕一・東洋大教授によると、90年代から、企業が社会保険料の負担などをきらい、労働契約を請負や委託に切り替える例が目立ち始めたという。「実態は労働者と同様で『偽装雇用』と言わざるを得ないケースも多く、きちんと労働法を適用する必要がある」と鎌田教授は話している。

バイク便ライダーと同様の就労形態にある自転車便のいわゆるメッセンジャーも同様の扱いでしょう。

メッセンジャーについては、JILPT研究員の内藤忍さんが大学院生時代の自分の経験を踏まえてこういうエッセイを書かれています。これは以前このブログで取り上げました。

http://www.jil.go.jp/column/bn/colum079.htm

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_6ae7.html

>メッセンジャーは、まず、本社のセンターから携帯電話で配送の仕事を指示される。事実上、彼らに諾否の自由はない。勤務時間は指定されており、営業所における朝礼が日課となっている。業務で使用する携帯電話は指定会社のものを使用しなければならず、最初に業務に就くときは、数日間の研修を受けなければならない。そして、本人に代わり他人が労務を提供することは契約で禁止されている。欠勤や遅刻をすればその日数に応じて歩合率が下がる。また、本人たちが手にする平均的な歩合報酬は、必要経費を引けば、時間単価で一般のアルバイトの時給と大して変わらないうえ、他社の業務に従事することは事実上困難である。さらに、服装や髪型などに関する細かい服務規程が存在する

のに「個人事業主」ですというのはいかにも無理がありましょう。

.

これに対して、ここには出てきませんが、新聞紙上では、蛇の目工業の委託契約販売員を雇用保険に加入させる決定をしたという話も出ていて、こちらは「毎日の朝礼にも参加し」とは書いてありますが、就労の実情は必ずしもよく分かりません。こちらは「労働者」と認めるのが適当なのか、自営業者だが一定の保護が必要と考えるべきなのか、難しいケースなのではないかという気がします。

2007年9月28日 (金)

福祉国家は弱者を踏みつけにする?

蔵研也さんというかたの「蔵研也のanarcho-capitalism研究室」というのを見つけました。

http://www.gifu.shotoku.ac.jp/kkura/

アナルコ・キャピタリズムとは無政府資本主義、国家なんてなくしてすべてを悉く市場の手に委ねよと云う御主張です。

既に朝日新聞社から「リバタリアン宣言」という本を出しておられ、これは私も読みましたが、近々「無政府の法と社会」という本を出されるようで、これは何しろ

>警備会社による治安の維持

とか、

>私的裁判と法の私有化

とか、しまいには

>軍隊を持つ警備会社

>損害保険会社による防衛

まで出てくるという大変意欲的というか人によってはトンデモ系のような御本のようです。ケーザイ学教科書嫁を徹底的に究極まで貫くとどういうスバラ式新世界が現出するかを変にごまかさずに明確に示しておられるという意味で、私は大変好感を持ちました。

上記HPに全文が収録されていますので、是非読まれるといいと思います。

私が気になったのはその次に出される予定という「福祉国家は弱者を踏みつけにする」という御本です。まだ目次があるだけで中味は書かれていないようですが、福祉国家ということで何が出てくるかというと、

>税制、農産物関税、地価、金融商品などで、著作権、医師数の過小な育成、などによって理念に反して、その実態は弱者が踏みつけにされているのです

あのお、そういうのを福祉国家って云うんでせうか。

私はまたてっきり、生活保護なんてものがあるから、それを窓口で給付しない悪い役人が出てくるんだ、本当に厚生労働省って悪いねえ、ここは一発、生活保護なんてのはきれいさっぱりなくしてしまい、ことごとく市場の暖かい手に委ねれば、北九州市のおじさんも飢え死にすることなんかなかったのにねえ、というような話かなと思ったんですがね。

なまじ国民健康保険なんてものがあるから、保険料を払えない人から保険証を取り上げて証明書を出すなんていう冷酷無惨な仕打ちをするんだ、本当に厚生労働省って悪いねえ、ここは一発、医療保険はことごとく市場の暖かい手に委ねれば、Sickoのアメリカのようにみんな健康で幸福になれるのにねえ、というのが出てくるのかと思ったのですが。

なまじ労働者保護なんてものがあるから、それがなかなか及ばない氷河期世代の若者たちがひどい目に遭うんだ、本当に厚生労働省ってひどいねえ、ここは一発、労働者の既得権はことごとく剥奪し、労働者の扱いはことごとく市場に暖かい手に委ねれば、世界が崇める池田先生の仰る如く、みんな幸せになるに違いないのですよ、

てな話かなと思ったんですが、そういうのは残念ながら出てこないようです。これでは羊頭を掲げて狗肉を売ると云うに等しいではありませんか。

「福祉国家は弱者を踏みつけにする」とまで仰るのですから、是非福祉国家の中核中の中核を理論的に撃滅していただきたいものです。「医師数の過小な育成」などというギルド的な話は福祉国家と関係ありませんよ。

無作為じゃない抽出

JILPTのコラムで、小杉礼子さんが面白くてちょっとぞっとすることを書いています。

http://www.jil.go.jp/column/bn/colum085.htm

>全数を調査するのは効率が悪いので、その一部を抽出して調査するのが普通だ。そこで、重要なのは、その抽出されたサンプルの代表性、すなわち、どれほどもとの対象層 ( =母集団 ) の傾向をそこから測れるかである。

>こんなことをあえて書くのは、最近の信じられない経験からだ。現在、アンケート調査は、対象と手法を決め調査票を設計するまでは内部で行うが、郵送の事務などは、外部の専門の会社に委託することが多い。ある調査で、特定産業の従業員規模 30 人以上の事業所を全国で 1 万所無作為抽出して調査票を郵送するべく調査会社に依頼したという。調査を発送すると、その直後には、調査内容などについての問い合わせの電話が多く入るが、それがなぜか、東日本の企業からしかこない。不思議に思って調査会社に問い合わせ、発送名簿まで調べてみると、無作為抽出のはずが原簿の頭から順に 1 万社に発送していたという。この段階で気づいたので、やり直しをすることができたが、関係者の中には、 1 万件発送すれば問題ないのではないかと言う人もいたそうで、改めて、知りたいのは回答そのものではないことを確認しなければならない。

こういうことをやってるのが専門の調査会社だというところがすごいですねえ。

労働調査セミナー

来週月曜日にこういうのがあります。

http://www.rochokyo.gr.jp/documents/semi_inv07.html

第11回労働調査セミナーのご案内

期日 2007年10月1日(月)10時00分~17時00分
(終了後、かんたんな懇親会を予定しています)
場所 電機連合会館・大会議室(6階)および役員会議室(4階)
(港区三田1-10-3・地下鉄南北線または大江戸線麻布十番駅・下車すぐ)

13:40~15:10 第II講 「雇用融解」(仮題)

週刊「東洋経済」記者 風間直樹氏

パート、派遣、請負などの非典型労働者と正社員との「格差」が大きく取り上げられる一方、長時間労働を強いられる正社員の労働実態も大きな問題となっています。『雇用融解―これが新しい「日本型雇用」なのか』の著者として知られる風間氏に、この10年ほどで大きく変貌した日本の雇用労働の実態をお話しいただきます。

15:10~15:30 ティーブレイク・休憩

15:30~17:00 第III講 「労働ビックバンの現状と、今後注目すべき点」(仮題)

政策研究大学院大学・教授 濱口桂一郎氏

「労働ビックバン」と称される労働市場における種々の規制緩和策が進められようとしています。その内容とねらい、それが働く者にとってどのような意味をもつのかを、労働法、労働政策を研究されている濱口氏に解説していただきます。

愉快な経験

>しばらく見ていないうちにhamachan先生がひどいめにあわされているようですが・・・・・

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20070927

いやいや、イナゴの親分の号令一下、どっとやってきたイナゴが口々に「天下りの低学歴男」と云いだしたのは愉快な経験でした。まあ、親分が、

>修士号もないくせに、役所の地位を利用して大学に天下った最低の人物が、「労働政策」を語るとは笑止千万です。

とけしかけているのですから、時津風部屋ではないですが、子分が金属バットを振り回すのはまあそういうものでしょう。

私が低学歴であることは隠れもない事実ですし、大学院でアカデミックなお勉強をしたのではなく、政策の現場で叩き上げた実務派ですから、教科書嫁族の皆様にはお気に召さないのはよく理解できます。

天下り大学のGRIPS(@池田信夫)のみならず、東大の大学院生までそんな低学歴の低能男の講義やゼミを聞かされていると知ったらもっと怒りまくるでしょうね。まあ、丈夫な大学の学生さんは高学歴な方に教わることができて大変幸せです。

おそらく、

>企業も組合も官庁も左翼も、すべてフリーターの敵というわけだ

が、修士号をもった自分は味方だと云いたいんでしょう。ただし勉強して修士号を取ってこいと。そういうのがギルド的思考なんですがね。

2007年9月27日 (木)

雇用平等はソーシャルか?

JILPTの日本労働研究雑誌10月号

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2007/10/index.htm

特集は「採用の変化」。

なかなか面白かったのが玄田有史先生の「若年無業の経済学的再検討」という論文ですが、

わたくし的に我が意を得たりと思ったのは、浜田富士郎先生による藤本茂著『米国雇用平等法の理念と法理』の書評です。とりわけその最後のところ、

>そしてさらに根本的なことをいうと、評者は、アメリカの平等法を支える理念として著者が理解しようとする「社会的公正」について、大きな疑問を持っている。著者はこの言葉を、「社会政策的、社会後見的、社会主義的」といった意味合いで、ないしはこれに近いものとして用いているようであるが、アメリカの平等法理会の基本的視点として、それは正しいか。評者の考えるところ、アメリカにおける平等は今も昔も、基本的には自由に従属する概念であり、事由の付属物ないし自由との対概念である。つまり、自由の発露としての競争はもとよりフェアでなければならないところ、フェアな競争を阻害する条件の排除、フェアな競争を保証するための条件確保・整備のためにあるのが平等の要請である。・・・・・・今日のアメリカの平等確保法はなお著者の理解しようとするような強い社会的視点は含んでいないように思われる。

>・・・ということは、「格差社会の克服を平等法に期待する」という著者の立場には基本的に無理があるのである。格差には差別がもたらしたものと差別によらないで生じたものがあり、差別によらない格差にも社会的に好ましくないものがあり、そうした格差の払拭、解消のために社会政策的考慮に基づく立法が用いられることがあるのは当然ではあるが、それを平等法として位置づけるのはおそらく適当でない。・・・・・・

そう、まさに格差と差別とは違うのですよ。差別を禁止すれば格差がなくなるなどと云うものではないのです。

この辺をいささか軽めに書いたのが『時の法令』の「差別と格差の大きな差」です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/sabetutokakusa.html

これは実はこのブログで昨年10月に書いたエントリーを、若干縮めて流用したものです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_cefc.html

経営民主ネットワーク東京シンポジウム2007

連合東京のHPに宣伝が出ていたのでリンクしておきます。

http://www.rengo-tokyo.gr.jp/topic/2007/h19024.htm

東京シンポジウム2007
『“格差社会”への挑戦!』
--新しい産業民主制の構築に向けて--

主催 経営民主ネットワーク
後援 連合東京

とき2007年9月29日(土) 午後2時~5時
ところ田町交通ビル・2F会議室(TEL:03-5444-0510)
参加費無料
司会高木 雄郷(経営民主ネットワーク事務局長)

I 問題提起およびパネルディスカッション

報告者
*「EUの格差問題をめぐる状況と法政策」
     濱口 桂一郎(政策研究大学院大学教授)
*「男女雇用機会均等法の現状と労働組合の役割」
     首藤 若菜(日本女子大学講師)
*「ワーク・ライフ・バランスの実現に向けた電機連合の取り組みj
     斉藤 千秋(電機連合中央執行委員)
*「JAMにおける格差是正の取り組みと今後の課題」
     木住野 徹(JAM組織・調査グループ局長)
*「JR連合におけるグループ労組の地位向上にむけた取り組みと課題」
     荻山 市朗(JR連合企画部長〉

II一般討論

ということです。

(追記)

本日、上記シンポジウムで報告をしてきましたが、やはり解雇規制の緩和というところに疑問の声が呈されましたね。まあ、ここはいかにきちんと説明できるかだと思っています。

ところで、このシンポの場で、こういう事を聞きました。何でも数日前の新聞(夕刊)でhamachan-池田ブログ論争が記事になり、それで私のブログを覗きに来たというのですが、私の知る限りそういう記事は思い当たりません。もしどなたか、ここにそういう記事があったよとご指摘いただける方がおられましたら、コメントをお願いします。

日雇い派遣 規制強化へ

産経によると、

http://www.sankei.co.jp/shakai/wadai/070927/wdi070927009.htm

>労働者派遣制度の見直しを検討する厚生労働省の諮問機関、労働政策審議会部会が27日開かれ、使用者代表委員は、低賃金や雇用の不安定さが問題になっている日雇い派遣の規制強化を容認する考えを示した。

>この日の部会で使用者側委員は日雇い派遣に関して「何が問題なのかを整理する必要があるが、規律の強化に反対ではない」と述べた。具体的な規制強化の在り方については言及しなかった。

>使用者側は、一定期間働いた派遣労働者への直接雇用申し込み義務撤廃など、派遣制度全体では規制緩和を求めているが、日雇い派遣については切り離して対応する方針とみられる。

あんなのと一緒にされてはかなわん、某球場名企業等は切り捨てて大事なものを守ろう、という判断ですね。

労務屋さんへのひとこと

労務屋さんの「吐息の日々~労働日誌」が清家先生の日経インタビューを取り上げているのですが、ちょっと待ったというところが・・・。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20070926

>なお、「審議会などが政策を決定している面があります」に関しては、むしろ現実に政策を決定しているのは審議会の事務局である官庁であり、審議会のメンバーはおおむね官庁の意向に沿った考え方を持つ人が選ばれているというのが実態に近いのではないかと思うのですが。

あのお、少なくとも労働関係の審議会に関していえば、労使の委員は労使団体の推薦でそのまま決まっており、「官庁の意向」で決めているわけではないことは、雇用対策基本問題部会委員である荻野さんはご存じだと思いますが。

もちろん、厚労省事務局としても、荻野さんのような労働問題がよく分かっていらっしゃる方が委員としてくるのは大歓迎であろうと思いますが、別にそう要求したわけでもないわけで。

要求して決められるものならば、スバラ式発言の数々を誇る某派遣会社社長様も「官庁の意向」なのかということになるわけで。こちらは日本経団連のご推薦ですよ。もちろん、女性比率とかいうご要望はしているわけですが。

むしろ、私が懸念しているのは、労使メンバーはちゃんと労使団体から推薦されてきているのに、その意見に基づいて審議を進めるというよりも、あらかじめ決められた枠組みで無理に押し通そうとする傾向が強まってきているのではないかという点なのです。

この点は、先日東京商工会議所に行ってお話をしたときに、東商からの労政審委員の方々から口々に指摘された点でした。

昨年来このブログで取り上げてきたホワイトカラーエグゼンプションの問題はまさにその典型例と言えます。

こういう言い方は大変差し支えがあるかとは思いますが、労働官僚が悪い意味で他省の官僚に近くなってきているのではないか、労使よりも自分が偉いと思いこみ、自分がこさえた枠組みに無理やりものごとを押し込もうとする傾向が出てきているのではないか、と懸念しているのです。もちろんごく一部でしょうけど。

基礎年金は全額税でいいの?

なんだか世の中そういう方向にどっと流れていくみたいな感じですが・・・、

http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20070927AT3S2601726092007.html

>大田弘子経済財政担当相は26日、日本経済新聞などとのインタビューで、基礎年金の全額税方式について「どこまでできるか分からないが、しっかりした議論をしたい」と述べ、経済財政諮問会議で制度改革を議論する考えを示した。

>現在は3分の1を国庫で負担している基礎年金の財源をすべて税金でまかなう税方式は民主党が主張、福田康夫首相が「柔軟に考える」としている。諮問会議民間議員の御手洗冨士夫日本経団連会長も検討を促している。

これはつまり、企業負担部分がなくなるということなんですが、それが判った上でやるべしということなんでしょうか、民主党さん。それが本当にいいの?みんながきちんと保険料を払えるようにしていくという方向ではなくて。

こういう議論こそ、ちゃんと労働側の代表の入ったところでやってくれないと、社保庁騒ぎで思考停止状態になったところでうかつにやらない方がいいと思うんですが・・・。

(追記)

ぶくまでリンクされていたのですが、

http://www.mainichi-msn.co.jp/keizai/kaigai/news/20070927k0000m020093000c.html

>藤井会長は「消費税率5%を維持したまま全額を基礎年金に充てることで解決できる」と述べ、当面は消費税率を引き上げる必要はないとの考えを示した。

話が逆のような・・・。

消費税に財源を求めなければならないものごとはたくさんある中で、わざわざ「年金保険料の企業負担分がなくなる」ように消費税を年金に回すんですかするんですかあ。それで「雇用税」を作って、地方に回す、と。え?その「雇用税」というのは、雇用のために使う目的税ではないんですね。なんだか理解しがたいのですが。

在宅勤務萌え?

先日公表された経済財政諮問会議労働市場改革調査会の第2次報告書、外国人の所は既に論評したとおりで、研修・実習の扱いは概ね妥当ですが、秘かにメイドさんやベビーシッターをこれで導入しようという意図はもっときちんと説明して国民的議論をすべきではないかというところでした。

http://www.keizai-shimon.go.jp/special/work/13/item1.pdf

ところがこの報告書、その後に在宅勤務の話が延々と書かれています。

現在厚生労働省の通達(平成16 年3月5日基発0305001 号)で

>① 当該業務が、自宅で行われること

>② 情報通信機器が、使用者の指示により常時通信可能な状態におくこととされていないこと

>③ 当該業務が、随時使用者の具体的な指示に基づいて行われていないこと

とされている要件について、

>(1)①に関して、在宅勤務の要件として、とくに自宅内に仕事専用の個室を設ける必要はないこと。

>(2)②に関連して「情報通信機器が、使用者の指示により常時通信可能な状態におくこととされて」いる場合とは、情報通信機器が常時通信可能な状態(オンライン状態)にあるだけではなく、その通信機器を用いて使用者が随時、業務に関する具体的な指示を労働者に対して行うことが予定され,かつ、労働者もその指示に即応できるような状態にある場合(いわゆる「手待ち時間」に当たる場合)を指すこと。したがって、仮に終日、情報通信機器が接続可能な状態にあっても、在宅勤務の労働者の勤務状況を使用者が常時監督するための手段(例えばTV カメラ等)が設置されておらず、労働者が自由に持ち場(端末の前)を離れることのできるような状況にあれば、当該要件を充足するものとなること。

>(3)③に関連して、使用者が随時行う具体的な指示とは、一般的な指示(業務目標や期限など)ではなく,業務遂行の方法や時間配分に関する具体的指示であること,また「随時」とは,その頻度にもよるが、例えば朝夕に指示があるだけであれば、具体的な指示があったとはいえず、当該要件を充足するものとなること。

という解釈を出せという要求です。

別に問題はない、というかある意味でもっともな話なのですが、わざわざこれだけのスペースをとって、外国人問題と並べて打ち上げるほどのはなしかねえ、という気がしますが。正直言って課長補佐クラスの議論のような気がするのですが。

今後の検討課題として、

>(1)事業場外労働のみなし制の特例として構成する

>(2)裁量労働のみなし制の新たなタイプとして構成する(この場合、「時間の配分の決定等が大幅に労働者の裁量に委ねられている」か否かが重要になる)

>(3)独自のみなし労働制や、それ以外の新たな労働時間制度の一種として構成する

という案を提示していますが、要するに

>もっとも、在宅勤務であっても健康確保措置として休日は重要である。このため、労働時間が過長なものとならないための手段を講じた上で・・・

ということを念頭におきながら、制度設計をしていけばいいわけです。

私はむしろ、在宅勤務の問題を取り上げるのであれば、労働者ではないとされる在宅就労者の法的取扱いについても議論を提起すべきではなかったかと思います。現行の家内労働法は家内労働者を「物品の製造、加工等に従事する者」と定義しており、それゆえコンピュータやインターネットを用いて情報処理を行う等の行為はこれに含まれません。ILO条約でいうホームワーク(「宿題」じゃないよ!)は双方を含みますし、情報化社会に工業時代のなごりみたいな法律がそのままになっているのもどうかという気もします。その辺は今回は全然触れられなかったわけですが、できれば今後検討して貰いたいところですね。「労働者」ではないだけに、却って厚労省外部からの問題提起がされることに意味があると思いますよ。少なくとも課長補佐クラスの通達の文案をあれこれ考えるよりも。

2007年9月26日 (水)

経済同友会の意見書

経済同友会が「福田新内閣の発足にあたって-構造改革の継続・加速に向け、揺るがぬ意志を示せ-」という意見書を発表しています。

http://www.doyukai.or.jp/policyproposals/articles/2007/pdf/070925a.pdf

要はコーゾーカイカクを貫けといっているわけですが、けっこうもっともなことも云っています。特に、

>一方、構造改革を進める過程で、家計・地方・中小企業など、改革による成長の果実が行き届かなかった分野があることが明らかになってきた。こうした、いわゆる「格差」問題に対しては、従来の「バラマキ」型の手法に代表される近視眼的対応や単なる「結果」の調整ではなく、中長期的な視点に立ち、改革の一環として、活力の創出に向けた制度設計への取り組みが必要である。我々は本質的かつ持続性ある解決策を期待している。

まったくその通り、結果の格差をばらまき的に調整しなくてもいいように、経済社会の主軸においてダイナミックな平等性がいかに確保されるべきかが重要なんです。サステナブルでなければならないのは環境問題だけではありません。

主軸とはいうまでもなく財やサービスの生産の場面、つまり労働の場面にほかなりません。そこが健全であれば、格差対策の必要性そのものがそれほど大きくならない。

一般論としては消費税をもっと上げることは今後必要なことではあるけれども、労働に基づく社会保障保険料ではまかなえないから財源をそっちに頼るというのは本末転倒でしょう。やはりワークフェアを基軸にしないと。

ミニ小泉バブル?

