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2006年10月11日 (水)

差別と格差の大きな差

昨日の労政審雇用均等部会に、厚労省事務局が、「来年の通常国会で改正を目指しているパート労働法で、正社員との賃金格差の是正と正社員への転換制度の導入などを検討対象にしていく考え」を示したそうです。現時点ではまだ厚労省のHPに掲載されていません。

http://www.asahi.com/life/update/1011/002.html

「パートタイム労働者の日本経済を支える労働力としての重要性は高まっているのに、働き方に見合った処遇がなされていない場合がある」という考え方から、「正社員と仕事や責任が同じ場合、同じ賃金表や査定基準を使うことや、パート社員に対する賞与や退職金、各種手当のあり方を検討対象とし」ているようです。また、パート社員から正社員への転換については制度創設や優先的な応募機会の提供などを企業の努力義務にすることも検討課題としているようです。

こういう政策方向は、1993年のパート法制定時に国会修正で「均衡処遇」という言葉が挿入された時以来の課題であり、2003年に一応の指針が策定されていますので、その内容の法律化に過ぎないんだから問題はないだろうと事務局は考えているのかも知れません。

ただ、大変気になる点があります。それは、「同法改正は、安倍内閣の「格差是正」と「再チャレンジ」という政策的要請に応え、今夏から検討していた」というところです。実際、5月の再チャレンジ中間報告では、「パート労働者の正規労働者との均衡ある処遇や、社会保険の適用拡大等正規・非正規労働を巡る問題に対処するための法的な整備等の取り組みを進めるとともに、企業に対しても、非正規労働者の正規労働者への転換制度や短時間正社員制度の導入、非正規労働者と正規労働者との均衡ある処遇や能力開発等に向けた働きかけを進め、雇用形態の多様化が進む中で、公正かつ多様な働き方を実現できる労働環境を整備する」と記述されており、パートの均等待遇は格差是正のための再チャレンジ案件だと言ってもおかしくない流れになっているようです。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/saityarenzi/honbun.pdf

しかし、もともと非正規労働一般ではないいわゆるパート問題というのは、昨今問題になっている意味での「格差」問題ではなかったはずです。前にも「パートって言うな」で書きましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/02/post_e4de.html

パートの主婦にせよ、アルバイト学生にせよ、確かに就労の場所では正社員とは明確に区別された低賃金かつ有期契約の縁辺労働力であるには違いありませんが、そのことが彼らの社会的な位置づけを決めるものではありませんでした。パート主婦は労働者として社会の縁辺にいるのではなく、正社員である夫の妻として社会の主流に位置していたのですし、アルバイト学生にとっての雑役仕事は正社員として就職する前の一エピソードに過ぎなかったわけです。

家計補助的主婦パートとして特段社会問題視されなかったパートタイマーが労働問題の土俵に乗ってきたのは、一つには男女平等の観点から、家事育児責任を主に負っている女性が家庭と両立できる働き方としてパートタイムを選択せざるを得ないにもかかわらず、そのことを理由として差別的な扱いを受けることが社会的公正に反するのではないかという問題意識からでした。

「差別」と「格差」の間には大きな「差」があります。場合によっては、差別をなくすことが格差を生むこともあり、差別をすることが格差をなくすこともあるのです。

夫と妻の収入が男女差別の故に大きな差が生じているとき、その差別は実は世帯単位で見た格差を縮小する働きを持っている場合もあります。男女差別をなくし、優秀な妻がその能力に応じた収入を十全に得られるようになることは、その裏側で優秀でない夫が男であるという理由で得ていた収入を得られなくなることと相まって、世帯単位で見た所得格差を拡大する働きをもちます。皮肉な話ですが、差別の解消が格差を生むという因果関係がありうるのです。

もちろん、不況の中で正社員の夫が失業したり、あるいは離婚等によりシングルマザーとなったりした場合、パート労働者の低賃金は直ちにその世帯の低所得として跳ね返ってきます。パート労働者が家計を維持しなければならない状況がじわじわと拡大してくる中で、パートの均等待遇問題は単にジェンダー視点から不正であると批判されるにとどまらず、階層論的視点からも疑義が提起されてくることにもなります。こちらはまさに「格差」論的問題です。

現在、非正規労働問題がこれだけ世の関心を集めている最大の理由は、「差別」よりも「格差」への問題意識からでしょう。そうすると、10年以上前から男女平等の問題意識で進められてきたパートの均等・均衡政策をそのままの形で進めることは、大変パラドクシカルな位置を占めることになりかねません。正直言って、大変危ういものを感じます。

ま、「殷鑑は遠くない」なんて脅し文句を持ち出すつもりはないのですが、労働契約・労働時間法制のこの間の失敗劇もあるだけに、事務局の皆さんには注意深いハンドリングを期待したいと思います。

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コメント

もともと差別を主に問題として捉えている人達で、今は格差問題に「便乗」してるケースがほとんではないかと。一石二鳥じゃんって

私自身は格差問題より、差別もしくはワタリさんのように貧困問題の方が気になります。
あと労務屋さん的に成果主義は実際にはどこまで格差を広げるのかみたいな問題もある?

