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2006年12月

2006年12月28日 (木)

曲学阿世様

権丈善一先生のきつい一発

http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/korunakare59.pdf

>前政府税制調査会会長をかばい続けた官邸への責任問題が問われている。しかしながら、すぐに更迭しなかった官邸の初動の在り方に責任を問うのは、少々かわいそうな気がしないでもない。彼ら官邸は、政府税制調査会会長として前任者は余人を以て代え難い、すなわち代替性が低く代わりがいなかったから、かばわざるを得なかったのであり、事態の深刻さを甘く見ていたからすぐに更迭しなかったわけではないであろう。というのも、つぎのようなことを言ってくれる経済学者は、世界中を探してみてもなかなかみつかりそうにないのである。

>政府税制調査会の本間正明会長(阪大教授)は28日、大阪市内の関西プレスクラブで講演し、法人税率の引き下げについて「(利益のうちどれだけ賃金に回ったかを示す)労働分配率を上げて賃金を増やさなければ、個人消費に点火しない。そのためには、経済成長で企業収益を伸ばす必要がある」と述べ、法人減税が個人消費の増加につながるとの見方を強調した。 本間会長は企業の設備投資は堅調だが、消費が伸び悩んでいる理由として「企業収益が賃金ではなく設備投資や配当に回り、景気の回復感が個人に広がらないからだ」と指摘。そのうえで「名目成長率3%強の経済成長を達成すれば、必ず労働分配率が向上する」とした。

>理論的にも詰まっておらず、いかなる実証例をどのように繋げれば言うことができるのかと疑問がでるようなことをプレスの前で話してくれる経済学者を官邸は求めているとすれば、後任探しは至難のわざ。

雇用政策も社会政策もいらない、ただただ経済成長さえすれば、労働者の利益になりますぞよよ!と仰ってくださるケーザイ学者サマはそんなに希有なんですかね。なんだかブログ界隈には一杯いたような気が・・・。まあ、そういうのは税調会長にはお呼びじゃないのかも。

労働契約法制・労働時間法制に関する答申

というわけで、ようやく厚労省のHPに答申がアップされたようなので、それをネタにいじくりましょうか。

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2006/12/dl/h1227-4a.pdf

とはいえ、労働時間関係はもうあんまり言うべきことは残っていないんですよね。さっきも某テレビ局からコメントを求められたんですが、問題構造を理解して貰うのに一苦労。関係者全員が誤解している、或いは誤解したふりをしているのを解きほぐすのは大変難しいのです。「へえ、そうだったんですか!」とその人はようやく理解しても、テレビ番組で使えるように再構成するのは難しいだろうし、「なんだよ、そいつは、どっち側なんだ、わけのわからんのは使えんぞ」でお仕舞いだろうし。

とにかく、ホワエグについては「労働者代表委員から、既に柔軟な働き方を可能とする他の制度が存在すること、長時間労働となる恐れがあること等から、新たな制度の導入は認められないとの意見があった」というのをくっつけることで答申に至ったわけです。あとは、国会議員の皆様方が、何が問題とするべきことで、何が問題とするべきではないことであるかについて、きちんとした見識を示すことが出来るかですな。

それより、この答申は、12月21日の報告(案)からだいぶ変わったところがあります。労働契約法制のところなんですが、マスコミさんたち、もうみんなホワエグしか眼中になくて、労働契約法なんてそんなのあったの?みたいな感じですねえ。

21日の報告案で斜体字になっていた労働条件の均衡考慮については最終的に落ちました。そして、労使双方の意見を付記した上で、「労働条件に関する労働者間の均衡の在り方について、労働者の多様な実態に留意しつつ必要な調査等を行うことを含め、引き続き検討することが適当である」という形で、一応火口はつなぎつつ先送りした形です。

これはパート関係のところで繰り返し述べてきましたが、本格的に論じようとすれば大変難しい議論なんですよ。学生アルバイトと派遣・請負で働くフリーター、お気楽主婦パートと家計を支えて働く母親、等々といった社会学的に厳然と存在する違いを、法律論としてどう取り込んでいけるのか?という大変難しい課題であるわけなんで、表層だけなでるように均等だ均衡だといってればいいというわけのものではない。労働関係者全てに課せられた十字架でもあるというくらいに考えるべきでしょう。

で、次の就業規則の変更のところが大きく変わっています。「就業規則の変更による労働条件の変更については、その変更が合理的なものであるかどうかの判断要素も含め、判例法理に沿って、明らかにすること」というだけになってしまっています。

辛うじて残っていた「労働組合との合意その他労働者との調整の状況(労使の協議の状況)」が、きれいさっぱりとなくなっちゃっていますね。

連合さんは、労使協議なんかしなくてもいいというつもりなんですかねえ。

使用者が勝手に就業規則を変えたら、裁判所で合理的かどうかを判断して貰うんだ、労働組合なんか関係ないんだ、というつもりなんですかねえ。

労働組合なんて使用者の言うがままのあやつり人形に過ぎないんだから、そんな奴の合意なんか信用ならねえ、裁判官様のご判断の方が遙かに素晴らしいんだ、というつもりなんですかねえ。

だったら、さっさと労働組合なんか解散しちまった方がいいんじゃないんですかねえ。

腕利きの労働弁護士がいればいいんじゃないんですかねえ。

組織内部のいろんな事情はあるのだろうとは思いますが、労働組合が労働組合の存在意義を自己否定するような形で結論を導いてしまったことについては、きちんとした総括が必要であると思いますよ。

(ここまで言うのはいかがかと思う面もありますが、あえて言っておくと、労働組合と労働弁護士の利害はぎりぎり食い違う面があるのです。前者にとっては労働者全体の利益を最大化するために一部の労働者に泣いて貰う必要も時にはあるのに対して、後者にとっては自分のクライアントたる労働者個人が重要で、他の労働者がどうなろうと知ったことではない。今回は、労政審の審議に労働弁護士が関与しすぎたのではないかという印象を、わたし個人的には持っています。というか、集団的労使関係の観点があまりにも希薄であることに、正直危機感を持っています。)

ホワエグ大全集

この際ですから、今までこのブログに書いたホワイトカラーエグゼンプション関係のエントリーを時代順に並べます。年末お蔵出しセールだよ!

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/01/post_90a2.html (ホワイトカラー適用除外の迷走)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/01/post_20af.html (日本経団連のエグゼンプション提言)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/01/post_39a1.html (労働時間制度研報告)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/02/post_a51a.html (モルガン・スタンレー証券事件判決について)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/02/post_5ea9.html (労働政策審議会に対する今後の労働時間法制の在り方についての諮問)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_ebc6.html (労政審に「検討の視点」提示)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_63c2.html (全労連の反応)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_999e.html (労政審中断!?)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_5741.html (学者先生のエグゼンプション)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_9c4e.html (刑法と労働法)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_1e87.html (規制改革会議の契約・時間法制意見)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_9096.html (エグゼンプトは過労死するか)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_aec4.html (ホワイトカラー・ノンエグゼンプションの原点)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_7a83.html (自由法曹団の契約・時間法制への意見書)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_2e13.html (日本経団連の政策評価)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_fc27.html (賃金不払残業への監督指導)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_e344.html (クローズアップ現代もややピンぼけ)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_9cbf.html (ものの分かっている経営法曹)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_695e.html (まだ割賃にこだわってるの?)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_eaa2.html (過労死遺族会の陳情)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_bcac.html (奥谷禮子氏の愉快な発言)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_7942.html (ホワイトカラーエグゼンプションの建前と本音と虚と実と)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/116_23e1.html (残業代11.6兆円の横取り?)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_a512.html (自由度の高い働き方にふさわしい制度)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_c9ab.html (自由度の高い働き方にふさわしい制度の具体的内容)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_9b86.html (長時間労働をどう抑制するか)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_1261.html (経済同友会はホワエグに疑問?)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_be60.html (産経のピンぼけ)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_227a.html (ホワエグは1000万円以上?)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_fdbf.html (日本労働弁護団のホワエグ批判)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_7412.html (民主党の労働契約・労働時間法案)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_b112.html (労働契約・時間法最終報告案が今日提示)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_45f5.html (朝日新聞へのコメント)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/on_aace.html (柳澤大臣onホワエグ)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_b7f7.html (「残業代ゼロ労働」ですか・・・)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_ce02.html (残業代ゼロ労働って言うな!)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_203a.html (ホワエグの年収要件は8-900万円?)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_dd25.html (ホワエグは管理職の平均年収?)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_3beb.html (労働契約・労働時間法大詰め)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_c8f2.html (残業代ゼロ「導入適当」)

残業代ゼロ「導入適当」

というわけで、昨日なんとか労政審労働条件分科会から、労働契約法・労働時間法に関する報告書が取りまとめられました。現時点ではまだ厚労省HPに掲載されていませんが、就業規則変更法理のところが最終的にかなり変わったようで、「をいをい、連合さん、大丈夫かね?」と言いたいところもあり、ここは改めて取り上げます。

で、例によって朝日さんは「残業代ゼロ「導入適当」労政審」と、それこそが一番けしからんかのような見出しを出しています。

http://www.asahi.com/life/update/1227/015.html

実は昨日、いくつかのマスコミから電話取材があったのですが、私の回答が記事に「使える」ものでなかったようですね。確かに、「高給とってんだから残業代がゼロになってもいいじゃないか、でも労働時間規制を外したら健康が問題なのに、休日とらせるからいいというのはおかしい」というのは、マスコミ的センスからしたら、「お前は一体どっち側なんだ」と言うことになるのかも知れない。どっち側でもないんですよ。

今、某誌にホワエグ問題を書くことになっていて、多分2月には皆様のお目にかけられると思います。中味はこのブログに書き散らしてきたことになると思いますが。

2006年12月27日 (水)

最賃も建議が出ました!

さて、今日は労働条件分科会で労働契約法と労働時間法の建議が出る予定で、皆さんもそっちに関心が逝っちゃってるんじゃないかと思うんですが、ここらで心を落ち着けるために一服、最賃の建議でも見ておきましょう。って、なんだよ、おまけ扱いかよ。って文句を言われると怖いですが・・・。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/12/dl/s1227-12a.pdf

本日、最賃の建議が出たわけですが、内容は12月12日にこのブログで書いたもののままです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_99cb.html

基本的な考え方は、「最低賃金制度の第一義的な役割は、すべての労働者について賃金の最低限を保障する安全網であり、その役割は地域別最低賃金が果たすべきものであることから、すべての地域において地域別最低賃金を決定しなければならない旨を明確にする必要がある」ということで、特に「社会保障政策との整合性を考慮した政策が必要である」というのが重要ですね。

ここから具体的な法制度として、「国内の各地域ごとに、すべての労働者に適用される地域別最低賃金を決定しなければならないものとする」こと、「決定基準については、「地域における労働者の生計費及び賃金並びに通常の事業の賃金支払能力」に改めるものとする」こと、そしてとりわけ「「地域における労働者の生計費」については、生活保護との整合性も考慮する必要があることを明確にする」ことが盛り込まれました。

この点については、審議経緯のところで「使用者側からは、労働の対価である地域別最低賃金の決定に際して、国が社会保障として行う生活保護との整合性を考慮することは疑問であるといった主張がなされ」たとの記述はありますが、使用者側の附帯意見が付く形にはなっておらず、公労使三者の合意した見解と云うことになっています。それはそうでしょうねえ。これだけワーキング・プアが話題になっているご時世の中で、正面から「働いてる人間の方が貧しくってもかまわない」と言い切るのは、流石に憚られたということでしょうか。

一方、産別最賃の方は、基本的考え方として「企業内における賃金水準を設定する際の労使の取組みを補完し、公正な賃金決定にも資する面があることを評価しつつ、安全網とは別の役割を果たすものとして、民事的なルールに改める必要がある」と述べ、具体的な制度としては「労働者又は使用者の全部又は一部を代表する者は、一定の事業又は職業について、厚生労働省令で定めるところにより、厚生労働大臣又は都道府県労働局長に対し、最低賃金の決定を申し出ることができる。・ 厚生労働大臣又は都道府県労働局長は、上述の申出があった場合において必要があると認めるときは、最低賃金審議会の意見を聴いて、一定の事業又は職業について、最低賃金の決定をすることができる。・ 一定の事業又は職業について決定された最低賃金については、最低賃金法の罰則の適用はないものとする。(民事効)」という風になっています。ちなみに、こちらには「なお、使用者側の一部から、産業別最低賃金の廃止に向けての議論は継続すべきであるとの意見があった」というのがくっついています。

まあ、職種別設定賃金という2年越しのテーマが、建議直前になって遂に消えるという波乱はありましたが、結果的にはまあ妥当なところに落ち着いたのではないでしょうか。

パソナさんはクリームだけ舐めたいようで・・・

昨日の話の続きですが、私は念のために「上澄みのクリームだけ舐めるのはいけませんよ」と申し上げておいたのですが、やっぱり上澄みのクリームだけ舐めたいようで、底の方に沈殿したざらざらしたところは舐めるどころが触る気もなさそうです。

http://www5.cao.go.jp/koukyo/iken/060711/2iken/1/14kouseiroudo.xls

これは内閣府の公共サービス改革推進室のHPに収録されている公共サービス改革基本方針への意見ですが、最後のところでパソナさんは「公共職業安定所の(一部事業を除く)すべての事業の受託」という言い方をしていて、さて除くというのは何かいな、と思って右の方を見ると、「基本の資格認定・給付、及び職業紹介・斡旋事業についても、資格認定の公平性の問題、特別援助者(障害者、生活保護者の就業促進等々)の問題を除けば、民間が公共職業安定所事業に携わることに「機能的には」問題が生ずることはないものと考えます」と書いています。