何やらデジャブ。どこかで見たような光景。

池田氏の云うように労働者の既得権を悉く剥奪して、みんな山谷の日傭い労務者よろしくばらばらのプロレタリアートになれば、労働者はみんな平等になれる、幸福になれるという歪んだ革命願望でもって、すべての自生的構造をぶっ壊そうとする人々の群れ。

既得権はある者とない者の間で分け合っていくしかないのですよ。今の正規労働者の保護を緩和してその分を今の非正規労働者に回していくという、辛気くさい作業を黙々とやり続ける以外に、「最終的解決」などありはしないのです。

すべての労働者から既得権を悉く剥奪して、あなたはその中で裸の労働者として生きていくつもりなのだろうか。いや、自分だけはそういうカンダタの群れからは超然として、極楽からうごめく労働者たちを眺めているつもりなのだろうか。

まあ、それぞれの方々が自分の胸に問いかけてみればよいことです。

研究開発の生産性ってなあに?

社会経済生産性本部が「企業の「生産性」に関するアンケート調査」というのを発表しています。

http://activity.jpc-sed.or.jp/detail/01.data/activity000831.html

>生産性が昨年度伸びた要因として、68.4%が「既成製品・サービスの売上増加」を挙げている。

とか、

>生産性向上のため今後強化していきたいものは「製品・サービスの高付加価値化」が64.5%で最も多く、「マーケティングや販売体制の強化」が50.8%で続いている。

とかいうのはまだ理解可能なんですが、

>生産性が全社平均と比べて「高い」と評価される部門は、製造(74.7%)、営業・販売(52.9%)、物流(45.3%)、情報システム(28.2%)、研究・開発(24.5%)、事務・管理(24.2%)の順となっている。

というのがよく分かりません。

製造と販売と研究開発と事務管理の生産性をどうやって定量的に比較するんでしょうか。

ていうか、研究開発の生産性ってなに?

ちまちました開発をいっぱいやって少しずつ売り上げに貢献するのと、数年間鳴かず飛ばずでどーんとでかいのをやるのと、どっちが生産性が高いんだろうか、とか。考えていくと謎だらけ。

まあ、プレスリリースの中で、

>概して現業部門の生産性の評価は高く、間接部門の評価が低いが、アウトプット測定の難しさも評価に影響していると思われる。

と書いてありますので、問題点は意識されているんだとは思うのですが。

もともと、社経生の前身の日本生産性本部は、階級闘争主義的な労働運動に対して、生産性向上に協力する代わりにその分け前を労働者にちゃんと与えましょうという一種の思想運動として始まったわけで、その意味では大変な効果というか功績を挙げたわけですが、念頭におかれていたのは主として工場における生産性向上であり、それにアナロガスに事務部門を考えることが出来るかぎりでは意味があったと思うのですが、それこそ投入労働時間と成果がまったく比例しないような仕事にまで、同じ「生産性」という言葉を使う意味がどこまであるのだろうか、という疑問も湧いてくるわけです。

読んでおくと役に立つ

昨日夕方くらいから、このブログを読みに来る方の数が5,6倍に増えましたね。

さすがあるふぁぶろがあさんは違うわ、という感じですが、ということはこのブログを読みに来られる方の8,9割までは、以前のエントリーも読んだことはないし、まして私が書いた文章を見たこともない方々であるということなわけで、判ってるだろうという書き方では不親切だという状況になっているようです。

常連さんには今さらながらのことですが、この際ですからこれを読んでおくと役に立ちますよ、というのをいくつか。

まずいささか教科書的ですが、これを頭に入れておいて貰わないと

http://homepage3.nifty.com/hamachan/hrm.html(日本の労務管理(和文講義案))

最近の非正規労働問題については、まず総論的に

http://homepage3.nifty.com/hamachan/koyounokakusa.html(「雇用の格差と人生の格差」  )

話題の請負・派遣の問題については、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roumuservice.html(「労務サービスの法政策」 )

http://homepage3.nifty.com/hamachan/kensetuhaken.html(『労働者派遣と請負の間-建設業務と製造業務』 )

http://homepage3.nifty.com/hamachan/denkiukeoi.html(「請負労働の法政策」)

http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no218/houkoku_2.pdf(請負労働の本当の問題点は何か?)

有期労働については、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/yatoidome.html「有期労働契約と雇止めの金銭補償」

解雇規制については、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/kaikokisei.html(「解雇規制の法政策」 )

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roubenflexicurity.html(「解雇規制とフレクシキュリティ」 )

などがあります。

また、下でもちらりと書きましたが、10月上旬に発行される『世界』誌と『現代の理論』誌に、非正規労働問題を取り上げた文章を書いています。それが現時点では一番まとまっていると思います。2週間ばかりお待ちいただければ・・・。

福田内閣のサプライズ

おそらくいま霞ヶ関で秘かに囁かれている福田内閣最大のサプライズは、渡辺善美行政改革担当特命大臣の再任でしょう。

http://www.seri.sakura.ne.jp/~branch/diary0709.shtml

これで、この秋に非現業公務員に労働基本権を付与するという方向での報告書が出されることがほぼ確実になりました。

先日の会議に出された資料も、どうせ大臣が替わるだろうからといい加減に見ていた方々が大あわてで精査し始めているのではないかと拝察いたします。

当分、興味深い展開が続くものと思われますので、引き続き注意深くフォローしていきたいと存じます。

まっとうな方々もたくさんいらしているようです

当初やってきたのがいかにも「イナゴ」って感じでしたので、つい池田ブログから来られた方々を等し並みに「イナゴ」呼ばわりしているかのような言い方をしてしまい、申し訳ありません。その点は取り消します。コメントの中にはまっとうな、というか、真摯に労働問題を考えようという発言が多く見られるようになりました。

下にも書きましたし、リンクした私の文章を読めば判ると思いますが、会社に入る前にギルド員かそうでないかという身分の違いがあるギルド組合制と、会社に入る前は違いはなく、会社に入る段階で初めて身分の違いが生ずる会社組合制とが正反対の概念であること、それゆえ、

>彼は、私が「労組は『正社員』による独占を守る組織なのだ」と書いたのに対して「ありえない」と批判しているのだが、その直後に「日本の企業別組合というのは[・・・]まさに『正社員による独占を守る組織』なのである」と自分で書いている。一つの記事の中で矛盾したことを書くのは、先日の山形某と同じく頭がおかしいと思われてもしょうがないが

などというのが粗雑極まる思考であることは、ここに来られた方々にはかなりご理解いただけたようです。

非ギルド員は会社の中でどんなに頑張ってもギルド員にはなれませんが、臨時工を本工に登用するというのは日本の労働史上多く見られた現象ですし、むしろ高度成長期にこれが進んだため、いったん臨時工という言葉は死語となり、代わって差別待遇など(主観的にも客観的にも)問題とはならないパートやアルバイトという形で非正規労働者が増えたわけですね。

その枠組みの中で90年代以降、労働の場における排除が社会的排除につながるような労働者層が拡大してきたことが、今日の非正規労働問題の根源にあるわけですから、それを解決するためには会社という枠組みの中でどこまでをインサイダーとしてインクルードするかという制度設計の問題として論ずるのがもっとも現実的なやり方であるわけです。

もちろん、世の中には会社という枠組みの中で保護を与えるという枠組みそのものをぶっ壊して、悉くばらばらの個人に分解してしまえば、正社員と非正社員の区別もなくなる等と論じる人もいます。池田氏もその一党であるわけですが、万人が等しくプロレタリア化するのが至高の幸福だとお考えの一部左翼の方々を除けば、多くの普通の人々にとってはあんまりぞっとしない将来像だと思いますね。

ここでの分かれ目は、問題がギルド的組合にあるのであれば、会社レベルでどうやったって解決なんか出来るはずはないのだからそもそも会社を超えた社会的身分構造をぶっ壊せと云うことになるのに対し、問題が会社の中の身分設定にあるのであれば、そのレベルで(といっても当然マクロレベルからの働きかけが不可欠ですが)解決可能な問題だということです。

ギルドかそうでないかというのは、政策の方向性を決定づける大きな認識論的分かれ目なわけで、それが理解できないのは労働問題に対する意識がいかに低いかをよく物語っていると云えます。

(反論するなら、日本の組合が会社の中ではどうすることも出来ないギルド型であることを論証するか(できるわけないが)、ギルド型ではないかも知れないがいずれにしても労働者は全部裸のプロレタリア化するのがいいのだと主張するか、でしょうね)

ちなみに、下記リンク先の文章でも触れているように、私は一般的な解雇規定は維持しつつ、整理解雇法理における正規労働者の解雇規制は一定の緩和が必要ではないかと考えています。会社という枠組みを基本的に維持しながら、その中で現在の不合理なレベルに達した身分差別の弊害をどう緩和していくかを考えるのが、労使関係者とも共通するリアルな実務家の発想だと思っています。

2007年9月25日 (火)

イナゴさん増殖中

下記追記の通り。それで分からないのであればどうしようもない。

まあ、労働問題などという議論の枠組みなんてたいしたものではないと思っているから、その枠組みでは最も重要なこの二つの違いに鈍感になりうるのでしょう。

ギルド的独占は、むしろ医師会や弁護士会のようなプロフェッショナル系の職業団体に残っている。医師によってどの病院に勤めるかというのは(もちろん重要ではあるが)あまり本質的なことではない。

日本の組合の本質は、ある会社に雇われた人間の利益共同体という点にあるのであって、まさにギルド的集団原理とは正反対。すなわち「社員組合」であることがキモ。

ここで、その会社に雇われた人間のうちどこまでを当該共同性の中にインクルードしして、どこまでをそこから排除するかは、必ずしも一義的に決まるわけではない。これまでは、非正社員というのは主として家事を行う主婦であったり、主として学業を行う学生であることが多かったため、原則として正社員といわれるもののみをインクルードしてきたが、その社会的前提が崩れつつある現代において、その対象を拡大する形で適応すべきであろうと、私は考えているし、最近の私の文章を読めば(読んでる人はイナゴしたりしないんですが)分かるはずです。

イナゴさんに云っても詮無いことかも知れませんが、せめて下記私の文章くらい読んでから何事か発言しても罰は当たりませんよ。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/aomori.html

http://homepage3.nifty.com/hamachan/koyounokakusa.html

来月上旬にはもうすこし一般向けの雑誌に書いた文章が発行されますが、現段階ではここに出せないしね。

すこし論点がずれるところもありますが、こういうのも読むといいでしょう。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roubenflexicurity.html

http://homepage3.nifty.com/hamachan/espworklifebalance.html

労働問題の現実の中で、空想的な虚論を振り回すのでなく、現実的に実現可能な解決策を悩みながら考えている多くの労使関係者の読者の皆さんからすると、またぞろイナゴさん増殖中と云うところですね。まあ、去年のリフレイナゴの時もそうでしたが、本質的に労働問題に関心のないイナゴさんたちは、好き放題勝手なことを言い捨てて去っていきますから安心してください。

池田信夫氏という現象

まあ、リンクを張られてるので、それを読んでいただくだけでもいいんですがね。それで十分判りますから。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/16a36fbc07184fd578750496967f1ecb

この池田信夫氏という方は、

>hamachanは「組合へのメンバーシップがキモなのであって、企業へのメンバーシップとはまるで方向が正反対」というように、企業と労組は「正反対」で「対立」するものだと繰り返している(それが私への批判の論拠になっている)。つまり彼の(そしておそらく厚労省の)目には、いまだに「資本家vs労働者」というマルクス的な図式しか見えず、・・・・・・

というご自分がイデオロギー的対立図式でしかものを見ることができないことを認識できていない方のようです。

いうまでもなく、組合へのメンバーシップと企業へのメンバーシップを対立させる図式は、マルクスとは何の関係もなく、労働者はまず組合という結社のメンバーであってそれに基づいて企業で働くか、労働者はまず企業のメンバーであってそれに基づいて組合に加入するか、という労働システムの類型に過ぎません。イギリスのギルド社会主義は前者の発想に近いですが、マルクス先生とは関係がないでしょうね。せめて労働問題の基本書の二三冊は読んでからおいでと云うところです。

あとは天下りだなんだといえば相手が黙ると思っている低劣な心性。はいはい、入院した方は偉いですねえ。

しかし、

>赤木氏のようなフリーターは目にも入っていないのだ。私の記事の主題が「本質的な問題は正社員とフリーターの対立だ」ということなのに、彼はそれには言及もしない。

などと、ちょっとこのブログの過去エントリー(といってもすぐ前のものだから下にスクロールするだけで読めるはずだが)すらまったく目に入らない状態のまま、罵声を浴びせかけられてもねえ。

まさにその点こそが私がここのところ(ここのエントリーも含めて)いろんな形で提起しているところなんですけど。ただ、私はあくまでも実務家ベースで数百年後とか数十年後ではなく今現在提起して実施することが夢想ではない様なレベルでものごとを考えようとしているのですが。それは、飛んできたイナゴさんはともかく、労働問題に関心を持ってこのブログを読みに来ておられる方々はご理解いただけるでしょう。賛成反対は別にしてね。

労働市場排除者統合第2次協議

欧州委員会の最新予定表によると、

http://ec.europa.eu/atwork/programmes/docs/forward_programming.pdf

労働市場から最も遠い者の統合に関する労使への第2次協議が10月17日に予定されているようです。どういう内容になるのか、一歩踏み出すのか収拾に向かうのか、興味深いところです。

いちいち叩いていたら身が持たないが

マスコミ界でやたらに威勢がいいらしい人がブログでこんなことを

http://blog.tatsuru.com/2007/09/21_1501.php

『文藝春秋special』に書いたものらしい。

>ある年代から上にとって、「やりがいのある仕事」というのは、「どこかで誰かの役に立っている仕事」のことを意味している。おのれ労苦の「受益者」がどこかにおり、その笑顔や感謝を想像することが労働のモチベーションを担保する。それが「やりがい」という語の意味だったはずである。
だが、この定義は若い世代にはもう適用できない。というのは、今ではどうやら個人の努力がもたらす利得を「私ひとり」が排他的に占有できる仕事のことを「やりがいのある仕事」と呼ぶ習慣が定着しているようだからである。
「受益者が私ひとり」であるような仕事を「やりがいのある仕事」と呼ぶ不思議な労働観が生まれたのにはもちろん理由がある。それは「受験勉強」の経験が涵養したものである。
受験勉強では努力と成果の間に「正の相関」があり、個人的努力の成果は本人が100%占有する。一生懸命勉強をして入試で高得点を取ったので、あまり勉強していなかった隣席のヤマダくんもその「余沢」に浴していっしょに合格できた、というようなことは受験勉強の場面では絶対に起こらない。
けれども、私たちの日々の仕事の現場ではむしろそちらの方が常態なのである。仕事のほとんどは集団の営為であり、利益は仲間の間で分配され、リスクはヘッジされる。人間的労働は集団的に行われることで効率を高め、危機を回避するメカニズムだからである。
受験勉強は将来の労働者を類別・序列化するためのシステムではあるが、それ自体は労働ではない。それを同一視して、受験勉強をする気分で労働の現場に踏み込んでくる若者は仰天してしまうのである。どうして、ここでは自分の努力の成果が自分に専一的にリターンされないのか?受験勉強的「成果主義」になじんだ子どもは、自分の努力が固有名での達成としてはカウントされず、集団で(それもろくな働きをしていない人間も含めて)分配しなければならないという「不条理」が理解できない。

>成人の労働の本質は、個人の努力が集団の達成に読み替えられる変換のうちに存する。自分の努力の成果が、できるだけ多くの他者に利益として分配されることを求めるような「特異なメンタリティ」によって成人の労働は動機づけられている。それが納得できないという人は成人の労働には向かない。事実、多くの若者たちが「三年で辞める」のはそのせいである。

>私たちが労働するのは自己実現のためでも、適正な評価を得るためでも、クリエイティヴであるためでもない、生き延びるためである。成人の労働ができるだけ多くの他者に利益を分配することを喜びと感じるような「特異なメンタリティ」を私たちに要求するのは、それが「生き延びるチャンス」の代価だからである。この代価は決して高いものだと私には思われない。

まず、集団のために個人が努力することが当該個人の「生き延びるチャンス」につながるような労働社会の在り方が必ずしも普遍的であるわけではないと云うことを理解していない。ここにも労働史に無知なまま好き勝手に書き殴るヒョーロン家氏。

大体受験勉強が激しかったのはより集団主義的労働観が普遍的であった時代、今の若者なんかより内田氏より年長の世代であろう。それだけ受験勉強的「成果主義」になじんだかつての若者たちが、それほど受験勉強に追われていない今の若者たちよりも、そういう「特異なメンタリティ」になじんでいったのはなぜなのだろうか?といった問いかけをする気もないらしいし。

こういうのが平然として通用するのが今の日本の論壇なるものなんですかねえ。

(追記)

そのすぐ下を見ると、自分でこう書いていた。判ってるじゃない。

http://blog.tatsuru.com/2007/09/20_2227.php

>さらに問題を困難にしているのは、(あまり大きな声では言われないが)「働くことの意味」を教えねばならない大学教師たちの過半は学生たちがこれから参入することになる会社組織というところで働いた経験がないという事実である。

>実は私もないのである。

判ってないことが判っているくせに知ったかぶったか・・・。

清家篤先生インタビュー

昨日の日経新聞に載った清家篤先生のインタビュー記事を続・航海日誌さんが取り上げています。

http://www.seri.sakura.ne.jp/~branch/diary0709.shtml

私も右に同じく「禿同」なわけですが、おそらく続・航海日誌さんよりも一層そうではないかと思います。というのは、清家先生が念頭においておられるであろう領域は、まさに私のそれとまったく同じであるからで。

>「政治家が本来やるべき仕事を丸投げしているのです。政府の規制改革会議は政治家が規制緩和について専門家の意見を聞く場ではなく、規制緩和の推進を目的とした場になっています。政策決定まで委ねてしまうのは本末転倒でしょう」

>官僚との関係でも政治家が十分に責任を果たしていないところがあります。官僚は行政の各分野の専門家で政治家はその助けを借りて行政を進めます。専門家である官僚が自分の分野が重要だと考えるのは当然だし、また、そうでなければプロにはなれません。そうした中、それぞれの分野に軽重をつけるのが、素人の良識を持った政治家の仕事でしょう。ですから『縦割り行政はけしからん』などと言う政治家は自らの役割を忘れているとしかいえません」

>――すると最近の官僚批判の風潮はおかしいと?
 「行き過ぎがあるのではないでしょうか。例えば、縦割りの弊害をなくすため、各役所が独自に人材を採用するのではなく、内閣で一括採用しようという話がありますが、おかしなことです。自分はこの仕事をしたいという強いこだわりを持った人たちこそ、その分野での能力を磨けます。どの官庁でもいいからといった人では、国民が困るのではないでしょうか」

派遣法改正論議開始

連合通信から

http://www.rengo-news.co.jp/news/kiji/070918.htm

>労働者派遣法の見直しに向けた審議が九月十九日、厚生労働大臣の諮問機関である労働政策審議会労働力需給制度部会で始まった。年内に答申を行い、来年通常国会に法案を提出する予定。労働者派遣の全面自由化を求める経済界と、再規制を迫る労働側の主張の隔たりは大きく、労使の激しい綱引きが予想される。
 同部会では今後、仕事がある時にだけ雇用されるタイプの登録型派遣や、日雇い派遣、派遣労働者への直接雇用申し込み義務規定、派遣期間制限などの項目ごとにそのあり方を話し合うほか、派遣先が労働者を特定する事前面接の是非(現在は違法)、派遣受け入れ後に直接雇用する紹介予定派遣の見直しも審議する。
 日本経団連の狙いは派遣の全面自由化。六月に政府に提出した要望書では紹介予定派遣の上限(現行六カ月)延長や、事前面接の解禁、直接雇用申し込み義務規定の廃止、派遣期間制限の撤廃のほか、偽装請負にあたるとして禁じられている請負発注元企業による指揮命令を一部認めることなども求めている。
 一方、連合はこのほど、雇用が不安定な登録型派遣の原則禁止をうち出した。事前面接を引き続き禁止するとともに、違法派遣だった場合は派遣先が労働者を直接雇用しているとみなす「みなし規定」の創設を提唱。全労連も「登録型の廃止」などを求めている。
 九月十九日に開かれた需給制度部会では、労働側が登録型の原則禁止を主張した。使用者側は厚労省の調査結果を根拠に「登録型での就労継続を希望する人が多い」と反論したが、公益委員は同省の調査は派遣会社を対象に実施しているため、会社の意向に偏りがちで慎重な取り扱いが必要だとくぎを刺した。

先日もここに書きましたが、登録型派遣の禁止という戦法は、先制ジャブとしてはまあ理解できますが、いささか現実性に欠ける嫌いがあります。

派遣の見直しについての私の考え方は近々発行される雑誌に載せる文章で触れる予定ですが、昨年某所で喋ったこれが頭の整理としても役に立つのではないかと思います。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/rengohakenukeoi.html

2007年9月24日 (月)

半分だけ正しい知識でものを言うと・・・

池田信夫氏がブログで「労働組合というギルド」という小文を書いているが、

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/9edbf325d17cc62254dcf71ecc6395f1

典型的な半可通、というかなまじ半分だけ正しい知識でものを云うとどういうへんちくりんな結論になるかという実例。

いや、専門家にはいろいろと説があっていちがいに断定はできないものの、労働組合の源流が中世のギルドであるという認識はおおむね正しい。ただし、それはいかなる意味でも

>つまり労組は「正社員」による独占を守る組織なのだ。

ではありえない。逆であって、「組合員による独占を守る組織」なのである。

組合へのメンバーシップがキモなのであって、企業へのメンバーシップとはまるで方向が正反対。

これに対して日本の企業別組合というのは、企業へのメンバーシップ(これを「正社員」という商法上奇妙な言葉で称する)に立脚したものであって、まさに「正社員による独占を守る組織」なのである。この性格は先日のエントリーでも書いたように、戦間期から生じていたわけだが。

池田氏の見解そのものも

>若年層に非正規労働者が増えていること・・・を解決するには、労働組合の既得権を解体し、正社員を解雇自由にするしかない。

>解雇自由にする代わり、職業紹介業も自由化して中途採用の道を広げれば、みんな喜んで会社をやめるだろう。

と、まことに乱暴だが、賛成反対以前に、「労働組合の既得権」を標題に掲げるギルドとしての既得権とは全く正反対の企業メンバーとしての既得権という意味で使っている論理矛盾への意識がまるでないという点で既にしてアウト。

