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2007年3月

2007年3月30日 (金)

18歳義務教育訓練制の提唱(イギリス)

イギリスの教育技能省が、去る3月22日、「期待を引き上げる-16歳後も教育訓練にとどまる」と題するグリーンペーパーを策定し、議会に提出しました。

http://www.dfes.gov.uk/consultations/conDetails.cfm?consultationId=1474

http://www.dfes.gov.uk/consultations/downloadableDocs/6965-DfES-Raising%20Expectations%20Green%20Paper.pdf

ここで提唱されているのは、2013年から、すべての若者が18歳の誕生日まで、教育訓練を受けられるようにしよう、いわば18歳に達するまでの義務教育訓練制を導入しようとするものです。

この問題意識の背景は、日本でもやや歪んで流行っている「ニート」という言葉がもともとこの世代の学校にも訓練所にも仕事にも行っていない若者たちを指す言葉であったことを想起すれば理解しやすいでしょう。

妙な精神論ばかりがはびこるどこぞの国の教育論に爪の垢を煎じて飲ませたいような政策文書です。もっとも、日本で報じられたニュースはだいぶ歪んだ形になっています。

http://www.japanjournals.com/dailynews/070323/news070323_4.html

> 「ニート」は違法!?――学校にも行かず、仕事もしないティーンエイジャーに法的罰則案
義務教育が終了した16歳以上のティーンエイジャーのうち、18歳になるまで学校も行かず、仕事にも就かないという生活を送る者には、悪質な場合、罰金もしくは禁固刑という法的罰則を設ける案が提示されたことが伝えられた。

>国会に提出された検討議案によると、義務教育終了後、そのまま学校で勉強を続けるか、職業訓練を受けるか、もしくは少なくとも週に一度はフルタイムで働くような仕事に就くことを義務付けるとし、これに違反した場合は学業もしくは職業に従事するよう促す裁判所命令が出され、さらにこの命令にも従わなかった際には罰金、または禁固刑を科せられることもあるという。

>この法案が国会で認められれば、導入は2013年からとなり、このようなティーンエイジャーを受け入れるため、新たに50万件以上もの職業訓練用ポジションが設けられるとされている。

とまあ、こういう反応です。

ちなみに、TUCの反応は、

http://www.tuc.org.uk/skills/tuc-13113-f0.cfm

概ね歓迎、ちゃんと予算をつけろ、と。

CBIの方も、

http://www.cbi.org.uk/ndbs/press.nsf/0363c1f07c6ca12a8025671c00381cc7/15e37460baf4eecd802572a6003a913f?OpenDocument

歓迎していると言うことなので、予算や人員の都合がつけば実施される方向とみていいのでしょう。

アンソーシャル・ヨーロッパ

アン・グレイ(Anne Gray)さんの『アンソーシャル・ヨーロッパ-社会保護とフレクシプロイテーション(Unsocial Europe-Social Protection and Flexiploitation)』(Pluto Press)という本を読んでいるのですが、なかなか興味深いです。

http://www.amazon.co.jp/Unsocial-Europe-Social-Protection-Flexploitation/dp/0745320317

074532031701_ss500_sclzzzzzzz_ 「アンソーシャル・ヨーロッパ」というのは、いうまでもなくかつてドロール時代によく使われた「ソーシャル・ヨーロッパ」をもじった言葉ですね。「ソーシャル」じゃないぞ、ってのを「アンソーシャル」と造語したわけです。

副題の「フレクシプロイテーション」というのも、フレクシビリティ(柔軟性)とエクスプロイテーション(搾取)を結合した造語ですね。近頃「フレクシキュリティ」という造語が流行っているのに対して、柔軟性は労働者を搾取するだけだという批判的な考え方を正面に出しています。

彼女はロンドン・サウスバンク大学の社会学の方で、この分野でいくつか論文を書いているようですが、

http://www.socresonline.org.uk/11/3/gray/gray.html

私の立場からみて興味深いのは、90年代以降のワークフェア路線を全面的に批判しているところです。前職よりも低い賃金の仕事でも受け入れないと失業給付を切るぞと脅されるなんてけしからん、それこそワーキングプアを生み出す元凶ではないか、というわけです。そこでメイク・ワーク・ペイとか言って、低賃金に補助金を出すようなことをしても、それは企業が儲けているだけではないか、それはかつてのスピーナムランドと一緒やないか、という感じの批判です。90年代の欧州社民勢力は、旧来の福祉国家路線ではやっていけないということで、あえてそっちに路線転換してきたわけですが、それはダメだと。

そうはいっても、いつまでも失業給付をだらだらと支給し続けるわけにもいかないだろう、何かしら働いて貰わないと困るじゃないのと、私なんぞは思うわけですが、そういう発想が「アンソーシャル」だと批判されるわけですな。

一方で企業が雇いたくなるように賃金は十分低くないといけない。他方で失業者が就職したくなるように賃金は十分高くないといけない。そこで、在職給付などによってなにがしか上乗せして、どっちも満足しうるようにしようというのがメイク・ワーク・ペイですが、それは19世紀のスピーナムランドと同じで、国民が企業に補助金を出しているようなもので、持続可能ではない、と。

じゃあ、どうすればいいのかというと、企業の利潤を減らせばいいという(某政党みたいな)えらく単純な話になってしまって、現実味が失せてしまうわけですが、上記批判そのものはそれなりに理屈の通っているところがあって、これはこれとして真剣に考えないといけないところでしょう。

かつてこのブログと平家さんの「労働・社会問題」で、この問題について議論したことがあるのをご記憶でしょうか。朝日で稲葉先生の「ブログ解読」にも取り上げられたので、ご記憶の方もいると思います。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_71f5.html

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_30b7.html

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_ad53.html

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_ae8d.html

(追加)

アン・グレイさんの思考は、福祉国家は脱商品化(decommodification)、ワークフェアは再商品化(recommodofication)という二分法なんですね。失業者を無理に働かせようというのは、せっかく商品扱いされずにすむようになった労働者をまたぞろ商品として売り飛ばそうというのか、ということなんですが、この辺はまさに「脱商品化」をどうとらえるべきかという少し前に私が考えていた話とつながってきます。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/gendaihukushikokka.html

私は、脱商品化といっても二種類あるんじゃないか、働かなくてもいいという脱商品化はモラルハザードのもとになるんじゃないか、と考えてみたのですが、グレイさんに言わせれば、この二つを区別するなんて無意味で、働かない権利を認めなければ結局低賃金で低劣な条件で働くことを強制されるのと同じではないか、ということになるんでしょうね。

しかし、ワークフェアにはアメリカ由来のものと同時に、北欧由来の積極的労働市場政策もあるわけで、そっちはどう考えているんだろうか、と疑問が湧きます。グレイさんの答はこういうものです。

北欧諸国ではずっと以前から失業給付が終わろうとしている人に対する仕事の提供ないし仕事の確保という仕組みがあった。それはワークフェアじゃないのかというと、それは前職と同じ賃金が確保されていたからいいんだというのですね。ところが1990年代以降、それより低い失業手当並みの賃金で働くことを強制するようになってきた、これは悪いワークフェアだ、というわけです。ふうむ、そういうものですかね。高い前職の賃金をそれだけの価値のない失業対策仕事にいつまでも払っていたのでは、それこそ二度とそこから抜け出さないでしょう。

いや、グレイさんの縷々述べることにもなるほどというところは結構あります。ワークフェアでむりやり派遣就労に押し込んでも、臨時雇いだからすぐにまた失業手当の列に戻ってくる。そんな劣悪な労働をほったらかしておいて、失業者ばかりをいじめるのか、というわけです。