また、「公共職業安定所が実施している職業紹介、職業相談事業」について、「民間開放される対象事業部門については、民間を長とし、そのもとで業務執行ができるようお願いします。そのためには公共職業安定所業務の括り直しと、業務執行を行う分野が〔例えば、日雇い労働者は○○部門、特別援助者は○○部門、一般求職者は民間(現在は一般求職者も、45歳未満と45歳以上で対応部門が分かれている)というように〕、きっちりと区分された組織であることが必要と考えます。それらを可能とするような規制緩和・規制改革を構じていただけるようお願いします」と書いています。

ふむふむ、なるほどね。日雇い労働者なんか汚くて触りたくもないから、俺たちにやらせてくれなくてもいいよ、と。特別援助部門、つまり就職が困難な障害者や生活保護受給者なんかやらせられたら、民間だったら出来るといっていたのに出来てないじゃないかと文句を言われるから、やりたくない、と。今のハロワがやったって簡単に就職させられそうなおいしいところだけ俺たちにやらせろよな、と、こういうことのようでありますな。

こういうのをクリームスキミングの鑑と称えるべきでしょうか。

パート法改正の建議

昨日の労政審雇用均等分科会で、パート労働法(正式には「短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律」です)の改正案に関する建議が取りまとめられました。

http://www.asahi.com/life/update/1226/011.html

現時点では厚労省HPに建議がアップされていないのですが、記事からすると、ほとんど12月8日の分科会に出された報告(案)と同じ内容のようです。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/12/s1208-11a.html

これについては、15日にこのブログで取り上げています。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_e140.html

朝日の記事にはその前にも若干振り回されているので

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_890e.html

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_97bb.html

今朝の記事の文言にあんまり振り回されない方がいいのかも知れませんが、ちょっと気になったのは「仕事の内容や責任、人事異動の範囲や頻度などが正社員と同じで、長期にわたって継続的に働いているパートは、正社員との待遇面での差別を一切禁止する」という表現の中の「長期にわたって継続的に働いている」という部分です。何しろ、記事の見出しが「長期パートへの待遇差別禁止を提案 労働政策審」なんですから。本当にこんな条件が入ったとすると、一体その意味は何だろうか?と大変悩む所なんですが、これに対応するような所は、8日の報告案にはなかったはずなのですが、もしかしたら「雇用契約期間等」というのをこういう風に「意訳」しちゃった可能性もなきにしもあらずで、そうだとするとこれは陽炎みたいなものですね。日経の記事からすると、その可能性が大きいようです。

http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20061227AT3S2602526122006.html

いずれにせよ、これで厳密に労働時間が短時間である労働者については建議が出ました。一方、若年フリーターについては既に職業安定分科会雇用対策基本問題部会の方で建議が出されています。

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2006/12/dl/h1212-1a.pdf

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_5476.html

で、残った本丸が、今日建議が取りまとめられることになっている労働契約法制だったんですが、今まで見てきたように有期労働に関する部分はかなりスカスカになっております。斜体字の均衡考慮規定がどういう風になっているか、興味深いところですね。

ここで、ちょっと個別法律の話からもすこし大きなレベルの話をしますと、結局この手の話は日本型雇用システムをどう評価し、どうしていくのかということと密接不可分なんですね。このパート法の審議録なんかを見ますと、

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/11/txt/s1110-2.txt

これが11月10日の議事録なんですが、日本経団連の松井さんがこういうことを仰っているわけです。

>例えば短時間だからということで、差があるということの一つの極端な例を私としては思いつくのですけれども、今、高年齢者雇用安定法に基づいて定年年齢の引き上げ、あるいは60歳を超える年齢での再雇用制に対する義務づけというのが行われているのですけれども、その再雇用制を設けている企業の中には、全く同じ仕事をしていても、処遇が非常に低くなっているというケースがあります。さらに、その中でも短時間という仕組みで設けているケースがあります。こういうときに差別は禁止だと言われることはわかるのですけれども、では、再雇用制みたいなときに、この差別禁止的な法律が、いわゆる義務化あるいは理念系でも結構ですけれど、そうなったときに、私は、60歳を超えて何で給料が下がるのか、同じ仕事をしているなら同じ給料を払えと言っているではないかというようなときに、従業員の人あるいは労働組合全体として納得するのかどうかというそもそも論、疑問を感じるところです。そして、私はぜひ林弁護士にお聞きしたいのですけれど、こういう法律が仮にできたときに、労働組合あるいは労働者の方には、いろいろな方がいます。これは、「高年齢者雇用安定法に基づいた措置です」と会社側が言ったとしても、こういう法律が世の中には今あるではないかと。今まで日本の判例あるいは判決では、同一価値労働同一賃金ということは、あまり見ないという形で、私としては出てきていると理解するのですが、こういう法律が仮にできたときに、裁判官の頭の中は、どのような形で変わっていき得るのか、そして、出てくる判決が「いやそれはやはり差がついてはいけない」という形の結論になっていくのか。そこら辺をぜひ専門家の立場からお聞かせいただきたいと思います。最初、労働側から回答してもらいたいのですが。・・・

これはある意味もっともであると同時に、大変深刻な問題提起でもあるわけです。均等待遇にせよ、均衡処遇にせよ、それをジョブ型労働市場を前提にした同一価値労働同一賃金原則を前面に立てて論ずるのか、日本の雇用システムを根っこからひっくり返す気があるのか?労働側は、という話なんですね。

大変皮肉なのは、ここで松井さんが危惧している方向性というものは、ほかでもないその日本経団連会長が入っている経済財政諮問会議が打ち出そうとしている「労働ビッグバン」そのものであるわけで、ここでは表面上の敵味方と深層構造における敵味方とが入り組んでいるのです。内心、年功制が壊れては困ると思っている労働側委員に詰め寄ってみたって仕方がないんですよね、本当は。

斯くの如く、深層構造は複雑怪奇ではあるのですが、まあそれはともかく建議が出ましたので、雇用均等児童家庭局短時間在宅労働課の皆様方におかれては心安らかに新年をお迎えいただけることになったことを心からお慶び申し上げます。

2006年12月26日 (火)

ハローワークとILO条約

とにかく最近は内閣府関係で労働問題がやたらに騒がしいわけですが、も一つ興味深いネタとして、ハローワークとILO条約に関する懇談会というのがあります。

http://www5.cao.go.jp/koukyo/ilo/ilo.html

これも、11月30日の経済財政諮問会議で提起されたハローワークの市場化テストについて、大田弘子大臣から「民間議員から提案のあった2つの点に絞って、この解釈がILO条約に抵触するのかどうか、私の下に私的懇談会を設けて、専門家に集中的に検討していただくこととしたい」という発言があり、それに基づいて設けられ、既に12月21日に第1回の会合を開いたというものです。

ILO88号条約の解釈という法律論については、それ自体いろいろ論ずることはありますが、そもそも世界的にウェルフェア・トゥ・ワークが重視され、OECDの雇用戦略などでも、失業給付や福祉の受給者を労働市場に引っ張り込んでくることが雇用政策の最重要課題になってきつつあるときに、この民間開放をどういうイメージで考えておられるのか、かつてOECDに在職された八代先生にはとりわけお聞きしたいところではあります。パソナやリーガルマインドが福祉事務所と一緒になって、生活保護受給者の就職に汗をかくというつもりがあるのだろうか、ということですね。上澄みのクリームだけ舐めるのはいけませんよ。

規制改革・民間開放推進会議最終答申

昨日、内閣府の規制改革・民間開放推進会議の最終答申が出されました。

http://www.kisei-kaikaku.go.jp/minutes/meeting/2006/10/item_1225_04.pdf

朝日の記事は「会議側にとって後退が際立つ内容となった。規制改革の推進と並んで「規律重視」も掲げる安倍首相のあいまいな姿勢が、微妙な影響を与えているようだ」と、叱咤激励しているみたいでもありますな。

http://www.asahi.com/politics/update/1225/008.html

例によって労働関係の部分について見ていきますが、各論の前に総論として「今後の規制改革の推進に向けた課題」というのがあり、その中に「多様な働き方と再チャレンジを可能とする社会の実現」という項目があるので、まずそこから見ていきましょう。

まずは「我が国の労働市場は今、働き方の多様性、労働市場での移動やステップアップのしやすさ、不公正な格差の是正を柱とする、複線型でフェアな働き方の実現に向けた労働ビッグバンともいうべき抜本改革が求められている」と、ビッグバンをかましていますが、ビッグバンというのがそういう不公正な格差を是正し、フェアな働き方を実現するものであるのなら、それは大変結構なことのはずです。

ここで主として論じられている派遣・請負法制の問題点には、かなりの程度同意できるところがあります。例えば、「派遣の場合、業務の種類によって派遣受入れ期間に区別を設けることは派遣で働く労働者、派遣先の双方から理解が得られにくい。一般事務は「臨時的・一時的」であるが、事務用機器操作はそうではないといった法令上の仕組みについては、企業の現場ではおよそ受け入れることが難しい」という批判は、全くその通りでしょうし、「他方、請負についても、現行の派遣と請負の事業区分に関する基準(大臣告示)は、もはや現状には適合しないものとなっている。その内容は、①請負事業主が自己の雇用する労働者の労働力を自ら直接利用すること、②請負事業主が業務を自己の業務として契約の相手方から独立して処理することの双方を確保する観点から、文字どおりその具体的基準を定めたものに過ぎず、これを遵守したからといって、請負労働者の保護に資するわけではない」というのも、的確な批判です。

「労働者派遣法については、派遣労働を特別視した規制法から、真に派遣労働者を保護し派遣が有効活用されるための法律へ転換すべく、抜本的見直しを図るべきである」というのももっともなご意見ですし、「請負についても、以上にみた派遣法の改正に併せて、請負会社で働く労働者のスキルの向上と処遇改善のためには何が必要かという観点から、企業における自主的な取組に加え、現行の派遣と請負の事業区分に関する基準(大臣告示)の見直しを含めた法制度の整備が必要となる」というのも、まさに私が主張していることでもあります。

ところが、では派遣労働者や請負労働者の保護のために一体どんな具体的な措置を検討すべきと言っているのか、と見ていくと、「ステップ・アップを指向する派遣労働者のために、派遣元と派遣先を含めた三者間で、話合いの場を設けること等の手立ては十分に考えられる。法令による義務づけよりは、まず労使の間でその具体的な手立てを検討する。派遣先の労働組合が本来果たすべき役割は、そうした検討の場を積極的に設けることにあるともいえる」というところだけでして、つまり法律ではやらないから組合さん頑張ってね、ということのようでありますな、ふむふむ。

私自身の考え方は、前に連合の会合で喋ったメモにあるとおりですが、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/rengohakenukeoi.html

「一般的に事前面接を解禁し、かつ雇用申込み義務を削除する改正は、派遣先責任を大幅に強化する形での労働者派遣システムのモデル改造をもたらす可能性がある」と考えていますし、それは実は戦前の工場法モデルへの回帰という面があります。事業規制が一切なかった戦前期において、通牒は「工場ノ業務ニ従事スル者ニシテ其ノ操業カ性質上職工ノ業務タル以上ハ、雇傭関係カ直接工業主ト職工トノ間ニ存スルト或ハ職工供給請負者、事業請負者等ノ介在スル場合トヲ問ハス、一切其ノ工業主ノ使用スル職工トシテ取扱フモノトス」(大正5年11月7日商局第1274号)と、派遣であれ請負であれ、明確に工業主に責任を負わせていたのです。

入り組んでぐちゃぐちゃになっている派遣・請負制度をビッグバンするというのは、少なくともそういう派遣先責任、請負先責任の明確化ということであるはずだと、私は思っているのですが、「新たに派遣労働者や請負労働者のための法律を制定するとすれば、どのような法律が必要か。こうした未来志向が今、我が国には求められているのである」という、その未来志向の中に、そういう選択肢が意識されているのか、経済財政諮問会議に設置された専門調査会の議論が期待されるところです(皮肉じゃなく)。

後はまあ、今までも繰り返されてきた話なので、今さら「ホワイトカラーを中心に、自らの能力を発揮するため労働時間にとらわれない自律的な働き方を肯定する労働者も多くなっており、自己の裁量による時間配分を容易にし、能力を存分に発揮できる就業環境を整備するためには、そうした労働時間にとらわれない自律的な働き方を可能にする仕組みが強く求められている」って誰の話よ、まさか組織で働いたことのない大学のセンセを基準に考えてるんじゃないでしょね、ってな話もしません。明日労働条件分科会で最後の審議が行われることになっていますし・・・。

それより、ここには載っていない話、朝日によると「厚生労働省の反発で削除された」という「労組の団体交渉権について「従業員の一定割合以上を組織する場合に限るよう検討」とした項目」について、一言だけ。昨日のエントリーで引用した朝日の記事には「厚生労働省は「憲法はすべての国民に団結権や団体交渉権を認めている。少数組合を排除する理屈は成立しない」と反対していた」と書いてあります。

http://www.asahi.com/life/update/1225/003.html

もしこの記事が本当なら、厚生労働省の担当者に注意を喚起しておきたいことがあります。日本国憲法が施行されてそれほど経たない1948年に公共企業体労働関係法が施行されましたが、そこには明確に交渉単位制が規定されていました。同制度は1956年に廃止されますが、別に憲法違反だから廃止されたわけではありません。厚生労働省担当官殿は、この8年間は違憲状態にあったとでも主張されるのでしょうか。ご自分の大先輩が作った法律が、ですよ。

さらに、私の『労働法政策』に詳しく書いてありますが、1949年の労働組合法改正においては、不当労働行為制度とともに交渉単位制度の導入が検討されていました。この時の労働省試案は、厚労省のコンメンタールに載っていますからよく勉強された方がいい。いろんな事情があって、このときは交渉単位制は落とされて団交拒否の不当労働行為制度は導入されたたため、企業のすべての労働者を結集した労働組合が団体交渉を申し入れても、企業内のたった一人の労働者が外部の組合に駆け込んで団体交渉を申し入れても、企業は全く平等に団体交渉に応じなければならないというある意味で大変奇妙な制度になってしまったわけです。

