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2006年12月 8日 (金)

リベラルとソーシャル

端的に言うと、ウヨクとサヨクという軸はいろんな要素が絡まり合ってぐちゃぐちゃになっているんで、レトリックに使うんでない限り避けといた方が無難。私も、リベサヨとかソシウヨとかいってるけど、そもそもサヨとウヨは何を意味してるのかってところはわざとスルーしているしね。

しかし、少なくとも欧州的文脈でいえば、リベラルとソーシャルという対立軸は極めて明確。それが日本でぐちゃぐちゃになりかけているのは、ひとえにアメリカの(本来ならば「ソーシャル」と名乗るべき)労働者保護や福祉志向の連中が自らを「リベラル」と名乗ったため。それで本来「リベラル」と名乗るべき連中が「リバタリアン」などと異星人じみた名称になって話がこんがらがっただけ。そこのところをしっかり見据えておけば、悩む必要はない。

もちろん、「第三の道」など両者を架橋する試みは繰り返しあるが、それもこれもリベとソシの軸がしっかりあるから。そして、経済学はじめ諸々の社会科学においても、これが最も重要な政策判断の軸であることになんの変わりもないし、およそ社会思想史なるものを少しでも囓った人間であれば、これが近代社会における最も重要な政治的対立の軸であることも分かるはず。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_5a72.html

一時のポストモダーーンとかいう妙なはやりで、そういうのを「超越」したつもりの方々が結構大量に産み出されたようだが、近年はそういうふわふわさんもだいぶ片付いたようだなあ、と安心していたところ、妙な形で生き残っていたのには愕いたというところ。

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雑件」カテゴリの記事

コメント

んなこと言うと、松尾先生はどうなるのよ、とかいう問題が…

投稿: フマ | 2006年12月 8日 (金) 18時24分

要は「何でもいいから、くさいものには蓋をしろや」なんですよ、あの方々は

その方々と、ポスト・モダーーーーーーーンとを一緒くたのは何史観でつか?

by 松尾Love(…って、読んだこと全然ありましぇーん。申し訳ないでつ)

投稿: フマ | 2006年12月 8日 (金) 19時08分

場違いのレス、大変申し訳ございません。
ただ、僕個人にとって大事な用件があるという事でレスさせていただきます。
以前、濱口さんが社会政策に関して様々な研究者の方の本を「嫁」と言われていた事を思い出して、このブログ内で、一応、探してみたのですが、何処にあるのか分かりませんでした。
それで今、僕は社会政策を真剣に勉強しようと思っていますので、宜しければ以前挙げられた研究者の方を再度、紹介していただければ有難いです。
正直な処、労働法から手を付けているのですが、以前濱口さんが挙げられた方は労働法の研究者ではなかったような記憶があります(これは僕の記憶違いかもしれませんが、その場合は御寛容をお願いします)。
僕は社会政策に関しては、全くの門外漢なのでどこから手を付けて良いのかが全く分かりません。
御教授、宜しくお願い致します。

投稿: ss | 2006年12月 9日 (土) 01時13分

多分、松尾さんとは大きな歴史認識においてかなりの程度共通し、その価値判断において相当程度真っ向から対立する、ということになるのではないか、と考えております。

まえにちらと「あそしえーしょん」云々の話をしましたが、その前に、そもそも私は松尾さんが否定的に評価する「複雑労働力商品生産」をこそ、労働運動、社会主義、社会政策の成果として積極的に評価する考え方なので、多分言葉の正確な意味での論敵と言うことになるのではないかなあ、と。

意外に思われるかも知れませんが、稲葉さんの「人的資本」論に近いのですよ、私の発想は。まあ、出身分野が似たようなものだから当たり前という面もありますが。
だから、本当は、例の『マルクス』本では、そこのところのバトルがあってしかるべきなのに、見事にスルーされていますね。リフレ史観の毒が回ったのでないことを祈りますが。

投稿: hamachan | 2006年12月11日 (月) 10時16分

ちょいとひねこびたお答えをしますとね、私はあくまでも労働法の中の人であって、社会政策は大変密接な隣接分野でありますが中の人ではないのです。立派な中の人がいる前で、門外漢が偉そうに「この本嫁」というのはいかがなものかと・・・。

まあ、とりあえず文献案内ということでいえば、大原社会問題研究雑誌が2000年にシリーズでやった「労働問題研究の現在」、2001年の「労働史研究の現在」が参考になると思います。

http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/473-new.html

ここから入っていけます。全部PDFで読めます。

投稿: hamachan | 2006年12月11日 (月) 10時26分

このエントリーに、きはむさんからトラックバックを頂きました。「以前厳しくダメ出しした薬師院仁志『日本とフランス 二つの民主主義』と同じ」で「日本の戦後思想のかなりの部分をドブに捨てようとしているように見えてしまう」とのご批判です。

厳密な政治思想史の観点から見たらいいかげんだ、というご批判は仰るとおりだと思います。薬師院さんもそうですが、基本的に思想家の思想をきっちりたどるという意味での思想史の方法で扱っているわけではないからです。ちょっと今手元にないのですが、外務省のラスプーチンこと佐藤優氏が魚住昭氏と対談した本の中で、あなたが思想といっているのは対抗思想だ、思想ってのは、たとえば、喫茶店でコーヒーを呑んだら200円を払うということになんの疑いも抱かないで過ごすことだ、云々というような発言がありましたが、そういうレベルの、文化人類学的なというか、人々のモーレスとしての「思想」として、日本の(思想史家ではなく、政治家やらマスコミやら国民一般やらの)社会的感覚に苛立っているのを出しているわけですから。

