続メイク・ワーク・ペイ
平家さんと私とのやり取りがちょっと小休止している間に、平家さんともじれの日々の本田先生との間で同じ問題について議論が始まったようです。
http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/20060812#p1
http://takamasa.at.webry.info/200608/article_8.html
http://takamasa.at.webry.info/200608/article_9.html
http://takamasa.at.webry.info/200608/article_10.html
本田先生の文章は、この問題を取り扱うには若干感情が入りすぎ、細心の注意に欠けるところがあるようにも見受けられますが、趣旨はここで論じていた生活保護と最低賃金の関係についての問題意識であって、その点に関する限り概ね妥当という感じがします。
ところが、平家さんがご自分のブログで書かれたことについて、私の目から見てちょっと一言あった方がいいかな、という点がありましたので、コメントをしておきました。以下の通りです。
>この金額以下で労働者を雇用することは、刑罰を課して禁止しなければならないほどの「悪」なのだろうか
倫理学的な意味における「悪」かどうかは別にして、政策論的には避けるべきことであろうという話だと思いますが。同じことの繰り返しになりますが、経済学者の作った経済の世界と福祉屋の作った福祉の世界が異次元空間のように別々に存在しているのでなく、同じこの一つの世界に共存している以上、それは困ったことであり、何らかの対応をすべきことなんです。それを「悪」と呼ぶかどうかは個人の趣味です。
>刑罰というのは国の財政状態によって左右されていいものでしょうか?
ええ、場合によっては。
改めて言うまでもありませんが、刑罰法規にはそもそも道徳的倫理的に許されない刑事罰と、どっちもありうるんだけど、社会を円滑に動かすためにはこっちにしておいて、そっちをやったら罰を与えましょう、という行政罰があります(もちろん、厳密に言うとなかなか区別は難しいところはありますが)。
交通法規だの労働法規だのといったものは、原則として行政罰ですから、別に「お前は悪の枢軸だ!」と糾弾しているわけではありません。世の中全体の立場から都合が悪いからやめといてんか、という程度のものです。国の財政状態にも大いに影響されるでしょう(実際問題、最賃違反でホントに刑罰法規適用なんてことは(よほど悪質でない限り)ほとんどありませんよ。労働基準監督署が送検するのは大体安全衛生関係が主です)。
平家さんのご意見を読んでいて感じるのは、労働経済は自分の領域だから、自分の考える判断基準で例えば最低賃金について論じるけれども、生活保護などという得体の知れない化け物はそもそもどうあるべきなどと論じられないので、所与として考えようという発想のように感じられます。
でもですね。世の中そういう風に分けられないのですよ。どっちの側もね。生活保護の水準だって、何が健康で文化的な最低生活なんて純客観的に決められるなんて虚構ですよ。かつて最低賃金のない頃は、日雇い人夫の日給に合わせて生活保護の水準を決めていたこともありますし。もちろん、福祉原理主義からすればそれもけしからん話でしょう。しかし、それを前提にしなければならない理由もありません。世の中は一つです。経済学者の宇宙と福祉屋の宇宙が交わることなく併存しているわけではありません。
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» hamachanさん、ノルマンディー上陸作戦決行 [労働、社会問題]
といっても、別にhamachanさんが夏休みを利用して、フランスへ行かれたというわけではありません。 [続きを読む]
» 最低生活費と最低労働賃金の関係 [童顔無智 有限実行]
最近、労働関係のブログを読んでいるのだが、上記の関係に対して様々な見方があって非常に興味をそそられている。
しかし、人様の議論、しかも、専門分野として研究をなさっている先生方の議論に横槍を入れたくなかったので、自分のブログにて、ちょっとだけ口を挟もうかと思う。
本当は、きちんとコメント欄などで、お伺いしたいことがあったのだけど、余りにも自分が労働問題に関しては素人かつ勉強不足なので、それはできず。さりとて、非常に教えていただきたいことばかりで…悩んだ挙句、こういったスタイルを選択するに至る。... [続きを読む]
童顔無智有限実行さんからトラックバックを頂いたのですが、そちらにはコメントを書き込めないので、やや変則的ですがここに書いておきます。
私が書いた書き込みを一通り読んでいただいた上での御疑問でしょうか。
実際の運用が就労可能な人は入口で入れないというやり方をしていることは、その中味を交換原理からますます遠ざけます。そこの問題意識なのですが。
交換原理云々については、
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_d15e.html
で書いたつもりです。
なお、こういう発想のもとになっているのは、近年のヨーロッパ諸国における福祉改革です。ドイツの改革などは、布川先生がよく紹介されておられますから、ご存じだろうと思いますが。
投稿: hamachan | 2006年8月23日 (水) 11時32分