ギルド的労働組合は解雇規制などではなく、入職規制がキモであって、その点において「職業紹介業の自由化」と対立する。

とにかくこういうなまじ半分だけよく分かったような議論が一番始末に負えない。

いや「ギルド」などと知ったかぶりをせず、初めから現代の企業別組合の話だけしているんですといえば、賛成反対は別としてこういう苦情を言う必要はないのだが。

(追記)

ギルド的組合と正社員組合は違うんだよと云っているのにそれが判らないひとだな。企業別組合以外の組合を想像したこともないのだろうが。

労働問題の基本書嫁とは云わない。私のHPに載せてある講義録を嫁とも云わない。情報通信を追っかけるのに忙しくてそんな暇もないんだろうし。ただ、清家先生ではないが、当該分野については素人であることを弁えない自称玄人ほど始末に負えない者はないな。規制改革会議の某労働タスクフォース主査と同じだ。

2007年9月23日 (日)

「労働者」は死語

http://d.hatena.ne.jp/odanakanaoki/20070922#p1

>この本は「労働者」といういまや死語になりつつある表現が頻出しますが、それほど違和感がありませんでした。

そうか、「労働者」なんて言葉は今や死語になっていたんだ。

我々はゾンビを相手にしていたに違いない。

ね、労働法、労働経済、労働行政その他労働関係者の皆様。

博物士さんの書棚

http://d.hatena.ne.jp/genesis/20070919

ずらりと並んだ(あるいは積み上げられた)マンガの片隅に、申し訳なさそうに「労働判例」DVD版の箱が・・・。

『世界』11月号の予告

http://www.iwanami.co.jp/sekai/index.html

>2007年11月号(2007年10月9日発売予定)予告 

>衆参ねじれ国会が始まった。05年衆議院で圧勝した自公両党、07年参議院で圧勝した民主党、それは小泉政権が推し進めた「構造改革」への、相反する民意の表明でもありました。格差拡大、貧困の増大、地域切捨て、社会保障の基盤破壊などなど、ここ10年の社会の変化に対して、国民はノーと答えました。しかし、それがかつての利権のばら撒きや公共事業拡大のような解決策に戻ればいいとかいえば、そうではないでしょう。また戻ることは不可能です。ではどのような社会、経済を私たちは目指せばいいのか。経済、社会、労働などから考えます。

2007年9月22日 (土)

労働市場改革専門調査会第2次報告

というわけで、昨日第2次報告がとりまとめられました。

http://www.keizai-shimon.go.jp/special/work/13/item1.pdf

問題の外国人労働ですが、まず研修・技能実習制度の見直しについては、

>両者を合わせた3年間を通じた「技能実習」という新たな在留資格を設けることが考えられる。このことにより「研修」の中の実務研修部分を、現行の技能実習と同様に位置づけ、労働基準法等を適用し、労働基準監督機関による指導・監督を可能にする。そうすることによって、労働者の保護と労働条件の改善が期待できる。

>他方、「研修」の中の座学部分については、労働時間としては取り扱わず、賃金の支払いを要しないことにする。ただし、座学に関しては、現在の研修と同様に、入管法上の取扱いも含めて配慮しつつ、手当を支払うという条件の下で入国・在留を認める。

と、穏当な落としどころになっています。

いったん帰った人をもう一回・・・という「高度技能実習制度」については、

>なお、現行制度の問題点を踏まえれば、この高度技能実習制度については、当面は国内で習得した技能を母国に帰ってから活用することが担保可能な企業単独型をその主な担い手と考えるが、過去の実績からみて技能実習を適正に運用し効果的な技能移転を実施していると判断できる優良企業6が申請する場合については、団体監理型であっても将来的には個別企業ベースで対象とすることを検討すべきである。

と、かなり幅広に考えているようです。

技能実習生どの対象職種についても、「複数の技術を含めた包括的な認定(個々の技術ではなく、例えば自動車組立等に関する全般的な工程を対象とするなど)に切り替える等の措置が必要」というのは、私ももっともだと思いますけれど、

>少子・高齢化の進行や経済のサービス化の流れを踏まえれば、対象職種を、例えば、看護・介護や家事・育児など、より将来的にニーズが高まる分野であって、かつ技能移転を実現しつつ、外国人の多様な能力を活用することのできる分野に拡大することも検討すべきである。なお、この場合、現行の技能検定制度等の評価制度は、業種の特性に応じた形で柔軟に見直すことも不可欠となる。

おお、出ましたね、家事・育児も技能検定できるようにして外国人実習生を入れると。

一応いいわけ的に、

>ただし、こうした見直しによって、実質的な単純労働者の受入れ拡大がなし崩し的に進まないよう留意する必要がある。

とは云っていますが、でもそりゃやっぱりなし崩しでしょう。

これは技能実習だけではなくて、就労可能な在留資格の見直しについても、

>少子・高齢化や経済のサービス化の進展に伴い、雇用需要の持続的な拡大が見込まれる看護・介護、育児・家事、秘書などの対個人サービス分野では、専門的資格の認定要件を弾力的に見直すことにより、サービス利用者の利便性向上に配慮すること。

それらを全部一括して「対個人サービス」と言っちゃっていいのかなあ、と。

もう一つのテレワークについては改めて。

2007年9月21日 (金)

家事も専門的技術的職業?

今朝の朝日に、経済財政諮問会議労働市場改革専門調査会の第2次報告の内容がリークされています。

http://www.asahi.com/politics/update/0920/TKY200709200363.html

例の研修・技能実習制度については、

>現行の「研修1年+技能実習2年」を3年間の技能実習に一本化、座学の時間を除いて労働関係法を適用すべきだとしている。

と、厚生労働省案に近づいたようで、それはそれで結構なんですが、思わぬ所で凄いことを書いています。

>外国人労働の分野では、就労可能な在留資格を弁護士や医師など専門的分野に限定する出入国管理法について「将来的に弾力的に見直すこと」の検討を提案。看護や介護、育児、家事なども加え、短大や高等専門学校程度の学校教育修了を前提に、一定の日本語能力や公的資格、企業推薦などがあれば在留資格を与えることを求めている。

一瞬目をこすったんですが、学歴が高けりゃ家政婦でもいいと、こういうことなんでせうか。

確かに前回の会合に出された紙には

>一定の条件下での専門的技術的分野の受け入れ範囲の弾力的見直し

ってありましたが、そして看護師はいろいろ議論はありますが、専門技術的職業だと認めてしかるべきだろうと私も思いますが、介護は実態からすると相当に問題はありますがそれにしても一応介護福祉士とかありますが、さらにかさにかかって育児ときて、最後の決め球は家事ときますか、そうですか。

この議事要旨の何処を見ても

http://www.keizai-shimon.go.jp/special/work/12/work-s.pdf

看護師や介護士の話はちらと出てきていますが、ベビーシッターやメイドさんを入れようという話はしていないような気がするのですが、どこかでそういう議論をされたんでせうかねえ。

確かにフィリピンは学歴水準が高い国です。欧米に出稼ぎに来ているメイドさんの多くも大卒だし。

なんちうか、日本を再び女中を使う階級のいる社会にしようということなんですかねえ。

日中戦争下の日本

4062583925 このブログで紹介した坂野潤治さんのような歴史意識をもって、赤木智弘さんの「丸山真男をひっぱたきたい」を読むと、こういう本ができあがるという実例。

井上寿一『日中戦争下の日本』講談社選書メチエ

です。

井上さん自身がこの本の解説を書いているのでリンクを。

http://shop.kodansha.jp/bc/magazines/hon/0708/index02.html

>この本を準備する過程で、史料をとおして接した労働者、農民、女性たちは戦争の一方的な被害者、犠牲者とはいえないことがわかった。戦争は、資本家に対する労働者の、地主に対する農民の、男性に対する女性の、相対的な地位の向上(社会的平準化)をもたらすチャンスだった。軍需生産の拡大が労働者に高賃金を、食糧増産が農民に小作料の減免を、出征による男性の人手不足が女性に社会進出を、それぞれ可能にしたからである。

>また兵士たちが一方では中国に対する侵略者でありながら、他方では国内「革新」をめざす改革者でもあったことを発見した。

>だからといって、私は侵略を正当化するつもりはない。この本がめざしたのは、侵略と民主化とを同時に進めようとした日本社会のシステムの不調を明らかにすることだったからである。

>社会システムの不調とは、七〇年前の日本のことだけではない。今の日本のことでもある。今の日本とは、ポストバブル世代の若者たちにとって、再チャレンジが困難な格差拡大社会のことを意味している。この世代の若者たちから戦争待望論(赤木智弘「『丸山眞男』をひっぱたきたい三一歳、フリーター。希望は、戦争」『論座』二〇〇七年一月号)が出てきているのも、怪しむに足らない。著者の赤木氏は、たとえ貧しい方向への平等化(下方平準化)であっても、戦争による社会の平等化に賭け金を置いている。七〇年前の労働者や農民、女性たちと同じである。

>ポストバブル世代の若者たちの「保守化」、「右傾化」が進んでいる。先日も大学の講義でこのことを話題にしたところ、講義後、二人の女子学生が質問に来た。「若者の『保守化』、『右傾化』って悪いことですか?」。ポイントを衝く質問だった。おそらく私のどっちつかずの価値判断に納得が出来なかったのだろう。

>今の若者たちは、メディアが喚起するイメージとは異なって、まじめである。公共精神を身につけている。連日のように報道される企業トップの不祥事や政治家のスキャンダルに心底、怒っている。このような社会への不信が若者たちの「保守化」、「右傾化」をもたらしている。そうだとすれば、私は若者の「保守化」、「右傾化」を批判することができない。七〇年前の兵士や労働者、農民、女性たちが抱いていた社会変革への思いを知ってしまったからである。

>それでも私は、若者の「保守化」、「右傾化」を危惧する。『日中戦争下の日本』を書いているうちに、七〇年前の歴史の教訓を生かすべきだ、と戦時下の日本国民からメッセージを託されたような気持ちになったからである。

>日中戦争の歴史は、振り返るに価する多くの教訓に満ちている。

ほとんどこれに尽きています。

2007年9月20日 (木)

高橋亀吉 on 臨時工問題

高橋亀吉といえば戦前活躍した有名な民間エコノミストですが、昭和12年というまさに日中戦争の始まった年に出版された『日本産業労働論』(千倉書房)は、今日の労働問題と対比して幾つも興味深い証言を残しています。

中小企業労働、女子労働、農村の過剰労働力、日雇い自由労働などさまざまな領域を分析しているのですが、まずは臨時工問題を。

>・・・以上は臨時工が常用工に比し、より低劣な労働条件に従事しつつある事実の概要であるが、今やかかる低劣な労働条件下にある臨時工の激増せる結果、一般労働者の労働条件その他に、各種の弊害的影響を及ぼしつつある。

>臨時工が多数に雇用され、しかもその技術の熟練化において常用工に比し、殆ど遜色なき結果、勢ひ臨時工の低賃金が、実質的に賃金水準決定の標準とならざるを得ない。即ち事業が繁忙になり、労働需要の増大するや、それに連れて労賃も上がると云ふのが、上昇期資本主義経済の原則であるが、近年に於いては、工場主は、いつでも低賃金の臨時工を以てその必要労力を補給し、之を半永久的に使用し得る結果、工場主は臨時工の使用によつて絶えず新しき賃金水準を造出することが出来る。事実、満州事変以降我が資本家階級は、賃金高き常用工と、低廉賃金の臨時工とを漸次スリ替へることによつて、我が賃金水準を低下せしむることにある程度成功し来たつたのである。

>之に加ふるに、従来、我が労資関係の美点として維持されてきた退職手当其の他の福利施設等の所謂恩恵的施設が又、臨時工増大の結果、今や崩壊の危機に立ち、かかる方面からも一般労働者の労働条件は実質的に低下する危険にさらされてゐるのである。

>次に臨時工増大の影響として此の際注目に値することは、常用工の特権意識の濃化と労働団結力の阻害の傾向であるが、之は無論今日までの所、ハツキリと表面に現れている訳ではないが、次章に後述する如く、今日労働組合が主として常用工中心に組織され、臨時工の組合加入者少なきは、臨時工そのものの労働期間の短いと云ふことに主因するが、又一面には、かかる労働者内部に於ける暗流がその原因の一つをなしてゐると云はれてゐる。

>又、常用工と臨時工の利害の対立から、常用工が臨時工を差別視し、臨時工の存在を常用工の特権維持のバリケード視する傾向のあることに就いては、池田鉄工所の今井四郎氏が、去る昭和十年二月の東洋経済新報社主催の座談会に於いて、他の角度から次の如く述べてゐる。

>『ただ面白いのは、私の方では臨時工の良いのをドンドン本工にしようとするのです。それを却って一般の従業員は希望しないのです。・・・それが既得権の侵害といふことに取るのですな。私の所で常時専門の職工が千名居るとするのです。本雇になると会社が絶対に保証してくれるといふ観念を有つてゐる。それが四百名殖やして千四百名になると、ノーマルの状態に於いては千名で四百名は要らなくなる。さうすると其の中の四百名が整理されることになると、誰が整理されるかと云ふと、臨時工を全部本雇にされると、従来の本雇の十年、二十年勤めた者が整理される。だから臨時工はあとから来た者だから、成るべく我慢させろと云ふのです。これは何処でも同じことではありませんか。組合の人は口では厳正なことを言はなければならないが、実際には内で働いて居る職工は、各々の立場からさういふ風に考へるのです・・・・・・』

第13回行政改革推進本部専門調査会

去る9月7日に開かれた標記会合の資料と議事概要がアップされています。

http://www.gyoukaku.go.jp/senmon/dai13/siryou.html

http://www.gyoukaku.go.jp/senmon/dai13/gijigaiyou.pdf

冒頭渡辺大臣が、

>参議院選挙の結果により、建設的妥協がないと法案が通らないということになった。公務員制度改革が与野党全面対決の中で進まない事態は避けたい。専門調査会においても、様々な立場を反映した議論を行いながら、与野党が建設的妥協のできる結論を出して頂きたい。以前よりお願い申し上げているとおり、協約締結権、争議権を一定の範囲で付与する方向でご検討頂き、来月中を目途に最終的な結論を出して頂きたい。

建設的妥協のできる結論ねえ。

このあとの議論は各委員の云いっぱなしという感じの発言が多く、全然方向性がまとまる気配もないのですが、最後に座長が

>次回については、頂いた御意見等を踏まえ、とりまとめに向けて、資料を私が座長代理と相談しながら用意し、その資料に基づいて議論を進めていく

>次回は、とりまとめに向けた作業の途中で議論が終わることが予想されるが、途中段階の議論等を公表することにより、率直な意見の交換が不当に損なわれるおそれ等もあるため、とりまとめの案の公表は、差し控えることとし、議事録はとりまとめが確定した後に公表したい

と云ってますので、多分そういう方向で取りまとめられていくのでしょうね。

ちなみに、資料の「国の人事行政に関する組織体制について」を見ると、連合の考え方をベースに、

>内閣府の外局として人事管理庁(仮称)を設置
  →現在の内閣総理大臣及び総務省(人事・恩給局)の事務のほか、
    人事院の事務の相当部分、財務省の共済事務を所管
→加えて、総務省(行政管理局)の組織・定員管理事務を所管

>基本権の付与拡大→その代償措置(給与等勧告など)を廃止

ということで、総務省旧総務庁系統と人事院を中心に大幅な組織再編を考えているようです。

云うまでもなく、ここには出てきませんが、交渉が調わない場合の争議調整等は、人事行政組織ではなく、労働委員会の仕事になるわけです。さてそれでどれだけ組織定員がどうなるのやら・・・。

欧州オンブズマン労働時間指令で圧力強化

昨年9月21日のエントリーで紹介した話題ですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_fd09.html

欧州オンブズマンが、例の労働時間指令のからみで待機時間の扱いで早く苦情を処理しろと云っていたわけですが、今回9月17日、欧州委員会がなお何にもしてないのはケシカランという特別報告を欧州議会に送ったということです。

http://europa.eu/rapid/pressReleasesAction.do?reference=EO/07/12&format=HTML&aged=0&language=EN&guiLanguage=en

この「特別報告」というのはかなり異例のもののようで、1995年の設置以来、15件しかないといっています。相当にケシカランぞということのようですが、まあしかし立法府が糞づまってしまっているわけで。糞詰まってるのはそっちの都合なんだからと、さっさと手続を進めればいいだろうと云うことなんでしょうが、そこがなかなか辛いところなわけで。だって、欧州委員会も待機時間は労働時間でないようにすべきだと思ってそういう改正案を出しているわけですから。

その特別報告はこれ。

http://www.ombudsman.europa.eu/special/pdf/en/053453.pdf

昨年9月の勧告はこれです。

http://www.ombudsman.europa.eu/recommen/en/053453.htm

2007年9月19日 (水)

日本経団連の研修・実習制度見直し論

昨日、日本経団連が「外国人研修・技能実習制度の見直しに関する提言」を公表しました。

http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2007/068.pdf

先日発売された『季刊労働法』の私の文章でもこの制度の経緯を若干詳しく説明していますので、それらも読み合わせていただくとよいのではないかと・・・。

さて、日本経団連ですが、基本的考え方は「外国人材が日本で働いて収入を得ながら技能を修得できるという点と、国内で求人募集を行なっても応募がない産業や中小企業等が人材を確保できるという点で、その意義は大きい」から、「同制度そのものは基本的に今後とも維持すべきである」という点にあります。

とはいえ「内外に批判があることも事実である」ので、「問題の発生を抑止する制度の確立」とともに、「受入れ人数枠や範囲の拡大、再技能実習の制度化など、優良な受入れ機関や研修・技能実習生に対する優遇措置を講じることにより、制度運用の適正化に向けたインセンティブを高めていくことが不可欠」というところが、まさに経団連です。

その見直しのポイントですが、たとえば「受入れ機関の適正化」については「自主的にコンプライアンス強化に努めるべき」として、「厚労省案は悪質な一次受入れ機関の排除を目的として、本来の事業協同組合等としての一定期間以上の活動実績を一次受入れ機関の要件とすることを提案しているが、その結果、・・・研修・技能実習をより効果的な形で適正に実施しようとする意欲ある機関の新規参入が阻害されてしまうおそれがある」と批判しています。あくまでも「事前規制から事後チェックへ」でいくべきだということのようです。

最大の問題である「研修生の法的保護」については、厚労省案に対してこういう批判の仕方をしています。

>厚労省案では、最低限の安全衛生教育や、日本の生活習慣、職場において必要な日本語教育については、現行制度と同様に受入れ当初の段階で実施するとしているものの、技能レベルの評価を行うことなしに技能実習に移行することになり、技能移転が有効に行われるか疑問が生じる。

非紳士的な言い方をすれば、技能も身に付いていない段階で労働者性を認めて保護なんかしてしまうと、技能移転が有効に行われなくなるぞ、それでもいいのか、というわけですね。

ではどうするのかというと、

>研修を1年(その3分の1は座学)、技能実習を2年と固定する必要はなく、それぞれの期間については極力、柔軟性を確保すべきである。

>たとえば現行では、原則1年以内の研修期間のうち、3分の1以上を非実務研修に充てることとされているが、研修生が来日前に母国で日本語の学習や日系企業における研修・勤務等の経験がある場合は、それにより修得した日本語能力・職務知識等に応じて非実務研修の期間を短縮し、その分を実務研修に充てることを認めるべきである。さらに研修・技能実習期間の組み合わせにかかわらず、合計3年の滞在を認め、この期間内において、技能検定基礎2級相当の試験に合格した時点で技能実習に移行できることとすべきである。これにより、たとえば半年の研修と2年半の技能実習の組み合わせなどを可能とすべきであり、この結果、研修生は一定の技能を修得した上で早期に技能実習に移行することができ、法的保護が強化されるとともに、より高額の給与を受給することが可能となる。

という提案になるわけですが、これは役所系の研究会報告でも払拭し切れていない点なのですが、どうも「座学」は「労働」に非ずという間違った発想が瀰漫しているように思われます。座学だって、使用者の業務命令に従って受講すれば労働なんですよ。問題は、外国人の場合日本語能力とか生活知識といったそもそも職務と関係のない座学もしなければならないということなのであって。

経産省の研究会と同様、経団連も再実習制度には大変熱心です。できるだけ広く認めて貰いたいということですね。

>研修・技能実習を修了し、一定レベル以上の技能を修得した者が、より高度な技能もしくは多能工として必要な関連技能を身につけ、母国の技術レベル向上に貢献できるようにするため、再技能実習を制度化すべきである。

>この点に関し、厚労省案は、企業単独型に限り、帰国後一定期間(たとえば3年)経過後に2年間の再実習を認めるのに対し、経産省案は企業単独型・団体監理型を問わず、優良認定を受けた受入れ機関について、帰国後半年から1年後に高度技能実習(再実習)の受入れを認めるとしている。

>本件については、経産省案に基づき、優良認定による再技能実習の制度化を図るべきである。

そしてさらにその先に「再技能実習修了後の就労」を要求しています。

>将来にわたり技能者が慢性的に不足すると予想される分野については、二国間協定の締結や労働需給テストの導入を前提に、一定の日本語能力や技能水準を満たす外国人材を、在留資格「技能」の拡充により受入れることが不可欠である。再技能実習修了生は、まさにこの「一定の日本語能力や技能水準を満たす外国人材」に該当するものと考えられる。この点に関し、経産省案では、再技能実習中に高度な技能検定を取得した者につき、就労ビザによる入国を認めることを「将来的」に検討するとしているが、そのような技能取得者が引き続きわが国で就労を希望し、受入れ企業側でもそれを望む場合には、上記の「技能」の在留資格を付与することを早急に検討すべきである。さらに、将来的には、技能実習を修了した者についても、高度な技能取得や本人・受入れ側の希望を条件として、「技能」の在留資格を付与することを検討すべきである。

この「技能」資格で就労する外国人は「当面は基本的にローテーション型の受入れとすることが適切」というのですが、さてそんなことができますかね。

そのためには家族を連れてきてはいけない、結婚してはいけない、単身で働け、といわなくちゃいけませんが、先進国日本がそういう非人道的なやり方を貫けるかというのが問題で、貫けないのであればそれははじめから移民を導入する覚悟でやるということです。そこまで踏み込んだ議論をするか、というのが、ここには現れていない本当の問題点なのですがね。

2007年9月18日 (火)

派遣会社の企業譲渡に既得権指令適用

9月13日付の欧州司法裁判所の判決です。

http://curia.europa.eu/jurisp/cgi-bin/form.pl?lang=en&newform=newform&Submit=Submit&alljur=alljur&jurcdj=jurcdj&jurtpi=jurtpi&jurtfp=jurtfp&alldocrec=alldocrec&docj=docj&docor=docor&docop=docop&docav=docav&docsom=docsom&docinf=docinf&alldocnorec=alldocnorec&docnoj=docnoj&docnoor=docnoor&typeord=ALLTYP&allcommjo=allcommjo&affint=affint&affclose=affclose&numaff=&ddatefs=&mdatefs=&ydatefs=&ddatefe=&mdatefe=&ydatefe=&nomusuel=&domaine=PSOC&mots=&resmax=100

この事案については、前に3月26日に、法務官意見が出た段階でこのブログでも紹介していましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_74f9.html

概ねその方向で判決が出たということですね。

運営職員の一部と派遣労働者の一部が、同一の派遣先で同じ活動を行うために他の派遣会社に譲渡された場合にも、企業譲渡指定が適用され、権利義務がそのまま移転するということです。派遣事業の場合、派遣先に組み込まれて指示された作業を行うことが事業そのものなのだから、それ以外に財産の移転とかは必要はないということろがキモですね。

こっちも閉鎖!

