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2007年1月

2007年1月31日 (水)

就労促進型福祉への転換

29日の経済財政諮問会議で重要な政策方向が打ち出されています。

大田大臣の記者会見での発言を引用しますと、

http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2007/0129/interview.html

>2ページ目に「人材活用」というところがあり、趣旨を斜字体で書いてあります。そこに、「誰もが能力形成や資格取得の機会が得られる仕組みをつくり、「底上げ」によって格差の固定化を防ぐ」という文言がありますし、その下に集中的・効果的な能力形成支援プログラム」とか、「就労促進型福祉への転換」ということが書いてあります。この点は、緊急性を要する非常に重要な課題である。国会でもかなり議論されている。それで、なるべく早く検討する必要があるんじゃないかという御発言がありました。
 これについて、そこで総理からの指示が出されました。ここに書かれているような「底上げ」によって格差の固定化を防ぐといったことは、安倍内閣が掲げる成長力の強化、成長力の底上げという点に非常に重要な点だ。働く人全体の所得や生活水準を引き上げて、格差の固定化を防ぐ必要がある。したがって、骨太方針を待たずに、ここは短期集中的に政策を議論していく必要がある。
 そこで、官房長官と私、経済財政担当大臣は、この成長力の底上げをいかに進めていくか、その検討の進め方について至急具体化せよという指示がありました。官房長官となるべく早く、明日にでも打合せをしまして、この成長力の底上げについて検討の進め方を具体化していきたいと考えております。この「人材活用」のところに書かれました「集中的・効果的な能力形成支援プログラム」、それから「就労促進型福祉への転換」、つまり働きたい人に雇用機会を与えていく、この具体的なあり方について、早急に進め方を検討して、骨太方針の前に政策を打ち出せるようにしたいと考えております。

記者との問答の中でも、

>こういう、90年代の低迷期に社会に出た人たちがどうしたら能力形成できるのか、あるいは今、福祉の対象になっている生活保護とか母子家庭の人たちも、働きたい人には雇用機会を与えられる仕組みはどうしたらできるのか。あるいは、前回、民間議員からも出た最低賃金をどうするのかといったような一連の課題について、どういう方策が政府としてできるのか議論したいというふうに考えています。なるべく早く政策体系を打ち出したいと思っています。
 今日、官房長官と私に指示がありましたのは、検討の進め方について早急に枠組みをつくれということです。当然、厚生労働省も関係いたしますし、再チャレンジも関係すると思います。そういう政府横断的な取り組みになりますので、どんな形で検討を進めていくのかという点について、明日にでも検討していきたい。そして、なるべく早く政策体系を打ち出せるようにしたいと考えています。なるべく早くですから、1カ月とかそこら辺で政策の大きい方向性は出せるようにしていきたいと思います。そうしませんと、「骨太」に近くなると短期集中とは言えませんので、早急にやりたいと思います。

ヨーロッパでワークフェアが議論されるようになってからもう10年以上経っていますが、ようやく政策決定の中枢に出てくるようになりましたね。

未だに、悔い改めずに、競争に負けた者は市場から退出して生活保護で面倒を見ればよいといった議論を平然と展開する連中がいますが(典型的なのが、福井秀夫・大竹文雄『脱格差社会と雇用法制』のいくつかの論文)、市場原理主義の本拠地と思われているOECDに行ってそんなこと口走ったら、白い目どころか莫迦かと思われますよ。少しは世の中の動きを勉強した方がいいと思うのですがね。

後ろの方で、例の八代先生の労働ビッグバンについての記者とのやり取りも興味深いです。

>(問)今の関連なんですけれども、労働市場の問題については、専門調査会ではビックバン、そういう名前を使うかどうかは別として、自由化というのを前提に長いスパンで……。

(答)何の自由化ですか。

(問)労働市場の自由化ですね。同一労働、同一賃金について、労働市場をなるべく自由化していくと。その観点から、基本法みたいなのをつくるというようなことを考えながらやっていると思うんですけれども、この総理指示は重なる部分もあると思うんですけれども、緊急にこういうものをやっていくとなると、ちょっと今の専門調査会の方向とはずれると思うんですけれども。もちろんあれは学者の集まりだから、ちょっと違うと言えば違うんですけれども、どういうふうにこの組織とかを立ち上げて、どういうふうに政策検討していくんですか。

(答)まず、私は自由化という観点で専門調査会の全体が構成されているというふうには思っていませんので、そこは若干違和感があります。同一労働、同一賃金の考え方を目指していくという点はそのとおりだと思いますが、それが即自由化ということではないんじゃないかなと考えています。

(問)いや、もちろん専門調査会の意見なのか、専門調査会を率いている八代さんの個人的な意見とのズレがあるのかもしれないけれども、基本的には自由化ですよね。労働組合の動きなどに今縛られているというようなものがあるわけですよね。

(答)私も経済演説で申し上げました今の労働市場の6つの壁、その6つの壁を克服するというところは明確に念頭に置いておりますけれども、それは自由化というだけではないと思います。

(問)だけじゃないと思うんですよ。だから、専門調査会との関係では、どうやって今後この政策を実現していくんですかということです。

(答)「自由化」という言葉は、八代議員も使っておられないと思いますが、ちょっとその点は自由化を前提に考えているわけでありませんので、労働市場専門調査会の受けとめ方が若干今のお話と少しギャップがあるように私は思います。

(問)「自由化」という言葉にはこだわりませんので、同一労働、同一賃金というのをやっているわけですよね、専門調査会で。

(答)その考え方を目指していくということですね。

(問)だから、ビックバンの考え方はあまりここのコメントには出てこないんですけれども。

(答)まず、専門調査会は将来の働き方のあり方、労働市場のあり方ですね。ただ、やはり今、現に90年代に社会に出た人たちが、正社員の道を閉ざされていますし、能力形成の機会も与えられてないわけですね。ここは緊急的に何かすべきであるということで、総理も施政方針演説の中でそのようなことを言っておられます。そこに対して、早急に何らかの政策を考えよという指示です。

いくつかコメントしたい点もありますが、とりあえずは素材提供ということで。

あるあるエグゼンプション御伽噺

今は昔、極東のある国では納豆を食べることを管理職以外には禁止しておりました。なんでもその昔戦争中に関西人が独裁者になったからだそうです。

ところが、納豆は本当は栄養満点の素晴らしい食物です。是非とも一般国民にも解禁すべきであるという意見が出てきました。納豆が嫌いな関西人連合も、栄養があるのは確かだし、解禁は仕方がないかなと思っていたそうです。

ところが、解禁運動の先頭に立ったある方は、納豆にはこんなに栄養があるなんてことは一言も言わず、ひたすら「納豆を食べるとダイエットになるぞよ」「アメリカの学者先生もそう仰っているぞよ」と言いつのりました。

ところが、調べてみるとそんなのはウソで、ダイエットになる証拠なんてないし、アメリカの学者もそんなことは言っていませんでした。

関西人連合は、納豆を食べて痩せた人がいるなら連れてこい、どこにもいないじゃないかと言い続け、結局納豆の栄養についての議論は全然されないまま、とにかく納豆はダイエットに効くらしいから解禁しようという結論を無理やりに出しました。

そうすると、マスコミや政治家は、納豆なんてまずいものを無理やりに食わせようとするのは人権侵害だなどとあらぬ批判が始まり、議論はどんどんあさっての方向に飛んでいって、今やもうめちゃくちゃの状態だということです。めでたしめでたし。

2007年1月29日 (月)

ベースアップとは何か

野村正實先生が、今年の夏に出版される予定の『日本的雇用慣行』の中の補論「昇給と「ベースアップ」」をホームページの「研究の周辺」にアップされています。

http://www.econ.tohoku.ac.jp/~nomura/periphery.htm#070124

>報道によれば、今年のいわゆる春闘では、景気の回復にともなって組合側は「ベースアップ」を要求し、会社側は、「ベースアップ」はしない、従業員には賞与で報いる、と答えている。しかし、「ベースアップ」とは何か。「ベースアップ」について、社会的に合意された定義は存在しない。もし期末試験で、「ベースアップとは何か、ベースアップと定期昇給との違いを述べよ」という問題が出されたら、「ベースアップについて社会的に合意した定義は存在しない。したがってベースアップと定期昇給との区別もわからない」という解答が正解である。

以下は、占領下におけるベース、ベースアップという言葉の誕生以来の動きを丁寧にフォローして、それが如何に混乱の極みにあるかをたいへんわかりやすく説明しています。

まとめのところを引用すると、

>1947年に、「平均賃金」という意味で「ベース」という用語が使われるようになった。ところが「平均賃金」の計算方法は一義的ではなかった。「平均賃金」の計算方法は二つあり、まったく異なっていた。・・・
会社内組合は、「ベース」の引き上げを要求した。「ベース」の引き上げが、1950年から「ベースアップ」と呼ばれるようになった。したがって「ベースアップ」は、いくつかの賃金項目を除いた賃金総計を従業員総数で割った「平均賃金」を引き上げること、あるいは、「平均的従業員」の賃金という意味での「平均賃金」を引き上げることを意味した。

>1954年に、中労委の電気産業争議にたいする調停案を契機として、以上のような「平均賃金」引き上げとはまったく異なる「ベースアップ」概念が二つ登場した。いずれも日経連の提唱である。
 一つは、「経営的基礎の有無に拘わらず全員一律に労働者の生活水準向上のために行う賃金増額」が「ベースアップ」だとする定義である。
 もうひとつは、「賃金基準線」を引き上げる賃上げが「ベースアップ」、「賃金基準線」を維持したまま個別従業員の賃金を引き上げるのが昇給である、とする定義である。
日経連の提唱した「ベースアップ」=「賃金基準線」の引き上げという定義のコロラリーとして、「ベースアップ」=賃金表の改訂という定義が誕生した。この定義は、1980年代から普及しはじめ、わかりやすため、今日もっとも有力な定義となっている。

>それでは、流布している多様な「ベースアップ」概念のなかで、会社は実際にどのような意味で「ベースアップ」という用語を使っているのであろうか。これはわからない。それぞれの会社が、それぞれ勝手に「ベースアップ」を定義し、「ベースアップ率」や「ベースアップ額」を発表している。

>「ベースアップ」という用語は、混乱した概念の積み重ねであった。そして近年、さらに混乱を重ねる事態が生まれている。バブル崩壊後の不況が長引き、会社側が「ベースアップ」の余裕はまったくない、という強い姿勢を打ち出す中で、組合側が「賃金体系維持分」、「賃金改善分」というあらたな造語をもって賃金交渉にのぞむようになった。このような用語は、「ベースアップ」概念をさらに混乱させている。
 こうしたアナーキーな状況を前にして、私は、「ベースアップ」を定義することは不可能であり、「ベースアップ」という言葉を使う限り、概念の混乱は不可避である、と思わざるをえない。「ベースアップ」という用語は、廃語にすべきである。

実を言うと、私自身も最近、中国中央党校の方々に「日本の賃金決定メカニズム」についてお話しする機会があり、その中で「定期昇給とベースアップ」という項目もあるんですねえ。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/chugokutoko.html

私の説明は、定期昇給とベースアップを対立させるものではなく、むしろ「日本の賃金制度は職務とは切り離された年功賃金制度であり、定期昇給制によって上昇していくのですから、団体交渉の目的はこの定期昇給時の引上げ額を高めることに向かいます。しかし、個々の労働者の賃金額がここで決まるわけではありません。日本以外の社会では団体交渉によって賃金の水準が決定されるのですが、日本の団体交渉で決めているのは企業の人件費総額を従業員数で割った平均賃金額(ベース賃金)の増加分(ベースアップ)なのです。従って、個々の労働者の賃金額がどうなるかは、人事査定に委ねられています」と、それが平均でしかない点を強調するものになっていますが、歴史的に両者が対立的に使われてきた点を考えれば、やはり正確な記述ではありませんね。

野村先生の文章を読むたびに、労働関係の概念のいい加減さが身に沁みます。

女性機械説

その昔、

>畏れ多くも畏くも、天皇陛下を「機関」とは何ごとであるかぁ!