あんまりうかつに「憲法違反」だなんて言わない方がいいと思いますがね。

2006年12月25日 (月)

規制改革会議が労組団交権制限を断念

今朝の朝日が報じています。

http://www.asahi.com/life/update/1225/003.html

これは、6日のエントリーで紹介した記事の続報ですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_e8e1.html

今日出される予定の「規制改革・民間開放推進会議の最終答申から、労働組合の団体交渉権を制限するとした項目が削除されることがわかった」ということです。「今月上旬に示された原案では、労組の団体交渉権について「従業員の一定割合以上を組織する場合に限るよう早急に検討する」としていたが、憲法に抵触しかねないなどの理由から見送ることになった」ということのようです。

これを主張していたのは同会議専門委員の小嶌典明・大阪大教授(労働法)で、「経営側への負担が大きい。交渉権を一定割合以上の組合に限れば、労組が多数の組合員を組織する動機付けにもなる」と主張。米国では、過半数の労働者の支持を得た組合が交渉権を得る仕組みで、これを念頭に、1割以上の組織率を条件にした構想だったようです。

法律論的に言えば、「厚生労働省は「憲法はすべての国民に団結権や団体交渉権を認めている。少数組合を排除する理屈は成立しない」と反対していた」ということになるのですが、労使関係論的観点から見ると、多数組合と少数組合が法律上全く平等だというのがいいのかどうかは大変疑問です。

それを、小嶌先生のように少数組合の団体交渉権の制限というやり方でやるのが適切かというと、それは大変問題が生ずる面もあるのですが、少なくとも労働契約法制の検討の中で提起されながら遂に消えてしまった労働条件の不利益変更の合理性判断への判断基準として用いるといったやり方ででも、何らかの形で多数の労働者を組織してその声を結集した組合の発言権をより多く認めるという仕組みを導入していくことが、18.2%にまで下落してしまった組織率反転のためにも求められているのではないかと思うのです。

私自身の考え方は、『労働法政策』の中でちらと書きましたが、団体交渉権自体は複数組合に平等に認めるが、労働協約の規範的部分の効力は過半数原理に従わせるというやり方が適当なのではないかと思っています。就業規則や様々な労使協定との関係で問題になるのもこの部分ですし。現行の17条の一般的拘束力の考え方とも整合すると思います。

まあ、日頃労働組合を敵視している規制改革会議が、今頃になって「労組が多数の組合員を組織する動機付けにもなる」などと言いだしても信用できるか!とお考えの方も多かろうとは思いますが、議論自体としては一見するほど筋の悪いものでもないと、私自身は考えています。これまでの少数組合運動は、どちらかというとイデオロギー的主張で多数組合と対決するサヨク運動家の砦みたいな感じでやっていたので、そもそも労働者の多数の支持を得るなどという発想にはなりにくかったのではないかと思いますが、そういう社会背景はだんだん変わって来つつあるようにも思います。そもそも、「団結は力なり」というのは、本来、隅っこの方で数人だけで寂しく気勢を上げているというようなものではなかったはずですし。

2006年12月22日 (金)

労働市場改革専門調査会

例の経済財政諮問会議で打ち出された労働ビッグバンを実行するための労働市場改革専門調査会の設置と、専門委員の名簿が発表されています。

http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2006/1220/item13.pdf

会長の八代尚宏氏と、もう一人小嶌典明氏は、規制改革会議でバンバンやってきた方々ですが、その他の方々の名前を見ると、あれ?と思うくらいバランスのとれた人選になっていますね。

会長 八代尚宏 経済財政諮問会議議員

専門委員 井口 泰 関西学院大学経済学部教授

〃 大沢真知子 日本女子大学人間社会学部教授

〃 小嶌典明 大阪大学大学院高等司法研究科教授

〃 小林良暢 グローバル産業雇用総合研究所所長

〃 佐藤博樹 東京大学社会科学研究所教授

〃 中山慈夫 弁護士

〃 樋口美雄 慶應義塾大学商学部教授

〃 山川隆一 慶應義塾大学大学院法務研究科教授

正直申し上げて、この方々で「ビッグバン」になるの?という感じもしますが、まあ、そこは八代会長と内閣府事務局のハンドリングなんですかね。

学者の方についてはあまりにも高名な方々ですので特段のコメントは不要と思いますが、労使双方だけちょっと紹介しておくと、小林良暢氏はもと電機労連の方で、連合総研にもいらしたことがあります。最近はアメリカのEMS(工場丸ごと請負みたいなもの)などに関心を持っていろいろと調査されています。

中山慈夫氏は経営側の労働問題弁護士、いわゆる経営法曹の有力者で、東大で客員教授をされています。大変バランス感覚のある方ですよ。

労働契約・労働時間法大詰め

昨日の労働条件分科会に、若干修正された報告(案)が提示されたようです。水口さんのブログ(夜明け前)にアップされていますので、リンクしておきます。

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/files/rouseishin06z21.pdf

前回案で斜体文字になっていた整理解雇と解雇の金銭解決は予定通り「先送りします」ということになったようです。前者は「判例の動向も踏まえつつ」、後者は「労働審判制度の調停、個別労働関係紛争制度の斡旋等の紛争解決手段の動向も踏まえつつ」と、いろいろ踏まえていくことになりそうです。踏まえた結果は何年か先の改正時に役に立つことになるのでしょう。

一方、総論の「均衡考慮」はなお斜体字のまま。これは15日のパートについてのエントリーのコメント欄で書いたことですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_e140.html

パート法では労働時間が短いだけの人は差別しちゃいけないということになるのに、ああそうかねそれなら労働時間まで同じにしちゃったら差別してもいいんだね!ってなことになってしまうという頭の痛い問題があって、本来労働契約法の有期労働で対応する話ではあるんですが、そっちもスカスカ状態ですから、何とか最後の砦としてこの殆どどういう法的効果があるのか分からないけれどもとにかく一般的に均衡を考慮するんだよという規定を労働契約法の中に書き込んでおきたいという気持ちが強く働いて、この最終段階においてもなおペンディングという状況になっているということなのでしょうね。

就業規則変更のところについては前にも書いたように既に著しくトーンダウンしてしまって、過半数組合という文字が消えてしまっているわけですが、ここらで考えて欲しいことは、例えば昨日発表された労働組合基礎調査で、組織率はなんと18.2%にまで落ち込んでしまっているわけですよ。

http://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/roushi/kiso/06/index.html

http://www.jtuc-rengo.or.jp/news/danwa/2006/20061221_1166684460.html

これを何とか反転攻勢するために、過半数組合の同意を就業規則変更の合理性判断にダイレクトにリンクさせるというような戦略的発想はないのだろうかなあ、と私なんぞは考えるのですがね。そりゃ少数派組合にとっては致命的な改正になるでしょうが、それが組合運動の主流ではないし、むしろ過半数をとることで発言権が格段に強くなるという仕組みを作ることで組織化へのインセンティブが増すと思うのですが、まあこれは今回はもうなくなってしまった話なのでこれくらいにしておきますが。

さあて、皆さんお待ちかねのホワエグですよ。

前回斜体文字だった「年収が相当程度高い者」のところが確定文字になり、「対象労働者としては管理監督者の一歩手前に位置する者が想定されることから、年収要件もそれにふさわしいものとすることとし、管理監督者一般の平均的な年収水準を勘案しつつ、且つ、社会的に見て当該労働者の保護に欠けるものとならないよう、適切な水準を当分科会で審議した上で命令で定めることとすること」という文章が付け加わっています。

一昨日のエントリーで紹介した朝日の記事の中味がこれですね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_dd25.html

基本的にはそこで書いたことに付け加えることはありません。「それくらいの年収のある人であれば、「残業代をゼロ」にすることは別に問題がないのですよ。問題は残業代がなくなることではなくて、労働時間規制から完全に外してもいいのか?ということなんですから。」ということに尽きます。

あと、前回の報告(案)にちょいと付け加えられた事項があります。制度の履行確保のところで、週休2日を確保する「法的措置を講ずる」となっていたところが、「確保しなかった場合には罰則を付す」とやたらに厳格になっています。

日経さんはここんところに反応していますね。

http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20061222AT3S2101Q21122006.html

「時間に縛られない自由な働き方に道を開く一方、企業には徹底した健康管理を求めることで労使の歩み寄りを促す」ということなんですが、だあからああ、ほおんとおに「時間に縛られない自由な働き方」なんてしてるんだったら、徹底した健康管理も糞もないわけですよ。それこそ自己責任なんだから。そうじゃない働き方をしているから徹底した健康管理が必要なんでしょ、って。

ただですね、正直言って、この週休2日を罰則で強制するというやり方は実質的にこの制度を半身不随にしてしまう可能性があると思いますよ。前にも言いましたが、例えば労働条件分科会が大詰めのこの時期に、明日の土曜に、局長、審議官、課長、企画官、一つ跳んで係長、係員みんな出勤してどうするべえ、とやってるときに、課長補佐だけが「俺が出勤したら罰則がかかりますから」っていって出てこないなんて事ができますか?ってことですよ。こんなことは日本中のありとあらゆる組織で働いた経験のある人だったらみんな分かってることのはずなんですが(大学の先生は分かってないかも知れない)。

まあ、この部分は厳密に言えば1年104日休日の確保と云うことなので、課長補佐さんも今の時期は休日返上で働いて、その分法案が通ったら山のような休日を消化しなくちゃいけないと云うことになるのかな。ただ、いずれにしても、係長、係員からは白い目で見られそうな。

いやもちろんこれは冗談、国家公務員に適用あるものではありませんから。でも、物事の本質はそういうことでしょ。

2006年12月20日 (水)

ホワエグは管理職の平均年収?

今度は朝日です。

http://www.asahi.com/business/update/1220/082.html

「残業代ゼロ労働の適用年収 「管理職の平均」で調整」という記事が出ています。

「年末にまとめる最終報告書では、新たに「対象労働者は管理監督者の一歩手前に位置する者」と言及。年収要件を、「管理監督者一般の平均的な年収水準を勘案しつつ、労働者の保護に欠けないよう、適切な水準を定める」とする方向で調整している」とのことです。

これがどれくらいに当たるのかというと、

>05年の厚労省統計をもとにした民間の産労総合研究所の試算では、従業員が100人以上いる企業の「課長」の年収は837万円。ただ、100人以上500人未満が683万円、500人以上1000人未満が791万円、1000人以上が972万円と、企業規模や産業で開きがある。

と、中小企業では相当低くてもホワエグが可能で、大企業になればかなり高くなければダメということになるわけです。

ちょいと厳密なことをいっておくと、「管理職」の平均と「管理監督者」の平均とは概念的に違うはずです。

私が思うに、問題の本質が労働時間法制ではなく、賃金をどうするかということである限り、労働基準法上の概念である管理監督者よりも、職能資格制における管理職を基準にする方がふさわしいように思われますが、問題を労働時間規制の緩和という形で扱っている以上、管理監督者という風に書かざるを得ないんでしょうねえ。

もう今までこのブログでも耳にたこができるくらい繰り返してきたことなのですが、それくらいの年収のある人であれば、「残業代をゼロ」にすることは別に問題がないのですよ。問題は残業代がなくなることではなくて、労働時間規制から完全に外してもいいのか?ということなんですから。マスコミはなかなかそう思ってくれないんですけれど。

雇用保険部会報告素案

11月30日の労政審雇用保険部会に提示された報告素案が厚労省のHPに載っています。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/11/dl/s1130-13b.pdf

財務省の財政制度等審議会から、国庫負担を廃止しろ、雇用保険3事業も廃止の方向で見直せ、といろいろ言われ、今年成立した行革推進法でもそう書かれてしまって、外堀を埋められてきた厚労省ですが、この素案、結構正面から反論してます。

財政運営については、「雇用保険は必要不可欠なセーフティネットであり、将来にわたり安定的に機能するよう制度の健全な運営を確保することが何よりも重要である。その上で行政改革推進法等で指摘された課題に対応する必要がある」と、基本的な考え方を鮮明にした上で、「雇用保険制度の前身である失業保険法時代より国庫も失業等給付に係る費用の一部を負担しているのは、雇用保険制度におけるもっとも主たる保険事故である失業は、政府の経済政策、雇用対策と無縁ではなく、政府もその責任の一端を担うべきとの考え方によるものである。このような経緯や雇用保険の被保険者等の期待等を勘案すると、失業等給付に係る国庫負担の制度を全廃することは、国の雇用対策に係る責任放棄につながり、適当ではない」と、明確にこれを否定しています。

このあとに「ただし、行政改革推進法の趣旨を踏まえ・・・(以下P)」と、なっていて、この後に例の半分子ね、というのが来ることになるんでしょう。この辺が妥協点という判断です。

3事業については、雇用福祉事業を事業類型としては廃止するとともに、既存事業の規模を大幅に縮減し、各個別事業について引き続き不断の見直しを行うべきと述べた上で、「人口減少下において経済社会の停滞を回避し、働く意欲と能力があるすべての人が可能な限り働ける社会の構築を目指すため、特に雇用保険の被保険者となることを希望する若年者等についても、雇用安定事業等の対象として明確化すべきものと考える」としています。

本来保険原理からすれば、被保険者でない若年者を保険事業の対象とすることはおかしいということになりますが、雇用政策手段の観点からすれば若年者対策にこそ雇用保険事業による資源を投入すべきであるわけで、この部分を「雇用保険の被保険者となることを希望する」というロジックでクリアしようとしているわけですね。

この辺の方向性は基本的に全く賛成です。頑張れ。

また、適用関係で、短時間労働者の被保険者区分をなくし、一般被保険者として一本化するとともに、これに伴い受給資格要件(一般は6ヶ月以上、短時間は12ヶ月以上)も一本化し、その際循環的な受給や安易な給付を未然に防ぐ観点から、解雇・倒産等による離職の場合には6ヶ月、自己都合離職や期間満了の場合には12ヶ月と、離職理由で差をつける、という方向も適切でしょう。

ちょいと文句があるのは、教育訓練給付のところです。もともと1998年にできたときには費用の80%、上限30万円の大盤振る舞い。2003年改正で費用の40%、上限20万円に縮小。それを今回は費用の20%、上限10万円にして残そうというのですが、もういい加減やめたら?という感じです。

糞の役にも立たない英会話教室やパソコン教室ばかりを太らせると批判されて、それももっともなのですが、それよりも何よりも問題なのは本当に教育訓練を必要としている人が使いにくく、遊び半分の人間ばかりが使いやすいという制度設計でしょう。まあ今回、若年労働者の定着率の向上等のため、初回受給者については当面被保険者期間を3年から1年に短縮することを求めていますが、やっぱりそもそもの制度思想が間違っているんだと、私は思うのですよ。

このブログでも何回か言ったけど、これってフリードマンの教育バウチャーの変形なんですね。この給付ができるときも、バウチャーバウチャーと喚く莫迦がいてこういうのができたんですが、そういう自己啓発万能主義は90年代の迷妄としてすっきり別れを告げた方がいいと思うのですがね。

2006年12月19日 (火)

革命的労働ビッグバン主義者万歳!

