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« ある老社会学者のエッセイ | トップページ | ILOの三者構成原則 »

2007年4月11日 (水)

労働政治の構造変化

大原社会問題研究所雑誌の3月号に、五十嵐仁さんの「労働政治の構造変化と労働組合の対応」という文章が載っています。

http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/580/580-05.pdf

この方は、左派系の政治学者で、冒頭部分で久米郁男さんの『労働政治』を批判していますが、最近の動きが反映されていないといった点を別にすれば、いささかイデオロギー的な非難が目につき、「ちょっとね」という感じです。

それはともかく、90年代以降の労働政治の構造変化という論点は、私にとっても大変関心のあるテーマですので、若干のコメントをしたいと思います。

彼が言う構造変化とは、

①90年代中葉以降におけるアメリカからの対日圧力の包括化,

②96年からのネオ・リベラリズム(デュアリズム)政策の本格化と労働政策分野における戦略的政策形成システムの導入,

③労働政策分野における政策形成パターンの分化,

④連合における戦略と行動の変化

なのですが、いずれも突っ込みどころが満載です。

①はこのブログをお読みの皆さんには今さら言うまでもないでしょう。非常にマクロな観点で言えば、アメリカ型の株主資本主義の圧力が日本やヨーロッパにかかってきていることは確かですし、それが政策変化の一つの原動力となっていることは確かですが、この文章で取り上げられている年次改革要望書や日米規制改革イニシアティブに書かれている個々の改革要求をアメリカによる「横からの入力」と解釈するのは、あまりにもナイーブというものです。少なくとも専門家が見れば、どこの国の人間が書いた要求かは見え見えなのですから。

②は、「96年」という数字があまりにも意図的で、「をいをい」です。五十嵐さん曰く、

>このような「横からの入力」の包括化・恒常化に屈する形で,96年から新自由主義的政策が採用され,ネオ・リベラリズム(デュアリズム)もまた本格化してきたことが確認できる。96年1月に発足した橋本政権は10月総選挙後に5大改革を提示し,後にこれは6大改革となった(33)。これが一つの指標であり,同時に,労働分野における規制緩和の促進についても本格的に取り組まれるようになる。

ふーーーん、橋本内閣からネオリベ政策が始まったんですかあ。

その前の村山内閣は社会主義的だったんですかあ。

与党(自民・社会・さきがけ)の組み合わせには何の変わりもないんですけどねえ。

そして、何より五十嵐さん自身がそのすぐ後ろで書いておられるように、

>これらの動きに呼応する形で,95年3月に「規制緩和5か年計画」が発表され(41),12月には「行政改革委員会規制緩和小委員会」の報告が出された。そこで取り上げられたのは,労働者派遣,職業紹介,女子保護規定,裁量労働,有期雇用,持株会社などの問題で,有料職業紹介と派遣事業については「不適切なものを列挙」し,その他は原則自由とする「ネガティブリスト」方式を支持する内容となっていた(42)。

これは社会党首班の村山内閣なんですよ。

さらに言えば、規制緩和政策を大きく政策課題に載せたのは、その前の細川内閣の時ですからね。

こういうあたりを正直に書かないと、あまりにも党派性が浮き彫りになってかえってまずいと思うんですがね。

③についても、「特定の分野の労働政策形成における主要な舞台は大きく変化した。厚生労働省から,内閣府の下に設置された戦略的会議に主導権が移ったのである」「こうして,トップダウンによる政策形成システムが成立した結果,三者構成原則は無視され,特定分野についての労働政策形成の場から労働代表は完全に排除されてしまった」という認識は基本的には間違っていませんが、その原動力が何であったかについての政治学的説明が根本的に欠落しています。

この十年あまりのマスコミの論調を追いかけてみるだけで分かるはずです。特定の省庁の特定の審議会に巣食う業界や利害関係者と官僚たちの密室の談合で政策が決められるのがけしからん、もっと透明な政治過程が必要だ、と、利害関係者よりも理論で割り切る学者先生の議論を有り難がって、それを政治改革だ行政改革だともてはやしてきたのは、短慮なマスコミやそれに乗っかって薄っぺらな(少なくとも当該分野の専門的知見に基づいてではないという意味で)評論を量産してきた政治学者の先生方だったんではないんでせうかねえ、と皮肉の一つや二つ言いたくなるのですが、そういう観点はすっぽり抜け落ちているわけです。

労使が入った三者構成の労働政策審議会が、利害関係者の利害調整に基づくものであるが故に、理論を振り回す学者先生や浮き上がった一部経営者の好き勝手な議論でやってる規制改革会議よりもけしからんのだ、という雰囲気を社会全体に振りまいてきたのは一体誰だったのか、学者業界の中で真剣な反省をしていただく必要があるんではないかと、これは本気で考えておりますよ。

これが④につながります。ここに書いてあるように、連合自身、初期には規制緩和マンセーだったわけです。それが労働分野に及んでくるに従い、態度を変えたという記述はその通りです。しかし、それをなんだか、間違っていた連合が悔い改めて正しい全労連に近づいてきた、みたいな書き方になってるんですねえ。これは、労働問題を巡る社会的対立構造を全く無視したトンデモな議論だと思います。

大変ねじれているんですが、80年代の中曽根改革は日本型雇用システムやその与党である後に連合に流れ込む主流派労組を味方につけて反体制的だった官公労を叩くというやり方をとったわけで、それ故に連合は行革賛成であり、そのコロラリーとして規制緩和賛成だったわけです。この段階では、政治的配置状況からすれば、規制緩和は日本型雇用システムを壊すどころか、むしろそれを強化する立場に立つものと認識されていたのです。

逆にこの頃の反体制的な労働運動、おそらく五十嵐さんと仲のよい人々は、日本型雇用システムを個人の自由や自己決定の権利を抑圧するけしからぬものとして非難していたのです。「社畜」という罵言もありましたな。彼らにとって、「団結」とは労働者みんなが集団の力でなにかを実現することではなく、ごく少数の誓約集団が周りからの圧迫に屈せず、法統を護持することであったようであります。36協定などという集団的規制は個人の権利を害するからけしからん。クビを覚悟で残業を拒否できる自立した労働者がえらいわけです。つまり、大変アイロニカルなんですが、集団主義的な日本型雇用システムに対して、自立した個人の自己決定を主張することが中心でした。これが、90年代になって時代の気分に広がっていくんですね。「個の自立」というのが経営者や政府がもてはやすスローガンになっていきます。自己決定の強調と集団的規制の緩和とは同じことですから、実はこれは規制緩和のロジックを純粋な形で準備していたのと同じです。

ここが日本の90年代のネオリベ化の最大のアイロニーなんです。サヨクが一番ネオリベだったのですよ。ここのところを直視しないいかなる議論も空疎なものでしかありません。五十嵐さんの議論はそれを党派的に正当化しようとしているだけさらに悪質ではありますが。

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コメント

> サヨクが一番ネオリベだったのですよ。
うーん。若者としてはそれがアイロニーという感覚はないんですよ。そういう状態の中を生きて来た訳で…

多分、こういうのって誰かを丸め込もうとかそういう政治的な意図なんでしょうけど、媒体(大原社会問題研究所雑誌)から考えるに、その誰かって私みたいな素人さんじゃない訳で。専門の人同士の化かしあいが日常的って社会科学の世界って面白いなと思います。データの捏造とかでもなければ騙される方がバカ、というのが自然科学では普通のようには思いますので。

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