というような、ギルドにせよ、学校にせよ、会社にせよ、ネーションにせよ、個人と普遍の間に存する中間集団に属するがゆえに自由であるという側面と、それゆえに束縛的いじめがあるという側面と、そのような中間集団から排除されているがゆえに自由であるという側面と、それゆえに排除的いじめがあるという側面とがあるわけだが、これらを総合的に見ることもできず、いじめ研究と称してただ中間集団全体主義を糾弾していればよしと心得ていたかに見える社会学の人が、まさに自分自身がやったいじめ行為の責任をとる形でブログを閉鎖するに至ったようです。

http://d.hatena.ne.jp/suuuuhi/20070910

ブログというのは、書く者の人格を容赦なく露呈しますからね。妙なコメントを書き込むイナゴさんも含めてね。

ギルド的自由

4480063803 大屋雄裕『自由とは何か』ちくま新書

http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480063809/

先日の立法学シンポを企画された井上達夫先生のお弟子さんとのことです。当日はすぐ名古屋に帰られたようで、懇親会でご尊顔を拝する機会は逸してしまいましたが。

この本の射程すべてについてコメントするような素養はありませんので、自分の畑に引きつけていうと、初めの方に出てくるギルドの話が、いろんな意味で興味深い。ギルドに属し、ギルドに縛られることによって得られる自由と、国家権力がそれを排除することによって得られる自由。

しかし、実は外国人労働者問題が提示しているのは、ネーションというのがまさにギルドだということなわけで。

ベーシックインカムとかノーテンキにしゃべくる人は、それを日本にやってくるすべてのホモサピエンスに適用する用意があるのかどうかを語る義務がある。まさに「共同体内部の自由は外部を排除することによって成り立っている」のだから。

EU移民受入れ政策

EurActivがEUの移民受入れ政策についての記事を書いていますが、

http://www.euractiv.com/en/migration+mobility/blue-card-proposal-attract-foreign-workers-sparks-eu-dispute/article-166671

来月にも欧州委員会は5つの指令案、すなわち合法移民の権利に関する枠組み指令、高度技能移民労働者に関する指令(いわゆる「ブルーカード指令」)、季節労働者に関する指令、企業内移動に関する指令、有給訓練生に関する指令を提案する予定です。

この記事には欧州委員会側の積極的な論調とともに、ドイツのキリスト教社会同盟出身のグロース経済相の反対論も載っていて、どの辺に対立軸があるかわかります。

移民マンセーはリベラル派とグリーン派。をいをいちょっと待てはコンサバ派とソーシャル派というのが大まかな見立てでしょうか。もちろん中にもいろいろあるのでしょうが。

このブログでは以前、こういうエントリーも。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/eu_d07e.html

2007年9月16日 (日)

丸山真男をひっぱたくブログ

例の丸山真男をひっぱたきたいと云って話題を集めた赤木さんが本を出すとかで、「希望は、戦争?blog ~「丸山眞男」をひっぱたきたい Returns~」というブログが開設されているようです。

http://d.hatena.ne.jp/t-akagi/

結構面白い。いろんな意味で。

分かってる人と分かってない人というだけでなくその深さも含めて。

ま、もちろん、戦争じゃない形で若者が希望を持てる社会であればそれに越したことはないわけですが。

>「安心と……それから、もうひとつ。若者の……何だっけ? あ、希望。ごめんなさい。若者が希望を持てるような社会をつくる」

http://www.asahi.com/politics/update/0915/TKY200709150279.html

これも一つの象徴?

(追記)

本ブログで赤木氏を取り上げたのは、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_3f06.html

5月2日のエントリーですね。

同じ話を歴史的に語ってみると、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_a88b.html

ブッシュ大統領のトンデモ歴史認識に引っかけて、粛軍演説をした反戦の英雄とリベサヨさんから褒め称えられている斉藤隆夫が、革新を求める人々を「生存競争の落伍者」と罵って平然と疑わない人格であったこと、すなわち赤木さんにとってひっぱたきたくなるような人であったことを紹介しています。

こういう構図がいやに似ていることにぞっとできるような感性が、論座の皆様にも少しでもあればよろしいのですけど。

2007年9月15日 (土)

外国人労働者の法政策

本日発売の『季刊労働法』218号に、「労働法の立法学」シリーズとして「外国人労働者の法政策」を書いております。

http://www.roudou-kk.co.jp/quarterly/

近々労働市場改革専門調査会の第2次報告でも取り上げられる外国人労働者問題について、戦前の中国人、朝鮮人労働者問題から説き起こして、戦後の在日問題を踏まえて、80年代末以来のこの問題をめぐる政策の動きを追いかけています。いささか法務省入管局に厳しすぎるとお感じの向きもあるかも知れませんが、一つの観点からの簡単な通史としてお役に立つのではなかろうかと・・・。

例によって、書店に並んでいる3ヶ月間はHPに原稿をアップしません。今号は、「いじめ・パワハラの処方箋」という特集を中心に、興味深い論文が満載ですので、是非お買い求めいただければと存じます。JILPTの戎居さんの「国際労働法の新たなフロンティア」は、先日紹介した吾郷真一先生の『労働CSR』とはまたちょっと違った観点からこの問題を取り上げており、参考になりますよ。

2007年9月14日 (金)

日雇い派遣に失業手当・続報

今朝の朝日に詳しい記事が載っています。

が、その前に、

政局のこのタイミングで、こういうのが出てくるところがいかにも・・・

http://www.asahi.com/life/update/0914/SEB200709130005.html

>麻生グループの派遣会社、賃金3千万円未払い

農協の補助金がスキャンダルになるなら、派遣会社の不払いもスキャンダルになりというわけで・・・。

それはさておき、日雇い派遣です。

http://www.asahi.com/life/update/0914/TKY200709130454.html

>厚生労働省は13日、日雇い派遣労働者に対し、建設現場などで働く日雇い労働者向けの雇用保険を適用する方針を固めた。14日、日雇い派遣大手フルキャストの渋谷支店を第1号の保険適用事業所として認める予定。対象者には最大日額7500円の失業手当(日雇(ひやとい)労働求職者給付金)が支給される。別の支店や同業他社にも順次拡大する見通しで、不安定な日雇い派遣労働者の安全網として期待される。

>日雇い雇用保険は建設作業員など、日替わりで複数の事業所に直接雇用される労働者の失業対策として始まり、派遣労働者には適用されていなかった。だが、労働者派遣法の緩和で、日々別の会社に派遣されて単純作業を行う日雇い派遣労働者が増加。「日雇い派遣にも安全網が必要だ」としてフルキャストの労働者らが保険適用を求め、同社が今年2月、厚労省に適用事業所としての認可を申請していた。

>同省は日雇い派遣労働者の実態を調査。日雇い労働者と同様、毎日別の派遣会社から仕事を受けている労働者が確認できたため、保険適用を認めることにした。

>失業手当をもらうには、保険適用事業所の労働者が職業安定所に勤務実態を申告。日雇い労働者並みに不安定な働き方だと認められれば、受給に必要な手帳を渡される。保険適用事業所から派遣されて仕事をするたびにもらえる印紙を手帳に張り、受給月の直前2カ月間で通算26枚以上の印紙を集める。印紙は、複数の保険適用事業所から集める必要がある。

>仕事がない日に手帳持参で職業安定所に行き、失業と認められると、印紙の枚数に応じて日額4100~7500円の失業手当を受け取れる。

>ただし厚労省は「安易な給付は不安定就労を定着させる恐れがある」としており、失業認定の際には、安定的な職業の紹介にも力を入れる考え。

なるほど、認定は職安でやるというわけですね。

ただ、いままでの日雇いみたいに地域的に集中しているわけではありませんから、どの安定所でも受け付けるということにしないとまずいように思いますが、体制的にどうなんだろうというところもありますが。

派遣会社側のモラルハザードの問題については、「毎日別の派遣会社から仕事を受けている労働者が確認できたため、保険適用を認めることにした」というのが説明になっているようですが、まあ正直ベースでいえば、ある程度のモラルハザードはやむを得ないということなんでしょうね。

そもそも、この制度自体、労働者側のモラルハザードには対処しきれないところがあるわけで、それが分かった上でトータルとしてのセーフティネットとしてやってるところもあるわけですから、そういう意味では一つの決めということでしょう。

2007年9月13日 (木)

日雇い派遣に失業手当

福田康夫氏が出馬表明したとかで政局はますます面白くなっているようですが、本ブログは愚直に労働問題を追いかけます。

まず、

http://newsflash.nifty.com/news/ts/ts__kyodo_2007091301000700.htm

共同通信によると、「厚生労働省は13日、失業した日雇い派遣労働者にも、一定の条件を満たせば日雇い労働者向けの失業手当を支給することを決めた」とのことです。

>「ワーキングプア(働く貧困層)の最低限のセーフティーネットとして整備すべきだ」との労組などの指摘も踏まえ適用対象に加えた。2カ月に26日以上就労した日雇い労働者が3カ月目から失業日に給付を受けられる。給付金は日額7500円から4100円。

このブログでも何回か適用上の難点を指摘してきましたが、どういう風にクリアしようとしているのか、興味深いところです。

それから、

http://www.asahi.com/life/update/0913/TKY200709130383.html

>連合の高木剛会長は13日の記者会見で、見直しの議論が始まる労働者派遣法について、日雇い派遣のような登録型派遣は原則禁止を求める方針を明らかにした。

ということなんですが、確かに登録型と常用型では全然問題のレベルが違いますので、両者を(許可か届け出かと云うところを除けば)ほとんど同じ規制のもとに置いている現行法の仕組みに問題があることは確かではありますが、いまさらこういう方針が実現可能であるとは到底考えられず、どういう決着を考えているのだろうかという疑問を抱かざるを得ないところがあります。

まあ、規制緩和を求める勢力に対して、規制強化を打ち出していくという姿勢自体には賛成なのですが、現実的にはそれは登録型における派遣先責任の強化という方向でしょう。ただ、日雇い派遣というのは実は緩和したときは誰も想定していなかった形態であるという面もあり、そこの所をどう規制していくのかという議論はそれとしてやるべきではありましょう。

ついでに、その日雇い派遣の雄、グッドウィルですが、

http://www.asahi.com/life/update/0913/OSK200709130093.html

>日雇い派遣に残業代支払う グッドウイルに是正勧告か

という記事もありました。

ゲイのカップルに遺族年金を支給すべきか

欧州司法裁判所が夏休みから戻ってきたようです。判決ではないですが、9月6日付で興味深い法務官意見が出ています。

http://curia.europa.eu/jurisp/cgi-bin/form.pl?lang=en&newform=newform&Submit=Submit&alljur=alljur&jurcdj=jurcdj&jurtpi=jurtpi&jurtfp=jurtfp&alldocrec=alldocrec&docj=docj&docor=docor&docop=docop&docav=docav&docsom=docsom&docinf=docinf&alldocnorec=alldocnorec&docnoj=docnoj&docnoor=docnoor&typeord=ALLTYP&allcommjo=allcommjo&affint=affint&affclose=affclose&numaff=&ddatefs=&mdatefs=&ydatefs=&ddatefe=&mdatefe=&ydatefe=&nomusuel=&domaine=PSOC&mots=&resmax=100

これは、タダオ・マルコというドイツ人が、ゲイのカップルであった男性の遺族年金(寡婦・寡夫年金)を映画業界の職域年金基金に請求したところ「お前は配偶者じゃないからダメだ」といわれたのが、性的志向に基づく差別だと訴えたという事案です。

職域年金は賃金の後払いですから雇用に関する差別になるわけです。

ダマーゾ法務官は、概ね原告の主張を認めたようですね。いままで正面からゲイの権利を認めた判決というのはなかったように思いますので、まあまだ法務官意見ではありますが、結構大きな反響を呼ぶのではないかと思います。

ちなみに、このタダオ・マルコって人、Tadao Marukoという綴りからするとなんだか日本人ぽいかんじがしますね。丸子忠夫とか・・・。

舛添大臣 on ホワエグ

火曜日の記者会見概要がアップされました。

http://www.mhlw.go.jp/kaiken/daijin/2007/09/k0911.html

いまさらホワエグ発言どころではないようなものですが、やっぱり資料的にデータをきちんとしておくということは必要ですから、関係部分を引用しておきます。

>・・・それから、ホワイトカラーエグゼンプションの問題は、それはプラスマイナスあるんですね。だから、今後とも、審議をして、検討していきましょうというのは、全く変わりません。私の認識を言えば、だいたい舌噛みそうな、そんな横文字で言うなってことですよ。ホワイトカラーエグゾン・・・、私だって、あなた、語学が達人だと言われている私だって、今、舌噛みそうになったんだ、そんなものわかるわけない。ホワイトカラーまではわかるけれども、エグゼンプションなんて言葉は、知っている日本人がどれだけいるかということ。そうすると、皆さん方の方が言語感覚が優れて、残業ゼロ法案、これ一発で終わりですよ。だから、私が言ったのだけれども、これは、家庭団らん法案と書きなさいと、家庭団らん法案ね。そしたら、パパ早く帰って、ママも早く帰って、うちで早くご飯を食べましょうよという法案なので、こんなのお前ら残業したって、残業代くれないよといったら、あほらしくてさっさと帰るわけですよ。私はそっち側に期待しているんですよ。ワークライフバランスとか、またこれも横文字なのだけれども、こんなこと言ったって、現実に残業代出なかったら、帰るインセンティブになる。ここの役所だってそうだけれども、課長がいたら、みんな残って、電気つけている。光熱水道費の無駄を考えたら、お前の仕事なんて何だっていうのが、私の意見なので、私は、ですから、もうだいたい6時には絶対帰ってやろうと思って、帰って、そしたら、皆さんが玄関で捕まえるから、それで30分も遅れるようになる。だけど、本当、私はずっと海外で生活していたけれども、めちゃくちゃ生産性低いですよ、日本は。役所は最悪だもの。その原因は、遅い時間に質問通告する議員も悪いんだ、あんな真夜中に持ってくるから、みんな徹夜するんだけれど。みんなが早く帰るということをやって、もうぱっと7時になったら、全部電気が消えている。そして、たまには、自分のうちで、家族と一緒にご飯食べなさいっていうの。そしたら、普通の人の生活もわかるし、みんなだって、きちんとしたことができますから。私は、だから、ホワイトカラーエグゼンプションなんて名前をつけなくて、パパ早く帰ろう法案とかね、ばかな課長の下で仕事をするのをやめよう法案とかね、そうしたら通りますよ。それで、ただ、わかりやすく言っただけで、ポイントは、じゃあプランニングをやるような人たちの仕事ぶりをどう考えるのか。チャップリンのモダンタイムズみたいに、パーッと時間で、いわゆる単純労働をやっていると、それは1時間働いていくらって、こうなります。だから、残業もそれについて加算されます。だけど、企画するのを、ぼーっと考えている、私なんて学者だったから、ぼーっと考えている。ばかじゃないか、あいつはって言うけど、ぼーっと10時間考えた最後の1分間に、ニュートンみたいにパッと、こうひらめくわけですから。だって、風呂へ入っていて、あっこれだっていって、ギリシアのアルキメデスが出てきたり。だって、ばかじゃないかと思いますね、りんごをじーっと落ちるのを見ていたら、落ちた、重力だって。だから、今のホワイトカラーの本当に優秀な奴は、じーっとりんごを見ていて、なんかすごいのを発見したということなので、ちょっと、これに、あなた、時間給で金やったってしょうがないだろうという職種の差なんですね。だから、それがどうしても、企業側としては賃金を払わなくて済む、コストカットになるって、そっちの面が強調される。だから、もうこれは、働き方の革命をやれって、私は就任以来言っているのは、SOHOなんて言いますね、スモールオフィス、ホームオフィス。だって、日曜日に私がテレビに出てたって、ついてきている奴はいいけれども、ついてきていない記者は自分のうちでテレビを見ながら翌日の記事書いているんだから、こんな楽な仕事ないですよね、本当。だから、そういうことができるわけですから、それの方がはるかにいいんで、通勤の時間もないわけです。そういうことを含めて、全部の働き方の革命をちょっとやりたいなと、そういう中で位置づけていくということは必要なので。もちろん、労使関係とか、働く方は金を出せ、使う方は金出したくない。こういう議論を、今のような広がりをもって、きちんとやりたいということを思いますので、これは継続してやりたいと思います。

(記者)ただ、残業代を払わなかったら、さっさと帰るという認識は、私はちょっと理解できませんけどね。

(大臣)いや、だから、それは職種によりけりなんで。

(記者)だったら、なんでこんなに過労死している人がいるんだと思いますね。

(大臣)ですから、むしろ、そういうふうに、私は過労死の問題が頭にあったから、そういうことを言ったんで、職種によりけりです。

(記者)残業代払わないから、さっさと帰れるんだったら、過労死しませんよ。

(大臣)いや、それがわかっているから言っているんです。だから、きちんと時間ごとに計れるような仕事について、残業代を払わないというのはもってのほかです。だから、使用者側の言い分がありますよと。しかし、それだけじゃありませんよと、だから、いろいろなことを、今、わかりやすく言ったんですよ。だから、あなたが言ったことはわかっているから、それを言ったんで、一つのインセンティブになるような形にもっていきたいということで、問題意識はもう非常によくわかっているから、それを裏から皮肉に言ったのであって、どうか真意をおわかりください。だから、あまりにひどい、あまりにひどいんですよ。なんでこんなに働いて、生活の豊かさの実感がないのかと、特に私はヨーロッパの先進国で生活してきた。あまりにひどいですよ。それで、労働時間だって短縮されたとなっているが、短縮されていないんですよ。なんで短縮されたと出ていると思いますか。パートタイマーを入れているからなっているんですよ。問題の意識はしっかりと把握しているつもりです。ただ、おっしゃった問題も極めて深刻であるけれども、今言ったような周辺の働き方の革命ということの問題があるので、是非、これは今言ったようなご議論もきちんと入れた上でやることを、体制として検討会のようなのを作る、それはもう、いわゆるネットカフェ難民の話とかいろいろな、この言葉使っちゃいけないことになっているので、何とか難しい日本語で言わないといけないですが。いずれにしても、いろいろな問題が、労働問題ありますから、決して無視しているわけではありません。なんたって体が一つだから、全部がカバーできないので。ついでに言うと、ちょっとやっぱりこの省庁三分割ぐらいしないと無理ですね。あなたに叱られているけれども、あのね、年金をやる省が一つ別だろうね。それから、労働問題をやる省が一つ別でしょうね。それから、医療をやるあれが一つ別かもしれない。そういう問題意識を持っています、この二週間働いて。そういうことなので、ちょっとなかなか進みが遅いかもしれませんけれども、労働分野、是非またご協力賜りたいと思います。

チルドレン

コーゾー改革の一枚看板で当選した方々にとっては、そりゃそれが望ましいんでしょう。

http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20070913AT3S1203F12092007.html

>中川秀直前幹事長は同日夜、都内のホテルで開いた「小泉チルドレン」と呼ばれる衆院当選1回生議員らとの会合に出席。「日本のトップは小泉氏しかいない」と、引き続き再登板を要請すべきだとの考えを伝えた。

>この後、棚橋氏とチルドレンら31人は「小泉前総裁の再登板を実現する有志の会」を結成した。同会には前防衛相の小池百合子氏のほか、片山さつき、佐藤ゆかり、猪口邦子、小野次郎各氏らが名を連ねた。

ちょっと前にここで(「どっちが「正論」?)書いたように、安倍政権は小泉・竹中時代から禅譲を受けたコーゾー改革(ないしリフレ粉をちょいと振りかけたコーゾー改革)路線と、その見直し(与謝野官房長官の最近の文春記事のタイトルを使えば「温かい改革」ですか)路線の間で、(前者のバリエーションとしてポピュリスト的改革(公務員制度改革に典型的な)もあるわけですが)の間で引き裂かれていたといえるわけで、中川氏が去り与謝野氏が入ることでそのバランスが崩れたのが大きいのかな、と。

2007年9月12日 (水)

ブラウン英首相、EU派遣指令案にGO!

フィナンシャルタイムズが伝えるところによりますと、ゴードン・ブラウン英首相は、長らくデッドロックに乗り上げていたEUの労働者派遣指令案にGOサインを出すようです。

http://www.ft.com/cms/s/0/8baf25a8-5fa5-11dc-b0fe-0000779fd2ac.html

>But the prime minister’s announcement that Britain was supporting moves to resurrect EU proposals – giving temporary and agency workers the same employment rights as full-time staff – is likely to have thrown employers into confusion.

