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2006年8月 2日 (水)

メイク・ワーク・ペイその2

月曜日のエントリー「メイク・ワーク・ペイ」の続きです。

引き続き平家さんから次のようなエントリーがありました。

http://takamasa.at.webry.info/200607/article_32.html

「働いていて賃金を受け取っている(15万円とします)が、生活保護水準(20万円とします)に達しないケース」を想定し、「単純に差額の5万円支給すると、働かなくても20万円、働いても20万円の収入で、働かないことを選ぶ人が増えていく。すると、生活保護費はどんどん増えていってしま」うことから、「ワークをペイするようにしなければならない。答えは単純で、15万円給料をえた場合には、例えば、その3分の2の収入があったと見なすことにする。この場合では10万円です。従って給付額は20万円-10万円=10万円。これと実際の給料15万円を合わせると25万円。働くことはペイするわけです」という処方箋を示されています。

これに対して、「働いて22万円しか収入がないひとからは、不満がでるでしょう」と認めつつも、「これを抑えるか、我慢してもらえるかどうかが、「メイク・ワーク・ペイ」の成否の鍵です」と簡単に処理しておられます。

これに対して、私は次のようなコメントをつけました。途中で平家さんの質問も入って、やや長文ですが、

お示しの設例では、生活保護から働く方に異動する人のインセンティブにはなっていますが、その人よりの低い最低賃金で初めから働いていた人に対しては大変な就労へのディスインセンティブになります。それを「これを抑えるか、我慢してもらえるかどうかが、「メイク・ワーク・ペイ」の成否の鍵です」などといっていられるかが問題です。メイク・ワーク・ペイは、いまドツボな状況で働いている人にも等しく適用されなければなりません。
平家さんは、いろんな制度を適当に重ね着してやればいい、そのことにはhamachanも異議なかろうという風に仰っておられるんですが、全体を一つの制度であるかのように構築しないと、このモグラたたきのようなインセンティブ・ディスインセンティブ問題は取り扱えないのです。「どれか一つの単独の制度で」云々というのではなく、最低賃金、失業保険、生活保護を、一括して単一の制度であるかのように設計運用しなければ解決にならないというのが、メイク・ワーク・ペイの最大のメッセージであると私は考えています。

これに対して平家さんから、「働いて22万円の収入を得ていた人が、一旦、働くのを抑えて15万円まで収入を落とし、生活保護を受けて25万円まで収入を増やそうとすると。そういう、モラルハザードを懸念していらっしゃるのですか?」というご質問があり、

それも含みますが、平家さんの設例でいえば、今まで15万円の最低賃金から24万円までのレーンで働いていた人は、いったん生活保護を受けてから働き出せば、より高い賃金が得られることになり、いったん就労を停止するインセンティブが働きます。広範な低賃金就労層(ワーキングプア)に対して、いったん働くのを止めろという強いメッセージが出されることになりますね。
ういうモグラたたきは、最低賃金と生活保護を別々の制度として運用している限りクリアできないでしょう、ということです。

前にも書いたことですが、最低賃金は労働の対価たる賃金なんだから経済の論理、生活保護は憲法に基づく崇高な福祉なんだから連帯の論理というのは、それ自体は正しいんですよ。正しいんですが、そのお互いに絶対的に正しいものが、このたった一つの社会の中で共存しちゃっているんです。共存している限り、その接触点では、モラルハザードが山のように起こりえます。それぞれの正しさに固執している限り、これは解決不可能なんです。

お互いに絶対的に正しいものをただ組み合わせれば、シナジー効果が働いてうまくいくどころか、かえって逆効果が相乗作用を起こしてむちゃくちゃになってしまいます。
ご理解いただいていると思いますが、私は最低賃金だけ、生活保護だけでやれなどということは申しておりません。しかし、哲学の全く相反する複数の制度をただ並列することは破壊的な効果を持ちます。組み合わせるというのであれば、それぞれを抜本的にモディファイしなければならないのです。生活保護を組み合わせようとする限り、最低賃金は経済の論理だけではダメなのですし、最低賃金と組み合わせようとする限り、生活保護は福祉の論理だけではダメなのです。

とコメントしました。

これに対する平家さんの4つめのエントリーが、

http://takamasa.at.webry.info/200608/article_1.html

です。メイク・ワーク・ペイとなるようにしたとき、「健康で文化的な最低限度の生活」が保障されていると考えているのかという質問と、年金も考慮すべきではないかという論点です。こちらにつけた私のコメントが、

実をいうと、私は「健康で文化的な生活」なんてのは決めの問題だと思っています。世界各国を見れば、様々な生活水準があるわけで、絶対的な基準なんてのがあるわけではない。むしろ、自分の稼ぎで暮らしていながら、これが健康で文化的な最低限度なんだよと国家がお墨付きを出した水準以下の生活をさせられているという相対的剥奪感の方が重要だというのが出発点です。
その意味で、私は働いている人の方が働いていない人よりも「いい目」を見られるような制度設計が最重要だろうと思います。とはいえ、生産性を遙かに上回るような賃金の支払いを使用者に強制することはできません。社会的に正しくても経済的に正しくない。そこで、その隙間を在職給付という形で埋めることになります。あくまで低賃金就労者に対する就労奨励のための手当であって、生活保護ではない。働かなければ切られる。その財源は、他の制度を一切いじらないのであれば、現行生活保護から持ってくるしかないでしょう。

一方で、生活保護自体を単なる贈与の領域から交換の領域に持ってきて、何らかの行為に対する対価として支給するんだという性格を明確にする必要があります。生活保護をいわば国民失業保険という風に考えるわけです。一般的には求職活動ないし教育訓練受講の対価という風に位置づけられるでしょう。もっともこの辺は受給者の状況が様々でしょうから、もう少し検討する必要はあるでしょう。
ここで問題になるのが、もはや働けないような高齢者はどうするのか、ということでしょう。平家さんが年金との関係を持ち出されたのもそこを念頭に置かれているのだと思います。私は、年金制度の不備を生活保護が補っているという状況自体が不合理なのだと思いますが、そっちが当面動かしようがないのであれば、そこは対価性を求めるのは無理かな、とは思っています。

です。

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コメント

在職給付ですか……なんというか、スピーナムランド制を思い出させますな。いやくさすつもりじゃなくて、なんつうかわれわれ進歩しとらんな、と。
雇用調整助成金を雇う側にではなく雇われる側に払う、という感じでしょうか?

前からおもっとったんですが、フリードマン流の「負の所得税」じゃだめなんですかね?

>「負の所得税」じゃだめなん
>ですかね?

稲葉ちゃん、ナイスですよん!
漏れも割とそう思うわけですが、
ただ浜ちゃん先生はベーシック
インカムとかも、あんまり好き
じゃないみたい…

仰るとおり、最近のヨーロッパのこの手の議論を見ていると、なんだかスピーナムランドだの、ワークハウスだの、近世社会に戻ってきてるんじゃない?という感じではあります。市民の等質性を前提とした近代型社会保険システムがうまくいかなくなってきて、先祖返りかも知れません。「進歩しとらん」のではなくて、ぐるっと一回りして元の立ち位置に帰ってきたということでしょうか。ロザンバロンなんか読むとそんな気がします。
私は厳密な議論はできませんが、「負の所得税」はあまりにも「近代的」なような。ベーシクインカム論も同じ印象です。

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