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2006年9月10日 (日)

日本の現存した社会主義

社会主義を論ずるときに、日本の現存した社会主義が出てこないのはおかしい。

日本社会は国家社会主義と自主管理社会主義という2種類の社会主義を経験している珍しい先進国なのに。

そして、その社会主義経験が、その崩壊後に形成されたケインジアン福祉国家風の体制のうちに明確に刻印されているのに。

まあ、国家社会主義の経験をファシズムと呼び、自主管理社会主義の経験を共産主義労働運動の暴走と呼んでいるうちは無理なのだが、

(追記)

そして、それなるが故に、安倍官房長官の周りの雰囲気というのは、ある意味で(もちろんある意味でのみですが)細川非自民、村山社会党首班、橋本6大改革、小泉・竹中構造改革内閣と繰り広げられてきた、日本社会の社会主義的要素への攻撃=資本主義反革命に対する国家社会主義文化大革命で「も」あるわけで(それをこの10年間明示的に示してきたのが西部ススム氏であるわけですが)。それを改革の張本人への忠誠心にくるみながら提示しようとすれば、ああいう本丸には手をつけない「下放」政策になるわけで。

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コメント

日本に自主管理社会主義の経験なんてあったのか。労組の事だと言われても、いまいちピンとこない。日本に官僚指導がない時代とはいつぞや。

終戦直後の時期です。それまで権力を握っていた官僚は力を失い、戦時下官僚統制の下にあった財界は戦争に協力したと言ってパージされ、力の空白が生じたところに、(上層部だけ一部共産主義化した)組合運動が一気に爆発しますが、一番上にはGHQが全権力を握っていますから、共産化はあり得ない。結果的に、企業レベルで労働組合が経営権を握るという自主管理社会主義的な様相が出現したわけです。
もっとも、数年を経ずに経営側の逆襲が始まり、叩き潰されます。組合上層部はレッドパージされ、その廃墟からケインジアン福祉国家にふさわしい労使協調路線が出現するのですが、それが西欧型と違ったのは、戦後の原点としての労働者自主管理の経験があったことです。これが逆に日本型雇用システムにおける企業包摂の強さにつながっていくんですね。

安倍ポスト小泉が国家社会主義文化大革命という視点は面白いですね。大方の左派は新自由主義続投路線と勝手に思っているようですが、馬鹿を見るかも。

そんなの、ナショナリスト右派の動きをずっとフォローしていれば、誰でも思いつくことだと思いますが。問題は、安倍晋三という人がホントのところどうなのかがいまいちよくわからないのですが、というか、たぶん西部ススムと渡部昇一を矛盾なく同時に感心してしまえる人なんだろうと思うのですが。いずれにしても、自由民主党という政党の行動様式からして、これだけ改革改革で弱者をいじめ抜いた後は、路線を変えるだろうと考えるのが当たり前で、そうすると、手持ちのDNAの中から出してくるとすると、まあそういうカードになるだろうな、と。

右翼による社会主義的政策だから、戦前みたいな国家社会主義体制になるってこと?スターリンの亡霊が官僚の中にいっぱいいるのか。

>これだけ改革改革で弱者をいじめ抜いた後は、路線を変えるだろうと考えるのが当たり前で

これは予測にすぎませんよね。
頭(イデオロギー)は国家社会主義、胴体(政策)は新自由主義という悪夢の組み合わせになることを皆さん恐れてはるんだと思いますが。

あのですね。戦「前」は国家社会主義でも自主管理社会主義でもなんでもなく、戦後ケインジアン福祉国家なんかよりもよっぽど自由主義的な体制でした。あまりにも自由主義的であったが故に、労働者や農民の利益を踏みにじるような政策をやって、正義感に萌える国家社会主義的な軍部に倒されたんであってね。
あのね、この辺、経済体制としての自由主義とリベサヨ的「ジユー主義」を分けて考えた方がいいです(根っこまで行き着けば同じ面があるんですが)。「純情きらり」史観で、悪い軍部が大切な自由を踏みにじったとだけ考えると間違う。
戦後片山内閣で官房長官をやり、後に民社党を作った社会民主主義者の西尾末広が、帝国議会で「ヒットラーのごとく、ムッソリーニのごとく、スターリンのごとく」やれと政府に迫ったのはなぜかを考えないといけない。
彼らのごとく経済社会政策をやった(といってもほとんど人は殺していませんが)のが戦時下の国家社会主義体制であって、それをかなりの程度そのまま引き継いだのが戦後自主管理社会主義であり、それがその後の西欧風ケインジアン福祉国家体制にも母班を残している。日本の自由民主主義者にも、社会民主主義者にも、その母班が色濃く残っていたのです。
それをぶっ壊そうとしたのが(まだ小泉さんじゃないよ)90年代初頭のリベサヨ的雰囲気で、細川内閣や村山内閣こそその政治的出発点。それを橋本内閣以来代々受け継いだあげくが小泉・竹中のネオリベ路線なのであって、それを受け継ぐと見せかけて(いやかなり受け継ぐんでしょうが)底流としてはむしろ90年代初頭以来の流れを逆転させるのが安倍内閣と見る。
むしろ、いまが戦前であって、下手すると戦中になっちゃうよ、という話です。国民が(特に小泉改革に裏切られた弱者が)それになびく可能性は高いんじゃないでしょうか。