この記事自体は、公務員給与について組合の要求を拒否したことが中心なんですが、おまけみたいに書かれている派遣指令案の方が、こっちにとっては重要です。

近日中に大きな進展が見られる可能性がありますね。

厚労省3分割必要?

というわけで、あまりにもお忙しく大変な舛添厚労相のお姿を見るにつけ、

http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20070911AT3S1100W11092007.html

>舛添要一厚生労働相は11日、閣議後の記者会見で「厚労省の組織は3分割くらいにしないとダメだ」と述べた。年金記録問題や社会保険庁職員による保険料の横領など、毎日のように問題が噴出。大臣として連日のように対応に追われている。

>舛添厚労相は「労働問題などを軽視しているわけではないが、体は一つなので全部はカバーできない」と悲鳴をあげ、「年金、労働問題、医療の3つの省」に分ける必要があるとの案を示した。

いや、それはよく分かります。別に軽視しているわけではなくても、まともに勉強する時間がないから、下のエントリーのようなご発言になるわけで。

労働関係者のエゴといわれるかも知れませんが、4年ぶりの労働国会という触れ込みで山のような労働関係法案を準備して出したはいいけど、社会保険庁に振り回されてこういうていたらくなわけで。いやあ、昔みたいに労働だけでやれたらどんなによかったことか・・・という思いはみなあるわけでございますよ。

残業代出なかったら、さっさと帰る

安倍総理が辞意を表明という大きなニュースが駆けめぐっているさなかに何をのんきな話をと思われるかも知れませんが、実は今日の午前中都内某所で研修の講師をやり、そこで舛添厚労相の発言をどう思うかと聞かれたもので、やっぱり触れないわけにはいかんでしょう、ということで・・・。

http://www.asahi.com/politics/update/0911/TKY200709110426.html

> 「残業代が出なかったら、あほらしくてさっさと家に帰るインセンティブ(誘因)になる」。舛添厚生労働相は11日の閣議後の記者会見で、一定条件を満たした会社員を労働時間規制から外すホワイトカラー・エグゼンプション(WE)についての持論を展開した。

>舛添氏は、WEの真意は「パパもママも早く帰って、うちでご飯を食べましょうということだ」と説明し、「家族だんらん法案」「早く帰ろう法案」などの名前にすべきだったとした。

いや、そんな、八代先生ももう云わなくなった話を今頃持ち出さなくても・・・という気もしますが、年金記録問題で獅子奮迅の毎日の中で、この問題について過去の経緯に遡ってじっくり勉強してくださいなんてことは言う気はありません。それに、

>一方、「私はずっと海外で生活してきたが、日本は労働生産性がむちゃくちゃ低い」とも指摘。ホワイトカラーの賃金は労働時間ではなく、アイデアの対価との考え方を示し、「働き方の革命をやりたい」と述べた。

そこはまあ正しい。分かってるところはちゃんと分かってるわけです。そこをきちんと説明することが大事なので、変な言い方をすると、

>だが、「さっさと家に帰れるぐらいなら過労死は起きないはずだ」と質問されると、「時間ではかれる仕事について残業代を払わないのはもってのほかだ」と釈明した。

質問と答がずれているのですが、云ってることは正しい。まあ、年金問題にめどが付いてある程度時間ができたら勉強してくだされば・・・。

(追記)

「管理人出張のため、9月20日までブログをお休みします」のはずの労務屋さんが、我慢しきれずに出張中にもかかわらず一口コメントをしていますね。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20070912

>いや、舛添先生、いくらなんでも「家族だんらん法案」はないでしょう…

労働から見た日本の20世紀システム

昨日、全日空インターコンチネンタルという大変高尚なところで報告とパネルディスカッションをしてきました。その時の報告メモです。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/20centurysystem.html

朝日新聞の労働グループデスクの林美子さんが聞きに来られていたのには正直びっくり。

いや、ブログでは結構厳しいことを書いていますけど、それもこれもみな愛情表現と云うことでご容赦を・・・。

2007年9月10日 (月)

雇用政策研究会

8月24日から雇用政策研究会が始まりました。その1回目の資料が公開されています。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/08/s0824-6.html

これが論点で、

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/08/dl/s0824-6d.pdf

目指すべき姿と今後の政策の在り方を議論していくわけですが、特に①誰もが意欲と能力に応じて働くことのできる社会と云うことで、高齢者、女性、若者、②働く人すべての職業能力(生産性)の向上(「底上げ」ですな)、③少子化対策にも資する働き方の見直し(WLB)という三本柱が中心のようです。

11月末までにまとめるというピッチのようです。

外国人は敢えて載っけなかったということでしょうか。

対談ナマ録

某出版社から出る予定の某書籍に収録予定の某対談のテープ起こしナマ原稿のうち私の発言部分。

活字になるのは量的に4分の1くらいなので、せっかくなのでブログに公開。

NGOとか社会的企業といったはやりものにいささか辛すぎと思われるかも知れませんが、こういう発言もあった方がいいと・・・。

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濱口氏:うん、組合から入るのは、なにかちょっと難しいというか……その前に、いくつか整理しておかなくてはいけない課題がいっぱいあるような気が直感的にはします。

先ほど言った、7年前に書いたやつは、ある意味で、どちらかというといい話だけでまとめた感じがあって……要は、欧州委員会が「こんなにいい事例がいっぱいあるよ」という宣伝のために作ったものを基に書いたんですから、ある意味では当然といえば当然なんですが。いささか、お上がやると非常に官僚的になるし、といって営利企業にやらせると、儲けにならないようなことには手を出さないようなところに、ちゃんとかゆいところに手か届くようなかたちでやっているようないいものなんだ、というような調子でこの文章そのものは書いたんです。

しかし、実は、──今日、ちょっと持ってこなかったんですけれども──その、同じ、『月間自治研』の巻頭で対談があってですね──私は全然でていないんですが──そこで、若干、このNPOとか、非営利団体の問題が論じられていて、そこで、「NPOではなかなか食えない」というような議論がされていたんですね。それで、多分この問題というのは、それ以来ずっと、NPOというか、このテのものに常に絡まりあっている問題のような気がします。「食えない」というのは非常に端的な言い方なんですが。

要は、──この中にも少し書いているのですが──確かに非常に生き甲斐というか、働き甲斐を持ってやれるいい仕事だ、といいながら実は労働条件は、国や民間でやっているものに比べると非常に低いんだ、と。低いんだけど、やりがいがあるからいいんだ、というようなことを書いているんですが、それは、“天気晴朗なれど波高し”というか、“波高けれど、天気晴朗”みたいなもので、結構、その問題……労働条件が低いのに、それを“やり甲斐”である意味ごまかして、ずっとやってきていることに、おそらく何がしか、無理があるんですね。で、その無理をどう……本当にその無理なままでいいの?というのが……。ちょっと違う文脈ですけれども、介護の現場の労働とか、なんとか、というかたちで、徐々に少しずつ出てきているのかな、と思っています。

ですからそういう意味で、実は、私は今回の論文で、“いい仕事”というのをもう少し組み替えよう、という話にしているんですが、その一歩手前の、“昔ながらのいい仕事”の感覚から言っても、実は決してそういう“いい仕事”ではなくて、「やり甲斐があるから“いい仕事”なんだ」ということで、こういう営みが続けられていけるのかというのが、実は結構大きな問題のような気がします。

それで、雇用の関係で「役立つ、役立つ」という時に使われる例というのは、非常にフェッフェルな例なんですよね。ずっと長期失業でどうしようもない人たちに、「こんな働く機会が作られた」とかなんとか……。確かに、ひとつひとつは結構感動的な事例で、それはそれでいい話なんですが、持続可能なシステムとして本当に構築されて来ているのだろうかということなんですね。必ずしもその辺、あまりいろいろつっこんで調べているわけでもないのでよくわからないんですけれども、直感的にその辺は、どうなんだろう……という、かつて自分が書いたことに対する、やや疑義のようなものもあって、その辺がひとつの……。

“いい仕事”といった時に、こういうNPO的な働き方というのが“いい仕事”といえるための条件とは何なのか、という問題は、多分ひとつ、する必要はあるような気はしています。

濱口氏:はい。いくつか論点はあるんだろうと思うのですが、私は実は、このての話にちょっと引っかかっているのは、いわゆる、ボランティア的な話の流れと、例えば今出た、ワーカーズコレクティブ的な話というのは、実は哲学的にいうとそれぞれの出発点て全然違うんだろうと思うんですね。

濱口氏:つまり、多分NPOの中にどこまで入るかという議論だと思うんですが、ヨーロッパでソーシャルエコノミーというときに、あれは、アソシエーションとコーポラティブとミューチャーティブと3つあって、実は、あとのふたつっていうのはみなさまのためにやっているんじゃなくて要は自分たちのためなんですね。それは、利潤を追求するということが目的じゃない、というだけであって、要は自分たちのためにやるということがひとつの事業としてやっているわけです。だから、まあ、そういう意味では変な話、どんな条件であろうが、それを人に使われるんじゃなくて、自分たちで事業を共同してやっていくということの、ある意味では“対価”だと思うんです。

つまり、ボランティア的な話っていうことで、今、出たように、「受け取らない部分は寄付だ」というは、ちょっと聞くと美しいんですが、それって、例えば新興宗教の論理と何が違うんだろうか、と。

ちょっと突き詰めていくと、ディーセントワークっていう議論、つまり、労働者がまっとうな働き方をしていくという話と根っこのところで違う議論なのかな、と……。それがこの一番最初の、「新たな社会連帯」ということで、それがつながっていくのかも知れませんが、そこのところをどういう風に接合させるかというのは多分すごい難しい問題なんだろうなというふうに思うんですね。

労働組合というのも実はボランティアでもなんでもなくて実は自分たちのための活動なんですよね。で、隅では多分、協同組合とか、基本的には同じで、それが特定の局面で活動しているのが労働組合なんですが、広い意味での市場メカニズムの中で利潤追求ではない活動ということで、多分、ある程度整理できると思うのです。でも、ボランタリーな活動というのはさらにそこの土俵をさらに越える話なんですね。ボランタリーな話とディーセントワークっていうは、どういうふうに話をつなげるかというのは、正直言ってちょっと私自身なかなかよくわからないところがあります。そこはむしろ、どう考えるのかな、というのが……

濱口氏:まさに、いろいろ概念が、広かったり狭かったりしているんで、私もどこでどう……非常につかみ所がない議論だと思うのですが。

例えば、いわば外側の、別にボランタリーな話ではなくて、まさに自分たちの共同の利益を追求する組織なんだと、ある意味割り切ってやっていく議論というのは、それもまさに国でもなければ、営利企業でもない、という意味では第3の領域であるのは確かなんです。ただ、逆に言うとそれというのは、市場の中で、勝ち抜いていかなくてはいけない、という意識を持って、実は、営利企業並みに、あるいは、営利企業以上にバリバリとやっちゃう可能性もあるし、実は、多分今、生協とか何とかというのは、むしろそういう状況なんだろうと思うんですね。県の境を越えて、どんどんやっている。しかし、だとすると、それは、例えば、ダイエーとか西友と何が違うのか、という話になってくるわけです。

じゃあ、労働関係から言うと、ある意味話はすごく簡単で、要するに、共同利益の組織だからといって、別に特別でも何でもないわけで、そこも同じようにディーセントな働き方が出来るようなものでなければいけませんね、ということで、逆に言えばすっきりするし、それを実現するためのメカニズムがより民主的なメカニズムとしてあるかどうかという議論になって行くんだと思います。やっぱり、コアな部分。市民活動一般じゃなくて、非常にボランタリーな、ある意味で、それによって自分たちが利益を得るんじゃなくて、“世のため人のため”的なところのある活動というのと、雇用労働者としてのディーセントな条件をいかに守っていくのかというのは、なかなか難しい話になっていくという……

濱口氏:いや、そうなんですが……ちょっと、意味合いが少し違うかなと……

濱口氏:いや、むしろその点についていうと、私の認識ではディーセントワークというのは、──基本的にはILOのソマビアが言い出して、ずっと使われている言葉なんですが──むしろ、ターゲットは、特に先進国というよりも途上国のインフォーマルセクターの、ディーセントでない働き方というと頃を射程に入れるための概念なのかな、と。そういう意味では、確かに狭い意味でも雇用労働に限られたものではなくてもっと広い意味だと思うのですが、インプリケーションとして、むしろここで言われているのは、コミュニティーワーク的なものを、ポジティブにとらえて言っている言葉なのかな、というところが、ちょっと……なんというか、若干、ちょっとアレかもしれません……。まあ、ディーセントワークという言葉自体いろいろなところで使われているのアレなんですけど……

濱口氏:確かに、結構、日本は寄付文化が足りないから、というのは結構昔から言われるのですが……。ただ、対談ですので、あえて、話を面白くするために言うんですけれども、寄付が盛んな国、というのはアメリカで、何で、アメリカは寄付が盛んなのかというと、市場でたくさん儲けた大金持ちがいて、そういう人がビル・ゲイツだの、なんだのみたいに、ボカスカボカスカ寄付したり、あるいは、ジョージ・ソロスみたいに……。

それは確かに美しいのかもしれないけれども、実は日本でそれをやった人っていうのは笹川良一であって、そういう、“ソロス・笹川良一”型の寄付で大々的に慈善をやるっていう社会のモデルって、本当にいいモデルなんだろうか、という疑問も、正直言ってないわけではないんですね。

それで、うまく回ればそこで働いている人たちの仕事振りも確かにそれはディーセントになって、下手にマーケットでヒーヒー言っている人よりもすごくいい、ディーセントな働き方になるかも知れないけれども、それを社会全体として、“こっちでいっぱい稼いだお金がそっちになだれ込む”というような仕組みは、それが社会連帯なんだろうか……。まあ、確かにひとつの社会連帯なんでしょうが、その社会連帯のあり方を日本が目指すのかなぁ、という、ちょっと、素朴な疑問もあります。

それからさっき言った、フルタイムの人、パートの人、有償ボランティアの人、無償ボランティアの人、など、要は、就業形態が多様化しているということですね。これを、普通の営利企業で就業形態が多様化しているといった時に、たしかに企業側は「これはみなさんがそれぞれにボランタリーにいろんな働き方をお選びになった結果、こういう風になっております」という言い方をしますけれども、「なに言ってやがるんだ。お前ら金をケチるためにやっているんだろ」という話にどちらかというと行くんです。

だけど、特に、介護みたいに公的部門も民間営利部門も、そして、この市民部門も、みんなそれぞれ、実は物理的に言うと、同じことをやっているという中にそれを置いてみると、──すごくいやらしい言い方をすると──民間企業では要するに労働法の規制がゆるいとは言いながら、まだあるのでそこまでは出来ない、というのをこの市民事業だから、有償ボランティアだ、無償ボランティアだと言って、よりチープな労働力を利用できているんじゃないか。営利部門はそれが出来ないから、コムスンみたいにインチキをしなくてはいけないんだ、という、──すごく皮肉な言い方ですけどね──実はそういう面も……。

だとすると、これは実は……たしかに世の中には絶対に民間営利企業が入っていかないようなジャンルの活動というのは確かにあって、それは、誰かがやっぱりやらなくてはいけない。そこはある種の、燃えるような使命感とすべての時間をそれに費やす切々たる気持ちとか何とか、そういうものが必要になってくる領域は確かにあるとは思うんです。が、NPOがいいものだ、ということで、実は民間営利企業と同じような領域にうかつに入っていくと、民間営利企業をやっていたら、「なにいってるんだ」というような話を、非常に美しくやってしまうような話になっている念があるのかな、と思えます。

実は最近読んだ本で、介護の現場での若者の労働者のことを書いた、新書版の本で、その中に、パートの中年女性について書いてあって──その人たちにパートなので、一応労働者なんですけれども──しかし、要は、家計補助的な働き方で、本人たちはかなり、社会貢献的な気持ちでパートで働いている。ところがそこで働いている若い人たちは、そういう非常に低い賃金水準でやらざるを得ないので、なかなか生活が立たない。まあ、広い意味での、今の若者の裨益問題の一環としての問題提起なんですが。民間の部門で言えばいわば「企業の営利追及のためにこんな問題が起こっているじゃないか」という、問題の立て方になる問題が、なまじ、NPOというかたちをとっているために美しくされてしまっている面が結構あっているような気がしています。

これ、なかなか難しいんですが、ひとつの決着は、民間と競合するようなところに何でもかんでも入っていかずに、本来的なところだけでやったほうがいいな、というのもひとつの考え方でしょうし、もうひとつは、NPOであろうがなんであろうが、そこで働く人たちに対する社会的責任というのは同じであるはずだから、──CSR(Corporate Social Responsibility)という言葉がありますが、「C」は「Corporate」ですが──別に会社だけじゃなくて、およそ、NPOであろうがなんであろうが、そこで働く人に対するCorporate Social Responsibilityというのはあるはずで、それはむしろそちらでイコールフッティングをしていくという方向もひとつのものかもしれない。

ただ、その議論を突き詰めていくと、いったい、こういうボランタリーな活動というのが出発点にあるはずなので、それはいったいなんなんだ、というところで、多分引っかかってくるものがあるんだと思うんですね。だから、非常に私も、スパッと切れないし、そもそもスパッと切れる話ではないと思うんです。「第3の仕組み」、「第3のシステム」「第3の領域」というのはすごくわかりやすくて美しい、いい言葉なんだけれども、「第3の領域だ」と言ってしまうことによって、実は、それは本当は「第3」ではなくて、「第2」であったり、「第1」であることもありえる。そうであれば、「こういう問題点もあるじゃないか」というものがかえって見えなくしてしまう。とすると、広く「第3の領域」っていう風にいってしまうことに対して、むしろ「いいんでしょうか」というふうな、ある種ブレーキをかけるようなことも必要なのかな、という感じも持っております。

濱口氏:はい。おっしゃることは多分、すごくわかります。例えば自己実現とか自己決定というものを、近代社会の中で一番体現しているのはなにかというと実は、市場の競争で勝ち抜いた企業家なんですよね。多分、まさに、折口さんとか何とかが一番、自己実現して自己決定しているだろうと思うんです。

いわゆる、NPOなどの市民活動の中で、そういう側面が一番強いのは、今言われた、環境NGOだとか、人権関係だとかなんですね。また、あるいは、福祉の中でもいわゆる、障害者のための権利を擁護するためのいろんな運動をやっているとか、ある種、運動体的なところ。こういうものは、まさに、活動自体がボランタリーな活動そのものであるし、そもそも、そんなことに、ADQが口を突っ込んでくるはずはありえないし、ある意味、活動そのものが、社会の中に自分たちが正しいと思うものを実現していくという意味での、自己実現そのものだろうと思うんですね。

ところが、そこがだんだんひろがっていって、例えば、転じて、高齢者を介護をするとか、お世話するとかいう話になってくると、それを自己実現とか──そういう面があるのは確かなんですが──実はそれが自己実現であることが労働者としては、極めて、ディーセントでない働き方の状態を、人に対してだけでなく自分自身に対してもジャスティファイしてしまうようなメカニズムが働いてしまうのではないかと思うんです。それで、さっきから同じところの周りをグルグル回っている感じがするのですが、そこのところをどこで線を引いて仕分けをするべきなのか、というのが、この問題のある意味、永遠の課題なのかなと思います。

寄付の話にしても、多分、まさに環境団体や人権団体とか、そういう一種のアドヴォカシー的な団体であれば、まさにそういうものだろうと思うんですね。そもそも企業がそういうところにガバッとお金を出すはずもないし、それこそ、心あるひとりひとりから少しずつでもお金を出してもらって、それを基に活動していくというのが基本的なパターンだと思うんです。これは楕円のひとつの中心であることは確かなんですが、やはり、この辺というのは限りなく、マーケットメカニズムの中で行なわれていることと重なっているんですね。

突き詰めると、例えばコムスンで働いているケアワーカーと、NPOで働いてるケアワーカーと、物理的には同じことをやっているわけで、多分、もっと言うと、介護を必要なお年寄りのために一生懸命にやるというその思いについ

ても、実は、ほとんど差はないはずだと思うんですね。しかし、そこを利用して、ディーセントでない働き方がまかり通ってしまうのならば、やはりそれは、社会の仕組みとしてサスティナブルではないのです。ですから、そこは逆にいうと、“市民活動”とか、“市民社会”というかたちで、大きく括ってしまっていいのかな、という疑問がどうしてもそこでぬぐえないところがあります。

濱口氏:私は、ある意味で、それはすごくシンプルで、労働組合が労働組合である以上、それは職場に根ざした協同性でしかありえないだろうと思います。

実は今の問題は職場に根ざした共同性といいながら同じ職場で働いている人と、実は、そもそも協同の手が伸びていない、連帯していない、そこに居るのにいわば見えない人のようになっていることはおかしいんじゃないの?というところから、協同性をいわばもう一度再構築することしかありえないだろうと思うんです。また、逆に、人間というのは目の前に居るものすら見えないような人間が、見えない人間のことまで協同性を伸ばすということが、そもそも出来るのかな?と思うんですね。私は、人間というのはそんな大層なものではないし、そういうことが出来る人間というのは数少ないかもしれない。そしてもっと恐ろしいのはそれが出来ない人間が出来ると思い込んで、マクロな協同性を振り回すのは実はすごく恐ろしいことで、多分、そこからある種のナショナリズムとか、ショーミニズムとかっていうのは生まれてくるはずだと思うんですね。だから、あまりそういうことをしない方がいいんじゃないかなと……。自分の周りから少しずつやっていく、というのが人間の身の丈にあった連帯であろうと、基本的には思っています。

濱口氏:いや、すごく主要な議論だと思うんですが──どういったらいいでしょう──労働組合というのが企業の社会的責任──ここで言う社会的責任というは、中に対するものではなくて、もっぱら、考えているのは、外に対するものですよね?──それを追求する主たる主体であるべきだ、というのは、議論としては美しいし、もっともかもしれないんですが、本当にそうなの?っていうところがあって……。

