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2006年8月 7日 (月)

メイク・ワーク・ペイその3

平家さんのブログ「労働社会問題」でさらにやり取りが続いていましたので、転載するとともに、若干のコメントをしておきます。

http://takamasa.at.webry.info/200608/article_1.html

平家さんから「働かず、求職活動などをしない人にはいっさい給付をしないということですか?」と問われ、

端的に言うとそういうことです。あとのご質問ともつながりますが、老齢や障害のためそもそも全く就労を要求できない人、つまりいかなる意味でも交換の領域にいない人は、そういう社会的贈与の仕組みで面倒を見るべきでしょう。年金の不備を生活保護で補い、本来生活保護で面倒見るべき就労可能な人を追い出してきたのがおかしいという考えです。

とお答えしました。さらに、平家さんから「「隙間」は、働く能力を持っている人に対する給付の差ですね?働けない人に対する給付ではなく」と問われ、

賃金との隙間ですから当然就労可能な人を想定しています。
恐らく平家さんは、年金が少なすぎて生きていけない隙間を生活保護で埋めるという発想があるのだと思いますが、それは年金を(賃金と同様)全て交換の領域で考えるかどうかという問題でしょう。
年金とはかけた保険料が戻ってくるものなりと考えれば、同様の隙間が原理的にあり得ます。年金とは世代間の連帯であり、最低保証のあるものと考えれば、年金制度自体に隙間はあり得ないことになります。これは年金観の違いから来るものです。

とお答えしました。

これに対して、平家さんは、「高齢期はエッフェル塔で」というエントリーで、「高齢期は家族構成、健康状態どが様々で高齢者といっても大きな差があ」るのに、「公的年金は画一的なもので」、「社会保険によるものであれ、税によるものであれ、一定の算式に基づいた給付しかでき」ないのだから、「高齢期は年金で対応するべきで、それができないような現在の年金制度は不備なものであるというhamachanさんのご主張には賛成でき」ないと言われます。「年金というオベリスクでは高齢期に対応できません。様々な政策を組み合わせて適切な高さのエッフェル塔を建てるべき」だと仰るわけです。

http://takamasa.at.webry.info/200608/article_2.html

これは、上で私が申し上げた年金というものをどういうものであるべきものと考えるかという年金観の違いから来るところが大きいように思われます。つまり、年金というものが「画一的なもの」でなければならず、「一定の算式に基づいた給付しかできない」ものでなければならない理由はないように思われるのです。これは、老齢年金を中心に考えるとそういう風に(つまり交換の領域のものとして)考えがちになりますが、障害年金を例にとれば、要は障害者が生活できるように金銭給付をするのが目的なのですから、「年金というオベリスクでは障害に対応できません」としらっと言われてしまったら、お前何者?といいたくなるでしょう。明らかに、障害年金は障害というリスクに集団的に対応するための連帯のメカニズムなのです。ところが、老齢年金が老齢というリスクに集団的に対処するための連帯のメカニズムなのか、それとも老後に備えるための強制貯蓄を集団的に行っているのかというのは、実は根っこのところで社会的合意が得られているわけではないんですね。だから、いろいろとねじけた議論が発生するわけですよ。強制貯蓄であるならば、それをしなかった奴への無拠出給付はそれ自体モラルハザードです。

ここで、どちらが正しいという議論を展開してみてもそれほど意味があるわけではありません。老齢年金の性質論については改めて議論を起こす必要があります。ただ、とりあえず「働けない人」として老齢者ではなく障害者を念頭に置いて考えれば、これまでの議論の筋道からして、こういうことはご理解いただけるでしょう。

世の中には「働ける人」と「働けない人」がいる。もちろん、これも細かく言っていくといくらでも細かい議論はできますが、それは全部ネグって、そういう2種類の人がいる、と。で、働ける人については、私の言うような就労促進的メカニズムを組み込んだ所得補助システムと、低生産性就労者への在職給付メカニズムが必要。一方、働けない人については、就労促進の意味がないので、それに代わる何らかの社会参加促進的な所得補助システムが必要であろう。それは、なにも画一的な年金と柔軟な生活保護の組み合わせという形をとらなければならない必然性はない。柔軟な年金制度があればよい、と。

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コメント

>障害年金を例にとれば、要は障害者が
>生活できるように金銭給付をするのが
>目的なのです
この立場に立つと、障害者であっても、
十分な個人資産を所有しているならば、
金銭給付は不要である、という結論に
なります。老齢の場合も同様ですよね。
そうすると、年金も生活保護的なものに
近づく訳で、広義の生活保護の一部だと
考えた方が、すっきりするような希ガス

>それに代わる何らかの社会参加促進的な>所得補助システム
全体の流れがよく分かってないのですが、全く働きにならない社会参加を促進する
意味って何かあるんですかね?近所のゴミ
拾いは就労ではないのかも知れないけれど
「働き」だとは思うんですよ。就労可能と
働けることには距離があるような…

そういう意味では、若くて健康だけれども
どこも雇ってくれないというような人は、
働く能力は高いが(その社会状況の中で)就労不可能な人ということになるのでは?
アカデミシャンって結構、このタイプが…
(以下略)あ、あと前科…

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