ネオリベの日経、リベサヨの毎日
日経病のついでに毎日病にも触れておきましょうか。
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/archive/news/2007/04/20070409ddm005070020000c.html
「社説:職安市場化テスト 首相の指導力も問われる」と、基本的な方向性は日経病の方と同じなんですが、その理屈の付け方がいかにもリベサヨなんですねえ。
>公共職業紹介については、国際労働機関(ILO)88号条約で、国が無料の公共職業安定組織を設置・運用し、職員は公務員とすると定めている。厚労省は、この条約を盾にとって、この10年間、公共職業紹介の民間開放を拒否してきた。
>この10年間とは何か。企業が雇用、債務、設備の三つの過剰を抱えてリストラに取り組まざるを得ない時代だった。正規社員が大幅に削減され、新卒者は就職氷河期に苦しみ、失業率は高い水準で推移した。流動化した就職市場に対応するため、公共職業紹介にも新たな取り組みが要請されていた。
>その時に厚労省は、ILO88号条約をハローワーク職員の雇用を守る保障と解釈し、かたくなに民間開放を拒んだ。それでいてハローワークには、職員が企業を回って職を掘り起こす意欲も能力も乏しかった。
>結果として、リストラに遭った人々や若者は、フリーターやアルバイト、人材派遣や契約社員などの不安定な仕事につかざるを得なくなった。
うーーーむ、求人開拓なんてめんどくさいのは入札しない民間企業は、この手の発想の中では可哀想な非正規労働者を救う白馬の騎士になっちゃうんですねえ。
>ハローワークへの市場化テスト導入に抵抗を続ける厚労省の姿勢は、国民のニーズよりも公務員としての既得権益を優先させるエゴイズムとして、厳しく批判されるべきだ。
この手の発想には、国家権力がすべての悪の源泉であるという新左翼的リベラリズムが顕著に窺えますが、それが国家民営化論とかアナルコ・キャピタリズムとか言ってるうちに、(ご自分の気持ちはともかく)事実上ネオリベ別働隊になっていくというのが、この失われた十数年の思想史的帰結であったわけで、ネオリベむき出しの日経病よりも、こういうリベサヨ的感覚こそが団塊の世代を中心とする反権力感覚にマッチして、政治の底流をなしてきたのではないかと思うわけです。毎日病はそれを非常にくっきりと浮き彫りにしてくれていて、大変わかりやすいですね。
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