そして、いろいろ論じた挙げ句に、ベーシック・インカムが出てくるんですね。うーむ。

2007年3月28日 (水)

農業研修の動向と今後の課題

農業研修というと、最近のブログ界隈では若い女性を農家の嫁に引き込むための装置であるかのような評判が立っているようですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_cea1.html

ちゃんとした農業研修もあるのだよということも伝えておかないといけませんね。

http://www.primaff.affrc.go.jp/seika/kankou/primaffreview/13/primaffreview2004-13-4.pdf

上のリンク先については、これだけはてブがついていますが、

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.h-keizai.com/article-2007-02/p078-kokuhaku.html

「従農慰安婦」とまでいわれていますが、こんなのばっかりじゃなくってですね。現実には、

>農外からの新規就農希望者の増加を背景に,近年では営農技術を習得するための農業研修の体制整備が進んでいる。就農希望者は農業研修によって技能向上を図ることはもちろん,研修期間中に農地や住宅などの現場情報を収集することができるなど,農業研修は新規就農の入り口対策として重要な機能を有している

のです。このままでは、女子挺身隊がみんな慰安婦だったことにされちゃったみたいになってしまうので、やや余計なお世話ですが・・・。

なんでこんなものを見つけたのかというと、

>以上みてきたように,近年は若手を対象とした農業研修が整備されている。農業研修では実践性が重視され,栽培・飼養などの農業生産に関する研修の受講割合が高い。さらに,就農に必要な全般的技術の向上には,販売や経営管理の研修が効果的である。このような農業研修を就農につなげていくには,第1 に,岡山県でみられたように,就農希望者を幅広く取り込みながら,段階的な就農を実現させる研修制度が有効である。第2 に,研修と経営の場が一致し,実践的な研修を実施しうる民間部門の役割が重要だといえる。

>しかし,いずれの形態においても研修に伴う費用や労力,リスクの負担は大きい。今後は,これらの負担や受け入れ責任を分担したうえで,公的部門と民間部門が協力した研修体制が必要となろう。たとえば,公的部門が研修施設の建設などのハード面を支援し,民間部門が研修指導のソフト面を受け持つことが挙げられる。

>さらに,研修を実施するうえでの基礎的な条件整備として,研修生の身分保証や契約問題への対応も残されている。

>それは研修生の身分保証や契約問題である。これは,研修費用の負担問題と関連している。労働者としてまだ一人前ではない研修生に対する指導には,受け入れ側の負担が必要である。一方,研修生は労務提供を行っているが貢献は小さい。これらを相殺するような双務契約が成立すれば,研修手当を含めた費用を抑えることが可能となる。しかし,双務契約は公共職業訓練以外では適用されない。したがって現状は,①完全な労働契約として研修生の身分を保証し,受け入れ側が賃金としてコストを負担するか,②労働契約ではないとして本来与えるべき労働者保護が適用されないか,どちらかのケースになる(6)。実際のところ,研修生は事故等が起きた場合の対応に問題を抱えており,トラブルに発展するケースもみられる。したがって,①の方向が望ましいが,受け入れ側の負担は大きくなる。

>そこで,今後は研修プログラムを具備し,指導能力のある民間部門を研修機関と正式に位置づけ,積極的な政策支援を行っていくことが重要だと考える(7)。そのためには,まず指導者自身を養成する仕組みが必要であろう。

>(6)この問題に関しては,濱口桂一郎「『研修生』契約は労働契約に該当するか――ユーロピアノ事件」『ジュリスト』No.1267,2004 年.5.1-15 合併号,204 ~ 206 ページを参照。

という一節があったからなんですが・・・。

厚生労働関連法案では社保庁改革を優先

産経ですが、

http://www.sankei.co.jp/seiji/seisaku/070328/ssk070328004.htm

>自民、公明両党の幹事長、国対委員長らが28日午前、都内で会談し、今国会に提出している厚生労働関係の法案では社会保険庁改革関連法案の成立を優先する方針で一致した。これに伴い、残業代割り増し率の引き上げを盛り込んだ労働基準法改正案など労働関連3法案の審議は後回しとなる。

ということだそうです。

まあ、政治的にはそういうことになるんでしょうね。たまに厚生関係の大きな法案がないから労働の当たり年だと思っていっぱい出しても、人様の年金記録を覗き見した奴をクビにする方が大事なんだなあ、と。

2007年3月27日 (火)

警備業の派遣は違法!?

朝日の記事ですが、

http://www.asahi.com/life/update/0327/004.html

「違法派遣で、フルキャストに事業改善命令 東京労働局」というので、さてどんな悪いことをしたのかと思うと、

>東京労働局は27日、人材派遣大手のフルキャスト(本社・東京都渋谷区)が全国308事業所のうち53事業所で、労働者派遣法で禁じられている建設業務や警備業務に労働者を派遣していたなどとして、事業改善命令を出した。宮城県警が1月、同法違反の疑いで仙台支店などを捜索したことを受け、同労働局が同社に報告を求めたところ、全国で同様の違反が相次いでいることがわかったという。

うーーむ、派遣対象業務の問題ですか。確かに、現行派遣法でもなお建設、警備、一部の医療など派遣禁止業務が残っています。これはそもそも論をするとなぜ悪いのか自体よく分からない話なんですね。だんだん派遣対象業務が広がってきて、この業種だけは派遣してはいけないという理屈がますます立たなくなってきているのです。

しかも、「宮城県警が1月、同法違反の疑いで仙台支店などを捜索した」って、なんで警察がここに出てくるかというと、自分ところの所管業界に手を出しやがってこの野郎ということなんでしょう。これは実は因縁話があって、もともと派遣法を22年前に作るときに、当時の労働省は警備業務を入れるつもりだったのを、警察庁が猛烈に反対して、入れないことになったという経緯があるんですね。

この業界にはいかがわしい派遣が結構あるのは確かではあるんですが、今回の摘発はいかにも警備業界のためのものという印象が強いですねえ。

ねえ八代先生、こういうものこそちゃあんと批判しなくちゃいけませんよ。警察庁の天下り先の確保のために、何の弊害もない警備業の派遣を摘発するのはおかしいじゃないか、って、経済財政諮問会議でぶちあげてみたら如何ですか。

日本年金機構法案

日本年金機構法案

http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/soumu/houritu/dl/166-7b.pdf

附則第8条(職員の採用) 設立委員は、社会保険庁長官を通じ、その職員に対し、機構の職員の労働条件及び機構の職員の採用の基準を提示して、機構の職員の募集を行うものとする。

2 社会保険庁長官は、前項の規定によりその職員に対し、機構の職員の労働条件及び機構の職員の採用の基準が提示されたときは、機構の職員となることに関する社会保険庁の職員の意思を確認し、機構の職員となる意思を表示した者の中から、当該機構の職員の採用の基準に従い、機構の職員となるべき者を選定し、その名簿を作成して設立委員に提出するものとする。

3 前項の名簿に記載された社会保険庁の職員のうち、設立委員から採用する旨の通知を受けた者であってこの法律の施行の際現に社会保険庁の職員であるものは、機構の成立の時において、機構の職員として採用される。

4 第一項の規定により提示する労働条件の内容となるべき事項、同項の規定による提示の方法、第二項の規定による職員の意思の確認の方法その他前三項の規定の実施に関し必要な事項は、厚生労働省令で定める。

5 設立委員は、機構の職員の採否を決定するに当たっては、人事管理に関し高い識見を有し、中立の立場で公正な判断をすることができる学識経験者のうちから厚生労働大臣の承認を受けて選任する者からなる会議の意見を聴くものとする。

