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2006年11月

2006年11月30日 (木)

労働者派遣法の制定・改正の経緯について

本日の講演のメモです。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/rengohakenukeoi.html

リベじゃないサヨクの戦後思想観

484510996401_ss500_sclzzzzzzz_v36226669_ 最近、仕事の関係もあって福祉国家論の周辺をいろいろ読んでいるのですが、今月出版された後藤道夫『戦後思想ヘゲモニーの終焉と新福祉国家構想』(旬報社)は想定した以上に興味深いものがありました。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4845109964/sr=1-7/qid=1164872198/ref=sr_1_7/250-9670210-7433052?ie=UTF8&s=books

この後藤さんというのはかなりゴリゴリのサヨクのようなんですが、それだけにリベラルなサヨクの弱点がよく見えているなあという感じです。

要は、戦前の開発独裁(という評価は些かどうかと思いますが、それはともかく)を否定すべく、日本はもっと市民社会にならなくちゃいけない、もっと個人の自由を、という「近代の不足」を基調とする戦後思想の中で、多くの戦後知識人が自由主義の本格的批判を経験せず、素通りしてきた。近代的自由の本格的規制の問題に知識人の関心が向かわなかった。自由というと、国家からの自由と市民的自立という側面でのみとらえられ、自由主義の持つ野蛮な市場至上主義や非民主的性格に関心が向かわなかった、とまずは戦後リベラル知識人たちを批判します。

そして、福祉国家問題に対してもきちんと格闘せず、市民法と社会法の区別云々というのも法律学の世界でしか問題とならず、いわば敵対的無関心が支配的であったというんですね。これはまったくそうですね。実は、日本の政党の中で社会のあるべき姿として福祉国家を唱え続けてきたのは今はなき民社党だったのですが、サヨク的なリベラル知識人は、これを大変いかがわしいものでも見るように見ていたのです。

で、こういう市民的近代化主義者たちは、(後藤氏の言うところの)開発主義国家体制を、前近代的で非市民社会的なものとみなして目の敵にしたわけです。また、(同じく後藤氏の言うところの)企業主義統合、つまり日本型雇用による企業内労働市場への労働者の包摂を、前近代的な集団主義と個の未確立の悪用だと考え、これを西欧の福祉国家型と並ぶ独自の階級馴化と大衆社会統合の一類型と把握することがなかった、と批判します。

で、80年代には知識人の間で階級闘争の視点がどんどん後退し、90年代になってそこにソ連の崩壊がきて、ますます「市民」志向が強まり、結局「マルクス主義的知識人の少なからぬ部分がそうした実体として市民タイプの主張に共感し、新自由主義との共闘をためらわない「左派」が広く出現した」「彼らの中心的関心は開発主義国家体制の破壊に向けられており、それが実際に可能であるならば、保守派との連携を含めたいていのことには目をつぶるという感覚であったと推察される」という事態になったわけです。あえて人物論的に言えば、アルバイトスチュワーデスに反対した労働者にやさしい亀井静香を目の仇にし、冷酷な個人主義者小泉純一郎にシンパシーを隠さなかったということですな、日本のサヨク諸子は。

「マルクス主義的知識人に内面化された独自の「近代」志向は、1960,70年代に、開発主義国家体制の形成・確立を近代の一つの型として理解し対応することを妨げた。同様にそれは。開発主義国家体制の新自由主義的解体に対する幻想的期待と理論的無対応をもたらしたのである」という評言は、タカ派左翼ならではのなかなか透徹した冴えが感じられます。

まあ、後藤さんたちゴリゴリサヨクの皆さんだって、かつては同じように開発主義体制や企業主義統合を親の仇のように批判していたんじゃないの?と、ツッコミを入れたいところも結構あるんですが、90年代に醜態をさらさなかったという点では一日の長を認めてあげてもいいのかな、とは思います。

ちなみに「構造改革」なる元サヨク用語がネオリベ御用達になるプロセスも、この話と関係するんでしょうね。

2006年11月29日 (水)

労働契約法制の素案その2

昨日の労働条件分科会に提示された素案(「今後の労働契約法制について検討すべき具体的論点(2)」)がJILPTのHPに載っています。

http://www.jil.go.jp/kokunai/mm/siryo/pdf/20061129.pdf

今回はあんまり大した中味はありません。労働契約の原則と有期労働契約ですが、特に後者については論点になりそうだったところがごっそり落ちています。

期間中はやむを得ない理由がなければ解約できないという判例法理の法文化のほかは、「使用者は、その労働契約の締結の目的に照らして、不必要に短期の有期労働契約を反復更新することのないよう配慮しなければならない」というなんだか効果のよく分からない規定を盛り込むことと、現行有期労働指針の雇い止め予告の対象に、1年以上継続した場合に加えて一定回数以上更新された場合を追加するというものです。

今から考えるともう遙かな昔のような気もしますが、休み前の「検討の視点」では、一定期間(または一定回数)を超えて更新されているときは、労働者の請求によって次の更新の際期間の定めなき労働契約が締結されることになるとされていたし、「在り方について(案)」では、1年とか3回を超えて更新されているときは労働者の請求により期間の定めなき契約の優先的応募機会を付与しなければならないとされていたんですね。それから考えると大変みみっちくなってしまったわけですが、まあ、就業規則の不利益変更の過半数組合による合理性判断も落ちたし、解雇の金銭解決も先送りということとの見合いで考えれば、こんなものかも知れませんね。

ただ、労働契約法制の有期労働部分がしょぼいものになった分。パート法改正の方が、パートじゃないパートというか、短時間じゃない非正規労働者、つまり有期労働者のことまで面倒見ようという風になったようなので、トータルで言えばこれでいいのかも知れませんね。

最後のところに、ぽつんと過半数代表者の選出要件を民主的な手続にする云々というのがあって、いやもちろんこれは現行法でも36協定はじめとして大変重要なんですが、労働契約法制における重要な論点であった過半数組合がない場合における労働者の代表意思として労働条件の不利益変更や解雇の金銭解決に使うという選択肢がなくなってしまったので、何となく寂しい感じでありますね。

雇用対策法改正(外国人)

昨日の続きで、労政審で審議されている雇用対策法改正の内容のうち外国人関係のところを見ていきます。

新たな規定は、外国人雇用状況報告の義務化です。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/11/dl/s1114-6e.pdf

報告義務者は外国人労働者を雇用する事業主、対象となるのは特別永住者を除く外国人労働者、雇入れ時と離職時にそれぞれ報告しなければなりません。報告内容は、外国人労働者の国籍と在留資格及び在留期限です。報告しなかったり虚偽の報告をした場合には30万円以下の罰金。

こうした規定とあわせて、現在局長通達という形で示している「外国人労働者の雇用・労働条件に関する指針」を法律の根拠に基づく大臣告示に格上げし、その中の「外国人労働者の募集及び採用の適正化」の中に、外国人労働者の在留資格の確認方法や、確認することが必要な場合についても規定するとしています。

なお、このうち技能実習生に関する事項については、既に10月18日から職業能力開発局において「研修・技能実習制度研究会」が開かれています。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/10/s1018-8.html

こちらも12月25日には中間報告を取りまとめるというハイスピードでやるようです。ここで議論されるのは、

(1)実務研修中の法的保護の在り方、つまり研修生が実質的な低賃金労働者として扱われることなく技能移転が適切に行われ、研修手当が適切に支払われるようにすることです。

(2)技能実習に係る在留資格の創設、現在は「特定活動」とされているんですね。

(3)受入機関の管理責任を出入国管理法の政省令に格上げし、不正行為を行った受入機関の停止期間を5年に延長すること、

(4)同等報酬要件の実効性確保など労働条件の適正化

といった制度の適正化に関することに加えて、技能移転の実効性確保や受入企業の条件(受入枠や労働条件)など制度の在り方についても検討するということです。

北朝鮮系の派遣会社

読売の記事

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061129it06.htm?from=top

「在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)傘下の「在日本朝鮮人科学技術協会」(科協)の顧問(74)が社長を務めていた川崎市内の人材派遣会社が、無届けで労働者を派遣したとして、神奈川県警外事課は29日、労働者派遣法違反の疑いで、この前社長宅や同社などを捜索した」。

県警外事課が労働者派遣法違反を摘発してくれるのですから有り難いことです。

「調べによると、同社は2004年6月ごろ、厚生労働相に無届けで人材派遣業を営み、群馬県太田市のモーター製造会社に労働者を派遣した疑い」。

いやもちろん、詳しくはリンク先をどうぞ。ちなみに、このエントリーは「日本の労働法政策」ではなく「雑件」です。

日本労働弁護団のホワエグ批判

日本労働弁護団が11月24日付で、10日に提示された労働時間法制の素案に対する批判を公表しています。

http://homepage1.nifty.com/rouben/teigen06/gen061127a.htm

かなり正しいことを主張しているのは確かなんですね。「前文で「長時間労働を抑制しながら働き方の多様化に対応するため」と言いつつ、相も変わらず、「時間外労働削減」の対象となる通常労働者と新・適用除外の対象者や管理監督者を分け、前者には、ほとんど実効が期待できない「法制度の整備」を提起し、後者にはほぼ全面的な適用除外を提起する」「現在、企業実務において管理監督者あるいは裁量労働者と処遇されている労働者は過大な業務量と重い責任、そして成果主義賃金制度の下、無限定な労働を強いられ、多くが心身共に疲弊しており、企業側の見通しですら、今後、脳・心臓疾患や精神障害の危険が高まるとする割合が7割を超えている。「素案」の二分論は、この重い事実を全く無視するものであって、到底許されない」というのは、まさに仰るとおりです。

そして、「結局、現行法による「不合理」は残業代支払義務しか残らない。いうまでもなく、この「不合理」は専ら使用者にとっての「不合理」である。分科会において労側委員が残業代削減目的と批判する由縁である」というところになるのですが、なぜ使用者にとっての不合理を正そうとすることがいけないことなのかは、この文章のどこにも出てきません。それで損する労働者がいるからというのは、生命や健康の危険と同列に論ずるべき問題ではないでしょう。

さらに言えば、労働時間に正確に比例した形での残業代支払い義務が「不合理」であるのは、単に使用者にとってだけではなく、労働者側内部においてすら不合理でありうるかも知れないという問題意識は、残念ながらここには全く出てこないのですね。

しかし、この文章でも指摘されているように、現在運用で管理監督者扱いされている管理職ポストのスタッフ職などは、まさに労働者内部の公平感からして、残業手当を払うのはふさわしくないと感じられているから、現行労働基準法の明文の文言に反するにもかかわらずそのように扱われてきたわけでしょう。ここでは、管理監督していない高給労働者に残業手当を払うことがむしろ不合理と考えられてきているわけで、そういう労働者の範囲はどこまでなんだろうかというのが、この問題のそもそもの出発点であったのではないでしょうか。

まあ、規制改革会議のおかしな問題設定の枠組みの中で、厚生労働省事務局もなんとか本来の問題意識に沿った形で制度設計をしようと努力してきたわけで、そろそろ実質的な労働時間規制(拘束時間規制)をどのような形で入れ込むことができるのか、という観点からの議論をして欲しいところではあります。

2006年11月28日 (火)

雇用対策法改正(若年者)

現在労政審職業安定分科会雇用対策基本問題部会で議論されている雇用対策法改正の中味ですが、14日の分科会に出された資料が公開されています。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/11/s1114-6.html

外国人問題や地域雇用対策も論点として重要ですが、まずは若年者雇用対策としてどういう改正を考えているのかをみてみましょう。

現行法の6条(事業規模の縮小等の際の再就職援助の努力義務)や7条(年齢に関わりなく機会均等の努力義務)の前後に、若者の能力、経験の正当な評価及び採用機会の拡大に係る努力義務を設ける予定のようです。具体的には、

>事業主の努力義務として、若者について、能力を正当に評価するための募集方法の改善、実践的な教育訓練の実施その他の雇用管理の改善を図ることにより、雇用機会の確保を図ることを加えるとともに、国は事業主が適切に対処するために必要な指針を策定する。

となります。具体的な指針の規定事項は、

対象となる若者の範囲は34歳以下の若者、ただ、中学・高校卒業予定者については申し合わせによる就職ルールがあるのでこれに関する部分は適用しない。

基本的視点としては、新卒一括採用は定着しており、また機能していると評価しています。その上で、それに外れたものについても応募、採用の機会を増やす必要があり、そのための募集・採用の改善を盛り込むこと、また、新卒一括採用された場合でも、定着率の問題等があり、能力開発など入職後の雇用管理も盛り込むとしています。

規定する主な内容は、ミスマッチ防止、定着率向上の観点から、採用基準や職場で求められる能力、資質の明確化、応募可能年齢の引上げ、応募資格の既卒者への解放(「開放」の変換ミスですな)、通年採用の導入、人物本位での採用(能力、経験の正当な評価)、トライアル雇用や実習併用職業訓練の活用等有期雇用から正社員への登用制度の導入、能力開発の推進が挙げられています。

この最後のところに出てきた「有期雇用から正社員への登用制度の導入」が、特にここで問題となっている若年の非正規労働者にとっては重要な課題であるわけですが、こちらでは指針の中の一項目にとどまります。

講演のお知らせ

12月16日の午後、講演を行います。東大のHPに宣伝が載っていますので、そちらにリンクを張っておきます。

http://www.j.u-tokyo.ac.jp/%7eblc/samsun7-8.html

>東京大学法学部は、日本サムスン株式会社の後援を得て本年5月より連続講演会を開催しております。「高齢化社会と法」を統一テーマに、毎月1回、1年間に合計8回の予定で、年金・住宅・医療・介護などをめぐる法的・政策的問題などについて専門家が講演をおこないます。東京大学法学部の教授・助教授のほか、関係省庁の専門家も講師を務めます。本学の学生はもちろん、一般の皆様方の聴講も歓迎します。奮ってご参加ください。

日 時:第7回        12月16日(土) 午後1時30分~3時(受付:午後1時~)
テーマ:第7回「高齢化社会と労働法政策」(講師:濱口桂一郎(政策研究大学院大学教授))
場 所:東京大学本郷キャンパス法学政治学系総合教育棟(通称:法科大学院ガラス棟)101教室

ということです。

野村正實先生の新著予告

野村正實先生のHPに、『日本的雇用慣行--その全体像--』を書き上げたという記事が載っています。

http://www.econ.tohoku.ac.jp/~nomura/periphery.htm#061125

その章立ては次の通りだそうです。

序章  課題と視角
第1章 学校から「実社会」へ
第2章 定年制つき「終身雇用」
第3章 年と功の年功制
第4章 「老婆心」の賃金
第5章 会社の一部としての会社内組合
第6章 日本的雇用慣行のこれまでとこれから

これから微修正を加えて出版されることになるのでしょうが、いずれも大変興味深そうで、今からワクワクしています。

ちなみに、上記HPでは、第4章の賃金論の補論がアップされていて、これも大変興味深いものがあります。「基本給」という言葉も、戦時体制下の賃金統制令で導入された用語であり、それが戦後の人事労務管理の世界に入っていったんですね。

2006年11月26日 (日)

ホワエグは1000万円以上?