と喚き散らして憲法学者美濃部達吉氏を攻撃したマスコミや政治家がおりましたが、歴史はネタを変えて繰り返すものなのでしょうか。

http://www.asahi.com/politics/update/0128/009.html

機関とか機械とかいう言葉は、対象をその「機能」に着目して表現する言葉に過ぎないのですから、労働者が労働機械であり、兵隊が戦争機械であるのと同様、出産可能な女性が子どもを産む機械であることはある意味で当然。その機能だけで評価されるべき者ではないというのも、また当然のこと。

しかし、とにかく今の時代、何であれ攻撃するネタはフルに使うということなのでしょう。しかし、目先の攻撃のために何でも使うというやり方は、最終的にはまともな政治的議論の場を破壊します。できれば、統帥権干犯の類にまで手を出さないでいただきたいものではありますな。

(追記)

やっぱり、べージ別アクセス数でぶっちぎりになりましたな。稲葉先生のところからやってこられた方が多いようです。

補足することもないのですが、そもそも合計特殊出生率を問題にするということ自体が、女性をその出産機能において判断しているということなのであって、それを「機械」と表現することは、唯物論的インプリケーション(『人間機械論』)を持つ点においていささか問題はあるかも知れませんが、左翼系人士がぎゃあぎゃあ喚くべきことではありますまい。

一方、EUの雇用戦略のように、女性の就業率に数値目標を設定して、その引上げを政策課題とするということは、女性をその労働機能において判断しているわけであり、柳澤大臣風にいえば、「働く機械の数は限られているから・・・」云々ということになるわけですが、それもけしからんと批判するのであれば首尾一貫するわけですが。

結局、女性の労働機能と出産機能が順機能的ではなく、逆機能的に作用するような社会の仕組みになってしまっていることが問題であるというのが、そもそもの少子化対策の論点であったはずなのですが、こういうふうに機能的思考を情緒的に非難するポピュリスト的風潮が広がると、話はどんどんあさっての方向に飛んでいってしまうしかないでしょう。こういう点において、マスコミと野党の責任は重大なはずです。戦前の歴史の教訓を学んで欲しいものです。

朝日の社説

ホワイトカラーエグゼンプションを「残業代ゼロ制度」と呼んで批判してきた朝日新聞が、社説で残業代引き上げはやれと主張しています。

http://www.asahi.com/paper/editorial.html#syasetu1

>使用者側が望むWEを実現するためには、「不払い残業を助長させる」という労働側の反対を和らげる必要がある。そのため厚労省は、残業代を引き上げる方針を決めていた。

>抱き合わせの一方を断念したとたん、残業代の引き上げについて、政府の態度はあいまいになった。首相も施政方針演説で全く触れなかった。

>残業代を引き上げれば、企業は残業を減らそうとする。だから、引き上げは過労死まで生んでいる長時間労働を減らす決め手である。

>労使交渉ではないのだから、片方をやめたからといって、もう一方を見合わせるという政策はとるべきでない。過労死や働き過ぎを解消するには、一刻の猶予もならない。残業代を引き上げる労働基準法の改正案を今国会に出し、成立させるべきだ。

私はこの議論にはたいへん違和感を覚えます。残業代を引き上げれば長時間労働が本当に減りますか?長時間労働を何とかするには、時間そのものを直接規制するしかないのではないでしょうか。時間そのものが規制されない中で、残業代だけが引き上げられても、結局成果に対応しない長時間労働は(時間を申告することはイコールそれに対応するゼニカネを要求することとなり、こんな程度の成果しか出していないくせによく恥ずかしげもなく申告できるな、という冷たい視線を避けようとして)結局申告されないままとなり、サービス残業の温床となるだけのように思われます。

厚生労働省にもその嫌いがあるのですが、朝日新聞始めとするマスコミには、労働時間問題をゼニカネの問題でしかないと端から見下しているんじゃないんでしょうか。このやり方は結局ホワイトカラー労働者を無申告長時間労働の闇に追いやっていくだけではないかと思います。ゼニカネとは切り離して、とにかく長時間労働を如何に規制するかという問題意識は、どうもかけらもなさそうです。

2007年1月26日 (金)

いまさら八代先生・・・。

1月18日の経済財政諮問会議の議事要旨が公開されています。

http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2007/0118/shimon-s.pdf

一般には丹羽さんの発言が注目されているようですが、私は八代尚宏先生のこの発言に目を見張りました。

>今回のホワイトカラーエグゼンプションもそうだが、反対派が「残業代ゼロ法案」とワンフレーズで表現した。これに対してちゃんとした対応がとられていない。私は早くから、この前の日曜日に大田議員がテレビで説明されたように、これは「残業の定額払い法案」であるというべきと考えていた。いわば管理職手当のように一定額を最初から出すことによって、それ以上残業が長くても短くても変わらないというのが本来の趣旨であるわけで、なぜこういうふうにわかりやすく言えないのか。これからは国民の理解を得るためにも、できるだけわかりやすい説明をする。

八代先生が規制改革・民間開放推進会議で旗を振っていたときに、まさにこのホワイトカラー・エグゼンプションを本来の時間外手当の適用除外としてではなく、仕事と育児の両立ができる制度だの、少子化対策に役立ちますなどと、まともな実務家から見たらトンデモなラベルをべたべた貼って推進しておられたのではないでしょうか。それが今の混迷の大きな原因だとはお考えになっておられないのでしょうか。話をわかりにくくしたのは、いつ出勤してもいつ休んでも自由で自律的な働き方だなどという現実離れしたイメージを振りまこうとした側にあるとしか思えないのですが。

下のエントリーで書いたように、これをまともに受け取る人事担当者は心配しているんですからね。(まあ、『人事部はもう要らない』と仰っている方でもあるので、別にかまわないのかも知れませんが)

上で引用されている大田大臣は、昨年夏政策研究大学院大学の昼食セミナーで私の話を聞いておられるので、この制度の本質をきちんと適確に理解しておられるのだと思いますが、八代先生がご自分もそう考えておられたというのであれば、ご自分が策定された規制改革・民間開放推進会議の答申を撤回していただくのが先のような気がしますが。

労働契約法案・労働基準法改正案要綱

昨日、労政審労働条件分科会に標記2法案の要綱が諮問されました。

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/01/dl/h0125-8.pdf

ホワエグの行方は全く見通しが立たず、一方残業代割増引上げだけは出すという話が進んでいて、そうなるといささか片手・・・おっとバランスを失した感が否めません。厚生労働省としては、粛々と法案作業を進めていくというスタンスなのでしょうが、経営側としてはたいへん心配なところでしょう。

経営側の心配といえば、昨日某所でホワエグの話をしてきたのですが、ある人事担当者の方から、「この制度って、勝手に休まれても文句を言えないんでしょうか」と、たいへん心配そうな口調で質問を受けました。そう、まともな人事担当者だったら、自律や自由やという謳い文句を見たら、そういうとんでもない話かと思ってしまいますがな。学者先生じゃないのですから、組織で仕事をしているサラリーマンの話なのですから、出勤するのも休むのも本人の自由などという馬鹿げた話になるはずがない。自律的なのは仕事の中味であって、それを実行するためには、朝から晩まで上司や部下や同僚や他部局や取引先やあれやこれやと接触し続けていなければ物事が動くはずもない。管理職だって、労働時間が自律的ではないのであって、仕事の中味が自律的なだけなのに、その一歩手前が勝手に休んでいいはずがない。そういうまともな組織人なら誰でも分かることを全部すっ飛ばして、規制改革会議のトンデモ議論に振り回されてきた挙げ句が今のていたらくだということを、もっときちんと反省すべきだし、経営側もきちんと発言すべきでしょう。足もとの人事担当者が心配しているんですよ。日本経団連さん。いつまで空論につきあうつもりですかねえ。

で、もう一つの労働契約法案の方です。昨年末の答申と異なる点は、労働契約の内容の変更として、「使用者は、労働者と合意することなく、就業規則を変更することにより、労働者の不利益に労働契約の内容である労働条件を変更することはできない」という原則論を書いた上で、「ただし、(三)による場合は、この限りでない」と、最高裁の変更法理が例外であることを明確化した点です。

判例法理をそのまま法文化するという意味では確かにもっともな話ということもできますが、実はこれって凄く皮肉な話なんですよ。分かる人には分かると思いますけど、2003年の労基法改正で解雇権濫用法理が法文化されたとき、最初の案では、「使用者は・・・労働者を解雇することができる。ただし、その解雇が・・・」と、やはり解雇自由という大原則を明記した上で、例外として濫用したら無効だよと規定していたのを、そんなのおかしいじゃないかといって削らせたんですよね。

そっちは大原則を書くのはけしからなくてこっちは大原則を書かなくちゃいけないというのも、なんとなく首尾一貫していないように思えるんですけど、どんなもんなんでしょうか。

まあ、わたしはそもそも、就業規則法理を個人ベースの契約関係という観点からのみとらえる考え方自体が短慮であって、むしろ集団的労使関係法理として熟成させていくべきではないかと思っているので、どっちにせよ、こういう方向性は労働法を民法に解消するものでしかないのではないかと思うのですがね。

2007年1月24日 (水)

そこまで真に受けられては・・・

そりゃ、昨年12月19日のエントリーで、私は「革命的労働ビッグバン主義者万歳!」といいましたよ。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_9722.html

そして、確かに

>つまりですね、「同一労働同一賃金」という「正義」を実現するために、大企業労働者の既得権を剥ぎ取り、(労働者は)みんな平等に貧しいユートピアを作ろうというわけです。なんと革命的なんでしょう。

>全ての革命的な労働者学生諸君は一致団結して八代先生とともに労働ビッグバンを実現すべく闘おうではありませんか!

