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2006年8月22日 (火)

正社員信仰こそ問題だって?

高原基彰さんが、「”正社員信仰”こそ問題--就職の構造変動 認識を」という短いエッセイを書いておられます。

http://www.aurora-net.or.jp/doshin/dnet/news/200608.html

「読み直すとちょっと言い過ぎの部分もある」とはいいながら、「言い切らないと伝わらないし……本人は大変気に入って」いるとのことなので、高原さんのお考えと考えてよいようです。

http://takahara.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_cafe.html

その基本的な現状認識は、「現在の産業が生み出す仕事のかなりの部分は、・・・長期間の訓練が必要なほどの技能を要請しない」ので、「他に抜きん出た技能を持つごく一部の人々を別にすれば、ほとんどの仕事は「実は誰でも構わない」というものであり、「高コストでかつ需給調整の難しい正社員が、ほとんどの職種で必要とされていない」ということのようです。

そして、「一つの組織に終身的に所属する「組織人」という働き方は、どの先進国でも、追憶のなか以外にもう存在しない」とおっしゃるのですが、その先進国というのは、記事で見る限り、「アメ リカでも韓国でも中国でも」と、この3カ国のことのようで、ヨーロッパは先進国ではないらしく、後進国日本は先進的な韓国や中国を見習わなければならないようです。

もちろん、日本を除けば「雇い主が自動的に昇給を行うものだと思っている人間など、公務員などの一部を除けば、どこにもいな い」のは確かですが、日本の賃金制度の特殊性とアメリカのエンプロイメント・アット・ウィルの特殊性をごっちゃにしてしまうと、およそ労働問題が訳が分からなくなります(訳が分からんことをのたくっている連中が薄っぺらなメディア界やコンサル業界に多いのは確かですが)。

理論社会学というのはマクロな視点で社会を見るものですし、私も結構好きですけど、ミクロを見ずに上っ調子に議論を展開しすぎてしまうと大変危ないんじゃないかと思っていまして、このエッセイはそれがくっきりと現れているように感じられます。本当に、現代社会の仕事の大部分は技能なんかいらない、誰でもつとまる仕事だとお考えなのか。一体、そこで念頭に置かれている「技能」とはどういう水準のものなのか、どこまで深く考えておられるのか。

「正社員/アルバイト」という区分は、「「実は誰でも良い」ものになってしまっ」ているのだから「経済的合理性では説明のできない」ものであり、それ故に「「失われた世代を正規雇用に復帰させる」というような提言は・・・意味がない」と断言されるわけですが、それは本当に職場の現実なのでしょうか。ごく一部の人間以外には職業能力などというものは何の意味もないものにすぎない、というのが本当に現代世界の現実なのでしょうか、将来の社会の姿なのでしょうか。それを何で確かめられたのでしょうか。

昔から誰でもかまわない仕事というのは社会の中にけっこうあります。人夫供給請負業とか、社外工とか臨時工とか、労務管理史をちょっとかじれば、その手の類が世の中にうようよといっぱいいたことは誰でも分かることです。そういうのを誰に割り振るか、というのが社会システムの構成原理の一つであったわけです。一方で、技術革新が進む中で次々に新たな技能が産み出され、それを身につけた技能者が養成されてきたというのが歴史の語るところです。そういう分野の学習をどれだけされた上でこういう発言をされているのか、大変心許ない感じがします。

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