共同通信が、「厚生労働省が、対象労働者の要件として年収1000万円以上を軸に検討していることが25日、分かった。同省の年収要件案の数字が明らかになるのは初めて」と報じています。

http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=GIF&PG=STORY&NGID=main&NWID=2006112501000206

ただ、今まで現実的な基準としては1000万円だろうというのは言われてきていたわけです。経営側は400万円を主張しているわけですが、これは中小企業からすれば、社長だって1000万円も行かないのに、大企業だけ食い逃げするのかという批判が強くて、日本経団連もなかなか下げられないというところがあります。

労働側は「長時間労働を助長する」として制度の導入そのものに反対」しているわけですが、時間外手当の支給基準としては1000万円くらいだろうという声はあるのですね。

2006年11月25日 (土)

労働契約法制とパート法制

namiさんからさっそくコメントがついていますが、今朝の朝日が一面トップで「契約社員らの正社員化規定を削除 労働契約法素案」と報じています。

http://www.asahi.com/life/update/1125/003.html

厚労省はパート労働法の改正でパートの正社員化を打ち出すが、一方で契約やフリーターなど非正社員全体にかかわる有期雇用の問題には手をつけず、政策の整合性が問われそうだ」と、大変批判的な記事になっています。

パート労働法の改正で打ち出すとされている(朝日が報じている)パートの正社員化の「パート」には、「労働時間や就業実態が正社員と同じパート」は入らないんでしょうか。いや、そもそもパートタイムで働いているんじゃないのに、フルタイムの非正規労働者を「ぱあと」と呼んでいるのがおかしいと言えばおかしいのですが、そういう「ぱあと」、すなわち非短時間勤務の有期労働者も対象にパート法の改正をするという風に、雇用均等児童家庭局サイドが決めた(という風に、少なくとも朝日新聞が報道した)のですから、この点に関する限り、問題が労働契約法制からパート法制に移行したということであって、論点が消えたというわけではないでしょう。

もちろん、労働契約法制の方で議論されていたのは、単純に正社員への転換制度を設けよといったものではなく、「契約更新が3回を超えたり、雇用期間が通算1年を超えたりした場合、本人が希望すれば「正社員への優先的な応募の機会を与えなければならない」等といったもっとつっこんだものですが、そちらは「経済界は「(正社員化を避けるため)企業はかえって契約の短期化を余儀なくされ、事業主も本人も望まない結果を招く」などと反発」している以上、これ以上押せないという判断になったわけです。

労働側が反発している解雇の金銭解決が先送り濃厚になり、少数派組合の意を容れて就業規則の不利益変更の合理性判断への過半数組合の同意も落としてしまったこととの見合いという意味もあるのかも知れません。わたしの個人的意見はまた別にありますが、とりあえずここはやむを得ない判断だったのだろうと思います。

2006年11月24日 (金)

今度はフォルクスワーゲンがリストラ

と、労働法のグリーンペーパーがやっと出たところへ、またまた難題。

http://news.bbc.co.uk/2/hi/business/6168610.stm

フォルクスワーゲン社が、ベルギーはブリュッセルのフォルストにあるゴルフの生産工場を閉鎖すると発表したんですね。ここでは現在5400人の労働者が働いていますが、雇用が維持されるのは1500人だけで、4000人近くは失業することになります。

なんだかデジャビュの気配が・・・。そう、10年近く前、私がまだブリュッセルにいた頃、ルノー社が同じようにブリュッセル郊外のビルボールデ工場を閉鎖すると発表して大騒ぎになりました。その時の雇用喪失が3000人ですから、それより規模が大きいですね。

これは地元のテレビ局の記事ですが、

http://www.rtbf.be/info/societe/ARTICLE_053402

「裏切り、苦痛、怒り」と情緒的な報道をしていますね。ベルギーの労働組合にとっては、ドイツの組合が、自国の工場の維持を優先させたことも面白くないようです。

欧州委員会は早速、

http://ec.europa.eu/employment_social/emplweb/news/news_en.cfm?id=190

欧州社会基金やその他の機関を活用して失業労働者の支援を行うと発表しています。

労働法グリーンペーパー遂に出る

10月4日、10日のエントリーで、欧州委員会内部及び労使団体を巻き込んだ暗闘が行われているようだと紹介した労働法グリーンペーパーですが、11月22日になんとか発出に漕ぎ着けたようです。

http://ec.europa.eu/employment_social/labour_law/docs/2006/green_paper_en.pdf

題名から「フレクシビリティとセキュリティ」というのは消えて、『21世紀の挑戦に対応するための労働法の現代化』というふうになっています。

これに対して、ETUCは歓迎していますが、UNICEは即日批判的なコメントを出しています。

http://www.etuc.org/a/3084

http://212.3.246.117/Common/GetFileURL.asp?FileURL=F_1

UNICEはまず、EUレベルで「労働者」の定義を定めようというのは強く反対だと述べ、グリーンパーパーは自営業が企業家精神の発展にとって枢要であることを十分分かっていないのではないかと、先制パンチを浴びせています。

産経のピンぼけ

産経がなぜか一面トップに、

http://www.sankei.co.jp/news/061123/sei001.htm

>厚生労働省が次期通常国会で法制化を目指す、労働時間の規制を受けない働き方(日本版ホワイトカラー・エグゼンプション)の素案が23日明らかになった。

とっくに明らかになっているんですけど・・・。産経さんが23日まで気がついていなかったということかな?

ていうか、「ただ、運用次第では人件費抑制の方便になりうるだけに、その導入に当たっては慎重な対応が必要となる」とか、「人件費削減が狙いではないか…」と勘ぐりたくもなる」とか、ピンぼけもいいところ。まさに(時間に比してコストが高すぎる部分の)人件費削減が狙いそのものなのであって、自律だの自由だのというふわふわ語は余計な話なんですよ。

「景気回復を確かなものにするため個人消費の拡大が期待されるなか、賃金カットを連想させる制度導入は経済全体への悪影響が避けられない」という議論をするのであれば、そもそも(被扶養者ではない)低賃金の非正規労働者が増加することの影響を考えるべきでしょう。高給サラリーマンの残業手当の行方よりも。

離脱と発言再び

21日のエントリー「フリードマンとハーシュマンと離脱と発言」に、トラックバックが着きました。

http://ameblo.jp/nornsaffectio/entry-10020312276.html

たまたまフリードマンとハーシュマンが取り上げているのが教育問題だったからそれをそのまま使いましたが、私の基本的問題意識が労働問題、つまり、気に入らない会社をさっさと「離脱」していく方がいいのか、それとも組織への「忠誠」を持ちつつその運営に対して「発言」していく方がいいのか、にあることは、このブログの全体傾向からしてご了解いただけるところだと思います。それを超える話は、わたし的には基本的に越境分野なんですが。

ただ、ではたった3年間なりたった6年間に過ぎないから、「反映される前に子どもが学校を卒業してしまうので間に合わない」「子どもが卒業した後になってから何かが変わっても、その親子からすれば完全に手遅れ」という話になるのか、というと、まあこれは主観的な感覚の問題になりますが、そういう風にものごとを完全に私的利益のレベルだけで考えること自体が、言ってみればフリードマンの土俵に乗っていることになるのだろうと思うわけです。

同じハーシュマンが書いている『失望と参画の現象学』(法政大学出版局)では、『離脱・発言・忠誠』での枠組みを壮大な思想史の中に位置づけながら、私的利益と公的行為をめぐるイデオロギー的構図を見事に描き出しています。普通、公的行為というと、大文字の政治に関わることという風になるわけですね。しかし、ハーシュマンの議論の大事なところは、通常「離脱」モデルが当たり前と思われている企業活動に対しても、「発言」メカニズムの意義を強調するところにあります。これはちょうど、フリードマンら経済学帝国主義者が、国家に対してすら「発言」ではなく「離脱」モデルを慫慂するのと好対照になっています。

自由市場原理主義に対する保守主義からの批判としていわゆる公民的共和主義(シビック・リパブリカニズム)というのがありますが、そこで論じられているのは基本的に大文字の政治なんですね。まあ、古典古代のギリシャの民主政治がモデルだからそうなるんでしょうが、この「シビック」という概念をもう少し掘り下げてみたいな、とは思っています。

パートって言うな!法律編

朝日が大きくパート法改正案の中味を取り上げています。

http://www.asahi.com/business/update/1124/043.html

この中で特に注目されるのは、「労働時間や就業実態が正社員と同じパートに対し、「待遇での差別的な取り扱いを禁止」する」という点です。これは均衡処遇を超えて男女平等と同じ均等待遇を義務化するものですが、その対象は労働時間や就業実態が正社員と同じ労働者なのですから、これをしも「パート」と呼んで、「パートの均衡処遇」の一環と称するのはいかにもミスリーディングな感じがします。これはむしろ、パートじゃないフルタイム非正規労働者の均等待遇義務と呼ぶべきでしょう。その主たる対象は、就職氷河期に正社員として就職できないままフリーターと呼ばれる形で就労してきた人々であるわけで、こういうところに、味噌も糞もひっくるめて非正規はみんなパートと呼んできたことのツケが出てきているわけですね。

本来ならこれは労働条件分科会で議論されているはずの有期労働者の処遇の議論であったはずではあるのですが、先日提示された素案では、遂に有期契約の話は完全に脱落してしまっていますので、まあその分は雇用均等分科会にお任せしたよということなんでしょうか。本来のパートタイム労働者(それを「それ以外」とかって言うなよなって感じですが)に関する均衡処遇は、「それ以外のパートについても、本人の職務や意欲、成果などに応じて賃金を決定し、残業や転勤があるなど正社員に近い人には、基本給や賞与の決め方を正社員と同じにするよう努めることを求めている」と、現行大臣告示のラインをそのまま法律化するという話ですから、結局新味は「パートじゃないパートの均等待遇義務」ということなわけです。この問題は審議会で労働側が繰り返し攻勢をかけていた点でもあります。

また、「正社員への転換の促進」についても、「企業の義務として、転換制度を導入し、転換の推進に向けた措置を講じなければならない」としたようで、これも主として若年フリーター型のフルタイム非正規労働者を念頭に置いた措置でしょう。

こういう内容の法律を「パートって言うな!」と言いたいところではありますが、まあ、所掌事務の関係上、雇用均等児童家庭局に認められた権限は短時間労働者に関することだけなので、これ以上ケチを付けるのは控えておきます。労働基準局が有期労働者の問題を放り投げてしまった以上、パート担当の方で拾い上げなければいけないわけですから。

ちなみに、こういう風な中味になってくると、「改正案は正社員に近いパートを制度設計の前提としており、「子育てなどで短時間労働を余儀なくされている低賃金のパート労働者の待遇改善が置き去りにされる」との指摘もある」というご批判も出てきてしまうわけではありますが、それを言い出したら話が逆戻りしてしまいますがな。

2006年11月23日 (木)

労働契約法続き

昨日のエントリーの続きです。

今回の素案の最大の特徴は、昨年の労働契約法制研究会報告が敢然と打ち出した労働者の多数意思による就業規則変更を通じた個別労働契約内容の決定という思想が、ほぼ完全に払拭されてしまったということではないかと思われます。

これには実は大きく2つの問題点がありました。一つは、当初の研究会報告では労使委員会という形で提示され、休み前の素案では複数の過半数代表者という形で示されていた、労働組合以外の労働者意思の代表制度の是非の問題です。労働組合の立場からすると、これは組織基盤を空洞化するものに他なりませんから、そう簡単に同意することができないのはよくわかります。もう一つは、就業規則変更の合理性判断に過半数組合の同意を要することとすることが、過半数組合に属しない少数派の自己決定権を踏みにじるものだという論点で、これを強く訴えていたのは過半数組合の側にいる連合の主流派ではありませんでした。

では、なぜこういう形になったのだろうか、が政治学的に興味深いところになるわけです。まあ、まだ現在進行形の問題を急いであれこれ論ずる必要もないわけですが、連合内部の意思決定過程において、既存の多数派組合の利害よりも少数派組合の利害をより強く意識しなければならない状況が生じてきたということで、これがどういうリパーカッションを生み出すかも含めて大変興味深いところです。まあ、毎年組織率は下落する一方という中で、既存の多数派組合により多くの権限を与えるような法改正に正当性を付与するだけの力がなかったということかも知れません。

こうして、労働条件不利益変更における過半数原理の導入が消え去り、解雇の金銭解決も先送りの様相が濃くなってきましたので、半世紀に一回の画期的な労働立法という触れ込みだった労働契約法は、ほとんど判例法理のリステートメントにとどまるものになるようです。

もちろん、それでも(判例つき六法でなければ)六法全書に書いていなかったことを、ちゃんと明記するようになるわけですから、大いに意味はあるわけですが。

特に、一方の労働時間法制の議論では割賃論議に覆い隠されてなかなかきちんと議論されない長時間労働の問題や、職場における暴力やいじめとの関係で、使用者の安全配慮義務を明記するというのは、大変意義深いことだといえましょう。ちなみに、あるところで紹介されていましたが、例の愉快な奥谷禮子女史、今回も安全配慮義務を盛り込むことに大変強く抵抗された由。

http://bonmomo.de-blog.jp/never_ending_workers/2006/11/post_a0d3.html

2006年11月22日 (水)

労働契約法制の素案

昨日開かれた労政審労働条件分科会に提示された労働契約法制の素案がJILPTのHPに掲載されています。

http://www.jil.go.jp/kokunai/mm/siryo/pdf/20061122.pdf

これはかなり後退した内容になっていますね。特に、就業規則変更のところは、合理性の判断要素として、「労働組合との合意その他の労働者との調整の状況(労使協議の状況)」が「労働条件変更の必要性」「就業規則変更の内容」とならんで書かれているだけで、判例法理を超えて手続的法的安定性を確立しようとした契約法研究会報告の精神はほとんど失われてしまったといえましょう。まあ、多数組合による少数組合の弾圧だと主張していた少数派運動の立場からすると、もっとも許し難いところがなくなってほっと一息と言うところかも知れません。

ここは、立場によって様々な考え方のあるところだろうとは思いますが、こうやって過半数組合が同意しているかどうかが決定的要件とはならず、詰まるところ裁判官の胸先三寸でどっちに転ぶかが決まるという状況を長引かせることが、本当に労働者にとって望ましいことなのかどうかについては、もう一度考え直してみる値打ちはあると思うのですがねえ。