初めまして。
凄く勉強になります。
リンク貼らせて頂きます。

>そうすると、10年以上前から男女平等の問題意識で進められてきたパートの均等・均衡政策をそのままの形で進めることは、大変パラドクシカルな位置を占めることになりかねません。正直言って、大変危ういものを感じます。

雇用均等部会の議事録がまだ公開されていないので、どういう議論をしているのかがわからないのですが、パート労働の実態とかけ離れたところで進めているような気がしてなりません。
週20時間以上30時間未満のパートの社会保険適用拡大は、格差是正の効果という視点から考えると疑問を抱きます。
健康保険や年金は、夫の扶養になってるから加入する必要はない。でも、家のローンや子どもの教育費の足しにするために、とにかく現金が欲しい、という主婦にとっては、適用拡大はいらぬお世話。
扶養家族がいるパートにとっては、社会保険加入=安定雇用=生活していける定期収入が欲しいのに、思うように職が得られない。
解決しなきゃいけないのは、後者の人達の問題のはず。

ところが、安倍首相が非正規労働問題で一番熱を入れているのが、このパートへの社会保険適用拡大だったりするんですね、これが。

http://www.asahi.com/politics/update/1007/004.html?ref=rss

ちょっと、取り巻きに人を得ていないんじゃないかと、要らぬお節介を焼きたくなります。
「再チャレンジ」で取り組まなければならない課題は、何よりもフリーターとして職業キャリアから排除されている若者たちをいかに正規のトラックに持っていけるかということであり、パートタイマーでも生活のためにもっと稼がなければならない人達のはずなんですが。

でも、書いてるのが朝日新聞ですからね。裏でジェンダーな人が旗振りしてるのかもと、すぐ疑ってかかるんですよね(笑)
朝日新聞的には、パートの社会保険加入拡大に反対してるのは事業主という主張なんだけど、nami情報では、実は、国民年金3号被保険者のパート主婦の大半も反対してる、つまり、労使共に反対してるなんです。
それに、離婚時の3号期間の年金分割も施行されるんだし、政策的に整合性に欠けると思うんです。

>厚生年金の対象をパート労働者に拡大すると、雇い主が保険料の半額を負担しなければならず、小売業や外食産業を中心に反発している。

> 家のローンや子どもの教育費の足しにするために、とにかく現金が欲しい、という主婦にとっては、適用拡大はいらぬお世話。

それはそうなのですが、そういう人はまだ恵まれている、というか、比較的優遇を受けている層の人達でしょう。

パートなんだけど被扶養者でもない、という層に社会保障を厚くする。とか、キャリアを得やすいようにすることが確かに問題です。
そこで、上記の人達との間にトレードオフがあれば、仕方がないのでは…

但し、特に健康保険について言いますと適用拡大というのは極めて対処療法的な施策ですよね。そもそも国保、政管等に分離していることが問題で…

>裏でジェンダーな人が旗振りしてる

朝日新聞が「ジェンダーな人」なんじゃなくて、政府の関係部局が「ジェンダーな人」なんです、基本的にこの問題は。

ただ、この話はちょっとややこしいんですが「ジェンダーな人」と最近話題の「ジェンダー・フリーな人」とは、同じフェミニズムでもちょっと、というかだいぶ違うんですよ。

ジェンダーな人は、パートで働いている女性にもっと権利を!、男女差別反対!という感覚なんですが、ジェンダー・フリーな人になると、3号被保険者という資本主義原理に反する家父長制的制度自体をなくすべきという思想から言ってる面が強く、ある意味でネオリベ的な自由競争社会論とすごく通ずるものがあるんですね。

その意味で、ここ数年来のジェンダー・フリー・バッシングには、(靖国に参拝してくれる小泉首相を正面から攻撃できないために)正面からネオリベを批判できない保守派の人の代替攻撃戦略という面が強いのだろうと思っています。

>「ジェンダーな人」と最近話題の「ジェンダー・フリーな人」とは、同じフェミニズムでもちょっと、というかだいぶ違うんですよ。

例の神聖同盟ですか。ただ、また複雑なのはリベサヨ代表みたいなブルセラさんはここではジェンフリ側の人だったりするんですね。

いやいや、リベサヨはリベラルだから、ジェンダーフリーなんですよ。だから、ブルセラさんは一貫してるんです。

ここで、ジェンダー・フリーと区別してジェンダーな人と言ってるのは、あえて言えばジェンダー・ソーシャルな人なんですね。労働組合の婦人部長という風なあたりを想像してください。別に専業主婦を撲滅しようとか思っている訳じゃない。できれば玉の輿とか思ったりもするけれど、やっぱりこの職場で男女平等のために戦うのよ、みたいな人です。

基本的な分類はリベラル(リベサヨ、ネオリベ、ジェンフリ等を含む)とソーシャルの間にあるので、ジェンフリ・バッシングとは基本的に弱者のソーシャルな運動であるという見立てになります。上野千鶴子や大澤真理といった東大の先生が標的になるのも、それなりの知識社会学的根拠があるのです。

とすると、フェミニズムの場合ではソーシャルとリベラルの野合が見られるということに

まあ、それを野合と呼ぶかどうかは評価の問題で。たぶん、フェミさんたちの世界では、あいつはリベリベで実は資本主義万歳じゃないかとか、こいつは女はかわいそうだばかりいって家父長オヤジの回し者じゃないかとか内心は思いながら、とにかく男支配をやっつけようという一点で共闘態勢を組んでいるというのが実態ではないかと思っています。
最近出た山下悦子さんの『女を幸せにしない男女共同参画社会』などという本をちらちら眺めると、フェミさんたちの世界もいろいろあるなあ、ということがわかるものでして。

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