薬師院さんは一応教育社会学の専門家のようですが、あの本はフランスに住んで、その空気になじんだ人間の日本の空気への違和感の表出なんであって、そういうものとして読むと、同じようにヨーロッパの雰囲気になじんだ人間にはすごく共感するところがあるし、逆に日本社会の中でその空気を呼吸しながら、書物としての政治思想を読んでこられた型には却って違和感を与えるのだろうな、というのもよく分かります。

私の場合、労働運動や社会民主主義政党の方針や、あるいは社会政策の在り方といったレベルに主たる関心があるので、それらを作り出す社会の空気の違いを感じざるを得ないところがあり、薬師院さんと似たような発想になるのでしょう。

ただですね、思想史学的にダメであるというご批判はそれとして甘受しますが、私としてはヨーロッパではこうだからとか、舶来品の思想や制度をそのまま持ち込もうとか、そういう下品な話をしているつもりは全くないんです。
むしろ、(これは日本近代史認識の問題になりますが)戦前から戦中、戦後にかけて、紆余曲折を経ながら日本型の「ソーシャル」な社会を創り上げてきた過去の歴史を、薄っぺらなリベラル史観で放り捨てられてしまおうとしていることにこそ、私の最大の危機感があるということはご理解いただきたいところです。
私が「ヨーロッパを見よ」というのは、日本のリベラル派が忘れてしまおうとしている近代日本の対立軸が厳然としてそこにあるということを再確認して貰いたいからなんですよ。ただの輸入業者ではないつもりです。

(若干、思想家の思想史の範疇に入ってしまいますが、私は例えば大塚久雄とか丸山真男といった戦後民主主義のビッグネームについても、その戦前戦中の思想形成に遡って、日本における「ソーシャル」な社会の形成過程にポジティブであったという面を軽視してはいけないだろうと考えています。)

投稿: hamachan | 2006年12月11日 (月) 10時58分

私は本来的に「人的資本」は発達するとすれば、
ダーウィニズムによるウルトラ長期的なものだと
思っていますね。もしも発達しているように見え
たとしても、それは「例えば教材」などの外的な
ものが発達しただけ、と思うのです

hamachan先生が薬師本を支持するように、稲葉
先生が田中本を支持するのだとしたら、それほど
変でないでしょう。しかし、より緻密な議論とか
あるいは別の見方を否定するとこの問題であって

投稿: フマ | 2006年12月11日 (月) 11時24分

もともと大したコメントではありませんでしたが、ご要請を頂いたので多少修正して再投稿します。

はじめまして。丁寧に応答していただき、ありがとうございます。私の横槍にそれなりにご理解を示していただいたようで、嬉しく思います。

濱口さんの危機意識は市野川『社会』の問題意識と基本的に共通するものであると考えてよいなら、私もそうした危機意識をそれなりに理解できるつもりでいます。ですので、日本の歴史と現実を見据えた上で適切な政治的対立のあり方について積極的に語ろうとする濱口さん(あるいは薬師院)の姿勢そのものを批判するつもりは、毛頭ありません。

むしろこれからも積極的に語っていただいて、広く議論を喚起していただきたいと思います。思想史その他の観点からの修正および留保その他のツッコミはやる人が勝手にやるでしょう(もちろん、濱口さんや薬師院自身が留保にも同時に言及してくれるに越したことはないのですが)。

それにしてもなぜ思想史を専門としているわけでもない私がこんな役割を演じているのでしょうか。ブログ上はともかく、例えば『日本とフランス 二つの民主主義』や『右翼と左翼』といったタイトルの新書の著者がいずれも非専門家であることを考えても、現在の日本の状況を生み出した一因は政治学者や思想史家の怠慢にあるように思えてきます。それは確かに批判すべきかもしれません。

投稿: きはむ | 2006年12月12日 (火) 15時27分

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» 政治思想史を学ぶ意義とは何か(実践編) [on the ground]
普段あまり真面目には読んでいないEU労働法政策雑記帳を改めて見ていると、濱口さんが以前厳しくダメ出しした薬師院仁志『日本とフランス 二つの民主主義』とかなり共通する見方で政治的対立軸について語っていることが分かった。と... [続きを読む]

受信: 2006年12月10日 (日) 17時54分

» 「リベラル」という言葉について(メモ) [暮らしの音楽]
ネット上でこんな記事を見かけました。【寄稿】同胞を見捨てる世界のエリート この記事の後半では「エリート」とひとくくりにして、特にリベラルか否かは問題にしていませんが、前半はメルケルの移民・難民受け入れ政策に関する話が多くの分量を割いて書かれているので、ここではリベラルな理念がなぜ「保護されていない人々=厳しい生活を送り、このような(=大量の難民・移民受け入れのような)重荷に対処するだけの資源を持たず、特別に保護されることもなく、金もコネもない普通の人々」のことを見捨てるようになった(ように見える)の... [続きを読む]

受信: 2017年6月22日 (木) 19時48分

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