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2006年8月27日 (日)

もじれの帰結

昨日、本田先生が「もじれの日々」を閉鎖すると書き込まれました。事態の経緯からして、彼女の決断にもっとも大きな影響を与えたのは私の批判であったことは明らかであろうと思いますので、私の見解を示しておきたいと思います。

http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/20060826

まずもって、本田先生がこれまで教育と労働に関わる社会学的実証分析にきちんとした成果を上げてこられたこと、そのことについて学界や実務家から高く評価されてきたことを(言わずもがなのことながら)明言しておく必要があります。(後でも書きますが)ブログという部外者がいくらでも入ってこれるメディアであるがゆえに、彼女の専門分野における業績をきちんと認識しないままにあれこれと勝手気ままな落書きのような書き込みがされていることについては、深い憤りを表明しておきたいと思います。私自身、行政にいたからでもありますが、彼女がJILの報告書等で多くの論文を執筆してこられたのを同時期的に見続けてきていましたので、「てめえら、素人の分際であれこれ偉そうなことを言うんじゃねえ」というところです。

ただ、それと同時に、ブログというメディア手段で、彼女が自分の内面をさらけ出すような形で書き込みを続けられていることについては、正直やや危ういものを感じてもおりました。できれば、もう少し知的成果や研究過程の発信といった形で対象を絞り込んだ方がいいのではないか、このままでは彼女の専門分野における業績をふまえての議論にならず、意図を持って近づいてくる人間にいいように振り回されてしまうのではないか、という危惧の念です。

これには二種類あります。単に面白がって寄ってくる夏の虫のような連中はまだいい。今回もそういうのがいっぱい寄ってきましたが、それはそういう奴らだということがわかります。もっと深刻なのは、ある政治的意図で寄ってくる連中です。やや手厳しい言い方になりますが、本田先生はこのブログを始められてから、社会学的実証分析の初心をおろそかにして、そういう連中とのおつきあいにのめり込みすぎたのではないか、と感じています。

もちろん、本田先生がどんな人たちとおつきあいしようが自由ですし、そこから何か学問的に得るものがあるならば大変結構ではあるのですが、それが本田先生の本来の学問的構えを歪めてしまうとすると、問題ありといわざるを得ません。私には、今回の件の最大の問題は、本田先生が(本来の先生のあるべき学問姿勢を離れて)政治的に正しい結論に役立つ「事実」に固執してしまったことであると考えています。

学者にも色んなタイプがあります。思想だのイデオロギーだのを軽々と手品のように操り、知的アクロバットを演じてみせるタイプの学者もいます。そういうのが得意な方はそういう技を披露してやんややんやの喝采を浴びればよい。そういうタイプの人にとっては、ブログというのはうまく使えば実に有益なメディアになるでしょう。

しかし、おそらく本田先生にとってはそうではなかったのです。少なくとも、この「もじれの日々」でよそから多くの人々が寄ってきて書き込みが爆発する話題は、本田先生が本来エクスパタイズを有している分野とは常になにがしかのずれが存在していたように感じられます。そこでの先生の「演技」(とは主観的には感じられていなかったのでしょうが)の繰り返しは、自分が本当に自信を持って発言できることではないことに対しても心持ち緊張を欠いた形で発言してしまうというあまり望ましくない帰結を導いてしまったのではないでしょうか。

このブログを閉鎖すること自体は、冷却期間という意味で賛成です。ただ、実証的社会学者としての本田先生の道はこれからも続いていきます。その研究成果はできれば電子媒体で一般に公開する手段があった方がいいですし、知的なネットワークの中で研究過程をお互いにやりとりする回路もあった方がいい。労働問題というのは学際的な領域ですから、他のディシプリンの人々と交流するための自分の研究の発信の仕組みとしてどんな形がいいのか、じっくりと考えてみましょうよ。

(おまえのブログはどうなんだ?というありうべき質問に対しては、これはあくまでも「EU労働法政策」を皆様に紹介するための手段です。おまけに時たま冗談交じりに自分の意見を書いているだけと答えておきます。あんまり真っ正面からやると疲れますよ。)

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コメント

お見事です。

遠目から見ると「内藤先生VS稲葉先生」の
代理戦争というか、変種として本田先生VS
濱口先生のやり取りが行なわれたようにも
見え、これ自体が一つの小さな政治過程と
してあったような希ガス

ま、戦争というのは適当な表現でないかも

さすが小役人らしい収拾の仕方ですな。濱口とストーカー稲葉は姑息さにおいて連帯していたのは明らかだったがね。

残念ながらストーカーに読めてしまいます。「これがあなたのためだから、あなたの道だから、そんなことしちゃだめだよう。僕が教えてあげるから」みたいな。
たぶん、「何でもいいんで、ほっといてください」ということでしょう。好きなんでしょうか。何かが悔しいんでしょうか。
まあ、がんばってください。