昨日内閣府が開いたシンポジウムの席で、経済財政諮問会議の八代尚宏氏が「正社員と非正規社員の格差是正のため正社員の待遇を非正規社員の水準に合わせる方向での検討も必要との認識を示した」と報じられています。

http://www.mainichi-msn.co.jp/keizai/seisaku/news/20061219k0000m020089000c.html

>低成長のうえ、国際競争にさらされた企業が総人件費を抑制している中、非正規社員の待遇を正社員に合わせるだけでは、「同一労働・同一賃金」の達成は困難と指摘。正規、非正規の待遇を双方からすり寄せることが必要との考えを示した。

>現在の格差問題が規制緩和の結果生じた、との見方を否定し「既得権を持っている大企業の労働者が、(下請け企業の労働者や非正規社員など)弱者をだしにしている面がかなりある」と述べた。

つまりですね、「同一労働同一賃金」という「正義」を実現するために、大企業労働者の既得権を剥ぎ取り、(労働者は)みんな平等に貧しいユートピアを作ろうというわけです。なんと革命的なんでしょう。

全ての革命的な労働者学生諸君は一致団結して八代先生とともに労働ビッグバンを実現すべく闘おうではありませんか!

(追記)

これは冗談で言っているわけではありません。ある意味では大まじめな話です。少なくとも、もっとも正統なマルクス主義者である松尾匡さんのお考えと、八代先生のお考えは見事に符合しています。重工業化の結果としての複雑労働力商品生産による疎外を乗り越えて、一切の伝統的属性のアイデンテイティをはぎとられて全人類に共通する自然科学的存在となったスッカンピンのまる裸の労働者階級を作り出すことこそが、階級のない社会への道なのですから。

http://www.std.mii.kurume-u.ac.jp/~tadasu/shucho4.html

2006年12月18日 (月)

連合調査 on 偽装請負

朝日が偽装請負に関する連合の調査結果を報じています。

http://www.asahi.com/life/update/1218/001.html

連合のHPには載っていないので、中間集計のリークということのようですが、「請負労働者がいる企業の6割に偽装請負が広がっている可能性が高いことがわかった」という報道の仕方には、ちょっと疑問を感じます。

もちろん、「正規従業員と請負労働者が、同じ業務ラインや作業チームで混在して働く職場があるかを聞いたところ、「かなりある」が15.2%、「一部である」が45.1%だった。混在して働くのは、通常は適正な請負とは見なされない」とか、「請負労働者への指揮命令は、「受け入れ先企業の社員が主に行う」が3割あった。本来は請負会社の社員が指揮命令をすべきで、偽装請負の可能性が極めて高い。特に、従業員100人未満の企業の6割に達している」というのは、現行法制を前提に考えれば確かにそういうことになるのですが、これが、だから正社員は請負労働者に一切口をきいてもいけない、接触してもいけない、という方向に進むとすると、(現にそういう方向になりつつあるのですが、)これは請負労働者の保護という観点からすると却って逆効果になる方向にものごとを動かしてしまうのではないかという危惧が感じられるのです。

この問題を考えるためには、そもそも民法や商法が考える請負とは何かというところからはじめて、労働者保護のために一番いいやり方は一体何なのかということを常に頭に置いて検討していく必要があります。偽装請負は違法だ、なくせ、なくせ、だけで進めていくと、結局労働者派遣に落ち着くしかないわけですが、それが一番望ましい道なのかは、労働者の属性を考え合わせる必要があるでしょう。とりわけ、若年フリーターの職業生活を如何に安定したものにしていくかという問題意識を踏まえて考えるならば、偽装だからといって請負をやめさせて(本質的にはより不安定な)派遣にすることがどういう社会的効果を持ちうるのかということまで見据えて取り組んでいく必要があるはずです。

4日のエントリーで紹介した「雇用の格差、人生の格差」の最後から2つめのパラグラフで私が言いたかったことも、そういうことなんです。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/koyounokakusa.html

2006年12月17日 (日)

ホワエグの年収要件は8-900万円?

日経が、ホワエグの年収要件について、8-900万円で最終調整中と報じています。

http://www.nikkei.co.jp/news/main/20061216AT3S1501N15122006.html

「対象者を絞り込んで働き過ぎや健康管理に対する監視を徹底する」とありますが、問題はこの働き過ぎや健康管理に対する管理の徹底の中身でしょう。

一方、連合は15日、中央執行委員会で「日本版イグゼンプションの導入に反対の立場を貫くことなどを確認した」とのことです。

http://www.jtuc-rengo.or.jp/news/rengonews/2006/20061215_1166172549.html

組織内のいろいろな事情などもこれあり、なかなかこの辺で折り合いましょうというのは難しいんでしょうけど。

ちなみに、興味深いのは高木会長が「経済財政諮問会議での「労働ビッグバン」と称される議論をはじめ、規制改革・民間開放推進会議、自民党に設置された雇用・生活調査会や労働政策議員連盟等における労働に関する議論についても、注意して見ておかなければならないと述べた」という点です。自民党内の動きに対してどういうスタンスで臨んでいくのかは、今後の連合運動にとっても重要なところでしょう。

2006年12月16日 (土)

高齢化社会と労働法政策

本日、東京大学法学部連続講演会「高齢化社会と法」の第7回目として、「高齢化社会と労働法政策」をお話ししてきました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/todaikoen.html

若い学生からかなりの高齢者の方まで、いろいろな方が見えていました。講演メモはこの通りですが、そもそも日本の年齢に基づく雇用システムがいついかなる形で形成され、構築されてきたのかという、HPの「日本の労務管理」で書いているような話も冒頭にしておきました。

2006年12月15日 (金)

自民党は労働者の味方!?

12月3日のエントリーで紹介した自由民主党の雇用・生活調査会が動き始めました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_9e26.html

http://www.jimin.jp/jimin/daily/06_12/13/181213a.shtml

「13日、初会合を開き、非正規雇用の現状と対策について厚生労働省から説明を受け、労働者の待遇改善に向けた今後の検討事項について意見交換を行った」ということですが、興味深いのは、出席した議員から

>規制緩和が企業寄りになり過ぎると労働条件の低下を招くことになる

>派遣社員の身分が固定化すると、働き手の格差が拡大するのでは

などの意見が出されたということです。いよっ、労働者の味方。

経済財政諮問会議が麗々しく打ち出した「労働ビッグバーーーン」に対する懸念が透けて見えます。

いやいや、教育基本法がどうしたこうしたと詰まらんことで国会を騒がしている野党なんかより、自民党の方がよっぽどソーシャルな政党ですぞ、ということですねえ。

一方で、11月10日のエントリーで述べたように、公務員にスト権を付与するぞ、とリベサヨ路線でも自民党がリードしているようで、野党は顔なしですな。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_8222.html

パートって言うのか言わねえのか?

12月8日に開かれた労政審雇用均等分科会に提示された「今後のパートタイム労働対策について(報告)(案)」が厚労省HPに載っています。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/12/s1208-11a.html

内容的には、素案を維持しているのですが、どうしてもよく分からないのは、フルタイムパートの問題です。

この報告案では、「通常の労働者と職務、職業生活を通じた人材活用の仕組み、運用等及び雇用契約期間等の就業の実態が同じであるパートタイム労働者については、パートタイム労働者であることを理由として、その待遇について差別的取扱いをすることを禁止することが適当である」と書いてあります。それ以外のパートタイム労働者は均衡処遇だと。

それはいいのですが、ここで通常の労働者との差別的取扱いが禁止されるパートタイム労働者というのは、職務や人材活用の仕組みや運用や就業の実態は通常の労働者と同じであるけれども、ただ労働時間だけが短いという労働者のことなんですね。そうすると、こういう項目に加えて労働時間すらも通常の労働者と同じである「パートさん」と呼ばれるところの労働者は、差別的取扱いをしてもいいということになるわけです。

もちろん、筋から言えばパート労働法なんだから、そもそもパートじゃない奴は相手にできないのは当たり前といえば当たり前なんですが、そして、そういう労働者は有期契約労働者ということで、労働契約法制の方でいろいろと検討されていたわけなんではあるんですが、そっちの方がほとんどすかすかになったという事情もこれあり、なんだかバランスのとれない結果になりつつあるなあという感じが否めないところです。

私が上に書かれたようなパートを使っている事業主だったら、一番簡単なのは労働時間を通常の労働者と同じにして、差別的取扱いが禁止されないようにしてしまうことですが、そういうのは多分脱法行為にはならないんじゃないかな。

といって、労働側が審議会で主張していたように、パートタイムじゃないフルタイムの「パートさん」をパート労働法で保護しろというのも、法制局的にはいかにも筋が悪いので、頭を抱えるのは確かなんですけどね。難しいところです、これは。

2006年12月14日 (木)

雇用対策法改正への建議(若者編)

12日に、労政審が「人口減少化の雇用対策」と題する建議を出しました。

内容はこのブログでも適時紹介してきましたが、若者対策、地域対策、及び外国人対策の3つです。

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2006/12/dl/h1212-1a.pdf

このうち、このブログの読者に一番関心の高いであろう若者対策のところは次のようになっています。

>現行法における再就職の援助、募集・採用時の年齢制限の緩和についての事業主の努力義務に、若者の能力を正当に評価するための募集方法の改善、採用後の実践的な職業訓練の実施その他の雇用管理の改善を図ることにより、雇用機会の確保を図ることを加えるとともに、国は事業主が適切に対処するために必要な指針(大臣告示)を策定することが適当

当該指針において、人物本位(就業等を通じて培われた能力、経験についての、過去の就業形態、離職状況にとらわれない正当な評価)による採用が行われるべき旨明記するとともに、定着促進の観点も含め、次のような事項について盛り込む

・採用基準や職場で求められる能力。資質の明確化

・求人の応募可能年齢の引上げ、応募資格の既卒者への開放

・通年採用の導入

・トライアル雇用の活用等有期雇用から正社員への登用制度の導入

・職業能力開発の推進

これに若干の意見がくっついていますが、今日の若者が置かれたフリーター状況からの脱却を目指す政策としては、少なくとも方向性は間違っていないと思います。

ちなみに、この問題を審議した雇用対策基本問題部会には、使用者側委員として「労務屋@保守おやじ」こと荻野勝彦さんが参加されています。「吐息の日々」でのご紹介が待たれます。

また、こういう建議の中味については一番近いところで研究されている本田由紀さんのコメントがブログで読めないのは残念です。いろいろな議論の出発点になりうるはずなんですが・・・。

定年・退職・年金の法政策

明日発売の『季刊労働法』215号に、私の『定年・退職・年金の法政策』が掲載されています。

http://www.roudou-kk.co.jp/quarterly/

これは一般書店で販売されている雑誌なので、販売期間中は原稿を掲載しません。

日本に職種別賃金はあるか?

