経済産業省の「外国人研修・技能実習制度に関する研究会」とりまとめ
昨日のエントリーの続きというか、経済産業省がやっていた研究会の報告書がアップされているので紹介しておきます。
http://www.meti.go.jp/press/20070514005/gaikokujinkenshu-torimatome.pdf
まあ、役所同士の権限争いがどうとかいうことを別にすれば、基本的にはそれほどおかしなことは言っていません。特に、
>、この際、技能移転という制度趣旨を放棄し、外国人労働者受入に特化した仕組みとして制度を改編すべきとの意見も出されている。 しかし、こうした意見は、必ずしも現実を適切に見据えたものとはいえない。本制度から、「技能移転による国際貢献」という趣旨をとり去ってしまえば、受入企業等による技能教育や生活支援は担保されない。そのような支援が行われないまま長期間就労すれば、日本語の未習熟の問題、生活面での地域との摩擦、未熟練労働者から抜け出せない、などの問題が生じる可能性が大きい。また、労働者受入と受入側が割り切ってしまえば、低賃金労働者として酷使される恐れもあり、むしろ現在の悪用事例を制度的に追認することとなりかねない。
という指摘は、その通りだと思います。外国人労働力へのニーズを途上国労働者の技能向上という政策目的に引っかけることによって実現しようとした技能実習制度の目的そのものは必ずしも悪いものではなかったはずです。しかし、現実にはいろいろと問題が発生したことは事実なわけで、その観点からは、
>現在の制度の運用実態に鑑み、研修期間中の研修生の保護を強化することも課題となっている。これに関して、当初から研修生を労働者と考え(すなわち、当初から実習と位置づける)、労働法の適用により研修生を保護すべきとの考え方もある。現在、研修生に対して労働法規が明示的に適用されていないことが、研修生の酷使など趣旨に合致しない運用につながっているとの指摘もあり、一定の合理性がある。すなわち、罰則を伴う労働基準法、最低賃金法、労働安全衛生法等の適用対象となるとともに、明示的に労働基準監督署の指導対象とされることで、悪質な運用に対する抑止効果が期待できる。 他方で、このような取扱により、「研修生は労働者である」という認識が行き過ぎる場合には、技能移転による国際貢献という趣旨が弱まり、体系的な技能教育の実施や、宿舎の確保、生活指導、日本語教育等の支援を企業負担で実施する意欲の減退につながる恐れもないわけではない。 この点については、本研究会でも双方の議論があったところであるが、研究会の結論としては、現行の一年間の研修を継続し、その間の受入機関による「体系的な技能教育」、「日本語教育」、「生活支援」等の法令上の明確な義務づけ、研修生による申告・相談の仕組みの整備、罰則の強化等により、研修生の保護を図り、研修の内容を充実させるという考え方を採用した。なお、この場合、実質的に低賃金労働として酷使されていると判断されるような悪質な場合には、研修生であっても、積極的に労働基準監督署が指導・保護等を実施していくことも求められよう。(現行制度の下でも、研修生であっても、労働基準監督署が実態に応じて指導・保護等を行うことは可能である。)
というのはいささかどうかなという気がします。「研修生であっても、労働基準監督署が実態に応じて指導・保護等を行うことは可能」ということの趣旨がイマイチ不明ですが、もし、労働基準監督署は契約の文言ではなく就労の実態によって労働者性を判断しているのだから、研修生という名目であっても実質が労働者だとして摘発することができるはずだという趣旨でいっているのであれば、それは制度設計の議論としておかしなものだと思いますね。
初めから実態は労働者だとして摘発される可能性があるよという前提で、研修生は労働者に非ずという制度を作るのはおかしいんじゃないかということです。
「研修生は労働者である」という認識が行き過ぎる場合には・・・云々というのはもっとおかしい。それでは、今でも実習生は労働者と位置づけられているのですから、そのために体系的な技能教育が弱まっているんでしょうかね。というか、重要なのは、労働者としての保護をきちんと図りつつ、技能養成の要件をしっかりと守らせることだと思いますよ。
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研修生の幸福を建前として使うのならば、今後の来日希望者をも含めて考えるべきだと思います。
政治的に考える場合には子孫のことも充分考慮に入れるべきだということと同じことです。
そうなると話は難しくなります。
しかし、他国民の人権配慮から労働法を守らせることが他国民の労働機会を奪うのなら意味の無い法制度と成ってしまうでしょう。
国内に於いても高齢で最賃以下でも働きたい人の雇用機会を奪い 所得なし故に消費が出来ないという 悪循環型不景気に遭遇しているのだと思います。
一方 支払う側の中小零細企業の現実は経営者自信の生活苦で四苦八苦しているのが現実です。
私たちの業界はもう20年近くこんな状況続きです。
私の工場も 研修制度当初から労働法に沿った管理をしていたのならこのような状況には陥っていません。
研修制度による工賃の低下が今日の状況を作り出してしまったのです。
この不況はアメリカ発だけではなく 格差拡大による低所得者層の増加に加担する労働法にも一原因があるのではないでしょうか?
現在の法率では人個人の奴隷化は法で禁止されていますが 法人の奴隷化は禁止されていないように又は制約が甘いように思えます。
その点に目を付けた権力ある企業等々の団体が企業の奴隷化で甘い汁を吸っているのが現実だと思います。
政治家天下り大企業がこぞって零細中小企業の利益を奪い尽くしながら 労働法を唱えることで自己の偽善を見抜かれないように演じています。
吸い取れる者が枯渇し、20年前から今後また20年以上続くだろう不況に遭遇しているのではないでしょうか?
多数決型民主主義では 子孫を考えない政治的行為となり 政治とは言いがたく 現存人類が将来人類の利益を奪う結果となってしまいます。
これは研修制度に関しても共通しなければ 一貫性の無い政治に成ってしまいますが、 今日の政治には全く一貫性は無く とても信頼できるものではありません。
投稿: 縫製工場 | 2009年2月21日 (土) 00時42分