つまり、それはある意味で、労働組合って、最初やりましたよね?自分たちの利益のためなんですね。で、今、問題になっているのは、“自分たち”っていうのはどこまでなの?っていう話だと思うんですが。その労働組合が、自分たちの利益ということを越えて、──もちろんそれを踏まえてそれをさらに越えてという議論というのはあると思うのですが──下手すると自分たちの利益にはマイナスになるかもしれないことについて、ある種の、アドヴォカシーグループと同じような行動をとるべきだ、という風にいえるのか、誰が言うんだろう、という、実は根本的な疑問があります。

労働組合というのは基本的には自分たちの利益を守るために集まって、組合費を出し合って活動してるものなので、やはりそこと対立するような外部利益というか、パブリック・インタレストと言ってもいいんですが、そちらを優先させるような行動をモラルとして要求すべきものなのか、ということには、実は、いささか疑問を持っております。

これはあんまり、露骨に表立って言うと、「お前は、組合というのは、そういう非倫理的な存在でいいというのか」という感じになっちゃうんですけれども。逆にそこまで要求してしまうと、話がきれいごとで終わってしまわないか。そして一番恐ろしいのが、“自分たちの利益”という、本来守るべきもののところに問題があるにも関わらず、そこを、ややないがしろにして、その向けにきれいな美しいところだけ、「こんなことやっていますよ」と、世間様に向かって宣伝して、なんか、大変すばらしいことをやっているかのように演じてみせて話が終わる、というようなことで、それでいいんだろうかと。「労働組合はこんなすばらしいボランティア活動をしています」というような、そんなことばかり、宣伝文句にでてくるような団体でいいのか、というと、それは根っこが違うんじゃないか、というふうに、私は正直、気分的にはそう思います。

むしろ組合にとっての、追求すべき企業の社会的責任というのは、まずは中の話だろうということは基本的にはあるんですよね。

濱口氏:これは、まさにそうだと思います。が、それはむしろ、天下り的に正しい理念があって、というよりは、それはある意味で言うと、自分たちの働いているということの中身を充実させるということなんですよね。自分たちが働いている中身が、こういう意味があるものなんだ、ということ。単なる賃金とか労働条件とかいうことだけではなくて、意味がある作業に従事しているんだということで、実はそれもやっぱり、自分たちのためなんだと。つまり、要するに広い意味の「自分ため」だということがやっぱり労働組合の根拠であって、“人様のためです”というようなものを、逆にぽーんと飛んだ議論にならない方がいいのかな、という気はします。

もちろん、インチキなひき肉を出したり、変な腐った牛肉を出したり、そもそもそんなことをして給料をもらっていいのか、という、それはそのこと自体が仕事の質をおとしているわけですからそれは……。ナンですが……。なんていうんだろう、いわゆる、環境NGOがいろいろいうのとはおのずから違うのではないか、と思うんです。まあ、客観的にいえば同じようなことかもしれないんですが、根拠付けのところはやはりそう理解したほうがいいと思うし、むしろその方が組合員ひとりひとりが本気で、「これは自分たちにとって大事なことなんだ」と思える話なんじゃないかと思うんです。

逆に、組合の活動で、──まあ、あんまりいうとアレなんですが──“地球環境”とか、ポーンとだして、「それってなに?」って組合員が思っている状態がいいんだろうか?ということを、逆にちょっと感じるんですね。これは、ある意味からいうと、ニュアンス的なところかも知れませんが。

あとね、組合とNPOの話というと、私ちょっと面白いなと思ったものが、──この『自治研』にもちょっと書いているんですが──EUが”サービス指令案”というのをだして、これをめぐって大騒ぎになったんですが。

要はこの、“サービス指令案”というのは、「原産国原則」で、例えばイギリスだとか、東欧のようなところで、あるサービス企業が出来たら、そこの許可を得ているんだから、EU内のどこに売っても、改めて許可だのナンだのとせずに自由に活動できますよ、と。これに対して組合は「そんなことしたら自分たちの雇用労働条件に悪影響がある」という観点から反対したんです。もうひとつ、その“サービス指令案”に対して抵抗した勢力というのが、いわゆる、大陸諸国の──まあ、だいたい、ソーシャルエコノミーに属するんだろうと思うんですが──福祉とか、教育とか、医療とか、そういうものを提供している団体とか人々が、要するに他の国から営利主義のサービス業がどんどん入ってくることに関して、おかしい、と言ったんですね。

ある意味で、サービス支配に対するかたちで組合と、広い意味でのNPOというかソーシャルエコノミーの人たちが共闘して、かなり修正を勝ち取るというような事態の推移になったのです。面白いな、と思ったのは、ということはヨーロッパのそういうソーシャルエコノミーで、福祉とか医療とか教育とかのサービスを提供しているところというのは、決して、組合と共闘してやっているわけですから、日本で今問題になっているような低い労働条件で、ぎりぎりやっているということではなくて──まあ、多分、カトリックの傘下というか、そういう文化的な特徴もあって、教会からいっぱいお金が来る、ということもあって。だから教会を通じた寄付というのがすごく大きいというのが、一番大きなアレだと思うんですが──決して、ディーセントじゃない働き方になっているわけではなくて、下手に営利企業がやってきたら、ディーセントじゃなくなる恐れがあるということですね。むしろ、自分たちの、ディーセントな働き方でそういう福祉や医療や教育を提供するという仕組みでこそ、いい質の高いサービスを提供できるんだというロジックで、そのふたつが共闘していたというのは、非常に私にとって印象的で、これは今の日本だとなかなかそうはならないのかな、と思われます。

ただ、こうなると、先ほど○○先生が言われたような、寄付文化というような、そもそも日本にはこういうようなカトリックのカルチャーもないし、「誰がそんな金出すんだ?」という話になって、なかなか難しくて。ヨーロッパだとこういった福祉とかのプロバイダーとして、宗教的な基盤を持ったソーシャルエコノミーという非常に分厚いものがあるということに対して、日本はそれがないというのが、一番大きな違いなのかもしれない。だとするとこれは、NPO法ひとつでどうにかなるような話では、もしかしたらないのかな、という……。これは感想なんですけれども。そんな感じを持ってます。

濱口氏:職業訓練的なことがどれくらい本当に役立っているかということについては、まあいろんな議論があって、ちょっと、判断はなかなか難しいところがあるはあると思うんですが、ただ、ある種の失業対策的な役割をかなり果たしているのは間違いないと思うんですね。

人間にとって“やることがない”ということは、社会的な存在感、存在意義が奪われているということですから、ある意味で、NPOが社会の中の低レベルなところから、いろんな作業を削りだしてきて、それを、うまくあてがって、社会的な存在意義のある、何かしら有用性のある仕事をするというかたちで、社会の中に居場所を与えるという機能は、これは、まさに──ここにも書いてあるんですが──ヨーロッパでのこういうソーシャルエコノミーの非常に大きな役割だといわれているし、それは確かにそうなんだろうと思います。

日本では、昔は、国がやる失対事業というのがありました。それは結局、国だから全然、ただ、しがみつくだけになっちゃって、うまくいかなくなる。多分、緊急雇用対策事業というのは、何がしかそういう意味を込めて、行なえたものだとは思うのですが、ある意味、それにしては、志がいささか低いかたちで行なわれてしまって、正直、なんだかよくわかんない形になったんだと思うんです。

そこのところは、雇用対策のあり方として、もう少し大きく打ち出すことはありうるだろうと思うし、職業訓練効果がどれだけあるか、といいうのはヨーロッパでもいろいろ疑問になるところではあるのです。が、少なくともそこで毎日仕事をすると、それが身につくわけだし、いわば、社会性が身につく形でさらにそこから次の仕事、というふうなステップアップの意味は間違いなく指摘されているので、そこは私は、雇用対策の観点からはもっと強調されていいことだろうと思っています。

濱口氏:まあ、これは“仕事”というのをどこまでの広がりのある言葉と理解するか、ということ思うんですが、私、この問題を考えるのに一番いいのが多分、障害者の世界だろうな、と思っています。

変な話なんですが、今、厚生労働省というのはひとつになったんですが、昔は、労働省の障害者雇用対策というのは、あくまでも、民間企業に雇用率を設定して、民間企業に就職してもらって、そこで働かせることだと言うことだったんですね。そのためには、いろんな設備を、ああしたりこうしたり、というのもあるんですが、基本的には民間企業で働くのが仕事だとしていました。ところが、障害者にはいろんな障害があって、とてもやっぱりそこまで行かないというものもあるわけですね。で、実態はどういうものが進んでいたかというと、親とか、地域の人たちが、小規模作業所というのを作って、もともとは非常にボランタリーなかたちで、親たちがお金を出し合ってそんなのを作っていました。それに対して、逆に、最初は地域レベルで、そして、しまいには厚生省が、「まあ、しょうがないな」というかたちで補助金を出して、だんだん、そういったものが構築されて行ったのですね。旧労働省からいうと、あれは労働政策ではないんですね。だけど実は、あそこでやっているのは、まさに障害者が自分たちも自分たちのできる能力の範囲で何がしか社会に貢献するような仕事をしたい、という意味のはずで、それが、労働省の制作の範囲内に入らなかったので、その外側で少しずつ動き出して……ということだったんだと思うんです。

ですが、やっぱり、ここで必要なのは、仕事というのは、やっぱり、そういった小規模作業所とかそういったところでやっているようなことまで含めたもので考えないといけないはずだともいます。そこで線引いちゃって、要は、マーケットに載らないのは仕事じゃない、というふうにやってしまうと、仕事を中心といいながら、実は、多くの人を仕事から排除して、「仕事中心の社会にお前ら乗らないからダメだよ」と言っているような話になっちゃうんですね。ということは、逆にいうと、仕事中心の社会というものを維持するためには、それ自体が実は、相当の社会的移転を必要とするはずなんですね。

これは、障害者のところはそうなんですが、実は、そのほかのいろんな高齢者にしろ、あるいは、子どもを持った母親であれナンであれ、いろんなかたちで何がしかの社会的な移転がないと、マーケットフェイスの仕事がしにくい人たちを考えた場合、──あまりここではこういう議論を突っ込んだかたちにしていないんですが──むしろ、それを広い意味での社会保障制度というならば、そういう社会保障制度によって、裏打ちされた仕事を中心とした社会でなければいけないはずだろうと思うのです。この、仕事を中心にすえた福祉社会というのは、文脈的には、「仕事をしないのはけしからん」みたいな話から来ている話ではあるんですが、逆に「福祉社会だからこそ、仕事を中心にすえた社会でありうるんだ」という、そういう意味もあるんじゃないかな、と思っています。

それが一番典型的にあるのは、障害者の世界だけれども、実は、多くの人は何がしか、いろんな意味で働く上での障害というか、バリアがあるはずで、そのバリアをひとりひとり、多かれ少なかれのバリアを取り外すという意味が、むしろ福祉社会にはあるのだろうと、いうふうに、とりあえずは今、整理しております。ただ、そうするとその先に、まったく動けないような障害者は、お前はどう考えるんだ、というような話に多分なると思って、まあ、そこまで行くと、ちょっと違う原理になるのかもしれないんですが。まあ、ただ、何がしかの活動が出来る人、というところまで、出来るだけその枠は広げて考えるべきだと思いますし、そういう意味で、“仕事”を中心とすると考えるのですね。

だから、この“仕事”というのは社会的に意味のある活動という意味でとらわれて、何がしか活動ができる人には、そういった社会的な活動をするチャンスを与える、という意味でとらえれば、スタッドもそこまでの話としては、自分的には収まりがつくのかな、という風に思っているんです。

濱口氏:まさに、今、○○先生が言われた点もあると思うんですが、まずは、労働時間の問題。これは、本来、「生活時間」。「ワークライフ」の「ライフ」というのは、それも、ある意味で、働く上から見て、バリアとして障害として機能しなくてはいけないのですが、要するに、普通の特に男性労働者の場合にはまったくそういう風に機能していなくて、そういう障害はなくてあたり前、とみなされているわけですね。さっきの障害者の話にひきつけて言うと、障害者には働く上で障害がある、高齢者にも働く上に障害がある。そんなことを言うのなら、そうだない人たちだって、やっぱり、家庭生活というのがあるんだから障害があって当たり前。子どもがあれば、もっと障害があるのは当たり前。──それは「障害」という言い方は本当はいけないのかもしれませんが──つまり、責任を持っているわけだから、すべての時間を仕事に費やせるわけは当然ないわけで、そこはやはり、働く時間にはきちんとした制限がないと、その人間の十全な人間としての生活は出来ないんだ、ということを前提にいろんなメカニズムが回らないといけないはずですね。

“ワーク・ライフ・バランス”という掛け声は、政府の中枢から何回も何回も言われている割に、その手の議論が、育児休養はどうとか、介護休養はどうとか、そういう特別の話にばかり集中して、日常的に、例えば毎日家族で夕食を囲むような生活が出来るような状況になっているのかどうか、という話というのはあまり行かないんですね。そこは、今のワーク・ライフ・バランス論にある種のバイアスがあるんだろうと思います。

要するに、子どもを持った母親が働ける働き方というのをスタンダードにおいて考えないと、多分、本当はいけないはずなんだろうなと思うんです。それこそ、障害者、高齢者が働けるような職場でないと、いい職場ではない、というのと同じような意味でね。やっぱり、そこが、さっきの話から言うと“ディーセント”な働き方、“ディーセントで尚且つ、領域を超えたいい仕事”ということになるはずです。

ここで言いたかったのは、今までの日本の場合、特にまあ、組合もたくさん働いてたくさん稼げるようにするという、どちらかというと、そういう運動のパターンであったわけですが、そこは、明快に変えていかなくてはいけないだろうという話だろうと思うんです。

逆に言うと、そこで、正規社員であることを前提として、なにがあっても首は切られないという、そういう伝統的な正社員モデルというものに対して、ある種の修正は必要だろうと思うんですね。でもここは非常にすごく微妙で難しい議論で、ちょっと、針の置き方をひとつ間違えると、“ビッグバン”の議論になっちゃうんですが。“ビッグバン”にならない、なってはいけないんだけれども、だからといって今までのものでは多分、いけないはずだろうと思うんです。そこのバランスのとり方というのはすごく難しいと思うんですが、的確なところに針を置かないと、やっぱり、今の日本の組合は、今までの中年の男ばかりが自分たちの働き方中心にやっている組合だろうというところからなかなか脱却できないんだろうな、という気がします。

濱口氏:おっしゃる通りだし、“未組織の組織化”という形でそれを提起されてしまうとなかなか、これは難しいんですが、とりあえず話をすごくミクロなところにおいて考えると、同じ職場にパートをされている中年の女性たちが居て、みんな子どもを抱えているからパートで働くしかないですね、と。で、それは全然違う人なんだから別ですよ、というところで、今まで来ているわけで、多分、それを見直すということも、その場からしか始まらないんじゃなかろうか、と思うんです。要するに、その人たちも、まずは同じ組合員として入れて、共通の基準て何なんだろう、ということを考えるところからしか始まらないんじゃ……。つまり、どこか遠くに居て、見えないところの人の議論をしたって、人間てそんなのは出来ないだろうと思うんですよ。やっぱり、そこからなんじゃないかな。それで、議論を始めてどうなるかというもの、わからないんですが、でも、そこからしか議論は始まらないのではないかな、と思うんですね。

実は、マクロな話も実はそれの積み重ねなんじゃないのかな、という気がします。これは実は職場によって、すごく進んでいるところもあればそうでないところもあるし、そんな簡単な話ではないということはもちろんではあるんですけれども。

やっぱり、もともと、組合というのは、足元の自分たちの利益から出発しているもので、そこからしか出発し得ないとすると、同じ職場で働いているパートの人たちは、子どもたちを抱えていて、5時になったら帰らなくてはいけないんだ、と。それを、「彼女らは、そういう不完全な働き方しか出来ないんだから、時給800円で当たり前だよな」という話で進んできているわけですよね。ところが、例えばその人が、急に奥さんが、ぽんと居なくなって、子どもを抱えるともっと大変な状態になるわけですよね?だから、やっぱりそこからやるしかないのかなと思います。

“寄って立つ社会連帯”という言葉にきちんと対応したものではないんですが……。“社会連帯”と言ったって、要は“人とのつながり”ということですよね、大和言葉に崩すと。人とのつながりって、結局、具体的なところで、実は、顔の見える人との間でしかないのではなかろうか。そこにないものを非常に上のレベルで、なんか、理屈で作っても多分それは上でくるくる回っているだけで、下まで行かないだろうと思うんですね。もちろん、下でそういう議論をするためには、ちゃんと上から、きちんとしたある種のリーダーシップというのも必要で、もちろんそれは両方必要なんですが、下でそういう話が全然ない状態で、上だけの議論で、進む話では多分ないだろうと思います。

濱口氏:いや、だから、つまり……何を……ちょっとわからないのは……。

あるところで働いているとして、まあNPOと言ってもそこでも労務を提供するようなものというのは、なかなか実際にはとても無理でしょうから、ある種のアドヴォカシー的な活動ということになるのだろうと思うし、ある意味では個人レベルで言えば、それなりにやっている人はいるだろうと思うんですね。それは本人にとっては非常にパブリックな話であって、それを、職業生活に対するプライベートライフと言ったら怒るかもしれないけれども、それはしかし、職場から言えばプライベートであるという、ただそれだけの話なんだと思うんです。で、プライベートであろうが、パブリックであろうが、仕事の職場で要求されることでないことと、きちんと両立できるような仕組みにすべきだ、という意味では、多分同じ話だと思います。

その中身が何であるのか。それは“自分の子ども”というプライベートな話なのか、“自分の子どもを含む地域の子どもたち”というパブリックなものなのか、“自分の親”というプライベートな話なのか、“自分の親を含む地域の高齢者”というパブリックな話なのか、ということは、それは、いわば、その人が、どういう活動をするか、という話なのであって、両立論から言うと、多分本質ではない、と私は思います。

濱口氏:うんうん。とりあえず“両立論”としてはそういう話だろうと思うんです。で、その先で、今言われた、組合の活動とのつながりみたいなことで言うと、これは要は組合が、自分たちの利益という観点から、それは有用であるという外側の活動にいろいろ手を出して、それを一生懸命になると言うのは、それが組合員の利益になる限りにおいては、重要な活動でしょう。逆に、そうでないならば、組合員から見ると「何を余計なことをしているんだ」ということになり兼ねないはなしですよね。

やっぱり、つきかえるとそれは、NPO活動というような性格のものではなくて、やっぱり、足元の組合員というか、働く人々の利益になるかどうかということが究極的な判断基準になる話だと思います。だから、逆にいうと、“両立する”云々の話ではなくて、そもそも、根っこは一緒じゃないかと……

2007年9月 9日 (日)

必ずしも「冷戦的」というわけではなく

痴呆(地方)でいいもんこと大坂先生、

http://d.hatena.ne.jp/osakaeco/20070908/p1

>。「科学で政策のありかたをめぐった主張の対立」を解決できないときもある。それは理論と実証の両面から、対立する主張の双方のいずれにも決着をつけられない場合だ。決着がつけられないのは、可能な説明が複数ありうるからであって、イデオロギーとか政治的信条の相違にあるのではない。

ちょっとちがうような。

いや、そういう場合(認識論的に決着がつけられない)ゆえということもあるでしょうが、こうすればこうなるという点では認識が一致していても、その価値判断において一致しないということが大きいと思うのですが。

それは、必ずしも「冷戦的科学」というような硬直的イデオロギー性ののではなくても、やはり現に存在しており、かつ現実に極めて重要なものであると思うのですが。

むしろ「科学的真実よりも社会主義陣営と資本主義陣営のどちらが勝つかとういうことが優先されていた」ことの問題は、それが今ここでどの経済社会政策を採るべきか、それが誰にどういう影響を与えるのかという問題から切り離された抽象的な空中戦的議論であったことにあるのではないでしょうか。

社会主義陣営の側に立つと称する人々が、往々にして福祉国家に対して極めてペジョラティブであったことはそのことをよく示していると思われます。

云うまでもなく、福祉国家の是非は何らかの価値判断基準が不可欠です。

2007年9月 8日 (土)

最低賃金の地域間格差

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/09/h0907-2.html

各都道府県の地域最低賃金も出そろったわけですが、

http://www.asahi.com/life/update/0907/TKY200709070380.html

まあ、中途半端な上げ方であったことは別としても、例えば生計費だとか生活保護の水準との均衡といったことで上げていくと、

>最高額と最低額の差は、現在の109円から121円に広がる。

ということになるのは分かり切ったことではあるわけですが・・・。

一方で、政治的コレクトネスから云うと、地域間格差こそなんとかしなければならぬという要請もこれあるわけで、民主党も一応全国最低賃金1000円とか云ってるし、なかなか難しい所なんですね。ある意味、東京なんかだったら一気にそこまで上げてもやってけるかもしれないけれど、秋田や沖縄でそんなことができるはずもなし。

経済理論で最低賃金がどうのこうのという一方で、こういうことも現実的には大きな問題であるわけで、しかもますます増幅することはあっても縮小する見込みは当分無いわけで・・・。

2007年9月 7日 (金)

医療派遣はケシカランと云ってたんじゃないの?

今年の6月にこんな通達が出ていたんですね。

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/06/h0619-1.html

>「緊急臨時的医師派遣システム」における派遣医師の募集について

>厚生労働省では、地域医療の確保に寄与することを目的として、全国規模の病院関係団体、医療関係者等の協力を得て、国が中心となって必要な調整を行い、緊急臨時的に医師派遣を行うシステムを構築することとしました。

通達はこちら

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/06/dl/h0619-1c.pdf

この中にこういう文言があります。

>3 派遣の形態

医師派遣は、労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の適正な就業条件の整備等に関する法律(昭和60年法律第88号)に基づく労働者派遣(以下「労働者派遣」という)等の形態で行う。

をいをい!