平家さんから連投でトラックバックを頂いています。こちらは職種別賃金の話題です。

http://takamasa.at.webry.info/200612/article_9.html

私が「はっきり言って、日本には職種なんてモノ自体がほとんどないのですから、職種別の賃金もなく、それゆえ職種別設定賃金なるものを公的に設定するなどということができるはずもない」と書いたことに対して、いやこういうのは職種があるんじゃないの?と批判されています。

まずもって、私が日本の労務管理の典型として主として念頭においていたのは、日本経済の主流産業のブルーカラーやホワイトカラー労働者であって、それ以外の様々な部分社会には職種型の労働市場やそれに近いものがあることは確かです。それを「ほとんどない」などというのはけしからんというご批判は、それはそれとして仰るとおりという面はあります。幾つも留保はありますが、とりあえずはそう申し上げておきます。これは、日本の社会政策学なり労働問題研究の偏向であるといわれれば、その通りとも言えます。

ただですね、まず話のコンテキストから言いますと、そもそも労政審で職種別設定賃金なるものが提示されたのは、現行の産業別最低賃金を廃止する代わりという位置づけでした。現行産別最賃は、ここにその一覧がありますが、

http://www2.mhlw.go.jp/topics/seido/kijunkyoku/minimum/minimum-04.htm

その多くは製造業で設定されています。つまり、典型的に日本的労務管理の中にいる労働者に適用されている制度なのです。それが規制緩和で消されるので、何かその代わりになる理屈はないかと探し回って職種なるものを持ってきたという話なので、そもそも筋が違う。平家さんの理屈で言えば、医者の職種別最賃、看護婦の職種別最賃というような話になるはずですが、そういう文脈ではないのです。

そういう製造業で職種別賃金なんてあるの?本気で旋盤工の最低賃金、鋲打ち工の最低賃金、修理工の最低賃金とかってやる気?ということなので、日本の職場にそんなのないでしょう、といってるわけです。

次に、平家さんが挙げられている「職種」には、確かに職種別労働市場が成立しているものもあれば、そりゃ違うでしょうというのもあります。医療関係職種は典型的に職種別労働市場が成立していますが、例えば平家さんの挙げられた「スーパーのレジを打つ仕事」って、職種別労働市場が成立していますか?「小売店の店員さん、ビルなどの清掃係り」もそんな職種別労働市場がありますか?日本的労務管理のメインストリームに乗っていないということと、独自の職種別市場があるということとは全く別のことです。これらは、職種別市場もなければ企業内市場もない、ただののっぺりした(それ自体としての「底」を持たない、それゆえに下は最低賃金に張り付く)一般労働市場であるだけではないでしょうか。

最後に、実態は職種別労働市場にはなっていないのに、大学の先生の雇用確保のためにアメリカ流の職種別労働市場を前提とした教育がされてしまい、その結果卒業生が悲惨な目になっている分野として福祉業界があるようです。この件については、以前ある大学で聞いたことですが、アメリカではソーシャルワークというのが医療職に倣った形で社会的に確立しているので、そういう教科書なんかも確立している。日本の大学で、そういうのをそのまま使って勉強しても、いざ就職というときにはまったく役に立たない、云々というはなしでした。

メイク・ワーク・ペイ再論

久しぶりに平家さんからトラックバックを頂きました。テーマは懐かしきメイク・ワーク・ペイ。

これはなにしろ、稲葉先生の「ブログ解読」で取り上げられて、この隅っこのブログの読者が急増した(その後すぐ急減したが・・・)話題でもあります。

せっかくなので、本ブログでこのテーマをめぐって書いた過去のエントリーを並べておきます。労働ビッグバンとかなんとかでたぐって最近このブログにいらした方も多いようなので、お蔵出しセールってことで・・・。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_f179.html

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_d15e.html

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_71f5.html

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_30b7.html

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_ad53.html

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_c2b6.html

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_ae8d.html

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_ba23.html

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_fdbe.html

・・・・・、で、今回の平家さんの論点は、「生活保護の水準のを考慮した地域別最低賃金の決定=地域別最低賃金水準の引き上げ→違反摘発→中小零細企業を中心とした地域別最低賃金が高すぎるという主張の高まり→生活保護の水準が高すぎるという世論の形成→生活保護水準の切り下げ(働く能力のない人も対象にしての引き下げです)→地域別最低賃金の引き下げ」という「危険はないのでしょうか?」という懸念です。

まあ、全くないとは言えないかも知れません。しかし、必ずそうなるというものでもありません。さらに、若干踏み込んでいえば、現行生活保護の水準が高すぎるのかどうかは、それ自体として議論されて然るべき問題であることは間違いありません。少なくとも、現在、働かないことに対する報酬が、働くことへの報酬を上回ってしまっているという矛盾を、解消しない論拠となるには弱いように思います。

平家さんが論及しているわけではないのですが、ここのところ福祉関係で話題を集めている生活保護の母子加算の廃止問題にしても、それが母子家庭の母へのモラルハザードになっているか否かという議論は盛んにされるのですが、そのことと、働いている母子家庭の母親が最低賃金に張り付いたような賃金で働いていることの関係という形で論じられることは少ないようです。

不思議なのは、何かというと合理的計算で行動する経済人間を前提とするケーザイ学者が、なぜかこの点については、働かないことの高い報酬よりも働くことの低賃金という懲罰を敢えて受け入れて働いている奇妙な日本のシングルマザーの行動様式については、合理性に反するといって非難しないことです。

上に再掲した過去のエントリーでも述べたように、私はこの問題を個別企業の労務コスト負担で賄うことは困難だろうと思っています。生活保護の母子加算を廃止するのであれば、最低賃金に母子加算をすべきでしょうし、その分の負担はわざわざシングルマザーを雇った個別企業に求めるのではなく、社会全体が負担すべきでしょう。そういう議論になっていかないから、企業側は、何でせっかく雇ってやった俺様にばかり負担を求めるんだ、となるわけです。障害者雇用制度がヒントになるのではないかと思います。

2006年12月12日 (火)

最低賃金見直し大詰め

12月1日に労政審の最低賃金部会に提示された見直し案が厚労省HPに載っていますが、

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/12/s1201-3.html

これをみると、遂に職種別設定賃金というのが消えたようですね。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/12/dl/s1201-3a.pdf

まあ、もともと規制改革会議が産業別最賃を廃止しろといったことから始まった今回の見直しですが、昨年初めの在り方研報告がセーフティネットとしての最低賃金という観点から、生活保護水準との関係にも言及して地域最賃の見直しも検討範囲に入り、昨年労政審の審議が始まったわけですが、その中で産別最賃に代わって職種別設定賃金などというものが出てきてから話がややこしくなり、今年1月に一旦中断し、4月に再開されてからもああでもないこうでもないとごちゃごちゃやってきていたわけです。

はっきり言って、日本には職種なんてモノ自体がほとんどないのですから、職種別の賃金もなく、それゆえ職種別設定賃金なるものを公的に設定するなどということができるはずもないわけです。これからの日本を、欧米型の職種型社会にしなければならないという、崇高な理想に萌えられるのは結構ですが、現実にないモノの上に何やら精緻な制度を設計しようたって、そんなことできるはずもないのは分かり切ったことだったはずなんですが・・・、その分かり切った結論にいたりつくのにここまでかかったということのようですね。

今回の案では、今まで違って地域最賃の方が先に来ています。これは当然のことで、最賃の意義は何よりも地域最賃にあるのですから、そこに「「地域における労働者の生計費」については、生活保護との整合性も考慮する必要があることを明確にする」と書かれることには大きな意義があると思います。これこそ今までこのブログでも何回も書いてきたメイク・ワーク・ペイの話ですね。

で、その後に産業別最賃が復活しました。いろいろこねくり回した挙げ句、やっぱり産別しかないよな、ということになったようです。ただ、今までの産別最賃と異なり、「一定の事業又は職業について決定された最低賃金については、最低賃金法の罰則の適用はないものとする。(民事効)」というふうになっています。これはつまり、一般的拘束力を持った労働協約と同じ効力しかないんだよ、ということですから、話としては大変筋が通っています。だって、最低賃金というのは本来労働組合がこれ以下では労働力を売らないよというラインであって、それをアウトサイダーに強制するのが一般的拘束力なわけですから。

これに対して、「労使各側とも持ち帰って検討することとなった」とのことで、「年内のとりまとめに向けて、部会長から労使各側に対して特段の協力が要請された」と書かれています。規制改革会議は顔を潰されたと怒るかも知れませんが、まあこんなところじゃないですかね。少なくとも、ジョブなき日本社会にジョブ賃金を六法全書の上だけで書いてしまうという暴挙に行かなくてよかったと思います。

本田由紀vs濱口?

大坂さんから頂いたトラックバックの先に、

http://d.hatena.ne.jp/osakaeco/20061207/p1

# リベラル 『このトレードオフへの対応方針が本田由紀vs濱口の対立点です。』

# osakaeco 『えっ、そうなんですか。じゃ、このエントリ、トラックバックしたら、また、濱口さんにコメントもらえるかな。』

というやり取りが・・・。この「リベラル」さんって、夫馬さんのことではないかと思われるのですが、それはさておき、「本田さんの件はなにかとゴシップ扱いされていて、名前が出ることは濱口さんももしかしたらあまりいい気分でないのかもしれません」とまでご心配いただいているようなので、そんな話ではないですよ、と申し上げておきます。ヤマハのヘーゲルさんをめぐる一件では、内野外野の喧噪で変な風になりましたが、もともとの論点はかなりすっきりしています。

以下に、この論点をめぐる私のブログのエントリーにリンクを張っておきます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/02/post_384b.html

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_c7cd.html

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_bf04.html

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_722a.html

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_c586.html

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_8cb0.html

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_5804.html

一方、ヤマハさんから始まる一件は次の通りです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_667c.html

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_0cbc.html

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_f60c.html

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_2cf7.html

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_f50b.html

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_b99c.html

と、いうわけで、別段「本田由紀vs濱口の対立点」などというものがあるわけではありません。夫馬さん、変に煽らないでよ。

労働契約法はどこへ行った?

ところで、最近ホワエグの話題ばっかりで、労働契約法の話はどこへ行ったんでしょうか?なぞとカマトトぶってみる。

せっかく10日の報告案を水口さんがアップしてくれているのに、なんにも言わないのもなんですから、ちょいとコメントしますね。

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/files/rouseishin06z08.pdf

とはいえ、既に本ブログで素案段階から申し上げているように、「半世紀に一回の画期的な労働立法という触れ込みだった労働契約法は、ほとんど判例法理のリステートメントにとどまるものにな」ってしまったようなので、あんまり力が入らないんですがね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_ff48_1.html

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_a3fc.html

報告案で若干興味深いのは、水口さんも取り上げている安全配慮義務の規定ぶりです。

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2006/12/post_cd15.html

素案では「使用者は、労働者が安心して働くことができるように配慮するものとすることとしてはどうか」となっていたのですが、報告案では「使用者は,労働者がその生命,身体等の安全を確保しつつ労働することができる職場となるよう,労働契約に伴い必要な配慮をするものとする」となっています。

恐らく、審議会の席で奥谷委員はじめとする使用者側が文句を付けたので、なんだか和らげたような気のする文言にしたのだろうと思いますが、では水口さんの言うようにほんとにこれで「現在の判例の労働者保護水準は大きく後退させられてしまう」のかというと、そんなことにもならないのではないかと思われます。確かに「法文として意味不明」なところはありますが、別に「保護義務から努力義務におとしめたということ」にはならないと思いますよ。「配慮するものとする」んですから、最初から配慮義務なんであって、むしろ、「生命、身体等の安全」が明確化しているわけです。

そもそも、安全配慮義務は最高裁判例で明確に確立しているわけで、奥谷委員が幾ら社員の自己責任だと言っても過労死すれば1億円某の損害賠償を払わなければいけないのであって、それを免れようとすれば「労働者がその生命,身体等の安全を確保しつつ労働することができる職場となるよう、労働契約に伴い必要な配慮を」していたことを証明しなければなりません。その中味は結局現行判例法理と変わらないでしょう。

それより、そのすぐ次の均衡考慮原則(これも遙かいにしえの研究会報告では「均等待遇原則だったんですねえ)が斜体文字になっていることが気になります。ここはまだ合意が得られていないということなんでしょうから、最終的に脱落する可能性が高いということでしょう。解雇のところの整理解雇4要素も斜体文字で、新聞では既に落とすことが決定と報じられているわけですから。

就業規則や労働条件変更については先月22,23日のエントリーに付け加えるべきことはほとんどありません。ただ、あれだけの労力を注ぎ込んで創り上げた労働契約法制研究会報告の、新たに何かをやろうというところがものの見事にぜーーーんぶなくなってしまったものじゃのう、という老人みたいな感想を抱いてみるだけで。いや、もちろん、今までの労働法制の歴史をひもとけば、小さく産んで大きく育てるというのも一つの道。世の中の流れも今後どうなっていくか分かりませんし、まずはとりあえず、最小福祉国家・・・じゃなくって、最小限度の労働契約法でもってこの世に生を受けさせて、少しずつ拡充していけばいいのですよ、その時にはまた誰か別の担当者が取り組むことになるのです。

残業代ゼロ労働って言うな!

別に朝日新聞を目の仇にしているわけではありません。むしろ、労働時間問題をきちんと取り上げる姿勢には敬服しておりますですよ。だからこそ言いたいのですがね。

ちょっとまだ朝日のサイトには出ていないようですが、イギリスのオプトアウトを取材した記事が今朝の朝刊に載っています。現地のいろんな人に取材して、よく調べてバランスのとれた記事なのですが、ベンチがアホやから・・・・あわわ、デスクのご理解が若干足りないために、見出しが「イギリスの残業代ゼロ労働」になっちゃっています。

改めて確認するまでもないのですが、

アメリカ:労働時間規制は全くなし、40時間を超えると賃金が5割増、この賃金の5割増規定に適用除外(ホワエグ)あり。

イギリス:労働時間規制あり(週48時間)、個人ベースで労働時間規制の適用除外(オプトアウト)あり、ただし1日11時間の休息期間あり。割増賃金については一切規制なし。

日本:労働時間規制あり(週40時間)、職場ベースで労働時間規制の適用除外(36協定)あり、ただし上限なし。40時間を超えると賃金が25%増、この賃金の25%増規定に適用除外なし

イギリスのオプトアウトに見合うのは日本の36協定であり、どっちも残業が組み込まれている。彼我の違いは休息期間の有無なんですね。一方、アメリカには日英のような意味での「時間外労働」という概念はない。割増を払うべき時間があるだけ。

問題は、この最後の緑色のところなんです。なんで高給サラリーマンにまで高い残業手当を払わなければいけないのか、というのが、ホワエグの本質なのであって、その意味ではまさに残業代ゼロ労働なのですが、そういう問題意識はイギリスには全くない。だって、残業代をどうするかなんて、法律は一切介入していないのですから。

そもそも法律が介入するのは労働時間なのであって、(最低賃金以外は)賃金に介入しないイギリスにおいて、「残業代ゼロ労働」という概念自体存在しないでしょう。せっかくのいい記事が、見出しのために若干「と」になっているのが残念です。

2006年12月11日 (月)

御手洗ビジョン原案

朝日が御手洗ビジョンの原案なるものを報じています。

http://www.asahi.com/business/update/1211/077.html

例のビッグバーーーンがどうなっているかが関心事なのですが、朝日さんは「「労働ビッグバン」といった経済的なテーマだけでなく」と、あんまりご関心のない模様。これは経団連内部の力関係的にも興味深いテーマなんですが・・・。