と書きましたよ。

あまつさえ、それに加えて、

>これは冗談で言っているわけではありません。ある意味では大まじめな話です。

とまで言いましたよ。

しかし、まさかこの言葉が全くそのまま額面通りにとられて、

>「同一労働同一賃金」という「正義」を実現するために
 上記のスローガンを掲げているブログを読むことができたので少し言及する。
濱口桂一郎氏のタイトル、革命的労働ビッグバン主義者万歳!「全ての革命的な労働者学生諸君は一致団結して八代先生とともに労働ビッグバンを実現すべく闘おうではありませんか!」というものだ。
大鉈を振るう主張、覚悟を改革を目指した発想で真摯な意見だと賛同したい。

http://twwwa.livedoor.biz/archives/898155.html

などという反応が返ってくるとは夢にも思いもしませんでした。

>何れにせよ、八代氏の「労働ビッグバン」論議からマルクス主義的展望論が出てきたことは喜ばしい限りである。

いやいや、私は、革命的マルクス主義者の立場から八代さんの労働ビッグバンを断固支持する一人にされてしまっているようです。

なんと言ったらよいのかよく分かりませんな。日本語には「反語」というレトリックは存在しないのでしょうか。ちょいと前後のエントリーを一瞥するだけで、私がどういう思想の持ち主であるかは一目瞭然だと思うのですが、そうは受け取られないようなんですねえ。

なんだか、ここのところ、人間存在におけるコミュニケーションの根源的不可能性を痛感することが多いですねえ。

求人年齢制限禁止

同じ今日の日経が、先週18日のエントリーで紹介した朝日の記事と同じ問題を記事にしています。

http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20070124AT3S2301423012007.html

「自民、求人の年齢制限禁止へ 努力義務を見直し」ということで、

>自民党は23日、雇用・生活調査会(川崎二郎会長)の幹部会を開き、企業が労働者を募集・採用する際の年齢制限を原則禁止する方向で調整に入った。現行の雇用対策法で年齢制限をしないよう企業に努力義務を課している規定を、禁止事項に切り替える。就職氷河期に希望の職に就けなかった30歳前後のフリーターなどに就職の門戸を広げる狙いだ。

>同調査会は24日の会合から、政府が通常国会に提出予定の雇用対策法改正案など雇用ルール見直しに関連する法案の党内論議に着手する。雇用対策法改正案は若年者雇用の努力義務の導入などが柱。さらに自民党は党独自の案として求人時の年齢制限の原則禁止も盛る方向で意見集約し、7月の参院選を控え、格差是正に取り組む姿勢を明確にしたい考えだ。

急転直下日本にも年齢差別禁止法ができてしまいそうですね。柳澤武さん!出番ですよ!しばらく交通事故で入院されておられたようですが、大著『雇用における年齢差別の法理』(成文堂)を出されたグッドタイミングでもあり、ご活躍を期待いたします。

http://www.ne.jp/asahi/law/takeshi/

(追記)

朝日がさらに続報、

http://www.asahi.com/politics/update/0124/003.html

「求人の年齢制限禁止 与党協議会で合意へ」ということで、

>自民、公明の与党は24日午前、政策責任者会議を開き、雇用・労働問題に関する与党協議会の立ち上げを正式に決めた。これに先立ち、公明党は雇用に関する幹部会合で、自民党の雇用・生活調査会で検討中の企業が労働者を募集・採用する際の年齢制限禁止の方針を了承。与党協議会で合意し、通常国会に提出する雇用対策法改正案で現行の努力義務を禁止事項にする方向で調整する。

なんだか、あれよあれよという間に政治主導でどんどん進んでいっちゃってますね。

実は、『法律時報』の3月号で、「雇用平等法制の新展開」という特集があり、そこに「年齢差別」という小論文を書いているのですが、事態の動きによってはかなり書き加えないといけないようです。

就業規則変更のわかってない人びと

マスコミの労働問題への無理解がトンデモ記事を生み、それが国民をさらに惑わすという構図は繰り返されていますが(一昨日の『エコノミスト』誌の私の発言ということになっている全く逆趣旨の記事もその一例ですが)、今日の日経もトンデモぶりでなかなかいい線をいっています。

http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20070124AT3S2301Y23012007.html

「厚生労働省は23日、雇用の基本ルールを定める新法「労働契約法」の法案要綱を固めた。就業規則の役割を大幅に引き上げ、条件を満たせば就業規則の変更で労働条件を変更できるようにするのが最大の柱。」

ネット上には出ていませんが、「労使合意不要に」というのが大きな見出しになっています。

あのさあ、労働法の一番簡単なテキストくらい読んでから記事を書こうね。

現在の確立した判例法理では、まさに「就業規則の役割を大幅に引き上げ、条件を満たせば就業規則の変更で労働条件を変更できるように」なっているのです。

それを実定法に書き込むという話であって、その際に労使合意をどこまでどういう形で要求するかというのが大きな論点であったわけです。この点については、私は労働側の過半数組合の合意を合理性判断の基準として認めないという対応に対して極めて批判的な見解を持っていますが、いずれにせよ、現在「労使合意」が変更の要件とされているわけではありません。そういういわば使用者側主導で裁判官の胸先三寸で物事が決まる今の仕組みをどうするべきかというのが大きな論点であるのに、この記事はなんだかとんでもなくあさっての方向から記事を書いていて、頭が痛くなります。

まあ、自分の専門分野で新聞や雑誌の記事を読むたびに腹が立つというのは、どの分野でもあることなんでしょうけど・・・。

2007年1月22日 (月)

アエラ誌の記事について

同じく本日発売された『アエラ』でも、ホワエグが見開きの記事になっていて、私も登場しています。

http://opendoors.asahi.com/data/detail/7859.shtml

目次には「「残業代ゼロ」先進地アメリカの実態」となっていますが、中味の標題は「「残業」なくす、の実相」で、記事の中心は制度の名称論になっています。

私の意見は適確に文字化していただいています。

>濱口教授は、高給ならば残業代などなくてもいいはずで、重要なのは労働時間規制がなくなったときの健康問題だという。

>それを残業代ゼロとか残業代ピンハネとか言って批判するのは、思考停止ではないか。・・・

エコノミスト誌の記事を見た後だけに、有り難いと感じましたが、考えてみればこれって当たり前では?

まあ、いずれにしても、新聞や週刊誌の取材を受けた後は、どういう記事にされてしまっているか心配ですね。

エコノミスト誌の記事について

本日発売された『エコノミスト』誌が「本当の労働ビッグバン」という特集を組んでいまして、その中に、小さなコラムで私も出ています。

http://www.mainichi.co.jp/syuppan/economist/

「空論に振り回される政策決定過程」という取材記事です。顔写真まで出ていますが、私が直接書いたものではありません。私が喋った内容を記者が自分でまとめたものなのですが、そのために一番肝心なところが全く逆の意味になるような書かれ方になってしまっています。

管理職の一歩手前のホワイトカラーが増えてきて、そういう人に残業代を払うと高いから何とかしてくれということだ、という後に、こう喋ったことになっています。

「それなら、対象者の基本給の調整で対応すればよいだけのことだ」

私はそんなことは言っていません。全く逆で、残業代込みで定額払いしたいために、毎月方程式を解いて、残業の多い月は基本給を下げ、残業の少ない月は基本給を上げればよいなどといっても、そんなこと現実にはできないだろう。だから、37条を改正して一括払いを認めればいいではないか、とちゃんと喋ったはずなのですが、記者の方の耳にはそのように聞こえなかったのでしょうか。私は「正しい意味でのホワエグ」には賛成だと、口が酸っぱくなるほど繰り返したはずなんですがねえ。

「それなら、残業代の支払義務だけ適用除外すればよいだけのことだ」

当該部分は、本来こうなっているべきであったものです。ブログをご覧の皆さんには、適宜訂正してお読みいただくようお願いいたします。

2007年1月19日 (金)

差別が禁止されるパートってだあれ?

16日に、パート法案の要綱が諮問答申されました。これがそれですが、

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/01/dl/h0116-1a.pdf

気になる点があります。例の差別が禁止されるパート労働者の範囲です。

法案要綱の表現では、「業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度からみてその職務の内容が当該事業所における通常の労働者と同一の短時間労働者であって、当該事業主と期間の定めのない労働契約を締結しているもののうち、当該事業所における慣行その他の事情からみて、当該事業主との雇用関係が終了するまでの間において当該通常の労働者と同様の態様及び頻度での職務の変更が見込まれる者」です。こういう「通常の労働者と同視すべき短時間労働者」については、「短時間労働者であることを理由として、その待遇について差別的取扱いをしてはならない」ということになります。

これだけだと、実に対象が少ないであろうなあ、という感じですが、その次にこういう表現があります。

「イの期間の定めのない労働契約には、反復して更新されることによって期間の定めのない労働契約と同視することが社会通念上相当と認められる期間の定めのある労働契約を含むものとする」

つまり、労働契約法の議論で問題になった有期契約の反復更新の問題が、こちらにもこういう形で顔を出しているわけです。労働契約法ではほとんど前進することはできなかったわけですが、こういう形でパートの均等待遇とリンクすることで、面白い効果を持つ可能性があります。それは、もともと判例という(雇い止めされてしまった後という意味で)事後的解釈の基準として形成されてきた有期契約の反復更新法理が、事前の判断基準として用いられることになるという点です。これは実は育児・介護休業法における有期労働者の扱いにおいても問題となった点です。

今、現に反復更新して継続雇用されている有期のパート労働者が、私は上の通常の労働者と同視すべき短時間労働者であると主張して均等待遇を要求したとき、その段階で「期間の定めのない契約と同視することが社会通念上相当と認められる」ものであるかどうかが判断されることになるわけです。もちろん、それも最終的には裁判所の判断ということになりますが、労働審判を申し立てれば早期にその判断が出されますし、この影響はなかなか大きいかも知れません。

エグゼンプションどころか・・・

JILPTの伝える共同通信の記事ですが、

http://www.jil.go.jp/kokunai/mm/hanrei/20070119b.htm

「取締役過労死で会社に責任 大阪高裁、遺族が逆転勝訴」だそうです。

>共同通信によると、大阪市のかばん卸売会社の専務取締役だった男性=当時(60)=が死亡したのは会社が過重労働を放置したためとして、遺族が同社と社長に約 7,200万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、大阪高裁は 18日、「生命の危険を防ぐ義務があった」として、会社側の責任を認め計約 1,200万円の支払いを命じた。一審判決は請求を棄却していた。

>原告の弁護士によると、取締役に対する安全配慮義務違反を認めた判決は初めてという。

エグゼンプションどころじゃありませんよ。管理職すら超えて、取締役ですよ。それでも過労死したら会社の責任が問われるのです。そういうものなのですよ、奥谷社長。

まあ、この事案は、

>男性が毎月 6日間、北陸地方に車で出張するなどの勤務実態からみて「取締役の名称は名目的だった」と指摘し、男性は使用者ではなく労働者だったと認定。死亡の半年前から部下の従業員 6人のうち 4人が辞めて長時間労働を余儀なくされたことなどから「高血圧になっていた男性には限度を超えた過労」と判断した。

ということなので、取締役という名目の実質高級管理職労働者と判断されたわけですが、それにしても、現在問題になっている「管理職の一歩手前」のエグゼンプションの人々よりはだいぶ上層に位置するはずです。そういう高級管理職でも過労死は過労死、そういう人使いの荒い会社は、人が死ぬとちゃんと賠償金がかかってきますので、心ある経営者の皆さん方はよくよく心得て、社員の健康に気を配ることが身のためのいうことになります。

2007年1月18日 (木)