解雇については予想通り、事実上の先送り案になっています。労働審判や個別紛争制度の状況を踏まえつつ、とか今頃言っているということは、12月までに何らかの具体的な制度を設けるところまで持っていくつもりはないということでしょう。まあ、これは決着は難しいかなという感じはしていましたが。

労働者派遣の構造転換

日本経団連が内閣府規制改革・民間開放推進室に提出した要望事項が昨日公開されていますが、雇用労働分野では5項目で、うち3項目が労働者派遣関係となっています。

http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2006/077.html

具体的には、

(2)自由化業務における派遣期間制限の撤廃

(3)派遣労働者を特定することを目的とする行為の禁止の撤廃

(4)派遣労働者への雇用契約申込義務の廃止

で、これらがまさに現在労働政策審議会職業安定分科会労働力需給部会で議論されている点であるということはご承知の通りです。

日本経団連の主張は畢竟するところ、派遣先への紹介を予定しなくても事前面接を可能とし、そうして特定された形での派遣就労を期間の制限なく恒久的に可能にしたいというところにあります。これが、これまで原則として禁止された労働者派遣システムを例外的に認めるために設けられてきた理論的防波堤を突き崩すものであることはいうまでもありませんが、その論理的帰結を突っ込んで考えると、恐らく経営サイドが想定しているのを超えたインパクトが考えられるのです。

 まず、労働者派遣において一般的に事前面接を解禁するということの含意を考えてみましょう。現在、紹介予定派遣において事前面接が認められているのは「円滑な直接雇用を図るため」とされています。だとすると、紹介予定派遣でなくとも事前面接をするのは、その時点で紹介を具体的に予定してはいなくとも、将来的に円滑な直接雇用を図る必要性が予想されているからでなければなりません。この改正は、労働者派遣全体に対して直接雇用への前段階的性格(テンプ・トゥ・パーム)を付与することになるのです。

一方で、派遣期間制限を撤廃し、雇用契約の申込み義務を削除することは、労働者派遣の「臨時的・一時的」性格を希薄にし、労働者派遣全体に対して恒久的就労形態としての性格を付与することになります。この両者が矛盾する性格を有することはもちろんですが、その点を批判するだけでなく、両者が同時に実現した場合の労働者派遣の法的性格がいかなるものとなるかを考えてみましょう。

それは、期限の定めなく恒久的に直接雇用への前段階的性格を有する就労形態ということになります。仮に臨時的・一時的な直接雇用への前段階であれば、これは一種の試用期間ないし試用契約であって、直接雇用を前提とする労働契約上の権利を制限する根拠があると言えるでしょう。逆に直接雇用への前段階ではない恒久的なものであれば、それ自体としての保護を考えればよく、直接雇用を前提とする労働契約上の権利を論ずる必要はないと言えるでしょう。しかしながら、この両者を併せて恒久的に直接雇用の前段階的性格を持ち続けるのであれば、直接雇用を前提とした労働契約上の権利を論じる必要が生じるのではないでしょうか。

これは、1985年労働者派遣法の法理念とも、1999年改正の法理念とも異なるものですが、そのような法理念が存在し得ないわけではありません。意外に思われるかも知れませんが、戦前期の労務供給事業に対する考え方は、まさにそのようなものでした。それ故に工場法その他の労働保護法規においては、供給労働者に対して供給先への直接雇用を前提とした労働契約上の権利を一定程度認める形で施策を講じていたのです。

経営サイドはそこまで想定していないでしょうが、一般的に事前面接を解禁し、かつ期間制限と雇用申込み義務を削除する改正は、派遣先責任を大幅に強化する形での労働者派遣システムのモデル改造(戦前型への復帰)をもたらす可能性があります。いつまでも規制緩和の一本調子が続くわけではないことも考えた上で、労働者派遣システムの将来像をどう構想するかと考えた方がいいのではないかと、老婆心ながらご忠告申し上げたいところです。

経済同友会はホワエグに疑問?

昨日、経済同友会が労働契約法制及び労働時間法制に関する意見書を発表しました。

http://www.doyukai.or.jp/policyproposals/articles/2006/pdf/061121.pdf

なんと言っても注目されるのは、日本経団連が成立を熱心に働きかけているホワイトカラーエグゼンプションに対して、かなり否定的なトーンになっていることです。

まずは「ホワイトカラーの自律的な働き方を可能とする制度(いわゆる日本版ホワイトカラー・エグゼンプション)については、労働者は裁量を持ち柔軟な勤務時間で付加価値の高い仕事をしながら、より一層の自己実現や能力発揮を行い、仕事の生産性を向上させるとともに、健康確保や生活とのバランスを保つということは、将来進むべき方向としては適正な考え方である」としながらも、「しかし、仕事の裁量という点では、仕事の具体的な進め方(手順)について裁量を持つ従業員は多いが、何の仕事をするかという質、量やスケジュール(納期)にまで裁量のある者は多くはないのが現実である」と、全く正しい認識を述べ、「論点の中で、「緩やかな管理の下で自律的な働き方をすることがふさわしい仕事に就く者」という定義に合致する対象者は、年齢や資格、年収という基準よりも、仕事の質や種類によって適・不適が判断されるべきものである。一方で、年齢や資格、年収が高くとも労働時間を管理し、その長短によって処遇される仕事もあるのが実情である」とした上で、結論として「そうした分類を明確にすることが必要であるが、現行の裁量労働の対象業務はその適用業務が考慮されていることから、まず最初のステップとしては、裁量労働制の一層の活用から進めるべきである」と、新たな適用除外制度の導入には反対という立場を明らかにしています。

日本経団連の苦虫を噛み潰したような顔が目に浮かぶようですが、しかし、仲間内からこういう「裏切り行為」まがいの発言が飛び出してくるそもそもの原因は、自律だの自由だのといった、現実に対応していないふわふわ語をもてあそんでいたことのツケでもあるのだということをきちんと認識し直す必要があるのではないでしょうか。

ヘアヌードだけが売り物のエログロ週刊誌に「あなたの残業代は年間平均114万円カットされる!」などと煽り立てられるのを嫌がって、「いやいや残業代をどうこうしようというんじゃない。自律的に働くんだ、自由度の高い働き方なんだ」なぞと心にもない言葉をもてあそんでいるから、言葉の表面レベルの議論で正直に考えるまじめな経営者が「そんなこと言ったって、そんなに自律的でも自由でもないぞ」とホントのことを言ってしまうわけです。

ある意味でこれはホワエグの基本的な思想を考え直すいい機会ではないでしょうか。厚生労働省は規制改革会議の設定した矛盾した枠組みから自由になれないとしても、労使の方は、もっと自由に考えを提起することができるはずです。

ホントに残業手当を25%の割増を付けて全額払わなければならないような労働者はどこまでであって、必ずしもそうしなくてもいい労働者はどこからであるのか、という正直ベースの議論に取り組んでいけば、それが具体的に幾らになるかがすぐに答えが出るわけではないにしても、少なくともどこかのラインで線が引かれるべきであろうという点については、合意は成り立つはずなんですがね(まあ、連合さんも応援団が週刊ポストなんぞを振り回して絶叫するとなかなか引くに引けないつらさはあるでしょうが)。

2006年11月21日 (火)

ザ・ソーシャル

市野川容孝『社会』(岩波書店)

4000270060 『社会』という標題はあえていえば誤訳。英題の「ザ・ソーシャル」が正しい。というか、「ソーシャル」と言ってもわからない日本人に、「ソーシャル」とはどういうことかを説明した本。

薬師院さんがやや無造作に提示した問題を、丁寧な手つきで思想史や哲学の話を盛り込んで、説明してくれた本ですが、それだけにややテツガクの玄人向けの本になってしまっていて、この「ソーシャル」が自分たちのことなんだと感じるべき人が手に取らないような本になってしまっている感はします。

冒頭のところで、ドイツの基本法やフランス憲法に出てくる「ゾツィアル」や「ソシアル」が出てきて、その「社会的」というのは日本でいう「福祉国家」に当たるんだというくだりがあるのですが、その後は話がアカデミックになりすぎて、例えば労働組合の人が自分たちのやってることに関する話なんだと思うかなあ、と。

例えば、ドイツではゾツィアル・プラン、フランスではプラン・ソシアルと呼ばれるものがありますが、これは一体なんでしょうか?と聞いて、きちんと正解を答えられる人がどれくらいいるだろうか。「社会計画」というと、なんだか国土庁か経済企画庁あたりがもっともらしく策定するマクロな計画みたいに感じるでしょうが、実はこれ、企業がリストラする際に労働者代表と協議して必ず策定しなければならない様々な労働者のための措置に関する計画のことなんですね。

そういう「ソーシャル」という概念が日本社会から雲散霧消してしまったことを象徴的に示すのが、連合の「社会政策局」ですね。社会政策というと、ドイツ流のゾツィアルポリティークだとすると労働問題になりますし、イギリス流のソーシャルポリシーだとすると福祉関係になりますが、そのいずれでもないんですね。

なんと、

http://www.rengo.org/ecolouni/tool05.html

いや、エコロジーは大事です。環境政策にもっと力を入れなければなりません。だけど、労働でもなければ福祉でもない、要するに「その他社会に関すること」を社会政策と呼んで不思議に思わないのが現代日本の労働運動の感覚なんですね。

フリードマンとハーシュマンと離脱と発言

安倍政権の教育政策に警戒すべきものがあるとすれば、それは教育バウチャーではないか?という反リベラルな発想は全然人気が出ないようですな。

たまたま言い出しっぺのフリードマンが死んだので、改めてハーシュマンを取り出してみました。

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もともと経済学者は、自らのメカニズムが遙かに効率的で、実際上、真剣に取り扱われるべき唯一のものと思いこむ傾向にある。こうした偏見は、公教育に市場メカニズムを導入することを説いたミルトン・フリードマンのよく知られた論文に如実に示されている。フリードマンの提言のエッセンスは、学齢期の子供を持つ親に特定目的のヴァウチャーを配布するというものである。このヴァウチャーを使い、親は私企業が競争的に供給する教育サーヴィスを購入できるというわけである。こうした計画を正当化するため、彼は次のように述べている。

親は、ある学校から自分の子どもを退学させ別の学校へ転校させることによって、学校に対する自らの考え方を今よりも遙かに直接的に表明できるだろう。現在、一般的には、転居する以外に親はこうした手段をとりえない。後は、厄介な政治的経路を通じて自分たちの意見を表明できるに過ぎない

ここでフリードマンの提言のメリットについて議論するつもりはない。それよりもむしろ、私がこうした一節を引用しているのは、それが離脱を好み、発言を嫌う経済学者の偏見を示す、ほとんど完全な事例だからである。まず第1に、フリードマンは、ある組織に対し快く思っていないことを表明する「直接的な」方法として、退去、つまりは離脱を想定している。経済学の訓練をさほど受けていない人ならば、もっと素朴に、考えを表現する直接的な方法とは、その考えを言明することじゃないか、と思うことだろう。第2に、フリードマンは、自らの考え方を発言すると決めて、それを広く訴えようと努力することなど、「厄介な政治的経路」に頼ることだと、侮蔑的に言い放っている。だが、まさにこうした経路を掘り起こし、それを利用し、望むらくはそれをゆっくりとでも改善していくよりほかに、政治的で、まさに民主主義的なプロセスがあるだろうか。

国家から家族に至るまで、およそ人間の関わる全ての制度において、発言は、いかに「厄介な」ものであろうと、その制度に関係するメンバーが日常的につきあっていかなければならないものなのである。

(アルバート・ハーシュマン『離脱・発言・忠誠』(ミネルヴァ書房)p15~16)

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これはもちろん教育問題だけの話ではありません。先日、団結権をネタにプロセス的権利に言及したのも、同じ問題圏であることはおわかりでしょう。

私が不思議でならないのは、なぜ経済学者たちは(ほかの問題に対しては「離脱」のみを選択肢として推奨するのに)あれほど熱心に経済政策についてだけは「発言」しようとするのだろうかということです。そんな「厄介な政治的経路」に頼るより、さっさと「離脱」すればいいのにね。

官民格差?権丈節炸裂

勿凝学問シリーズ53弾。「国家公務員と新聞記者の仕事、どっちの方が高い報酬で報われるべきなんだろうか?――人事院「民間企業の退職給付等の調査結果」はおもしろい」

http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/korunakare53.pdf

何も言わずに読んで下さいというだけですがな。

つまり、役人は真実を語ってはならぬ。アフォな国民の喜ぶような、そういう有権者に迎合する政治家に都合のいいような数字をでっち上げるのが大事な仕事。人事院は莫迦な素人官庁やから、その辺の空気が嫁ずに、ついついホントのことを出しちゃったわけやな。いやいや。

労働契約法制の素案

朝日が今日提示される予定の労働契約法制の素案をリークしていますが、

http://www.asahi.com/national/update/1121/TKY200611200488.html

こちらでは、注目されている解雇の金銭解決について「、「労使が納得できる仕組みを設ける」とするにとどめ、具体的な補償額や手続きの方法は明記しなかった」となっていますね。土曜日の日経の最低年収の2年分というのはガセでしたか。

この問題についてはもしかすると合意ができないまま先送りになる可能性もありますね。去年の労働契約法研究会報告の予め労使で合意している場合に限って使用者からの金銭解決を認めるというのはなかなかいい案だと思っていたのですが、審議会ではずっと出てこないままで、今から落としどころを探るというのは難しいかも知れません。

休み前の素案の書き方などからすると、労働審判に委ねてしまうという逃げ方を考えているのかな、とも思えます。労働審判であれば、実情に即して「カネをこれくらい払わせるからどうや」でいけますから、そっちで事実上金銭解決を図っていくというやりかた。それで納得せずに裁判に行ってしまったら、オール・オア・ナッシングで大負けするかも知れないので、みんな労働審判で決着を付けようとするようになる、という高等戦術とか。

これに対して、見出しになっている就業規則の不利益変更のルール化については、「労使の合意と従業員個人の意見が異なった場合には有効性を争うことができなくなる恐れがあるなど、労働側には、法案への明記が「就業規則万能主義」をもたらし、合理性の名のもとに労働条件の切り下げが合法化されないか、との声が強い」と記事は述べていますが、労働側の本音からすれば、労働組合の関与が明確に位置づけられることが最大の課題ですから、そのあたりの規定の仕方が争点になるはずです。

請負労務の歴史

昨日某企業からヒアリング。内容は現段階では一切書けませんが、大変勉強になりました。

現代福祉国家の再構築

連合総研の「現代福祉国家の再構築Ⅳ」研究会で報告した内容です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/gendaihukushikokka.html

ここのところ、同様の内容のお話しを続けていますが、今回は最近話題のデンマークモデル(解雇自由で失業手当が寛大で積極的雇用政策が手厚いゴールデントライアングルと呼ばれる)について、自分なりの解釈と位置づけを試みています。それが的を射ているかどうかはお読みになった上でご判断下されたく。

