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2006年11月 2日 (木)

ビッグバンの顛末

某筋によると、やはり、例の「労働ビッグバアアアアアアアアアアアアアアアーーーーーーーン」は、日本経団連内部からの批判で消えたようですね。旧日経連側の正論が暴論を押し出すことがなお可能な状況にあるということは、経営側の健全さを示す指標として価値があると思います。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_b286.html

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_d35d.html

政府中枢内部の力関係がどうなっているのかは、正直よく分からないのですが、少なくとも的確な介入によってある程度の影響を与えることができる状況であるということは確かなようです。

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コメント

労務屋さんにビミョー(w)に裏切られてますけど

> 年功によって賃金が決まる労働市場、というのは
> 多くは内部労働市場(典型的なのはその後に出て
> くる公務員)でしょうが、これを年功ではなく決
> まるようにしよう、というのはかねてから多くの
> 企業が取り組んでいるところです。もっとも、決
> め方はなにも職種に限ることはなく、能力や成果
> であってもいいはずで、そこは企業の勝手、政府
> の口出しは余計なお世話、といいたくなりますが
http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20061031

いやいや、厳格に年功で賃金が決まるなどというのは民間では昔からほとんどありません。あの電産型賃金体系ですら査定部分というのがあったわけだし、50年代以降の経営側の戦略はいかに人事査定をフルに活用するかにあったわけで(このあたり、詳細は私の「日本の労務管理」講義案を参照)。

そうではなくて、厳格に職種で処遇が決まるなどというやり方をやると企業組織が回らないというごく単純なことをいってるだけです。特に、50年代から60年代にかけて、当時の日経連が一生懸命職務給の旗を振ったけれども、結局企業の労務屋さんたちからスカンを食らって「能力」査定に基づく職能給に落ち着いていったわけで、その歴史を無視すると同じ様な痛い目に遭うということ。

その際に、ベースが年功に基づいて少しずつ上昇していくという仕組みが望ましいのは、いい査定を受けた奴は高く上がり、普通の査定の奴はそこそこで、悪い査定の奴でもちょびっとは上がるという形で、摩擦や葛藤を最小化することができるからなんですね。これを近年の成果主義のようにいいやつは上げるが悪い奴は下げるとやると、いろいろと面倒なもめ事が起こる。

で、ここにマクロ経済がからんでくるのですよ。マクロ経済がインフレ基調だと、年功ベースがやりやすい。デフレ基調だと逆に、普通の査定でも下げなきゃいけなくなりますからつらいのです。「成果主義」の問題は実のところここに帰着するのです。このメカニズムがあるので、労働関係者は基本的に緩やかなインフレの方が好きなんですよ。ネット界の「リフレ派」云々とは別次元でね。

>>政府の口出しは余計なお世話、
「ビミョー」というのはこの部分(↑)でして

>>デフレ基調だと逆に、普通の査定でも下げな
>>きゃいけなくなりますからつらいのです。
「緩やかなインフレ政策」云々はこういう話が
入ってるのが普通かと。そうしないと失業率と
結び付かないんで。ただ違うのは、名目賃金を
摩擦無しに下げられれば職を維持できるはず。
貨幣錯覚を重視するか、しないかの違いだ、と
思います。hamachan先生とケーザイの人達が
違うとすれば、「デフレであれば名目で多少
下がっても実質では上がってるんだからOK♪」
とか、「インフレだと名目で多少上がっても、
実質賃金下がってるからキビシーーー」とか、
労働者が感じるのか、感じないのかの違いでは
ないでしょうか。私自身は、自分が公務員など
下方硬直性が強い賃金であれば「デフレ・カモ
ーン」って感じますけど

世間のフツーの人々は、別に自分の給料をリンネル何ヤールで勘定しているわけではないのですからね。「貨幣錯覚」とかいう専門用語を使うこと自体が既にして「今」「ここ」に立ち現れる人称的世界から乖離した抽象世界に跳んでいるということなのですよ。
いや、もちろん反省的意識の次元においてはそれは極めて重要。しかし、ここで言ってるのは、人事査定の現場で「デフレ3パーセントだからそれ込みで降給2%ね」とかやれるかという話。現象学的真実はそれを1%の昇給とは語らない。それを「貨幣錯覚」と呼ぶことで事態が解決するわけではない。

そもそもお金って抽象的なもんじゃないですか?と
私は思います。フツーの人からして抽象的世界にも
住んでいます。専門家だけのものではないのでは?
私は別にケーザイの専門家ではありませんし

>それを「貨幣錯覚」と呼ぶことで事態が解決する
>わけではない。
それはそうで、それを重視するかどうかですよね。
ケーザイの人達だって「行動ケーザイ学」であれば
重視するでしょうし。それとですね「マスコミ」が
今はデフレだから実質賃金は上がってるぜ!みたい
な話をバンバンやれば、また事態は異なるでしょう。
単に馴染みのある抽象世界かどうかの問題であって
抽象世界だからフツーの人には分からない、という
ことではないと思うのですよ。