当時の時代背景は世界恐慌下で世界経済がブロック化して、日本の貿易先がなくなったから日満ブロック経済圏を作ったり、ドイツやイタリーなど持たざる国はことどく国家社会主義になっていったと思う。
今が戦前として、これから戦中になるには、そういう世界情勢のような外的要因も必要じゃないかしら。心情としては、日本は一億総中流らしきものを一度経験しちゃったから、格差是正を求める声は中国なんかよりも大きくなるのかな?で文化大革命か。
中国は第二の天安門事件…。もしか、これが外的要因?ロシアは今や持てる国だし、また共産主義の連中が何かやるのか。

問題は、そうした動員を成し遂げるだけの「アメ」を政権が提供できるかどうかでしょうね。すでに各所で経済失政は必至と噂されていますし、アメを欠いたムチだけの国家社会主義的動員になるとしたら寒気がするわけですが。
一方で、官僚の皆様が苦労して作り上げた「ソーシャルな」諸政策が、ナチおなーるな方々によってアメとして利用されるのも痛し痒しです。

# 政治学者の卵 『フランスの”正統派”インテリにおいてはクルーグマンに皮肉を言われているように,反市場主義というか反経済学主義がはびこっていることは事実ですが,正直これが本当に社会における公正や平等に結びついているかはきわめて疑問です.厳しい労働規制や使用者に対する高い社会保障負担が雇用の増大を著しく阻害しているわけで,これが二桁の失業率に結びついているわけです.そしてこれによってもっとも苦しんでいるのは,”平等主義”というイデオロギーに自己陶酔しているインテリたちではなく,移民を含む労働者たちなのであってね.他方相変わらずエナルクたちの特権は変わらないと.』
http://d.hatena.ne.jp/odanakanaoki/20060824#c1156434402

内務省社会局官僚といたしましては、経営側が反対するからといって労働組合法案一つ通してくれない頑固な自由主義者の議会なんぞより、ソーシャルな政策を一杯やらしてくれる軍部支配の方がうれしい(面もないわけではない)のでございましてね。
2年前の本(『労働法政策』)に書きましたが、猫にとっては、黒い主人でも白い主人でもネズミを捕らせてくれるのがいい主人なんですよ。

ややまじめモードに戻って書くと、そういう国家社会主義に走ることなく、うまい具合に新たな福祉国家モデルの再構築ができればいいのですが。

第二の関東大震災がくれば、どうせ、また不況に陥るのだろう。日本はテロより地震の方がはるかに怖い。地震に勝てるような経済政策は用意されているのかな。
危機管理も、セーフティネットも、いざ危機が起こらないとうまく機能するかわからなそうだから、やっかいだ。おいらがテロリストだったら地震の混乱に乗じて、武装蜂起するかも。北朝鮮は日本に地震が来るのをまっていたりして。
中共は、そのドタバタに乗じて、悪さをするのは目に見えてるし。第二次大戦の演出家がスターリンだとすれば、第三次大戦の演出家は誰になるのだろう。胡錦濤ではなさそうだが。

ちょっと話は違うが、最近ネット各所で、笠信太郎、三木清、都留重人、森嶋通夫、高田保馬、西部邁、村上泰亮といった面々を、社会経済の構造問題に取り組んだからというだけで「構造改革主義者」「清算主義者」などと一括し、小泉改革の源流だなどと主張する浅薄な歴史観がもてはやされているようだ。歴史無知ばかりの世の中ではちょいとはじっこを囓っただけのインチキ議論が通用するものだなあ、と感心する(本田さんの殷鑑は遠くないぜ)。
無産政党の綱領案を作成した社会主義者で、笠や三木とともに昭和研究会に参加して統制経済の国策作りに携わった「革新派」の高橋亀吉は構造改革主義者じゃないのかね。都合のいいとこだけつまみ食いしても、歴史の専門家はネットなんかのぞきゃしないからな。

竹中氏も同様の認識であったようです。
安倍政権になれば自分の出番は終わった、と。
確かにね。

そやけど、そうそう簡単に財界のイケイケな御仁たちが大人しくなるものでしょうか。
もしかして一連の堀江村上騒動は、構改主義者らを牽制するための国家社会主義勢力の布石だったんでしょうか。これ以上いい気になってるとテメエの尻に火がつくぞ、と。そう考えると辻褄が合います。