労働について興味深いのは、「15年までの労働力人口の減少幅を100万人以下にする」という数値目標を掲げた」というところです。これは、まさに私がEUを引いて言ってきた就業率を高める政策に転換すべきという話に対応するものですね。その中味は、「少子高齢化によって労働力人口は15年までに400万人減少すると予測されているが、御手洗ビジョンは外国人の受け入れや女性、高齢者の活用を通じて減少幅を減らせるとした」というもので、外国人については大変微妙な問題があるので簡単に評価し得ないところがありますが、女性や高齢者の活用を図ると言うことは、そういう人々が質のいい働き方ができるような社会を目指すと言うことですよね。働いたって仕方がない、生活保護に頼ろうかなんて思うようなワーキング・プアの状態ではなく、働くことが本当にペイするような社会にしようと、こう仰っていると言うことですよね。まさか、こんな働き方はいやだと思っていてもセーフティネットがないためにしかたなく劣悪な条件で働かなくちゃいけないというような状況によって、労働力率を高めようというご趣旨ではないですよね。

もちろん、就業率をアップさせるという政策目標には賛成です。是非その中味をどう肉付けするのかを示して欲しいと思います。

「残業代ゼロ労働」ですか・・・

朝日が、

http://www.asahi.com/business/update/1211/064.html

「「残業代ゼロ労働」導入を要請 経団連会長、厚労相に」ですか・・・。

いや、まあ、週刊ポストじゃないけど、労働時間規制を外すという問題点よりもカネが大事なのですね、マスコミさん的には。一昨日の、私のコメントが載っていた記事でも「残業代ゼロ労働」でしたしね。

一定の高給をとっている以上、残業代をどうするかなど労使で決めればいい話、大事なのは労働者の健康でしょう、というのはなかなか通じないわけです。

そういう意味では、「自律的」だの「自由度が高い」だのとふわふわしたあんまり根拠のない言葉をちりばめてホワエグをやってしまうという戦略は、大衆の愚かさに見合った適切な戦略であったと言ってもいいのかも知れませんね、こういう言い方は普通しないんだけど。

実際には、制度の趣旨は「時間より成果で決める考え方は分かる」ということだと大臣自ら言っているわけだし、実質的に月間80時間残業で健康チェックという形で、労働時間管理をすることが制度設計の中にさりげなく含み込まれているので、ぐちゃぐちゃ言うてもしゃあない、ということですかね。

柳澤大臣onホワエグ

(記者)  いわゆる日本版のホワイトカラーエグゼンプションについて議論が山場を迎えているようですけれども、これを導入することの意義について、改めて大臣のお考えをお聞きしたいんですけれども。

(大臣) 今まで日本は、どちらかというと、労働の質に関わらず時間的な管理をするというようなことが主体の労務管理というものが行われてきたと思うのですが、職務の実態というものを見ますと、そういうことではなくて、むしろ成果というか、そういうものに着目し、そのような人は職場を離れても、あるいは、職場にいても勤務というか、どちらかといえば頭の中でいろいろと仕事をするというような類の仕事が多い、必ずしも時間管理というもので全てうまくいくということではないということがありまして、今までは管理職というものがそうであったわけです。しかし、そういう形式的な職場での地位というものではなくて、もっと実態を見て、そうしたことに移行していった方が良いのではないかという考え方が基本にあります。私も、そういうことができる方が良いのではないかというふうに思って、労働政策審議会でご議論いただいているということです。

(記者) 先程のホワイトカラーエグゼンプションなんですけれども、労働実態に合わせて、時間管理をしないで成果で評価をするということなんですけれども、労働側からは、時間規制をなくすと長時間労働を助長して過労死を招くのではないかという懸念の声が意外に強いんですけれども、それについてどうお考えか改めて。

(大臣)  これについては、当然、労働者の健康というものが非常に大事だと。これは、言を要しないと思います。したがって、こういった制度を導入する場合には、休日の確保、特に健康の面が確保されるというのは必須の条件ということで条件付けなければいけないと、こういうように思います。そういうことですと、私は、むしろ先程言ったように、どういう定義によるかなんですけれども、要するに、定型的なレギュラリーな事務処理なり、業務処理というものを時間でもってやるという形の労働でない労働があるわけです。現実に、家へ帰ったって出来るというか、考えている、あるいは、電車に乗っていても考えている、というような労働も実はあるわけで、そうするとそれはもう時間でもって管理していくというような労働とは少し違うということ、これは誰が考えてもそうなんですね。ですから、そういったことについて、うまく分離出来るという前提で、そうした時間のコントロールを外して給与を決めていく、こういう方法があっても良いのではないかということで、そちらの方向の検討を今進めているということです。今言ったように、健康の確保というのは、当然の前提だと、こういうことです。

http://www.mhlw.go.jp/kaiken/daijin/2006/12/k1208.html

大臣の仰っていることでおおむね間違いはないんですが、問題はその「非常に大事」である「必須の条件」である「労働者の健康の確保」のための手段として、週2回の休日というのがどこまで実効性があるのかなあ、ということころなんですね。

要するに、部長も課長も係長もヒラの係員もみーーんな土曜出勤して月曜の準備をしているのに、その真ん中の課長補佐だけが「俺はエグゼンプトだから」といって休んでいられないでしょう、ということなんですよ。組織で仕事をしているんだから。

私のいう休息期間というのも、ぎりぎりの状況では守りきれないことはあるだろうと思うんですが(自分の経験からも)、それにしても、夜中の2時まで仕事をしたら翌日は午後出勤ね、というようなルールはあった方がいいし、守りやすいと思うのですね。

2006年12月 9日 (土)

朝日新聞へのコメント

本日の朝日新聞の2面に、「時々刻々」として、「残業代ゼロ労働」(!?)の記事が出ていますが、その最後のところでわたしのコメントがついています。この部分はネット上には載っていないので、その部分だけここに転載しておきます。

・・・・・・政策研究大学院大学の濱口桂一郎教授によると、EUは労働時間を、生命や健康に関わる安全衛生の問題ととらえている。「日本は本来欧州型なので、労働時間規制を免除するなら休息時間が必要。米国に倣いたいなら、時間外割り増し条項を改正すれば問題ないはず」と話す。

2006年12月 8日 (金)

リベラルとソーシャル

端的に言うと、ウヨクとサヨクという軸はいろんな要素が絡まり合ってぐちゃぐちゃになっているんで、レトリックに使うんでない限り避けといた方が無難。私も、リベサヨとかソシウヨとかいってるけど、そもそもサヨとウヨは何を意味してるのかってところはわざとスルーしているしね。

しかし、少なくとも欧州的文脈でいえば、リベラルとソーシャルという対立軸は極めて明確。それが日本でぐちゃぐちゃになりかけているのは、ひとえにアメリカの(本来ならば「ソーシャル」と名乗るべき)労働者保護や福祉志向の連中が自らを「リベラル」と名乗ったため。それで本来「リベラル」と名乗るべき連中が「リバタリアン」などと異星人じみた名称になって話がこんがらがっただけ。そこのところをしっかり見据えておけば、悩む必要はない。

もちろん、「第三の道」など両者を架橋する試みは繰り返しあるが、それもこれもリベとソシの軸がしっかりあるから。そして、経済学はじめ諸々の社会科学においても、これが最も重要な政策判断の軸であることになんの変わりもないし、およそ社会思想史なるものを少しでも囓った人間であれば、これが近代社会における最も重要な政治的対立の軸であることも分かるはず。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_5a72.html

一時のポストモダーーンとかいう妙なはやりで、そういうのを「超越」したつもりの方々が結構大量に産み出されたようだが、近年はそういうふわふわさんもだいぶ片付いたようだなあ、と安心していたところ、妙な形で生き残っていたのには愕いたというところ。

労働契約・時間法最終報告案が今日提示

本日1時から開かれる労政審労働条件分科会に、労働契約法と労働時間法の最終報告案が提示される予定です。で、例によって朝日にその中味がリークされていますが、

http://www.asahi.com/life/update/1208/004.html

「解雇の金銭解決、法制化見送りへ」が見出しになっていますが、それは、まあ、ここ数ヶ月の素案やらを見てくれば大体予想されていたことですね。本気ならきちんと制度設計していなければならないのに、全然その気配がなかったのですから。で、これと見合いで、整理解雇の4要素の明示も見送ることになったようです。これは厳密には高等裁判所の裁判例であって、最高裁の判例ではないということもあるのでしょうが、解雇法制自体の本格的な再検討の火口を将来につなぐという意味もあるのかも知れません。

なお、ホワエグについては、「調整がつかなかった」ために「具体的な金額は明示しない」で、「報告には盛り込まないが、労使で協議を続け、厚労省は法案化までに金額の合意を得たい考えだ」とのことです。

明日の朝刊はかなり大きな紙面をとってこの問題を扱うでしょう。各紙がどんなスタンスで報ずるか、楽しみです。

公務員制度改革

昨日の経済財政諮問会議では、規制改革に加えて、公務員制度改革が議論され、特に民間4委員から提示された提案が話題を呼んでいるようです。

http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2006/1207/agenda.html

http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2006/1207/item4.pdf

新聞などで一番取り上げられているのは再就職斡旋の禁止ですね。

>国家公務員制度全体をパッケージとして見直すことにより、国家公務員の再就職を「天下り」ではなく、その能力や技術を活かした通常の転職とすべきである。特に、利益誘導や省益追求の背景となってきた各省庁による再就職斡旋を禁止すべきである。併せて円滑な転職を可能とする環境整備を行うことが重要である。

具体的には、

- 一定の再就職準備期間や、希望者は定年まで働けるスタッフ俸給表(年功賃金的性格の薄い給与制度)を創設する。

- 政府全体で一元化された窓口で、民間の再就職支援サービス等と連携して、公務員の希望と求人をマッチングさせることが必要である。現在の人材バンク機能を、2年間程度の移行期間内に強化すべきである。

- 若い時点から官と民の垣根を低くするキャリアシステムを構築し、大学・民間等でも活躍できるようにすべきである。

ということです。それがそう簡単にできればいいんですがね、というところですが。

それから、かなり大きな話として、

>官民間の人材流動化の障害となっている諸制度(給与・年金・退職金など)を官民のイコールフッティング実現の観点から見直すべきである。

-公務員の賃金や退職金の勤続年数に比例した上昇ペースを抑制し、民間への転出が著しく不利にならない状況を整える、民間の優秀な人材の受け入れの障害とならない給与制度など

というのも挙げられています。民間への転出が可能なように賃金上昇を抑制するというのと、民間からの転入に障害にならないように賃金を上げるというのを、どううまく両立させるのか大変興味があります。

労働法の観点からは、

>国際比較も勘案しつつ、警察、自衛隊等を除く国家公務員、地方公務員に対して労働基本権を付与する方向で真剣に検討すべきである。それに伴い、人事院、人事委員会もその存廃を含めて検討し、民間と同様の労使協議制を導入することを検討してはどうか。併せて、公務員の身分保障をなくすとともに、公務員を雇用保険の対象とすべきである。

というところが大変注目されます。前に書いたように、自民党は来年の参院選を公務員に労働基本権を付与するといって戦うそうですから(中川幹事長談)、本気かも知れませんよ。いままで労働基本権を与えよといってきた労働側としては、この差し違え戦略はなかなか対応が難しいところでしょう。

2006年12月 7日 (木)

民主党の労働契約・労働時間法案

昨日、民主党が「民主党のめざす労働契約法案と労働時間法制」を公表し、今日から12月20日までの2週間にパブリックコメントを求めるということです。

http://www.dpj.or.jp/news/dpjnews.cgi?indication=dp&num=9337

具体的な法案の中味はこちらにあります。

http://www.dpj.or.jp/news/files/roudou061206(2).pdf

労働契約法案の方は、昨年10月に連合総研が出した「労働契約法試案」に概ね沿ったものになっています。それに対して、労働時間法制の方は大変興味深いことに、私が繰り返し主張してきたEU型の休息期間規制が、この手の政治的文書としてははじめて盛り込まれています。それで、労働契約の方はちょっと後回しにして、労働時間法制の方から見ていきましょう。

結論から言うと、問題意識も政策の方向性も実に正しい。ただ、具体的な施策に難があるというところです。

まず「労働時間規制の必要性」ということで、「労働時間の規制は、働く人の自由時間の確保、すなわち一人の人間として、心身の健康と人間らしさを取り戻し、生活の質を向上させ、心豊かな人生を送るために本質的な課題である。ところが、この労働時間の規制の重要性が日本においては正社員を中心に過度に軽視されており、人間の尊厳どころか、睡眠や身の回りの用事、食事など、身体を維持していくために必要な時間すら確保できないような長時間労働があたりまえとなっている。これでは労働者の自己実現や能力発揮はおろか、仕事の生産性の向上につながるはずがない。労働時間と労働者の健康は密接に結びついている。日本経済にとっての貴重な人材が、長時間労働、ストレス、メンタルヘルスや過労死・過労自殺などにより枯渇するようなことがあってはならず、民主党は働くすべての人が安全で安心して働ける社会にするため、健康・安全配慮義務、労働時間管理の重要性を訴えてきた。」「「自律的な働き方」、「自由度の高い働き方」等、聞こえの良い言葉の裏には過酷な労働が隠れている。労働基準法でいう管理監督者に一定の職務権限は与えられているというものの、同じ「人」である。どのような立場で働こうが、民主党は働くすべての人が、安全で安心して働ける社会風土の醸成に取り組んでいく。」と基本的哲学を述べています。この部分には文句はありません。労働時間規制はまさに健康確保が目的なのです。

