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2006年10月24日 (火)

バイク便ライダー

阿部真大『搾取される若者たち-バイク便ライダーは見た!』(集英社新書)がなかなか面白い。

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著者は1976年生まれの団塊ジュニア、受験戦争が終わったら就職氷河期が待っていたという世代。東大大学院で労働社会学をやっている人ですが、大学休学中にバイク便ライダーをやり、その体験をもとに「団塊ジュニア世代が直面する労働・雇用問題を社会学的な知見を駆使して考察した」のが本書というわけ。

キーワードは「ワーカホリック」。「好きで好きでしょうがないことを職業に」という『13歳のハローワーク』の宣伝に乗ってやりたいことを仕事(でもとても不安定な仕事)にした若者が、ワーカホリックに陥っていく姿を描いています。プレカリアスなワーカホリックほど危ないものはない、というところですか。

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コメント

「好きで好きでしょうがないことを職業に」してるプログラマも調査してほしいですね。不払い残業100時間なんてやつがいる業界ですから>>IT業界

読書なしの読書感想文(←いつもの通り):

結局、好きな仕事というより自分が効率的にやれるものを選べと。ここでも鍵は資本主義(?)の純化にある。

IT業界は、まさにこういうプレカリアスなワーカホリックが一杯いる分野なのでしょう。
あと、学問が「好きで好きでしょうがない」研究者を非常勤講師として搾取している学者業界も似たようなものかも知れません。

>学問が「好きで好きでしょうがない」研究者を
>非常勤講師として搾取している学者業界も似た
>ようなものかも知れません。
それ、たまに言うんですけどね。あんまり理解
されないみたい。細かく言うと、「好き。」と
何故だか思い込んじゃったというか、ね。

ちなみに、この悲惨なまでのワーカホリックの話は、稲葉先生が某所で言及されているタコ部屋労働の話ともつながるのですよ。恐らくネット界には東条由紀彦さんの本を読もうという奇特な人はいないと思うのですが、あれを単純に強制労働の世界だと思ってはいけない、ということなのです。
(「中の人」が「中の人」の共有知識を前提に書いたことが、それを共有しない人に誤解されるという一つの例です。)

著者と状況的に似ているので、コメントしてみます。
(僕が大学院進学を希望していたにも関わらず、自分の学力とは関係のない処で挫折して、一度社会に出る事にしたので)
好きな仕事だとか、志のある職業だとかに就いても、現実問題として分配というか「給料が良くないと続けられない」ですよね。
だから、そういう仕事はやはりどこかで給料が良いとか、将来への展望があるとか、そういうものが暗黙の前提としてあるような気がします。
だから、例えばフマさんのような細かく突っ込んでみたとして、もちろん他の理由もあるだろうしそれは僕も思い付くのですが、とりあえずこうした前提を立てているから理由が明確に答えられないのかな、と思ったりもします。

あと、それと関連することで、「単純に需要がない」のかな、とも思います。ある程度のパイの大きさがないと分配さえ問題にならない。そうした発想に立つと、例えば学問で身を立てようとしても、無理があります。ただ、しばしば指摘されるように、そうした発想そのものが実は市場主義的な発想なのであって、その枠組みの周辺にある職業には、全てとは言いませんが、あまり馴染まないと思うのですが。

と、長々とすいません。僕の立場は経済成長は大事なのだが、経済成長にすべてを結びつけるような見解には否定的だというものです。そんな事を言っていたら社会政策の意義はどこにあるのか、しかも日本史を勉強していたらそんな事は言えないのではないか、と。
それに経済成長に関して、中産階級の果たす役割は様々な意味において大きいだろうと考えているので。

それと、僕は奇特な人なので(笑)、良い学者の方などを紹介されると有難いと思います^^。社会政策、社会保障に関しては、自分の境遇が今の有様になるまではあまり関心がなかったので、勉強をしたいと思うようになったのは最近の事ですから、どう進んでいけばいいのかがあまり分かりませんし。それにそれは、独学でと考えているので。
もっとも情けない話、自分が今の境遇に陥るまでは、社会保障の話はどこか他人事でしたが・・・。