6 機構の職員の採用について、設立委員がした行為及び設立委員に対してなされた行為は、それぞれ、機構がした行為及び機構に対してなされた行為とする。

うーむ、デジャビュが・・・。またぞろ労働委員会に山のような不当労働行為事案が押し寄せてくるんじゃないでしょうね。

2007年3月26日 (月)

請負労働の法政策

『電機連合NAVI』という雑誌に「請負労働の法政策」を書きました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/denkiukeoi.html

季刊労働法に載せた『労務サービスの法政策』のごちゃごちゃした資料の部分を全部取り外して本筋のところだけにしたものですが、普通の方にはこちらの方が読みやすいと思います。

私の一番いいたいことは、最後のセンテンスにあるように、

>今日求められているのは、労働者派遣であれ請負であれ、使用者機能が事実上複数化してしまっている状況下で就労している労働者にとって、どのような規制をどのように適用していくことがもっとも彼らのためになるのか、をゼロベースで考えていくことではないかと思われる。

ということなんですね。

派遣労働と企業譲渡

欧州司法裁判所の新しい法務官意見として、企業譲渡指令が派遣労働者にも適用されるというのが掲載されています(英語版がないのでこれはフランス語ですが)。

http://curia.europa.eu/jurisp/cgi-bin/form.pl?lang=en&newform=newform&Submit=Submit&alljur=alljur&jurcdj=jurcdj&jurtpi=jurtpi&jurtfp=jurtfp&alldocrec=alldocrec&docj=docj&docor=docor&docop=docop&docav=docav&docsom=docsom&docinf=docinf&alldocnorec=alldocnorec&docnoj=docnoj&docnoor=docnoor&typeord=ALLTYP&allcommjo=allcommjo&affint=affint&affclose=affclose&numaff=&ddatefs=&mdatefs=&ydatefs=&ddatefe=&mdatefe=&ydatefe=&nomusuel=&domaine=PSOC&mots=&resmax=100

オーストリアから上がってきた事案ですが、派遣会社が経営状況が悪くなって、派遣先から新しい派遣会社を作れと言われて、派遣労働者の3分の1くらいを移して新しい派遣会社を作り、前の派遣会社は解散したんですが、その際最後の給料を払わなかったようです、で、新しい会社に未払の給料を払えと訴えたという事件。

企業譲渡指令はEU指令の中では判例の多い指令なんですが、派遣労働者に適用されるかというのは今までなかったんですね。この法務官意見では、派遣会社の管理職員の一部と派遣労働者の一部が移転していれば本指令が適用されるとしています。

反管理教育の人はこの人に投票しよう

近くの掲示板にはまだポスターが貼られていませんが、こういう人も出馬しているんですねえ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E5%B1%B1%E6%81%92%E4%B8%80

http://www.warewaredan.com/contents/

「反管理教育中高生ネットワーク」から<反教育の革命児>へ、<反学校、反教育、反民主主義、反・反差別、反フェミニズム、反ヒューマニズム、反大衆……>へ、「反共左翼革命結社・日本破壊党」へ、「福岡版だめ連」へ、そして遂に「我々団(九州ファシスト党)」へという素晴らしき思想遍歴。目がくらくらしますな。

その昔大田龍というトロツキズムから辺境最深部に退却していまやユダヤの陰謀を暴き続けておられる方がいらっしゃいましたな。

いずれにせよ、反管理教育の人は是非この人に投票しませうね。

(本エントリーは「EU」にも「労働」にも「法政策」にも関係ないただの「雑記帳」です)

2007年3月25日 (日)

キャノンが派遣請負を直用化

読売の記事に、「キヤノン、派遣・請負から3500人を直接雇用へ」とありました。

http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20070325i101.htm

>キヤノンは2007、08年度の2年間に、国内のグループ19社の製造部門で働く計3500人の派遣社員や請負労働者を、正社員などの直接雇用に切り替える計画を明らかにした。

>2年間にグループの製造部門で新卒採用を含め計5000人を正社員などの直接雇用で採用。このうち、現在、派遣社員や請負労働者として間接雇用している従業員から1000人を中途採用の正社員として、2500人を契約期間3年未満の期間社員として採用する計画だ。

>同グループの製造部門では、従業員の75%にあたる約2万1400人が間接雇用(派遣社員約1万3000人、請負労働者約8400人)。偽装請負の指摘を受けて昨年8月、御手洗冨士夫会長(日本経団連会長)の指示で「外部要員管理適正化委員会」を設け、雇用形態を見直してきた。

この問題はなかなか難しいところがあって、正社員として採用される人はいいのですが、期間社員としてキヤノンに採用される人は、場合によってはより雇用が不安定にあってしまいかねない面もあります。請負会社自体の継続性と両方を見ないといけないのですが、まさに人を送り込むだけの派遣ないしそれとほとんど変わらない偽装請負であれば、なんであれ直用の方がいいだろうといえるかも知れませんが、それなりにきちんと継続的に仕事を請け負ってやっているまともな請負であれば、請負会社の正社員として長期雇用された方が望ましいはずです。請負だから請負先の会社には一切責任がないなどという二分法的な発想が却って自体をおかしくしてしまったようにも思えます。

もとより、キャノンでも実態を踏まえて検討されたはずだと思いますが、マスコミも感情的な請負批判に流されずに、実態に即した報道をしていって貰いたいと思います。この問題につては、先日「労務サービスの法政策」という小論で歴史的観点からいささか思うところにふれてみましたが、このブログでももう少しずつ膨らませてみたいと思っています。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_434b.html

2007年3月24日 (土)

実習か労働か花嫁修業か

成城トランスカレッジ経由で面白い記事を見つけました。

http://www.h-keizai.com/article-2007-02/p078-kokuhaku.html

「農業体験実習生募集」の広告に応募して行ってみたら農家の花嫁募集だったという話ですが、まあいろいろな観点からつっこみどころ満載なのですが、本ブログ的には、

>農業体験実習の1日の報酬としてうたわれていた3000円という金額が、最低賃金法に違反するのではないかという訴えも労基署に起こしたが「貴殿の作業形態はあくまでも実習であり労働とは確認できない」という回答が届き、不服があるなら民事裁判を起こすようにという申し添えがされていた。

というところが、本人は実習のつもりだったのですが、ホスト側は花嫁候補のつもりだったということからすると、実習と言えるのかどうか、農家の嫁にするつもりで労務の提供を受けることは労働に当たらないのだろうか、とかいろいろ考えさせます。

そもそも論的には、実習であれば労働ではないという二分法的な考え方自体がおかしいのではないかとわたしは考えていますが、最低賃金の適用はなくてもいいにせよ、一定の指揮命令関係においていることには違いないのですから、セクハラはセクハラだろうという感じもしますね。

2007年3月23日 (金)

八代先生、分かってるじゃないですか

財務省の財務総合政策研究所でやってる「人口減少、家族・地域社会の変化と就労をめぐる諸問題に関する研究会」の第5回会合の議事要旨というのが掲載されていまして、八代先生の報告要旨が載っているのですが、

http://www.mof.go.jp/jouhou/soken/kenkyu/zk078/zk078_05.htm

その中で、

>ホワイトカラー・エグゼンプションは自分で考えることが仕事である一部の社員に対する定額払いの残業代であり、問題は対象職種と健康管理のための歯止めである。将来の在宅勤務等への適用を考えれば、本来は、年収だけでなく職種でも考えるべき。