「労働ビッグバン=労働市場の効率化」という言葉がどこから出てきたのかネットで調べていたのですが、旧経済企画庁の構造改革推進部会の議事録で使っている人がいました。
(誰の発言かは不明)
http://www5.cao.go.jp/99/e/kgiji/19990525kouzou.html
その後、労働市場改革という言葉に変えましたが、こちらは経産省の産業構造審議会基本政策部会(部会長は橘木教授)の資料4-1「基本政策部会における検討論点」の中に出てきますね。私はこっちも注目しています。
能力開発プログラムの開発や評価の仕組みを巡って、厚労省とバトルになるんでしょうか?
http://www.meti.go.jp/committee/materials/g61023bj.html

そう単純な話ではないのですよ。
私なぞは保守反動型の労働官僚ですから改革とかいうとまず眉に唾をつけたくなる方ですが、労働行政の省利省益からすると、労働ビッグバンで職務給型の外部労働市場中心主義にしてしまうことには、新たな利益のネタがあるのです。ある意味では企業の人事労務部の仕事が少なくなって(八代尚宏『人事部はもう要らない』)、その分外部の労働市場機構や教育訓練システムの意義が大きくなるわけですから(その利権をどの役所がとるかでバトルはあるでしょうが)。

私は過去の歴史の教訓からして、そういう道はあまり望ましいものではないんじゃないかと思っているのですが、それこそ望ましいと考える人がいて不思議ではありませんし、実をいえば本田由紀先生などはそういう立場の方なわけで、それはそれとしていい意味での御用学者としての一つの立場だと思います。

ちょいと前の話題ですが、私がなぜ、ネットを跳梁跋扈する下品なリフレ派は大嫌いなのに、基本的にリフレ政策賛成で、インフレターゲット政策やるべしと思っているかというと、こういう本がうまく説明してくれています。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4130402250

黒田祥子さんと山本勲さんの共著で、『デフレ下の賃金変動-名目賃金の下方硬直性と金融政策』(東大出版会)という本ですが、日本の労働市場における賃金硬直性を具体的に計測した分析ですが、最後のあたりで行動経済学なども使って、賃金の下方硬直性について考察しています。
私からすると、年功賃金制の持つさまざまな労務管理上の効果を含めて総合的に分析してくれるともっとよかったのではないか、という感じですが、日銀に勤務する方々の著書でありながらすごくアカデミックな本だなあ、というのが印象的でした。

もちろん種々な価格に硬直性があるからインフレ率が問題になるのでして、特に固定金利と賃金ですよね。だから賛成する理由はごくごく標準的なものだと思います。一方、名目賃金の硬直性に賛成するとしたら、標準的なケーザイ学からは???となるだけかなと。硬直性に賛成です(←価値判断)というのではなく、少なくとも今の経済はそんなもんだ(←現象)というなら、それは標準的なマクロケーザイと同じ認識だと思います。

あの方々はケーザイ学と異なる意見を述べるとそれはおかしい(ま、それは自分と考えが違うんだからまだいいんですけど)。同じ意見だとそれはケーザイ学で考えられていることだ。いずれにしても、ケーザイ学偉い、ケーザイ学勉強せい、になっちゃうんですよ。

にせ濱口さん(ふまさん?)に呼ばれました。

ちょっと思ったの、素人なんでまちがっているかもしれませんけど、労働基準法の不利益変更ってあんまり、インフレで実質賃金下がるって考慮していないですよね。デフレで賃金カットするときも、使用者側が合理的な根拠云々説明義務が生じると思うのですが。(まちがってますか?)その辺りのことは関係していないんでしょうか。

法律の世界にインフレで実質賃金が下がったから不利益変更だなんてのはないですね。そこは労使交渉で賃上げを勝ち取ってくださいという話。逆にデフレで実質賃金が上がったからといって名目賃金を下げようとすると不利益変更になる。それが合理的であることを説明しなければならない。ケーザイ学的観点からすれば貨幣錯覚にとらわれた無知蒙昧の世界に見えるかも知れませんが、それが現象学的真実だということで。
そこを、さいわいにして名目賃金にとらわれていると考えたのがケインズ卿であるということになるんでしょうが。

にせ濱口さん(ふまさん?)に呼ばれました。

ちょっと思ったの、素人なんでまちがっているかもしれませんけど、労働基準法の不利益変更ってあんまり、インフレで実質賃金下がるって考慮していないですよね。デフレで賃金カットするときも、使用者側が合理的な根拠云々説明義務が生じると思うのですが。(まちがってますか?)その辺りのことは関係していないんでしょうか。

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