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2006年8月28日 (月)

請負略史

請負労務というのはどういうもので、どういう風に発展してきたのかということについて、あんまりきちんと書かれたものがないのですね。私なんぞがまとめるのは本来おこがましいところもあるんですが、最低限これくらいは弁えておきたいことを箇条書き風にまとめておきます。

まず、「日本の労務管理」の講義案でも繰り返しお話ししているように、明治期の日本では、親方職工が子分(一般職工や徒弟たち)を率いて「組」を作り、この親方が工場主から仕事を請け負って組のメンバーの割り振って作業を行い、賃金も親方が一括して受け取って子分たちに配分するという仕組みでした。採用も解雇も、怪我したり病気になったりしたときの手当も親方の責任。こういう請負的雇用が出発点なんですね。

日露戦争前後から、こういう間接管理から直接管理への転換が進み、それまで親方職工がやってきたことのある部分(雇用管理や賃金支払、福利厚生)は企業が引き取り、ある部分(具体的な指揮命令や昇給に当たっての査定)は企業の役職としての職長の仕事になります。

ところが、工場内にはいろんな仕事があるわけで、パカッと取り外しできるような部分は直轄ではなく、「組」請負制のままとした。というか、それまでの親方請負では、請負なんだけど親方もその下の子分も工場に雇われているという身分だったのだけど、一方でメインの仕事の直轄化が進むとともに、メインじゃない仕事をやる「組」の親方も子分も工場とは直接雇用関係がないという風になっていったわけ。

これで、雇用と請負は別のものという風になったんだけど、直轄職工の方にも「請負」という言葉は残ったんです。賃金決定方式というコンテクストでね。これは実は未だに実定法上に残っています。労働基準法第27条を見てください。「出来高払制その他の請負制で使用する労働者については、使用者は、労働時間に応じ定額の賃金の保障をしなければならない」とあります。この「請負制」とは、もちろん雇われている労働者の賃金をどういう基準で払うかという話で、民法や商法の請負とは違います。

さて、工場と直接雇用関係がなくなって労務を提供している「組」のことを、戦前期には「労務供給請負業」と呼んでいました。ほらまたここにも「請負」が出たよ。つまり、労働者供給事業というのは、請負事業の一種なんです。というか、普通に請負というと、そういうものが想定されていたんですね。で、戦前の工場法の適用においては、そういう直接雇用関係がない「組」の連中であっても、工場の中で働いている限り、工場主の職工と見なして適用するんだという風にしていたんです。ここは大事です。ほとんどの労働法学者が指摘していない点。

その後、戦時体制が進む中で労務供給事業の規制が始まり、戦時中には重要な製造業における労務供給業の使用が禁止されます。戦後、今度はGHQのコレットさんという人が、大変な熱情を燃やして労働ボスの撲滅を図るんですね。労働ボスが日本の封建制の元凶であり、日本民主化の為には彼らを一掃せねばならん、と。で、このときに作られたのが、有名な労働者供給事業と請負の4要件という奴。コレットの命令で作らされたのが中島寧剛さんというかたです。

で、その趣旨は、正しい請負はこういう要件を充たさなきゃいけないということなんですが、概念規定を妙な形でしてしまったために、この要件で請負になれば、一切関係がないということになってしまったんですね。戦前は請負でも工場主には責任があったのに、それが却って切れてしまった。

ところが、建設業では、重層請負であっても、元請が下請や孫請等々の労働者の労働災害に責任を負うという規定が残りました。建設業では元請は下請労働者を指揮命令するのが普通だからだと説明されているんですが、これは戦前の労働者災害扶助責任法のなごりなんですが、よく考えると、上の4要件と矛盾してるんじゃねえか、という感じですよね。いや、論理的には矛盾してんだけど、現実には合致しているわけです。

建前上は、製造業では工場内で請負と称して働いているというのはなくなった(直用の臨時工になった)ということになっていたけど、なあに、実際は社外工というのが結構いたわけですよ、戦後にもね。ただ、高度成長で人手不足になるにつれて、社外工も臨時工もどんどん減っていった。代わって出てきたのが主婦パートと学生アルバイト。そして、バブル期にフリーターなんてのが出てきて、その後の不況期にどんどん拡大してきたのはご承知の通り。そして、その中で製造業の請負企業というのが急拡大していったわけです。

ある意味で戦前の労働市場に近づいてきたということもできるかも知れません。ところが、法律制度が終戦直後の理想主義の時のままで、しかもそれを厳密に適用すると大変なことになるのでまあ適当にということで長年やってきたのが、ここにきてそろそろ耐用年数が切れかけてきたかなということなのです。もう一遍、正面から「請負」を考え直すべき時期なのではないか、というのが私の考え。

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コメント

>代わって出てきたのが主婦パートと学生アルバイト。
失業中のオジサンとかも、その中に混じってこっそりアルバイトしてました(苦笑)

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