2006年11月20日 (月)

職場の暴力

ILOやEUでも最近関心を集めている職場の暴力ですが、面白い判決が最高裁のHPに載っていました。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20061116194703.pdf

これはユニクロの事件で、店長が店長代理をぶん殴り、会社も店長をかばって対応が悪かったのでPTSDになったと訴えた裁判です。この二人の間のトラブルは、原告が店長を挑発したりして、やや子ども喧嘩じみているのですが、その後労災だと主張する原告氏に管理部長氏が「いいかげんにせいよ,お前。おー,何考えてるんかこりゃあ。ぶち殺そうかお前。調子に乗るなよ,お前」と発言したりしているんですね、これは。判決は、PTSDは認めないのですが、妄想性障害に罹患したと認定、損害賠償責任を認めています。

新たなセーフティネット

麗しの未亡人namiさんのご紹介経由で、全国知事会・全国市長会がまとめた生活保護制度の見直し案が市長会のHPに載っていることを知りました。

http://akazawanami.blog73.fc2.com/blog-entry-49.html#more

http://www.mayors.or.jp/rokudantai/teigen/181025safetynet/index.htm

http://www.mayors.or.jp/rokudantai/teigen/181025safetynet/honbun.pdf

>「保護する制度」から「再チャレンジする人に手を差し伸べる制度」へ

というのがキャッチフレーズで、方向性としてはまさにウェルフェア・トゥ・ワークを目指したものになっています。すなわち、稼働世代(18-64歳)に対しては、適用期間を最大5年間とする有期保護制度にし、1年で脱却できた人にはまた貧困に陥ったときに残り4年分使えるようにするとか、月単位・日単位で何度でも使えるとか、家族支援や就労支援を充実する、特に福祉事務所と労働部門との一体的な連携を図るとか、さらにまたボーダーライン層に対しても、生活保護に移行することを防止する就労支援を行う、等々、近年のヨーロッパの動向をよく調べた上で、思い切った政策思想の転換を打ち出すものになっています。

もちろん、就労を前提できない人(重度障害者や65歳以上の高齢者)については別建ての制度ということになります。

昨年度からはじめられた自立支援プログラムの思想をさらに強く押し進めたものと言えましょう。細部の記述も大変興味深いものがあり、是非広く読まれることが期待されます。

クリスタル買収

ベートーベンの運命が戸を叩く音に乗って「くりすたるううー!」とやっていた偽装請負のクリスタルが、ジュリアナ東京を介護事業に乗り換えたグッドウィルグループに買収されたという記事が出ています。

http://www.asahi.com/business/update/1118/033.html?ref=rss

>グッドウィルは連結売上高2000億円に満たないのに対し、最大手ともいわれるクリスタルは同6000億円弱。「小が大をのむ」格好だ。

>同業他社の幹部は「クリスタルが身売りを急いだのではないか。製造請負で急成長したが、子会社が事業停止命令を受けた影響は相当大きかった」と説明する。

>クリスタルはすでに製造請負からの撤退を始めている。関係者によると、今後は技術系派遣などで立て直し、08年春の上場を目指すという。

ということです。実を言えば、グッドウィルも過去に偽装請負や違法派遣で改善命令を受けたりしているんですが、お行儀のレベルが違ったということでしょうか。

2006年11月18日 (土)

解雇の金銭解決案

日経新聞が一面トップででかでかと書いています。

http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20061118AT3S1701F17112006.html

「労働政策審議会(厚労相の諮問機関)の労働条件分科会が21日、解雇紛争の金銭解決を含めた労働契約法について具体的な議論を始める」って、そんな、もうとっくにさんざん議論はしているんですけど。

来週火曜日に、具体的な素案が提示されると言うことですね。前回、エグゼンプションについて、「自由」とかいう変なしっぽはついているものの内容的にはおおむねまともな方向を向いてきた素案が提示されましたので、今度は労働契約法制の方で素案が提示されるということです。まあ、契約法の方は、解雇の金銭解決など一部を除けばそれほど労使間で抜き差しならない対立になっているわけではないのですけど。

その金銭解決ですが、「補償金の下限を年収の2倍程度とすることで労使の理解を得たい考え」というところが新たな提案ですね。どんなに勤続期間が短くても、最低ラインとして年収の2年というのは、まあまあ妥当なところではないかと思います。

わたし的には、この間OECD雇用戦略会議の説明のところで述べたように、これが有期雇用契約の雇い止めにどこまで適用されるのかが重要な問題だろうと思っています。日本の非正規雇用において均等待遇が必要だとすれば、何よりもこの点だと思うからです。

2006年11月16日 (木)

ECJ有期労働判決の評釈

オックスフォード大学の『産業法ジャーナル』の最新号に、このブログでも紹介したECJの有期労働指令に関するいくつかの判決の評釈が載っています。

http://ilj.oxfordjournals.org/cgi/reprint/35/4/439

素材は、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/eu_3b38.html

で紹介したギリシアのミルク機構の事件と、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_2950.html

で紹介したイタリアの大学病院の事件です。

ザッパラさんはイタリアの事件に対する判決に不服のようで、イタリア政府は有期契約を濫用してはカネで解決しているからけしからんと言ってるんですが、しかし、これはイタリアが解雇を原職復帰が原則にしているために起こっている矛盾のような気もするので、なかなか難しいところです。

これがまさに日本の最近の国立情報研事件をめぐる問題圏とつながってくるわけですよ。雇い止め不当でも国家賠償しかできないというのがけしからんというのは、解雇権濫用の準用で原職復帰が唯一のルートになってしまっているからで、解雇も金銭解決が原則となれば、不当な雇い止めに金銭解決を出しやすくなると思うんですがね。

サービス指令案EPで最終可決

このブログでも何回か取り上げてきたEUのサービス指令案ですが、昨日(日本時間でいうと本日未明ですな)欧州議会で第2読が終了し、閣僚理事会における共通の立場に一切修正を加えることなく、そのままの形で可決したということです。

http://www.europarl.europa.eu/news/expert/infopress_page/056-12653-317-11-46-909-20061113IPR12540-13-11-2006-2006-false/default_en.htm

これは欧州議会のプレスリリースです。欧州議会の3大勢力たる欧州人民党(保守)、欧州社会党及び欧州自由党が全て賛成することで、この2年間EUを振り回してきた怪物フランケンシュタインならぬボルケシュタインが遂にとらえられたということになります。

今後に残された問題はいろいろありますが、労働社会問題からはやはり社会的公益サービスの問題がこれからどう議論されていくかが注目です。既に今年4月に社会的公益サービスに関するコミュニケーションが出され、来年末には社会的公益サービスに関する戦略文書が出される予定です。この問題もしっかりフォローしていきたいと思います。

2006年11月15日 (水)

プロセス的権利としての団結権

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20061115/p1#seemore

稲葉先生の憲法学のお勉強ノート、

ではあるのですが、労働関係者の目からすると、ここに出てくる人々の目には入っていないらしいある条項が気になります。

恐らくあっさり単純に非プロセス的権利でかつ非切り札的権利に分類されてしまうであろう、第28条です。

>勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。

それがどうしたの?と多くの人は言うでしょう。

実際、今の時期、これが直接役に立つのは、リストラされそうになった管理職氏があわてて合同労組に駆け込んで、団体交渉という名の個別交渉をするときぐらいでしょうから。

しかし、ある意味ではこれは政治的意思決定の仕組みを構築する規定でもあるのです。政治は大文字のいわゆる政治やさんのやる政治だけではありません。社会の至る所に政治はあります。少なくとも現代政治学はそういう政治観を持っています。

ところが、憲法学やその理論的根拠となるような法哲学の世界では、政治は依然として大文字の政治だけのようです。シビック・レパブリカニズムのいう「参加」はあくまでも大政治への参加であって、日常身の回りの政治への参加ではない。いや、ある意味では常に参加しているのだが、その参加の仕方の民主性とか立憲制という議論にはなっていかないのですね。

まあ、憲法でもこの20条台の後半あたりは、憲法学者があんまりまじめにやらないところですから、そういう視点が見落とされてしまうのも仕方がない面もありますし、日本以上にアメリカも労働組合の力がなくなっていますから、アメリカの動向に敏感な憲法学でそんなものが夾雑物扱いされるのもやむを得ない面もありますが、ヨーロッパだと少しその辺の感覚が違うような気がします。少なくとも、ここ数年来EU憲法条約の動きを追いかけただけでも、その違いは感じられます。

そんな話をして何の意味があるのかとご不審ですか。いや大変あるのですよ。労働契約法制や労働時間法制をめぐる問題の恐らく一番根っこのところを手探りすれば、そういう問題が出てくるはずなのです。

どなたかメールを頂きましたでしょうか

毎日、山のようなスパムメールをざくざくと削除していたため、ついまともなメールまで一緒に捨ててしまったようです。

昨日から今日にかけて、私のNIFTYメールアドレス宛に「サービス指令案」についてメールを頂いた方がおられましたら、まことに申し訳ありませんが、今一度お送り願えればと存じます。

パート厚生年金は正社員並み時給が条件?

読売の記事ですが、

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20061114ia24.htm

「与党は14日、厚生労働相経験者らで作る「与党年金制度改革協議会」の会合を開き、パート労働者への厚生年金適用拡大について、従来の「週20時間以上」という労働時間の条件に加えて、〈1〉勤続期間が一定以上〈2〉時給水準が一定以上――などの条件を設け、対象を絞り込むことを決めた」「厚生労働省は年内に厚労相の諮問機関「社会保障審議会年金部会」を開き、関連団体などから意見を聴取したうえで、条件を具体化する考えだ。」ということで、本格的に動き出したようです。こういうのを官邸主導っていうんでしょうかね。

ただ、その中味をちらと見ると、なんだかよく分からないところがあります。曰く、

>現行制度では、勤続期間に関する厚生年金の適用の条件は「2か月超」となっているが、パートへの適用拡大に際しては、半年から3年程度とする方針だ。このほか、時給換算で正社員並みの給与をもらっていることなども適用条件にする方向で調整する。

雇用保険の方は、週20-30時間のパートも勤続6ヶ月でフルと統一する方向なのですが、そこは違わせるのですね。まあそれはいいとして、よく分からないのが次の「時給換算で正社員並みの給与をもらっていること」。逆にいうと、正社員並みの時給でなければ厚生年金には入れないということでしょうか。正社員並みの時給ってどういうことかしらん。初任給で見るの?勤続年数で見るの?そもそも正社員はジョブ型労働市場ではないのだから、あんまり意味のない概念を持ちだしているように思われるのですが。

それとも、正社員にも同一労働同一賃金を導入し、職務給に転換するための深謀遠慮としてこういう条件を持ち出してきているのか知らん。労働ビッグバンの突破口?

いずれにしても、「雇用情勢の悪化で正社員になりたくてもなれず、パートのまま正社員並みに働く若者も少なくないため、社会保険の適用対象として格差是正を図る狙いがある。パートへの年金適用の拡大は、安倍首相が進める再チャレンジ推進の政策の柱となる」という位置づけはよく分かるのですが、非正規労働総体をどう認識し、どういう方向に持っていくべきと考えるのかというレベルの議論を、一度きちんとやった方がいいように思われます。

2006年11月14日 (火)

グループ内出向はOK

請負労務関係の話題ですが、西日本新聞に「偽装請負解消へ100人出向 安川電機の対応合法 厚労省 グループ内交流と判断」という記事が載っています。

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/economics/20061110/20061110_007.shtml

松下プラズマディスプレイと同じように、偽装請負状態を解消するために請負会社に自社社員を出向させたケースなのですが、こちらは「職業安定法が違法と定める労働者供給事業には当たらない」と判断し、合法だと認めたのですね。

これに対して、松下プラズマディスプレイの場合は「請負会社がグループ外だったことから、厚労省は同社に是正指導しており、請負会社がグループ内外かで判断が分かれた格好」です。

その理由は、グループ内の出向は「人事交流の一環と見なせる」ということです。前にもこのブログで書きましたが、出向というのは、法形式的には労働者供給以外の何者でもないんですね。ではなせ職安法違反にならないかというと、「事業」じゃないから。

じゃあ、どういう場合が事業じゃないのかというと、こういうときには必ず業務取扱要領をひもときましょう。

http://www.mhlw.go.jp/general/seido/anteikyoku/jukyu/haken/youryou/dl/1.pdf

>在籍型出向は労働者派遣に該当するものではないが、その形態は、労働者供給(5)参照)に該当するので、その在籍型出向が「業として行われる」(3の(2)参照)ことにより、職業安定法(昭和22年法律141号)第44条により禁止される労働者供給事業に該当するようなケースが生ずることもあるので、注意が必要である。

>ただし、在籍型出向と呼ばれているものは、通常、①労働者を離職させるのではなく、関係会社において雇用機会を確保する、②経営指導、技術指導の実施、③職業能力開発の一環として行う、④企業グループ内の人事交流の一環として行う等の目的を有しており、出向が行為として形式的に繰り返し行われたとしても、社会通念上業として行われていると判断し得るものは少ないと考えられるので、その旨留意すること(3の(2)参照)。

つまり、請負労務がグループ企業によって行われている場合には、そのグループ内企業に親会社の労働者を出向させることは「労働者供給事業」には該当しないので、その出向労働者に請負会社の労働者を指揮命令させることは可能であるということになります。

これは、じつは古典的な構内請負企業、昔ながらの言い方では協力会社の社外工といわれる労働力編成でよく用いられるやり方なんですね。

偽装請負問題が近年大きな問題になったのは、クリスタルなど全く独立系の企業がもっぱら労働力を切り売りする形で請負事業を急拡大していったからなんでしょうね。

麻生外相罷免要求を支持?

