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2007年5月 9日 (水)

職員・工員身分差の撤廃に至る交渉過程

日本労働研究雑誌の今月号は、「歴史は二度繰り返す」と題して大変面白い特集を組んでいますが、

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2007/05/index.htm

ここでは特集の中の記事ではなく、投稿論文を取り上げます。南雲智映さんと梅崎修さんの「職員・工員身分差の撤廃に至る交渉過程─「経営協議会」史料(1945~1947年)の分析」という論文ですが、実はほぼ同じものが、慶応大学産業研究所のサイトに載っています。

http://www.sanken.keio.ac.jp/publication/KEO-dp/104/DP104.pdf

これはある会社の経営協議会資料に基づいて、「日本のブルーカラー労働者の〈ホワイトカラー化〉が、いつ、どのように形成されてきたのか」「なぜ工員層は職員たちを同じ〈仲間〉として労働組合に受け入れたのか、言い換えれば、なぜ職員層は工員たちと同じ労働組合に参加しようとしたのであろうか」「また経営層は、なぜ労働組合側の〈身分差撤廃〉要求を結果として受け入れたのであろうか」という問いに答えようとした論文です。

私がホワエグの関係で追っかけてきた賃金制度については、こういう風に描かれています。

>A社では、終戦直後まで工員層は日給で、職員層は月給で給料が支払われていた。賃金体系上の職員と工員の違いは、〈職員・工員の身分差〉として不満の対象となっていた。先述したように1946 年2 月1 日の会社組合懇談会では、「工員ノ採用並ニ賃金決定ニ公平ヲ期スベシ」という工員組合幹部の声があり、工員組合から出された1946 年5 月10 日の要求書には、「昇給、賞与ヲ職員ト同等トスルコト」という意見が出されている。ここで主張される〈公平〉や〈同等〉は、職員と工員を一つの同じ賃金体系の下に位置づける方向へ向かった。

>ただし、職員と工員に同じ賃金体系を導入するには、経営協議会おける議論と調整を要する。まず、1946 年7 月24 日の第三回経営協議会では、「日給賃金ヲ次ノ通ニ改メ日給月給トス」と決まった。日給月給の仕組みは史料2に示される通りである。

>はじめに新日給(現日給×2+50 銭=新日給(A トス))を決め、同時に本給(A×{30+(残-欠)/8-事故無届日数})が設定された。また、本給以外の能率給や各種手当ははじめから月給として計算されている。工員の賃金体系が職員のそれに大きく近づいたといえるであろう24。ただし、支払いは月1回になったが、欠勤すればその分の月給は減少する。その意味では、日給月給は日給と変わりなかったといえる。

>賃金体系における職員・工員の〈差〉が完全になくなるのは、1947 年3月18 日の第十四回経営協議会に〈社員化〉が決定されてからである(史料3参照)。職員と工員が〈社員〉になったので、当然賃金体系も一つに統一され、元工員における日給月給は月給に統一された25。史料3に記された〈社員〉の賃金体系は、基本労働給として(1)基本給(本俸)、(2)能率給、および(3)勤続給があり、そのうち基本給は(イ)年令給と(ロ)能力給に分けられている。また、基本外労働給 として(4)家族給と(5)諸手当がある26。職員・工員の賃金体系統一は、日給月給という段階を経て〈社員化〉と同時に達成された。なお、賃金体系の統一は勤続期間と勤務日数の統一を伴って達成している。職員と工員には、年20 日と4日の休暇、定年は55 才と50 才という違いがあったが27、1946 年5月21 日の経営協議における組合要求に対する解答の中で、「休暇及忌引ノ日数ハ職員ト同一日数トス」と決まり、1946 年12 月23 日の第十二回経営協議会で工員の定年は55 才になった。

ところがこの結果、工員の欠勤が増えてしまったようなのです。

>「〔会社側〕…工職一本に当たってはずいぶん宣伝もしたが統一後ウントやらうと云ふ氣持ちが出るかと思ってゐたが組合側も其の後動きはなかった様に思ふ」(下線部筆者)ここでの発言は、工員を月給にしたことで欠勤が増えたことを問題にしており、〈職員・工員の身分差撤廃〉の一つの目的が労働意欲の向上であったことがわかる。ところが、会社側の「定休を取って仕舞ふと病欠で届出でる(ママ)。現在は定休が多い」という発言から推測すれば、実際の〈結果〉は当初の〈意図〉を離れたものであった。つまり、日給月給では病欠で給料は減るが、月給制では給料は減らないので、病欠で届け出る欠勤が増えたのである。要するに、経営側は、工員層の労働意欲向上を〈意図〉としていたのにかえって逆効果だったと発言している。

>経営側の以下のような発言からも、経営側の〈社員化〉意味と労働組合側の〈民主化〉の意味にズレが生じうる可能性が読み取れるであろう29。
「〔会社側〕組合員と社員との使ひ分けをやってはじめて人間となり得る。工職一本をやった以上月給者としての責任を振起したい 起ち直る(ママ)のは此の点からやらねばならぬ。」

この後ろに史料として経営協議会の決定事項というのがついていますが、それによると、まず導入された日給月給制には「〔職能給〕(4)早出残業及休日出勤手当(詳細略)」「〔諸手当〕(6)夜勤手当(詳細略)(7)当直手当(詳細略)」というのが明示的に示されていますが、職員の給与にはそんなものはありません。それに対し、「〔生活給〕(5)家族手当(詳細略)」は職員給与にも含まれています。

そして、その後で職員工員を社員に統一して導入された月給制には、上のように「基本外労働給 (4)家族給(5)諸手当」というのが入っているのですが、これらの用語が同じものを指しているという前提に立つ限り、この社員月給制は、それまでの職員の月給制に、工員にだけあった「〔諸手当〕(6)夜勤手当(詳細略)(7)当直手当(詳細略)」が付け加えられたものであって、「〔職能給〕(4)早出残業及休日出勤手当(詳細略)」は含まれていなかったと解釈できます。

そうすると、この社員たちに時間外手当が払われるようになったのはいつなのか?という疑問が湧いてきます。

とかまあ、いろいろな意味で面白い論文です。

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