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2006年9月 5日 (火)

冷たい福祉国家

いや、もちろん、原理的に考えるのが好き(あるいは得意)な人と、現実のごちゃごちゃしたのから考えをめぐらすのが好き(あるいは得意)な人とでは、ものの考え方の筋道が違うんだなあ、ということに尽きるんですが・・・。

そもそも「冷たい福祉国家」ってなんやねん、そんな訳の分からんもん、あるかいな、と最初に感じてしまうともうなかなか話についてけない。年金のもとが軍人恩給であり、障害者対策のもとが傷痍軍人対策であるように、福祉国家とは熱い戦友の共同体、戦場で共に死線をくぐった「仲間」が、冷酷な資本主義の「悪魔の挽き臼」に放り込まれ、貧困と屈辱にあえぐ姿が、戦友たちの怒りを呼び起こし、国家という「想像の共同体」の名の下に、悪逆非道な資本家から資源を取り上げて、彼らに再分配せよ、と発展していったわけで。それがやがて、「銃後」の戦場で戦う戦友たちにも広がり、ひいてはネーション共同体全てが戦友化することによって普遍化していったのが福祉国家なるものであって。まあ、広がっていくと共に、「熱い」福祉国家はだんだん「生暖かい」ものになり、「生ぬるい」ものになってはきたけれども。

そういう福祉国家の「熱い」原点を抜きにして、小役人が眠たい目をこすりながら書類をいじるような手つきで、「再分配する最小国家」だの何だの言ったって、そもそもそんなものを追い求めなきゃいけないモチベーションがありゃせんわな。「冷た」くなったら福祉国家じゃないのよ。私的自由がそんなに大事なら、再分配する理由なんかありゃしない。勝手にさらせ、だけでしょ。

すっごくベジョラティブな言い方をすると、テツガク者とケーザイ学者だけで福祉国家を論じてると、その一番大事な根っこが消えてしまうように感じられる。資源を一方的に奪われる側にとっては何のアピールもない話にしか思えない。みみっちいベーシックインカムといえども、そんな得体の知れない金を出す義理はない、ってことになるだけ。結局、福祉国家なるものが可能だとしたら、それは、いかに仮想的であったとしても、何らかの戦友共同体を構築するところにしかないのですよ。どんなに就労困難な重度障害者であっても、社会に参加し、貢献している「戦友」なんだといったようなね。

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コメント

ごもっともですが「戦友」のメタファーはまずいかと。ほれ、敵がいる「戦争」ではないですから。
こういう言い方では国際競争力主義者に取り込まれる。

発生論的には「戦友」なんですよ。一般化すれば「仲間」ということですけど。

「国際競争力主義者」はともかくとして、福祉国家というのがそもそもナショナルな、もっと言えばパトリオティックな起源を持つことは否定しがたいし、その臍の緒を切れるかといえば切れないだろうといいたいわけです。

前にも書いたことですが、地球人類60億人みんな仲間だという考え方で福祉国家を論ずるのか、それとも日本の1億人だけで考えるのかといえば、論理的には両方あり得るでしょうけど、現実には前者は政治的アジェンダに載りようがないわけで。

いやその臍の緒を切れるところは切っていくことこそが課題だと思います。
ケインズ政策≠近隣窮乏化政策ですから。

福祉国家とケインズ政策は、ある時期連携協力して高度経済成長に貢献したことは確かだと思いますが、そもそもとしては必ずしも一致するとは限らないでしょう。
ケインズ政策としては「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」のかも知れませんが(この点、若干疑問があります)、福祉国家の方はナショナルな臍の緒を切ることはできないと思います。
福祉国家というのは、ケインズ政策のようにそれが合理的で経済に好ましい結果をもたらすと想定されるから選択されるわけでは(必ずしも)なく、ある意味で非合理的な「仲間意識」の上に存立しているので、それを突き崩すと(「冷たい福祉国家」)そもそも存立し得なくなる、と考えています。

ケインズ主義≠福祉国家、というのはそのとおりで、だから私も「ケインズ主義的最小国家」などと大真面目に言ってるわけですが、これはベヴァリッジが当初はピグー主義者としてもっぱら「摩擦的失業」理論を元に失業保険を構想したのに、後にケインズ主義者に転向しましたのを見ますと、「ケインズ主義なしの福祉国家は(たとえば重商主義化せざるをえなくなって)早晩行き詰る」くらいは言ってもかまわんのではないかと思います。

それも一つの考え方だとは思いますが、厚生労働官僚といたしましては、世の中がケインジアンで行くのか行かないのかというのは操作可能な変数ではなく与件でございますので、ケインジアンじゃない福祉国家のあり方も模索しとかなければなかなか生きていけないわけでして(「ベンチがケインジアンやないから福祉国家がやれへん」とうそぶいているわけにはいかない)。

まじめな話、これはヨーロッパの社会政策担当者にとっても同じことなんですね。

>「ベンチがケインジアンやないから福祉国家がやれへん」とうそぶいているわけにはいかない
(泣)

最近異様に慰安婦さんに萌えている情報経済の人が、やっぱり国家権力が諸悪の根源で「ミクロ教科書嫁」の人でしかないことをよく示していただきました。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/855d2fe7c6f54dda2eeb83eab2e0178e

>最賃規制は労働需要の不足をまねき、失業を増やすおそれが強い。
>この問題の解決策も、フリードマンが45年前に提案している。負の所得税である。
>これによって税制は劇的に簡素化され、厚生労働省を廃止すれば、きわめて効率的な福祉システムが可能になる。
>しかし、まさにその効率性が原因で、負の所得税はどこの国でも実施されていない。大量の官僚が職を失うからである。

世界中どんな国でもベーシックインカムが(ある種の人々の)理想論にとどまり現実のものになり得ないのは、世界中どんな国でも厚生労働省のアフォ役人が職を失いたくない一心で反対しているからだそうです。

人間の社会心理というものが全く思考回路に入っていない人には手のつけようがありませんな。
「みみっちいベーシックインカムといえども、そんな得体の知れない金を出す義理はない」のですよ。
およそいかなる福祉であれその根源にある「仲間」という概念が、この薄っぺらな御仁には分かっていらっしゃらないようだ。

>福祉施設や病院に寄贈した車椅子が、ヤフーのインターネットオークションにかけられていた
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070427-00000000-mai-soci

こっちの人間心理の大きさの方が身に沁みる感じ

問題は、穴掘って埋めるだけでもいいから需要を作り出して失業をなくせというケインズ主義と「環境」が両立できるのかってところなんだよなぁ。
「環境」と新自由主義とを両立させて「この地球の定員は(現在の先進国の生活水準を続ける限りにおいては)これだけだ、それを超える貧乏人・貧乏国は野垂れ死ね」という社会ダーウィニズムってレベルじゃねぇもののなっちゃうし。

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