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2006年11月21日 (火)

ザ・ソーシャル

市野川容孝『社会』(岩波書店)

4000270060 『社会』という標題はあえていえば誤訳。英題の「ザ・ソーシャル」が正しい。というか、「ソーシャル」と言ってもわからない日本人に、「ソーシャル」とはどういうことかを説明した本。

薬師院さんがやや無造作に提示した問題を、丁寧な手つきで思想史や哲学の話を盛り込んで、説明してくれた本ですが、それだけにややテツガクの玄人向けの本になってしまっていて、この「ソーシャル」が自分たちのことなんだと感じるべき人が手に取らないような本になってしまっている感はします。

冒頭のところで、ドイツの基本法やフランス憲法に出てくる「ゾツィアル」や「ソシアル」が出てきて、その「社会的」というのは日本でいう「福祉国家」に当たるんだというくだりがあるのですが、その後は話がアカデミックになりすぎて、例えば労働組合の人が自分たちのやってることに関する話なんだと思うかなあ、と。

例えば、ドイツではゾツィアル・プラン、フランスではプラン・ソシアルと呼ばれるものがありますが、これは一体なんでしょうか?と聞いて、きちんと正解を答えられる人がどれくらいいるだろうか。「社会計画」というと、なんだか国土庁か経済企画庁あたりがもっともらしく策定するマクロな計画みたいに感じるでしょうが、実はこれ、企業がリストラする際に労働者代表と協議して必ず策定しなければならない様々な労働者のための措置に関する計画のことなんですね。

そういう「ソーシャル」という概念が日本社会から雲散霧消してしまったことを象徴的に示すのが、連合の「社会政策局」ですね。社会政策というと、ドイツ流のゾツィアルポリティークだとすると労働問題になりますし、イギリス流のソーシャルポリシーだとすると福祉関係になりますが、そのいずれでもないんですね。

なんと、

http://www.rengo.org/ecolouni/tool05.html

いや、エコロジーは大事です。環境政策にもっと力を入れなければなりません。だけど、労働でもなければ福祉でもない、要するに「その他社会に関すること」を社会政策と呼んで不思議に思わないのが現代日本の労働運動の感覚なんですね。

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