別に嫌みじゃありませんが・・・

経済産業省事務次官の会見録にたいへん面白い記事がありました(「続・航海日誌」経由)。

http://www.seri.sakura.ne.jp/~branch/diary.shtml

http://www.meti.go.jp/speeches/data_ej/ej070115j.html

Q: 13日に菅総務大臣が情報通信省の創設について発言されたと思うのですけれども、経済産業省側からするとどのようにお考えですか。

A: ・・・・・・大臣が行かれたインドには、確かに情報通信省というものがあるのですけれど、それとは別に規制を監督する省もあり、規制と振興の分離が行われています。発展途上国は割と情報通信省というのがあるようですけれど、先進国のほとんどは規制と振興の分離、規制の方は行政委員会のような形で非常に透明な形で規制し、振興はむしろ産業振興と一緒になって、産業部門が担当するという形になっているのであり、組織のあり方を議論するのであれば、私は後者、規制と振興をベースにした組織の議論をする方が良いと思います。

 自動車産業との比較をしていただければよくわかります。自動車の製造は安全規制は国土交通省の自動車局が行っています。振興は私どもの製造産業局の自動車課一課で担当しており、そのように2つに分かれて振興しています。
 それから、自動車をめぐる行政という意味では、環境省が自動車の大気汚染防止対策、CO2対策をしており、自動車の運行に関する交通事故の防止という意味では警察庁が行政をしています。自動車産業省というのがあって自動車が立派になったのではなく、それぞれ役割分担をして自動車産業を育ててきたということです。私どもであれば、自動車課一課ですけれど、自動車の貿易摩擦や自動車の国際振興、輸出、あるいはEPAなどは省全体でほかの部局がほかの産業と同じように処理をしていく、非常に効率的な振興行政ができていると思います。
 自動車はそのようにいろいろなところでやっておりますが、国土交通省と経済産業省の間で二重行政があって、自動車業界が文句を言っているという話は一度も聞いたことがありません。・・・・・・

仰っておられることは全く正論です。しかし、そういうことを半世紀前にも仰っていただきたかったという感はありますな。

なにしろ、労働省設置当時、鉱山保安行政はいったん労働省所管と整理され、労働基準局に鉱山課までおかれたにもかかわらず、「鉱山における保安行政は、石炭増産の必要上、商工大臣が一元的に所管する」と話をねじ曲げてしまい、結局鉱山だけは生産が安全衛生に優先する行政体制になってしまったという故事来歴もこれあるわけで・・・。まさに、商工省と労働省の間で二重行政になったら困ると仰っていたわけでしょうに。

渡辺行革相は公務員スト権に賛成

一方、産経は、「「公務員、能力主義導入なら労働基本権も」 行革相」と報じています。

http://www.sankei.co.jp/seiji/seisaku/070117/ssk070117001.htm

>渡辺喜美行政改革担当相は17日午後、スト権を含む公務員への労働基本権付与問題について「個人としては、基本権を付与すべきだと思っている」との見解を明らかにした。都内で記者団の質問に答えた。

>また16日、内閣府にあいさつに訪れた連合幹部らに同様の趣旨を伝えたことや、基本権付与問題を扱っている政府の行政改革推進本部専門調査会の佐々木毅座長(前東大学長)に4月をめどにスト権付与の是非を含む中間報告を要請したことも明らかにした。

>渡辺氏は基本権付与に賛成する理由として、通常国会に法案を提出予定の、公務員への能力・実績主義に基づく人事制度導入を挙げた上で、団体交渉権を念頭に「新たなシステムを導入するのだから、人事院に任せきりにしている(公務員の処遇の)話を、当事者同士の交渉に乗せることが必要だ」と指摘した。

私は、団体交渉権、あるいはより正確には労働協約締結権、つまり労働条件決定権の問題に関しては、これはそれなりに筋の通った話だろうとは思いますが、スト権はまた別の問題ではないかと思われます。民間企業と異なり、本来的に代替的サービスが存在し得ない行政サービスについては、国民に行政サービスを提供しない状態をそもそも予定すべきではないと思うのですがね。

確かに、スト権は団体交渉権の担保と位置づけられていますが、ほかに担保措置があれば無理にスト権を認めなくてもいいはずです。団体交渉権まで認めるのであれば、あとは仲裁裁定という話になるでしょう。

「労働基本権」という言葉で、すべてのものをごっちゃに議論しない方がいいように思われます。

名前が悪かった

同じ朝日の今朝の朝刊ですが、

http://www.asahi.com/business/update/0117/149.html

「残業代ゼロ法案、名前が悪かった 経済界が「敗因分析」」と、なにやら揶揄的な記事になっていますが、ここで北城さんの仰っていることは、実は物事の本質を衝いているのです。

>「高度専門職年俸制」(経済同友会の北城恪太郎代表幹事)といった名称変更案も出てきた。

>17日に東京都内であった社会経済生産性本部の労使セミナーで、北城氏は「ホワイトカラーの仕事は時間ではなく成果ではかるべきだ。残業代がゼロになると言われているが、高度専門職年俸制といったほうがわかりやすい」と発言。議論を深め、将来的には導入する必要があるとした。

要するに、ポイントは、この制度は賃金の支払い方の規制緩和なのであって、労働時間規制の緩和などではないのだということをはっきりさせることだったのです。

残業代ゼロと扇情的に報じていたマスコミ人のどれだけ多くが、現行の労働基準法では、年俸制といえども(管理監督者でない限り)実は時間給に過ぎないということを理解しているのでしょうか。

年俸を12で割って月給を出し、これを1ヶ月の所定労働時間で割って1時間当たりの労務単価を出し、それに25%上乗せした残業代を必ず払わないと、年俸制といえども労基法違反になってしまうのです。

そもそも戦前のホワイトカラーの月給制はノーワークでもペイがあり、ノーペイでもワークがある、一括払い制のことだったのに、戦中戦後の混乱の中で月払いの時給制とごっちゃになってしまったのが今の制度なのでありまして、それをどうすべきかというもっと冷静な議論ができなかったことが、実は最大の敗因でしょう。

求人の年齢制限禁止?

朝日が昨日の夕刊でびっくりするような記事を書いています。

http://www.asahi.com/life/update/0117/006.html

「求人の年齢制限禁止を自民検討 再チャレンジ促進の一環」という見出しで、「自民党は17日、企業が労働者を募集・採用する際に、年齢による制限を原則禁止する方向で検討に入った」と伝えています。

>就職氷河期に希望の職につけなかった年長フリーター(25~34歳)や定年を迎えつつある団塊世代を念頭に、安倍首相の「再チャレンジ」促進策の一環として、年齢差別による門前払いをなくすのが狙いだ。経済界は難色を示すとみられ、今後調整を本格化させる。

>同党の雇用・生活調査会(川崎二郎会長)で具体策を詰め、通常国会に提出予定の雇用対策法改正案に盛り込む考えだ。

ということで、前にこのブログで紹介した自民党の雇用・生活調査会が本格的に動き始めたようです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_9e26.html

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_b3a1.html

この求人年齢の問題については、既にこのブログでも昨年末取り上げた労政審雇用対策基本問題部会報告でも、中高年だけでなく年長フリーターをも念頭において、新たに指針を策定することが提起されているわけですが、そんなものでは生ぬるい、もっと厳しくいけ!と、自民党の労働者シンパ議員たちは叫んでいるのでしょうね。

まあ、「年齢制限を禁止しても罰則は設けない方向だが、都道府県の労働局が是正を指導できるようになる」ということですので、企業の人事管理にはかなりの影響を与えることになるでしょう。

もちろん、現時点ではまだ朝日にリークされただけですからどうなるか分かりませんが、昨年末に東大の講演会でお話しした年齢差別政策の進展という観点からも、たいへん興味深い話題で、しばらく目を離せません。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/todaikoen.html

2007年1月17日 (水)

欧州社会党の10原則

昨年12月に開かれた欧州社会党大会で採択された「新ソーシャル・ヨーロッパ-我らの共通の未来への10原則」という決議がなかなか興味深いです。

http://www.pes.org/downloads/10principles_FINAL_EN.pdf

10原則とも、まず「・・・と言う者がある。我ら欧州社会党は・・・」という調子で始まります。

第1原則「万人の権利と義務-結束の本質」も、「我々の社会の未来を市場の力の導きに委ねよという者がある。我ら欧州社会党は政治的決定を行った:万人の権利と義務である。」と言う調子です。市場原理主義の反対は決して福祉よこせではありません。こういう言い方をします。

>個人は社会と労働力に十全に参加する権利を有する。彼らの義務は、質の高い教育訓練や他の人的資源を高めるための措置の機会を掴むことである-彼ら自身の利益と社会全体の利益のために。

たいへんワークフェアですね。

こういう調子で、

第2原則:フル就業-未来への基礎

第3原則:人々への投資:我らはハイロードをとる

第4原則:統合的な社会:誰一人取り残さない

第5原則:普遍的な育児

第6原則:男女同権

第7原則:労使対話:それなしにはすまない

第8原則:多様性と統合を我らの長所に

第9原則:持続可能な社会:気候変動に取り組む

第10原則:人々のための積極的なヨーロッパ

と続いていきます。そんなに長くもないですから、さらっと読んでみて下さい。

ホワエグ断念!

政界の動きは目まぐるしく、なかなか追いついていけないうちに、あれよあれよという間にホワエグ断念に追い込まれたようです。

http://www.asahi.com/politics/update/0116/011.html

http://bizplus.nikkei.co.jp/genre/top/index.cfm?i=2007011608740b1

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070116i215.htm

http://www.sankei.co.jp/seiji/shusho/070117/shs070117000.htm

http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/kokkai/news/20070116k0000m010170000c.html

主要各紙を並べてみましたが、日経を除き、各紙とも見出しに「残業代ゼロ法案」、「残業代ゼロ制度」、「残業代ゼロ法案」、「残業代ゼロ制」と、くつわを並べてそこのところを批判する論調になっています。

まあ、民主党の菅副代表が「残業代ピンハネ法案」などと扇情的なことを言っていたようですし、もうまともな議論ができる雰囲気ではないのでしょう。民主党も、昨年末に出された労働契約・労働時間法案では、少なくともこの点についてはかなりまともな認識に近いものを示していたのですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_7412.html

そういう次元じゃなくなっちゃったみたいです。とにかく、すべては参院選に向けての宣伝戦略から考える、と。

記事が詳しいのは、さすがに昨年末から「残業代ゼロ」キャンペーンを張ってきた朝日で、

>安倍首相は16日夜の日本記者クラブでの記者会見で「働き過ぎを助長してはならない。ましてやサービス残業を奨励する結果になってはならない。なんと言っても働く人たちの理解が不可欠だ」と強調。これに先立ち、首相は同日夜、国会中に理解を得られるかどうかを記者団から問われると「働く人の理解がなければうまくいかない。今の段階では難しい」と語った。

>WE導入は、財界が「多様な働き方」(御手洗冨士夫・日本経団連会長)を促すものとして求めてきた。政府もこれまで、最低賃金引き上げやパートの正社員化を促すパート労働法改正など他の法案とセットでの処理を目指してきたため、WE法案はかりに成立が困難だとしても、通常国会に提出する道をぎりぎりまで探ってきた。だがこれ以上与党との亀裂が広がることは得策ではないと判断、首相側近も16日夜、「選挙もあるのに民主党に有利な材料を出すことはない。提出は絶対にない」と断言した。