あのさあ、まず読んだ? その次に高橋亀吉が構造改革主義者?。今度の本での定義の「構造改革主義」じゃあまったくないなあ。

 リフレと構造改革は矛盾しないし、さらには経済状況によってはリフレ主導の人間が構造改革至上になることもあるけどね。高橋亀吉が昭和研究会に参加したときがデフレでしたか、はぁそうですか、すごい歴史認識ですねw。

まあ、読んでもないのに酷いものいいだね、あいかわらずw

「構造問題」に取り組んだだけで構造改革主義と理解しているとはねえ、それだけで読んでないの明白、恥ずかしい~w

「あのさあ、まず読んだ?」という言葉は、笠信太郎、三木清、都留重人、森嶋通夫、高田保馬、西部邁、村上泰亮といった方々について、田中さんにお聞きしたいと思います。
こういう大(又は中)思想家を扱う作法というものを追う少し考えられた方がよろしいのではないでしょうか。
私は、自分が偉そうにいえない分野にまで押し入って決めつけをする勇気はありません。それだけのことです。

外野から失礼します.
>大(又は中)思想家を扱う作法というも
>のを追う少し考えられた方がよろしい
あぁ,やっぱり田中さんのことだったんですか.早めにコメントしようかなぁとおもってたんですが,勘違いだったら失礼すぎるとと思って黙ってました.

えーと経済学界における田中さんの専門は思想史です.金融の論文も書いてたりするし,最近はコンテンポラリーな著作が多く(まぁ売れてるのはこっちでしょうし)誤解されてる方もいるみたいだけど……たぶん本人も「第一の専攻を挙げろ」といわれたら思想史と答えるんじゃないかなぁ.学術的な意味での主著も戦間期思想の本だし……

というわけで今回はhamachanさんの事実誤認だと思いますよ.

ちなみに、私は第4章を読んで胸が悪くなりましたが、だからといって第1章から第3章までが無価値だと思ったわけではありません。
しかし、人によっては、こういう思想家を無造作に「構造改革主義者」だ「清算主義者」だ小泉だ、となで切りにするのを見て、「なるほど、世に言うリフレ派というのは、こういう無教養無知性の徒輩か」と感じるでしょうね。
田中さんのメンツはどうでもいいですが、政策実現の可能性を低くするのが目的でなければ、第4章を削除して出し直すことをお勧めします。
これらの思想家の(マクロ経済政策などというごく一部だけではない)すばらしいところに惚れ込んでいる多くの人々をアンチリフレ派にするだけですから。

最後に、内藤さんに助けを求めておられる田中さんに心からのメッセージを送ります。

『同年輩の方にお説教など心苦しいのですが。

本当にねえ、つくづく思うんですが、田中さんも勉強も想像力も足りないの。

いやね、きっと勉強してる(つもり)なんだと思うけど、実際大変な努力をしてるんだと思うけど、多分その勉強の仕方が間違ってるの。

他分野の専門家や思想家の本を読んでも、その結論のなかでマクロ経済という自分にとって勉強になると思える(つまりは都合のよい、認知的不協和の少ない)部分だけをつまみ食いするだけなの。だからいくら勉強しても深まらないの。自分が変わらないの。

リフレという結論なんかどうでもよいから、相手の思考法とか感性そのものを追体験するように心がけてくださいよ。認知的不協和を激しく起こすような議論をこそ、まじめに学んでくださいよ。

世の中の問題は経済学だけじゃないよ。

何か勉強の仕方に根本的な問題があるんだよ。』

>えーと経済学界における田中さんの専門は思想史です.

それは弁護じゃなくて、追い打ちになるように思いますが。
思想史家ともあろう者が、ああいうことを書くわけですか。

別に弁護するというのではなく,たぶん田中さんの専門が歴史なのを知らないのだろうと思われるコメントだったもので.

>歴史無知ばかりの世の中ではちょい
>とはじっこを囓っただけのインチキ議論

とか

>歴史の専門家はネットなんかのぞき
>ゃしないからな。

とか.別に田中さん議論への批判をどうこうとかではなく「事実誤認の部分があります」という指摘.

そもそもその新書まだ読んでないし,上でコメント出てくる人の過半が何の人なのかも知らないorz ので僕が田中さんの評価の是非を評価することは出来ません.

あらら、ようやく読んまれましたか。お疲れ様でした。さすがに読まないで人を批判するのはヤバイと思われたようで慶賀です。

いや~しかし、hamachanの相手にふさわしいのは内藤さんです。私には手におえません、ハイ。感情レベルでの物言いや、理由もなく本を読んで胸が悪くなるなら、内藤さんか胃腸薬が割り当ててきにはいいと思います。

それとhamachanが、あなたにとっての「大(中)思想家」たちについて何か専門的な研究成果をお持ちとは存じ上げませんでした? もしお持ちでないならば、hamachanのお言葉そのままお返しいたしたいのですが、よろしい?