労働法政策とは関係ありませんが、連合が「麻生外務大臣に対する罷免要求を支持する談話」なるものを出しているので、ちょいと斜め脇からコメントしておきます。

http://www.jtuc-rengo.or.jp/news/danwa/2006/20061110_1163154372.html

私は、労働組合が政治活動するのは当然だと思っています。政治とは価値の権威的配分の技術であり、労働者が価値をより多く獲得するために政治的ルートを活用するのは何ら不思議なことではありません。

ただ、労働組合の政治活動の目的は労働者の利益に貢献することだという出発点からあまり離れない方がいいと思うのです。政党というのは、特定の政治的イッシューだけを取り扱うわけではありません。労働者の利益と直接関係のないテーマについて、あまり変に深入りしておつきあいするのは如何なものか、と思うわけです。

この麻生外相罷免要求を支持するなんていう談話は、別に言わなくてもいいのに、という感じです。ろくに労働者の利益のことを考えてくれない民主党の政局狙いの振る舞いに義理立てすることもないんじゃないかと思うのですがね。

いやいや、核廃絶こそ労働者の利益だと仰いますか。そこは人によってさまざまな考えのあるところだと思いますが、少なくとも、民主党の幹部連中よりは遙かに「中道左派」のエマニュエル・トッド氏が、朝日の記者に核武装論を説いていますよ。

http://www.asahi.com/column/wakamiya/TKY200610300159.html

権丈先生キャンペーンに乗り出す

権丈善一先生の「勿凝学問」シリーズの最新作、「サッチャリズムを手本とする四半世紀遅れの日本と今日のイギリスとの比較政治経済研究はどうだろうか?――卒論テーマに悩んでいる3年生へ――」がアップされています。

http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/korunakare52.pdf

今度は、「政治家もすなるキャンペーンというものを、いち大学人もしてみんとてするなり」というわけで、かなり強烈に現政権批判が打ち出されています。

>医療をどうしても変えたいのであれば、雨が降ろうが槍が降ろうが、はたまた空からテポドンが降ってこようが、今日の医療崩壊に手を打とうとしない政党には拒否権を発動するしか方法はありません。今展開されているのは、教育改革と社会保険庁解体で、その背後にある組織を抵抗勢力に仕立てあげて来年の参議院選をなんとか乗り切ろうという安っぽい政治戦略のように、わたくしにはみえます。こういう安っぽい戦略に騙されて、来年7月の参議院選で、選挙当日に今日の医療崩壊を認めていない政党に思わず一票を投じないことです。与党であれ野党であれ、長年の医療費抑制のためにいろいろな面でおかしくなっている医療を直視しない政党を、他の理由ででも支持してしまったら、それで終わり。議員さんと握手をしたとか、息子の就職でお世話になったという理由で投票してもダメです。無記名投票ですから、お子さんの就職でお世話になるのは構わないと思いますが(笑)、今日の医療問題に取り組もうとしない政党を選挙で支持をしていては、医療は変わりません。選挙の後に医療がどんなに酷い目にあったとしても、後の祭りというのが、間接民主主義というものなのです。

その後に、卒論のテーマとして、「イギリス新自由主義の変容と政策選択のコストベネフィット分析」「サッチャリズムを手本とする四半世紀遅れの日本と今日のイギリスとの比較研究」というのは如何かな?と学生に呼びかけています。

以下は新聞の切り抜きですが、一言一言が日本の政治家に対する皮肉になっています。

>「国民保健サービス(NHS)の創設は、20世紀で最も偉大な成果のひとつだ」

>キャメロン氏は今後の政策づくりの流れを決める党大会で、守旧派が求める大幅な減税要求をはねのけ・・・

>。「小さな政府」「減税」の保守党という古いイメージを変えることで、09年に想定される次期総選挙で4期ぶりの政権奪還を目指す姿勢を明確にした。

>右派から高まる減税公約要求を「空手形は切らない」と拒否。「我々は昔の保守党には戻らない」とも語った。

>労働党が得意としてきた福祉政策に取り組む姿勢も明確にした。一方で、伝統的な党の基本政策だった減税については「守れない約束をすることは出来ない」と言明した。

2006年11月13日 (月)

長時間労働をどう抑制するか

ホワエグばかりが注目されてしまっている労働時間法制ですが、もう一つの大きな柱は「長時間労働の抑制」のはずなんですね。

水口さんが10日の労政審労働条件分科会に提示された素案の前文をアップしてくださったので、そっちの方にも若干のコメントをしておきます。

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/files/roudouzikan06y10.pdf

一言でいうと、なんだかまだ割増賃金にこだわっているんだなあ、という印象です。(時間外労働の限度基準の関係で)「特別条項つき協定では割増賃金率も定めなければならないこと及び当該割増賃金率は法定を超える率とするよう努めることとしてはどうか」とか、「法において、限度基準で定める事項に、割増賃金に関する事項を追加してはどうか」とか、「労働者の健康を確保する観点から、一定時間を超える時間外労働を行った労働者に対して、現行より高い一定率による割増賃金を支払うこととすることによって、長時間の時間外労働の抑制を図ることとしてはどうか」と、割賃割賃とそれしかないのかと言いたくなるくらい割賃のオンパレード。

しかし、そもそも割賃を上げれば長時間労働が抑制されるかどうかという根本のところが全然明らかではない。ノンエグゼンプトの場合でも、割増があるからもっと残業しようという誘因にもなるわけですし、エグゼンプトの場合は直接関係はない。エグであろうが、ノンエグであろうが、長時間労働は労働者の健康上大変問題だから何とかするべえ、というところから出発するのであれば、労働時間そのものを何らかの形で規制するという方向しかないのではないかと思われるのですが、それはいやなんですね。なんだか、物理的労働時間をいじることはタブーみたいに考えているような印象さえ受けます。しかし、そもそも労働時間規制とは物理的時間の規制以外の何者でもないんですがね。

昨年の安全衛生法の改正で、長時間労働は明確に安全衛生上のリスクとして位置づけられ、月100時間以上の時間外労働は医師の面接が必要な危険な労働であるという風に明確にされたわけですから、これを超える時間外労働については、現在の36協定で予め定めておけばあとは何にもしなくてもいいんだよ、という仕組みを再考するという考え方は特に変なものではなかろうと思われるのですが。今回のホワエグ関係のところで月80時間という基準が提示されましたが、まさか「管理職の一歩手前は月80時間」だけれど、その下のぺーぺーは月100時間などという莫迦なことはないでしょうから、これはみんなの話だと思うんですが、月80時間を超えることになるところで、医師の判断を含む特別の手続を要求し、それをクリアしなければそれ以上の長時間労働はダメよ、というやり方も考えられるはずです。私も結構長時間労働してきた口なので、一律にこれ以上はダメよとやられると仕事が回らんぞい、と言いたくなる気持ちはよく分かるところがありますが、それにしても、いつまでも割賃だけで長時間労働対策を考えるという弊習はそろそろ脱却した方がいいのではないかと、これは本気で思っています。

EUにおける年齢差別禁止への取り組み

金属労協(IMF-JC)の機関誌である『IMFJC』の秋号に、標題の文章を書きました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/imfjcnenrei.html

これは、「エイジフリー社会と雇用」という特集の一つです。

自由度の高い働き方にふさわしい制度の具体的内容

金曜日のエントリーの続きです。土曜日に水口洋介さんのブログに、この制度の素案の文言がアップされました。今のところ厚生労働省も連合もHPに出していませんが、今までの経緯からして、間違いなくこの文言で提示されたのだろうと思います。

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2006/11/1110_f76a.html#more

これを読んで、私がまず感じたことは、標題の「自由度の高い働き方にふさわしい制度の創設」というのを除いて、自律だの自由だのといったふわふわ語が姿を消しているということです。対象労働者の要件は、

ⅰ 労働時間では成果を適切に評価できない業務に従事する者であること
ⅱ 業務上の重要な権限及び責任を相当程度伴う地位にある者であること
ⅲ 業務遂行の手段及び時間配分の決定等に関し使用者が具体的な指示をしないこととする者であること
ⅳ 年収が相当程度高い者であること

とされています。つまり、業務内容自体の決定自体については使用者の具体的な指示が行われるような労働者であるということですね。そういうのを「自由度の高い働き方」というのかね、という気がしますが、逆にいうと、標題に目をつぶると、いわゆる総合職の上層部に相当する働き方である、といっていいように思います。

週休2日の義務付けはこういう書き方です。

① 労使委員会は,次の事項について決議しなければならないこととしてはどうか。
ⅲ 週休2日相当以上の休日の確保及びあらかじめ休日を特定すること
(3) 制度の履行確保
 ① 対象労働者に対して,4週4日以上かつ一年間を通じて週休2日分の日数(104日) 以上の休日を確実に確保できるような法的措置を講ずることとしてはどうか。

恐らくこのこころは、労働時間規制は(残念ながら理屈は通らないのだけれども)外してしまうので、その代わりに休日規制をぐぐっと厳格にして、1年365日のうち約3分の1近くは休んでいるようにしよう、という発想なのでしょう。

ただ、ちょいと気になるのは、本質的には自由じゃない働き方なんですから、この制度の対象者じゃない人が週休1日で働いているのに、あるいは休日出勤して働いているのに、エグゼンプトさんが休めるんだろうか、ということです。ここには具体的なイメージは出てきませんが、以前は「管理監督者の一歩手前」といっていましたよね。すっごく具体的に言うと、係長や係員に土曜出勤させといて、課長補佐が俺はエグゼンプトだから出勤しちゃいけないんだといえるんだろうか、と。現実にはそういう風にはやれないんじゃないかな、と経験からすると思うわけです。

労働側にホワエグを呑んで貰うためにいかにも厳しそうな案を出すというのは、割賃の時と同じような気がします。仮にこういう制度設計で法律を作ったとしても、実際に動き出すと「こんなんじゃ動かない」という悲鳴が続出して、規制改革サイドからまたぞろ攻撃を受けて、結局ここは緩和するという話になってしまうような感じがします。

もう一つの健康福祉措置はこれです。

② 健康・福祉確保措置として,「週当たり40時間を超える在社時間等がおおむね月80 時間程度を超えた対象労働者から申出があった場合には,医師による面接指導を行うこと」を必ず決議し,実施することとしてはどうか。

これはすなわち、本制度は労働時間規制の適用除外であるとはいいながら、週40時間を超える在社時間をきっちりと把握し、それに基づく(ある意味でパターナリスティックな)行為をしなくちゃいけないと言うことですね。これは、経営法曹会議の明敏な弁護士の方が既に指摘しておられたように、管理職だろうがホワエグだろうが、安全配慮義務から逃げられるわけではない、ということからすれば当然のことではありますが、それを面接指導の要件という間接的な形で規定しようというところが、直接規定できないつらさの現れということになるのでしょう。

アメリカのホワイトカラーエグゼンプションにも存在しない、物理的労働時間の規制それ自体の包括的な適用除外という制度を、日本の法体系の中に無理に持ち込もうとするからこういうことになるんだ、と私は思うのですが、閣議決定で方向が決まっている中での最大限の工夫が凝らされた案と考えれば、事務局サイドからの案としてはこれがぎりぎりなのかなという気もします。

あとは労使の側が工夫を凝らすべき順番ですよ。

パートの厚生年金加入拡大

今までこのブログでも何回か取り上げてきて、そのつどホンマかいな、ガセかいな、と右往左往してきた話題ですが、産経が「政府・与党は11日、厚生年金加入が義務付けられるパート社員を「労働時間週30時間以上」から「週20時間以上」に拡大する方針を固めた」と報じています。

http://www.sankei.co.jp/news/061112/sei000.htm

「14日に与党年金制度改革協議会で細部の検討をスタート、来年の通常国会での厚生年金保険法の改正案提出を目指す」というのですから、与党サイドではそういう方向で一致しているということなんでしょうか。

問題意識としては、「安倍政権は「格差拡大批判」が強まる中、リストラや就職難で中高年男性や若者のパートが急増、17年には1266万人に上ったことへの危機感が強い」ということのようなので、まさに「安倍内閣が打ち出した「再チャレンジ支援」の一環」ということになるんでしょう。

前回の2004年改正時の失敗との関係については、「当時と比べ、正規と非正規雇用者間の待遇格差解消を求める声は強い。景気回復に伴い、企業に余力が生まれ、「拡大の環境が整った」(自民党幹部)とみている。・・・ これに対し企業側は、「改革は避けられない」(外食産業関係者)としつつ、税制上の優遇措置などを求めている。このため、政府・与党は、中小企業や、パートの比率が高い業種には、猶予期間を設けるなどの激変緩和策を検討。・・・ さらに、前回は、パートの人たちに、制度改革のメリットが伝わらなかった」(厚労省年金課)との反省から、新制度では、保険料本人負担額の増加分より、老後に受け取る年金額の増加分が大きくなるなどの試算を積極的に公表、理解を求める」のだそうです。

2006年11月11日 (土)

雇用保険の国庫負担

産経に、財政審が22日にする予定の建議がリークされています。

http://www.sankei.co.jp/news/061111/kei001.htm

案の定、「失業給付に関する雇用保険の国庫負担の全廃や、生活保護の母子加算について、廃止の必要性を明記」しているようです。まあ、それは想定内のことですが、同じ産経の別の記事に

http://www.sankei.co.jp/news/061110/sei012.htm

厚生労働省が雇用保険の財政状況を試算したという記事もあって、これが「雇用情勢が最悪で国庫(税)負担が廃止されても、23年度には積立金がなお1兆9000億円残る」というんですね。

なんだか、財務省に塩を送るみたいな試算ですが、2000年以降急激に保険料率を上げたことが効いているんでしょうね。

とはいえ、余分に金を取られている形の労使の方は、保険料をそのままで国庫負担だけなくされたんでは、「労使に多大な負担を強いた結果の保険財政にすぎない」(日本経団連)、「国庫負担の削減は認められず、まずは保険料率を引き下げるべき」(連合)などと反発している」というのも無理からぬところです。

で、厚生労働省としては、お得意の足しで二で割って、国庫負担を半分にするというところで手を打とうということのようなんですが、さてどうなりますことやら。

http://www.asahi.com/politics/update/1111/005.html

「厚生労働省は10日、失業給付にあてる雇用保険の国庫負担を来年度から半減させる方向で検討に入った。」

「財務相の諮問機関の財政制度等審議会は国庫負担廃止を求めているが、厚労省は雇用政策に対する国の責任を果たす観点から全廃には応じない考え。」

「国庫負担の大幅削減には労使から「いっそうの保険料引き下げで還元すべきだ」との異論が出るとみられ、削減額の確定は年末までもつれこみそうだ」

だそうです。

2006年11月10日 (金)

自由度の高い働き方にふさわしい制度

朝日の記事に、今日の労政審労働条件分科会に提示された素案が載っています。

http://www.asahi.com/life/update/1110/008.html

事前リークらしく、現時点ではまだ厚労省のHPにも連合のHPにもものは載っていませんが、おそらくこういう中身で提示されたんでしょう。

詳しい分析はものが出た段階で改めてやりたいと思いますが、とりあえず何点か。

まず、名称が今度は「自由度の高い働き方にふさわしい制度」だそうです。「自律的」が消えたのは結構ですが、こっちも大してニュアンスは違わないですね。そういう問題じゃないと何回言っても、そういう問題にしてしまうんですね。

ただ、名称はともかく、制度設計にはいささか工夫の余地らしきものがあります。そもそもこの制度は「時間ではなく成果に応じて賃金を支払う制度で、対象者は残業代の規制から外れる」と書いてある。素案の表現がどうなっているのかよくわかりませんが、もしこういう表現であるのなら、それは正しい方向でしょう。また、対象者として、「(1)労働時間では成果を適切に評価できない業務に従事(2)業務上の重要な権限や責任を相当程度伴う地位にある(3)年収が相当程度高い――などの条件を列挙。具体的な年収水準は、素案段階での明示は見送り、今後の労使の協議に委ねた」と書いてありますが、これも適切な基準でしょう。