分かってるじゃないですか。問題は健康管理のための歯止めなのです。残業代ピンはね法などという莫迦な批判とは戦わなければなりませんが、過労死促進法という批判に対してはそうはならないようにしてあるんだといえるようにしなくてはいけないわけで。

いずれこのままではどうにもならないのですから、参院選後すぐになるのか、それではあまりにも露骨なのでしばらく経ってからになるのか、ホワエグは再度出し直しということになるはずですが、その際には、しっかりと正しい認識を世間に向かって広めていただきたいと思います。

2007年3月22日 (木)

日本経団連の外国人材受入提言

日本経団連のHPに、「外国人材受入問題に関する第二次提言」が掲載されています。

http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2007/017.pdf

中でも注目されるのは、「製造部門等における技能者」の受入を全面に打ち出したところでしょう。

>製造業、建設業、機械組立、造船等における技能者の将来にわたる慢性的な不足を解消すべく、労働需給テストの導入を前提に、日本語能力や技能の要件を満たした外国人材を「技能」の在留資格で受入れる方向で検討すべきである。なお、当面は経済連携協定を含む二国間協定のスキームを活用し、送出し国側の責任を明確にしつつ、質・量双方の管理を徹底しながら受入を実現すべきである。

この「労働需給テスト」というのは、前の方で「、技能分野の外国人材については、いわゆる労働需給テストを導入し、そのニーズを明らかにした上で、量的規制を行なうのも一案である」と書かれていて、欧米のやり方を想定しているようです。具体的には、

>受入企業は、4週間の求人募集を行い、国内労働者で求人が充足できないことを証明する必要がある(イギリス)

>労働需給テストを導入し、外国人労働者受入の必要性が認められた場合に限り、県庁が臨時滞在許可証を発給。県の労働雇用職業訓練局が、職種・地域雇用情勢・30日間の募集の結果等に基づき、外国人労働者受け入れの必要性を審査(フランス)

>公共職業安定所が、4週間、国内労働者またはEU出身者で求人が充足されないか、ドイツ人の労働条件を悪化させるおそれがないか等について審査する(ドイツ)

>労働需給テストにより、募集ポストの職が国内労働市場では充足できないことが証明された後、外国人労働者雇用許可が発給される(台湾)

といったやり方ですね。まさにかつて葬られた雇用許可制に近い発想です。

私は、こういう考え方に基本的に反対ではありません。現実に、製造業の現場でなかなか若い労働力がきてくれないという実態もあるわけです。ただ、問題はやはりどういう待遇にするのかというところでしょう。ここで、最低賃金問題とも絡んでくるわけです。実のところ、貧しい国から来る外国人にとっては、最賃レベルでも有り難いというところがあるでしょうが、それを許してしまうと、本来あるべきよりも低い低賃金構造を残存させてしまうことになるわけで、そこのところをきちんと対応できる仕組みにしておかないとまずいだろうな、と思われるわけです。

2007年3月20日 (火)

このまま「アメリカ型」社会を目指して本当に幸福になれるのか?

川崎二郎前厚生労働大臣の著書『このまま「アメリカ型」社会を目指して本当に幸せになれるのか?』(ダイヤモンド社)が出版されました。

027689670000 副題は「年金を破壊する「競争政策」の罠」です。川崎さんは「競争政策」という言葉を、アメリカ型社会を目指す政策というような意味合いで使っていて、言葉の使い方に若干違和感がないではないですが、内容的には、まさに規制緩和路線でめちゃくちゃになった日本社会を立て直そうという使命感に満ちた本です。ご承知の通り、現在自民党の雇用・生活調査会の会長として、労働ビッグバンに対抗する一方の旗頭ともいうべき立場にある方の著書でもあり、随所に興味深い指摘があります。

http://www.bk1.co.jp/product/2768967

目次は以下の通り。

第1章 「競争政策」でさらに人口が減少する
第2章 「アメリカ化」で本当に経済は成長したのか
第3章 団塊の世代としての私の覚悟
第4章 「一人当たりGDP」を大きくする政策へ
第5章 出生率1・4、人口1億人の日本社会を目指して
第6章 消費税があなたの老後を守る

肝心の論敵のはずの八代尚宏先生は、近頃「カナダ型社会を目指す」んだとか言い出しておられて、なんだか肩すかしみたいですが、まあ、核武装もしていない日本がアメリカ型社会を目指したところで世界が円を有り難がってくれるはずもないのですから、始めからそんなことはあり得ないわけで、アメリカのおまけみたいな国を目指すんだと言ってくれた方がわかりやすいともいえます。

川崎さんは明確にヨーロッパ型の社会を目指すべきだと言い、そのために消費税を上げよと主張しています。いっとき王よりも王党派よろしく、自民党よりも改革改革と叫んでいた民主党が、急に宗旨替えして格差是正とか言いだしていますが、どこまで本気なのか、まあ川崎さんのような自民党の良識派とそれこそ政策競争をして欲しいものです。

クリームじゃなきゃ舐めたくないよ!

朝日に「市場化テストに黄信号 求人開拓事業、3地域で落札なし」という興味深い記事が出ています。

http://www.asahi.com/job/news/TKY200703190381.html

>官の仕事を民に開放したら、応募ゼロ――。競争入札で官の効率化を目指す「市場化テスト」第1弾の「求人開拓事業」で、全国3地域で落札企業が決まらず、結局は官が担うことになった。所管の厚生労働省は23日の官民競争入札等監理委員会に報告するが、「応札企業がないというのは想定外」(首席職業指導官室)。新年度予算では民間への委託を前提としているため予算の裏付けはなく、4月の事業開始が危ぶまれている。

ははは、何でもかんでも民にやらせろと言っておいて、いざやらせようとなったら、「甘いクリームじゃなくちゃ舐めたくない」ってわけですか。

キャリア交流プラザと人材銀行はちゃんと落札者が全部決まったようですが、求人開拓の方は5件中2件しか決まらなかったようです。

>05年度から実施しているモデル事業では、国と比べて民間企業が求人開拓実績をあげるのに苦戦している。そのため落札しても費用がかさんで利益が出にくいと判断し、企業側が今回の応札を見送ったとみられる。

確かに、求人開拓ってのは甘くないでしょうなあ。はっきり言って、あんまり売れない商品を買ってくださいといって頼んで歩く商売ですから、上澄みのクリームを舐めるのとは違います。ハローワークってのはさぞかし甘いクリームばっかり舐めてると、規制改革会議あたりからは舐められていたんでしょうが、いざ個別企業が応札するかとなると、そう甘いもんじゃないとわかって二の足を踏んだというところでしょうか。

詳しくは厚生労働省の「市場化テスト(ハローワーク関連)の落札者の決定について」に載っています。

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/03/dl/h0307-1a.pdf

ま、それがわかっただけ結構ではないかといいたいところですが、実はそう単純な話ではないようです。

>入札の実施要項の規定で、2度の入札でも落札企業が決まらない場合は国、つまり各地域のハローワークが事業を担うことになる。

>問題は予算だ。新年度予算では、この事業に必要な経費が民間企業への「委託費」として計上されている。だがハローワークが実施する場合は地元企業OBなどが担う求人開拓推進員への「謝金」となるため、予算の振り替えはできないという。厚労省は「緊急性の高い事業であり、監理委員会と相談のうえ早急に対応を検討したい」(首席職業指導官室)としているものの、4月の事業開始は目前に迫る。

>民間企業の参入を前提に市場化テストを推進してきた監理委員会にとっても想定外の事態で、今後の対象事業選定にも微妙な影響を与えそうだ。

「想定外」ですむんだから、規制緩和屋さんは堪えられないですねえ。役人がこんなことやってたら大変なバッシングでしょうけどねえ。ツケは厚生労働省の担当者に回しておけばいいんだから、こんな素晴らしい商売はないわけです。

