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リベじゃないサヨクの戦後思想観

484510996401_ss500_sclzzzzzzz_v36226669_ 最近、仕事の関係もあって福祉国家論の周辺をいろいろ読んでいるのですが、今月出版された後藤道夫『戦後思想ヘゲモニーの終焉と新福祉国家構想』(旬報社)は想定した以上に興味深いものがありました。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4845109964/sr=1-7/qid=1164872198/ref=sr_1_7/250-9670210-7433052?ie=UTF8&s=books

この後藤さんというのはかなりゴリゴリのサヨクのようなんですが、それだけにリベラルなサヨクの弱点がよく見えているなあという感じです。

要は、戦前の開発独裁(という評価は些かどうかと思いますが、それはともかく)を否定すべく、日本はもっと市民社会にならなくちゃいけない、もっと個人の自由を、という「近代の不足」を基調とする戦後思想の中で、多くの戦後知識人が自由主義の本格的批判を経験せず、素通りしてきた。近代的自由の本格的規制の問題に知識人の関心が向かわなかった。自由というと、国家からの自由と市民的自立という側面でのみとらえられ、自由主義の持つ野蛮な市場至上主義や非民主的性格に関心が向かわなかった、とまずは戦後リベラル知識人たちを批判します。

そして、福祉国家問題に対してもきちんと格闘せず、市民法と社会法の区別云々というのも法律学の世界でしか問題とならず、いわば敵対的無関心が支配的であったというんですね。これはまったくそうですね。実は、日本の政党の中で社会のあるべき姿として福祉国家を唱え続けてきたのは今はなき民社党だったのですが、サヨク的なリベラル知識人は、これを大変いかがわしいものでも見るように見ていたのです。

で、こういう市民的近代化主義者たちは、(後藤氏の言うところの)開発主義国家体制を、前近代的で非市民社会的なものとみなして目の敵にしたわけです。また、(同じく後藤氏の言うところの)企業主義統合、つまり日本型雇用による企業内労働市場への労働者の包摂を、前近代的な集団主義と個の未確立の悪用だと考え、これを西欧の福祉国家型と並ぶ独自の階級馴化と大衆社会統合の一類型と把握することがなかった、と批判します。

で、80年代には知識人の間で階級闘争の視点がどんどん後退し、90年代になってそこにソ連の崩壊がきて、ますます「市民」志向が強まり、結局「マルクス主義的知識人の少なからぬ部分がそうした実体として市民タイプの主張に共感し、新自由主義との共闘をためらわない「左派」が広く出現した」「彼らの中心的関心は開発主義国家体制の破壊に向けられており、それが実際に可能であるならば、保守派との連携を含めたいていのことには目をつぶるという感覚であったと推察される」という事態になったわけです。あえて人物論的に言えば、アルバイトスチュワーデスに反対した労働者にやさしい亀井静香を目の仇にし、冷酷な個人主義者小泉純一郎にシンパシーを隠さなかったということですな、日本のサヨク諸子は。

「マルクス主義的知識人に内面化された独自の「近代」志向は、1960,70年代に、開発主義国家体制の形成・確立を近代の一つの型として理解し対応することを妨げた。同様にそれは。開発主義国家体制の新自由主義的解体に対する幻想的期待と理論的無対応をもたらしたのである」という評言は、タカ派左翼ならではのなかなか透徹した冴えが感じられます。

まあ、後藤さんたちゴリゴリサヨクの皆さんだって、かつては同じように開発主義体制や企業主義統合を親の仇のように批判していたんじゃないの?と、ツッコミを入れたいところも結構あるんですが、90年代に醜態をさらさなかったという点では一日の長を認めてあげてもいいのかな、とは思います。

ちなみに「構造改革」なる元サヨク用語がネオリベ御用達になるプロセスも、この話と関係するんでしょうね。

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