さらに、「同制度には過労による健康被害を懸念する声が強いことから、対象者の休日を週2日以上とすることを企業に義務づけ、適正に運営しなかった企業には改善命令や罰則を科すなどの内容を盛り込んだ」ということです。健康確保が大事だという発想は正しい方向ではあるのですが、しかし、考えてみると、これって変な話です。だって、エグゼンプトじゃない普通の労働者の法定休日は週1日なんですよ。普通の労働者よりも「自律的」な、いや今度は「自由度が高い」か、何でもいいけど、自由なはずの労働者が、週2日休まなければいけないとより強く拘束されるってのは、なんだか転倒していませんかねえ。労働時間規制を外すという最初の設計から抜けられないままに、健康確保を労働時間規制でやろうとすると、休日規制だという話になってしまうんでしょうが。

これとともに提示されている「本人の申し出による医師面接を義務づけている労働安全衛生法の規定を、月100時間の残業から80時間程度に引き下げる」というのも、過労死促進法だという批判に答えるためのものなんでしょうね。

一方、経営側から完璧にスカンを食らった割増賃金の引き上げについては、「健康にかかわるような「長時間労働者」に限るなどと後退した」ということで、事実上撤退です。

中学生を違法派遣

何のことか?と思われたかも知れませんが、人材派遣会社が中学生の男女22人を佐川急便に派遣していたという話です。

http://www.asahi.com/national/update/1110/NGY200611100009.html

「中学生らは年齢を偽って登録していたといい、佐川急便側は「身長が170センチを超える子もいて、若いフリーターと見分けがつかなかった」と話している」とのことですが、さて、「違法派遣」という見出しなんですが、厳密に言うと労働者派遣法違反というわけではない。

何の違反かというと、労働基準法第56条、最低年齢の違反なんですね。同条は原則として「使用者は、児童が満十五歳に達した日以後の最初の三月三十一日が終了するまで、これを使用してはならない」としていますが、「前項の規定にかかわらず、別表第一第一号から第五号までに掲げる事業以外の事業に係る職業で、児童の健康及び福祉に有害でなく、かつ、その労働が軽易なものについては、行政官庁の許可を受けて、満十三歳以上の児童をその者の修学時間外に使用することができる。映画の製作又は演劇の事業については、満十三歳に満たない児童についても、同様とする」と規定しており、中学生の就労も一部認めています。

ただ、この「第五号」が「ドック、船舶、岸壁、波止場、停車場又は倉庫における貨物の取扱いの事業」ですから、中学生が佐川急便で就労するのは全面的に禁止のはず。

ところが、これは労働者派遣ですから、違反しているのは派遣会社のABCサービスであって、佐川急便ではないんですね。少なくとも、派遣法第44条で派遣先にも責任が負わされる条項ではない。それどころではありません。労働者派遣事業関係業務取扱要領をご覧下さい。

http://www.mhlw.go.jp/general/seido/anteikyoku/jukyu/haken/youryou/index.html

派遣先は派遣労働者を特定することを目的とした行為をしてはいけないんですね。具体的には「派遣先は、紹介予定派遣の場合を除き、派遣元事業主が当該派遣先の指揮命令の下に就業させようとする労働者について、労働者派遣に先立って面接すること、派遣先に対して当該労働者に係る履歴書を送付させることのほか、若年者に限ることとすること等の派遣労働者を特定することを目的とする行為を行わないこと」「例えば、派遣労働者を35歳未満の者と限定することや男性(女性)と限定することも、当該規定に抵触するものである」とされています。

さあ、困った。佐川急便は「身長が170センチを超える子もいて、若いフリーターと見分けがつかなかった」と言い訳しているんですが、それでは身長の短い子に「お前は厨房じゃないか」ということも下手すると派遣法違反になるかもしれないですね。

さらに、年齢による差別的取扱いは禁止されていますので、「派遣先が派遣元事業主に対し派遣労働者の年齢を指定し、また、年齢制限を設けて募集、採用するよう要請する行為は、派遣労働者を特定することを目的とする行為を行っているものと解され、認められないこと」とされ、例外的に「ただし、年齢指針第三の「年齢制限が認められる場合」の九及び十に該当するケースについては、例外的に派遣先が労働者派遣に際し派遣元事業主に対し、年齢の限定を行うことが認められると解して差し支えないが、この場合には、年齢指針第三の考え方に準じ、派遣元事業主に対し年齢制限の理由について説明して初めて年齢の限定が認められることに留意すること」とされています。この年齢指針の「九」が労働基準法等による就労制限ですので、年齢制限は「やってもいい」ことにはなりますが、ちゃんと理由を説明しないといけないんですね。

いずれにしろ、中学生を雇っていたのは派遣会社ですからそっちの責任には違いないのですが、問題は、どの業種の派遣先に派遣するかで、それが違法なのか、合法なのかが変わってくるということです。中学生はみんなお断りという対応をするわけにはいかないのですよ。それは年齢差別になる可能性がありますからね。

という風に、ちょっと考えただけでもいろいろと妙ちきりんな問題がいろいろと出てきます。派遣法を作るときにはこういうことはあんまり考えなかったんでしょうねえ。

残業代11.6兆円の横取り?

いくつかの新聞でも報じられていますが、全労連系のシンクタンク労働運動総合研究所(労働総研)が、「残業代11.6兆円の横取りを法認するホワイトカラー・エグゼンプション」という発表をしています。

http://www.yuiyuidori.net/soken/ape/2006_1108.html

ここでも、反対の第2の理由として「健康破壊・過労死を急増させる」というのが上がっていて、これはここでさんざん論じてきたことですから省略します。問題は第1に上げられている「賃金横取りの法理だからである」というのが正しいと言えるかどうかです。

ここでは試算の中味は論じません。「ホワイトカラー・エグゼンプション」の導入は、大企業による労働時間と賃金の大幅な横取りを、政府が法制度改悪によって支援するものであり、近代的労働契約を破壊することにつながる」というロジックがどこまで正しいのか、という点だけを簡単に論じます。

労働契約は労務の提供とその対価としての報酬の支払いの合意によって成立します。報酬をいくらにするかというのは、私法上は自由です。何の制約もありません。また、提供する労務の量をどれくらいにするかも、契約当事者の自由です。私法上は何の制約もありません。それが「近代的労働契約」の出発点です。

しかし、これらを全く私的自治のみに委ねると、労働サービスの特殊性等からくる労使の交渉力の格差のために、社会的に好ましくない結果をもたらす危険性があり、そのため、最長労働時間や最低賃金を設定するという形で、公共政策としての法的介入が行われます。これは、本来的には公法的規制ですが、同時に労働契約自体をもそれに合わせて書き換えてしまうという効果を持ちます(細かく言うと、場合によります)。

ここまでは公法的労働法規制の話ですね。この最低基準を上回る部分については、労使自治ということになりますが、その際、労働者側の交渉力の弱さを補うため、労働組合等の集団的な取引によってよりよい労働条件を勝ち取るということが行われます。その中味自体には公共政策は介入しませんが、そういう枠組みを維持すること(集団的労使自治)には一定の法的介入があり得ます。これは修正された私法的枠組みですね。

何だよ、労働法のイントロみたいな話ばっかりして、早く中味にはいれって?

いやいや、これが大事なんですよ。労働総研さんが「横取り」だというこの残業代は、法的性質としてはどちらに属するのか、属するべきなのか、というお話しなのです。

もちろん、現行労働基準法を前提にすれば、答は明らかです。年収1000万円であろうが、2000万円であろうが、週40時間を超える労働時間に対応する部分の割増賃金の支払いは、公法上の規制であり、それを払わないことは刑事罰の対象になる違法行為です。たとえ、労働者が使用者との間で、「40時間を超えても残業手当はいらないよ」というオプトアウトを合意していたとしても、それは否定されてしまいます。

しかし、本当にそれでいいのかね、という疑問は生じ得ます。なにより、公法上の規制が正当化されるものは、普通は、最長労働時間規制とか最低賃金規制とか、さまざまな安全衛生規制とか、いずれも一律に最低基準を設定して、それ以下はダメよ、というものなんですね。ところが、労基法37条の定める「最低基準」は実は「最低」と言えるかどうか大変疑わしい。だって、時給800円のアルバイトにとっては、時間外1時間につき1000円が「最低」なのに、年収1000万円の非管理職エリートサラリーマンは、時給換算すると大体4000円ですから、時間外1時間につき5000円が「最低」ということになる。そんな「最低」ありかね?と、普通の感覚を持ってる人だったら思うのではなかろうか、というのが、まあこの問題の一つの出発点なわけです。

いや、もちろん、労使間で「時給4000円だから時間外やったら1時間につき5000円ね」という契約を結び、それに基づいて賃金を支給する分には何の問題もないのです。しかし、それとは異なる合意を結ぶことを、管理監督者でないという理由だけで全面的に否定してしまうことが、労働法規制を正当化するだけの公共政策上の正当性があるのだろうか、という点が問題なのです。

実を言えば、実体的労働時間規制には大変厳しいヨーロッパ諸国でも、時間外手当については全く集団的労使自治に委ねているか、法律で定めていても労働協約で例外を設けることができるとしている国が大部分です。要はカネ勘定の話ですから、労使で決めてね、ということですね。

最近このブログで取り上げているEU労働時間指令も、時間外手当については一切何も規定していません。カネ勘定には関係ないのです。ですから、病院の医師や看護婦等の待機時間の問題も、(もしかしたら多くの読者の方が誤解しているのかも知れませんが)待機時間の分まで賃金を払わなければならないことが問題なのではありません。それだけの話だったら、要は病院で寝ている時間の分まで予算を計上すればいいだけの話です。カネはかかりますが本質的に困難な話ではない。

そうではなくって、EU労働時間指令とは物理的労働時間規制なのですから、要は病院で夜中に寝るために余分に医師や看護婦を雇わなければならないという、そういう問題なのですよ。だからあれだけ大問題になっているのです。誤解してはいけません。

公務員にスト権を!

といってるのは誰でしょうか?

共産党? ブー、

社民党? ブー、

民主党? ブー、

実は自民党です。

来年夏の参院選の公約に、「公務員にスト権を!」というのが入るそうですよ。

http://www.sankei.co.jp/news/061110/sei001.htm

>自民党は9日、来年夏の参院選に向けて「公務員制度改革」「社会保険庁の解体」「教育再生」の3項目を重点公約に据える方針を決めた。公務員制度改革では、公務員に争議権など労働基本権を付与することを盛り込む。一方では、民間並みの合理化や天下り規制の強化を進める方針で、参院選をにらみ、官公労組に支援を仰ぐ民主党との対立軸を鮮明にする狙いがある。

もう20年も前に労働省に入って、森山欽次先生がご健在だった頃の自民党労働問題調査会の雰囲気も知っている古くさい人間からすると、驚天動地という感じですが、そういう時代なんですなあ。

ここは是非民主党に「公共サービスに一瞬の停滞も許されない、公務員にスト権などとんでもない」と断固対決路線をとっていただきたいですなあ。

2006年11月 9日 (木)

業務請負企業労働者の過労自殺と使用者責任

有斐閣から出ている『ジュリスト』の最新号(1323号)に、私の判例評釈が載っています。

http://www.yuhikaku.co.jp/jurist/

事件はアテスト(ニコン熊谷製作所)事件です。今話題の限りなく偽装請負に近い奴ですね。ちなみに、このブログでもこの事件に若干言及したことがあります。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_a065.html

なお、これは一般書店で販売されている雑誌なので、当分HP上に原稿は掲載しません。普通の大学や図書館にはおいてあるはずです。

女性労働者と男女差別

11月7日のエントリーの続きです。

「日本の労務管理」講義案の13回目「女性労働者と男女差別」です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/joseirodosha.html

ま、これくらい読んでから来てくださいね。

いよいよ待機時間で提訴か

昨日のエントリーで書いたように、EUの雇用社会相理事会は今回も労働時間指令の改正について合意に達することができませんでした。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/eu_9763.html

この結果、加盟国の大部分が例の夜間の待機時間の関係で指令違反状態に陥っていることが当分解消される見込みがなくなりました。

業界紙によると、欧州委員会のシュピドラ雇用社会政策担当委員は、加盟国中23カ国に対して指令違反を理由として欧州司法裁判所に提訴せざるを得なくなった、と語ったようです。

http://www.euractiv.com/en/socialeurope/working-time-deal-eludes-ministers/article-159493

彼曰く、フランスを先頭とする何が何でもオプトアウトは廃止するぞ派に対して、労働時間を短縮するという名目の下で、旧来のルールをそのまま保持することになってるじゃないか、なんてパラドックスだ。

実際、イギリスの新聞は、イギリスがオプトアウトを守ったぞ、みたいな記事を書いている。

http://www.ft.com/cms/s/4027a330-6e9c-11db-b5c4-0000779e2340,dwp_uuid=70662e7c-3027-11da-ba9f-00000e2511c8.html

だけどね、これは100点満点じゃなくっちゃ80点じゃ認めないとフランスなどが頑張ったから、50点のイギリスがそのまま許されちゃったってことなんでね。

しかも、そのおフランス様は、待機時間では真っ先に提訴される脛に傷を持つ身なんだけれどね。

提訴するってことは、実は欧州オンブズマンの勧告が9月20日に出されていて、やらなくちゃいけないんですね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_fd09.html

それを、いやいやもうすぐ理事会で指令改正に合意するから、ちょっと待っててね、と先延ばししていたのですが、こうなったらもう指令違反なんだから提訴するしかない、ってわけです。

2006年11月 8日 (水)

ホワイトカラーエグゼンプションの建前と本音と虚と実と

労働調査協議会というところから出ている『労働調査』という雑誌の10月号に、標題の文章を書きました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/rodochosaexempt.html

このブログを継続的に読んでおられる労働関係に関心を持つ皆さんにとっては、いまさら的な中味かも知れませんが、今回はちょいと尻をからげる感じで、「建前論はやめて本音でやろうぜ」「虚の議論はやめて実の議論にしようや」と語りかけています。

特集に寄稿しておられるのは、ほかの3人はいずれも組合関係者で、連合の長谷川裕子さん、情報労連の永井浩さん、電機連合の成瀬豊さんです。ちなみに、特集の題名は「ホワイトカラー・グゼンプションの課題」で、このお三方の文章もいずれも「グゼンプション」となっています。私だけ「グゼンプション」なのは、別に深い意図はありません(発音でいえば、「グゼンプション」の方が近いのでしょうが、原語の表記が「exemption」なので、例えば「ignoble」(イグノーブル)とは区別したいという気持ちはあります)。

EU労働時間指令改正またも挫折

このブログの本来の読者層の皆さんにとって関心のある話題、EU労働時間指令改正案の行方ですが、結論から言うとまたも挫折したようです。

http://www.consilium.europa.eu/ueDocs/cms_Data/docs/pressData/en/lsa/91539.pdf

フィンランドの提案は、オプトアウトは恒久的に認めるけれども、週60時間までという上限を付けるなどそれなりにリーズナブルなものだったんですが、フランスなどオプトアウトを終わらせろ派5カ国が頑強に反対し、遂に合意に達しなかったようですね。

もともと安全衛生を根拠に作られた指令なんだから、週60時間なら御の字ではないか、などというと、フランス人から怒られるのかな。

しかし、EU25カ国中23カ国までが、例の夜間の待機時間で指令違反状態を続けているという状態にもかかわらず、こうやってチキンゲームをやってられるんですねえ。

足立区の方針転換

あれれ、足立区さん、もう方針転換ですか?

