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2007年8月 9日 (木)

野村正實大著について

6日に紹介した野村正實氏の『日本的雇用慣行』ですが、正確にはその第一編というべきものです。というのは、本書は会社身分制を中核概念として20世紀の日本の会社の経営秩序の在り方を分析したものなのですが、非正規雇用には触れられていないからです。

その理由は、あとがきにあるとおり、「正規従業員のみを取り上げただけで、本書は450ページとなり、300ページ前後が標準的となっている今日の研究書出版事情においては大部となっている。もし本書において非正規雇用を論じるならば、論じなければならない論点が多いため、本書の分量は単行本の限度を超えてしまう。非正規雇用については、本書とは別の著作で論じるべきである、と判断した」ということです。

それは分かるのですが(実際、じっくり読んでたら昨日までかかった)、さはさりながら非正規雇用が抜けていると、正規雇用の話自体が片手落ちになってしまうんですね。戦前や戦後も高度成長が始まった時期までは、ブルーカラーの本工と臨時工というのは相補的存在であったわけですし、高度成長期以降の女性労働を論じようとすると、パートを抜きには語れないですし、今日フリーターを抜きに「学校から実社会へ」の移行を論じられないわけで、「全体像構築の試み」になりきれないのです。

まあしかしこれは別に批判ではありません。特に、ホワイトカラーの雇用管理については、近年菅山真次さんをはじめとして、単発的にはいくつか興味深い研究がされてきてはいますが、こういう形でブルーカラーと対比させて、包括的に描き出した著作は初めてでしょう。私が昨年来追いかけてきたホワイトカラーエグゼンプションまたはむしろホワイトカラーノンエグゼンプションの問題も、こういう大きな枠組みの中に位置づけられることに依って、よりくっきりとその意味が理解されるように思います。ホワエグの問題を論じるあらゆる論者の議論がダメなものであったのは、頭の中にそういう枠組みができてないからなんですね。

女性についても、女性労働論は汗牛充棟とはいいながら、日本の雇用システムの中で的確に位置づけて論じたものってほとんどないんですね。

あと、あんまり中味に関係ないんですが、序章の文章で気になったのは、「会社」と「企業」についてです。野村氏は、

>「会社」と「企業」は実体的には同じものであるが、ニュアンスは異なっている。会社関係者はしばしば「ウチの会社」と言うが、「ウチの企業」とは言わない。「会社」は、そこに従業員が客観的にも主観的にも帰属するものである。それにたいして「企業」は、従業員をそのうちに含んでいるものの、従業員が主観的にもそこに帰属しているというニュアンスはない。日本的雇用慣行は、「会社」と従業員との関係である。本誌では極めて不自然な印象を与える場合を除いて。「会社」という用語を用いる。例えば、「大企業」ではなく「大会社」と標記し、「企業内組合」ではなく「会社内組合」と表現する。

と述べています。これは、日本社会の通常の言語感覚としては全くその通りなんですが、法律用語としては実は逆なんですね。商法上の「会社」とは社員すなわち株主等の出資者だけからなる社団をさし、いかなる意味でも従業員は含まれない。それに対し、「企業」自体は法律用語として用いられることはあまりありませんが、中小企業の定義が従業員300人未満とかいうように、むしろ客観的に従業員を含む概念になっています。この辺、恐らく戦時期の統制立法に企業という言葉がたくさん使われたこともあり、もともとはブルジョワ法的な「会社」概念に対して労資を統合する「企業」概念として使われ始めたはずだと思うのですが、それがいつから逆転して「ウチの会社」というようになったのか、概念史としても」興味深いところだと思います。

まあ、それは余計な話で、いずれにしても、これは労働研究界において久々の大著ですので、是非多くの関係者によって読まれることが望まれます。

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