こういう事態を引き起こしておきながら、こちらはハローワークの丸ごと民間委託を何が何でもやらせようとしているようです。

http://www5.cao.go.jp/koukyo/ilo/ilo.html

いや、やらせても結構ですけどね。本気でとことんやる気があるのならね。好き嫌いを言って貰っては困るんですよ。たかが求人開拓如きで甘くないから舐めたくない!と泣きわめくような方々に、障害者の就職だの、生活保護受給者の支援だの、どこまでやる覚悟がおありになるのか、是非ホンネの処をお伺いしたいものです。

前にも書きましたが、公務員の人材バンクを請け負ったらしいパソナさんは、ハローワークの上澄みのクリームだけ舐めさせろと言っておられましたな。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_dc26.html

底に沈殿したようなどうしようもない連中は、どうなろうと知ったことではないわけです。見事に首尾一貫してはいます。

2007年3月19日 (月)

桜金造氏の都知事選公約

桜金造氏が都知事選に出馬を表明した、というだけなら別にここで取り上げる必要もないのですが・・・。

http://www.sankei.co.jp/seiji/seikyoku/070316/skk070316004.htm

「都民の生活保護申請はすべて受け付ける」というのが公約のようです。

げげげ、ミーンズテストはしないと、こういうことですかね。誰であろうが、どんなに資産があろうが生活保護を受けられる素晴らしき東京都・・・。まさか、ベーシック・インカムの壮大な実験場にしようと秘かにお考えなのかと勘ぐってしまいますがな。

労働法グリーンペーパーに対するビジネスヨーロッパの返答

昨年11月に欧州委員会が開始した労働法の現代化に関するグリーンペーパーによる協議に対して、使用者側のビジネスヨーロッパ(旧UNICEです)が返答文書を15日に発表しました。

http://212.3.246.117/docs/1/MNLCCHCBJOBEEPDJNDPIHHMBPDB39DB1T19LI71KM/UNICE/docs/DLS/2007-00575-EN.pdf

EUレベルで「労働者」の定義をしようなんて冗談じゃない、とかなり強い反発を示しています。欧州委員会は雇用形態のフレクシビリティを低く表しているようだが、これはフレクシキュリティのアプローチに反するぞ、とか、自営業の重要性がわかっとらんのじゃないか、とか、個別解雇を規制しようとするんじゃなくて教育訓練に頼るべきだ、とか。まあ、代替予想されたような反応です。

実際、欧州委員会自身がその首脳部はデンマーク型フレクシキュリティに傾いてきているわけで、今後どう捌いていくのか興味深いところです。

2007年3月16日 (金)

成長力底上げは三者構成で

成長力底上げ戦略推進円卓会議のメンバーが決まりましたが、

http://www.kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/rireki/2007/03/14_p.html

http://www.jil.go.jp/kokunai/mm/siryo/20070316.htm

なんと、ちゃんと三者構成になっています。まあ厳密に公労使同数というわけではありませんが、経営側が経団連、日商、中央会の3団体に経済財政諮問会議の良心こと丹羽宇一郎氏の4人、労働側が高木連合会長に加えJAMとサービス流通で3人、NGOが1人、学者が3人という構成になっています。実にバランスがとれています。議長は樋口先生。

別に、厚生労働省の省益をどうこう言っているわけではないので、労働政策審議会にこだわる必要はないわけで、官邸直属で三者構成機関が政策の推進に当たっていくことは、それはそれで大変結構なことです。一部の偏った考え方の人々だけでステークホールダーの意見を無視して進めるべきではないということであって。

まあ、その辺は最近の教育再生会議をめぐるどたばた劇で、どちら様にもよくおわかりになったと存じますが。

EUベルリン宣言に向けて

来る3月25日、EUがその前身たるEECとして設立されてから50周年を迎えるので、ベルリン宣言が採択される予定ですが、それに関して現在議長国を務めるドイツのシュタインマイヤー外相が欧州議会でこういう演説を行いました。

http://www.eu2007.de/en/News/Speeches_Interviews/March/0314AAStrassburg.html

その中で特に注目に値するのは次の一節です。

>I believe, however, that one message is particularly important if we want to restore people’s confidence in Europe. Europe stands for a societal model which unites eco­nomic competitiveness with social and ecological responsibility. Entrepreneurial freedom is just as much a part of the European project as the rights and participation of workers. The EU has a social aspect to it; we want to bring out this social dimension clearly in the Declaration. At their last Summit meeting, the European Heads of State and Government specifically reaffirmed their commitment to this.

・・・ヨーロッパは競争力と社会的・環境的責任を結びつけた社会モデルを標榜する。企業の自由は労働者の権利と参加と同じくらいに欧州プロジェクトの一部であるに過ぎない。EUは社会的側面を有しており、我々はこの社会的次元を明確に宣言の中に持ち込みたい。欧州首脳はそれを約束した。

ここんところ、EUでもネオリベ派が有力だったのですが、潮目が変わってきたのでしょうか。

2007年3月14日 (水)

労務サービスの法政策

季刊労働法216号が明日発売されます。

http://www.roudou-kk.co.jp/quarterly/

特集は「労働者代表制度の再設計」で、読み応えのある論文が満載です。座談会は、連合は長谷川裕子さん、経団連は松井博志さんと役者が揃っていて、大変面白いですよ。

それとは別に、私の「労務サービスの法政策」が掲載されています。近年問題になっている請負や派遣労働について、明治の法制に遡って今日に至る前の経緯をいろいろと検討しています。もし宜しければ一瞥いただければ幸いです。

フレクシキュリティの日程

欧州委員会の今後の日程表によると、フレクシキュリティに関する文書は6月27日に出されるようです。普通、そこまで細かく日程を決めたりしないものですが、なぜかこれだけ日にちが入っています。

http://ec.europa.eu/atwork/programmes/docs/forward_programming.pdf

(これの43ページ目です)

「更なるフレクシキュリティに向けて:フレクシビリティとセキュリティをよりよく結合する」とでもいうのですか。年末までに共通原則を採択できるようにとあります。

実は最近、欧州委員会のHPにフレクシキュリティのコーナーが設けられているのですが、

http://ec.europa.eu/employment_social/emplweb/news/news_en.cfm?id=216

フレクシビリティにも、労働市場のそれ、労働組織のそれ、労働関係のそれがあるし、セキュリティにも雇用のセキュリティもあれば社会セキュリティ(つまり社会保障)もあると書いてあって、デンマーク型の解雇自由で手当が手厚いというモデルにばかり話が逝かないようにという担当者の気持ちが伝わってきます。

このあたりは、ネオリベチックな欧州委員会首脳と、企業レベル労使関係に執着がある第5総局担当官の間に相当の温度差があるので、今後どうなるかたいへん興味深いところです。

お言葉ですが・・・

>フリーターは「贅沢失業」だ    奥谷禮子

http://www.php.co.jp/magazine/detail.php?code=12352

あのお、フリーターは失業者ではなくて、常用雇用形態でない就労者なんですけど・・・。もちろん、就労が不安定なので就労の合間に失業が挟まることはままあるでしょうが、失業給付の対象にもならないことも多いのですから、「贅沢失業」というレッテルはいかにも不適切でしょう。

(追記)

っていうか、よく考えたら(よく考えなくても)フリーターって、奥谷さんちの商品じゃないですか。ザ・アールに登録して、派遣されたりそれが切られて失業したりしている派遣社員の皆さんに対して「あんたらは贅沢失業だ」って言ってるんですかねえ、この社長さんは。