<私は、自分が偉そうにいえない分野にまで押し入って決めつけをする勇気はありません。それだけのことです。>

かなり勇気あるんですが(^^;)。

hamachanの事実誤認については飯田さんのおっしゃるとおりでございます。

第4章がどのような専門的知見をもってしてhamachanがいきなり批判を展開したかは私にはまったくわかりませんが、もしhamachanが専門的成果をこれら「大(中)思想家」に対していままで何も公表されておられないならば、私にはhamachanの身を呈しての認知不協和のご教示に心から感動の涙を禁じえません。

やはりこれは胃腸薬と感情の領域独創の方におまかせしますw

(補記)hamachan,過去にこのような「名言」までw 私はこんなこといえませんがw

<私自身、行政にいたからでもありますが、彼女がJILの報告書等で多くの論文を執筆してこられたのを同時期的に見続けてきていましたので、「てめえら、素人の分際であれこれ偉そうなことを言うんじゃねえ」というところです。>

あなたの第4章の冒頭の「構造改革」の定義が全てを物語っています。これは、小泉純一郎、竹中平蔵、猪瀬直樹、田中秀臣さんの「構造改革」ですね。
あなたが第4章でなで切りにした思想家たちにとって「構造」ってのは、そんなちんけなものではなかったはずですよ。資本主義社会の、近代社会の構造に取り組んだのですよ、彼らは。
まあ、こんなことを低学歴の木っ端役人に言わすなよ、という感じですが。

いや、前からわかっていたけど、あえて言わなかっただけですけどね。小泉純一郎にリフレ粉をちょういちょいと振りかけて膨らませれば田中秀臣さんになるらしいということは。

こういってはなんですが、たこつぼ人間が外に首を出す時はもうちょっとよく考えてから行動するべきではないでしょうか。
そういうところは本田先生と同じなのですね。

まったくそのとおり。思想家を扱うにはそれ相応の作法がいるということを、思想史を研究している(と称するなら)なら知るべき。
ここに挙げられた思想家を専門に研究している学者に、この第4章を読ませたらどういうコメントをするか、考えただけでも恐ろしい。

hamachan、雰囲気嫁w

私は残念ながら入院したことのない低学歴者なので、日本の経済思想史学の研究水準をよく知らないのですが、この第4章みたいなレベルの文章で博士課程を修了できるんですか、そうですか。

若干ギャラリー向けに説明すると、以前から田中秀臣氏が、小泉・竹中直系の猪瀬直樹とつるんで、リフレさえすれば雇用政策も社会政策も何にもいらない、という官僚のやることには何でも反対の隠れネオリベ派だということは感づいていたんですがね。
ケインジアン政策そのものは福祉国家の前提条件として重要なものでもあり、自称リフレ派ということで、まあ見逃してやっていたんですが、近頃度が過ぎる、調子に乗るんじゃねえ、ということです。

田中先生と専門は違いますが日本の経済学史にも興味があるものです。田中先生の著作も拝読しましたが、作業仮説として経済学的に定義された構造改革・構造改革主義をもって日本の経済学者の歴史の一断面を描くのに成功していると思います。田中先生の専門的な業績についてもこれらの経済学者を扱ったものが多いと記憶しています。浜口先生がご自身の発言とは裏腹に専門領域を超えて感情的な物言いに終始されているのはここをたまに拝見するものとして残念です。
また浜口先生のお書きになった「資本主義社会の、近代社会の構造に取り組んだのですよ、彼らは」の近代社会の構造も面白い切り口だとは思いますが、このままですとただの素人のたわごとのようにしか思えず、経済学的な定義には程遠いと思います。全体的に田中先生のほうに有利なことを書きましたが、田中先生の歴史解釈もあくまで一解釈ですのであとは論証と史実とのつき合わせをすればいいのではないかと思います。残念ですが浜口先生のここでの書き込みはそのような作業を行っていないじつに読むに値しないものだと思います。

ヒステリー気味な浜口先生の対応にはここをご覧の多くの方は失望していると思いますよ。

これでは本田先生の殷鑑はご自身ではないか、と。

>田中秀臣氏が、小泉・竹中直系の猪瀬
>直樹とつるんで、リフレさえすれば
>雇用政策も社会政策も何にもいら
>ない、という官僚のやることには
>何でも反対の隠れネオリベ派だと
>いうことは感づいていたんですがね。
そうだとすると田中ちゃんは僕と相性が
いいはず

ツンデレはやめて!

田中さんがものすごい勢いで一線を越えている件については、特にこれ以上コメントをしませんが、読者の皆さんのための頭の整理として、改めてエントリーを起こしました。まあ、常識に毛が生えた程度のことですが。

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