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西部邁氏の公正賃金論

昨日、西部邁氏の「正論」欄に載った正論を取り上げたついでに、彼がその昔(30年以上もむかし)書いた公正賃金論を引っ張り出してみました。

『経済セミナー』に「労働と社会または労働のソシオエコノミックス」と題して連載して3回目で中断してしまったものの3回目の論文です。冒頭に「賃金は勤労に対する報酬であると同時に、「公正」「貨幣物神」「搾取」あるいは「紛争」といった人間関係における争点でもある」というエピグラフ風の言葉が書かれていますが、近年の最低賃金や均等待遇論をめぐる議論を、ケーザイ学だけ視野に入れた状態からすーっと焦点を引いて、ソシオ・エノミックス的に語ると、こういう風になるという意味で、このあたりは読み返してみる値打ちがあります(本人が覚えているかどうかは不明ですが)

>しかし自明のことではあるが、企業は孤立して存在しているのではなく、より広くコミュニティとのつながりを持っている。コミュニティの場から見れば、個々の企業こそが個別の集団なのであって、コミュニティの共同的枠組みから種々の掣肘を受ける立場にある。つまり、個別企業の定める労働条件や賃金は、それらについてコミュニティが持ち合わせている公正基準に照らして律せられるのである。労働市場の動きの中に、貨幣メディアだけでなく、権力や影響力のメディアが介入し、そしてそれらのメディアの働きは、それぞれのコードによって制約される。従って、コードの確保としての公正基準が労働市場に入ってくることになる。

>この点に注目すると、労働市場で決められる賃金(及び労働条件)は、コミュニティにとって公正と考えられる賃金(及び労働条件)水準から大きくは離れられないということが分かる。あるいは、大きく離れた場合には、労働市場それ自体が不公正と見なされて、労働市場の存立が著しく不安定になるだろうと考えられる。公正な賃金は、労働者がコミュニティの成員であることの証である。・・・

初等ケーザイ学教科書嫁イナゴさんたちには、これが何を言っているかすらよく分からないかも知れませんが、現場で賃金を扱っている人々には、(その衒学的な用語法がいささかうっとおしいかもしれませんが)その趣旨はよく理解できると思います。

つまり、これまでの主婦パートや学生アルバイトの賃金がどんなに低くても、それはコミュニティの公正基準と乖離したものではなかったのです。だから均等待遇なんてだれも言わなかったし、最低賃金が低すぎるなんて議論にもならなかった。現在の非正規労働問題が、これまでともっとも異なっているのは、西部氏のタームで言えば、まさに労働市場を制約すべきコミュニティの公正基準なのですね。

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