二つの最低賃金法改正案

昨日、政府は労働基準法改正案、労働契約法案、最低賃金法改正案を閣議決定しました。労働時間についてはさんざん書いてきたし、労働契約については書きたくなるネタがずっぽりぬけおしてしまったこともあり、最低賃金について書きます。

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/03/h0313-3.html

まあ、中味は今まで書いてきたとおりなんですが、民主党が「格差是正緊急措置法案」というのを国会に提出しており、その中で最低賃金法の改正も提案しているので、むしろそっちをネタにしたいということです。

http://www.dpj.or.jp/news/dpjnews.cgi?indication=dp&num=9681

新聞紙上では最低賃金を一律1000円にすると報じられていて、さすがにマスコミからもちょっと行き過ぎでないかいという感じで論評されているようですが、もちろん金額自体は法案には出てきません。ただ、大変問題だと思うのは、現在の地域別最賃という枠組みを全国一律最賃に変えようとしているところです。

正確に言えば、原則は全国最賃にし、「一定の地域について、全国最低賃金を適用することが不適当であると認めるとき」にのみ地域最賃を定めることが出来るという仕組みにしようとしているのですが、これは大変不適切な提案だと思います。

法案の中に「最低賃金は、労働者及びその家族の生計費、類似の労働者の賃金及び通常の事業の賃金支払能力を考慮して定められなければならない」と規定してあるのですが、東京と沖縄の生計費のどっちを基準にして全国最賃を定めるのでしょうか。

現在、東京の最賃は719円、沖縄の最賃は610円ですが、生計費から考えたら、どっちが生活が楽か分かりません(というか、多分沖縄の方が楽でしょう。もっともその最賃にありつく機会が絶対的に少ないですが)。

地域格差の問題はそれとして重要な問題であるのは確かですが、それを最賃の水準の問題として議論しない方がいいと思います、それは筋が違う。何より、最賃をめぐる最大の問題である生活保護との均衡を考えたときに、生活保護水準自体地域によって差があるのですから、全国一律最賃というのはいかにもおかしいですね。

どういうところからこういう案になってしまったのかつまびらかではありませんが、いささかポピュリズムが過ぎるような気がします。もっとも、どうせ野党法案だから、まともに審議されるはずもないから景気づけに威勢のいいことを書いておいただけだというのならそれだけのことですが、政権担当能力のある野党としてはちょっといかがなものか、と。

2007年3月13日 (火)

EUの雇用・労働政策の展開

雇用・労働政策の基軸・方向性に関する研究会における報告原稿です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/kijikueu.html

中味はほとんど今までいろんなところで喋ってきたことですが、終わりの方のフレクシキュリティの解釈がやや興味深いのではないかと思います。

2007年3月12日 (月)

遺族厚生年金不支給処分取消請求事件

労働法政策というより社会保障法政策ですが・・・。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070308164237.pdf

>民法734条1項によって婚姻が禁止される近親者間の内縁関係は,時の経過ないし事情の変化によって婚姻障害事由が消滅ないし減退することがあり得ない性質のものである。しかも,上記近親者間で婚姻が禁止されるのは,社会倫理的配慮及び優生学的配慮という公益的要請を理由とするものであるから,上記近親者間における内縁関係は,一般的に反倫理性,反公益性の大きい関係というべきである。殊に,直系血族間,二親等の傍系血族間の内縁関係は,我が国の現在の婚姻法秩序又は社会通念を前提とする限り,反倫理性,反公益性が極めて大きいと考えられるのであって,いかにその当事者が社会通念上夫婦としての共同生活を営んでいたとしても,法3条2項によって保護される配偶者には当たらないものと解される。そして,三親等の傍系血族間の内縁関係も,このような反倫理性,反公益性という観点からみれば,基本的にはこれと変わりがないものというべきである。

>もっとも,我が国では,かつて,農業後継者の確保等の要請から親族間の結婚が少なからず行われていたことは公知の事実であり,前記事実関係によれば,上告人の周囲でも,前記のような地域的特性から親族間の結婚が比較的多く行われるとともに,おじと姪との間の内縁も散見されたというのであって,そのような関係が地域社会や親族内において抵抗感なく受け容れられている例も存在したことがうかがわれるのである。このような社会的,時代的背景の下に形成された三親等の傍系血族間の内縁関係については,それが形成されるに至った経緯,周囲や地域社会の受け止め方,共同生活期間の長短,子の有無,夫婦生活の安定性等に照らし,反倫理性,反公益性が婚姻法秩序維持等の観点から問題とする必要がない程度に著しく低いと認められる場合には,上記近親者間における婚姻を禁止すべき公益的要請よりも遺族の生活の安定と福祉の向上に寄与するという法の目的を優先させるべき特段の事情があるものというべきである。したがって,このような事情が認められる場合,その内縁関係が民法により婚姻が禁止される近親者間におけるものであるという一事をもって遺族厚生年金の受給権を否定することは許されず,上記内縁関係の当事者は法3条2項にいう「婚姻の届出をしていないが,事実上婚姻関係と同様の事情にある者」に該当すると解するのが相当である。

ちなみに、旧厚生省出身の横尾和子さんだけが反対意見をつけています。

労働市場改革専門調査会第1次報告骨子

内閣府のHPに標記文書がアップされています。といっても、項目だけ並べた一枚ペラですが。

http://www.keizai-shimon.go.jp/special/work/05/item2.pdf

ただ、まあ、これを見る限り、「労働ビッグバン」というかけ声はあんまり響いていないようではありますね。ていうか、大変まともなものになってます。厚生労働省の雇用政策研究会でも通用するような、という言い方は褒めてるのか貶しているのか人によって受け取り方は違うでしょうけど・・・。

教育学者の反省

『思想』に教育学者の広田照幸さんが「教育学の混迷」という短文を書いておられます。

http://www.iwanami.co.jp/shiso/0995/kotoba.html

これは、ある意味で隣接分野である労働問題の視点から教育学者たちを見ていて痛感していたことをズバリ書かれているので、大変面白く感じました。

>ここで論じたいのは、今の教育学が全体として、冷戦期に背負い込んでしまった学問的負債の清算に苦しんでいるという点である。

>重要なポイントの一つは、1950年代以降、教育学の主流の研究者が野党的な政治的ポジションに「隔離」されていったことである。

まあ、しかし、それは他の分野でも似たようなこと。特に労働関係はその傾向が強かった。

>もう一つのポイントは、にもかかわらず、教育学が、政治からも経済からも距離をおいた地点に学問的な基盤を据えようとした点である。

>経済発展に向けた教育計画の立案と政策化が進む1960年代には、教育学の主流は、「能力主義」を批判し「差別・選別教育」を指弾する形で、政策批判を展開した。そこでの論理は、「本来の教育は経済にはなじまない」というものだった。

>政治的な色合いを表面から消し、経済と教育との関わりを拒否する形で、教育学の中心的な理論は組み立てられることになったのである。教育学固有の理論から基盤とする価値を導出し、そこから現実の教育政策や教育制度を批判する、というやり方である。

そうそう、そこが一番教育学者といわれる人達の議論に違和感を感じるところであったわけです。教育とは経済社会が求める職業人を適切な形で供給する営みであるにもかかわらず、その適切さあるいは不適切さに正面から向かい合うことから逃げてしまった。

>しかしながら、教育学の理論的基盤が、他の学問分野から自律した地点に形成されたこと、あるべき教育を語る足場を政治や経済から距離をとった地点に据えたことの代償も、また大きかった。