>ただ、WE導入の先送りに対しては財界が反発している。日本記者クラブでの会見で、首相はパート労働法改正案の提出方針は示したものの、セット処理の前提が崩れたことで労働法制全般の処理で混乱が生じる可能性も出てきた。また昨年12月の道路特定財源の一般財源化に続き、首相が看板に掲げる「再チャレンジ」に直結する政策分野でも与党内の反発を押し返すことがなかったことで、首相の求心力低下も避けられない。

>WE導入は、政府が05年3月に閣議決定した規制改革・民間開放3カ年計画をもとに厚生労働省が検討に着手。しかし議論の中で「残業代ゼロ」という部分が強調されたため、野党から「残業代ピンハネ法案」(菅直人・民主党代表代行)などと批判された。与党内でも公明党を中心に抵抗を強め、首相周辺からも「選挙にプラスになる法案ではない」という声が出ていた。

>厚労省はWEの呼称を「自己管理型労働制」と統一し、柳沢厚労相が今月上旬から与党幹部に説明に回った。塩崎官房長官も「法律を出すのが筋だ」と強気の姿勢を打ち出していたが、与党内は「厚労相が動いているから、その足をひっぱらない程度に発言しているだけだ」(自民党幹部)と冷ややかだった。

あのですね、「「残業代ゼロ」という部分を強調」したのは、外ならぬ朝日新聞さんじゃございませんでしたっけ。審議会では、労働側はもっぱら働きすぎによる過労死の懸念を問題にしていたんですよ。本来的な議論としては、そこが最大の問題点なのであって、低レベルなマスコミさんのように「残業代ゼロ」と喚いていたわけではない。

ただ、これは他の労働関係法案にも大きな影響を与えかねません。

朝日は、さらに別記事(「働く人、敵に回せぬ」世論読み誤った残業代ゼロ断念)で、

http://www.asahi.com/politics/update/0116/014.html

>一定条件の会社員の残業代をなくす「ホワイトカラー・エグゼンプション」(WE)の法案提出を見送ることになった背景には、夏の参院選を前に「サラリーマンを敵に回したくない」との与党の判断に加え、世論の反発を読み誤って、導入を急いだ政府の拙速な姿勢がある。だが、WEは、パート労働法改正や最低賃金の引き上げなど、一連の労働法制見直しとセットで調整してきた経緯があり、経済界の反発は必至。他の法案審議にも影響を与えそうだ。

と書いています。この点は重要です。つまり、

>今国会で改正を予定している労働関係などの法案は、労使の利害調整を経て「寄せ木細工」(厚労省幹部)のようになっている。産業界が求めるWEを実現するのとセットで、労働側が求める残業代の割増率アップや、最低賃金法の強化などを産業界に受け入れさせた経緯があり、この日もパート労働法の改正案要綱が出たばかり。パートへの厚生年金の適用拡大の議論もこれからのタイミングだ。WEを認めないとなれば、全体が崩れるおそれがある。

>日本経団連幹部は「WEの見送りは、総理の決断だから仕方がない。だが、(パート労働法改正など)全部セットの話なんだから、全部なし、ということだ」と話す。

ということになってしまうと、4年に一度の労働国会(厚生労働委員会で大きな厚生関係法案がないため労働関係法案に集中できる年)がすっ飛んでしまいかねません。

そういうことにならないようにするためには、いかに週刊誌レベルの反発が強くても、審議会で労働組合側が了解しているよ、というのがお守りの護符になるというのが三者構成原則の妙味だったわけですが、労働側が明確に反対の意思表示をしたままで答申に至ってしまったので、それが効かなくなったのは痛かったという感じですね。

ここはなかなか難しいところで、私の感触からすれば、労働側が呑むような方向付けはありえたのではないかと思うのですが、結果がこうなった以上、言っても詮無いことでしょう。

多分、一番うれしがって祝杯を挙げているのはマスコミ関係者だったりして。労働側にとっては、一応勝った勝ったといいながら、ホンネでは頭を抱えてしまっている面があるように思いますよ。

2007年1月16日 (火)

注射針事故による血液感染

EU労働法政策に動きがありました。

労働立法を立案するに際して、まずEUレベルの労使団体に2段階の協議を行うという仕組みがあることは、HP掲載の諸論文でも紹介しているところですが、昨年末、最新の協議が行われたようです。

http://ec.europa.eu/employment_social/social_dialogue/docs/needlestick1_en.pdf

病院の医師や看護師など医療労働者が、注射針を自分の皮膚に刺してしまって、患者の病原体を血液感染してしまうという事故は、日本でもよく報じられていますが、今回の第1次協議はこれがテーマです。

2005年2月に、欧州議会がこの問題を取り上げる決議を行ったのが政治的な出発点のようで、その後2006年7月にはさらにこのための指令改正案を提出するよう求める決議もされています。指令改正ということになれば、条約上労使に協議しなければならないので今回第1次協議ということになったわけですが、性質上たいへん専門的な分野ですので、主として医療関係団体がレスポンスするということになるのでしょう。あるいは、そもそも欧州議会の決議自体、医療関係団体のロビイングの結果のような気もします。

こういうのも、立派な労働安全衛生法政策なのです。

2007年1月15日 (月)

宮本光晴先生の議論

連合総研の「DIO」最新号に、宮本光晴先生の「日本の格差問題・雇用問題にどう対処するのか」という講演録が載っていますが、あまりにも私の問題意識と近いので、改めてびっくりしました。

http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no212/hokoku_2.htm

最初に『ニッケル・アンド・ダイムド』という本の紹介からはいって、

>時給8ドル以下、あるいは時給1,000円以下の仕事をなくすることができるかといえば、難しいという以外にありません。貿易財として取引しているわけでもないのに時給において見事に符合することに、ある意味で感心するのですが、規制をなくせばグローバルに均一の世界が成立する、ということかもしれません。少なくとも下層というか、弱い部分においてはそうかもしれません。

>時給8ドル以下の仕事、時給1,000円以下の仕事をなくすことができないのであれば、問題はこれを誰が行うのかということに帰着する、と考えることもできます。外国人労働者を利用すれば、確実に格差社会です。この問題に関してこれまでわれわれがあまり深刻に考えてこなかったわけは、これらの仕事は、世帯主がいたうえで、40代、50代の家庭の主婦や、若年層においては学生や、あるいは家事手伝いの者が補助的に行う、という形になっていた。そのために時給8ドル以下や時給の1,000円以下の仕事の深刻さは表面化しなかったのだと思います。

>要するに時給1,000円以下の仕事は時間としてのパートというよりも、仕事としてパートであった。メインは家事であり学業であった。学生の場合、メインは遊ぶことかもしれませんが。それはともかく家事や学業を支えるためにパートやアルバイトの仕事を行う、こういうことであればよかったわけですが、そうではなくなった。時給8ドル以下や時給1,000円以下の仕事を文字通りフルとしてやらざるを得なくなっている。それは親がなくなった、あるいは親から離れた派遣の若者かもしれませんし、離婚した女性かもしれません。いずれにせよ、時給1,000円で2,000時間働いたとしても年に200万ですから、ワーキング・プアの問題となるわけです。

これは、私がこのブログで「パートっていうな」で述べた内容ですね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/02/post_e4de.html

>ではどうすればいいのか。おそらく3つあるいは4つ考えられると思います。第一は、最低賃金の問題を含めて市場のルールをどのように整備するかということです。第二は、非正規の正規化をどう図るのか、第三は、正規、非正規の区別自体をなくして短時間正社員化をどう図るのかということですが、第四としては、あまり評判がよくないのですけれども、家計補助パートの利点を認めるということです。どのようにやったとしても時給8ドル以下あるいは時給1,000円以下の仕事は残らざるを得ないわけですから、それをフルとしてやるわけでなく、パートとしてやるためのいろいろな条件を整えるほうが、現実の解決法としてはいいのでないかと思うわけです。

宮本先生は、安直に日本型雇用システムを破壊すべきだというたぐいの議論には疑問を呈します。

>日本の雇用システムに関して正社員モデルという表現がありますが、その一つは世帯主モデルといいますか、家族を支えるための処遇を図るというものですね。この拡張として、世帯主プラス家計補助パートのモデルがあるわけです。家族を単位にして教育費とか住宅ローンとかさまざまな出費が不可欠になってくる。そこで家庭の主婦が家計補助パートに出かける。先に、第四の方法として言ったことですが、あくまで目的は家族であるという意味で、あえて言えば時給1,000円以下の仕事の安定的なモデルがあった。ひょっとすれば時給1,000円以上の働きをしているかもしれない。このためにはいわゆる103万や130万の壁が必要です。しかしこれは不公平だ、主婦であるという理由で家計補助パートに閉じ込めるのはけしからん、連合の方針もこうだと思いますが、男女共同参画社会といった観点から、時給8ドル以下や時給1,000円以下の仕事を引き受ける最も安定的なモデルが非難されるわけです。私自身は格差社会に対処するためにも、世帯主プラス家計補助パートのモデルを壊す必要はないと思うのですが、これについて話すと切がありませんので、これでやめにします。

とはいえ、

>2番目の正社員モデルは、中高年の雇用維持です。先の世帯主プラス家計補助モデルも世帯主の雇用維持が前提となります。そのためには雇用調整を行うとしても、基本的に新卒採用を抑制する。確かにこの結果がニート、フリーター問題となるわけです。今のところ彼らの時給1,000円以下の仕事は、親の下で成り立っています。親の雇用を維持する代わりに、子供の雇用は派遣や業務委託など、非正規のものになるということですが、親はいつかはいなくなるわけですから、このとき大量のワーキング・プアの出現となる。

>この意味で、正社員モデルがニート、フリーター問題を生み出しているという指摘は、確かにそのとおりです。

しかし、だからといって、正社員モデルを壊せばいいわけではありません。

>確かに日本の雇用システムのジレンマとして、正社員を中心に置く限り、そのしわ寄せはすべて非正規に向かうということがあります。だから、この問題を解決するためには、正規、非正規という区別をなくしてしまえばいい、区別をなくせば格差もなくなる、という議論もあります。議論が本末転倒しているといいますか、確かに正社員モデルを作るために、非正社員を利用したのですが、非正社員の問題を解決するために正社員モデルを破棄することは、解決にはならないと思います。というよりも、正社員モデルは企業の選択ですから、壊しようがないわけです。

もう一つの問題点は、人材養成機能の問題です。

>もう1つ、非正規雇用から正規雇用への転換を図るべきということがあります。確かにこれも日本の雇用システムのジレンマです。先に述べましたように、定型的業務の部分を正社員モデルに包摂することができなくなって、これを外部化したわけですが、これを再度内部化することは難しい。ただし非正規雇用を外部化されたままに放置することはできないことも明らかです。日本の雇用システムの最大のジレンマは、正社員として雇用を獲得しなければ技能形成の機会がないということです。