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061108i501.htm?from=main5

>学力テストの結果などから小中学校を分類し、来年度からの予算配分に反映させる方針を決めていた東京都足立区教委は7日、この方針を撤回することを明らかにした。

「区教委は来年度から、都と区が毎年実施している学力テストの平均点や学校の経営計画などをもとに、区立の小学校と中学校をABCDの4段階に分類。これに応じ、外国人講師を招くなど各校が独自に取り組む「特色づくり予算」について、1校あたり200万~500万円と格差がつくように査定する方針を明らかにしていた。しかし、方針が明らかになった先週末以降、「学校の序列化につながる」などと批判するメールや電話が、区に100件以上も殺到。内藤博道教育長は7日の区議会で、「区民の意見を受けたが、学校のランク付けという誤解を生みやすいので取りやめる」と述べた」という顛末です。

しかしながら、悪平等に戻すというわけではありません。「撤回するのは、学校を機械的に分類する方式で、平均点の前年度からの伸び率は考慮する」ということです。「来年度からは、学力テストの平均点の伸び率も加味する」のだそうです。

なんだよ、これって、日本の企業がずっとやってきた努力主義じゃないか。頑張れ、頑張れ、頑張った奴を評価するぞ、ってやつですね。

90年代に雰囲気が変わるまでは、手際よく仕事をこなしてさっさとかえっちまう奴よりも、遅くまで一生懸命取り組んで頑張ってる奴の方が(少なくともヒラで働いている間は)評価されるというのが日本企業でしたから。

ま、しかし、ゆとり教育で努力を評価しない傾向が高まってきているとすれば、これはいい方向かも知れません。企業の努力主義は長時間残業の源泉の一つでもありますが、学校が生徒の学力向上のためにやるのは悪いことではなかろうという気もします。

少なくとも、社会の様々な階層からやってきて、様々な階層に散っていく義務教育の間は、もともとできる奴が大して努力しなくてもいい成績を取って、その結果学校に予算が付けられ、もともとできない奴が結構努力してもそこまでいけずに、その結果学校の予算が減らされる、ということでは、後者に対するディスカレッジ効果が大きいでしょうから。

2006年11月 7日 (火)

非正規労働者

10月26日のエントリーの続きです。

「日本の労務管理」講義案の12回目「非正規労働者」です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/hiseiki.html

今回のは、わりと皆さんの関心が高いところでしょう。

EU労働時間指令フィンランド妥協案

ここ数日紹介してきているEU労働時間指令の改正に関する議長国フィンランドの妥協案ですが、特別雇用社会政策相理事会が予定されている今日になって、理事会のデータベースに載っていました。

http://register.consilium.europa.eu/pdf/en/06/st14/st14676.en06.pdf

http://register.consilium.europa.eu/pdf/en/06/st14/st14704.en06.pdf

http://register.consilium.europa.eu/pdf/en/06/st14/st14686.en06.pdf

時差の関係がありますから、ヨーロッパではまだ11月7日の明け方前というか、もう9時頃まで暗い季節ですから、まだまだ深夜ですね。ということは、前日のうちにアップしておいたということになります。

今まで秘密扱いして出してこなかったものを、この時点で出すというのは、事務局の手違いとかでない限り、ほぼ今日の理事会で政治的合意に漕ぎ着けられそうだという判断があったということでしょう。

問題のオプトアウトのところですが、第22条に第1a項を追加し、その第(c)号がこうなっています:

「いかなる労働者も3ヶ月の期間を平均して通算して7日間に付き60時間以上就労しない」

これがオプトアウトのキャップを填めるわけですね。日本の労基法に換算すると、週あたりの時間外が20時間、月当たりで80~90時間ということになり、昨年の労働安全衛生法で規定された過労死危険ラインよりも若干下のレベルということになります。

まあ、これくらいのところで手打ちをしたら如何ですか、病院の医師や看護婦の待機時間のこともあるわけだし・・・、ということですね。

OECD新雇用戦略東京フォーラム

厚労省のHPに10月末に開催された標記会合の紹介が載っています。

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2006/11/h1101-1.html

ここに載っている議長総括は、一言一言がかみしめるたびにじわっと味わいゆたかな文章ですね、役人的には。あと、翻訳にも少々。

基本的には、労働力参加を促進するという近年の先進国共通の雇用政策であるわけです。アクティベーション(「就労化」と訳していますね)が大事というのは、まあ誰も反対しない。

いろいろと議論が出てくるのは次の「労働市場の二極化の問題に取り組みつつ労働需要の拡大を図ること」ってとこですね。ここで、「彼らは、雇用規定や賃金設定慣行によって労働需要が抑制されるようなことがないようにすべきということに合意した」という一節が出てくる。「雇用規定」というのはやや意図的な誤訳っぽいところで、英語では「employment regulations」です。つまり解雇規制が厳格すぎるから企業が人を雇わないんだ、というインプリケーションのある言葉です。

それだけだといかにもネオリベですから、その次のパラグラフで「しかし、彼らはまた、雇用規定や賃金慣行を改革する際には雇用の質に関する懸念についても考慮すべきであることを強調した。」とつながるわけです。そしてここで二極化と話がつながる。「国際競争の激化は特定層の賃金や労働条件に更に圧力を与えるということがあり得る。このことは、一部の国々では労働市場の二極化の拡大にもつながるおそれがある。政策担当者は、そうした雇用の質に係る課題にも対応する必要がある。実際、雇用の量的拡大と同時に、質の維持・向上が図られてはじめて、雇用の創出及び生産性と生活水準の向上に好循環をもたらすことができる」と、雇用の質、ソマヴィアちゃん風にいうと「でーせんとわーく」を立てている。

それにしても、ここのところは微妙な問題です。労働者にはセキュリティが必要じゃないか、という議論を組み込まないといけない。そこで、「この課題への対応として、出席者は労働者の安定性の向上の必要性を支持した。」となるわけですが、問題はそのセキュリティの中味です。この微妙さをよくかみしめて味わってください。

「採用要件が過度に厳しくなることを避けつつ、雇用規定を使用者と労働者双方にとってより予見可能なものにすることは一つの方策である。正規と非正規の契約の均衡ある処遇の確保――そして実際に法規制を、解雇の際に勤続期間に応じた妥当な保護が図られるような単一の契約の方向へ可能な限り向かわせること――ももう一つの方策である。経済的な理由による解雇に関する制約を減らすことが一部の国では必要であるかもしれないが、その一方で、悪質な解雇及び採用や解雇における差別が生じないようにすることが不可欠である。最終的には、失業の際の適切な所得確保と効果的な再就職支援サービスがすべての国で必要である。」

念のため繰り返しますが「雇用規定」ってのは解雇規制のことですよ。予見可能な解雇規制というのはどういうことか分かりますか?何年勤続の労働者だから、これくらいの金を払えば解雇できるということが「予見可能」という意味です。正規も非正規も、ってことですよ。上の文章をじっくり読むとうっすらと見えてくるでしょう。非正規労働者が何回も更新を繰り返して10年勤続になったのにある日雇い止めされたという場合と、正規労働者がそのまま10年間勤続して解雇された場合で、同じ「勤続期間に応じた妥当な保護」が図られるということです。それが「単一の契約の方向」ということですね。

こうして噛んで含めるように説明すると、これが現在労政審で審議中の労働契約法制の中心的議題の一つ、解雇の金銭解決について一つの道筋を示しているのだということがおわかり頂けると思います。特に、「経済的な理由による解雇に関する制約を減らすことが一部の国では必要」というのが、日本の整理解雇法理(4要件)を一つの例として念頭に置いていることは何となく理解されるでしょう。逆に「悪質な解雇及び採用や解雇における差別が生じないようにすることが不可欠である」というのは、金銭解決が許されない解雇はどういうたぐいのものかという話ですね。

それとともに、均衡処遇が出てきます。「賃金、能力開発機会やその他労働条件に関して、正規労働者と非正規労働者の間で均衡ある処遇を確保できるようにすることが不可欠である。税や給付に関してフルタイム労働者とパートタイム労働者を均衡的に取り扱うことが重要な点であるということが指摘された。「二極化の問題」が生じる中で、特に若者、女性などの中にはその意志に反して不安定な雇用に甘んじることを余儀なくされている層もある。このため、バランスの取れた対策を講じることが必要である。」この均衡処遇は、原文でも「balanced treatment」です。つまり、日本の文脈で使えるように、わざわざそういう言葉を使ったということですね。

日雇い派遣とアブレの不確定性

朝日が面白い記事を書いています。

http://www.asahi.com/life/update/1107/004.html

>「日雇い派遣」という働き方が急増中だ。人材派遣会社から仕事の紹介を受け、日替わりで派遣先で働く。連絡は携帯電話やメールだから「ワンコールワーカー」とも。規制緩和で派遣できる職種が大幅に広がったのを機に、若者やリストラされた人たちがすぐに現金を手にできるこの仕事に流入している。だが、低賃金で、仕事がないときの補償もない不安定な立場だ。・・・

まあ、日雇いという就労形態は昔からあるわけで、それが派遣になったからどうこうという話では実はない。派遣であろうが、紹介であろうが、携帯電話やメールによって「オンコール」というところに問題が出てくるんですね。どういう問題か分かりますか。

伝統的な日雇いだと、例えば山谷とか釜が崎とか、日の出前に日雇いの連中が道に一杯たむろしていて、そこに手配師が乗り付けてその場でその日使う奴をトラックに乗っけて、現場に送り込むわけです。世間の人が起き出す頃にまだその辺にたむろしている連中は失業しちゃった人、通称アブレって奴で、そいつらがおもむろに職安(労働出張所)にやってきて、その日の失業の認定を受けて、なにがしかの手当を貰う、という仕組みが成立しうるわけです。だって、そんな時間にまだその辺にいるってことは、アブレちゃったということですから。

ところが、この記事に出ているような仕組みだと、アブレの認定はできにくいですね。誰がそれを証明する?便利な文明の利器が、かえって社会保障制度の適用を妨げるわけですよ。

ちなみに、あまり本論と関係ないけど、朝三暮四はアホ猿だからそうなるというわけではないという例:

京都に住む男性(30)は大学院に進学できず、派遣の道へ。・・・月給制の仕事に就けたとしても最初の給料までの1カ月をしのげない。「1カ月後の10万円より明日の5000円を取らざるをえない」

2006年11月 6日 (月)

現代の国家は厚労行政と文科行政でなりたっているんだよ

もう、ほとんど権丈先生が「勿凝学問」をご自分のHPにアップされるたびに紹介しているような感じですが、それだけ皆様にも読んで欲しいと言うことで・・・。

http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/korunakare50.pdf

>今は昔、時の首相が「民間でできることは民間に」と絶叫すれば、大衆がシビレきってしまう不思議な時代があったそうである。その熱狂の渦中、次のような反時代的な文章を書く大戯けもいた・・・

という例によって皮肉満載の権丈節で始まるこの文章は、ここ2ヶ月ほどの講義の内容だそうで、こういうまともな講義を聴ける学生さんはホントにシアワセですね。

>現代国家は、基本的に年金給付、医療給付をはじめとした社会保障給付、それに公的教育給付を行うために存在しているようなものである。・・・

現代(公共)経済学の政治的バイアス
• 現代国家は、貢献原則にもとづく市場の分配を必要原則にもとづいて修正する再分配政策が、小さな政府では過半、大きな政府では大半を占める。にもかかわらず、古典的な公共財供給を分析するには適当ではあるかもれないタームで、必要原則による家計への再分配を旨とする社会保障や教育政策を経済学者に論じさせている。
• 社会保障や教育は、古典的公共財とは似ても似つかぬものである。よって、多くの経済学者は、その論に、無意識のうちにある一定方向、すなわちその存在意義を認めぬ、再分配否定へのバイアスがかかることになる。・・・

• 平等消費の実現手段
政府は特定の対人サービスの階層消費を回避し、平等消費を保障する唯一の政策手段として存在する。
(医療、介護、保育、教育等の現物給付)
• 不確実性からの生活保障の実現手段
政府は不確実性から生活を保障する最後の砦として存在する。
(年金等の現金給付)

現代の国家というのは、社会保障や公的教育支出を通じて、所得の再分配を行っている。しかもその役割が、決定的に大きいという特徴をもっている。先日、ある学生が公務員を目指したいと言ってきたときに、どこに行きたいのかと訪ねると、内閣府とのこと。ついつい余計なお世話で、「現代の国家は厚労行政と文科行政でなりたっているんだよなぁ」と言ってしまったのは、上記のような認識をもっているからである。・・・・・・

ぎゃはは、確かに、実社会の経験も全くないまま、ただただ教科書嫁とばかり言われてケーザイ学を一生懸命勉強してきた純朴な学生さんは、それこそが社会の根本であり、つまり内閣府でマクロ経済論議をすることが国家の決定的役割だと思いこんでいるのでしょう。「事件は現場で起こっているんだ」よ。

>ここで言いたいことはひとつ。ようするに、ある財・サービスは平等消費されるほうが望ましいと判断した場合、その平等消費を実現するためには、政府を利用するしか手段がないのである。政府を利用せずに市場に任せるとなると、どうしても所得階層に応じて消費格差のある階層消費が生まれる。たとえば医療――はたして、医療に関して、平等消費が望ましいのか、階層消費が望ましいのか?この問題こそが、「民間でできることは民間に」というスローガンを掲げる政治家を前にして、われわれが考え抜かねばならないことになる。

それでは、教育に関してはどうか?・・・。「教育はすでに混合診療化している」とわたくしが口にするのを聞いたことがある人もいるだろうが、その意味は、ここで論じた文脈に沿って考えれば察してもらえるかと思う。