私の知る限り、この通達の発出に合わせて労働者派遣法施行令を改正したという事実はないようです。

ということは、この緊急臨時的医師派遣システムは、同施行令第2条に定める範囲内でのみ行うということなんでしょうか。通達上そのようには書いてありませんね。ということは、この通達は労働者派遣法違反の行為をそそのかしていると理解するしかないのですが、そういうことなのでしょうか。

あり得べき誤解を解いておきますと、私はそもそも医療分野において労働者派遣を禁止したり制限したりすることには何の理由もないと考えています。少なくとも、労働者派遣法サイドからすれば、港湾荷役や建設業務のような過去の曰く因縁が絡んでいる業界ゆえに派遣を禁止しているものとは異なります。実際、1999年改正までは医療関係業務はネガティブリスト業務ではありませんでした。それゆえ、ポジティブリスト体制にもとでも、高齢者派遣特例とか育児休業時の派遣特例といった制度においては、堂々と何の問題もなく医療分野の派遣が行えたのです。それが、なぜかほかの一般業務が解禁されるのと逆行して禁止されてしまうという訳の分からない事態になったわけですが、そういうことやらかしておいて、自分の方の都合が悪くなると自分がごり押しした法令を無視してこういう通達を出してしまうというのは、何とも信じがたい神経であります。

いうまでもなく、製造業の派遣は経済産業省の所管ではなく、交通産業の派遣は国土交通省の所管ではなく、通信産業の派遣は総務省の所管ではなく、金融業の派遣は金融庁ではありません(大蔵省時代にはいささか勘違いをしていた向きもあるようですが)。

医療関係業務の派遣がいかに同じ厚生労働省の中にあるからといって医政局の所管でないのは、鯨が魚でないのと同じであります。

まさかとは思いますが、これは営利を目的としてやるんじゃないから、労働者派遣法に云う労働者派遣ではあっても労働者派遣事業には当たらないなどと云う理屈ですり抜けているのではないと思いますが。

>(2) 「業として行う」の意義
イ「業として行う」とは、一定の目的をもって同種の行為を反復継続的に遂行することをいい、1回限りの行為であったとしても反復継続の意思をもって行えば事業性があるが、形式的に繰り返し行われていたとしても、すべて受動的、偶発的行為が継続した結果であって反復継続の意思をもって行われていなければ、事業性は認められない。
ロ具体的には、一定の目的と計画に基づいて経営する経済的活動として行われるか否かによって判断され、必ずしも営利を目的とする場合に限らず(例えば、社会事業団体や宗教団体が行う継続的活動も「事業」に該当することがある。)、また、他の事業と兼業して行われるか否かを問わない。
ハしかしながら、この判断も一般的な社会通念に則して個別のケースごとに行われるものであり、営利を目的とするか否か、事業としての独立性があるか否かが反復継続の意思の判定の上で重要な要素となる。例えば、①労働者の派遣を行う旨宣伝、広告をしている場合、②店を構え、労働者派遣を行う旨看板を掲げている場合等については、原則として、事業性ありと判断されるものであること。

>何卒、本趣旨をご理解の上、派遣医師としてご登録いただきますようお願いいたします。

これは「労働者の派遣を行う旨宣伝、広告をしている」ことにはならないのかしらん。

市場万能社会を超えて-福祉ガバナンスの宣言

『DIO』に宣伝が載っているので、もう明かしてもいいんでしょうね。

http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no219/houkoku_4.pdf

>20 周年記念シンポジウム「市場万能社会を超えて-福祉ガバナンスの宣言」
 日時:11 月27 日( 火) 13:00 ~ 17:30
 会場:東京・九段「ホテル グランドパレス」

>( 特別講演)神野直彦( 東京大学教授)/( パネル討論)宮本太郎( 北海道大学教授)[ コーディネーター]、マルガリータ・エステベス・アベ(ハーバード大学准教授)、濱口桂一郎( 政策研究大学院大学教授)、広井良典( 千葉大学教授)

ということです。

ちなみに、日本人は(私を除いて)みな有名人ですから紹介するまでもありませんが、エステベス・アベさんは

>現在、日本の福祉制度、雇用及び金融制度の制度的補完性を検討した Welfare and Capitalism in Postwar Japan を執筆中

の新進学者で、最近紹介したホールとソスキスの『資本主義の多様性』の中の「社会保護と技能形成-福祉国家の再解釈」をソスキスさんらと一緒に書かれている方です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_2b8c.html

先日、立法学シンポの懇親会でナカニシヤの方とお会いしましたが、最近いい本をたくさん出していますね、ここは。

2007年9月 6日 (木)

厚生労働省予算要求

例年恒例の予算要求の季節ですが、来年度要求のうち労働関係(が含まれる)項目は次の通りです。

http://www.mhlw.go.jp/wp/yosan/yosan/08gaisan/syuyou.html

第2 成長力の底上げに向けた雇用対策・職業能力開発等の推進
第3 仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)と公正かつ多様な働き方の実現
第4 人口減少社会の到来を踏まえた少子化対策の推進
第5 高齢者等が生き生きと安心して暮らせる福祉社会の実現
第6 障害者の自立支援の推進

成長力の底上げは、まさにそういう名前の官邸主導の戦略の中味をもってきたもので、①職業能力形成システム」(通称『ジョブ・カード制度』)の構築、② 母子家庭、生活保護世帯、障害者等の福祉・雇用両面の支援による自立・生活の向上、③ 中小企業の人材確保等への支援と最低賃金制度の充実、④ 若者の雇用・生活の安定と働く意欲の向上、の4項目からなります。

このうち新聞ネタになりそうなものを拾うと、

>○ ネットカフェ等で寝泊まりする不安定就労者への就職支援の実施(新規) 1.7億円
住居を失い、ネットカフェ等で寝泊まりする不安定就労者の安定的な雇用機会の確保を図るため、職業相談・職業紹介、技能講習、住居確保の相談等を行う。

てのがありますね。ネットカフェ協会からやめてくれといわれたりして。

次のワークライフバランスも官邸主導の戦略ですが、この中の「公正かつ多様な働き方を実現できる労働環境の整備」の中に、

>ガイドラインの策定や正社員転換支援を通じた有期労働者の雇用管理の改善 4.8億円
契約社員や期間工等の有期契約労働者の雇用管理の改善を図るため、ガイドライン等を作成し周知するとともに、有期契約労働者から正社員に転換する制度を設け、正社員に転換させた事業主に対する助成制度を創設する。

というのがあります。これは注目する値打ちがあります。

その他いろいろありますが、厚生関係ですが、例年の予算要求と雰囲気の違うのが

>第8 年金記録問題等への対応

>年金記録問題に関し、国民の皆様に多大なご心配をおかけし、公的年金制度への信頼を揺るがしかねない状況を招いていることについて、深くお詫び申し上げるとともに、この問題への対応については、年金記録の管理等に対する国民の不信感を払拭するため「年金記録に対する信頼の回復と新たな年金記録管理体制の確立について」(平成19年7月5日政府・与党合意)に沿って、すべての方への加入履歴のお知らせ、コンピュータの記録と台帳等との突合わせなどの対策を徹底的かつ迅速に進める。

>年金記録問題への対応については、上記の方針に基づき、着実に実施する。なお、この実施に係る経費の取扱いについては、財政に係る合理化のための努力と併せて今後予算編成過程において検討する。

予算要求じゃなくておわび。

あと、ちょっと気になったのが、医療関係のところですが

>医師派遣システムの構築30億円
・医師派遣体制の構築・推進8.3億円
都道府県が医療対策協議会における検討に基づき実施する医師派遣に対して支援を行う。
また、医師確保の必要性や緊急性が高く、かつ、都道府県において域内での医師派遣について十分に検討するなどの努力を行ってもなお必要な医師が確保できない地域に対し、安定的に医師が確保できるまでの間、国レベルで緊急臨時的な医師派遣を行う体制をつくる。

あのお、この「派遣」ってどういう派遣なんでしょうか。もし労働者派遣法でいうところの「派遣」だとすれば、医療関係の派遣はダメだといって、かつては可能だったのを禁止しちゃった医政局サイドが、今度は自分のところでやるのはいいんだといって認めようというんでしょうか。

次の「派遣元の病院において、派遣医師が従前行っていた業務をカバーする医師など派遣医師以外の医師の負担を軽減するとともに、診療体制の強化を図るため、診療体制の確保や医療機器等の整備に対する支援を併せて行う」といういい方からすると、なんだか病院が「派遣元」事業主として派遣するみたいですね。

いずれにしても、労働者派遣法上説明の付かないような制度設計にはされない方が宜しいように思われます。

善意に対する訴訟提起

子会社株式会社グッドウィルに対する訴訟の提起に関するお知らせ

http://www.goodwill.com/gwg/pdf/20070903182220.pdf

>当社子会社である株式会社グッドウィル(以下グッドウィル)は、東京地方裁判所より平成19 年9 月3 日に以下の訴訟について訴状を受領しましたので、お知らせ致します。

>スタッフ26 名により、過去就労分の「データ装備費」について、不当利得として返還を求める旨の訴えがなされたものです。

>請求金額 4,554,600 円

>本件による当社業績への影響は軽微であると認識しております。

そりゃあ、たった26人、400万円ぽっちだったら「軽微」でしょう。

どっちが正論?

産経新聞の「正論」欄はいつも正論が載っているはずなんですが、

http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/070901/srn070901000.htm

9月1日の佐伯啓思氏の正論と、

http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/070904/srn070904000.htm

9月4日の竹中平蔵氏の正論とは、

いずれかが正論であることはあり得ても、両者が同時に正論であることは不可能な関係にあるように思われます。

まあ、しかしこれは保守派メディアたらんとする産経新聞だけの問題ではなく、両足をそれぞれの相矛盾する「正論」に突っ込んだまま歩こうとする安倍首相自身の問題でもあるわけです。

おまけに、

http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/070829/srn070829000.htm

>法や政策を官僚抜きで作り「改革」を

などと、ポピュリスト的「正論」を吐く御仁もいらして、正論業界もなかなかダイバーシティの世界でありますな。

グダニスク造船所閉鎖問題

グダニスクといって分かる人はどれだけ残っているでしょうか。

かつてダンチヒと呼ばれたこの街は、共産党支配下のポーランドで、ワレサ率いる連帯労組が共産党支配に反旗を翻した歴史的に由緒正しい街であり、かつてレーニン造船所と呼ばれたグダニスク造船所は、そういう歴史的に由緒正しい造船所であります。

ところが、共産党支配を倒して自由市場経済になった結果として、これを閉鎖するという話になったわけです。も少し細かくいうと、ポーランド政府がこの造船所に出していた13億ユーロもの補助金がEUの競争法に反するということで、EUからやめろといわれてしまったんですね。そうなるとこの歴史的に由緒正しい造船所は閉鎖せざるを得ない。

ところが、市場経済原理的には正しいこの判断に対して、欧州議会の様々な政治的立場の議員たちが揃ってそれは考え直せ、と。それは政治的に正しくない。

なにしろ、今ポーランドがEUの加盟国としてここにいるのは、この造船所の労働者たちが連帯の旗を掲げて立ち上がったからなんですからねえ。

http://www.euractiv.com/en/central-europe/commission-urged-reassess-measures-gdansk-shipyard/article-166450

EUの若者政策

昨日、欧州委員会(教育訓練総局と雇用社会総局)は、「若年者の教育、雇用及び社会へのフル参加促進」というコミュニケーションを発表しました。

http://ec.europa.eu/employment_social/news/2007/sep/com498_en.pdf

教育からの早期中退の防止や、雇用戦略の「フレクシキュリティ」の中で労働市場への新規参入者の見通しを改善することなどが挙げられています。

こちらは若年者雇用に絞った付属文書SECです。

http://ec.europa.eu/employment_social/news/2007/sep/swd1093_en.pdf

EUの若者雇用白書といったところで、いろいろと参考になります。

ちなみにこちらはボランティア活動に関するSEC

http://ec.europa.eu/youth/news/doc/sw_volunteering_050907.pdf

コメント消失事件?

私が稲葉先生に因縁をつけた

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_d06d.html

に対し、稲葉先生がコメントをつけられたようなのですが、それが「よくわからない理由で消されました」と書かれています。

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20070903/p1

「何かお気に触ったのでしょうか」とのことですが、お気に障るも何も、私は昨晩まったくアクセスして居らず、稲葉先生のコメントを消したりすることはあり得ません。どなたのコメントも書き込まれた形跡はありません。しかし、いったん書き込まれたものが消されたということになると、かなり問題ですし、稲葉先生以外にも被害にあっていらっしゃる方もいるやも知れず、対応を考える必要がありそうです。

もし、他にこのような被害に遭われた方がいらっしゃいましたら、ここにコメントをつけるか、それができないようであればメールでご一報いただければと思います。

2007年9月 5日 (水)

法と経済学百科事典

今まで気がつかなかったんですが、ベルギーとオランダの学者が編纂した『法と経済学百科事典』全5巻が、なんと全文ダウンロード可能になっていたんですね。

http://users.ugent.be/~gdegeest/

これは実に浩瀚なもので、ありとあらゆる分野について法と経済学の立場から分析しているんですが、それが全部読めます。

たとえば労働関係でいうと、

http://users.ugent.be/~gdegeest/5510book.pdf(労働契約)

http://users.ugent.be/~gdegeest/5520book.pdf(最低賃金)

http://users.ugent.be/~gdegeest/5530book.pdf(雇用差別)

http://users.ugent.be/~gdegeest/5540book.pdf(労働安全衛生)

といった項目が説明されています。

たとえば最低賃金だと、ケンブリッジのディーキン先生とウィルキンソン先生が、伝統的新古典派の説明、経験的証拠、代替的な理論的展望、最低賃金の導入・引上げのダイナミックな効果、最低賃金と世帯の貧困と労働インセンティブという風に、順を追って、的確に現段階の学問的水準を教えてくれます。参考文献も山のように付いています。

初等ケーザイ学教科書嫁さんよりもよっぽど役に立ちます。

ジョブ社会になったら

NHKが一昨日放送した「人事も経理も中国へ」が話題になっているようです。

http://www.nhk.or.jp/special/onair/070903.html

しかし、恐らく見ている人が当たり前だと思っていて、よく考えれば大変凄い話なのが、番組では総務部門が取り上げられていましたが、経営者が当該仕事を担当している人に自分の仕事を中国にアウトソースするやり方を全部やらせるところです。

ジョブ社会の常識でこれを見れば、要するにお前のクビを切ってもっと安い奴を使うから、よろしくその準備万端整えておけ、というようなもので、唯々諾々とそれに従うということ自体信じがたいでしょう。

にもかかわらずこの番組の中で総務の方々が言うことを聞くのは、当該ジョブの喪失が直ちに自分のクビの喪失ではないからで、大変厳しい台詞も出ていましたけれども、自分で新しい仕事を考えろ、という形で雇用が維持されることが前提であるからなのですね。

いや、もちろん、こんな話は製造業の現場の合理化の歴史では半世紀前から常識です。人事労務管理や労使関係をやっている人々にとっても常識です。ジョブ社会ではありえないスムーズさが、非ジョブ社会だから可能になっているということは。

ところが、そういうどろどろした現場の感覚なく、こぎれいなケーザイ学教科書的センスだけでものごとをくっちゃべる方々は、その辺のメカニズムに対する感覚が決定的に欠落しているんですよ。

ジョブだジョブだと喚く方々は、この番組の総務の方々が一斉に反旗を翻してストライキに突入したらどうなるかをちらりとでも考える必要があるでしょう。いやもちろん、最後にはアウトソースされちゃうでしょう。それを止めることは不可能。しかし、最終的にそこに着地するまでのコストたるや相当に莫大なものになるはずです。紙の上でいくらコスト削減になるはずという数字は、生身の人間がそれに従って能動的に行動することが前提ですからね。

労働問題のセンスがあるかどうかは、その辺の感覚なんですが、さて・・・。

民主党の年金担当相

いやあ、そうなるんじゃないかと思ってはいましたが、やっぱりそう来ましたか。

>民主「次の内閣」で攻勢、「年金担当相」に長妻氏

http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20070905AT3S0402B04092007.html

>民主党は4日、政策決定機関「次の内閣」の主な顔ぶれを決め、臨時国会に向けた党の態勢をほぼ固めた。新設の年金担当相に長妻昭氏を充てるなど中堅・ベテランを中心とする「攻撃型の布陣」(幹部)。衆参の予算委員会では「政治とカネ」を巡る集中審議を要求する構えで、野党共闘の強化により攻勢をかける。

>長妻氏は参院選で最大の焦点となった年金記録漏れ問題の火付け役。臨時国会には年金保険料の使用を給付に限定する「年金保険料流用禁止法案」を参院に提出予定で、法案が衆院に回ってくれば趣旨説明や答弁に立つとみられる。

つまり、年金制度は如何にあるべきかとか、持続可能な年金制度を構築するために何が必要か、といった議論は、民主党としては当面やるつもりはない、と、まあこういうことなんでしょうなあ。

権丈先生 on SiCKO

SiCKOを論ずるなら、この人、というわけで、権丈先生です。

http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/korunakare103.pdf

http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/korunakare104.pdf

面白いのが、記者会見@カンヌ国際映画祭(2007年5月19日

>Q:あなたが(医療保険のあり方を)肯定的に描いたカナダでは、医療の国家管理が崩壊しつつあり、現在大問題になっているんです。

>マイケル・ムーア:カナダの問題は、ここ20年以上続く予算不足だ。でも、カナダの国民皆保険制度には何の問題もない。君やすべてのカナダ人に聞きたいが、君自身はカナダの保険証とアメリカの保険証を交換したいと思うかい?

>Q:いいえ。

>マイケル・ムーア:そう、それが正しい答えだ。

2007年9月 4日 (火)

偽装労災?

平成19年07月20日さいたま地方裁判所 第6民事部損害賠償請求事件(平成17(ワ)2097)

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070903133950.pdf

これは、バス運転手が草むしり中積み荷が突然崩落して頸部、頭部を直撃して脊髄損傷になった・・・として、労災補償も出ている事案なんですね。

ところが、原告が安全配慮義務違反として会社を訴えたこの裁判で、会社側はそもそも労災事故は存在しなかった・・・つまり原告の偽装だったと主張、裁判所はこれを認めました。つまり、偽装労災だったというわけですね。

裁判官がそう判断した根拠は、どうも

>原告Aは,平成18年2月18日の当裁判所における本人尋問期日において,杖を右手で突きながら出頭し,当事者席にいる間は,終始座席の背もたれにもたれかかる様子が見られた。一方,1時間を超える尋問中は,背もたれのない証言台において,大半の時間は前傾姿勢で座っており,また,被告代理人から,本件事故現場に,草取りをするほどの雑草が生えていない旨繰り返し指摘されたことに激高し,声を荒げ証言台を右手拳で強く叩きつける様子が観察された(当裁判所に顕著)。

というあたりにあったようです。

しかし、こういう本人の病識が頼りの事案というのは、本人が正直者であることが前提ですからね。いろいろと考えさせます。

DIO西村論文

連合総研の機関誌『DIO』の9月号に、西村博史さんの「非正社員における格差の重層構造と労働組合の使命」が載っています。

http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no219/houkoku_2.pdf

これは、連合総研の請負等外部人材の研究委員会メンバーが書くエッセイの一環で、私のは前号に載りました。

http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no218/houkoku_2.pdf

西村さんは、「私たちが最優先で取り組むべき課題が2 つあることに思い至った。ひとつは、非正社員における格差の重層構造の問題であり、もうひとつは労働組合の果たすべき使命についてである」と述べます。

前者については、

>正社員、非正社員間の格差とは別に、今回のヒアリングで強く印象に残ったのは、非正社員の中においても厳然とした格差が存在していることであった。そしてその構造を固定化しているのが、雇用形態ごとの仕事と職場の実態である。特に格差は能力開発環境の差と正社員化の優先順位においてみられた。
例えば能力開発における格差では、ある部品製造企業は非正社員として期間従業員と派遣労働者を活用しているが、正社員への登用を視野に入れて採用される前者に対し、後者の業務内容は1 週間程度でマスターできる単純反復作業であり、正社員の補助作業であった。このケースを能力開発の視点からみると、同事業所の派遣労働者の場合、その単純定型業務をいくら積み重ねてもスキルアップに繋がらないことは明らかで、そして事業所側もスキルアップに期待していないのである。このように非正社員の中でも、採用時の担当業務の違いが能力開発の格差に繋がるという厳しい現実、格差の重層構造がある。
ところでこのようなケースは製造現場だけではなく、開発や設計など技術系職場でもみられた。
情報機器製造の事業所では、担当業務の格差は請負労働者と派遣労働者との間で大きかった。請負労働者は会社間の長年の業務契約により各開発部署の専門業務を担当していたが、短期派遣のケースもある派遣労働者の場合、その担当業務は開発というよりソフトウェアの動作テストやせいぜい既存ソフトウェアの改善に近かった。いわば技術的素養の必要なオペレーターという存在である。新製品を市場に出すためには必要な業務だが、正社員どころか請負の技術者でも担当しないレベルの業務であった。
このように非正社員の世界では、技能系、技術系にかかわらず、能力開発における格差の重層構造が存在している。いずれも非正社員を業務ニーズに応じて使い分ける事業所の経営戦略がこうした格差を発生させていた。スキルアップが期待できる業務から除外されている非正社員にとって、職業生活の将来に希望を持つことは困難である。
非正社員における能力開発、スキルアップの重要性は、有識者の誰もが主張してきたことである。しかし問題はその先なのだ。現実に働く職場と仕事内容を考慮すると、どのように能力開発を図ることができるのか、そして誰が、どの組織が責任(担当)を負うのか。コスト、時間的負担など取り組んで解決すべき問題は膨大である。これまで長期雇用の正社員をイメージして作られてきた人材育成システムでは、対応が困難なことはいうまでもない。特に能力開発を拒絶されている雇用形態の人たちに対し何ができるのかが問われている。
こうした能力開発における格差は、正社員登用における格差、すなわち選別に繋がっている。
先の部品製造企業では、正社員への登用は期間従業員に限られ、派遣労働者は基本的に除外されていた。同事業所の場合、製造現場への新規採用が困難となる中、期間従業員は正社員への登用含みで採用されているが、単純定型業務、正社員補助業務中心の派遣労働者の場合、能力でも、正社員登用においても期待されていない存在である。正社員登用制度があったにしても、制度の対象は特定の雇用形態に限定されている。正社員化のハードルは高く、結局恩恵にあずかれる人は少数である。
この結果、非正社員内の格差固定、格差拡大という現象が進行している。格差が正社員と非正社員との間だけでなく、非正社員の間にまで及んでいる。このようにどの雇用形態で入職したかにより、その後の職業生活が大きく異なることになるのである。
こうした構造的格差を是正するためには、小手先の対応策では意味がない。
言うまでもなく派遣、請負労働者では、長期雇用契約(安定した雇用状況)、社会保険への加入保障、そして何よりも時給アップへの期待は大きい。非正社員の時給の引き上げは、均等待遇を実現する上では当然であり、かつワーキング・プア層からの脱出のためにも必要であるが、最低賃金の水準見直し程度でワーキング・プアからの脱出が可能とは考えられない。また職業生活の生涯設計という視点からみた場合、一生時給暮らしをさせるつもりなのだろうか。さらに仮に均等待遇を実現するにしても、先にみたような非正社員の能力水準と能力開発の現状のもとでは、大幅な時給の引き上げは期待できない。
まずもって最優先で取り組むべき課題は、非正社員の職業能力の開発、スキルアップの実現である。長期契約など雇用を守り、時給を引き上げていくためにも能力の開発、スキルアップが必要であり、そのための環境整備に力を注ぐことが求められているといえる。