そこで「心身の健康を確保できる働き方」という実に正しい標題のもとに具体的な施策が並ぶのですが、なぜかその一番最初に「時間外労働の割増賃金の割増率の引き上げ」というのがきてがくっとします。「仕事から解放され自由に過ごせる時間に労働の命令をするのであれば、時間の価値に見合う賃金を払うのは当然のことであり、時間外労働させた場合の割増賃金の割増率を例えば5割に引き上げてはどうか。」というのですが、労働者の健康をあれだけ重要だと言っておいて、カネを払えば健康を害してもいいというのも妙なものですし、何よりも割増率引上げが時間外労働へのインセンティブになってしまう危険性が意識されていないところに問題がありましょう。まあ、時間外対策といえば、打てば響くように割増率の引上げといいたがるのは厚生労働省当局も全く同じなので、民主党だけ責める筋合いではありませんが、そろそろこういう割賃信仰から脱却して欲しい気がします。

次が「管理監督者の定義の明確化」で、「現在の労基法の運用は、本来の労基法上の管理監督者ではないいわゆるスタッフ職等グレーゾーン労働者についても、管理職と同様の処遇を受けているといった理由で管理監督者として取り扱い、労働時間規制を適用除外にしている。管理監督者については法律上の文言、「事業の種類にかかわらず監督若しくは管理の地位にある者又は機密の事務を取り扱う者」という法制定時に想定していた本来の範囲に戻し、この人たちに対してのみ労働時間規制を適用除外とすることを明確にしてはどうか。」と述べています。労働基準法の在り方としてはもっともな議論です。この点だけとれば賛成です。しかしながら、なぜ今までこういう取扱いをしてきたのかという問題意識がないのは問題でしょう。本来の管理監督者でないいわゆる日本型雇用管理制度における管理職クラスの人々は、確かに物理的労働時間管理を外すのはふさわしくない人々であるには違いないが、時間外手当を払わなくてもいいという意味での事実上のエグゼンプションの対象にふさわしい人々であり、まさにそういう意味において労働者側が納得する形で(本来の管理監督者ではないが、管理職としての処遇に基づいて)エグゼンプトとして扱われてきたわけであって、その受け皿なしにただ排除してみても、却って労働者側内部に矛盾対立を生じさせることになりかねないのです。では、そのエグゼンプトはどうなっているかと見ると・・・。

「健康確保のための労働時間管理に実効性がない以上、自律的ないし自由度の高い労働にふさわしい制度と称される、いわゆる日本版ホワイトカラー・エグゼンプションの導入はありえないのではないか。」

うーーん、これはどういう意味なんでしょうか。エグゼンプションの導入に反対という意味なのか、健康確保のための実効的な労働時間管理があればエグゼンプションの導入に賛成という意味なのか。

朝日の記事は「ホワイトカラー・エグゼンプションは「残業代の不払いを正当化し、健康確保を軽視する。導入はありえない」と強調している」と、反対論だという理解ですね。

http://www.asahi.com/politics/update/1207/005.html

しかし、私の目には上の文は条件法で書かれているように見えます。その証拠に、そのすぐ後に「健康確保措置として、使用者は「週当たり40時間を超える在社時間等がおおむね月80時間程度を超えた場合には、対象労働者に対して医師による面接指導を行うこと」とし、それに基づいて労働時間の制限や休養、療養といった措置を実施することとしてはどうか。」とあります。これは、厚生労働省の素案でエグゼンプトに義務づけられる健康確保措置ですね。もちろん、文脈上これは「健康確保のための労働時間管理」という項目の一つなのであって、エグゼンプトを前提にしたものではないとも読めますが。

そして、このすぐ後に「退社時間から最低11時間経過しないと、次の勤務についてはいけないことを趣旨とする「1日11時間の休息」を規定してはどうか。」という休息期間の提案が出てくるわけです。

少なくともこの文書の上では、エグゼンプションが「残業代の不払いを正当化」するからけしからんと明確に主張しているところはないように見受けられます。むしろ「健康確保のための実効的な労働時間管理」があれば、時間外手当の適用除外制はありうべしと、暗黙のメッセージを示しているように見えるのですが、どうなんでしょう。

ただ、少なくとも、国民に案を示してパブリックコメントを求めるという以上は、その辺が曖昧模糊としているのはいかがなものかと思います。朝日の記事を見て、「そうだ、そうだ、残業代不払いを正当化するエグゼンプションなんか反対だ」という意見がどっと来たら、それは民主党案に対する賛成ということになるのでしょうか、ならないのでしょうか?

2006年12月 6日 (水)

労働ビッグバンの議事録

経済財政諮問会議が先月30日に行った労働ビッグバン関係の審議の議事録が内閣府HPに公表されています。

http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2006/1130/shimon-s.pdf

八代委員からまず:

>再チャレンジに関しては非常に多くの施策があるが、1つ大事な点は、再チャレンジを妨げている規制を緩めたり、無くしていくということ。これは、残念ながら各省からの提案には余り出てこないと思う。フリーターの人が定職に就くために一つの専門的資格を取りたいと思った場合、例えば美容師や理容師は高卒以上でないと試験を受けられないという規制がある。なぜ義務教育だけで試験に挑戦することができないのか。こういう再チャレンジを妨げている規制の問題点についても是非よろしくお願いしたい。・・・

いや、仰るとおり、是非八代委員の大学でも実現していただきたいところです。

問題の派遣労働については:

>現行の労働者派遣法は、正社員を派遣社員との競争から守るという役割が含まれている。派遣社員の対象職種や働く期間の制限を見直し、本来の「派遣労働者の保護」という目的に特化させることが、雇用形態による格差を是正するための大きな鍵になるのではないかという意見もある。・・・

これもまた、全く仰るとおり。問題は「本来の派遣労働者の保護」という言葉で何を認識されておられるのか、それともそっちの中味は特に何かを提案する気もなく、ただ制限の見直しだけ主張されようとしているのか、ということでしょう。

私自身が

http://homepage3.nifty.com/hamachan/rengohakenukeoi.html

で喋ったように、そもそも現行の労働者派遣法は、派遣労働形態をできるだけごく一部に押し込めて、終身雇用形態に影響が出ないようにという論理構成で作られたものであるだけに、ここまで派遣労働が拡大してくるといろいろと矛盾が生じてきています。ILO第181号条約がそれまでの民間労働市場サービス禁止制限から「事業は自由だが労働者保護は厳格に」という方向に舵を切ったように、派遣労働者の保護こそを法の最大の目的にして作り替えるべきだろうと思っています。

そういう総論では八代委員のご意見とは見事に一致するのですが、残念ながら規制改革会議の累次の答申を見ても、この規制をなくせ、あの規制をやめろというものしかなくて、具体的にどのような保護を加えるべきというようなご提案は見当たらないようです。もっとも、経済学者としては、余計な規制をなくせばマーケットメカニズムで自動的に派遣労働者は正社員並みに保護されるようになるはずだというご趣旨なのかも知れませんが、産業革命以来の2世紀の歴史は必ずしもそうではないことを物語っているように思います。

後ろの方で、

>新しく雇用される人にとってみると、例えば3年間の派遣が4年である方が、雇用はより安定するが、3年に制限されるということは、その企業でもっと働きたいと思う人が、法律によって首を切られることになる。派遣期間を制限することで、本当にその人が正社員になれる保証はどこにあるのか。規制というのは、それが持つプラス・マイナスをきちんと判断した上で必要になるのではないか。

と発言されていますが、それなら3年と期間を限られていない26業務の方々は大変ハッピーなはずですが、派遣で働いている限り、それが例えば伊予銀スタッフサービス事件のように、半年ごとの更新で13年あまり継続勤務した派遣労働者がある日派遣契約を解除されたら、一切何も補償がないわけです。直用の有期であれば、更新を繰り返して常用と変わらない状態にあれば解雇権濫用法理の準用という道がありますが、派遣には何もない。この事件は最近最高裁までいってエンドースされましたから、まあ、派遣労働者はどんなに長く使ってもいつでもただでクビを切れるということになってしまっているわけです。「正社員保護よりも派遣労働者の保護を」という言やよし、さてその中味は何があるのか、これから専門調査会でご披露いただけるのでしょう。

まじめな話、そろそろ派遣法の基本構造はオーバーホールした方がいいとは私自身思っているので、その刺激剤としては大変貴重な問題提起ではあろうと思います。

少数組合の団体交渉権制限

朝日が大変注目すべき記事を書いています。

http://www.asahi.com/politics/update/1206/006.html

記事の見出しは「派遣の直接雇用義務の撤廃、規制改革会議も答申へ」ですが、これは既にここで何回も書いているように、八代さん時代の規制改革会議が繰り返し主張し、八代さんが入った経済財政諮問会議でも持ち出した因縁の課題ですから、まあそういうことだろうなあ、というところですが、もう一つのテーマが実は労働法学の中の人的には極めて大きな問題を提起します。

>また、労働組合の団体交渉権を、組織率が一定割合以上の組合に限る考え方を初めて打ち出している。

>労働組合の団体交渉権は現在、少数の組合員しかいなくても、使用者は正当な理由がない限りは団体交渉を拒否できないことになっている。一方、米国では、過半数の労働者の支持を得た労組のみが交渉権を獲得する排他的交渉代表制がある。今回の原案も「使用者に過重負担を課すものとなっている」と指摘している。

この問題については、ちょっと時間がとれたらまとまった形で論じてみたいと思っていますが、基本的にはこの方向に賛成です。現在の労働組合法の解釈は、本来の集団的労使関係の枠を超えた個別労使関係の権利紛争の問題を集団的紛争に偽装することによって、かえって法構造を歪めていると思うからです。

2006年12月 5日 (火)

安倍首相初めての政労会見

産経が「パート厚生年金拡大に意欲 首相が初の「政労会見」 」という見出しで記事にしていますが、

http://www.sankei.co.jp/seiji/seisaku/061205/ssk061205004.htm

注目すべきは、次のエールの交換と牽制球でしょう。

>連合側は労働者の意見を十分反映した政策決定を要望する一方、安倍政権の看板政策「再チャレンジ支援」を「思いは良く分かる。信条はいい」と評価。首相は「『再チャレンジ』という考え方を連合も応援してほしい」と協力を求めた。

>高木氏は労働側委員がいない経済財政諮問会議の運営方針について「トップダウンで決めていいのか。『うん』と言えないものもある」と不満を漏らした。首相は「労働関係の法制化の際には(連合の委員も参加する)労働政策審議会などを通すのは当然だ」と述べ、理解を求めた。

経済財政諮問会議で決めたからといって、それで政府として決めたわけではない、労働側が参加する労働政策審議会で決めて初めて政府としての決定です、と、そこまで安倍首相に言わせたと見るべきか、なかなか含みのある発言ではあります。ちょいソーシャルってとこかな。

それにしても、安倍さんの再チャレンジの最重要課題がパートの厚生年金であるというのは、これを見る限り確かですねえ。

労働側の武器放棄

関与権としての労働基本権ということを言ったので、ついでに先月22,23日のエントリーで触れた労働契約法制の問題にも言及しておきます。

http://www.jil.go.jp/kokunai/mm/siryo/pdf/20061122.pdf

11月21日に提示された「今後の労働契約法制について検討すべき具体的論点(素案)」では、9月案ではなお検討対象として残っていた過半数組合との合意による就業規則変更のルール化が落とされてしまいました。ここでは「合理的な労働条件を定めて労働者に周知させていた就業規則がある場合には、その就業規則に定める労働条件が、労働契約の内容となる」とした上で、就業規則の変更による労働条件の変更について、その変更が合理的なものであるかどうかの判断要素として、①労働組合との合意その他の労働者との調整の状況(労使の協議の状況)、②労働条件の変更の必要性、③就業規則の変更の内容、を挙げるにとどまっているのです。

①がどの程度の判断要素とされるかも裁判官の判断に委ねられるということでしょうから、過半数組合が同意しているかどうかはなんら決定的要件とはならず、現行判例法理を超えて手続的法的安定性を確立しようとした契約法研究会報告の精神はほとんど失われてしまったといえます。

このような結果になった原因としては、分科会の席上で労働側から「過半数組合の合意があるだけで合理性があると本当に判断できるのか。労働組合はどのようにすれば非組合員の意見まで集約できるのか分からない」とか「就業規則の変更の合理性を推定するために過半数組合を利用するのは安直すぎる」といった反論があったためでしょう。しかしながら、労働組合運動の立場からしても、過半数組合に就業規則変更の合理性判断への関与権を与える方が望ましいのか、与えない方が望ましいのかについて、きちんとその利害得失を議論した上での結論とは思えないところがあります。

もっとも、同素案は「労働基準法第9章に定める就業規則に関する手続が・・・変更ルールとの関係で重要であることを明らかにする」と、過半数組合又は過半数代表者からの意見聴取を合理性判断に関連づけてはいます。しかしながら、いうまでもなく意見聴取は意見聴取に過ぎず、労働組合側に「合意しなければ合理性が推定されないぞ」という交渉上の武器を与えるものではありません。労働側は、自分からあえてこの武器を行使しうる可能性を放棄したものといわれても仕方がないのではないでしょうか。

関与権としての労働基本権

先月15日のエントリーで憲法学お勉強ノートに引っかけて「プロセス的権利としての団結権」という話を書きましたが、労働法学の中の人はご承知のように、こういう発想は既にあります。もっとも典型的なのは西谷敏先生の議論でしょう、主著『労働組合法第2版』(有斐閣)の表現を引用すると、

>憲法学における伝統的見解は、基本的人権を自由権的基本権と生存権的基本権に分類し、労働基本権を「社会権」あるいは「社会国家的基本権」ととらえ、自由権との異質性を強調する見解が憲法学の有力な流れをなしている。

>しかしながら、労働基本権は、その確立の歴史から明らかなとおり、何よりも国家権力からの自由を中核に持つべき権利である。・・・・・伝統的な労働基本権理解に対するこのような反省から、近年では労働基本権の自由権的性格を強調する見解が、憲法学においても、労働法学においても次第に有力になりつつある。