>例えば雇用政策として、日本は失業給付といった消極的な雇用政策しかない。これに対してEUでは、職業教育訓練を中心とした積極的雇用政策が主流となっている、ということがしばしば指摘されます。確かにそうですが、これもまた仕方のないことです。つまりEUと日本の間には、雇用の前に職業訓練をやるようなシステムなのか、それとも雇われてから職業訓練、技能形成をやるようなシステムなのか、という違いがある。雇われる前に職業訓練を行うようなシステムがちゃんと確立されているのであれば、積極的な雇用政策がうまく機能しますが、しかし日本の場合にはその前提となるシステム自体が存在しない。逆にいえば、正社員の雇用に就く前にちゃんと職業訓練を行い、そして正社員の道を開けるような、そういう制度が本当につくれるかどうかだと思います。

では、望みはないのかというと、宮本先生が希望を託すのは中小企業です。

>格差を解決するためには、能力形成が不可欠であることは間違いないと思います。まったく大雑把な話になりますが、能力形成の場といった場合、おそらく製造業の大工場では国内において正社員が増えることはない。

>この間、川崎市で収益性が一番いい産業は、1つは自動車です。もう1つは鋳造や鍛造や金属加工といった分野です。文字通りもの作りの現場ですが、そういうところにヒアリングに行くと、非常に面白い。びっくりするほど若い人が多い。大田区でもそうですが、生き残ったもの作りの中小企業は、本当に強い中小企業だと思います。

>そういうところでは、若い人を雇うことに非常に意欲的です。その職場は確かに3Kに近いかもしれない。汚いはありません。非常にきれいというか、清潔です。きついことは間違いないけれども、若い人を雇い、見事に現場での技能形成をやっています。もの作りは人作り、ということが実感できます。最初に話しました、若年層におけるフリーターや非正規雇用の問題に戻りますと、ハイテクの大工場で派遣として働くのか、それとも中小のもの作り現場で働くのか。こういう選択に対して、後者の選択に向けて社会的に教育していく必要があるのではないかと思います。

それに対して、対人サービス分野はむしろメインじゃない仕事としてやる旧来のパート、アルバイト型モデルを提示しています。もっとも、その主たる担い手は高齢者のようです。

>それからもう1つは、対人サービス分野です。これもまた最初の話に戻りますと、これをメインの仕事としてやるとなると、正社員化や、短時間正社員化や、あるいは最低賃金の問題となります。そうでなく、パートとしての仕事、例えば定年退職をした、あるいは親や夫や家族を基盤とした上で、パートとしてやる、そういう潜在的資源はもっとあるのではないかと思います。

>とくに、対人サービスの分野は、これから膨大に退職する高年層が持っている社会的スキルが非常に大きく活用できると思います。もっとも、40年間、組織のなかでがんじがらめになって、対人スキルが枯渇してしまったという人も結構多いかもしれませんが、一般的にいえば非常に高いレベルの社会的スキルを持っているわけであって、パートの仕事として十分に利用可能であると思います。

これまた、かつてこのブログで私が書いたことと見事に響き合っていて、とても力強い思いがします。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_ec1b.html

パート法改正問題

13日の朝日が一面トップで、

http://www.asahi.com/life/update/0113/005.html

「パート待遇改善、無期契約者に限定 法改正案要綱」という記事を書いています。

曰く、「パート労働者の待遇改善を目的に、厚生労働省が通常国会に提出する予定のパート労働法の改正案要綱が12日、明らかになった。正社員との賃金などでの差別待遇を禁止するのは、雇用契約期間に定めがないパートと明記。仕事内容のほか、採用や転勤など人事管理も正社員と全く同じとの条件もつけている。このようなパート労働者は極めて少ないとみられ、安倍首相はパート法改正を「再チャレンジ」促進策の柱の一つに掲げるが、政策効果も限定的となる可能性がある」

でも、それは昨年末に労政審の建議が出たときから分かっていたことなんじゃないのか、と思いますけど。

12月27日付のエントリーで書いていますが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_fd8f.html

どうも、朝日新聞は、建議の「職務、職業生活を通じた人材活用の仕組み、運用等及び就業の実態(労働契約の形態等)が同じである」というのを、取り違えていた可能性があります。

これでは「差別禁止の対象者はかなり限られると見られる」というのは確かですが、そもそもヨーロッパにおけるパート差別禁止にしても、「比較可能な」フルタイム労働者との差別禁止なのであって、日本のようなメンバーシップ型雇用社会において、フルタイム労働者と「比較可能な」短時間勤務労働者とは、建議でいうようなものにならざるを得ないでしょう。

もっとも、それでは「再チャレンジ」に役に立たないではないか、というのは、それはそれでもっともな批判ではあります。そもそも、パート対策が再チャレンジの中心課題になってよかったのか、という問題にも絡んでくるわけですが、ここは難しいところですね。

2007年1月12日 (金)

奥谷禮子氏の愉快な発言実録版

というわけで、週刊東洋経済様のお陰で、突如として半日で300ヒットを記録した話題の奥谷禮子氏ですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_bcac.html

この時にはまだ厚生労働省のHPに議事録が載っていませんでしたので、伝聞の伝聞みたいな形になっていたのですが、現在はちゃんと議事録が公開されていますので、皆様方のご参考のために、以下に引用しておきます。スバラ式発言の数々をご堪能下さい。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/10/txt/s1024-3.txt

○奥谷委員 私の言っているのは、ホワイトカラーエグゼンプションに変えて、好きな時間帯で夜も働けばいいわけで、朝から夜中まで働けとは言っていないわけです。ですから、朝9時から夜中の3時、4時まで働くことに対して割増賃金がどうのこうのということをおっしゃっているわけでしょう、そうではなくて、8時間だったら、1時から9時なり10時まで働くのは構わないのです。
 そういう意味で自主管理とか、自分の仕事を管理するとか、自分の裁量で決めるということを、なぜ任せないのか。なぜいちいち法律で決めてやっていかなければいけないのかということがわからないのです。

○田島委員 いま委員が言われたことは、41条2項の労働時間の適用除外の人は本来できるはずなのです。そういう人たちでさえ、遅刻したり、勤怠で制裁を受けたり、査定をけたり、あるいは適用除外の人たちの8割が会社側に時間管理をされていますというの実態なのです。いま言っている適用除外でさえ、そうではないでしょうという現実をどう見るかということです。

○奥谷委員 現実の企業では、そこまでの部分はありません。ある程度フレキシブルにやっています。夜中もし働くのであれば午後から出てきていいとか、そういう形で健康管理も含めて。人材が大事なわけです。またそういう会社であれば人が来なくなります。ですから、今度は企業が選ばれてしまうわけですから、そういうことに対しては、いかに、どう労働者が働いてくれるかということに対して、企業はかなり神経質になってきます。私は皆さんがタコ部屋みたいな発想で、そんなに心配することはないと思います。

○長谷川委員 すべて日本の企業が、委員のような会社だったら、本当にみんな幸せだと思います。そういう会社だけではないのです。先日、家族が過労自殺したとか、過労死した人たちが、いろいろな意見を持って来られて、その話を聞いていてわかったのですが、そういう人たちの話は、ほとんど一般の労働者ではなく、どちらかというと中間か、管理監督者だったのです。本人は働いていく。会社もその人にしてほしいと期待するのです。会社もそういう人たちに対して健康管理をしなくなってしまう。そういう人はすごく真面目で責任感が強いから、どんどん働いてしまうのです。
 これはそういう人の妻に聞いた話ですが、バタッと死ぬのだそうです。これは過労死の特徴だそうです。日本の中で過労死とか、過労自殺がゼロになったら、この話はもっとお互いにできるのだと思います。しかし、現実に過労死とか、過労自殺があって、労災認定を受けたり、訴訟をやっている人もいるわけです。委員のような会社だったらないと思いますが、日本の企業は北海道から沖縄まであるわけですから、守れなかったり、労働者の健康管理ができない所にもあるわけです。だから、基準法で最低基準を決めましょうということなのです。企業も会社の役員も、もっと労働者や中間管理者の健康を気遣って、「駄目だぞ、このぐらいになったら働いちゃ駄目だ、休みなさい。あなたは今日はもう帰りなさい」というようにしたら、過労死や過労自殺はゼロになると思います。ところが、不幸なことに、我が国は過労死や過労自殺はゼロではなくて、むしろ増えています。だから、労働時間の、特に深夜労働はどうなのかということを不幸なことに議論せざるを得ないというのが現実だと思います。

○奥谷委員 過労死まで行くというのは、やはり本人の自己管理ですよ。

○長谷川委員 でも自己管理だけではなく、会社も仕事をどんどん与えるのです。

○奥谷委員 でも、それをストップするというのも。

○長谷川委員 世の中は委員みたいな人ばかりではないのです。それが違うところなのです。

○奥谷委員 はっきり言って、労働者を甘やかしすぎだと思います。

○長谷川委員 管理者ですよ。管理者たちにそういうのが多いのです。

○奥谷委員 管理者も含めて、働いている一般労働者も含めて、全部他人の責任にするということは、甘やかしすぎですよ。

○長谷川委員 そんなことはないですよ。それは違います。

○奥谷委員 それはまた組合が甘やかしているからです。

○長谷川委員 そんなことはありません。

2007年1月11日 (木)

派遣の事前面接解禁へ

というわけで、ここんとこホワエグ三昧だったわけですが、世の中はその他にもいろいろ動いておりまして、日経によると、派遣の事前面接解禁に向けて、今月下旬から方向性を示すとのことです。

http://www.nikkei.co.jp/news/main/20070111AT3S3000610012007.html

これは、既に昨年早くから労働力需給制度部会でフォローアップの審議を続けてきているもので、経済財政諮問会議のビッグバンで尻を叩かれていよいよ本格的に改正作業に入っていくということですね。

これも前に書きましたが、私は、事前面接の解禁は結構だと思っているんですよ。問題は、そうやってこいつは要らない、こいつは欲しいといって使い始めた派遣労働者に対して、派遣先企業がちゃんと責任をとるような仕組みを担保するというところにあるわけですから。現在の派遣法の枠組みが、派遣労働者の保護よりも派遣先の常用労働者のことばかりを配慮しているという八代さんたちの指摘は全く正しいのであって、じゃあ、派遣先はどういう責任をとるの?というところが欠落しているだけで。

ホワエグは国会提出!