また後者については、

>いま労働組合に対して問われている点は、組合員でない非正社員に対して労働組合に何ができるのかということであり、真剣に議論すべき点は、どのように組合が取り組むべきなのかということであろう。そして必要な取り組みは、あくまで派遣、請負労働者が就労する事業所、職場において行われるべきであろう。
連合をはじめとした労働組合全体の存在感を示すためには、抜本的対策のための政府・行政レベルの政策制度要求が必要不可欠だが、事業所、職場で働く非正社員にとってみると、事業所、職場の労働組合がすべてである。ボランティアや社会福祉、環境保護活動など、単組、産別レベルでの様々な社会貢献活動ももちろん重要な活動だが、労働組合にとって最も大事な使命は、働く労働者の権利と雇用、労働条件を守ることである。組合員でないからといって、自らの事業所、職場で働く就労者に働きかけずに、労働組合の存在意義を訴えることができるとは思わない。
労働組合を表現する、または期待するキーワードとして「働くものの仲間」、または「共感」「連帯」という言葉がしばしば用いられるが、労働組合を非正社員、とりわけ派遣、請負労働者といった外部人材の人たちからみた場合、組合はどのように映っているのか、この点について組合役員は真剣に考える必要があるといえるだろう。
予想外に非正社員は組合を注視していることに気がつく必要がある。数年前にオフィスで働く女性派遣労働者のヒアリング調査を行ったが、組合のある企業で正社員として就労した経験のある人は、長時間の残業で身体を壊してしまったのに、「組合は何もしてくれなかった」と訴えていた。そのため正社員は嫌になって、派遣会社に登録したのだという。組合員経験者である彼女は組合に対し強い拒絶感を持っていた。
今回ヒアリングさせていただいた組合役員の方の中には、派遣、請負労働者の人について「他社の従業員だから( 積極的に取り組むことができない)」と発言された方がいた。組合組織率の長期的下降に対する社会的関心の低さや、労働組合の希薄な社会的存在感は、こうした組合役員のも影響しているのではないだろうか。
大事なことは、雇用する企業の壁をどのようにして乗り越えるかということである。そのためには組合員に限らず、派遣、請負など他社従業員であっても事業所、職場で働く以上、就労者を対象とした組合運動という視点、発想への転換が必要である。すなわち自らの事業所で就労する労働者は、組合員-非組合員、直接雇用-間接雇用にかかわらず、組合の責任と取り組みの対象に入れるべきなのである。組合員であるかどうかにかかわらず、同じ職場で就労する人間である以上、先に触れた能力開発環境の整備を含めた労働条件の確保こそが組合の責務といえる。
この点からみると、いわゆる偽装請負の問題は、組合が取り組むべき問題のひとつにすぎないことがわかる。偽装請負が解消されて、現行の法律通りに請負労働者が就労しているのであれば、組合として取り組むべき課題はないのかというとそんなことはない。

>・・・派遣、請負労働者への現実的対応を妨げている大きな要因のひとつは、労働組合の主体的な意識と取り組みの欠如にあるといえるだろう。同労働者の抱える職場及び仕事上の問題については、できるかぎり参加してもらうシステムを組合はもっと工夫していくべきではないのか。そうした努力なしには、いかに政府、行政レベルの政策制度要求で訴えても、組合の存在意義が認められることはないし、評価も好転しないと思われる。派遣、請負労働者が就労する事業所の組合役員は、この点を十分自覚する必要があると思う。

なんだかほとんど引用しちゃったみたいですが、それだけ思っていること、考えていることがほとんど同じだということなのですね。

ついでに、というとなんだか失礼みたいですが、この西村さんの所属する労働調査協議会が、10月1日に第11回労働調査セミナーというのをやるのですが、

http://www.rochokyo.gr.jp/documents/semi_inv07.html

午後の部で、東洋経済の(あの!)風間直樹さんと不肖わたくしが講演を致します。

知の欺瞞は健在

こういうのを「こんな素朴マルクス主義説教」というようでは、その方がよっぽど・・・。

http://www.diplo.jp/articles07/0708-2.html

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20070903/p1経由)

部分的に、いささかこれは?とか、おっとっと、というところもなきにしもあらずですが、このルーヴァン大学の物理学の先生、概ね正しい。とりわけ、

>ここで述べている意味での社会主義は、資本主義の発展に結びついた諸問題に対するきわめて自然な応答である。つまり、現在もはや社会主義が堂々と議論されることはほとんどないという事実は、現代社会で「教育」や「報道」と呼ばれる独特の教化洗脳システムの効果のほどを物語っている。

>社会主義の問題は、資本主義の危機や、自然の破壊(現実上か想定上かは問わない)、労働者階級の小市民化(現実上か想定上かは問わない)といった問題とは無関係である。自己の生を管理することが人間の基本的な願いである以上、社会主義の問題は生活水準が向上しても消滅することはない。社会主義の問題が提起されるために、(2度の世界大戦のような)破滅的な出来事が起こる必要もない。生物学的な欲求、すなわち生命を存続させるという欲求が充足されればされるほど、自律や自由という人間に固有の欲求の充足が、いっそう強く求められるようになるのである。

>社会主義がもはや、だれの興味も引かないと考えるのは間違いである。今なお左派が支持される分野があるとすれば、公共サービスの擁護や労働者の権利の擁護にほかならない。それこそが、資本所有者の権力に対する今日最大の闘争手段であるからだ。ヨーロッパ建設に暗黙のうちに含まれている政策プログラムは、民主主義的な見かけだけは残しながら、社会保障や普通教育、公的医療からなる「社会民主主義の楽園」の破壊をもたらすに至ったが、これらの制度は社会主義の萌芽的形態であり、現在も人々に大きく支持されているものだ。

といったあたりは、軽々しく読み飛ばす人間の知性の程度を明らかにするものでもあります。

また、左派が

>道徳を訴えることに専念して、反人種差別やフェミニズム、反ファシズムなどの「価値観」を振りかざした。これらの価値観をうたうことで、右派との違いを打ち出せると考えたからだ。

しかし、

>対立の根本は「価値観」の問題、とりわけフェミニズムや反人種差別のように、現代の右派が完全に受け入れる準備ができている問題にはない。

というのも、真剣に、骨の髄から考える必要のある話なんですね。ここでの言い方を使えば「リベサヨ」さんでは道は開けなかったということにつながるわけで。

2007年9月 3日 (月)

新パート指針

先月末、パート指針の改定について答申が行われ、今月中にも新指針が策定されることになるわけですが、

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/08/h0828-2.html

この指針の基本的考え方の中には、こういう一節があります。

>短時間労働者の雇用管理の改善等の措置を講ずるに際して、その雇用する通常の労働者その他の労働者の労働条件を合理的理由なく一方的に不利益に変更することは法的に許されないこと、また、所定労働時間が通常の労働者と同一の有期契約労働者については、法の定める短時間労働者とはならないが、法の趣旨が考慮されるべきであることに留意すること

前半部はパートじゃない方の労働者の話ですし、後者はいわゆるフルタイムパート、つまりパート法でいうパートじゃないけど世間でパートといわれている非正規労働者のことですね。

こういうのが入るのには使用者側はもちろん若干抵抗したのですが、実は国会の附帯決議で、

>いわゆるフルタイムパート(所定労働時間が通常の労働者と同じである有期契約労働者)についても本法の趣旨が考慮されるべきであることを広く周知し、都道府県労働局において、相談に対して適切に対応すること

>我が国における短時間労働者の多くは、労働時間が短いことに加え、有期労働契約による問題が多い実態を踏まえ、有期契約労働者と通常の労働者との均等・均衡待遇の確保を進めるため、有期契約労働者に関わる問題を引き続き検討すること

>正社員の労働条件について、本法を契機として合理的理由のない一方的な不利益変更を行うことは法的に許されないことを周知するとともに、事業主に対して適切に指導を行うこと

というのがつけられていたので、やむを得ないということになったのですね。

これは、実態を考えると、こういうのをつけたくなる気持ちはよく分からないではないのですが、逆に一体パート法って誰のための何のための法律?という疑問が湧いてくるのも否定できません。

実際、労政審機会均等分科会において、佐藤委員はこういう発言をしています。6月28日の議事録ですが、

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/06/txt/s0628-1.txt

>○佐藤委員
 今日お答えいただかなくてもよいのですが、指針の解釈になるかもしれませんので少しご検討いただきたいことの一つは、パート労働法はパート労働者と通常の労働者の処遇の均等・均衡なのですが、この通常労働者というのは誰なのか。一応解釈通達か何かに正規型の労働者と書かれていますが、では、正規型の労働者はまた誰なのか。無期契約かというと短時間の無期契約の人もいるのです。パート労働者は短時間ですからわかります。しかし、フルタイムとは何なのか。フルタイムだと、有期のフルタイム労働者がいるわけです。ですから、通常労働者というのが誰なのかということ、つまりパート労働法ができたときは、正規型の労働者で多分よかったと思うのですが。いわゆる正社員、正社員が何かというのは法律上どこにも書いていないのですが、正社員も非常に多様化しているのです。この前ある会社が相談に来たのですが、その会社は、正社員、これは当然無期契約なのですが、時間で見ると週40時間の人もいれば、35時間、30時間、20時間の人も全部正社員なのです。本当にテンポラリー(temporary)な小売業ですから。しかし、圧倒的に通常の会社が有期にしているのを無期契約でやっている会社なのです。
そうすると、「うちは何をすればよいのか」と。つまり、「みんな正社員だ」と。そうするとパート労働法を適用する人は、ほとんどがテンポラリーな人で「うちは関係ないのですか」という相談を受けたのです。つまり、通常の労働者は何かということをきちんと言わないと、企業は事実上処遇の均等・均衡をやれない時代になってきたということで、それを少しご検討いただきたいというのが、一つです。
 2番目は、フルタイムパート。附帯決議でも「いわゆる」と書いてあるからいいのですけれども、大事なのはパートという名前を付ければ、つまりフルタイムパートという言葉が、いろいろなところで使われるのがよいのかどうかということです。基本的にパート労働者は短時間の人だということです。それをよくわかりませんがフルタイムパートと言って、フルタイムだけどパート労働者だというのはやはり良くないだろう。つまり、パート労働者は短時間であるということを定着させていくということが大事だと思っています。そういう意味では、まさか公共職業安定所などでフルタイムパートという求人ができることはないだろうなと。基本的には労働時間がどうなのか、雇用契約がどうなのかということです。フルタイムパートなどという言葉が、いろいろな政策文書の中に、基本的にはフルタイムパートという言葉を特に求人などに使ってほしくないと思っています。パート労働者は短時間の人ですというように事業主が求人していただき、求人にエントリーする人にパートという字が「これは短時間なのですね」とわかるようにしていくということは、結構大事ではないか。フルタイムでパートなどという言語矛盾のものは使われないようにしていくことがとても大事かと思いますので、よろしくお願いしたいと思います。

この点については、私も拙著の中でこういうことを書いたことがあります。

>そもそも、ILO条約にせよ、EU指令にせよ、「通常の労働者」などという概念は存在せず、比較可能なフルタイム労働者とパートタイム労働者との均等待遇を要求しているに過ぎない。日本ではパートタイム労働者という概念の中に、有期契約労働者や時間給労働者等といったさまざまな非正規労働者の問題を盛り込ませて議論をしてきた経緯があり、パートタイム労働者の均等待遇問題がいわば全ての非正社員を正社員並みに処遇することと意味するかのように扱われてきたが、この先事態を進展させるためには縺れた糸を一旦解きほぐし、他の条件が等しい所定労働時間の長い労働者と短い労働者の間での均等待遇というところに一旦着地させる必要があるように思われる。
 もともと、1970年1月に出された婦人少年局長通達では、「現状では、パートタイム雇用についての概念の混乱が、近代的パートタイム雇用の確立の上で問題となっているので、パートタイム雇用は、身分的な区分ではなく、短時間就労という一つの雇用形態であり、パートタイマーは労働時間以外の点においては、フルタイムの労働者と何ら異なるものではないということを広く周知徹底する」(1970年婦発第5号)と、政策の方向を明確にしていた。この頃までは労働行政も外部労働市場に力点を置いた法政策をとっていたのである。その後の内部労働市場重視の法政策が、正社員の雇用確保に重点を傾けていく一方で、非正社員のさまざまな問題をパートタイム労働者に一切合切放り込み、微温的な態度をとってきたに過ぎない。そういう「概念の混乱」の上に均衡処遇や均等待遇を議論してきたことの無理が露呈してきたのだとも言える。
 しかしながら、ようやく有期労働契約の問題は有期労働契約の問題として一個の法政策として議論されるようになり、またさまざまな労働契約をめぐる問題が法政策の課題として取り上げられるようになってきた。パートタイム労働問題は純粋のパートタイム労働問題に戻ることができる状態になりつつある。将来的には、正社員と呼ばれる労働者層の雇用管理の多様化の中で、その一類型としてのパートタイム労働が確立していくという方向が展望されよう。(『労働法政策』p310~311)

そうは言っても・・・、ということは分かった上で、やっぱりそういうことを言った方がいいと、私は思うのですね。

八代調査会第2次報告の骨子案

内閣府HPに、8月31日に実施された労働市場専門調査会の配付資料として、第2次報告の骨子案が載っています。これをみると、在宅勤務と外国人労働が2つの柱になるようですね。

http://www.keizai-shimon.go.jp/special/work/12/agenda.html

いやはやしかし、テレワークが柱ですか・・・、という感じですが、どうもその意図するところは、

>ワークライフバランス実現を図る手段としての雇用者の在宅勤務の重要性

>より自由度の高い働き方を可能にするために法制上の工夫が必要

をいをい、ホワイトカラーエグゼンプションで失敗した、労働時間規制の緩和がワークライフバランスに資するという、あの夢をもう一度ですかあ?という感じですな。

八代先生は、ホワエグについては学習能力が高く、給与制度の問題だとさっさと見切りをつけられたのですが、テレワークというみみっちいところにはやっぱり固執されておられるようで。いや、もちろん、テレワークは雇用と非雇用を跨ぎ、その峻別を曖昧にする性格があるので、今後の課題としては大きなものがあるのは確かなんですが、これはむしろ労働法の適用対象論、労働者性とか、請負との関係とか、もっと大きな枠組みの中で論じるべき問題なので、労働時間規制の緩和という問題意識からばっかりアプローチしない方がいいと、私は思います。

それより、もう一つの柱の外国人です。やっぱりコレで来ましたな、さすが八代先生、おぬしできるな、というところです。

ここでもっとも話題を呼びそうなのが、

>研修・技能実習の区分見直し—研修生にも労働法適用

というところです。

ううむ、そう来ましたか。

現行の労働者じゃない研修生を維持するという経産省案、研修生をやめて労働者である実習生に一本化する厚労省案の間に、研修生に労働法を適用するという案を放り込むというのは、政治的センスとしてはかなり優れていると思います。

長勢前法相私案が、鳩山新法相によって否定されてしまった現在、今後の政策選択は、これらの間で行われることになるでしょうから、位置取りとしてはいいですね。

技能実習制度における研修生以外の研修生にも労働法を適用するということなのか、とか、興味深い論点は山のようにありますが、まずは議事録の公開を待ちましょう。

障害者雇用のための3研究会報告

ちょっと前の話になってしまいますが、8月7日に、障害者雇用促進のための3つの研究会の報告が一斉に公表されています。

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/08/h0807-3.html

以下、簡単に心覚え。

これらは、「多様な雇用形態等に対応する障害者雇用率制度の在り方に関する研究会」(有識者11名、座長:岩村正彦)、「中小企業における障害者の雇用の促進に関する研究会」(有識者12名、座長:今野浩一郎)、「福祉、教育等との連携による障害者の就労支援の推進に関する研究会」(有識者19名、座長:松矢勝宏)の3つです。

(1) 短時間労働と派遣労働による障害者雇用

 第1の報告書は、まず、短時間労働は障害者の就業形態の選択肢の一つとして有効な面があり、福祉的就労から一般雇用へ移行していくための、段階的な就業形態としても、有効との観点から、障害者雇用率制度において、週所定労働時間が20時間以上30時間未満の短時間労働についても、雇用義務の対象としていくこと、具体的には、雇用義務の基礎となる労働者数及び雇用している障害者数の算定において、短時間労働者も加えることを提起しています。そのさい、0.5カウントとして算定することが適当としています。
 また派遣労働についても、福祉的就労から一般雇用への移行等に関して、そのチャンネルの一つとして機能することが期待されるとして、実際に働く場所となる派遣先が、障害者である派遣労働者の受入を前向きに考えることが不可欠であることと、派遣元事業主に障害者の雇用義務があることを前提であることから、1人の障害者である派遣労働者について、派遣元事業主及び派遣先においてそれぞれ0.5人分ずつと算定することを提起しています。
 なお、特に紹介予定派遣について、職場定着に相当の時間や配慮が必要な知的障害者や精神障害者の場合であっても、活用の可能性があるとして、まずこれを活用した障害者雇用促進のモデルを確立していくべきとしています。

(2) 中小企業における障害者雇用

 第2の報告書は、まず、中小企業において障害者の雇用機会を拡大していくためには、職務の分析・再整理を通じて仕事を切り出す(生み出す)ことが重要であるが、中小企業においては、個々の企業では障害者雇用を進めるのに十分な仕事量を確保することが困難な場合もあるとして、事業協同組合等を活用して、複数の中小企業が共同して障害者の雇用機会を確保するような仕組みについて、今後検討を進めていくことが必要と述べています。
 また、障害者雇用納付金制度においては、300人以下の規模の中小企業は障害者雇用納付金の徴収対象となっていないため、障害者雇用調整金が支給されず、障害者を4%又は6人のいずれかを超えて雇用している場合に支給される報奨金を受けている中小企業はごくわずかという状況を問題視し、、法定雇用率を超えて障害者を雇用している中小企業と法定雇用率を達成していない中小企業との間の経済的負担の不均衡を調整していくためにも、300人以下の規模の中小企業についても、障害者雇用納付金制度の適用対象、すなわち、障害者雇用納付金を徴収し、障害者雇用調整金を支給する対象とすることを提起しています。

(3) 福祉・教育との連携

 第3の報告書は、ハローワーク、地域障害者職業センター、障害者就業・生活支援センター、障害者雇用支援センター、就労移行支援事業者、特別支援学校といった地域における就労支援機関が、個々の障害者のニーズに対応した長期的な就労支援のネットワークを構築すべきとし、特にハローワークをネットワークの中核的機関と位置づけ、ハローワークが中心となり地域の支援機関と連携して個別支援を行う「チーム支援」をハローワークの業務として明確に位置づけるとしています。
 また、就労支援を担う人材を分野横断的に育成・確保していくべきとしています。

今後、「厚生労働省としては、これらの報告書を踏まえ、平成20年度概算要求に反映させるとともに、障害者雇用促進法の改正に向け、労働政策審議会障害者雇用分科会において検討していく予定」とのことです。

新しい労働ルールのグランドデザイン策定に向けて

10月5日(金曜)に、連合総研主催の標記のようなワークショップが開かれます。

http://www.rengo-soken.or.jp/houkoku/simpo/20071005initiative2008/1005workshop.html

>労働を取り巻く状況が大きく変化している今こそ、労働に係るルールについての新たなグランドデザイン(全体構想)が求められているのではないでしょうか。
 連合総研は、本年4月に「イニシアチヴ2008―新しい労働ルールの策定に向けて」研究委員会(主査:水町勇一郎・東京大学社会科学研究所准教授)を発足させました。そして、労働法制についての歴史研究や最先端の理論研究を踏まえながら、「労使関係法制」「労働契約法制」「労働時間法制」「雇用差別禁止法制」「労働市場法制」を柱とする新しい労働ルールのグランドデザインの提起に向けて検討を重ねています。
 このワークショップでは、研究委員会におけるこれまでの検討結果を中間報告するとともに、実務家・研究者の皆様との意見交換を通じて、新しい労働ルールのあり方について一緒に考えたいと思います。ふるってご参加いただきますようお願い申し上げます。

ということで、水町先生が基調報告、経済学の神林龍先生と不肖わたくしがコメントを致します。

多分、とても面白いことになると思いますよ。

チラシはこちら。

http://www.rengo-soken.or.jp/houkoku/simpo/20071005initiative2008/leaflet.pdf

ここに研究委員会のメンバーが載っていますが、私を除いて、いずれも折り目正しく且つ若々しい労働法、労働経済学のホープたちです。

労務屋さんこと荻野勝彦さんもアドバイザーとして参加されています。

コーポレートガバナンスを考える(上)

『時の法令』連載の「そのみちのコラム」、今回は2回に分けてコーポレートガバナンスを考えてみました。その1回目。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/corpgov1.html

2007年9月 1日 (土)

日本学術会議立法学シンポジウム

本日、乃木坂で標記シンポジウムに出席し、下記のような報告をしてきました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/rippougaku.html

最後のところで。おおや先生のコメントに対し、若干の反応をしております。

シンポ終了後、こういうことでもなければ言葉を交わす機会がないであろう法哲学関係等の方々とコミュニケートする機会があったことも、有り難いことです。

(追記)

おおや先生のところで、上のコメントと反応について書かれております。ご参考までに。

http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000460.html#more

ちなみに、「報告者の中に大変に喋りたがりサービス精神旺盛な方々が多数お見えになった」というのは、私のことではないはずだと・・・。

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