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2007年5月 2日 (水)

野村正實大著の一部公開

野村正實先生のHPに、『日本的雇用慣行-全体像構築の試み』の初校が終わったという記事があり、その第4章「老婆心の賃金」の全文がアップされています。

http://www.econ.tohoku.ac.jp/~nomura/periphery.htm#070501

今までもちらりちらりと読ませていただいていたのですが、こうしてどんと出されると今さらながら凄いと思います。ミネルヴァ書房から7月には出るようです。

本書の意義については、こう語っています。

>日本的雇用慣行を終身雇用と年功制として理解することは、一面的である。そこで念頭に置かれているのは男性正規従業員のみである。言うまでもなく、会社には女性従業員がいる。女性従業員を含めて日本的雇用慣行を理解するならば、日本的雇用慣行は、1985年の男女雇用機会均等法以前においては、大卒女性を採用しないことであった。日本的雇用慣行は、短大卒女性を高卒女性と同じ待遇で短期間雇用することであった。

>これまで、日本的雇用慣行を論じる論者は、はっきりと対象を限定をしないまま、実際には製造業(manufacturing)の男性(male)生産労働者(manual worker)のみを論じてきた。いわゆる3Mである。そうした対象設定をする限り、日本的雇用慣行の本質は見えてこない。それが私の立場である。雇用慣行は経営秩序であり、男性と女性、職員と工員、大卒者と短大卒者・高卒者・中卒者というすべての従業員がそこに組み込まれている。そうした経営秩序を問うことこそが日本的雇用慣行論の課題でなければならない。これまでに日本的雇用慣行の全体像を分析した研究がなく、本書が全体像構築のはじめての試みとなる、というのは、この意味においてである。

私からすると、たとえばPDFファイルの初めの方に出てくるこういう記述が、まさにここ数年私が追いかけていた時間外手当とエグゼンプションの議論の起源と響き合っていて、興味深いものです。