というわけで、朝日によりますと、

http://www.asahi.com/politics/update/0111/003.html

「残業代ゼロ法案、提出へ」ということになるようです。

>ただ、参院選を控え与党内の反発は強く、法案提出が今春の予算成立後にずれ込む可能性もある。これに関連して柳沢厚生労働相は同日、自民党の中川昭一政調会長ら与党幹部と会談し、年収900万円以上の会社員に限定することで対象者は20万人にとどまるとの推計を示した。

>塩崎官房長官は10日の記者会見で「国民の理解を深め、提出するのが必要なことだと思う」と述べた。その後の講演でも「法律を提出するのが筋だと官房長官として考えている」と強調した。

年収要件については私には若干違った意見がありますが、まあなんにせよ「国民の理解を深め」て(トンデモじゃないちゃんとした理解ね。国民の前にまず首相から)、法案を提出するのが筋でしょう。

2007年1月10日 (水)

ホワエグ要件に職務記述書

朝日ですが、

http://www.asahi.com/life/update/0110/004.html

見出しは「残業代ゼロの基準は年収900万円以上、と厚労相」で、まああり得るな、という話ですが、その後にさりげなく凄いことが書いてあります。

>柳沢氏が同日示した厚労省案によると、制度導入の対象者について「管理監督者一般の平均的な年収水準を勘案」と明記。その水準を「現状では900万円以上と想定される」とした。また、「労働者が自分で業務量をコントロールすることは実際にはできず、過労を招く」との批判に対応するため対象労働者の仕事内容を「職務記述書」などで明確化するとした。

>柳沢氏は斉藤氏に対し、「与党幹部に理解を深めていただいた上で、判断していただきたい」と述べ、通常国会で労働基準法改正案を提出する方針を改めて示した。

>ただ、公明党には「年収要件は将来変更される可能性があることや、結果的に長時間労働を強いられる恐れがある。現在の案では、国民の不安がぬぐえたとは言いがたい」(幹部)との声が多く、党として法改正には慎重に対応する意向を崩していない。

いや、公明党がどうこうというところではなく、仕事内容を職務記述書で明確化するというところです。

をいをい、やっと最賃から追っ払ったと思った職務給の亡霊が、今度はホワエグに取り憑いたってわけかい?とからかってる場合じゃないんでしょうね、、もちろん。国会に出せるかどうかの瀬戸際なんですから、なんでもかんでももっともらしく見えるものは出すんだというのは合理性のある判断ではあります。

しかし、それにしても、ホワエグをやるためには職務記述書を書かなくちゃいけないとなると、企業にとってはたいへんですなあ。このあたりは、柳澤大臣のイニシアティブが感じられます。労働基準局の事務局あたりから出てくる発想じゃない。恐らく、公務員改革なんかともつながってると思いますよ、大臣の頭の中では。

ホワエグは見送りだって!?

日経ですが、

http://www.nikkei.co.jp/news/main/20070110AT3S0901G09012007.html

「労働時間規制除外制は導入見送り、選挙控え政府与党方針」と報じています。

>政府・与党は9日、一定条件を満たす会社員を労働時間規制から外す「日本版ホワイトカラー・エグゼンプション」の導入を当面見送る方針を固めた。野党が「残業代ゼロ制度」などと批判しており、4月の統一地方選、7月の参院選を控え、政策の是非を冷静に議論する環境にないと判断した。

>政府は労働市場改革の関連法案を通常国会に提出すべく法案づくりを進めてきた。労働時間規制除外の先送りに伴い、今後は制度周知のために法案を提出したうえで継続審議にするのか、法案提出自体を断念するのかを話し合う。

はあ~~、まったく、馬鹿げた展開だ。

正直に、長い時間働いたからといって高い給料払わなくてもいいようにする制度です、って言っていれば、まともな擁護論がもう少し出てきただろうに、仕事と育児の両立だの、少子化対策だの、トンデモな嘘八百を並べ立てた挙げ句にこのざまだからな。

2007年1月 9日 (火)

柳澤厚労相ホワエグの本質を語る

厚労省のHPに1月5日の閣議後記者会見録が載っています。

http://www.mhlw.go.jp/kaiken/daijin/2007/01/k0105.html

なんにも分かっていない与党の政治家諸子は、これをよく読んで、ホワエグとはそもそも何であるか、そして何でないか、ということをよおーくお勉強してくださいね。

(記者)今大臣の方からご発言もありましたけれども、ホワイトカラーエグゼンプションについて、公明党の太田代表、それから、自民党の丹羽総務会長などから慎重な対応を求める意見がありますけれども、こうした与党内での慎重な意見を受けて、大臣の法案の提出に向けた決意といいますか、お考えを改めてお伺いしたいのですが。

(大臣)これは今も言ったように労働政策審議会でいろいろ議論をしていただきまして、そのいきさつは皆さんよくご承知のとおりで、労働側として大賛成というわけにはいかないという中で、しかし、法制化等の手続きを前に進めることには文句を言わないということで収まったわけです。これらを受けて、心配をしている向きがあるというのが現在の状況かと思います。我々としてはまず、我々が何をやらんとしているかということについて、十分な理解をいただくということが大事だと思っておりまして、先ほども言ったようにその努力をまず払うことが大事だと考えております。若干のことをこの機会に申し上げますと、日本のホワイトカラーの仕事については、従来から私自身もいろいろな問題があるというふうに意識をしておりました。直接今回の問題とは、ちょっと別建てなんですけれども、私は、要するに、公務員の世界においても、企画・立案の仕事をする人たちとルーティンワークをする人たちとが同じ労働時間法制の中にいることなども問題ではないかということを、行政改革を担当している当時から強く意識をしておりました。これは、民間といえども同じであって、要するに、企画・立案をする仕事というのは、これは、ルーティンの仕事を時間でもって仕事の成果を測って、それに対して報酬が払われるということとは全く違うというふうに私は思っています。何時間そこに座っていたから、おまえさんは大変立派だということにはならないわけでありまして、したがって、どういう知恵を絞って良いアイデアと、それの制度化というか、そういうものをクリエイトしたかということでもって、その成果が測られるべきだと。それから、また、成果が測られるということだけではなくて、ホワイトカラーの、いわば、企画・立案、企画業務などをやる人たちは、そこが自分の勝負所だということについて、しっかりした意識を持って仕事に取り組むということが、日本の経済をこれ以上進めていくためにはどうしても必要だというふうに私は考えるべきだというふうに思っているわけです。ですから、一体そういうことを労働法制・労働時間規制などの中にどういうふうに反映させていくか、投影させていくか、このことが問題ということでありまして、例えば、超過勤務手当をゼロにするだとか、そんなことは本当に我々として全く考えていない、人件費の抑制に寄与するとかというようなことは我々として全く考えていないということでございます。

(記者)大臣としてですね、ホワイトカラーの法案を今年の通常国会に法案を提出したいという目標、これは現時点では変えない。

(大臣)変えません。変えるつもりはない。

(記者)先程おっしゃられた、ホワイトカラーのところを成果主義にするべきだと。

(大臣)ホワイトカラーのところ、とは言っていないですね。ホワイトカラーの企画部門。ホワイトカラーと言っても、ルーティンの仕事をしている方もいらっしゃるわけですね。

(記者)現在の裁量労働制の中で、企画・立案はその裁量労働制をこう・・・

(大臣)裁量労働制といっても、なかなかそこが必ずしもスムーズにいっていないということを聞いておりますし、それからまた、何よりも、日本経済を前進させていくためには、ホワイトカラーの人たちが相当これから知恵を絞っていただくということが必要ですから、そういう受け皿として一番どういう方法がいいかということを考えていくと、こういうことを申し上げたわけです。

(記者)それに関連してなんですけれども、そうすると大臣は、労働時間というものに対してはどのようなお考えなんでしょうか。

(大臣)労働時間というのは、ルーティンの仕事をずっとやるところの話でしょうか。

(記者)そうではなくて。1人1日8時間働くというのが、今の労働基準法で決まっていますよね。それ以上は残業になると。本題は健康の問題ですね、きちんと体を休めるという問題を考えての制約ですよね。それをとっぱらうわけですから、労働時間というものを大臣はどういうふうにお考えなのかを聞きたい。

(大臣)これは、労働時間というのは、基本は今申されたように労働者の健康をしっかり維持すると、それから、最近では、加えてワークライフバランスというものをしっかりとっていくということのために、そういうことが一番フィットする部分と、労働時間では必ずしもフィットしない部分が労働の中にはあるというふうに、私は思っているわけです。企画などの人というのは、実は家へ帰れば全く労働から離れるかというと離れないんですね。例えば、本なども読むし、というようなことでいつも刺激を受けながら仕事をしていると、こういうことですから必ずしも拘束されているところだけが労働ではないということがある。では、みんなバラバラでいいのかというと、やはり組織ということで、チームワークで最終的には仕上げなくてはならないし、それから仕事を上司に上げていって、その組織全体としてこういう意思だというようなこともやりますから、全く拘束されない労働になってしまうということでは当然ないわけですけれども、基本は労働時間でもって、あるいは、拘束時間でもって何か報酬との見合いを考えていくというようなことではないという労働がありますよと、またそれをそういうふうにしっかり意識してやっていただく、自分はクリエイティブにやっていくんだということをしっかり認識しないと日本全体としても良くないというふうに思うんですね。

(記者)先程からの、企画・立案の部分については裁量労働制というものがはめることができて、ホワイトカラーエグゼンプションを適用しなくても現在の裁量労働制の制度を十分活用出来るんではないかというような意見も出てはいるんですが、大臣の中で、先程、現在の裁量労働制がうまくいっていなくて、この制度を適用すべきと。

(大臣)いや、もっともっとそういう意識をみんなが持って、それで全体として、私はあまり生産性という言葉は好きではないんですけれども、日本のホワイトカラーの生産性を上げていく。生産性というのは、必ずしも賃金との関係ではなくて、本当に意味のある仕事をみんなでやっていく、創造的な仕事をしていくというということを、みんなが意識からそういうものを持って、それで今言ったような成果を上げるために、どういう労働法制がいいかということで考えると、我々の今考えているようなことも必要だと、こういうふうに考えている、こういうことです。

(記者)現行の制度では上げられないと。

(大臣)上げられない。今はまだ、日本の労働法制の中でホワイトカラーの人たちが、自分たちが持っているものが本当に十二分にその能力が発揮されていると私は思わない、こういうふうに思っています。

(記者)十二分に発揮するために、そういう自由な時間の労働の姿が必要だというご認識ということでよろしいわけでしょうか。

(大臣)1つはそうですね。いろいろ他にも先程言ったように、ワークライフバランスの問題であるとか、そういうことはありますから、この1点を言っているだけでは必ずしもないんですけれども、それは非常に大きなポイントだということで先程来強調していると、こういうわけです。

(記者)そうすると、与党内で今慎重論が出てますけれども、それは今おっしゃったような趣旨、ねらいが十分、理解が行き届いてないが故にそういう慎重論につながっていると。

(大臣)と、私は見受けておりますので、十分これを説明していかなければならないと、こういうふうに考えております。

2007年1月 8日 (月)

中川幹事長までが・・・

今度は讀賣です。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070108i102.htm

せっかく柳澤大臣が一生懸命ホワエグの本旨を説明しているのに、与党の幹部は全然分かっていません。

>自民党の中川幹事長は7日のNHK番組で、「本来歓迎されるはずのサラリーマンやその家族から歓迎されていない。経営者や政府の説明が不十分ではないか」と述べ、改正案の国会提出は時期尚早だとの考えを示した。また、「個人的には、名目成長が実質成長を上回るような安定的な局面で(法案審議を)やるのが一番ふさわしいと思う」と述べ、デフレの完全脱却後の導入が望ましいとの考えを示した。

「本来歓迎されるはずのサラリーマンやその家族から歓迎されていない」というところがそもそもボケてる。賃金と時間のリンクを外して、低い能率で長く働いても高い金はやらないよ、ということなのだから、諸手を挙げて歓迎されるようなもんじゃないでしょう。とは言いながら、現実に成果主義賃金は現場に入ってきているわけで、現行労基法37条が矛盾を生じてきていることは、労働組合側も重々承知していることでもあるわけです。

だからこそ、健康確保のためにどれだけの法的整備が可能かを探ってきたわけだし、これからも探る必要性があるわけですが、そういう現場感覚とは全く隔絶した次元で、ホワエグは自由で自律で仕事と育児が両立できて少子化対策でえええーーーす、とかいう嘘八百の上でホワエグの話をやらかされたんじゃ困っちまうんですよ、

まったく、規制改革会議のへんてこりんな理屈がどんどん蔓延していくと、ますます話がややこしくなっていく一方。

安倍首相は稀代の名宰相?

