佐伯啓思氏の正論
柳の下の泥鰌じゃないですが、もう一遍産経新聞の正論をネタにします。今回は佐伯啓思氏。これも、ある意味における正論、というか、正確に言うと話が正論に入る直前で終わってしまっているんですが。
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/070714/srn070714000.htm
話の大部分は、参院選が宙に浮いた年金などという詰まらぬ話で左右されるのは嘆かわしいという悲憤慷慨でありまして、それは全くそうではありますが、だから何か?というだけのことで、まあ「正論」欄にはふさわしくてもそれ自体改めて正論として取り上げるほどのものでもありません。
「憂うべき民主政治」をさんざん憂えた挙げ句に、佐伯氏はついでの如くにこう云います。
>ただ「宙に浮いた年金」ではなく、「年金」への不安が高まっていることは無視できるものではない。この「ムード」の変化は、確かに一昨年の衆院選とは大きく異なるもので、この一年強で何かが変わってしまった。景気は回復し、特に大きな失政はないのに「ムード」が変わったのである。人々の関心は、規制緩和、市場化、自己責任から、年金や格差社会の「不安感」へと変化したのである。
まさにその通り。現政権はそこのところをつかみ損ねている。正確に言えば、再チャレンジ政策を打ち出したことでも分かるように、そういう「ムードの変化」を理解する感性を持ちながらも、それを前面に打ち出せずに小泉・竹中流ネオリベ路線の延長であるかのようなイメージをまとわりつかせてしまっている。
>そして、年金にせよ、医療にせよ、個人主義的な市場原理では解決できる問題ではない。むしろその制度の安心感が市場競争を支えている。「不安」は、市場競争や自己責任を進める結果、それを支えるはずの社会生活の基盤が崩壊するのではないか、というものだ。ここには、自己責任や市場主義による成長優先政策か、社会の共同生活の枠組みの安定か、という対立がある。「年金」不安はそのことを背景としている。
「成長か逆行か」などというスローガンを叫ぶこと自体が、「社会の共同生活の枠組みの安定」を破壊する側だという印象を与えることになってしまうのですよ。初等ケーザイ学教科書嫁厨の一派だという(恐らく本人にとっても不本意な)イメージを振りまくことになってしまうわけです。
本当をいえば、今頃になって格差がどうたらこうたら云いだしている某野党の党首の方が、自己責任や市場主義の大先輩なんですが(グランドキャニオンに柵がないとか得々と書いていましたな)、どのマスコミをそれを指摘すらしないしね。
そこまできちんと書いてこそ正論。佐伯氏は残念ながら正論の一歩手前の保守派にとって心地よい寝言を呟くところで立ち止まってしまっています。
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