http://www.econ.tohoku.ac.jp/~nomura/Chap4.pdf

>戦前には、「賃金」と「俸給」はまったく別の世界に属していた。そのため両者を包括する言葉はなかった。戦前においては、「報酬」という言葉は、多くの場合、会社の取締役(重役)に支払われるものを指していた。 戦前の会社身分制のもとにおいて、「社員」の給与は完全な月給制であった。月額が決まっており、欠勤しても、長引かない限り給与が差し引かれることはなかった。また逆に、一応の勤務時間は決まっていたものの、遅くまで働いても、今日の意味での時間外手当は支給されなかった。住友合資の「居残料」のように、「規定時間外勤務料ハ早出及居残共ニ一回ニ付五拾銭ヲ給与ス」(宮田[1927]94)と、実際におこなわれた時間外労働の時間とは関係ない形で若干の給付がなされた。 職工の賃金は、「日給」であった。日給については後にくわしく検討する。月給制と違って、職工には今日の意味での時間外手当が支給された。 戦時経済が本格化する中で、新しい勤労観として皇国勤労観が登場した。皇国勤労観は、勤労は皇国に対する皇国民の責任たると共に栄誉たるべき事である、と謳った。そこで、職工(工員)も職員も同じ「勤労者」ということで、大日本産業報国会(産報)関係者から、工員にも月給を支給する工員月給制度の実施が主張された。 しかし工員月給制にたいして大会社から強い反発があった。大会社を中心とした日本経済連盟会時局対策調査委員会産業能率増進委員会第二部会は、(1)月給制度では能率刺激ができない、(2)工員月給制度は、管理者が一人で広く従業員全部を知ることのできる小規模工場に限定される、とその反対理由を述べた(廣崎[1943]320-21)。結局、工員月給制は実際にはほとんどまったく普及しなかった。工員月給制を熱心に提唱した論者が、「工員月給制度実施工場の発見に努め相当長い期間を費やしたのであるが、今やうやく次の如き数工場の存することを知った」(廣崎[1943]19)という程度であった。 1942年2月24日に公布された重要事業場労務管理令は、「工員」と「職員」を包括する概念として「従業者」という言葉を用いた。「工員」と「職員」は別の世界に属しているという戦前の常識からすれば、両者が包括された「従業者」という法的概念は、たしかに大きな変化であった。しかしこの重要事業場労務管理令においても、「賃金及給料」(第11条)とか「賃金、給料」(第13条)のように、「賃金」と「給料」は別のものであり、両者を包括する概念はなかった。そして、「賃金」と「給料」を包括する概念がないということは、必然的に、「従業者」という概念を無意味化するものであった。事実、重要事業場労務管理令施行規則は、「賃金規則ニハ労務者ノ賃金ニ関シ左ノ事項ヲ記載スベシ」(第5条)、「給料規則ニハ職員ノ給料ニ関シ左ノ事項ヲ記載スベシ」(第6条)と、「労務者」と「職員」を区分している。それほどまでに、「賃金」と「俸給」は異なる世界に属していた。 敗戦後、「賃金」と「俸給」は一元化された。敗戦とともに、すさまじいインフレと食糧危機に見舞われた。ホワイトカラーであろうとブルーカラーであろうと、とにもかくにも生理的に生存することが最優先課題であり、もはや「賃金」と「俸給」の区分は無意味となった、と考えれれるようになった。さらに、敗戦後しばらくして、それぞれの会社単位あるいは工場単位に従業員組合あるいは労働組合と名乗る組合が結成された。こうした組合は、賃金と俸給の一元化を要求した。電気産業の会社ごとの組合が集まった日本電気産業労働組合協議会(電産協)が勝ち取ったいわゆる「電産型賃金体系」(1946年10月)も、賃金と俸給を一元化したものであり、それを賃金と呼んだ。こうして敗戦後まもなく、賃金と俸給が一元化し、賃金と呼ばれるようになった。それとともに、賃金、給与、給料、俸給という言葉が、若干のニュアンスの違いは残るものの、同じ意味で使われるようになった。 戦後の経営民主化運動は「身分制の撤廃」を要求した。「賃金」という用語は、差別されていたブルーカラーに適用されるものであっただけに、「賃金」という用語を廃止せよ、ブルーカラーにも「俸給」あるいは「給料」という用語を適用せよ、と要求して当然と思える。もしそうであったならば、戦後には賃金という言葉が消滅し、俸給はあるいは給料という言葉が一般に使われることになったであろう。しかし、そういう要求はなかった。戦後においてなぜ賃金という用語が戦前の「賃金」と「俸給」を含むようになったのか、資料的には確認できない。推測すれば、戦時経済と戦後直後の経済混乱の中でホワイトカラーの俸給水準が低下し、高級職員をのぞいたホワイトカラーが、自分たちの身分がブルーカラーに近づいたと感じたからかもしれない。そして、敗戦直後は左翼の影響力が大きかったため、「階級的労働運動」にふさわしい言葉として賃金という用語を選んだと思われる。 戦前と戦後において賃金という言葉の意味が大きく違うことを考えるならば、賃金という言葉を使うとき、戦前的な賃金概念で使用しているのか、それとも戦後的な賃金概念で使用しているのかをたえず明確にしておかなければならない。本書では、戦前のように俸給と区別された賃金を指す場合は、その旨を明示する。それが明示されていない賃金という言葉は、戦後において戦前的な賃金と俸給が一元化されたものを指すこととする。

1章丸ごと公開しちゃっていいのかな?と他人事ながら気になりますが、逆にこれを読むとほかの章も読みたくなることは間違いありません。

後ろの方に出てくる『給料袋の国際比較』も大変面白く、通念的な議論のいい加減さがよく分かります。

>欧米の賃金は職務給であるが、日本の賃金は属人的である。このイメージは、プジョーによって否定される。たしかにダイムラー・ベンツ、フィアットの基本的な賃金は職務給といってよい。しかしプジョーの基礎的な賃金項目は「賃金個人別化」によって、属人的な性格のものとなっている。

>欧米の賃金は労働への対価であるが、日本の賃金は生活保障給である。このイメージは、フィアットの賃金によって否定される。フィアットでは単位労働賃金率の半分余が「生活費変動補償」である。

>欧米ではブルーカラーとホワイトカラーは別々の賃金制度であるが、日本では両者が同一の賃金制度のもとにある。このイメージは、プジョーによって否定される。プジョーでは、一般のブルーカラーとホワイトカラーは同じ賃金制度の下にある。

>)欧米では賃金項目は数少なく賃金制度はシンプルな形態であるが、日本ではさまざまな種類の手当があり、賃金制度は複雑になっている。このイメージは、プジョーやフィアットによって否定される。たとえばフィアットでは、基本的な賃金項目である時給のほかに、勤務年数による定期増額、生活費変動補償、生産高プレミアム、有給食事休憩、能率報奨金、通常労働割増、超過労働、強化労働割増、湯治休暇、食事補償がある。

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