一昨日のエントリーにbiaslookさんがつけていただいたコメント(とそのリンク先の日本テレビの記事)によると、安倍首相は朝日新聞が報じたような大ボケをかましたのではなく、むしろ与党内の意見を踏まえてホワエグに対して慎重は姿勢を示したということであった可能性があるようです。

http://www.news24.jp/74647.html

>安倍首相“残業代なし”法案提出に慎重姿勢

>安倍首相は5日夜、その必要性は強調しつつも法案提出には慎重な姿勢を示した。

>安倍首相は、記者団に対し、「やはり日本人は少し働き過ぎじゃないかと、こんな感じをもっている方も多いんじゃないですか。やはり家で家族そろって食卓を囲むという時間は、もっと必要ではないかなと思います」と述べ、少子化問題解決の観点からも、仕事と私生活のバランスを見直していくべきだと、制度の必要性を強調した。

>しかし、法案を通常国会に提出するかどうかについては、「色々な観点から、党とも議論を深めていく必要がある」と述べ、与党内の慎重論に配慮して明言を避けた。

私はインタビュー映像そのものは見ていないので、本当のところ安倍首相がどう喋ったのか、また安倍首相がどういう意図がこういうことを話したのかはよく分かりませんが、こちらの報道通りだとすると、ホワエグの「必要性は強調し」つつも、働きすぎは是正すべきだと言っていることになって、なんとそんじょそこらのマスコミ、たとえばこの日本テレビも「「残業代なし法案」などと週刊ポスト的センスで報じているわけですから、それも含めて、アフォなマスコミなんかより遙かに物事がよく分かっている稀代の名宰相ということになるかも知れませんな。

もっとも、そう言って貰えるためには、ホワエグに慎重姿勢を示すなどということではなく、賃金と時間のリンクを外す必要性と、長時間労働を制限する必要性をきちんと明確に説明すべきだとは思います。「制度の必要性」という言葉が、ホワエグ制度の必要性という意味であるのなら、少子化問題解決とつなげて語るのはやはりおかしい。

朝日の解釈が捏造であるというためには、少子化対策のための長時間労働の是正と、成果主義のためのホワエグをきちんと仕分けして語っている必要があると思われます。

また、一昨日のエントリーで述べたように、まさに朝日が報じたような少子化対策のためにホワエグじゃ、これで仕事と育児が両立じゃ、とクレイジーなことを主張していた人が、現に経済財政諮問会議の民間委員として労働ビッグバンを主唱しているわけですから、それの影響を受けたんじゃなかろうかと勘ぐられるのもやむを得ない面もあろうと思います。様々なコンテクストを複合させて考えると、日本テレビの報道ぶりが適切であるという証拠もないようです。

現段階では両様の解釈が可能なので、とりあえず一昨日のエントリーはそのままとしておきます。

2007年1月 6日 (土)

君側の姦

朝日が報じていますが、

http://www.asahi.com/politics/update/0105/007.html

>残業代ゼロ 首相「少子化対策にも必要」

>安倍首相は5日、一定条件下で会社員の残業代をゼロにする「ホワイトカラー・エグゼンプション」の導入について「日本人は少し働き過ぎじゃないかという感じを持っている方も多いのではないか」と述べ、労働時間短縮につながるとの見方を示した。

んだそうです。あ~~あ、大ボケかましちゃってるよ。

いや、もちろん、安倍首相がこういうことを言うのは、規制改革・民会開放推進会議でそういうことを言い続け、いまや経済財政諮問会議でますます意気軒昂な八代尚宏氏の考え方を、何にも考えずにそのまま受け売りで喋っているからなんでしょうが、それにしても、一国の首相ともあろう者が、そんな馬鹿げた考えでホワエグを進めようとしているのか、と批判を受けるのは必定、君側の姦が諸悪の根源と言っているだけでは済みませんぞ。

こんな全く職場の現実と反することを平然と言われてしまうと、連合会長さんも

http://www.asahi.com/politics/update/0105/008.html

>法案成立阻止のため、「いろんな方々にこれから訴えていく

とか、

>野党の反対や与党内の慎重論を背景に、「法案をそう簡単に通させない」

てなことになりますわな。

これに引き替え、柳沢厚労相は、

http://www.asahi.com/life/update/0105/007.html

>「与党内で十分な理解がいただけていない」と認めつつ、「企画・立案を担当するホワイトカラーの生産性を上げるためにも、労働時間ではなく、どんないいアイデアを出し、制度化したかで成果をはかるべきだ」と述べた。

と、ちゃんと的確なことを説明しているんですがねえ。

はっきり申し上げますが、安倍総理も、いつまでも現実を知らないお馬鹿な学者先生に頼っていると、とんでもなくすっころんでしまいますよ。

2007年1月 5日 (金)

労働市場改革専門調査会第1回会合

年末の12月28日に、経済財政諮問会議のもとに設けられた労働市場改革専門調査会の第1回会合が開かれたようで、その資料がアップされています。

http://www.keizai-shimon.go.jp/special/work/01/agenda.html

議事要録はまだ載っていませんが、資料はみんな既に経済財政諮問会議に提出されてものばかりで、あんまり新たな情報はありません。

ちなみに、厚生労働省が提出した「労働政策審議会における検討状況」と「次期通常国会への提出を検討している主な法案(労働関係)」は、全部まとまっていてなかなか便利です。

議事要録がアップされたら、その際にコメントをするつもりです。

残業代不払い制:通常国会提出見送り論強まる

昨日の報道、各紙とも追いかけていますが、一番詳しいのが毎日です。

http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/seitou/news/20070105k0000m010128000c.html

>通常国会(25日召集)への提出見送り論が4日、与党内で強まった

と、容易ならぬ話になりかけているようですよ。

「厚生労働省は今国会提出を目指す構えだが、協議会を設置することで「時間切れ」を狙う案も与党内には浮上している」そうなので、厚労省幹部は今頃永田町を駆けめぐっていることでしょう。

本当は「賃金と時間のリンクを外すという合理的な制度」であるはずなのに、現実に存在していない「自律的な働き方」だの「自由な働き方」だのと虚構の論理の上に組み上げてきてしまったことのツケが回ってきているわけで、これをきちんと解きほぐして政治家の皆さんに納得させるのはなかなか容易ならぬことですよ。

労働問題は今まで審議会で労使の合意を取り付けて国会に提出するという形をとることで、労使が納得してるんだから、と、政治家が余計な介入をしないようにしてきたわけで、今回はその道を作ってしまったわけですね。

一番いいのは、急がば回れで、時間外手当のエグゼンプションについて労働組合の条件付き合意を取り付ける形にすることだと思うのですがね。彼らもホンネでは、高給取りに残業代まで追い銭してやることはないと思っているわけなのですから。

2007年1月 4日 (木)

丹羽総務会長がホワエグに慎重姿勢

NHKニュースですが、

http://www3.nhk.or.jp/news/2007/01/04/d20070104000083.html

「丹羽総務会長は、厚生労働省が導入を目指している、一定以上の年収がある人を対象に労働時間の規制を外すホワイトカラーイグゼンプションと呼ばれる制度の導入について「賃金の抑制や長時間労働を正当化する危険性をはらんでいるのではないかという指摘が出ており、法律の改正にはきわめて慎重に対応しなければならない」と述べ、今月召集される通常国会への法案の提出に慎重な考えを示しました」

ほらほら、公明党ばかりじゃなく、自民党内部からも火の手が上がってきたよ。

いつまでも、自律的な働き方だの、自由な働き方だのと、空虚なことばをまきちらしているから、長時間労働を正当化する云々とまっとうな批判が吹き出してくるのです。

ホワイトカラーエグゼンプションは仕事と育児の両立に役立つ少子化対策だなどというたわごとは規制改革会議のアホどもに任せて、成果に基づき賃金と時間のリンクを外す制度なんです、長時間労働はきっちりと規制します、とはっきりと言っていれば、残業代ゼロ法案とかいうマスコミは騒ぐでしょうけど、分かる人はちゃんと分かってくれたはず。

逆に、日本の組織の中ではどういう風に仕事を進めているかということをよく分かっている人ほど、自律だの自由だのといったふわふわ言葉でごまかされませんよ。アホなことを言ってると、お前組織の中で仕事をしたことがないのか?と言われますよ。

日本経団連ビジョン「希望の国、日本」

日本経団連のHPに、1月1日付で「希望の国、日本」と題するビジョンが掲載されています。

http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2007/vision.pdf

御手洗ビジョンというわけですが、なんだか美しい作文が並んでいて、精神論が多くて、いまいちよく見えない感じがします。

私のような労働屋からすると、労働問題が1節すら割り当てて貰えずに、道州制と付け合わせでようやく1節という扱いはあまりにも不当ではないか、といいたくなるところはありますが、その分、とげも少なくなっています。

まず基本認識。「日本の労働市場は、長期雇用、企業内労使関係を前提として企業内調整を基本としており、安定性に富むものの、問題も多い。」よく読んで下さいよ。労働ビッグバンイケイケどんどんじゃないんですね。

日本経団連の労働政策の目標は「女性の就労支援、高齢者の活用、若年者を中心とした雇用のミスマッチの解消」により「全員参加型の社会を実現すること」だというのです。これは諸手を挙げて賛成ですね。

ではそのために何が必要かというと、「労働関係諸制度を総点検していく必要がある」と、規制緩和を持ち出すわけですが、そこもけっしてビッグバーーーンじゃないのです。曰く、「労働市場には、当然、財や資本の市場にはない規律が求められる。」そう、わかっているのです。ただ、「行き過ぎた規制・介入は、かえって雇用機会を縮小させ、再チャレンジの障害になる。」そう、行き過ぎた規制・介入はそうですが、行き過ぎた規制緩和や介入不足も、働く意欲を喪失させ、その目的であるはずの全員参加型社会の妨げになるということも、当然裏側に認識されているはずです。

その後に少子化対策が続きますが、「仕事と子育ての両立支援や働き方の見直し、若年世代の就労対策など」が必要といいながら、社会や家族の絆が大事とやや精神論に傾き、一応会員企業に「ワーク・ライフ・バランスの重要性についてさらに認識を深め」て貰うとはいいながら、具体的に雇用管理をどうするという話の代わりに、「社会の意識改革に向けた国民運動に取り組んでいく」のだそうです。うーっむ、国民運動なんて、企業からしたら一番懐の痛くない話ではないですか。企業にとってははじっこのメセナみたいな話でごまかさないで下さいね。人事労務の一番中心の話ですよ。

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