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2006年9月 7日 (木)

戦友の共同体

稲葉先生がかみついた「戦友の共同体」の話は、なんだかやり取りの中でケインジアン話になってしまいましたが、ほんとはもっとアブナい話につながるんですね。

あの講演メモの中では意識的に外したんですが、福祉国家を作り出したモメントとしての社会主義運動の重要な柱が右翼社会主義というか、国家社会主義なんですよ。

これは、日本の場合非常にはっきり跡づけることができます。私の労使関係の講義メモにも簡単に書いてありますが、戦時中の社会主義をそっくりそのまま労働運動が居抜きで受け継いだのが戦後社会主義体制なんですね。解雇を許さぬ終身雇用制、生活費に基づく年功賃金制、企業単位の労働組織等々、すべてそう。産業戦士の「戦友共同体」が原型です。

これに相当するものを比較的明確に跡づけられるのは、第一次大戦中のドイツ(国家奉仕法や労働共同体)とそれを受け継いだワイマール体制です。これはみんな分かってるんですが、問題は第二次大戦時の位置づけ。ナチスは理屈抜きに極悪ですから、これは一時の気の迷いということにしなければいけないし、ドイツの場合、それでちゃんと説明はつく。

ところが、フランスのヴィシー政権やイタリアのファシスト政権はむずかしい。多分、日本とドイツの間というか、戦間期の左翼運動がかなり強かったのは確かですが、それが全土に広まるにはこれら右翼的国民革命が大きな役割を果たした面があるに違いないと、私は睨んでいるんですが、これは「政治的に正しくない」から正面切って言えないのではないかなあ、と。

このあたり、是非政治学者や歴史学者の方のご意見を伺いたいところなのですが、どうもこのあたりに、いわゆる保守主義レジームといわれる大陸ヨーロッパ型システムの原型があるような気がしてならないのです。ただ、これは実証が必要です。現時点では、日本の経験から立てた仮説に過ぎません。

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EUの労働法政策」カテゴリの記事

コメント

これは非常によくある議論といいますか、ごもっともだと思います。90年代から流行りはじめた「総力戦体制論」ってやつですよ。「福祉国家は戦争国家」ちゅうことで。日本経済史の方だと岡崎哲二さんが大きな絵を描いてますが。産報については佐口和郎さんの研究があります。「実態は空虚だったが理念は原型となった」という感じですか。
昭和期日本における左右革新派の合作については米谷匡史「戦時期日本の社会思想」『思想』97年12月号、という有名な論文があります。

ちなみにいわゆるリフレ派の人たちの歴史論というのは、この手の総力戦体制論自体を否定するわけではないですが、そこに潜むある種の罠への警戒心によって駆動されているところがあります。
「アメリカ大不況にしても、昭和恐慌にしても、結局ケインズ政策では収拾できなくて、景気回復には戦時動員体制を必要とした」という説が一方で有力なわけですが、リフレ派の人たちは「実はそうではない、アメリカでも日本でも戦争突入前のノーマルな財政金融政策で事態収拾の目処は既に付いていたのだ」ということを論証しようとしているわけです。
アメリカの場合、もともとフリードマンが大恐慌の原因を中央銀行の失政に求め、その収拾も金融政策によってケリが付いた、と論じた。論敵のケインジアンの経済史家テーミンも、金融政策、マクロ政策レジーム重視論で落ち着いている。大不況は各国の社会主義(含むニューディール、ファシズム)化を促したが、社会主義化が不況を収拾したわけではない、というわけです。
日本の場合ですと、高橋是清のマクロ政策で基本的に昭和恐慌の収拾はできていた、というわけですね。それを軍部が暴走して……という感じですか。
濱口先生が「ちょっと」と評しておられた中野氏の本と同時にソフトバンク新書から田中秀臣さんが出された本のテーマですね。

まああれだ、「ケインズ政策(ないしはマクロ政策全般)は福祉国家を無害化する・馴致する」てな感じでいかが?

投稿: いなば | 2006年9月 7日 (木) 12時30分

相変わらずタブロイド的ですね>いなばさん。わざわざ出てきて書くほどの内容じゃないでしょうに。「学術」じゃなくて「学術ネタ」で「コミュニケーション」したいんですよね。ちなみにその「リフレ派」の歴史観というのは誰の「歴史観」ですか?日本の恐慌研究では「歴史観」が問題なんですか。「ということを論証しようとしているわけです」て何で「論証」なんでしょうね。

ちなみに濱口さん、濱口さんが言われる「マスコミ芸者」の矮小版として「裸の王様」=「稲葉振一郎」は含まれますか?

投稿: おいおい | 2006年9月 7日 (木) 12時55分

山之内靖さんたちが大きな声でやり出したのはわりと最近ですが(そのついでに野口悠紀雄なんてのも出てきましたが)、源流は60年代に孫田良平さん、全面展開したのは70年代に萩原進さんといったところでしょう。

それはともかく、話はもう少し複雑でしょう。濱口民政党内閣のデフレ政策が右翼社会主義運動を掻き立てたのは確かですが、ケインジアン政策「だけ」で済んだわけではなかろう、ということです。どのみち、何らかの形で社会主義化していったであろうと思います。

投稿: hamachan | 2006年9月 7日 (木) 12時59分

濱口さん、初めまして。宜しくお願いします。
エントリーの件に関して、僕は学者でも専門家でもないのですが、思い当たる事を少々。
戦前において、右にせよ左にせよ、国家改良を求めていたという点で親和性があります。
名前は、失念してしまいましたが、共産党のさる方はいわゆる転向後において、天皇制への完全な支持に本質的に変わったそうです。
また、岸信介氏においても、社会党右派からの出馬を本格的に検討していたようです。
戦前の国民の政治に対する政党不信に関しては、それが資本主義的なブルジョワ政党であり、その反射的な効果で軍部へ相対的に支持が集まったとの事です。五・一五事件に関しても、テロの首謀者に対する嘆願の多さが一つの例ではないかと思います。それと血盟団事件に関してもその首謀者は、少なくとも財閥と政党との癒着の認識は持っていたようです。
また、軍部内部においても、国家改良的な動きをする集団はありました。難しいのは、これを単純に統制派や皇道派で括れない点にあるようです。さらに、事態を複雑にしているのは共産主義の影響でして、軍内部での共産主義の影響は従来考えられているよりも大きかったのではないだろうか、という指摘がされています。
これが濱口さんの疑問に直接のお答えにはならないとは思いますが、ご参考までにという事で宜しくお願いします。

投稿: ss | 2006年9月 8日 (金) 19時14分

ssさん、ようこそ。
この問題を歴史学の立場から初めて取り上げたのは伊藤隆先生だと思います。「大正期革新派の成立」という本が30年くらい前に出ています。「革新派」という言葉は、反資本主義的な傾向を持つ右翼から左翼までの広範な勢力をさして用いられました。「革新官僚」なんてのはそうですね。商工省の岸信介がよく挙げられますが、内務省社会局の官僚も、典型的な革新官僚でした。協同主義の三木清もそういう流れの中の革新派ですし。

投稿: hamachan | 2006年9月 8日 (金) 22時31分

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