>労働基本権のうち、自由権を越える部分は、時に労働基本権の生存権的側面と性格づけられるが、必ずしも適切ではない。確かに、労働条件等の決定への関与を通じて労働者の生存権が実現されることが期待されるのは当然であり、その意味で労働基本権は生存権理念と深い関係にあることは疑いない。しかし、ここでは労働者の経済的地位の向上や生存権の実現という結果が保障の対象になっているのではない。むしろ、この権利は、労働諸条件を決定する過程への実質的関与そのものに力点のある権利、いわば関与権として把握されるべきものである。換言すれば、憲法は、労働者が自己の労働諸条件決定過程から排除され、それが使用者やその他第三者によって一方的に決定されるという事態を正義に反すると見て、労働者団結に対して国家からの自由を保障するにとどまらず、さらに彼らの実質的関与を積極的に保障しようとしたのである。・・・

結果の保障ではなく、決定過程への関与の保障こそが枢要であるというこの考え方は、今日ますます重要になっているように思われます。西谷先生のこのテキストは言うまでもなく『労働組合法』ですので、ここでの自らの労働条件決定過程への関与の保障も当然労働組合を通じたものが念頭に置かれているわけですが、それでは労働組合のない職場で働く人々にとっては決定過程への関与の保障はなくてもいいのか、というのが次に出てくる問いであるわけです。

2006年12月 4日 (月)

雇用の格差と人生の格差

『世界の労働』の11月号に、私の「雇用の格差と人生の格差」というエッセイが載っています。この雑誌には今までほとんどEUではどうこう・・・という出羽の守的論文ばかり書いてきていたのですが、今回は「格差社会への対応」という特集の一環として、雇用の格差の側面からアプローチしています。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/koyounokakusa.html

ちなみに、私以外の執筆者はなかなか錚々たるものですよ。

富永健一   格差拡大社会と社会政策の問題

阿部彩   日本における貧困の現状

埋橋孝文  公的扶助をめぐる新しい国際的動向

宮本太郎  格差社会と公共サービス改革

濱口桂一郎 雇用の格差と人生の格差

橋本健二  教育機会の不平等と平等のための教育

土田武史  日本の高齢者所得保障の課題と対応

玄田有史  格差社会における希望学の意義

後、「ハードワーク」と「ニッケル・アンド・ダイムド」の紹介が付いています。

2006年12月 3日 (日)

自民党が労働調査会復活またはリベサヨとソシウヨの選択

朝日が「自民、労働調査会復活へ 「雇用・生活調査会」に衣替え」という記事を書いています。

http://www.asahi.com/politics/update/1203/001.html

自民党の労調といえば、かつては公務員の労働運動に対決するのが最大の目的でしたが、官公労が力を失ってからはほとんど活動しなくなり、昨年廃止されていたんですね。それが、「雇用・生活調査会」と名を変えて復活するというのです。それは、

「政府の経済財政諮問会議が労働市場の規制緩和「労働ビッグバン」を検討していることに対し、党内からは「経済界の論理が強すぎる。働き手に果実を分配するべきだ」などの意見が続出」

したからということのようです。「パートや派遣などの非正社員の増加や正社員との格差問題、生活保護基準以下の収入で暮らすワーキングプア(働く貧困層)などの問題が深刻化する中で、「企業の都合に合わせるのではなく、働き手の立場から雇用政策を考えるべきだ」(党政調幹部)との意見が強まったと。

「来夏の参院選を念頭に、若者の支持を引きつける狙いもある。調査会の会長には、厚生労働相経験者をあてる方向で人選が進んでおり、年内に発足させ、年明けから活動を本格化する」とのことです。

おーい、労働組合の皆さん、労働者の味方はどっちでしょうか。リベラルなサヨクか、ソーシャルなウヨクか、究極の選択が迫られていますよ。

ていうか、まあ、まともな政治感覚のある政治家だったら、当然の発想ではあるんですが。観念的なケーザイ理論で社会をぶった切ろうとする方々と、どぶ板の感覚で世間を感じようとする方々の間のミゾは大変深いようです。

2006年12月 2日 (土)

リベラルサヨクは福祉国家がお嫌い

一昨日のエントリーで紹介した後藤さんの本ですが、なかなか面白い記述があります。1960年代に左派からなされた福祉国家批判なんですが、例えば鈴木安蔵編『現代福祉国家論批判』にこういう叙述が見られるとして紹介しているんですが、福祉国家論の自由競争批判と国家機能の拡大擁護という議論は、「レッセ・フェールの原理の否定」「国家統制の強化と個人意思の社会全体への従属の必要性の強調」だといって批判しているんですね。後藤さん曰く、「福祉国家は個人の自由を奪うものだという批判は、通常は資本家サイドからのものであり、古典的自由主義からの批判である。つまり、右派が言うべき批判を日本では左派が述べていたことになる。保守派ではなく、左派が個人主義と自由主義を擁護する先頭に立つという、よく見られた光景の一こまであろう」。

こういう左がリベラルで右がソーシャルという奇妙な逆転現象の背景に、当時の憲法改正をめぐる動向があったようです。当時の憲法調査会報告は「憲法第3章を眺めると、それは18世紀的な自由国家の原理に傾きすぎており、時代遅れである」「20世紀的な社会連帯の観念、社会国家の原理にそれを切り替える必要があり、基本的人権の原理については、現代福祉国家の動向に即応すべきである」と強調していました。サヨクの皆さんにとって、福祉国家とは国民主権の制限の口実に過ぎず、ただの反動的意図にすぎなかったのでしょう。

かくのごとく、日本のサヨク知識人はリベラルなことノージックよりも高く、アンチ・ソーシャルなことハイエクよりも深し、という奇妙奇天烈な存在になっていたようです。そうすると、福祉国家なんぞを主張するのは悪質なウヨクということになりますね。これを前提にして初めて理解できる発言が、「構造改革ってなあに?」のコメント欄にあります。田中氏のところから跳んできた匿名イナゴさんの一種ですが、珍しく真摯な姿勢で書き込みをされていた方ですので、妙に記憶に残っているのです。

>稲葉さんの偉さは、一左翼であることがリフレ派であることと矛盾しないことを左翼として始めて示した点だと思う。それまでの左翼は、ある意味ネオリベ以上の構造派で、つまりはアンチ・リフレであったわけだから。それに対して、稲葉さんはそれが「ヘタレ」にすぎないことを左翼として始めて断言したわけで、これは実はとても勇気のあるすごいことだと思う。

投稿 一観客改め一イナゴ | 2006/09/20 14:46:18

普通の人がこれを読んだら頭を抱えてしまうでしょう。特にヨーロッパ人が見たら、「サヨクは市場原理主義者であるはずなのに。稲葉氏はめずらしくソーシャルだ、偉い」といってるようなもので、精神錯乱としか思えないはず。でも、上のような顛倒現象を頭に置いて読めば、このイナゴさんは日本のサヨク知識人の正当な思考方式に則っているだけだということがわかります。

しかし、いい加減にこういう顛倒現象から抜け出さないといけませんね。その点(だけ)はわたしはゴリゴリサヨクの後藤氏と意見を同じくします。

2006年12月 1日 (金)

パートって言え!法律編

先月24日のエントリーで紹介した朝日の記事は不正確だったようですね。先月29日に公表された「今後のパートタイム労働対策(素案)」がJILPTのHPに掲載されていますが、

http://www.jil.go.jp/kokunai/mm/siryo/pdf/20061201.pdf

「労働時間・・・が正社員と同じパート」というのは出てきません。朝日のフライングというか勘違いだったようです。この素案で差別待遇を禁止すべきとしているのは「通常の労働者と職務、職業生活を通じた人材活用の仕組み、運用等及び就業の実態(労働契約の形態等)が同じであるパートタイム労働者」なのですから、むしろ有期じゃない短時間労働者(正社員パート)が対象ですね。まあ、この文章もおかしいので、「就業の実態」の中味が「労働契約の形態」というのは一般的にはむしろ逆でしょう。しかし、少なくとも労働時間が同じであるフルタイムパートが対象とはどこにも書いていないのですから、審議会で労働側が強く主張していたこの問題は取り入れられなかったということであって、朝日の記事はトンデモだったということになります。

この素案の中味であれば、まさに現行指針の内容を法律上に明記するというものですから、「パートって言うな!」と言ったのは間違いで、「パートって言え!」だったわけですね。斯くの如く、新聞記事というのはちょっとうっかりするとすぐ騙されます。

しかし、こうなってくると、逆に「これのどこが再チャレンジなの?」という疑問が湧いてくるのを禁じ得ないところもありますね。まあ、それは定義上そうなんだと割り切るしかないのかな。

中国中央党校短期研修プログラム

本日、中国中央党校短期研修プログラムで来日中の皆さんに「日本の賃金決定メカニズム」について講義をしました。その講義メモです。日本人が読んでも役に立ちます(多分)。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/chugokutoko.html

この後の質疑応答で、最近言われている労働力の流動化論についてどう思うかという(なかなか鋭い)質問があり、私は却って柔軟性を失わせる面があるのではないかと思うが、政府中枢部は意見が違うかも知れない・・・と答えておきました。

経済財政諮問会議の労働ビッグバン始動

なんだか毎日日替わりのように労働関係の大きなニュースが続くので、追っかける方も大変ですね。いや、私は大体どの分野も土地勘がありますから見出しを見れば大体中味は想像通りですが、新聞記者の皆さんはそのつど過去の経緯を勉強しなくちゃいけないから大変ですよね、ね。いや、もちろん、ちゃんと過去の経緯を勉強してるんでしょうと言ってるだけで、それ以上の意味はありませんよ。

http://www.asahi.com/life/update/1201/001.html

というわけで、今朝の朝日は、昨日の経済財政諮問会議の記事が一面トップです。

>政府の経済財政諮問会議が30日開かれ、労働市場改革「労働ビッグバン」として、一定期間後に正社員化することを前提としている現在の派遣労働者のあり方を見直す方向で検討に入った。この日は、派遣契約の期間制限の廃止や延長を民間議員が提案。期間が無期限になれば、派遣期間を超える労働者に対し、企業が直接雇用を申し込む義務も撤廃されることになる。

いや、それはその主語では間違いないんですが、既に一昨年から規制改革・民間開放推進会議が見直しを要求してきていて、既に今年から厚生労働省の労働政策審議会で審議されているのでありまして、規制改革会議から経済財政諮問会議に変わった八代尚宏氏がその見直し論の中心にいるというようなことは、記者の皆さんよくご存じのはずで。

厚生労働省に任せておくとどうなるかわからんという御懸念でしょうか、「諮問会議では専門調査会を設置して議論を深め、労働者派遣法の抜本的な改正などに取り組むことにした」ということなのですが、既に三者構成機関で議論がだいぶ進められているものを、どういう構成の会議で議論しようとするのか、まさか人材派遣業者ばっかりで派遣労働者の代表のいない会議ではないんでしょうね、とちくりと言ってみる。いや、もちろんいろんな人を集めて議論するのは大変いいことです。

全く図ったわけではないのですが、昨日某労働関係組織で同じ領域について喋った講演のメモをこのすぐ下のエントリーでリンクしてありますので、興味があってかつ御用とお急ぎでない方はちらとお読みいただくと、この問題の歴史的経緯がわりとコンパクトにまとめられておりますですよ。

ここで出てきている民間議員4人による「複線型でフェアな働き方に-労働ビッグバンと再チャレンジ支援」と題する文書は、既に内閣府のHPに掲載されています。

http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2006/1130/item4.pdf

いったん消えた「労働ビッグバーーーン」が華麗に再登場ですね。内容は多岐にわたります。いや、労働問題のほとんど全てに及ぶといった方がいいかも知れません。曰く、

① 再チャレンジを阻害する労働市場の問題はどこにあるか

・過去の社会環境を前提とした現行の労働法制のあり方は適切か

・フリーター・ニート等への就業支援はどうあればいいか

・職業訓練・紹介の充実のための官民連携のあり方(市場化テストの拡充)

・労働移動のしやすい職種別労働市場の形成には何が必要か

② 雇用形態による格差をどう是正するか

・労働者派遣法は、真に派遣労働者を保護するものになっているか

・多様な働き方に共通した雇用ルールはどうあるべきか

・税制や年金制度は働く意欲を阻害していないか、また公平の観点から適切か

・家族のあり方の変化を踏まえた女性・高齢者・若者の雇用はどうあるべきか

・最低賃金制度のあり方

③ 仕事と育児の両立を図るには何が必要か

・テレワーク等の在宅勤務の拡大には何が必要か

・時間に縛られない働き方を実現するには何が必要か

・企業活力を維持しながら企業が積極的に取り組むための方策は何か

・利用者のニーズに沿った「保育サービス」の提供をいかに実現するか

・保育と幼児教育の役割分担や連携は適切か

④ 技能をもった外国人労働者をどのように活用すべきか

・外国人を就労可能とする入国資格の「専門的職種」の範囲をどう設定するか

・雇用主の管理責任をどう考えるか。現在の法制度は適切か・・・

「経済財政諮問会議に専門調査会を設置して、以上のような制度改革のあり方についての課題の整理と集中的な議論を行い、随時経済財政諮問会議に報告を行ってはどうか。諮問会議においては、専門調査会報告や関連制度改革の考え方等に関して必要に応じて議論を行う」ということです。

当然のことながら、柳澤厚労相から「諮問会議や専門調査会で議論するというのは、それはもちろんいいけれども、労政審では、労使公の三者で審議する仕組みがある、そこでエンドースしなければならないという点は十分に配慮してほしい」、というような御発言がありました、と大田大臣が記者会見で報告しておられます。前にもちらりとここで書きましたが、労働問題に関するILOの三者構成原則というのは、少なくとも先進文明国では最低限の基準なので、そこは弁えて貰わないといけないわけです。

同会議ではハローワークの民間委託も議論されたようですが、この問題はまた改めて。

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