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2007年4月 5日 (木)

自由法曹団の労働契約法案批判

自由法曹団の「労働契約法案に盛り込まれた就業規則による労働条件変更をどうみるか」という文書が公開されています。

http://www.jlaf.jp/jlaf_file/070330syuugyou.pdf

連合の強い要求を受けて、「使用者は、労働者と合意することなく、就業規則を変更することにより、労働者の不利益に労働契約の内容である労働条件を変更することはできない」という大原則を書いた上で、「ただし、・・・」という規定ぶりになった、例の就業規則不利益変更のところに対して厳しく批判しています。

>しかし、もともと、契約は両当事者の合意によって成立し、その内容である契約条件は両当事者の合意によって定められこれを相手方の同意なく一方的に変更することができない、というのが近代契約法の大原則である。

>これに対して、9条に但し書きを設けつつ、10条において使用者が就業規則の変更によって一方的に労働条件を変更できることを明文化することは、この現行法上当然のことに対する例外を、立法により新たに付加することにほかならない。

>形式上は例外のかたちをとるこの部分こそが事実上大きな意味を持つこととなる。そして、この例外は、最高裁の判例法理に不充分ながら一応沿ったものといえるが、契約原理や労使対等決定原則との関係では説明できない最高裁の判例法理を立法によって押しつけようとするものである。しかも、その判例法理は労働者を必ずしも保護するものではない。

そんなことはわかっているわけです。それを言えば、民法の大原則は、雇用契約はいつでも解約できるのであって、解雇権濫用法理というのは、法理論的にはあくまでも例外に過ぎない。

しかし「形式上は例外の形をとるこの部分こそが事実上大きな意味を持つ」のであって、本来解雇は自由のはずじゃないかなどという規制改革会議の見解が正しいわけではない。自由法曹団の皆様方に対して言うべきことも、論理形式的には規制改革会議の皆様に対して言うべきことと全く変わらない。

形式的には例外であるけれども実質的には原則であるところの労働ルールをどのように評価するかということに尽きる。

どっちの皆様も同じだけれども、こっちではこっちの論理、あっちではあっちの論理というのは、党派の論理であって、知的誠実さとは別のものでしょう。

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コメント

> こっちではこっちの論理、あっちではあっちの論理

よく知らないので、仮定の上で。この方々が「解雇も退職も自由」という考えではなく、「退職は自由だが解雇は自由でない」と考えているなら、そうですね。というよりも、むしろ実質は、定年制みたいな規制をどう考えるか、ということのような気がします

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