>第二に、教育学の実証的な分析能力が十分発展しない弊害ももたらした。「教育固有の価値」という足場に依拠すれば、教育政策や経済システムとの関係を批判することはたやすかった。思考を停止したまま、「子ども自身の声に耳を傾けない教育政策」「発達を歪める学歴競争」などと、現実の問題をいくらでも批判できたため、制度構築や政策提言につながるような、きちんとした実証的な現状分析が甘くなってしまったのである。

そうそう、なんだか凄い空中楼閣の議論で、とても入り込めない感じ・・・。ある意味、教育基本法論議って教育勅語を議論しているみたいな異次元感覚。

で、それをこのブログで前からちらちら書いてることとつなげて言えば、教育学ってやたら空疎なリベラル派で、子どもの個人としての人権にはやたらに敏感だけど、彼らが社会の中でどう位置づけられているか、位置づけられていくのかといったソーシャルな問題意識が欠落してしまっていたということになるのでしょう。

『世界』誌のホワエグ論文

4月号が書店に並んだので、『世界』3月号掲載の「ホワイトカラーエグゼンプションの虚構と真実」をアップします。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/sekaiexemption.html

これまでの雇用・労働政策の基軸の変遷

先週金曜日に某所で行った報告の原稿です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/kijiku.html

内容的には、拙著『労働法政策』の要約版ですが、最後のところでやや意見めいたものをちらりと出しています。

ほとんど箇条書き的な羅列ですが、一つ一つの中味を詳しく知りたい方は、拙著の方をご覧頂ければさいわいです。

2007年3月 9日 (金)

欧州労連の主張

昨日、EUサミット(欧州理事会)に合わせて恒例の三者構成政労使サミットが開かれました。そこにおける欧州労連(ETUC)のジョン・マンクス事務局長のスピーチです。

http://www.etuc.org/a/3405

労働側のフレクシキュリティに対する考え方が端的に示されています。

「よりよい労働組織」と言うことで、ワークライフバランスのためのフレクシビリティは賛成、しかし「雇用保護法制の削減は許さない」、ダイナミックな労働市場の障害どころか人的資本と技術革新のもとだというわけです。

夫れはまったくそうなのですが、問題はそれが最初の「不安定雇用の増加を止めろ」とどうつながるかと言うところなのですね。

2007年3月 8日 (木)

雇用契約をめぐって

オックスフォード大学の「産業法ジャーナル(Industrial Law Journal)」の最新号(3月号)がアップされています。

http://ilj.oxfordjournals.org/current.dtl

今回のテーマは雇用契約、というかマーク・フリードランドのいう個人就業契約。

ヒュー・コリンズ、サイモン・ディーキン、キャサリン・ストーンといった総勢8名の錚々たる労働法学者たちが、日本では労働者性という形で論じられている雇用関係の問題にさまざまな角度からアプローチしています。最後にフリードランド自身も登場してリプライしています。

このテーマ、日本では労働契約法の議論から早々と脱落してしまいましたが、非正規労働への規制を強めれば労働者じゃないという形に逃げていくのはヨーロッパの前例が示すとおり。今後ますます重要になるテーマであるだけに、労働法研究者は見逃せないでしょう。

読売のワーキングプア

読売新聞が、「ワーキング・プア」を連載しています。毎日の縦並び社会の後追いといえば後追いですが、結構興味深い記事もあります。

http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_07030123.cfm

日雇いを転々、宿はファストフード店…携帯電話が命綱

http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_07030224.cfm

明日が見えない…ワンコール派遣、記者が体験

http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_07030509.cfm

「正社員に」信じて我慢…漂流する請負労働者

http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_07030520.cfm

「再チャレンジ」と言うけれど…企業「マイナス」評価

http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_07030624.cfm

フリーター、好きでなったわけじゃない…誇り失わぬ最低賃金必要

モダン屋さんの労働価値説?

少し前の生産性論争(のようなもの)で感じたのは、なんていうか、開発経済さんも情報経済さんも、実体的な生産性というのが厳然としてあって、それに基づいて労働の価値というものが一義的に定まるんだというモダンな世界観をお持ちのようだな、ということでした。

それって、一種の労働価値説(労働にはその生産性に応じて価値が定まっており、それが生産物に転化する、みたいな)なんじゃない?と感じるのは勘違いというものでしょうか。

でも、宇野理論によると、流通過程では価値はお互いの使用価値によって相対的に決まるだけ。これだけの生産性の労働何時間分が投入されているからいくらという風に決まるわけではない。それは古典派の幻想。商人資本が生産過程を掌握し、産業資本として恒常的に労働力を使って生産活動を行うようになって、初めてこれくらいで売れる商品をこれだけ生産するのにこれだけの労働力を何時間分投入しなければいけないということから、労働の価値みたいなものが共同主観的に形成されてくるに過ぎない。それ以前に即自的な労働の価値なんてものはない。

そういうポスモダな発想の方が多分最近は有力で、恐らく歴史的にも正しい。ただ、共同主観的に形成といっても、生産を繰り返す産業資本にとってはそれは客観的に存在し、作用しているのだから、幻想だといってみたって意味はない。しかし、それを過度に実体化して、生産過程なく労務がそのまま最終商品として消費される対人サービスにまで同じように当てはめることができるわけではない、ということではないかと。

前にちらと書いた、生産主義と流通主義の応用編みたいな感じですが。

2007年3月 7日 (水)

あれも「偽装請負」、これも「偽装請負」

これも朝日の記事ですが、できれば言葉を使い分けていただきたいな、と。

http://www.asahi.com/life/update/0307/004.html

「郵便小包配達で「偽装請負」 兵庫県労働委が救済命令 」

普通、え?なんで?と思うでしょうね。いつから労働委員会が労働者派遣法の施行に携わるようになったんじゃわいな。

これはそういう話ではなくってですね。「郵便小包の配達を神戸市の運送会社から「業務請負契約」名目で引き受けていた男性らについて、兵庫県労働委員会は、「会社との関係では労働者の地位にある」として、「請負契約解約」を不当労働行為と認め、解約以降の報酬相当額の支払いを会社に命ずる救済命令を出した」という話なんですね。

つまり、本来労働契約であるものを、個人請負契約に偽装していたという話であって、本来労働者派遣契約であるものを業務請負契約に偽装していたという話ではないのです。

確かに、どっちも「請負」に「偽装」していることには違いがないのですが、同じ言葉を使われると大変紛らわしいですねえ。何とかしてくれ。

こっちの方は、労働法の世界では「労働者性」の問題とか、最近のILO勧告では「雇用関係」とかいいますが、直観的に分かりにくいことも確かです。

本当を言うとですねえ。「偽装請負」という言葉がふさわしいのはむしろこっちなんですね。なぜなら、指揮命令しているからホントは労働契約なのに請負契約だと偽装しているわけですから。

あっちの派遣がらみの方は、働いている人が労働者であることには何の疑問も問題もないわけです。その人が請負契約で働いているわけではない。だから、その働き方自体を「偽装請負」というのはミスリーディング。問題は、その労働者を雇っている人が、その働いている職場の企業との間で、派遣契約で送り込んでいるのか、請負契約で送り込んでいるのか、という商取引レベルの話なんですね。だから、ホントはこちらの呼び名を変えた方がいいように思うのですが、難しいでしょうね。

パート厚生年金の何が問題か

朝日の記事で、

http://www.asahi.com/life/update/0307/005.html

「パート厚生年金、16万人に限定 「再チャレ」色後退」という見出しですが、じつはそもそも、パート問題を「再チャレンジ」という枠組みで語ることに若干無理があったというか、ずれがあったわけですね。

