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フリードマンとハーシュマンと離脱と発言

安倍政権の教育政策に警戒すべきものがあるとすれば、それは教育バウチャーではないか?という反リベラルな発想は全然人気が出ないようですな。

たまたま言い出しっぺのフリードマンが死んだので、改めてハーシュマンを取り出してみました。

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もともと経済学者は、自らのメカニズムが遙かに効率的で、実際上、真剣に取り扱われるべき唯一のものと思いこむ傾向にある。こうした偏見は、公教育に市場メカニズムを導入することを説いたミルトン・フリードマンのよく知られた論文に如実に示されている。フリードマンの提言のエッセンスは、学齢期の子供を持つ親に特定目的のヴァウチャーを配布するというものである。このヴァウチャーを使い、親は私企業が競争的に供給する教育サーヴィスを購入できるというわけである。こうした計画を正当化するため、彼は次のように述べている。

親は、ある学校から自分の子どもを退学させ別の学校へ転校させることによって、学校に対する自らの考え方を今よりも遙かに直接的に表明できるだろう。現在、一般的には、転居する以外に親はこうした手段をとりえない。後は、厄介な政治的経路を通じて自分たちの意見を表明できるに過ぎない

ここでフリードマンの提言のメリットについて議論するつもりはない。それよりもむしろ、私がこうした一節を引用しているのは、それが離脱を好み、発言を嫌う経済学者の偏見を示す、ほとんど完全な事例だからである。まず第1に、フリードマンは、ある組織に対し快く思っていないことを表明する「直接的な」方法として、退去、つまりは離脱を想定している。経済学の訓練をさほど受けていない人ならば、もっと素朴に、考えを表現する直接的な方法とは、その考えを言明することじゃないか、と思うことだろう。第2に、フリードマンは、自らの考え方を発言すると決めて、それを広く訴えようと努力することなど、「厄介な政治的経路」に頼ることだと、侮蔑的に言い放っている。だが、まさにこうした経路を掘り起こし、それを利用し、望むらくはそれをゆっくりとでも改善していくよりほかに、政治的で、まさに民主主義的なプロセスがあるだろうか。

国家から家族に至るまで、およそ人間の関わる全ての制度において、発言は、いかに「厄介な」ものであろうと、その制度に関係するメンバーが日常的につきあっていかなければならないものなのである。

(アルバート・ハーシュマン『離脱・発言・忠誠』(ミネルヴァ書房)p15~16)

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これはもちろん教育問題だけの話ではありません。先日、団結権をネタにプロセス的権利に言及したのも、同じ問題圏であることはおわかりでしょう。

私が不思議でならないのは、なぜ経済学者たちは(ほかの問題に対しては「離脱」のみを選択肢として推奨するのに)あれほど熱心に経済政策についてだけは「発言」しようとするのだろうかということです。そんな「厄介な政治的経路」に頼るより、さっさと「離脱」すればいいのにね。

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コメント

>>私がこうした一節を引用しているのは、
>>それが離脱を好み、発言を嫌う経済学
>>者の偏見を示す、
ちょっと微妙。というのは、フリードマンの
台詞ではなくてバウチャーの方なんですけど。
離脱・非離脱の選択権を持つことによって、
『個人の発言力』が増しますから。ただし、
フリードマンの台詞はそれ以外の、すなわち
『個人的でない方法による発言』を軽視して
いるのは確かでしょう

投稿: フマ | 2006年11月21日 (火) 14時50分

いや、ハーシュマンの議論は、親が公立学校に対して発言するのではなくて、自分の子どもを私立学校にやろうとすればするほど、公立学校はますますダメになっていくというものです。
より一般的にいうと、「製品の品質にもっとも関心を持っている顧客、従って発言のもっとも積極的で。信頼でき、創造的な主体となるはずの顧客が、だからこそ、品質が低下すれば、一番最初に離脱する可能性の高い顧客でもある」(上記『離脱・発言・忠誠』p53)というパラドックスですね。

投稿: hamachan | 2006年11月21日 (火) 16時32分

>>公立学校はますますダメになっていくと
>>いうものです。
もちろん、そういうトレードオフはあるか
と。でも、他は良くなったりする訳でして。
ま、リバタリアンなのかな?

投稿: フマ | 2006年11月21日 (火) 16時42分

こちらでvoice and/or exit の概念を知ったものです。インターネットをさまよっていたらハーシュマンとvoice exitについて触れていたブログを発見しました。どれどれと読んでみましたところ、"経済学者"=exit大好きという(本エントリでいうハーシュマンの)主張に沿うものでした。思い起こせば彼はフリードマン系統(傾倒?)の人物でした。

"Hirschmanの有名な言葉でいえば、日本はもうvoiceで何とかなる段階を過ぎ、exitで彼らの目を覚ますしかないのだろう。"
ここではexitに対するハーシュマンの批判的な価値観(の認識)が欠けていますね。これも法則の一例なのかもしれませんが…

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51451544.html
(本コメントは公開されなくて結構です。労働問題と関係ないし、些か品のない振る舞いなので…)

投稿: 匿名 | 2010年7月11日 (日) 08時43分

その人はね、経済学者じゃなくて単なるお馬鹿さん。

投稿: jtrjtrjytxjytjytjj | 2010年7月11日 (日) 16時20分

なんか日本の経済学者の引用するハーシュマンのサンプル展示場みたくしてしまって恐縮ですが…
http://www.nikkei.com/biz/focus/article/g=96958A9C93819499E2EBE2E09D8DE2EBE2EAE0E2E3E2E2E2E2E2E2E2;p=9694E2E7E2E3E0E2E3E2E1E3E5E5

”企業の声届かぬ政治に危うさ  竹中平蔵 慶大教授
2010/8/11 7:01日本経済新聞

 国会での政策論議が低調に推移するのを尻目に、日本企業の海外進出が一気に加速している。かつて開発経済論の権威、アルバート・ハーシュマンは、変化をもたらす力として「声」と「出口」という2つの概念を用いた。第1は、変化を求めて(政府に)「声」を発すること。第2として、それでも変化しないなら「出口」から出てゆくこと。政治が企業・産業の声を十分聞くことなく低迷を続ける中で、日本企業はいよいよ海外への拠点(略)”

投稿: test | 2010年8月14日 (土) 19時12分

http://twitter.com/#!/eurodollari/status/133576653644369920

展示場
(この人は経済学者でなくて利刀をなんとかする経済学徒にすぎないとは思いますが)

投稿: 名無し | 2011年11月11日 (金) 08時41分

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政策大学院大学の濱口桂一郎教授が、ご自身のブログにて、安倍政権により蒸し返されようとしている教育バウチャー構想を批判されています。教育バウチャー構想は、先日亡くなったミルトン・フリードマンが提唱したものです。 →http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006... [続きを読む]

受信: 2006年11月22日 (水) 21時02分

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