フリーターが丸山真男をひっぱたきたいのは合理的である
ところで、朝日の『論座』の6月号で、赤木智弘氏がまたまた丸山真男をひっぱたきたいと言っている。
http://opendoors.asahi.com/data/detail/8090.shtml
これは当然なのだ。そして、彼が戦争を待ち望むのも当然なのだ。
実際、今から70年前、中学校以上を出たエリートないし準エリートのホワイトカラー「社員」との差別待遇に怒りを燃やしていた彼の大先輩たるブルーカラー「工員」たちを、天皇の赤子として平等な同じ「従業員」という身分に投げ込んでくれたのは、東大法学部で天皇機関説を説いていた美濃部教授でもなければ、経済学部でマルクスを講じていた大内教授でもなく、国民を戦争に動員するために無理やりに平等化していった軍部だったのだから。もちろん、それを完成させたのは戦後の占領軍とそのもとで猛威を振るった労働組合であったわけだが、戦時体制がなければそれらもなかったわけで。
このへん、戦前は暗かった戦後は明るくなった万歳史観では全然見えないわけで、そういう史観の方々には何が問題なのかもよく分からないのだろう。もちろん、戦争なしにそういう改革ができたのであればその方がよかったのかも知れないが(実際そういう国もないわけではないが)、戦争もなしに戦前の丸山真男たちがそれを易々と受け入れただろうかというのが問題になるわけで。
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原田泰さんの『日本国の原則』も面白いですよ。
投稿: いなば | 2007年5月 2日 (水) 17時53分
本屋さんでパラパラとめくってみましたが、変に良識におもねたような感じで、あんまり面白くはありませんでした。
ちなみにこの方、こういうことを発言していらっしゃるんですねえ。
http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20070423#p1
労務屋さんとはまたちょっと違う感想を持ちましたが。
投稿: hamachan | 2007年5月 7日 (月) 10時38分
原田泰さんについては、『1970年体制の終焉』という本があり、これはいささかなところはあるものの、ある意味で戦後日本社会の転換点を良く見抜いているものと言えます。
私の『労働法政策』で説明したように、1950年代から60年代の労働政策は、基本的に労働市場の流動化論であって、日本的特殊性を前近代的として否定するものでした。欧米のような近代的な労働市場を作るんだという思想で、これを一般化すれば、経済自由化イデオロギーということになるのでしょう。
それに対して、70年代以降の労働政策は、企業特殊的技能形成を中心に据え、雇用維持を重要課題とするものになりましたが、これを一般化すれば、原田氏の言う1970年代体制で、規制によって日本経済停滞の原因を作ったということになるのでしょう。
ただ、分かる方にはいうまでもありませんが、大まかな時代区分の軸としては使える考え方ではありますが、これを不用意に価値判断に使うと、この原田氏の如く、規制緩和しないから万事全てがうまくいかないんやこの莫迦野郎論になってしまいます。それでは、70年代から80年代の日本はとっくに沈没していてしかるべきなんですがね(この辺に対する目配りがちゃんとできているのが、再三引き合いに出しますが八代先生なんですね)。
投稿: hamachan | 2007年5月15日 (火) 17時37分
自分(赤木大先生と同年度生まれの無職休職中)が引っ叩きたいのは中曽根康弘とか阿川弘之とかの”軍隊でもおいしい思いをしてきた”連中なんですがね。
丸山眞男を叩けても全く満足ではない。
”中学校以上を出たエリートないし準エリートのホワイトカラー「社員」”のさらに上がいる訳ですよ。そいつらがそれより下の者たちを戦わせようとしている。
投稿: コメン徒 | 2008年6月 9日 (月) 11時59分
『「神の国」の中心でイデオロギーを叫ぶけだもの』
投稿: フレディ | 2012年11月17日 (土) 11時01分
赤木大先生はブログやtwitterでそのことについても書いてましたが、読んでませんか?左派は上と戦ってるつもりだが、ネトウヨと蔑み下を叩いてるとの分析は正確でした。
それに労働組合が自分達の雇用を守る為に、没落して下の非正規と手を結ばずに上の経団連と手を結んで、新規雇用を抑制したのかだから仕方ないでしょ?ドイツだって、当時にナチスに入れたのは没落していく中間層でした。これは選挙記録に残ってます。当時の労働者はボランティアで肉体労働をするエリート公務員を復讐心で笑い、平等を作ってくれたナチスに感謝しました。どちらかというと、この人よりもそういうのを調べて発言するであろう濱口さんへ、Part3までご確認ください。
池田浩士講演会 戦争をさせない左京1000人委員会
https://www.youtube.com/watch?v=9rObcbUOr1Y
中曽根についてもバリクパパン沖海戦中、乗艦中の輸送船が駆逐艦から攻撃され死傷者を出してる。ただ運で生き残ったに過ぎない。それにその時の仕事だって海運業の現地指揮官のようなもので、凄くきついんだが?
以下、中曽根の回想 粛軍演説と比べて欲しい。これらはWikipediaに出典付きで載ってる程度のことだ。この程度は調べて書こう。
彼ら、戦死した戦友をはじめ、いっしょにいた二千人は、いわば日本社会の前線でいちばん苦労している庶民でした。美辞麗句でなく、彼らの愛国心は混じり気のないほんものと、身をもって感じました。『私の体の中には国家がある』と書いたことがありますが、こうした戦争中の実体験があったからなのです。この庶民の愛国心がその後私に政治家の道を歩ませたのです。 (中曾根康弘『自省録-歴史法廷の被告として-』)
小泉内閣の最大の功績として「アフガニスタン、イラクでの国際貢献を目的とした自衛隊の海外派遣」を挙げる(中曽根も第3次内閣でイラン・イラク戦争での掃海艇派遣を検討していた)。また最大の失政として「憲政の常道に反し、参議院で否決された郵政民営化法案を成立させようと衆議院を解散したこと」(郵政解散)を指摘した。「小泉内閣は、私がやったような政治の本道―たとえば財政とか行革とか、教育―ではなくて、道路と郵政をやっただけだ。どちらかと言えばはじっこのことだ。それを劇場政治として面白くやったんだな。俺に言わせれば印象派の政治だ(笑)」とインタビューに答えている(R25ロングインタビューVol.202)
投稿: YH | 2018年4月30日 (月) 10時17分