ベーシックインカムと失業
Kluwerから出ている「Basic Income, Unemployment and Compensatory Justice」(by L.F.M..Groot)(2004,Dordorecht)を読む。
もろ福祉原理主義的な、あるいはネオリベ的なBI論には違和感を禁じ得ないので、労働屋としては「失業」という文字の入っている本を読んでみて考えてみたいと思ったわけですが。
大変ぶっちゃけていってしまうとですね。もし完全雇用が実現するのであればベーシックインカムなんていらんのや、と。
しかし、世の中そうやない。構造的失業が牢固としてあって、なんちゅうか雇用というのは稀少財みたいな感じなんですね。そこで、たまたま雇用といういい目を見ている奴が税金ちゅうか保険料を払って、そこから排除されてる奴に補助金を出すという感じ。「補償的正義」ということなんですね。うまいこと仕事にありついている奴には雇用レントが発生しているんで、それを移転するんやという話らしい。
これだと、理屈としてはよく分かる。分かるけど納得でけへんな。カネより仕事で分配せえや、とどうしていかないんだろう。ないなら仕事作れや、それをするのが福祉国家やあらへんのか、という話になる。そんなん経済的合理性に反するやろが、有能な少数だけで仕事しとればええのや、という風に行くのか。何を前提条件として考えるかやな。
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>ないなら仕事作れや、それをするのが
>福祉国家やあらへんのか、という話に
>なる。
もちろん、そういう方向性もある。所謂
ケインズ政策。あと、公的機関こそ障害
者を雇ったらとか、(公務の)ワーク・
シェアとか。
投稿: ソフト・ネオリベ | 2006年9月15日 (金) 13時51分
かつては、そこで仕事作るの簡単やないか、ケインズ政策やったれ、で済んだわけですが、それがそういうわけに行かなくなって幾年月、そう簡単に仕事を作れないから、ベーシックインカムや、ってな話になるわけで、そこをやはり仕事作って、で行くためには、違うやり方で仕事作るにはどないしたらええんやろ、と、なかなか難しい話になってくる、ということなんですね。
ここが現代福祉国家論の最重要ポイントだと思います。
投稿: hamachan | 2006年9月16日 (土) 16時22分
別にベーシックインカムを養護するわけではありませんが、世の中には失業以前に、働けない人も結構います。障害者とか高齢者とか子供とか。
投稿: dojin | 2006年9月16日 (土) 20時35分
いやだから、それは年金とか児童手当とかいろいろあるわけだし、足りなければ拡充すればよい。そもそも働けない人をどうするかというのは、今までの福祉国家論で十分議論されてきている(制度的に十分かというのはまた別の話ですが)
ベーシックインカムという概念のイノバティブなところは、働こうが働くまいが・・・というところなんです。そこが最大のポイント。
投稿: hamachan | 2006年9月16日 (土) 20時40分
しかしそれは、「働ける人」と「働けない人」をきちんと区別できることが前提ですよね?
以前もここで取り上げられていた「発達障害」や「精神障害」の現状からすると、少なくとも現在の医学水準では(特に高度サービス化経済において)「働かない人(NEET)」なのか「働けない人(障害者)」なのか「働かせてもらえない人(失業者)」なのかはっきりと区別できないんじゃないでしょうか?そりゃまあ、ベーシックインカムが具体的政治日程に上るころには技術的には解決されているのかもしれませんが、その判別のためのコストが「働けるのに働かない人」によるロスより大きくなる可能性も相当高いでしょう。
そこで「100人の『NEET』にフリーライドさせても1人の『障害者』も飢えさせない」とするか、その逆をとるかということになるんでしょうが。
投稿: koge | 2006年9月17日 (日) 00時26分
いや、そういう技術的問題があることも全部踏まえて上で、原理的にどう考えるかという話なんです。
実際は、kogeさんが仰るような話は、オランダにあった、というか現在でもあるんですが、労働不能保険というのがあって、何らかの理由で労働不能だと給付が出る。それで、みんな俺も労働不能、私も労働不能ってんで、やたらに受給者が増大していまい、隠れたオランダ病とまでいわれたものです。最近はかなり改善されたと聞きますが、限界事例はなかなか難しいものがあるだろうな、とは思います。
ベーシックインカムの提唱者にオランダ人が多いのとこれと関係があるかも知れません。
投稿: hamachan | 2006年9月17日 (日) 09時17分
「労働の義務」を原理的に考えると、政府がワークシェアしたり民間の労働需要に関係なく労働を(穴掘って埋めるだけでも)作り出したりするのは当然ですが、究極的には「労働の義務を果たせない者は生存権もない」ということになりますね。たとえ他者の援助が必要ないほどの不労所得や財産を持った特権階級であっても、労働出来ず将来的にも労働できるまで回復する見込みのないものはどんどん殺せ、と。当然定年制も年金も廃止で、死ぬまで働く=働けなくなったら死なすという真の終身雇用が実現しますね。
投稿: koge | 2006年9月22日 (金) 02時47分
あと、ネオリベ的なベーシックインカムを突き詰めると、特に現代の高度サービス産業やIT産業ではごく限られた有能な人が何十億人を養えるほどの富を生み出す一方で、生産性がマイナスで働けば働くほど富を減らすような無能な人も存在する、ならばそんな奴らにはいくらか与えて邪魔にならないところで遊んでいてもらえば有能な人の生産性がより上がり、彼らにあげた以上に稼げて全体の富はより増える、殺すよりは消費だけしといてくれれば需要も増えるんだし、という風になるんでしょうか。
このあたりの意見をさらにえげつなく言っただけですが。
http://amrita.s14.xrea.com/d/?date=20040428#p08
http://amrita.s14.xrea.com/d/?date=20050912#p01
http://amrita.s14.xrea.com/d/?date=20050913#p02
投稿: koge | 2006年9月22日 (金) 03時09分
例えば、世の中には意義はあるがデッド・
エンドだという仕事なんかも沢山ある訳。
ま、そんなのは発展途上国の人間(出稼ぎ
含む)にでもやらせておけば、という考え
方もあるのかもね
投稿: ちょいリベ | 2006年9月22日 (金) 05時09分
生活を賄うに足る不労所得のある者は
別に働かなくてもいいやんというのは
同意
投稿: ちょいリベ | 2006年9月22日 (金) 05時24分