上でも書いたように、こういうプレカリアスなワーカホリックがたくさんいる業界の一つが学者業界なのではないかと思っています。大好きな研究ができるからと、生活の保障もないままにタコ部屋生活をしている人々は結構多いのではないでしょうか。
もちろんマクロ経済が成長すればその余波でいささかなりとも彼らも潤う面はあるでしょうが、それで山のようにでっち上げた大学院の後始末ができるとは思えませんし。

労働法を少しずつ勉強しているのですが、戦前期の労働状態が前近代的、あるいは封建的という言葉を用いられている処に違和感を持っています。
ここはおそらく濱口さんと同様の見解なのではないかと思うのですが、前期的資本であれなんであれ、資本主義は収奪のシステムというか、構造化というのは常にその可能性を孕むのではないか、という、ある意味でマルクスに近い(すみません、これは関連書を読んだだけです)発想に立たざるを得ないのではないかと思われます。

ところで、研究の一つに、ケインズにはマルクスは全く関心がないものの階級社会観は持っていたそうです。ホブソンの「帝国主義論」からの着想だったようです。それから、以前の議論には敢えて参加しなかったのですが、ケインズ自身は自由党の支持者であったという厳然たる事実があります。この場合、焦点になるのはケインズの政治思想がいかなる点にあったのか、それがケインズの経済理論にいかに影響を与えたのか、が問われる事になると思います。

それで、僕が学問の先輩にあたる方々に対して日本史の勉強が足りていないのではないか、と辛辣なコメントをしたのは、日本史を観る場合、政治史は政治史として、また経済史は経済史として、独立したように扱われている点が不満なのです。しかしだからと言って、中央公論新社で復刊のような形で日本の通史の文庫本が出版されていますが、それは政治経済史として描かれているものの少し階級史観が強い印象がある。つまり、イデオロギーに少なからずの影響を受けている印象が拭えない。それで、実は政治史と経済史とが独自に研究を進めた結果として、今の学問状況の混乱があるように思えます。どちらも学ぼうとしているものとしては、どうもそれぞれの立場からの記述が目立つ。それはそれで学者だから良いと思うのですが、それが日本史の流れを正確に追いかけられているとは思えないのです。それは歴史学の内部でも問題視されているし、ある意味で日本の歴史が作家に委ねられている面が大きいのも、こうした側面が大きいのではないかと思います。つまり、日本史の中に良質な政治経済史が無いのではないか、と考えています。だから、日本の歴史作家が単にロマンを追い求めるだけでなくて、それなりの普遍性を獲得するのではないかと思えまてしまいます。

敢えて具体例を出しますが、濱口さんの見解に大いに首肯する点が大きい一方で、経済史の観点からの主張をする田中さんの議論にも一理はあります。それを折衷するというような妥協めいた議論は僕個人としてしたくはないので、さらに研究を続けたいと思うのです。しかし、経済としてのあるべきと考えられる姿と政治、あるいは社会としてのあるべきと考えられる姿の差に違いが見られる処と、その理念の対立は、ある意味において、前提となる日本史の共通の知識があれば、ある程度は避けられたのかなという印象があります。

好きな仕事ができるという点と、自己責任についてはそれはそれで考えがあるのですが、とりあえず長いので、ここまで一度、議論を切らせて頂きます。御寛容下さい。

ssさん、この話題は「戦友の共同体」以来ですね。
この問題は、ミクロにいえば近代日本史の構造認識の問題なんですが、マクロにいえば近代社会とはなんぞや、社会主義や社会政策とはなんぞやという大きな問題につながります。
これは、政治史か経済史かといった問題ではありません。例えば政治史の立場からも、前にご紹介した伊藤隆さんは「革新派」に着目することによって、この問題領域にアプローチしています。経済史からこの問題意識に対応していたのは中村隆英さんでしょう。
彼らは世間では右翼と呼ばれる側ですが、例えばアメリカ人の左翼系日本労働史家であるアンドリュー・ゴードンなどを読めば、同じ問題意識が貫いているのが分かります。ですから、「日本史の中に良質の政治経済史がない」などというようなことはないと思います。
少なくとも、リフレかデフレかという自分の「現実」以外は現実に非ずというようなウンコ史観を「経済史の観点」などと言われては、まともな経済史家が泣いて抗議しますよ。

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