本田先生を評価しているからこそ
「彼女にはこういう方向で…」と
考えるのも当然でしょう。

その方向が本当に良いのか?、は
もちろん断ずることはできません
が。

正直言って、労働研究仲間という一種の仲間意識があるから変な方向に行かないように導こうとした面はありますね。それをストーカーといわれるとどうしようもありませんが。

人間ってのは、「お前の考え方は間違ってるよ」と百万回いわれても変わらないものです。自分を振り返れば分かる。変わる可能性があるとすれば、「へえ、そうなんだ、ホントかなあ、調べてみようか、調べてご覧、どうだったかな?」と、自分で事実の間違いに気がつかせることしかない。そこから、「こんな思いこみをしていたのはなぜなんだろう」という反省も生まれる可能性があるのです。

という考えで、かなり露骨に誘導したつもりだったんですが、残念ながら最後の瞬間までハンドルを切ってくれなかったのは誤算でありました。ただ、事実に基づかないことに居直ってしまうという最悪の事態にはならなかったのは、実証的社会学者としての彼女のために、私は評価しています。

いずれ、憑き物が落ちたような顔でまた登場してくれると信じています。

いじめる人には、世話焼きとかしつけなどに熱心な人が多いのです。
「力をもつ者が世話焼きのかたちで介入して支配していく。その対象となっている人の価値観や規範は、そのプロセスのなかで暴力的に剥奪されることもあります。「私はこう思うのだ」といっても、だめなのです。

最後は価値観ですが、この名無しの人は、親しい人が変なカルトに引き込まれても生暖かく見守っているんでしょうね。いや、もちろん、それも価値観の問題です。

今回の件については、彼女が今まで得てきた学問的な評価をみすみす失うような方向に行かないように説得するのは、同じ労働研究者仲間として、最低限の義務だったと私は思っています。もちろん、それも最後は価値観の問題ですが。

はじめまして。大変不躾な質問になるかと思いますが、もしよろしければお考えをお聞かせください。(昔からの個人的な疑問と重なって関心がありますので)

> 彼女が今まで得てきた学問的な評価をみすみす失うような方向に行かないように

という条件であれば、彼女はあのようであったから現在の地位に至ったのであり、だとすればこれからもあのようでありつづけるほうがあちらの世界では安泰(である確率が高い)、というふうにはお考えになりませんか?

> 最低限の義務だったと私は思っています。

ご自身としてはやるだけのことはやった(義務は果たした)、と達成感あるいは満足感を得られているのでしょうか。

それが「治る」のなら、対象者にとっては苦痛であっても社会全体としては望ましい場合もありますね。しかし、「現在の技術では治らない」のに「治せ」というのは100%いじめであって、(「隔離」を含めて)別の方法で社会に受け入れていく必要がありますね。今回の問題とはたぶん直接関係ない話ですが。

「彼女はあのようであったから現在の地位に至った」のではありません。「み」さんが彼女のこれまでの業績をきちんと調べた上で書かれていないことがわかりますね。

あのねえ、あんたがた、本田先生のこれまでの実証的なきちんとした業績も碌に読んだこともないくせに、勝手なことばっかりよく書くねえ。
そういう風に(彼女の本来の在り方から見れば好ましくない姿のみを)一見彼女を褒めそやすがごとく書くこと自体が、彼女に対する最大の侮辱になってるんだよ。本田先生はあんた方のおもちゃじゃないんだ、いいかげんにしな。

そういうのは、実のところ社会学を馬鹿にしていて、寄ってきてはケーザイ学を嫁嫁としか言わない連中と同じなの。一番失礼だよ。

私はただの素人ですので、本田氏の学術論文の類はあいにく読んでおりませんが、市販されている著作等には目を通し、またブログの初期から折々にチェックしてまいりました。その上での、先の感想です。

hamachan さんが本田氏を評価されるお気持ちが本気であることは十分わかりました。「これまでの実証的なきちんとした業績」だと評価されている文献を(できれば入手しやすいものだと助かります)ご教示願えませんか。

「市販されている著作」ということは『若者と仕事』も読まれていますよね。これは実証的ないい本だと思います。それまでの研究の集大成的なものです。
この本での彼女のスタイルを踏まえても、「彼女はあのようであったから現在の地位に至ったったのであり、だとすればこれからもあのようでありつづけるほうがあちらの世界では安泰」とお考えでしょうか。
私には、ブログ開始後の彼女は、かつての実証性からふらふらとさまよい出てしまったように見えます。もちろん、根っこは根っことしてもっているので、若年雇用問題を論じている分にはまだ大丈夫なのですが、うかつに社会全体に話を広げるとすごく危ういところにきてしまっていた、という印象です。
『ニートって言うな』のあの全体的不整合さは、本田先生のなお実証的に語ろうとする姿勢と、内藤氏のやたらに攻撃的な文章の落差がもたらしていますが、にもかかわらずああいう形でいたずらに刺激的なだけの本を出そうとされたのは、本田先生自身がその時点でその落差に盲目になりつつあったからなのかも知れません。

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