リベラルサヨクは福祉国家がお嫌い
一昨日のエントリーで紹介した後藤さんの本ですが、なかなか面白い記述があります。1960年代に左派からなされた福祉国家批判なんですが、例えば鈴木安蔵編『現代福祉国家論批判』にこういう叙述が見られるとして紹介しているんですが、福祉国家論の自由競争批判と国家機能の拡大擁護という議論は、「レッセ・フェールの原理の否定」「国家統制の強化と個人意思の社会全体への従属の必要性の強調」だといって批判しているんですね。後藤さん曰く、「福祉国家は個人の自由を奪うものだという批判は、通常は資本家サイドからのものであり、古典的自由主義からの批判である。つまり、右派が言うべき批判を日本では左派が述べていたことになる。保守派ではなく、左派が個人主義と自由主義を擁護する先頭に立つという、よく見られた光景の一こまであろう」。
こういう左がリベラルで右がソーシャルという奇妙な逆転現象の背景に、当時の憲法改正をめぐる動向があったようです。当時の憲法調査会報告は「憲法第3章を眺めると、それは18世紀的な自由国家の原理に傾きすぎており、時代遅れである」「20世紀的な社会連帯の観念、社会国家の原理にそれを切り替える必要があり、基本的人権の原理については、現代福祉国家の動向に即応すべきである」と強調していました。サヨクの皆さんにとって、福祉国家とは国民主権の制限の口実に過ぎず、ただの反動的意図にすぎなかったのでしょう。
かくのごとく、日本のサヨク知識人はリベラルなことノージックよりも高く、アンチ・ソーシャルなことハイエクよりも深し、という奇妙奇天烈な存在になっていたようです。そうすると、福祉国家なんぞを主張するのは悪質なウヨクということになりますね。これを前提にして初めて理解できる発言が、「構造改革ってなあに?」のコメント欄にあります。田中氏のところから跳んできた匿名イナゴさんの一種ですが、珍しく真摯な姿勢で書き込みをされていた方ですので、妙に記憶に残っているのです。
>稲葉さんの偉さは、一左翼であることがリフレ派であることと矛盾しないことを左翼として始めて示した点だと思う。それまでの左翼は、ある意味ネオリベ以上の構造派で、つまりはアンチ・リフレであったわけだから。それに対して、稲葉さんはそれが「ヘタレ」にすぎないことを左翼として始めて断言したわけで、これは実はとても勇気のあるすごいことだと思う。
投稿 一観客改め一イナゴ | 2006/09/20 14:46:18
普通の人がこれを読んだら頭を抱えてしまうでしょう。特にヨーロッパ人が見たら、「サヨクは市場原理主義者であるはずなのに。稲葉氏はめずらしくソーシャルだ、偉い」といってるようなもので、精神錯乱としか思えないはず。でも、上のような顛倒現象を頭に置いて読めば、このイナゴさんは日本のサヨク知識人の正当な思考方式に則っているだけだということがわかります。
しかし、いい加減にこういう顛倒現象から抜け出さないといけませんね。その点(だけ)はわたしはゴリゴリサヨクの後藤氏と意見を同じくします。
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イナゴの親分さん(かっこいいぜ)のご主張を
一応、念のため『正当な思考方式?』に則った
形で書き直しときます。
>稲葉さんの偉さは、一リベリベであることが
>リフレ派であることと矛盾しないことをリベ
>リベとして始めて示した点だと思う。それま
>でのリベリベは、ある意味ネオリベ以上の構
>造派で、つまりはアンチ・リフレであったわ
>けだから。それに対して、稲葉さんはそれが
>「ヘタレ」にすぎないことをリベリベとして
>始めて断言したわけで、これは実はとても勇
>気のあるすごいことだと思う。
ところで、私もリベリベちゃんなんですけど。
そんなにすごいのかな?別にフリードマンとか
昔からいるじゃん。どうもこの方は、常識的な
認識の一つにしか過ぎないはずのことをすごい
と言うことがあるよね。多分、何かの仮想敵を
前提にしてるからそうなるんだと思うんだけど、
その仮想敵がこっちにはよく見えないんですね。
投稿: フマ | 2006年12月 3日 (日) 00時45分
上の書き直しで「リベリベ」と書いたところは
『リベサヨ』に修正すべきですね。多分、親分
さんの「すごーい」人イメージはクルーグマン
なんだと思います。
ところで、完成品の中に過剰な部分があって、
その過剰なものを押し返そう、矯めようという、
そういうのが日本のサヨク知識人の動機になり、
それが今でも続いている、ということだと思う。
「続いている以上は…」と、リベリベちゃんは
気になるのですけれどもね。
投稿: フマ | 2006年12月 3日 (日) 11時09分