メイク・ワーク・ペイ再論
久しぶりに平家さんからトラックバックを頂きました。テーマは懐かしきメイク・ワーク・ペイ。
これはなにしろ、稲葉先生の「ブログ解読」で取り上げられて、この隅っこのブログの読者が急増した(その後すぐ急減したが・・・)話題でもあります。
せっかくなので、本ブログでこのテーマをめぐって書いた過去のエントリーを並べておきます。労働ビッグバンとかなんとかでたぐって最近このブログにいらした方も多いようなので、お蔵出しセールってことで・・・。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_f179.html
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_d15e.html
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_71f5.html
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_30b7.html
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_ad53.html
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_c2b6.html
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_ae8d.html
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_ba23.html
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_fdbe.html
・・・・・、で、今回の平家さんの論点は、「生活保護の水準のを考慮した地域別最低賃金の決定=地域別最低賃金水準の引き上げ→違反摘発→中小零細企業を中心とした地域別最低賃金が高すぎるという主張の高まり→生活保護の水準が高すぎるという世論の形成→生活保護水準の切り下げ(働く能力のない人も対象にしての引き下げです)→地域別最低賃金の引き下げ」という「危険はないのでしょうか?」という懸念です。
まあ、全くないとは言えないかも知れません。しかし、必ずそうなるというものでもありません。さらに、若干踏み込んでいえば、現行生活保護の水準が高すぎるのかどうかは、それ自体として議論されて然るべき問題であることは間違いありません。少なくとも、現在、働かないことに対する報酬が、働くことへの報酬を上回ってしまっているという矛盾を、解消しない論拠となるには弱いように思います。
平家さんが論及しているわけではないのですが、ここのところ福祉関係で話題を集めている生活保護の母子加算の廃止問題にしても、それが母子家庭の母へのモラルハザードになっているか否かという議論は盛んにされるのですが、そのことと、働いている母子家庭の母親が最低賃金に張り付いたような賃金で働いていることの関係という形で論じられることは少ないようです。
不思議なのは、何かというと合理的計算で行動する経済人間を前提とするケーザイ学者が、なぜかこの点については、働かないことの高い報酬よりも働くことの低賃金という懲罰を敢えて受け入れて働いている奇妙な日本のシングルマザーの行動様式については、合理性に反するといって非難しないことです。
上に再掲した過去のエントリーでも述べたように、私はこの問題を個別企業の労務コスト負担で賄うことは困難だろうと思っています。生活保護の母子加算を廃止するのであれば、最低賃金に母子加算をすべきでしょうし、その分の負担はわざわざシングルマザーを雇った個別企業に求めるのではなく、社会全体が負担すべきでしょう。そういう議論になっていかないから、企業側は、何でせっかく雇ってやった俺様にばかり負担を求めるんだ、となるわけです。障害者雇用制度がヒントになるのではないかと思います。
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> ケーザイ学者が、なぜかこの点については、働か
> ないことの高い報酬よりも働くことの低賃金とい
> う懲罰を敢えて受け入れて働いている
ミクロ厨はBI言うとるやん。マクロ厨さん達が言わ
ないのは…
投稿: フマ | 2006年12月14日 (木) 10時04分