記事は「適用対象者を広げないと、不安定なパート労働者の老後保障への効果は乏しい」というのですが、亭主の厚生年金で遺族年金が出る主婦パートにすればあまり関係のない話。彼女らにとってはもともと再チャレンジなんか関係ないわけで。非正規労働の中味を仕分けしないでまとめて考えているとこういうずれが出てきてしまいます。

ワーキングプアとして問題になっている若年非正規労働者の多くは、週30時間未満などという短時間労働ではなく、フルタイムの非正規で、厚生年金に加入しなければいけないはずなのに、入っていない悪質な請負会社なんかが結構あるわけで、むしろそういうのをちゃんと潰さないといけないわけですが。

この問題の本質はむしろ、パートという形で労働力を利用している企業や業種が、そうでない形で労働力を利用している企業や業種に比べて、厚生年金の使用者負担分を負担しないで済んでいるというところにあります。制度の歪みがフルタイム労働使用者からパートタイム労働使用者への使用者間の強制的贈与をもたらしているというのは、あまり健全ではないでしょう。また、そういう形で社会保険料負担を合法的に免れている企業がたくさんあると、そうでない企業にも非合法に払わないインセンティブを与える危険性がありますね。

2007年3月 5日 (月)

天に唾する・・・

規制改革会議が、文部科学省を呼びつけて文句を言おうと必死です。

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/publication/2007/0302/item070302_01.pdf

最初に呼びつけたところ、

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/publication/2007/0302/item070302_01.pdf

文科省は「教育委員会の在り方については、本年1月24日の教育再生会議による第一次報告等を参考としつつ、現在、中央教育審議会に審議をお願いしているところであり、当省としての考え方を申し上げる段階にない」と断ってきたので、

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/publication/2007/0220/item070220_02.pdf

再度の呼びつけとなったわけですが、さて。

そんなに教育再生会議のやってることに文句があるのなら、上からやれといわれてやらされている文科省の役人をいじめてみても仕方がないのではないのでしょうかね。

え?トップにくっついている学者や評論家の集まりはいじめにくいから、反抗できない役人をいじめるんですか。なるほどね。

ご自分たちが今までおやりになっていらしたことを、人様がやるのを見るのはなかなか乙なものでしょう。

野村正實氏の中西大著書評

野村正實氏の「研究の周辺」に、中西洋氏の『日本近代化の基礎過程』(上中下)の書評が掲載されています。

http://www.econ.tohoku.ac.jp/~nomura/periphery.htm#070302

この中でいわれている「経営史的分析方法」と「政策論的分析方法」については、むしろ戦中期、戦後期の分析でこそその関連が明確になってくるのだと私は思いますが、それはともかく、最後のところが野村氏の問題関心をよく示していて興味深いです。

>経営身分制の構造そのもが「日本的労務管理の原型」と考えるべきである。戦前においてはもちろん経営身分制が存続した。そして通説的理解では、敗戦後の経営民主化運動によって経営身分制は廃止されたといわれている。しかしそうではないのではないか。かつて存在した経営内における職員層と労働者層との差別ラインが、戦後は正規従業員と非正規従業員との差別ラインとして形を変えて存続しているのではないか。また、企業内における女性差別も、形を変えた身分制ではないか。そのように考えるならば、本書が詳細に明らかにした経営身分制は、今日まで続く「日本的労務管理の原型」である。私は、この「原型」をふまえて戦後日本企業の経営秩序をどのように理解すべきか、あらためて考える必要を感じている。

2007年3月 3日 (土)

日雇い派遣に有休と雇用保険

朝日の記事です。

http://www.asahi.com/life/update/0303/008.html

>携帯電話やメールでそのつど人を集める「スポット派遣」(日雇い派遣)が急速に広がるなか、スポット派遣大手の人材会社フルキャストグループ(東京)で、登録スタッフの労働条件向上にむけた労使協定が成立した。日雇いスタッフにも年次有給休暇を保証し、日雇い労働者向けの雇用保険を適用することなどを明記したものだ。

>同グループの社員や登録スタッフは昨秋、「フルキャストユニオン」を結成。団体交渉を行い2月末に会社と合意した。

>協定によると、有休は派遣先が次々と変わっても働いた日数に応じて付与する。法律上はもともと条件を満たせば有休を認める必要があるが、ほとんど取れないのが実態だったため、取得できることを確認した。

>また会社側が日雇い労働者向けの雇用保険(日雇(ひやとい)労働求職者給付金)の適用事業所の申請をし、労働者が雇用保険に入れるようにする。勤務先近くの駅などに集合時間を強制した場合、集合時からの賃金を払うことを確認。損害保険料などとして賃金から1回250円を差し引く「業務管理費」については、すでに廃止した。

「登録スタッフは累計160万人を超える」ということですから、影響は大きいでしょう。「同ユニオンの関根秀一郎氏は「権利向上の第一歩。この協定をスポット派遣業界全体に広めたい」と話」しているようで、まずはGJというところでしょう。

以前、このブログで日雇い派遣について書いたときに、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_e2ec.html

「この記事に出ているような仕組みだと、アブレの認定はできにくいですね。誰がそれを証明する?便利な文明の利器が、かえって社会保障制度の適用を妨げるわけですよ」と書いたのですが、派遣会社がその手続きをするということなのでしょうか。日雇い雇用保険の仕組み上どういう風にするのか興味があります。

2007年3月 1日 (木)

欧州社会党「新ソーシャルヨーロッパ」報告

昨日、欧州社会党のHPにドロール元欧州委員長とラスムッセン欧州社会党党首による「新ソーシャルヨーロッパ」という報告書がアップされました。140ページを超える大部の報告なので、私もちゃんと読んでいませんが、1月17日のエントリーで紹介した10原則を詳しく説明しています。

http://www.pes.org/downloads/New_Social_Europe_Web_EN.pdf

現代ヨーロッパの社会民主主義勢力がどういう考え方をしているのかを知ることは、(たまたま同じ名前の極東某国の某政党が結構トンデモ政党であるだけに)大変役に立つはずです。

課長も更迭!?

各紙とも報じていますが、読売がやや詳しいようです。

http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20070301i101.htm?from=main1

>菅総務相は28日、放送法改正案の取りまとめを担当する放送政策課の南俊行課長を、1日付で、電気通信事業紛争処理委員会事務局の吉田真人参事官と交代させる人事を発令した。

 菅総務相は記者団に「NHK改革を加速させるため、新しい視点でやる必要がある。適材適所だ」と述べ、自ら主導した人事であることを示唆した。閣僚が課長人事に直接介入することや、法案提出直前に担当課長が交代することは極めて異例で、「南課長の更迭」との見方が強まっている。

霞ヶ関中の課長クラスが思わず首筋にひやりとしたものを感じたのではないでしょうか。今までも閣僚による官僚の更迭というのはいくつかありましたが、だいたい局長クラス以上で、もっぱら対外的な政治的対応するのが仕事の人々だったのですが、今回は課長というまさに実務の中心で動いている人がターゲットになっただけに、これが前例になるとやりにくいなあ、と感じた方は多いと思います。

特に、日経によると、「周辺には「(課長は)NHKとなれ合いがあった」と話しているという」とのことなので、

http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20070301AT3S2801K28022007.html

もちろん「なれあい」の中味にもよりますが、仕事の相手とツーカーで話せるいい関係を作っておかないと仕事がうまく回らないというのも世の中の法則ですから、課長クラスがこういう理由で更迭されてしまうと、ただでさえぎくしゃくしている霞ヶ関がますます縮こまってしまわないか心配なところもあります。

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