労働時間指令改正妥協案にETUC異議

先週、欧州労連(ETUC)が、EU労働時間指令の改正案に関する議長国フィンランドの妥協案に異議を唱える声明を出しています。

http://www.etuc.org/a/3010

http://www.etuc.org/spip/IMG/pdf/2006-11-2_WT2_Filatov1.pdf

この問題のために開かれる特別雇用社会政策相理事会は11月7日、明日ですな、奇しくもアメリカの中間選挙と同じ日ですが、に予定されていますが、先日もこのブログで書いたように、今回は妥協が成り立つ可能性が高いようなのです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/eu_95f3.html

ETUCがフィンランドのフィラトフ労働相に送った書簡によると、妥協案がオプトアウトの利用を制限しようとしていることは評価するけれども、それでも試用期間や短期雇用の労働者には圧力になると述べ、オプトアウトの終了を明記すべきだとしています。また、待機時間の問題を蒸し返していますが、こちらはどの国の政府もECJの判決をひっくり返したくてうずうずしていますから、まあ遠吠えですね。

2006年11月 5日 (日)

パートの正社員化促進

産経が一面トップで書いています。

http://www.sankei.co.jp/news/061105/kei002.htm

>厚生労働省は4日、正社員と非正社員の格差是正のため、企業に正社員とパート社員のバランスのとれた処遇(均衡処遇)をとることや、正社員への転換を促進するようパート労働法に明記する方針を固めた。現在は同法に基づく指針で法的拘束力のない努力義務だが、法律に書き込むことで一定の強制力をもたせる。パート社員の均衡処遇や正社員転換は、安倍晋三首相が掲げる再チャレンジ支援の中核策でもあり、厚労省は次期通常国会に改正法案を提出する。

具体的な規定ぶりまで出ていまして、「パート社員について、(1)責任(職務)や転勤・昇進などの有無(人材活用の仕組みや運用)が正社員と変わらないなら、同じ賃金表や査定基準を使う(2)正社員転換を容易にするための諸制度を整備する-などが柱。均衡処遇に関して、現行法は「均衡等を考慮して必要な措置を講ずる」にとどめているが、これでは不十分として「均衡を図るように努める」と明確に規定するということです。

この問題は前から繰り返し言ってることなんですが、問題を「パートタイム労働者」(法律上の表現では「短時間労働者」)という形でいつまでも扱っていると、現在の喫緊の課題である「本来正規労働者という形でフルに働いているべきであるのに非正規労働者としてフルに働いている人々」に向けられるべき関心が散漫化してしてしまう危険性があるのですね。

確かに、「平成17年に労働時間が週35時間未満の雇用者は、男性だけで384万人と5年で85万人増えており、「正社員なみに働くパート社員も少なくない」。だからこそ、前から言っているのですよ、「パートって言うな!」ってね。

まあ、これは実のところ、行政内部の権限配分の関係もあり、女性労働問題の一環としてのパートタイマー問題と、労働契約法制の一環としての有期雇用問題と、労働市場政策としての派遣・請負問題が三すくみの状態のまま今に至ってしまったことの帰結でもあるんですが、本当はそろそろがらがらぽんすべき時期ではないかと思うのですがね。

また、そうしないと、「処遇は、各企業がパート社員に求める内容によって変わってくる」という、それ自体としては正しい日本経団連の主張をうまくかわしきれないのではないでしょうか。

2006年11月 3日 (金)

日教組って労働組合だったんだあ。ししらなかった

アクセス解析でリンク元を眺めていて見つけたんですが、冗談じゃなく、日教組って労働組合だと思われていないですぜ。

http://d.hatena.ne.jp/knori/20061103

>うーむ。「日教組」って労働組合だったんだあ。ししらなかった。

ですからね、深刻ですよ。

2006年11月 2日 (木)

つまりドヤの日雇いなんだが

ネットカフェ、とかいうといかにもポストモダーーーンで、かっこよさげですが要するにドヤに泊まってた日雇いのおっちゃんと同じなわけですな。昔の蚕棚みたいなベッドハウスから、テレビ付のビジネスホテルに進化したのの延長線上と考えれば不思議ではないけど。

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200611020029.html

ホームレスでも日々数千円の収入があればブログがやれると考えるか、ブログやってても日雇いのホームレスだと考えるか、なかなか難しいところではあります。いずれにせよ、サラ金の妙な誘惑に引っかからなければ、人的資本を切り売りして細々と生きていけるわけではあるんだが。それを生きる勇気が湧いてくる話と考えるか、死んでしまいたくなる話と考えるかが、格差問題なるものに対する様々なご意見の分かれるところなのでありましょう。

EU労使の職場のいじめに関する交渉

ETUC(欧州労連)のニュースレターの最新号に、アンドレ副事務局長のインタビューが載ってて、今年2月から始まった職場の暴力といじめ(ハラスメント)に関する交渉について喋っています。

http://www.etuc.org/IMG/pdf/No_11_-_Finale_-_EN.pdf

この交渉開始については、前にこのブログで取り上げましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/eu_ae01.html

インタビューによると、問題が複雑なので若干時間は掛かっているが、今年の末までには交渉を終了できるだろうという見通しのようです。いじめや暴力は労働者だけでなく企業運営や生産性にもダメージを与えるのだから、いじめを防止し、起こったときの対処法をつくるのは労使双方の共通の利益だと語っています。

いや、もちろん、一つ前のエントリーでかいたことと対照させるつもりで紹介しているわけです。

教師のいじめ自殺

教師「が」生徒をいじめて自殺に追い込んだ云々という話ではありませんよ。なぜかマスコミの取り上げ方に天地ほどの格差があるのですが、先月末続けざまに教師が校長や上司にいじめられて自殺したという報道がありました。

http://www.asahi.com/national/update/1017/TKY200610160380.html

>千葉市立中学校の50代の男性教諭が9月に自殺し、原因を調査していた同市教育委員会は、校長による行き過ぎた指導が背景にあったと認定し、近く校長を処分する方針を固めた。教務主任だったこの教諭は職場で、校長から繰り返し怒号を浴びせられるなどしていたといい、市教委はパワーハラスメント(職権を背景とした嫌がらせ)に当たると判断した。

http://www.asahi.com/national/update/1031/TKY200610300372.html

>鹿児島県曽於市の市立中学の女性教諭(32)が上司から「いじめを受けた」などと訴える内容の遺書らしい文書を残して自殺していたことが30日、わかった。文書は教諭のノートパソコンに保存され、「パワーハラスメント」として抗議しているという。

いや、昨日の話の続きみたいなものなんですが、日教組というのは教師という職業で働く人々の利益を代表する組織なんだから、こういうことにこそもっと問題意識を持った方がいいのではないですか、ということなのです。愛国心だ、日の丸だ、君が代だ、と空中戦やってる暇があるのなら。

いじめ自殺事件ではないですが、こういう過労自殺事案もあります(顧客によるいじめという面もあります)。

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2006102400149&genre=C4&area=Z10

>申請によると、教員は4月、区立小に新任教員として赴任し、2年生の担任(児童数22人)になった。過重労働や過度の精神的ストレスなどが原因で、5月31日に自宅で自殺を図り、翌6月1日に死亡した。 教員の超過勤務時間は1カ月100時間を超えており、平均睡眠時間は6時間未満だった。 保護者から「結婚や子育てをしていないので経験が乏しいのではないか」と、連絡帳に人格を侵害するような内容を書かれることもあった。

思うに、これらは氷山の一角で、全国的に教師の過重労働、メンタルヘルスはかなりひどい状況になっているのではないかと思われるのです。こういう問題をきちんと提起していくことは何よりも重要な課題だろうと思うのですがね。

ビッグバンの顛末

某筋によると、やはり、例の「労働ビッグバアアアアアアアアアアアアアアアーーーーーーーン」は、日本経団連内部からの批判で消えたようですね。旧日経連側の正論が暴論を押し出すことがなお可能な状況にあるということは、経営側の健全さを示す指標として価値があると思います。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_b286.html

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_d35d.html

政府中枢内部の力関係がどうなっているのかは、正直よく分からないのですが、少なくとも的確な介入によってある程度の影響を与えることができる状況であるということは確かなようです。

2006年11月 1日 (水)

マンゴルト事件評釈

イリノイ大学の「比較労働法政策ジャーナル」の最新号に、例のマンゴルト事件の相当詳しい評釈が載っています。

http://www.law.uiuc.edu/publications/cll&pj/index.html

http://www.law.uiuc.edu/publications/cll&pj/archive/vol_27/issue_3/KrebberEUDevArticle27-3.pdf

マンゴルト事件については、このブログでも判決が出てすぐに紹介しましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2005/11/post_e391.html

いろんな意味で大変興味深い判決なんですが、このクレバー氏の論文「欧州雇用法を実施する欧州司法裁判所の社会権的アプローチ」は、本判決を過去30年間でもっとも驚くべき判決と評しています。

日教組ももう少し政治感覚を

今官公労がどういう立場に立たされているかということをもう少し考えて、特殊な政治言語が通じる相手だけでなく、もっと広く国民に訴えるような言葉遣いというものができないのだろうか、と保守反動のパターナリストは考えるのですがね。

http://www.jtu-net.or.jp/news/06/10/26n1.html

「教育基本法改悪阻止に非常事態宣言」、って、そりゃちょっと普通ひくよ、まともな人なら。

さいわい、そう、実にさいわいにも、安倍さんの周囲の人達が考えていたのとは異なる教育問題が一気に噴出してきているのだから、それをどううまく使うかという風に思考をめぐらさなければいけない。細かい議論より何より、例えば「今こそ教育基本法にいじめ防止の努力義務を書き込むべきだ」とか「受験偏重にならないような監視体制を規定せよ」とか、とりあえず今は思いつきでもいいから、「アフォなサヨクがわめいとるで」とならないように、一般国民が「おっ、そうや」と思ってくれるようなプレゼンテーションができないと、この台詞も繰り返し使ってますけど、「殷鑑遠からず」ですからね。

森元総理も「日教組、自治労を壊滅できるかどうかということが次の参院選の争点」と言ってることだし、

http://www.sankei.co.jp/news/061031/sei001.htm

サヨク的闘争方針で何とかなると思っているとしたら大変まずいことになりますよ。

これはほかの官公労も同じ。基本ラインとしては、格差社会を前面に出しつつ、国民全てに教育等々の公共サービスを均霑するような仕組みを守ろうという方向でしか生き残れませんよ。

奥谷禮子氏の愉快な発言

まだ厚生労働省のHPにも連合のHPにも議事録は載っていませんし、水口洋介さんのブログでも紹介されていませんが、そこからリンクされている「Endless labor」というブログに、10月25日の労働政策審議会労働条件分科会で、「あの」奥谷禮子氏が大変愉快な発言をされた旨の記述がありました。

http://bonmomo.de-blog.jp/never_ending_workers/2006/10/post_f60b.html

>使用者側委員の奥谷禮子氏が有期労働契約や管理監督者の扱いの議論のなかで、過労死の問題について「自己管理の問題。他人の責任にするのは問題」「労働組合が労働者を甘やかしている」と発言。

現時点ではここにしか書かれていませんので、これが事実かどうかは分かりませんが、もしこれが事実だとすると、労働側が抗議するよりも何よりも、経営側が苦言を呈しなければなりませんね。

過労死かどうかを最終的に判断するのは裁判所なのですから、厚生労働省の審議会で文句を言っても始まらない。ザ・アールの社員が月100時間以上残業して死んだら、奥谷社長がいくら「自己管理の問題だ」といっても、裁判所は取り合ってくれないでしょう。

前にも書いたように、実は経営側の弁護士(経営法曹)はそこのところはちゃんと分かっています。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_9cbf.html

わざわざこういうことを言って、ホワイトカラーエグゼンプションなんか導入するとみんな過労死するぞという労働側の(やや誇張気味ですが方向性としては間違っていない)論点に話を持っていこうとするのは、経営側からすればむしろ利敵行為ですらあるのではないかと思うのですがね。ほかの経営側委員はもっぱら、「労働時間の長短ではなく成果で評価したいんや」と言っているだけに、彼女の発言の特殊性が際だちます。

先日あるジャーナリストの方を話をした際に、この奥谷さんって何?という話題になりました。ご自分の強い信念でものをお喋りになるのはいいんだけど、どう考えても経営側全体の立場からすると有利になるとは思えないような発言をしていらっしゃる。日本経団連のご推薦であることは確かなのですが、どういう「枠」で入っておられるのか大変関心がありますね。

雇用保険の国庫負担

日経によると、財政制度等審議会は雇用保険への国庫負担を全廃すべきとの考えで一致したとのことです。

http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20061101AT3S3102731102006.html

この問題は3年前からずっと言われ続けている問題ですが、最近景気が好調で雇用保険の保険料の積立金残高が今年度予算で3兆3800億円にのぼるなど財政が健全化したことが後押ししたようですね。

会合では「雇用された人だけが対象の保険に国庫負担をすべきではない」との意見が続出したということなのですが、それでは雇用されたことのない人(学卒後そのまま無業の人など)には一般会計からお金を出してあげましょうという話にはなっていないようです。

この問題を考える上では、労働政策審議会職業安定分科会雇用保険部会(10月10日)に提出された岩村正彦先生のペーパーが頭の整理として大変役に立ちます。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/10/dl/s1010-10a.pdf

「①失業保険制度に国が財源を投入するかは国によって異なる。

→失業保険だから国の財源投入は必要ないというわけではない。

②失業保険に国の財源投入がない国の場合、別途税財源による失業扶助制度があり、失業保険と公的扶助との間をつなぐ役割を担っていることが多い。

③失業保険も失業扶助も、機能としてはいずれも失業者に対する所得保障等の仕組みであり、国際比較をする場合には、両者を一体としてみて比較する必要がある。

④仮に国庫負担を廃止すれば、それまでと同じ給付水準を維持しようとすれば保険料率の引き上げが必要となり、雇用に悪影響を及ぼすし、それまでと同じ保険料率を維持しようとすれば、給付水準の切り下げが必要となり、失業扶助制度のないわが国では失業者に深刻な影響を与える。

⑤国庫負担を廃止しても、失業状況が悪化したときには国庫負担を投入する仕組みを用意しておけばよいという考え方もあるが、

1)失業状態を当局が把握するまでのタイムラグ、

2)当局が把握してから国庫負担投入の決定までのタイムラグの問題があることに加えて、

3)一度廃止した国庫負担の再開には当然財政当局の強い抵抗があること、

を考えると現実性に乏しい。」

理屈はほとんどこれに尽きています。ま、しかし「西室泰三会長は会合後の記者会見で「現在の雇用保険会計は極めて健全。労使拠出だけで賄える。国庫負担は全廃してもいい」と明言した」のですから、理屈の世界ではなくなりつつあるようですね。

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