中間総括
稲葉先生は主に内藤氏との関係で「失敗の弁」を語っておられる。
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20060903/p1
私はもともと内藤氏を説得の対象とは考えてはいないので(そもそも実証的な社会学研究者というよりは、理論的社会哲学者でしょう。その点では稲葉先生と共通性があるので、稲葉先生が説得したくなる気持ちは分かるが)、彼が(稲葉先生の人間的卑劣さを証明するという自らの主観的目的のために)(本田先生自身がもう人にさらしたくないと思っている)本田先生のミスを(しかもその内容の正当性はもはや弁証することもなく-なぜならそれは自分自身を傷つけますから)いつまでもほじくり返して書き立てるという行動に出ていることの方に怒りを感じます。
その結果発生していることは、本田先生の実証的社会学者としての業績をなーーんにも知らない厨房どもがもそもそ湧いてきて、あーだこーだと下らぬコメントを吹きまくるという現象です。実証的社会科学に携わっている立派な研究者が、その実証性に疑いをかけられて問いつめられるというようなことは、現実には結構あり得ることです。研究者だって人間ですし、いろんな思想やイデオロギーがあって見たくないものが見えず、見たいものを見てしまうこともある。これは原理的には誰にでもあることです。問題は、それが考え方のレベルではなく、方法論のレベルで批判されたときに、ルールに従って対応できるかどうかなんですね。
こういう問題を、外野席の素人さんたちが「いじめ」としか認知できないのは、一面やむを得ない面もありますが、それに社会学研究者を称する人が「殺傷事件」などと称して火に油を注ぐというのは看過しがたいものがあります。本田先生の実証的社会学者としてのキャリアを本当の意味で危険に曝しているのは、こういう人達です。本田先生はご自分の思想信条を変える必要などないし、ご自分の構想を自分のやり方で展開して行かれればよいのです。ただ、実証的社会学者としての本分を忘れずに。
いずれ、本田先生が天の岩戸から顔を出されて、かねてからの予告通り、企業の採用基準の問題について私に論戦を挑んでいただけるものと思っています。
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